宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『やまなし』考 -氷のついた「ヤマナシ」(Pyrus pyrifolia)の実は水に落ちて沈み,浮かび,再び沈む-

「ヤマナシ」(Pyrus pyrifolia;ピルス・ピリフォリア)の落果直後の新鮮なものは,コップの水に落とすと沈むことはすでに報告した(石井,2022a)。凍らせた果実を使ったりもしたが沈むだけであった。その後,落果してからしばらく放置し干からびさせたものの中に水に沈んだのち浮かび上がるものがあることを発見した(石井,2022b,2022c)。しかし,童話『やまなし』のように,水に浮かんだものが再び沈むということはなかった。 

 

童話『やまなし』で「やまなし」の果実が登場するのは12月である。東北の12月は雪が降ったり,地表に霜柱ができたりする。樹上に残っている「やまなし」の果実にも雪が付着して凍ったり,空気中の水分が付着して「氷華」ができたりするのがあるのかもしれない(氷華については後述する)。

 

本稿では,水を十分に付けて凍らせた「ヤマナシ」の果実が,童話『やまなし』に登場する果実のように,水に落ちたあとに沈み,浮かび,そして再び沈むかどうか検討する。

 

令和4年12月24日に「ヤマナシ」が植栽されている平塚市の総合公園を再び訪れた。24日の平塚市の最低気温は3℃で最高気温は12℃であった。第1図に示すように12月も終わろうとしているのに樹上には葉と一緒にたくさんの果実が残されていた。地上にも果実がたくさん落ちていた。滞在中に何度も果実が落果してくるのを見かけた。カラスや小鳥もたくさん訪れていた。

 

第1図.平塚市総合公園に植栽されている「ヤマナシ」.2022年12月24日撮影.

 

地上に落下したばかりと思われる果実を数個(7~9g)採取して,家で実験に供した。採取した果実の1つ(重量7g)を径28mmの10ml容器に水と一緒に入れ冷凍庫で1日凍らせた。氷の付いた果実(重量20g)を第2図に示す。この氷のついた果実を室温(15℃)でコップの中の水(水道水)に落とした。果実はいったんコップの底に沈んだが直ぐに水面に浮き上がった(第3図A)。しかし,水面に浮いた果実は6分を過ぎるとゆっくりと沈み初め(第3図B),7分後にはコップの底に沈んだ(第3図C)。沈んだ直後の氷の付いた果実の重量は11gであった。別の果実でも試みたが同様な結果であった。沈むまでの時間を延ばす工夫もしてみた。氷の付いた「ヤマナシ」を9℃の環境下のもと氷で冷やした水の中に浮かべたところ,「ヤマナシ」は2時間近く浮いていた。

 

第2図.氷の付いた「ヤマナシ」(Pyrus pyrifolia)の果実.

 

第3図.A:水に浮かんだ「ヤマナシ」の果実.B:6分を過ぎた頃の沈み始めた「ヤマナシ」の果実,C:7分後にコップの底に沈んだ「ヤマナシ」の果実.

 

すなわち,「ヤマナシ」の果実の表面に重量の60%以上の水が氷として付着すれば,その果実は水に落ちたのち,沈み,浮かび,再び沈む。また,浮いている時間は環境温度や水の温度に左右されることも分かった。

 

私は,童話『やまなし』のモデルとなった舞台を種山ヶ原の山中付近を起点とし,江刺郡の中心市街地の岩谷堂あたりを通過して北上川へと流れ出る人首川にある渓流と考えている(石井,2022e)。種山高原の12月と1月の平均気温は-1.8℃と-4.7℃である。また,仙台管区気象台の池田友紀子(2012)によれば,100年前の東北地方の年平均気温は現在よりも1.2℃低いという。童話『やまなし』の舞台となったところも氷点下でかなり寒かったと思われる。

 

今回の実験は15℃や9℃の環境下で行われたが,気温が氷点下になる当時の種山ヶ原付近の谷川で行えば,浮いた果実がすぐに沈むということはなく,童話『やまなし』のように2日後に沈むということもあり得ると思われた。

 

文語詩「流氷(ザエ)」には以下の詩句が並ぶ。

 

