宮沢賢治の詩集『春と修羅』(第二集)の「四〇三 岩手軽便鉄道の一月」(1926,1,17)には「ジュグランダー」,「サリックスランダー」,「アルヌスランダー」,「ラリクスランダー」,「モルスランダー」,「フサランダー」と耳慣れない言葉が立て続けに出てくる。賢治が「クルミ」,「カワヤナギ」,「ハンノキ」などの樹木や電柱に対して作った愛称だと言われている。賢治はどのようにしてこれらの愛称を付けたのであろうか。「四〇三 岩手軽便鉄道の一月」は以下のような詩句が並ぶ。
ぴかぴかぴかぴか田圃の雪がひかってくる
河岸の樹がみなまっ白に凍ってゐる
うしろは河がうららかな火や氷を載せて
ぼんやり南へすべってゐる
よう くるみの木 ジュグランダー 鏡を吊し
よう かはやなぎ サリックスランダー 鏡を吊し
はんのき アルヌスランダー [鏡鏡鏡鏡]をつるし
からまつ ラリクスランダー 鏡をつるし
グランド電柱 フサランダー 鏡をつるし
さはぐるみ ジュグランダー 鏡を吊し
桑の木 モルスランダー 鏡を……
ははは 汽車(こっち)がたうたうなゝめに列をよこぎったので
桑の氷華はふさふさ風にひかって落ちる
(宮沢,1985) 下線は引用者 以下同じ
「よう くるみの木 ジュグランダー 鏡を吊し」や「さはぐるみ ジュグランダー 鏡を吊し」の「ジュグランダー」は,『新宮澤賢治語彙辞典』の力丸光雄の説明によれば,「クルミ科の学名Juglandaceae(イウーグランドアケアエ)の英語読み・ジュグランダシエア」からの賢治の思いつきであろう」という。(原,1999)多分,「くるみの木」の科名である「ジュグランダシエア」の「ジュグランダ」が関係している。私も力丸の解釈に同意する。
学名はラテン語あるいはギリシャ語をラテン語風綴りにして表記するとされる。各樹木の科名と属名の関係は第1表に示す。
学名の作り方には規則がある。植物の科名の場合,模式属(type genus;その科を代表する属)の属名の属格活用形の語幹に“~aceae”という語尾を付けて作る(横川,2022)。単純に属名の語幹だけをとる場合や属名にはない文字が現れる場合など様々であるらしい。例えば,「くるみの木」としては「オニグルミ」(Juglans mandshurica Maxim. var. sachalinensis (Komatsu) Kitam.),「サワグルミ」(Pterocarya rhoifolia Siebold et Zucc.),「ノグルミ」(Platycarya strobilacea Siebold et Zucc)など様々な種があるが,クルミ科を代表する属はクルミ属(Juglans)なので科名はJuglansの語幹に“~aceae”という語尾を付ける。このとき,Juglansの語尾の「s」は「d」に変化する。すなわちJuglandaceaeとなる。アヤメ科(Iridaceae)もアヤメ属Irisの語幹に“~aceae”という語尾を付けるがIrisの「s」は「d」に変化している。属名の学名の語尾に「s」が付くと「d」に変化するらしい。学名を作るときの決まりのようだ。
また,属名JuglansはJovis glansから作られているとされる。ラテン語のJovisはローマ神話の主神Juppiterの属格で「ジュピターの」という意味ある。ラテン語のglansは「堅果」あるいは「どんぐり」という意味である。すなわち,属名Juglansはジュピターの「堅果」(堅い果実)という意味である。
「サワグルミ」の愛称も「ジュグランダー」である。それゆえ,「ジュグランダー」と言う愛称は,力丸が指摘しているように「クルミ科」の学名に由来していると思われる。しかし,なぜ賢治は科名を参考にしたのであろうか。この点に関して,力丸は『新宮澤賢治語彙辞典』で説明していない。また,後述するがクルミ科以外の樹木の愛称ではその樹木の科名は採用していない。私の単なる推測だが,賢治は「くるみの木」の科名Juglandaceaeの「glanda (グランダ)」あるいは「landa(ランダ)」という音の響きと,「glanda」が堅い果実(glans)に由来していることが気に入ったのかもしれない。
