宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

文語詩「敗れし少年の歌へる」考 -賢治は三陸で恋人に向かって謝罪したのか(試論)-

 

前稿で賢治が大正14年(1925)1月5日から9日にわたって三陸地方に旅行したのは,新しいことを始めるためなどの諸説はあるものの,恋人のいるアメリカにできるだけ近づき,アメリカに渡った恋人と重なる「ハイビャクシン」の前で謝罪するためだった可能性もあり得るのではないかと述べた。本稿では,三陸旅行をしたときに書き留めた心象スケッチの中に謝罪を伺わせるものがあるのかどうか検討する。

 

賢治が三陸旅行で詠った詩は,『春と修羅 第二集』(未出版)に収録されている「異途への出発」(1925.1.5),「暁穹への嫉妬」(1925.1.6),「水平線と夕日を浴びた雲」(1925.1.7),「発動機船」〔断片〕(1925.1.8),「旅程幻想」(1925.1.8),「峠」(1925.1.9)と,『春と修羅 詩稿補遺』に収録されている「発動機船 一」,「発動機船 二」,「発動機船 三」である。

 

しかし,これら詩を読んでみたが謝罪と思われる文言を見つけることはできなかった。読み方が不十分だったのかもしれない。そこで,恋歌と思われる詩「暁穹への嫉妬」だけでもと思い,この詩を再度読み返してみることにした。

 

詩「暁穹への嫉妬」(下書稿手入形,1925.1.6)は「薔薇輝石や雪のエッセンスを集めて,/ひかりけだかくかゞやきながら/その清麗なサファイア風の惑星を/溶かさうとするあけがたのそら/さっきはみちは渚をつたひ/波もねむたくゆれてゐたとき/星はあやしく澄みわたり/過冷な天の水そこで/青い合図(wink)をいくたびいくつも投げてゐた/それなのにいま/(ところがあいつはまん円なもんで/リングもあれば月も七っつもってゐる/第一あんなもの生きてもゐないし/まあ行って見ろごそごそだぞ)と/草刈が云ったとしても/ぼくがあいつを恋するために/このうつくしいあけぞらを/変な顔して 見てゐることは変らない/変らないどこかそんなことなど云はれると/いよいよぼくはどうしていゝかわからなくなる/……雪をかぶったはひびゃくしんと/百の岬がいま明ける/万葉風の青海原よ……/滅びる鳥の種族のやうに/星はもいちどひるがへる」(宮沢,1986,下線は引用者)である。これがこの詩の全詩句である。 

 

この詩に登場する清麗なサファイア風の惑星は「土星」とされている。木村東吉(1994)の調査によれば,「1925年1月の土星の等級はプラス0.8中央標準時の南中時は7時42分で,詩「暁穹の嫉妬」における「薔薇輝石や雪のエッセンスを集めて,/ひかりけだかくかゞやきながら/その清麗なサファイア風の惑星を/溶かさうとするあけがたのそら」はそっくり作者の顔面に確かにあった」という。つまり,賢治は三陸海岸で空に輝く「土星」が消えてゆくのをずっと眺めていたことになる。「土星」にはリングがある。多分,賢治は明け方の光の中で消えゆく「土星」に「ハイビャクシン」と同じように別れて別の人に嫁いで結婚指輪をつけている元恋人を重ねているのであろう。賢治にとって「土星」は現在の元恋人で,黒い「マント」を被ったように見える「ハイビャクシン」は思い出の中にある過去の恋人である。

 

前述したように何度読んでも謝罪の文言は見つからない。しかし,この詩をよく見てみると,詩句の中にではなく賢治が三陸海岸で元恋人のいるアメリカに向かって謝罪しているととれる箇所のあることに気づかされた。それは,詩句の配置の仕方の中に隠されていた。詩の後半に位置する破線(……)と破線(……)の間の詩句「雪をかぶったはひびゃくしんと/百の岬がいま明ける/万葉風の青海原よ」である。この詩句は頭を下げてなければ詠めない内容である。つまり,破線内以外の詩句はすべて明け方の空の惑星を見ながら詠っているが,破線内は頭を下げなければ「ハイビャクシン」も「岬」も見ることはできない。賢治はこの詩句の配置を意図的にしたとしか思えない。破線内の詩句は「七七/七五/七七」の40字で,読み上げると10秒くらいを要する。つまり,少なくとも10秒間は頭を下げている。

 

