宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『四又の百合』に登場するまっ白な貝細工のやうな百合の十の花のついた茎(1)-それは自然界に存在するのか-

『四又の百合』は大正12年(1923)後半に清書されたと言われている短編の童話である(原,1999)。この童話には「まっ白な貝細工のやうな百合の十の花のついた茎」という不思議な1茎の百合の花が登場する。多分,この「十の花のついた茎」とは童話の題名にもなっている「四又の百合」のことだと思われる。本稿(1)は,「十の花」を付け「四又」と呼ばれるのに相応しい百合の花が実際に自然界に存在するのかどうか検討する。

 

この百合の花は,2億年前のある国の王がこの国を訪れる〈正徧知(しょうへんち)〉に「布施」として献上するものである。〈正徧知〉とは仏教の開祖である〈釈迦〉のことで,この童話は古代インドの説話集『ジャータカ』の影響を受けているとされている(原,1999)。『ジャータカ』は,〈釈迦〉がインドに生まれる前に,王,王子,司祭官,大臣,動物,鳥,樹神など様々な姿で道を求めて善行と徳を積んだ菩薩としての前世が語られている(津田,2018)。「輪廻転生(りんねてんしょう)」や「業報(ごうほう)」の思想に基づくものである。

 

童話に出てくる花は林近くに咲いているらしい。国王に命じられて〈大蔵大臣〉がこの百合の花を探し出す様子が以下のように記載されている。

 

「うん。さうだろう。わしは正徧知に百合の花を捧げよう。大蔵大臣。お前は林へ行って百合の花を一茎(ひとくき)見附けて呉れないか。」

   王さまは黒髯に埋まった大蔵大臣に云はれました。

 「はい。かしこまりました」

 大蔵大臣はひとり林の方へ行きました。林はしんとして青く,すかして見ても百合の花は見えませんでした。

 大臣は林をまはりました。林の陰に一軒の大きなうちがありました。日がまっ白に照って家は半分あかるく夢のやうに見えました。その家の前の栗(くり)の木の下に一人のはだしの子供がまっ白な貝細工のやうな百合の十の花のついた茎(くき)をもってこっちを見てゐました。

                       (宮沢,1986)下線は引用者

 

「十の花」を付け「四又」と呼ばれるのに相応しい百合の花がどんなものかを植物学的に検討してみる。ちなみに,「四又」とは植物学的には4つに分かれているという意味で使われていると思う。モウセンゴケ科モウセンゴケ属の多年草で,ヨツマタモウセンゴケ(四又毛氈苔;Drosera binata var. dichotoma)という食虫植物がある。この植物の「四又」とは,捕虫葉が4つに分かれていることに由来する。また,ジンチョウゲ科ミツマタ属の「ミツマタ(三又)」(Edgeworthia chrysantha Lindl.)は枝が必ず三つに分かれる。

 

「百合(ユリ)」は,ユリ目ユリ科のうち主としてユリ属(学名:Lilium)の多年草の総称である。物語で賢治がイメージした「ユリ」は,「まっ白」な「百合」とあるので,ヨーロッパで見られる「マドンナリリー」(Lilium candidum L,)か,我が国の東北でも見られる「ヤマユリ」(Lilium auratum Lindl.)などが候補にあがる(第1図)。「ヤマユリ」の地上の茎は直立し,草丈は1~1.5mほどになる。花期は夏(7~8月)で,茎の先に1~数個,ときに20個ほどの白い花を横向きに咲かせる。花は6つある花被片が,外に弧を描きながら広がって,花径は15~18cmになる(Wikipedia)。一般的に,ユリ属の花は,花被片6(内花被片3+外花被片3)で,花構造は雄蕊(おしべ)6,雌蕊(めしべ)1で,子房上位の花構造を特徴とする。花被片とは聞き慣れない言葉であるが,花弁と萼(がく)の区別がはっきりしないときに用いる用語で,内花被片は萼で,外花被片は花弁に相当する。

 

第1図.A:ヤマユリ.神奈川県大磯町城山公園で撮影.B:花の付き方(総状花序).