クルミ科以外の樹木の愛称に関しては,その樹木の属名に「ランダー」という語尾を付けている命名しているように思える。例えば,「かはやなぎ(カワヤナギ)」の属名はSalix(サリックス)なので「サリックスランダー」,また「はんのき(ハンノキ)」の属名はAlnus(アルヌス)なので「アルヌスランダー」である。「ランダー」をドイツ語のLander(垣根の杭)の意味と解釈する研究者もいるが(原,1999),私はクルミ科以外の植物の愛称の語尾に付く「ランダー」もクルミ科の学名Juglandaceaeの「landa(ランダ)」に由来していると思っている。また,「ランダー」を繰り返し,韻を踏むことにより,リズム感が生じ詩を読みやすくしている。
冬の「くるみの木」や他の樹木に果実がたくさんぶら下がっているとは思えない。鏡のような氷華が冬に落ちないで残った果実の凍ったものだけとは思えない。多分,氷華の多くは果実のない枝に付いている氷の塊だと思われる。すなわち,多くの樹木の氷華は枝に付いた(あるいはぶら下がった)氷の塊(鏡)を果実に見立てたのかも知れない。
すなわち,「ジュグランダー」は氷の堅い鏡のような塊(氷華)すなわち堅い果実(glans)のようなものが付いた「くるみの木」がイメージされているように思える。また,「サリックスランダー」は氷華の付いた「カワヤナギ」であり,「アルヌスランダー」は氷華の付いた「ハンノキ」であり,そして「モルスランダー」は氷華の付いた「マグワ」や「ヤマグワ」であろう。
「フサランダー」の「フサ」の命名に関しても,不明なところが多い。上記辞典によれば,「これのみ植物ではなくグランド電柱の列の言い換えとして賢治は用いる。電柱の列をフザーHusar=軽騎兵の列に見立て,Sの濁点を省いてフサとしたか」(原,1999)とある。「Sの濁点を省いてフサとした」を正当化することもできる。学名で「s」 は「常に清音の発音で,ドイツ語のように濁音にはならない」(横川,2022)からである。賢治は,学名の付け方を知っていたと思われるので,Husar(軽騎兵)を学名のような愛称に採用するときフサ-と発音していたのかもしれない。Saurus(サウルス)を学名でザウルスとは発音しない。また,「フサランダー」の「フサ」は電柱そのものを意味しているとする研究者もいるらしい。これについては賢治研究家の浜垣のブログに詳しい(浜垣,2009)。
しかし,「フサランダー」が軽騎兵や電柱の愛称だとは思えないところがある。理由は二つある。一つに,賢治が軽騎兵を知っていたかということである。童話『月夜のでんしんばしら』では,配電線用の電柱の列を二本腕木の工兵隊に,通信線用の電柱の列を六本腕木の竜騎兵に,高圧送電線を支える「大きな電柱」の列を三本腕木の赤いエボレットを付けた擲弾兵(てきだんへい)に喩えていた(石井,2021)。擲弾兵は,17世紀~19世紀の擲弾(手榴弾)の投擲を主な任務とする兵士である。当時の擲弾は鋳鉄で出来ていて重量が重かった。遠くに投擲する擲弾兵には体格および身体能力に優れる勇猛果敢な兵士が選ばれた(Wikipedia)。
後述するが,この詩に登場する「グランド電柱」とは高圧送電線を支える「大きな電柱」のことを言っているようだ。多分,「グランド電柱」の「グランド」は英語の「grand(大きい)」のことであろう。すなわち,「フサランダー」を電柱の列とするなら,古い時代の軽騎兵よりも近代戦で活躍した擲弾兵とした方がよいように思える。しかし,擲弾兵はGrenadierであり,「フサ」ではない。
もう一つは,「フサランダー」が電柱の愛称なら「クリプトメリアランダー」あるいは短縮して「クリプトランダー」と呼んだほうがいいような気がするからである。実際に,「岩手軽便鉄道の一月(下書稿)」には「グランド電柱 クリプトランダア鏡を吊し」とある。電柱の柱が「スギ」(Cryptomeria japonica (Thunb. Ex L.f.) D.Don)の丸太で作られているからと思われる。「Cryptomeria」が「スギ」の属名である。