はんのきの高き梢(うれ)より,きらゝかに氷華をおとし

汽車はいまやゝにたゆたひ,北上のあしたをわたる。

見はるかす段丘の雪,なめらかに川はうねりて,

天青石(アヅライト)まぎらふ水は,百千の流氷(ザエ)を載せたり

あゝきみがまなざしの涯,うら青く天盤は澄み,

もろともにあらんと云ひし,そのまちのけぶりは遠き。

南はも大野のはてに,ひとひらの吹雪わたりつ,

日は白くみなそこに燃え,うららかに氷はすべる。

              (宮沢,1985) 下線は引用者 以下同じ

 

文語詩「流氷(ザエ)」の制作年度は不明である。東北で「流氷」がいつ頃から見られるのであろうか。1923年12月10日の日付のある詩「冬と銀河ステーション」に「川はどんどん氷(ザエ)を流してゐる」とあるので,100年前の東北では12月初旬でも見られたのかもしれない。

 

「流氷(ザエ)」に登場する「はんのき」はカバノキ科のハンノキ(Alnus japonica (Thunb.) Steud.)のことであろう。この梢から「氷華」が落ちたとあるが,「氷華」とは何であろうか。『新宮澤賢治語彙辞典』では「氷が花のように結晶したもの,または木や草に水分が凍りついて花の形に結晶したもの」とある。多分,この詩の「氷華」は結晶化した氷が付着した「ハンノキ」の果実あるいは小枝に付いた氷の結晶と思われる。「ハンノキ」は花が咲いた翌年の1月でも樹上に果実を残すことが知られている(riseブログ,2021)。すなわち,詩では氷の結晶が付着した「ハンノキ」の果実や小枝に付いた氷の塊が風で飛ばされ北上川に落ち,それが「百千の流氷(ザエ)」の1つになっていると詠っている。ただ,多くの「流氷」は川の水が凍ったものからできていると思われるが。賢治は「氷」や「流氷」を「ザエ」と読ませている。「ザエ」とは「薄く張った氷」という意味の方言らしい(浜垣,2021)。

 

2021年1月3日(午前9時頃)に岩手県北上市の北上川に「流氷」が出現し,賢治の詩「流氷(ザエ)」の世界が再現されたという記事が12日付けの河北新報に載った(河北新報online,2021)。

 

「やまなし」に「氷華」が付くこともあるようである。詩〔プラットフォームは眩ゆくさむく〕(1927.2.12)には「きららかに飛ぶ氷華」や「梨にもいっぱいの氷華」という詩句が入っている。

 

詩「流氷(ザエ)」に登場する「きみ」とは誰のことであろうか。「はんのき」から落果する「氷華」を「氷華」が付着した「やまなし」に,北上川を谷川に置き換えれば詩「流氷(ザエ)」は童話「やまなし」の世界になる。「流氷(ザエ)」の「きみ」にも賢治の相思相愛だった恋人がイメージされていたのかもしれない。

 

童話『やまなし』の第二章「十二月」で,「やまなし」の果実は「ドブン」と谷川に落ちたあと「ずうつとしずんで又上へのぼって」行き,そのあと「流れて」,そして「横になって木の枝にひっかかってとまり」,「二日ばかり」過ぎると「下へ沈む」という複雑な動きを示す。私は,これまで,このような「やまなし」の果実の複雑な動きは自然界では起こりえない現象であり,むしろ賢治の恋人の破局したときの失意の心理状態が描かれていると思っていた(石井,2022g)。しかし,今回の実験結果から童話の「やまなし」が氷の付着した「ヤマナシ」(Pyrus pyrifolia)のような「ナシ」の果実であるなら童話通りの現象も生じることもあり得ると思うようになった。多分,同じ属(Pyrus;ピルス)に分類される「イワテヤマナシ」(Pyrus ussuriensis Maximvar.aromatica (Nakai et Kikuchi))Rehd.)でも同様の結果が得られると思っている。すなわち,「十二月」に谷川に落ちてくる「やまなし」の果実には「氷華」が付いていると思われる。

 

これは余談だが,総合公園で採取してから1週間過ぎた「やまなし」の中に果皮のべとついているものがあった。果肉もぶよぶよで液汁が果皮の表面に滲出したものと思われる。わずかに甘い匂いがした。腐敗臭ではない。もしかしたら,酒と呼ぶほどの度数はないかもしれないが,アルコール発酵が生じていたのかも知れない。童話で父親の〈蟹〉が木の枝に引っかかっている「やまなし」の果実に対して「もう二日ばかり待つとね,こいつは下へ沈んで来る,それからひとりでにおいしいお酒ができるから」と言っていた。お酒ができる可能性については前稿で述べた(石井,2022f)。

