詩集『春と修羅』(第二集)の「早池峰山巓」(1924.8.17)にミカン科のレモンの匂いが登場する。賢治が農学校の教師時代に詠ったものである。
「・・・九旬にあまる旱天(ひでり)つゞきの焦燥や/夏蚕飼育の辛苦を了へて/よろこびと寒さとに泣くやうにしながら/たゞいっしんに登ってくる/ ……向ふではあたらしいぼそぼその雲が/まっ白な火になって燃える……/ここはこけももとはなさくうめばちさう/かすかな岩の輻射もあれば/雲のレモンのにほひもする」(宮沢,1985;下線は引用者)とある。
「九旬」は仏教的には90日間であるが一般的には長い期間という意味である。「焦燥」は焦(あせ)っていらだつこと。旱天(ひでり)は旱魃(かんばつ)のこと。東北は大正13年(1924)7月から日照りが40余日続き,各地で水喧嘩が起き,畑作が5割減収になっている(原,1999)。農学校の水田を受け持っていた賢治は暇さえあれば生徒を連れて行って,低い堰(せき)の水を桶で田に掻入れる作業をしていたという。寒さは頂上の気温および「やませ」による。標高が100m上がると気温は約0.6℃低下すると言われている。標高1917mの早池峰山の頂上近くでは地上よりも12℃ほど低い。また,8月の東北は「やませ」と呼ばれる冷たく湿った東または北東の風が吹く。寒流の親潮の上を吹き渡ってくるため冷たい。だから体感温度は地上より12℃以上下がっているはずだ。詩のタイトルにある「巓(てん)」とは山の頂上の意味である。早池峰山の頂上の緯度は北緯39度33分である。
早池峰山の山頂には瀬織津姫(せおりつひめ)を祀る早池峯神社奥宮がある。瀬織津姫は古事記・日本書紀に記されない謎の多い神であるが,主に水に関わる神とされ,穢(けが)れや罪を祓(はら)い清める役割を持つとされる。ちなみに,早池峰の語源はアイヌ語で 「paha (東), ya (陸), chinika (脚)」という説がある。
引用詩句の前半部の詩句「九旬にあまる旱天・・・・よろこびと寒さとに泣くやうにしながら/たゞいっしんに登ってくる」は早池峰山の山頂に最初に到達した賢治が後から登ってくる生徒と思われる人たちの様子を詠んだものと思われる。
つまり,賢治は生徒とともに7月から40日以上日照りが続いたことで夏蚕飼育だけでなく堰の水を農学校の水田に桶で掻入れる労働にまで追われる日々を送っていた。しかし,雨も降りだし辛く苦しい労働から解放されることとなった。登山の真の理由は定かではないが,辛苦から解放された喜びが賢治と生徒を早池峰山の登山に掻き立てたと思われる。そして,賢治は8月17日に登山を決行し,頂上で喜びと寒さで泣きそうになって登ってくる生徒を見ながら雲からレモンの匂いがしてくるのを感じている。
早池峰山の頂上付近にレモンの木は植栽されてはいないと思われるので,「雲のレモンのにほひ」は「幻嗅」であろう。
同様のレモンの「幻嗅」はシンガーソングライターの米津玄師も体験していたと思われる。米津の2018年にリリースした楽曲『Lemon』に「・・・あの日の悲しみさえあの日の苦しみさえ/そのすべてを愛してたあなたとともに/胸に残り離れない苦いレモンの匂い・・・」(下線は引用者)という詩句がある。この楽曲は『アンナチュラル』という人間の死を扱うドラマの主題歌として作られたものであるが,米津はこの曲を作っているときに肉親の死を体験している。楽曲『Lemon』の作詞の中にも肉親の死の体験が影響していると思われる。
米津は悲しんだり苦しんだりしている人に共感すると同時に独特の「匂い」を感じ取ることができる。以前,米津は「泣いてる人って独特の匂いがするんだけど,誰に言っても共感してくれない。」(2012.2.7)とツイートしたことがある。これは「共感覚」の一種である。それが場合によっては「レモンの匂い」だったのであろう。米津は自閉スペクトラム症(ASD)であることを公表している。ASDの20%近くが「共感覚」の特性を有すると言われている。
