宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『やまなし』の舞台となった谷川は実在するか-イサドとの関係-

童話『やまなし』(1923.4.8)が賢治の悲恋体験に基づくものであることについてはすでに報告した(石井,2021,2022)。本稿では,『やまなし』の舞台となった谷川のモデルが実在するかどうか検証する。

 

童話『やまなし』の舞台は,冒頭に「小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈です」とあるように,小さな谷川あるいは渓谷である。では,この谷川(渓谷)のモデルとなった川は存在するのであろうか。このモデルとなった谷川を推定するヒントになるものとして,『やまなし』に登場する「イサド」という地名がある。

 

 蟹の子供らは,あんまり月が明るく水がきれいなので睡ねむらないで外に出て,しばらくだまって泡をはいて天上の方を見ていました。

『やっぱり僕ぼくの泡は大きいね。』

『兄さん,わざと大きく吐いてるんだい。僕だってわざとならもっと大きく吐けるよ。』

『吐いてごらん。おや,たったそれきりだろう。いいかい,兄さんが吐くから見ておいで。そら,ね,大きいだろう。』

『大きかないや,おんなじだい。』

『近くだから自分のが大きく見えるんだよ。そんなら一緒に吐いてみよう。いいかい,そら。』

『やっぱり僕の方大きいよ。』

『本当かい。じゃ,も一つはくよ。』

『だめだい,そんなにのびあがっては。』

 またお父さんの蟹が出て来ました。

『もうねろねろ。遅おそいぞ,あしたイサドへ連れて行かんぞ。』

                 (宮沢賢治,1986)下線は引用者 以下同じ

 

この物語で,子供(兄弟)の蟹が泡の大きさを競うことに夢中になっているとき,父蟹は「もうねろねろ。遅おそいぞ,あしたイサドへ連れて行かんぞ。」という言葉で止めさせようとする。兄弟にとって泡の大きさを競うのは遊びの一種と思われるが,「イサド」はこの遊びと同じくらい魅力的な場所と言える。子供の欲しいものや見たい物がたくさんあるあるか,あるいは病気の母がいて,そこで療養中なのかもしれない。

 

また,「イサド」は『やまなし』以外では童話『種山ヶ原』(1921)に「伊佐戸(いさど)の町の,電気工夫の童(わらす)ぁ」とか,「伊佐戸の町で燃す火が,赤くゆらいでゐます。」という表現で登場する。どうも「イサド」は「種山ヶ原」近くの町の名前と関係しているらしい。

 

「イサド」の語源に関して,原(1999)は賢治の造語であり,旧江刺郡の中心,「岩谷堂」を念頭においたものと推定している。「岩谷堂」は岩手県江刺郡岩谷堂町(現在の奥州市江刺)のことである。江刺郡は1町12村(岩谷堂町,愛宕村,羽田村,黒石村,田原村,藤里村,伊手村,米里村,玉里村,簗川村,福岡村,広瀬村,稲瀬村)からなる。すなわち,「岩谷堂」は江刺郡にある唯一の町である。「岩谷堂」は歴史的には奥州藤原氏と関係深い土地である。かつて奥州藤原氏による平泉の栄華を築いた藤原清衡は,岩谷堂餅田(もちた)の豊田館(とよたのたち)で生まれ,平泉に移るまで青年期を過ごしたという(国土交通省 東北地方整備局,2022)。また,岩谷堂町は古くから北上川と人首川(ひとかべがわ)による舟運や,三陸沿岸部と内陸部を結ぶ交通の要所として賑わった町でもあった。同町には明治8年(1875)に開院した岩谷堂共立病院という西洋医学における総合病院もあった。「岩谷堂」は,子供にとって一度は行ってみたい魅力的な町であったと思われるが,病気の母が入院している場所というイメージもある。

 

「イワヤドウ」は石屋・岩屋・窟に洞・堂が結合した言葉とされる(相原,2022)。また,「イワ・iwa」はアイヌ語で岩山のことだが,もとは祖先の祭場のある神聖な山を指したらしい(知里,1992)。

 

「岩谷堂」の近くに谷川あるいは渓谷のような場所はあるのだろうか。地図で見てみると人首川がある。人首川は「種山ヶ原」の山頂付近に端を発し,江刺郡の中心市街地の岩谷堂あたりを通過し,伊手川と合流し北上川へと流れ出る,流路延長30kmほどの河川である。人首川のほとんどは緩やかな里川だが,玉里村の白山橋付近は岩が多く川幅も狭く渓谷となっている。「白山渓」と呼ばれている。このように,童話『やまなし』の舞台が江刺郡の「岩谷堂」と関係するなら,この「白山渓」が候補にあがる。

 

ただ,「岩谷堂」→「イサド」だとしっくりしないものがある。イサドは江刺(えさし)の「サ」と岩谷堂(いわやどう)の「イ」と「ド」を組み合わせたものかもしれない。

 

賢治は,この「白山渓」を訪れたことがあったのだろうか。賢治は農学校時代(3年生)の夏期休業中, 関豊太郎教授指導による江刺郡土性調査 (1917年8月28日~9月8日)に親友2人 (高橋秀松と佐々木又治)と参加していた。賢治は 8月28日に岩谷堂町の菅野旅館に泊まっている。その後,10日間の予定で江刺郡一帯の地質調査に出かけた。賢治の江刺郡地質調査における足跡を検証した若尾(2022)によれば,賢治は9月2日から9月3日の間に玉里村に立ち寄っている。この玉里村近くに「白山渓」がある。賢治が「白山渓」を訪れた可能性は高い。

 

童話『やまなし』に登場する谷川のモデルとなったものがあるとすれば,江刺郡の人首川にある渓谷が一つの候補になり得ると思われる。

 

参考文献

相原康二.2022.旧江刺郡は「仏教の聖地」.https://www.esashi-iwate.gr.jp/bunka/column/005/

原 子郎.1999.新宮澤賢治語彙辞典.東京書籍.

石井竹夫.2021.童話『やまなし』は魚とクラムボンの悲恋物語である.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/09/20/090540

石井竹夫.2022.童話『やまなし』考-クラムボンは笑った,そして恋は終わった-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/02/01/101846

国土交通省 東北地方整備局.2022(調べた日付).【特集】近ごろ江刺市岩谷堂周辺がおもしろい!https://www.thr.mlit.go.jp/isawa/sasala/vol_16/vol16_2a.htm

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

知里真志保.1992.地名アイヌ語小辞典.北海道出版企画センター.

若尾紀夫.2022(調べた日付). (盛岡高等農林学校と関豊太郎教授と営澤賢治 江刺郡土性調査と賢治「得業論文」.https://iwate-u.repo.nii.ac.jp