宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

賢治の文語詩「民間薬」(第3稿)-ネプウメリてふ草の葉とは何か-

「ネプウメリという草の葉」とは,疲労回復の草の葉ではなく,「禍」を引き起こす「怨霊」を鎮魂する草の葉と思われる。この効能を有する「ネプウメリ」という名の薬草を探してみる。

 

本稿では,「ネプウメリ」の「ネプ」と同音の発音を含む「ねぷた」という「東北」で行われる「祭り」とそこで使われる植物に注目してみる。この祭りは弘前市では「ねぷた」だが,青森市では「ねぶた」と呼ばれるものである。いずれも大勢の市民が笛や太鼓の囃子にのせて,武者絵の描かれた燈籠型の山車を引いて市内を練り歩くものである。華やかな祭りだが,怨霊封じの祭りとしても知られている。「ねぷた(ねぶた)」の起源はよく分かっていないが,「眠り流し起源説」や「アイヌ語起源説」などが知られている。

 

2.「ネプウメリという草の葉」とは何か

1)「ねぷた」の眠り流し起源説と使用される植物(柳田,1976,1979)

「眠り流し起源説」は,民俗学者の柳田国男が大正3(1914)年に雑誌『郷土研究』に「ネプタ流し」というタイトルで発表しているものである。東北の行事でもあることから,賢治も読んだかもしれない。柳田は,最初に「ねぷた祭り」を秋田などで伝えられている「眠り流し」という風俗の変化形と考えた。江戸時代後期の『秋田風俗問状答』を引用して,「眠り流し」とは,「7月6日の夜は麻稈(おがら)を己が年の数折りて,草の葛(かずら)でからげ,枕の下に敷き,七日の朝早く川へ流す」ものであると説明している。「ねぷた」も旧暦の7月7日の七夕の最終日に川や海に流すものであるので類似している。さらに,菅江真澄の『遊覧記』を引用して,寛政五年7月6日下北郡大畑の状に,「里の童六七尺一丈の竿の先に彩畫したる方形の燈籠を掲げ此に七夕祭と書し,ネブタも流れよ豆の葉もとどまれ芋がら芋がらとはやしつゝ,鼓笛にてどよむばかり云々」という記事も紹介している。柳田によれば,下北郡大畑の囃子詞である「・・・芋がら芋がら」が秋田の「眠り流し」のときに使う「麻稈」に由来すると考えている。

 

柳田は,「ねぷた」の起源を考察する中で,祭りの最後に川で燈籠や「麻稈」などの植物を流す行動に注目する。なぜ「流す」ということに注目したかというと,流すものは,その昔は「人形」あるいは「生きた人間そのもの」であったと考えているからである。津軽の「ネブタ」は以前から「侫武太(ねいぶた)とも「侫夫太」と書き,あるいは「侫人」という漢字を宛てたものもあるという。「侫人」は「ネイビト」と読んだらしい。柳田は,流すものを「人」として見ていた。

 

柳田は,「ネプタ」の起源を「眠り流し」からさらに遡って「人形祭り」の一種である「実盛送り」と同種の行事と見なすようになる。「実朝送り」とは,害虫や疫病を追い払うとめに依り代となる人形を村落の境で燃やしたり,川へ流したりする行事である。害虫や疫病は不本意に亡くなった者の死霊(怨霊)による「祟り」と見なされることもあるので御霊信仰とも関係している。「実盛送り」は害虫や疫病が生じたときだけに行われる行事であるが,怨霊を鎮めるために夏と秋の境に定期的に行われるのが「御霊祭」である。すなわち,柳田は「ねぷた」を「御霊祭」の一種として捉えるようになった。

 

怨霊封じに川に流したのが.昔は燈籠,人形,植物ではなく眠り状態(昏睡状態)の「生きた人間」という推論は驚くべきことではあるが,童話『銀河鉄道の夜』でも眠り状態の生きた人間が川に流されている。カムパネルラは,銀河の祭りで「烏瓜の灯り」(燈籠)を川へ流そうとして川へ落ちた友達を助けるが,自らは溺れてしまう。溺れた時間は45分以上だが,瀕死状態のカムパネルラは川に流され,同時に入眠したジョバンニと共に北十字から南十字に向かって銀河を旅する夢を見る。なぜ,カムパネルラが自分を犠牲にして友達を助けたかについては拙著ですでに考察している(石井)。

 