 

『春と修羅』(第二集)の「岩手軽便鉄道の一月」(1926.1,17)にも「うしろは河がうららかな火や氷を載せて」とあるように北上川に「流氷」が流れている様子が描かれている。この「流氷」の中には「ハンノキ」,「クルミ」,「カワヤナギ」,「カラマツ」,「クワ」などから風で飛ばされて落ちた「氷華」も含まれていると思われる。

 

ぴかぴかぴかぴか田圃の雪がひかってくる

河岸の樹がみなまっ白に凍ってゐる

うしろは河がうららかな火や氷を載せて

ぼんやり南へすべってゐる

よう くるみの木 ジュグランダー 鏡を吊し

よう かはやなぎ サリックスランダー 鏡を吊し

はんのき アルヌスランダー [鏡鏡鏡鏡]をつるし

からまつ ラリクスランダー 鏡をつるし

グランド電柱 フサランダー 鏡をつるし

さはぐるみ ジュグランダー 鏡を吊し

桑の木 モルスランダー   鏡を……

ははは 汽車(こっち)がたうたうなゝめに列をよこぎったので

桑の氷華はふさふさ風にひかって落ちる

                (宮沢,1985)下線は引用者

 

賢治は「氷華」が付いた樹木に対して,その樹木の属名に「ランダー」という語尾をつけて呼ぶことがある(石井,2022d)。例えば,「ハンノキ」の属名はAlnus(アルヌス)なので「アルヌスランダー」,「カラマツ」の属名はLarix(ラリクス)なので「ラリクスランダー」という愛称を用いる。賢治はまた「氷華」を「鏡」と表現する。「ハンノキ」なら「はんのき アルヌスランダー [鏡鏡鏡鏡]をつるし」である。詩で「ハンノキ」の「鏡」を4つにしているのは,「ハンノキ」の果実が小枝に3~5個固まって付くことによると思われる。

 

「鏡」は女性が主に使う道具でもある。賢治は樹木を親しい女性に喩えて愛称で呼んでいるようでもある。では,賢治は「氷華」(=鏡)の付いた「やまなし」(イワテヤマナシ?)の果実に出会ったとき,この木を何と呼ぶのであろうか。

 

「よう,やまなす ピルスランダー 鏡を吊し」だろうか。「やまなす」には賢治の恋人の名が隠されているとも言われている。

 

参考・引用文献

浜垣誠司.2021.北上川の流氷.https://ihatov.cc/blog/archives/2021/01/post_991.htm

池田友紀子.2012.東北地方の気候の変化.https://wind.gp.tohoku.ac.jp/yamase/reports/data05/Ikeda_120305.pdf

石井竹夫.2022a.童話『やまなし』に登場する「やまなし」の実は水に浮くが「イワテヤマナシ」も同じように浮くのか.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/11/08/171645

石井竹夫.2022b.童話『やまなし』では水に浮いた「やまなし」の実が2日で川底に沈みしばらくすると酒ができるとあるが (2).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/11/20/091202

石井竹夫.2022c.童話『やまなし』に登場する「やまなし」が「イワテヤマナシ」である可能性について (1).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/12/10/094359

石井竹夫.2022d.宮沢賢治の詩に登場するジュグランダーやフサランダーとは何かhttps://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/09/20/110120

石井竹夫.2022e.童話『やまなし』の舞台となった谷川は実在するか-イサドとの関係-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/07/02/104817

石井竹夫.2022f.童話『やまなし』では水に浮いた「やまなし」の実が2日で川底に沈み,しばらくすると酒ができるとあるが (1).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/11/18/190012

石井竹夫.2022g.童話『やまなし』考 -「十二月」に「やまなし」の実が川底に沈むことにどんな意味が込められているのか (第1稿)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/11/23/091745

河北新報online.2022(調べた日付).北上川に流氷出現 宮沢賢治の詩「流氷(ザエ)」の情景再現.https://kahoku.news/articles/20210112khn000037.html

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

Rise ブログ.2021年1月17日 ハンノキの花序と実を見つけまし..https://hakone-ueki.com/sub2/garden/

※:「やまなし」は岩手県では「やまなす」と発音する。