賢治は,最初「グランド電柱 クリプトランダア鏡を吊し」と記したが,後に「グランド電柱 フサランダー 鏡をつるし」と訂正した。なぜ,「グランド電柱」だけを訂正したのであろうか。私は,氷華をたくさん付けていたのが電柱ではなく電線だったからだと思っている。賢治がそれに気づいたとき「クリプトランダア」を「フサランダー」に訂正したのだろう。すなわち,「フサランダー」とは賢治が軽便鉄道を横切る氷華の付いた電線に付けた愛称と思われる。電柱を樹木の幹とすれば,腕木や電線は樹木の枝に相当する。
この詩に登場する「グランド電柱」がある場所は,賢治研究家の伊藤光弥によれば「花巻の小舟渡付近で軽便鉄道の線路が電信柱の列と交叉するところ」とある(括弧内は賢治研究家の浜垣(2007)のブログから引用)。さらに,伊藤が指摘した電信柱を浜垣(2007)は,「普通に町で見かける電柱ではなくて,もっと大規模な高圧線」を支える「大きな電柱」と推測している。
すなわち,「フサランダー」は発電所と需要地近傍の変電所を結ぶ高圧送電線のことであろう。国語事典では,「房(ふさ)」とは①「細い糸を束ねて垂らした状態のもの」。あるいは②「小さな花や実が群がりまた一塊となって垂れ下がっているさま」を言う。「フサランダー」の「フサ」は①の意味かもしれない。
詩集『春と修羅』の「グランド電柱」(1922.9.7)には,「花巻グランド電柱の/百の碍子(がいし)にあつまる雀/掠奪のために田にはいり/うるうるうるうると飛び/雲と雨とのひかりのなかを/すばやく花巻大三叉路の/百の碍子にもどる雀」とある。花巻に100の碍子を付く巨大な電柱が存在していたかどうかは定かではない。ちなみ,高圧送電線を支える電柱をヒントにして書いたとされる賢治の「月夜のでんしんばしら」の碍子の数は12個である(第1図,石井,1921)。1本の「大きな電柱」に12個の碍子あるいは100の碍子があったとすれば送電線は12本あるいは100本ということになる。この木の枝に相当する12本あるいは100本の送電線を「フサ」と呼び,氷華を付けた送電線を「フサランダー」と呼んだのかもしれない。
第1図.宮沢賢治が自ら書いた「月夜のでんしんばしら」(彩色は弟の宮沢清六)と推定された当時の高圧送電線を支える電柱の形.
また,賢治は1本の送電線がたくさんの電線をよって作られていることも知っていたかもしれない。1907年に送電線の電線に断面積が100mm2の国内初の「硬銅より線」が使用された。続いて1920年には150mm2の「鋼心アルミより線」が使われ始めた。「より線」の電線とは細い線をより集めて1本の電線にしたもので可撓性(柔軟性)を増したものである。例えば,日本工業規格(JIS)で100mm2の断面積のものなら,直径2.6mmの細い銅線が「房」のように19本束ねてある(赤木,2002)。すなわち,太い高圧送電線はたくさんの電線の束である「フサ」であり,氷華を付けた房状の電線が「フサランダー」だと思われる。
引用文献
赤木康之.2002.架空送電用電線の変遷.電学誌.122(3):172-175.
浜垣誠司.2007.宮澤賢治の詩の世界-「岩手軽便鉄道の一月」の舞台-.https://ihatov.cc/blog/archives/2007/07/post_483.htm
浜垣誠司.2009.宮澤賢治の詩の世界-「フサランダー」-.https://ihatov.cc/blog/archives/2009/02/post_602.htm
原 子郎.1999.新宮澤賢治語彙辞典.東京書籍.東京.
石井竹夫.2021.宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』-赤い腕木の電信柱が意味するもの(1)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/07/09/090146
宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.
横川浩治.2022(調べた年).生物の名前と分類.http://www.kanpira.com/iriomote_museum/scientific_name.htm