柳田は,「眠り流し」で流すものを「麻稈」としているが,22年後の昭和11(1936)年に雑誌『俳句研究』に「眠り流し考」というタイトルで発表したときには,流すものとして「合歓木」を付け加えている。「合歓木」の詳細は後述するが,夜に葉を閉じるということで「眠り」を象徴するものと見なされている。「眠り流し考」にある秋田県平鹿郡横手の「ネブリ流し」では,「旧暦7月6日の夜,藁で作った二間ばかりの舟に,満舟蝋燭を点したのを各町から出し,それにこの土地ではネブタの木という合歓木かまたは竹へ,短冊形の色紙と蝋燭とを付けたのを持った青年が多く付き添うて,川へ流す」とある。

 

2)眠り流しに使用される植物

「ネムノキ(合歓木)」(Albizia julibrissin Durazz.(1772))は,マメ科の落葉高木で,北海道を除く日本全土の原野に自生する。「ネムノキ」にはネム,ネブノキ,ネブタノキなどの別名がある。一般に,水辺を好む木で,東北では海沿いの平野部に多い。「ネムノキ」は薬になる。日本の薬用植物学の本では,「ネムノキ」の樹皮を合歓皮と呼び,鎮咳・鎮痛・利尿・駆虫薬にするとある(野呂ら,1999)。日本では,医療用(処方箋薬)としては使わない。いわゆる民間薬である。中国では,呪術的医療が行われていた古い時代から知られていた植物で,中国最古の薬物書である漢の『神農本草経』にもこの名があり,「合歓,味甘平,生川谷,安五臓,和心志,令人歓楽無憂」とある。「令人歓楽無憂」は人を楽しませ,憂いを取り除くと言う意味である。また宋の時代の『図経本草』には,「欲蠲人之忿,則贈以青裳,合歓也,植之庭除,使人不忿」と記載れていている。これは,「人の忿(怒り)を除こうと思ったら青裳(合歓)を贈るのがよい,これを庭に植えておくと人の怒りを鎮めることができる」という意味である(栗田,2003)。

 

賢治は,「眠り流し」に「ネムノキ」が使われていることを知らなかったかもしれないが,「ネムノキ」に人の怒りを鎮める作用があることは知っていたように思える。さらに,「ネムノキ」が「鬼神」の怒りも鎮めると考えたのかもしれない。童話に『風の又三郎』(1930年以降)という作品がある。この童話では,転校生の高田三郎と村童らが「さいかち淵」で「鬼っこ遊び」(鬼ごっこのようなもの)をしている。三郎が村童の一人に馬鹿にされたのをきっかけに喧嘩になる。黒い雲も垂れ込めてきたので子供たちは「ねむの木」の下に逃げ込む。そのとき烈しい雨の中から「雨はざっこざっこ雨三郎,風はどっこどっこ又三郎」という不思議な声が聞こえてくる。この声で子供らの争いは収まるのであるが誰が叫んだのであろうか。多分,「さいかち淵」の「サイカチ」に棲む土着の神が「サイカチ」の棘(角)を付けて「鬼神」となって転校生の三郎と村童を喧嘩させた。しかし,「ネムノキ」の「樹霊」がこれを鎮めたのかもしれない。

 

「ネプウメリ」の「ネプ」が「ネムノキ」とか「眠り」を意味するならば,「ウメリ」は何を意味しているのだろうか。「流す」のではなく「埋める」ということだろうか。マ行下二段活用の動詞「埋める」の連用形「埋め」に,完了の助動詞「けり」が付いた「埋めけり」という言葉もある。「ウメリ」は,この「埋めけり」の変化したものとしてもおかしくはない。この詩は七五調になっているので,「ネプウメケリ」では字余りになり,「ケ」を取って「ネプウメリ」にしたのかもしれない。「眠り」を「流す」のも「埋める」のも「眠り」を消し去るということでは同じとも思える。

 

このように「ネムノキ」は,「怨霊封じ」を基に考えれば「ネプウメリ」の候補になるかもしれない。ただ,「ネムノキ」は「草」ではないし,日本では,葉を民間薬として内服することもない。もしも「ネムノキ」を「ネプウメリ」とすれば,詩「民間薬」の最後の行は,「ネプウメリてふ草の葉を,薬に食めとをしへけり」ではなく,「ネプウメリてふ木を,薬として流せとをしへけり」としなければならない。多分,賢治にとって「ネムノキ」は「ネプウメリ」ではない。

 

