宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

賢治は実際にセンホインという植物を見たのか

「センホイン」という植物は,詩集『春と修羅 第二集』の 329〔野馬がかってにこさえたみちと〕(1924.10.26)に登場する。どんな植物なのだろうか。『新宮澤賢治語彙辞典』によれば,「センホイン(sainfoin)」は「イガマメ属の総称で南欧から中央アジア,コーカサスの丘陵や高山の岩の多い草地に生育し,牧草として干草にされるマメ科の多年草」とある(原,1999)。代表的なものとしては,属の名でもある「イガマメ」(Onobrychis viciifolia Scop.)がある。「イガマメ」の草丈は30~70cmで,葉は奇数羽状複葉である。花は蝶形で6~8月頃に茎頂に総状花序につける。花の色は青紫色である。別名はホーリークローバーである。果実は円盤状の莢果で刺状突起がある(GKZ植物事典,2022)。「イガマメ」の果実には刺があるので,人の衣服や動物の毛にくっついて運ばれる。

 

ただ,「センホイン」,「イガマメ」,「ホーリークローバー」ともほとんど聞いたことのない言葉である。平成に発刊された手元の植物図鑑(山渓ポケット図鑑,1999)にも載っていない。我が国には自生していないと思われるので,賢治が実際に見たかどうか気になる。詩〔野馬がかってにこさえたみちと〕は,賢治が小岩井農場北方の御料地のどこかで道に迷った体験をもとにしたものとされている(伊藤,1998)。詩は以下の詩句からなる。

 

野馬がかってにこさえたみちと

ほんとのみちとわかるかね?

なるほどおほばこセンホイン

その実物もたしかかね?

おんなじ型の黄いろな丘を

ずんずん数へて来れるかね?

その地図にある防火線とさ

あとからできた防火線とがどうしてわかる?

泥炭層の伏流が

どういふものか承知かね?

それで結局迷ってしまふ

そのとき磁石の方角だけで

まっ赤に枯れた柏のなかや

うつぎやばらの大きな藪を

どんどん走って来れるかね?

そしてたうたう日が暮れて

みぞれが降るかもしれないが

どうだそれでもでかけるか?

はあ さうか

             (宮沢,1985)下線は引用者

 

この詩で明らかなように,賢治は道に迷ったとき「オオバコ」や「センホイン」を探している。「おおばこ」はオオバコ科の「オオバコ」(Plantago asiatica L.)のことで,踏みつけに強く,人などがよく踏む道端などによく生える野草で,地面から葉を放射状に出して,真ん中から花穂をつけた茎が立つ。踏みつけが弱い場所では,高くのびる性質を持たないので,他の草に負けてしまう(Wikipedia)。また,「オオバコ」は人里植物としても知られる植物で,その種子には粘性があって人や車にくっついて運ばれる。

 

道らしきところで「オオバコ」が見つかれば,そこは「獣道」ではなく人が良く通るところということである。また,「センホイン」が見つかればその道は牧場に通じる道である可能性が高くなる。すなわち,道に迷ったとき「オオバコ」や牧草としての「センホイン」を見つけることができれば人里に戻ることができるのである。

 

賢治は,本当に小岩井農場付近で「センホイン」を見たのであろうか。賢治研究家の伊藤(1998)は,岩手植物の会編『岩手県植物誌』(1970)に「センホイン」の記載があるかどうか調べたが,その名を見つけられなかったという。さらにL.ディーズの著書『花精伝説』(八坂書房)に「昔イガマメSaint-Foinの名がムラサキウマゴヤシ(アルファルファMedicago sayiva L.)につけられ,ムラサキウマゴヤシLuserneの名が現在のイガマメにつけられていた」という記載を発見して,「かつてムラサキウマゴヤシが日本に導入された頃,その名をアルファルファともセンホインとも呼ばれていたこともあったのではなかろうか」と推測している。ムラサキウマゴヤシは牧草として明治時代に導入された。マメ科ウマゴヤシ属の多年草。中央アジア原産。アルファルファ,ルーサンとも呼ばれる。草丈は0.6~1m程になり,茎は直立し葉は3出葉である。夏に紫色の蝶形の花を総状花序につける。今でも牧場や道ばたで普通に見られる牧草である。

 

このように,伊藤によれば,賢治は実際には「イガマメ属」の牧草ではなく「センホイン」と呼ばれることもあるウマゴヤシ属の「ムラサキウマゴヤシ」を見た可能性が高いと述べている。賢治からすれば人里に通じる道を見つけるには「イガマメ」でも「ムラサキウマゴヤシ」のどちらでもよかったわけだが,賢治が見たものが「イガマメ」ではなかったと断定もできない。1970年の『岩手県植物誌』には「イガマメ」は記載されていないが,1924年に詩〔野馬がかってにこさえたみちと〕を創作した頃は牧草として「イガマメ属」の牧草は小岩井農場辺りに生えていた可能性を否定できない。

 

実際に,私は山形県立博物館の収蔵データベース(山形県立博物館,2022)に葉が奇数羽状複葉の「イガマメ」(Onobrychis viciifolia Scop.)の植物標本を見つけた。採集年は1907年で採集地は盛岡市となっている。小岩井農場は岩手県雫石町と滝沢市にまたがって所在する農場で,盛岡市は滝沢市に隣接する。賢治は,1924年に小岩井農場付近で道に迷ったときムラサキウマゴヤシではなく「イガマメ属」の牧草すなわち本物の「センホイン」を見た可能性はある。

 

参考文献

原 子郎.1999.新宮澤賢治語彙辞典.東京書籍.

伊藤光弥.1998.宮沢賢治と植物-植物学で読む賢治の詩と童話-.砂書房.

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

GKZ植物事典.2022(調べた日付).イガマメ.https://gkzplant.sakura.ne.jp/souhon2/shousai2/a-gyou/I1/igamame/igamame.html      

山形県立博物館.2022(調べた日付).植物.http://db.yamagata museum.jp/muse/plant/search.php?-max=25&-skip=56550