『春と修羅 第二集』は同一作品でも3種の清書稿があることから三度に渡って編集し直されたとされている(木村,1994)。本稿で引用した詩「暁穹の嫉妬」(下書稿手入形)は二次清書の段階で『春と修羅 第二集』に追加されたものであるとされている。詩集は出版されなかったこともあってこの詩に定型稿はない。つまり,この詩は1925年1月6日にスケッチされたものであるが,推敲が重ねられ引用文の詩(下書稿手入形)になったのは1930年から1932年の間となっている。また,詩「暁穹の嫉妬」(下書稿手入形)の下書稿(一)が草稿的で,筆跡・字体・文字の大きさ,鉛筆の色と太さ,その他全体の印象で「〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」(1924.10.5)の下書稿(二)と類似していることも指摘されている。多分,詩「暁穹への嫉妬」と「〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」は同時期に推敲がなされたようだ。両者には内容的にも密接な繋がりがあると思われる。

 

「〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」の下書稿(二)は「業の花びら」というタイトルが付いている作品である。内容は「夜の湿気が風とさびしくいりまじり/松ややなぎの林はくろく/そらには暗い業の花びらがいっぱいで/わたくしは神々の名を録したことから/はげしく寒くふるえてゐる/ああ誰か来てわたくしに云へ/億の巨匠が並んで生れ/しかも互ひに相犯さない明るい世界はかならず来ると/……遠くでさぎがないてゐる/夜どほし赤い眼を燃して/つめたい沼に立ち通すのか……」(宮沢,1985)というものである。

 

「……」と「……」の間の言葉は内語と言われている。だから,実際には見ていないかもしれない。ただ,賢治は赤い眼をした誰かに見つめられている。と感じている。「鷺」は渡り鳥である「シラサギ」であろう。

 

私は以前「夜どほし赤い眼を燃して」鳴いている「鷺」,つまり遠方から賢治を脅かす「鷺」は渡り鳥のように賢治から去っていった恋人がイメージされていると解釈していた(石井,2024a)。恋人は「赤い眼」をして鳴いていることから激しく怒っている。そして悲しんでいたと思う。あるいは賢治がそう感じていただけかもしれないが。賢治作品で「赤い眼」は「怒り」を意味していることが多い(石井,2022)。

 

「業の花びら」とは賢治が慢心の罰で失ってしまった一番大事なもの,つまり恋人のことである(石井,2024b)。恋人は生粋の東北人(先住民)と思われるので,「花びら」は「樺の木」から散ったものであろう。「樺の木」は東北ということを考慮すれば,日本固有種の「オオヤマザクラ」(Cerasus sargentii (Rehder) H.Ohba)や「カスミザクラ」(Cerasus leveilleana ( Koehne ) H.Ohba,2001)などのバラ科植物が候補にあがる。「山桜」の樹皮はアイヌ語(あるいは「奥州エゾ語」)で「karimpa・カリンパ」と呼ぶ。「樺(カバ)」はこの「カリンパ」が転訛したという説もある。

 

つまり,〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」の下書稿(二)「業の花びら」は恋人の「怒り」や「悲しみ」が詠われていて,詩「暁穹への嫉妬」はそれに対する賢治の「謝罪」となっているように思える。

 

多分,賢治が三陸海岸へ行った理由の1つは,アメリカの方角に向かって,破局させたことを反省し,頭を下げて元恋人・及川ヤス(旧姓大畠)に謝罪するためだったと考えられる。あるいは,そう信じたい。

 

賢治は晩年に詩「暁穹への嫉妬」を文語詩化して「敗れし少年の歌へる」を創っている。この詩は以前(石井,2024c)にも述べたが「みんなを幸いにする」という「理想」ばかり追い求めすぎて現実を顧みることなく恋人を失ってしまった敗北の詩(うた)でもある。

 

参考・引用文献

石井竹夫.2022.童話『やまなし』の第一章「五月」に登場する〈カワセミ〉の眼は黒いはずなのになぜ赤いと言うのか.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/12/24/083020

石井竹夫.2024a.賢治の詩「業の花びら」に登場する赤い眼をした鷺は怒っているのか (12).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2024/02/29/085518

石井竹夫.2024b.賢治が幻視した「業の花びら」の正体は慢心の罰で失ってしまった一番大事なもの (9).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2024/02/25/103603

石井竹夫.2024c.宮沢賢治の文学は芥川と同じように敗北したか -「敗れし少年の歌へる」から-(13).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2024/03/01/070152

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

木村東吉.1994.旅の果てに見るものは : 《春と修羅 第二集》三陸旅行詩群考.国文学攷.144:19-32.