3)アイヌ語との関係 

柳田の「ねぷた」に対する「眠り流し起源説」は定説になっているようだが,異論もある(梅原,1994;横山,2016)。「ねぷた」をアイヌ語起源とするものである。梅原はアイヌ語で「ネプタ」は「それはなんじゃ」(What is it?)であり,なにか予想外のものを見た驚きの言葉であるという。横山も「ネプ」(nep)はアイヌ語で「何」(what)の意味で,忌み言葉を「何」と置き換えたものとしている。「アイヌ」は,言霊信仰があり忌み言葉を具体的に表現することを嫌う。怨霊流しとは言わない。「怨霊」という言葉を出してしまうと,「怨霊」が呼ばれたと勘違いして,「怨霊」という言葉を発した者に取り憑いてしまうからである。

 

横田によれば「ネプ流し」とは,アイヌ語と大和言葉を合体させた「何流し」で,病魔や穢れを流すという意味になる。流した形代は,豆の葉,合歓木,野生の藤で,全てマメ科の植物である。体に豆のような水腫ができる疾患,痘瘡の病魔を流し去る願いであったという。

 

ではこのアイヌ語説を基にすると「ネプウメリ」はどのように解釈されるのだろうか。「ネプウメリ」の「ネプ」をアイヌ語の「何(=怨霊)」として,「ウメリ」を大和言葉の「埋めり」とすれば,「ネプウメリ」は「怨霊埋メリ」となる。賢治にとって「怨霊」になった者が身近な人であれば,賢治は「祟り」の霊を「流す」というよりは,これを留めて,手厚く地に鎮める(埋める)ことによって「御霊」になることを望んだかもしれない。「雨ニモマケズ」が記されている手帳には「経埋ムベキ山」と題された岩手県内の32の山が記載されている。埋経とは,「法華経」などの経典を書写し,これを土中に埋納するまでの一連の行為で成り立つ経供養とされているが,中世以後では現世利益や追善供養の意味が加えられた。賢治は,なぜイーハトヴの山に「法華経」を埋めようとしたのだろうか。経供養なら1カ所で十分とも思われる。賢治にまとわりつく「怨霊」を地に鎮める鎮魂の意味もあったのではないだろうか。

 

4)アイヌの薬草

次に,「怨霊」の怒りを埋める薬効を持つ薬草を「ネプ」という発音に拘らずに探してみたい。「アイヌ」が用いていた薬草で,この魔除けの候補になるのが前述した「ギョウジャニンニク」と「エゾヨモギ」(Artemisia vulgaris L.var.yazoana Kudo)である。「ギヨウジャニンニク」は,強烈な臭気を有するので,病魔が近づかぬと「アイヌ」には信じられていた。伝染病流行の際は,家の戸口や窓口に吊したり,枕の中に詰めたりしたという。「エゾヨモギ」(アイヌ語でnoyaノヤ)も臭気があり,重病人のある時,「エゾヨモギ」で人形を作って着物を着せ,病人の病気を全部それに移したことにして戸外に捨てた。また伝染病が村へ入らないように,村境や川口に,「エゾヨモギ」で草人形を作って立てることもあったという(アイヌ民俗博物館,2022)。しかしながら,賢治は「アイヌ」の神である「羆熊の毛皮」を着ても退治できない相手を,これら植物で退治できるとは思わなかったのではないだろうか。

 

5)ネプウメリは蕗の薹

賢治の作品の中にも候補になる薬草がある。『春と修羅 第三集』1040〔日に暈ができ〕(1927.4.19)という作品がある。

   

日に暈ができ

風はつめたい西にまはった

ああ レーキ

あんまり睡い

 (巨きな黄いろな芽のなかを

  たゞぼうぼうと泳ぐのさ)

杉みな昏(くら)く

かげらふ白い湯気にかはる

         (宮沢,1986)

 

この詩の「日の暈ができ/風はつめたい西にまはった」という詩句は,詩「善鬼呪禁」の「十字になった白い暈」と同様に何か不吉な前兆を表現している。ちなみにこの詩が書かれたのは賢治の恋人が異国の地で亡くなって1週間後である。この詩の大意は,何か不吉なことが起こることを察すると同時に眠くなってしまった人物,多分賢治と思われるが,「巨きな黄いろな芽のなかをたゞぼうぼうと泳ぐのさ」とつぶやくものである。このつぶやきは,下書き稿(一)の〔光環ができ〕という作品では「ヒアシンスの花の形した/巨きな黄いろな芽をたべてこい」という幻聴を聞くことになっている。不吉なことが起こりそうになったら,その中を「泳いだり」あるいは「食べたり」する「巨きな黄いろな芽」とは何か。

          