では,ASD的な資質をもつ賢治の登山中の「レモンの匂い」の「幻嗅」はどのような感情と結びついていたのであろうか。登山が辛く苦しい労働から解放されたあとの事を考えれば,賢治のレモンの「幻嗅」は「苦しみ」と関係していたかもしれない。では「悲しみ」はどうであろうか。登山中に泣きそうになっているのは生徒であって賢治ではない。その生徒も「喜び」や「寒さ」で泣きそうになっていたのである。「悲しみ」からではない。「悲しみ」は賢治の詩からは感じられない。
ただ,詩「早池峰山巓」(1924.8.17)を詠んだ2か月前に賢治の恋人だった女性が恋の終止符を打ってアメリカのシカゴ(北緯41度54分)に渡っている(1924.6.14)。恋人は渡米後2つ違いの妹に手紙を送っているが,その手紙の中に賢治の書いた文語詩「〔きみにならびて野にたてば〕」の詩の下書稿に符合するような一行があった。前後の文面とは隔絶した数行の文字,悲痛な叫びが書き込まれていたという(佐藤,1984)。つまり,賢治の元恋人は悲しく胸が張り裂ける思いで渡米したと思われる(前ブログ,2025a)。
賢治にも「悲しみ」がなかったわけではないだろう。賢治が早池峰山の頂上に登ったのは,その「悲しみ」から東方に位置するシカゴの元恋人に何かを伝えたかったからかもしれない。ネットで調べたら,晴れた日に頂上から東側を見ると,三陸リアス式海岸の先に太平洋が確認できるとあった。ちなみに,賢治は早池峰山に登った5か月後の大正14年(1925)1月5日から9日にわたって三陸地方に旅行している。この旅行の目的に関しては前ブログ(2024)に記した。
以前,賢治の恋人の「悲しみ」は「tearful eye(涙ぐむ眼)」の花壇にあるように睡蓮の匂いではないかと推測したことがある(前ブログ,2025b)。しかし,東から吹く風の上昇気流で作られた雲の中から賢治が感じ取った元恋人の匂いは睡蓮ではなくレモンの匂いだったようにも思える。
レモンの匂いがする植物としてレモンマートル(フトモモ科),レモンバーム(シソ科),レモングラス(イネ科),レモンバーベナ(シソ科)などがある。スイレン属の植物でレモンの匂いがするものはない。レモンの香り成分は,主にリモネンとシトラールである。
つまり,賢治は米津と同じように「苦しみ」や「悲しみ」からレモンの匂いを感じ取れるのかも知れない。
詩「早池峰山巓」の引用詩句には,植物として「コケモモ」(Vaccinium vitis-idaea)と「ウメバチソウ」(Parnassia palustris)が登場する。「コケモモ」はツツジ科の常緑小低木で初夏(6~7月)に淡紅色を帯びた白色の花をつけ,賢治が詩を読んだ8月には赤い実をつけている。赤く熟した実は,甘酸っぱく食べられる。「ウメバチソウ」はニシキギ科の多年草で8月~10月に白色の清楚な花を咲かせる(第1図)。これらの植物には,私の憶測であるが元恋人が投影されているようにも思える。元恋人は頬がうす赤くて色白の美しい女性だったからである。
第1図.ウメバチソウ(箱根湿性花園で撮影)
参考・引用文献
原 子朗.1999.新宮澤賢治語彙辞典.東京書籍.
宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.
佐藤隆房(佐藤 進 編). 2000. 宮沢賢治-素顔のわが友-. 桜地人館.
佐藤勝治.1984.宮沢賢治青春の秘唱「冬のスケッチ」研究.十字屋書店.
前ブログ(2024.5.6).文語詩「敗れし少年の歌へる」考 -賢治は三陸で恋人に向かって謝罪したのか(試論)-,https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2024/05/06/100443
前ブログ(2025a.5.15).賢治の恋人はカサンドラ症候群のような状態になったのだろうか.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2025/05/15/074108
前ブログ(2025b.6.9).米津玄師は泣いている人に独特な匂いを感じる,賢治はどうか.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2025/06/09/162639
お礼 ユキノカケラさん いつも本ブログ読んでいただきありがとうございます。2025.6.24.