下書稿(二)では下書稿(一)の「ヒアシンスの花の形した/巨きな黄いろな芽をたべてこい」が「蕗の薹だの/巨きな黄いろな芽のなかを/羽虫になって泳ぐかな」になっている。多分,「巨きな黄いろな芽」とは「蕗の薹」のことである。「フキ」(Petasites japonicas (Siebold et Zucc.) Maxim.)は,キク科雌雄異株の多年草で,早春に伸び出す若芽(花茎)を「蕗の薹」と呼ぶ。「蕗の薹」の花茎は,鱗状の包葉で包まれている。山菜として食することもあるが,民間ではこの若芽を鎮咳・解毒・健胃に使うことがある。

第1図.フキノトウ

 

6)蕗の薹は法華経の比喩

「蕗の薹」は「ネプウメリ」の候補になるが,巷で怨霊(鬼神)封じや魔除けとして使われているようには思われない。「蕗の薹」には別の意味が隠されている。「フキ」の花が『春と修羅』の「林と思想」(1922.6.4)に登場する。

 

そら,ね,ごらん

むかふに霧にぬれてゐる

蕈(きのこ)のかたちのちいさな林があるだらう

あすこのとこへ

わたしのかんがへが

ずゐぶんはやく流れて行つて

みんな

溶け込んでゐるのだよ

  こゝいらはふきの花でいつぱいだ

          (宮沢,1986)下線は引用者

 

ここで記載されている「林」はタイトルにあるように「思想」と関係がありそうだ。「学林」といえば僧侶が仏教思想を学ぶ場である。「談林」とか「壇林」」ともいう。賢治は,1920年に,「学林」である田中智学が主催する国中会に入会している。田中智学は法華経を重視する日蓮主義を主張しているので,その影響を受けているとすれば「林」は「思想」あるいは「法華経思想」の比喩である可能性がある。すなわち,詩の意味は「法華経思想に私(賢治)の考えが早い時期から融合していく」である。これは詩の最後に「フキ」が登場することからも伺える。

 

「フキ」は岩手県では「ばっけ」と呼ばれている(八坂書房,2001)。『法華経』の「妙法蓮華経方便品第二」に3000年に1度しか咲かない「優曇鉢華(うどんばつげ)」という植物が登場してくる。「フキ」の方言名である「ばっけ」は,この「優曇鉢華」の「鉢華(ばつげ」と発音が類似している。「ばっけ」の語源としてアイヌ語説などいくつか紹介されている。以前,ネットのブログ「神州の泉」(主宰者は高橋博彦)で,「ばっけ」の語源がこの「優曇鉢華」によるとする新しい説が紹介されていた(石井,2014)。現在,このブログは閉鎖されている。

 

「フキ」は,雪深い地ではやっと5月に顔を出す。雪の間から春の知らせをいち早く知らせてくれる「フキ」は,その地方の人にとっては貴重な野菜でもあり,「法華経」のようにありがたいものだったのかもしれない。 

 

日蓮が述べたことを書き留めた書物『御義口伝』には,「優鉢華(うばつげ)之香とは法華経なり,末法の今は題目なり,方便品に如優曇鉢華の事を一念三千と云えり之を案ず可し」とある。「ばっけ」の語源がどうであれ,賢治は日蓮主義を主張する国柱会に入会していたわけだから,『御義口伝』は読んでいたはずである。すなわち,耳に入ってくる「フキ」の方言「ばっけ」から容易に「法華経」をイメージ出来たはずである。また,「フキノトウ」を食べろという幻聴を聞いたとき,すぐさま「法華経」を読誦することがイメージされたはずである。

 

7)古き巨人とは誰か

賢治と交流のあった森荘已池(1979)は,第1稿で述べたが,詩集『春と修羅』刊行(1924)の頃に賢治から「小さな真赤な肌のいろをした鬼の子のような小人のような奴ら」に山道を走るトラックから谷間に落とされそうになった話を直接聞いている。このとき,「谷間に落ちるに違いないと思ったら二間もあるような白い大きな手が谷間の空に出て,トラックが落ちないように守ってくれた」という幻覚を見たというのである。賢治は,森荘已池にこの「白い大きな手」は観音様の有り難い手だと話したという。多分,「民間薬」の「古の巨人」とは石匙を持った「先住民」(縄文人)に化身した観世音菩薩かもしれない。 ちなみに,童話『ひかりの素足』では主人公の一郎も鬼のいる地獄で「にょらいじゅりょうぼん第十六」と呟くと「貝殻のやうに白くひかる大きなすあし」の人が現れ救済されている。この白く大きな素足の人は手も大きく真っ白なので如来というよりは観世音菩薩なのかもしれない。 

 

3.まとめ

1)文語詩「民間薬」は東北に大正13年から3年あるいはそれ以上続いた旱魃(禍)を題材にしている。東北で旱魃が2年続くことはなかったので,賢治はこの旱魃を自然現象ではなく「禍」あるいは「祟り」と見做した。

2)詩の大意は,旱魃という「禍」をもたらしたのは怒りを持った「怨霊」による「祟り」であるから,たけしき耕の具である三本鍬を手に魔除けとしての「羆熊の毛皮」も着て硬くなった干泥(乾いた土)を耕していた。しかし,今年も旱魃が1ヵ月も続き,田植えも思うようにならずにすっかり気落ちしてしまった。スギナの生えている畦でうとうとしていると,額の上の雲が形を変えはじめてきて,村人が「禍」に対して噂する声も聞こえてきた。やがて,雲は「匙(ナイフ)」を持った古の巨人の姿になり,その巨人が「ネプウメリ」という草の葉を「匙」で切り取って薬として食べなさいと教えてくれた。である。

3)「ネプウメリ」という草の葉とは「禍」あるいは「祟り」の原因となる怨霊となった魂を地に鎮めるものである。

4)「ネプウメリ」の「ネプ」はアイヌ語で「何」(what)を意味する言葉で,「ウメリ」は大和言葉の「埋めけり」が変化した「埋めり」であろう。「ネプ」を「何」とするのは「怨霊」や「祟り」などの忌み言葉を隠すためである。すなわち,「ネプウメリ」とは,アイヌ語と大和言葉の合成語で,「何(怨霊)埋めり」という意味である。

5)「ネプウメリという草の葉」は,民間薬としても使われる「蕗の薹(フキノトウ)」のことであり,「法華経」(観世音菩薩普門品第二十五)の暗喩でもある。「フキノトウ」は花茎であるが,包葉に包まれているので,葉と言えないこともない。「食べなさい」とは,「祟り」をもたらす「怨霊(鬼神)」を丁重に埋葬(鎮魂)するために「法華経」を「読誦しなさい」という意味である。

6)古の巨人とは「観世音菩薩」のことと思われる。賢治は大正13年(あるいは大正元年)頃熱にうなされ幻影としての「小鬼」にトラックから谷間に落とされそうになったことがあったが,観音様が幻影として現れ助けてもらっている。

7)「フキ」は岩手県では「ばっけ」と呼ばれている。『法華経』の「妙法蓮華経方便品第二」に「優曇鉢華(うどんばつげ)」という植物が登場してくる。日蓮の『御義口伝』には,「優鉢華(うばつげ)之香とは法華経なり」ともある。賢治は「フキノトウ」を食べろという幻聴を聞いたとき,すぐさま「法華経」を読誦することをイメージできたはずである。すなわち,フキノトウ→ばっけ→法華経→怨霊の鎮魂であるが,その逆である怨霊→それを鎮魂する観音様(法華経)→ばっけ→フキノトウという連想も可能と思われる。

8)「怨霊(鬼神)」による「禍」が生じるようなことがあれば,それを鎮魂する「フキノトウ(ばっけ)」を食べ,優鉢華(うばつげ)之香」である「法華経」を読誦するというのが,「民間薬」という詩の本当の意味である。民間で使う薬は,科学的エビデンスに基づく効果において医薬品に劣るが,地元に伝わる伝統や文化を背景にしているので,それによるプラセーボ効果が加味されるため思いがけない効果が得られる場合もある。民間薬の「ほんたうの精神」が語られていると思われる。

9)この詩は昭和2年4月13日に異国の地で亡くなった賢治の恋人と無縁ではなかろう。

 

参考文献

アイヌ民俗博物館.2022(調べた日付).アイヌと自然デジタル図鑑.https://ainugo.nam.go.jp/siror/dictionary/detail_sp.php?page=book&book_id=P0001

石井竹夫.2014.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する聖なる植物(後編).人植関係学誌.13(2):35-38.

栗田子朗.2003.折節の花.静岡新聞社.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

森荘已池.1979.宮沢賢治の肖像.津軽書房.青森.

野呂征男・水野瑞夫・木村孟淳.1999.薬用植物学.南江堂.

梅原 猛.1994.日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る.集英社.153-156頁.

柳田国男.1976.定本柳田国男集9巻.筑摩書房.東京.355-362頁.

柳田国男.1979.定本柳田国男集13巻.筑摩書房.東京.76-94頁.

八坂書房(編).2001.日本植物方言集成.八坂書房.東京.481頁.

横山 武.2016.地方史研究発表会 ねぷたの由来について.東奥文化 87:40-49.