 

ユリ属の植物で「十の花」と呼ばれるためには,(1)1つの茎に花が10個付くか,(2)花の付く花柄(かへい)が4つで十字に見えるか,あるいは(3)花被片が4つで十字に見えることである。ちなみに,花柄とは茎や花軸から枝分かれして花に至るまでの柄の部分を指す言葉である。

 

では,これら3つの条件のいずれかも満たし,さらに「四又の百合」と呼んでもよさそうな植物を見つけることはできるのであろうか。現代の植物学ではできないように思える。例えば,(1)は1茎に20個ほどの花を付ける「ヤマユリ」もあることから,1茎に10個の花を付けるユリの花はあり得る。しかし,「四又」とは言えそうにない。(2)と(3)についても同様である。ユリの花の花柄を介しての茎への付き方は下から上へ,あるいは周りから中心部へ咲いてゆく「総状花序」(第1図.B)なので,たとえ花が4つでもその花の花柄が同じ高さで四又(十字)になることはない。「クルマユリ」(Lilium medeoloides A.Gray)はどうかという人もいるかもしれないが,「クルマユリ」は下部の葉の一部が輪生するだけである。葉の数も十枚くらいで4枚ではない。

 

ちなみに,花柄の付き方で十字に見えるのは第2図に示すようにキキョウ科の「ツリガネニンジン」(Adenophora triphylla (Thunb.) A.DC.var.japonica (Regel) H.Hara)である。花は数段に分かれて葉と同じように茎に輪生する花柄の先に少数ずつをつける(円錐花序).花柄が4つなら十字に見える。童話『銀河鉄道の夜』で,ジョバンニは町の十字路を通って「黒い丘」に行き,そこから夢の中で天空に登り,北十字(白鳥座)から南十字(サウザンクロス)へ旅をする。「黒い丘」には「つりがねさう」が咲いている。この「つりがねさう」が「十字」を形成する「ツリガネニンジン」と思われる(石井,2021)。

 

第2図.ツリガネニンジン.神奈川県大磯町丘陵地で撮影.

A:頭頂部の枝につくツリガネニンジンの花.B:下部につく葉は茎に3 ~5枚輪生し,上部は互生する.C:Aの花柄が4本なら十字のようになる.

 

また,百合の花自体が十字に見えることもない。ユリ属の花の花被片は6つであり,花被片が四又(十字)になることはない。1つの花が十字(あるいは四又)に見えるのは,昔十字科植物とも呼んだことのあるアブラナ科の植物やキンポウゲ科センニンソウ属の植物などである。例えば,センニンソウ属の「コバノボタンズル」(Clematis pierotii Miq.)の花は第3図に示すように十字のように見える。ただし,「コバノボタンズル」の花に花弁はなく,花に見えるのは萼片である。すなわち,現在の植物学からすると,「十の花」を付けた「四又」の百合は自然界には存在しそうにない。

 

第3図.コバノボタンズル.神奈川県大磯町高麗山で撮影.

 

「存在しそうにない」とあいまいな言葉使いを使ったのは,賢治がこの童話の内容は「二億年ばかり前どこかであったことのやうな気がする」と語り手に言わせているからである。この時代に人類は存在していなかったが,ユリ科ユリ属で「十の花」を付けた「四又」の百合は存在していたのであろうか。

 

2億年前とはどのような時代であったのか。賢治が生きていた頃に地質学で2億年前がどのように説明されていたか手元の資料からは分からない。『新宮澤賢治語彙辞典』でも「賢治の頃の地資質時代と現代の地質時代とは差異がみられる」としている(原,1999)。2億年前とは,現代では中生代ジュラ紀(2億1200万年前~1億4300万年前)の頃となっている。しかし,賢治の頃との差異も考慮して,本稿では三畳紀(2億8900万年前~2億1200万年前)や白亜紀(1億4300万年前~6500万年前)も考慮することにする。

 

ユリ科ユリ属のユリは被子植物に分類される。地球上に被子植物が出現したのは現在ジュラ紀と推定されているが,最古の被子植物の証拠である花粉化石はイスラエルの前期白亜紀のHelez地層(1億3200万年前)から発見されている(高橋,2005)。花粉以外に花の化石も見つかっている。例えば,我が国の福島県広野町の双葉層郡からクスノキ科の花化石がよい状態で発見されている。1mmの花柄につく長さ1mm,幅1,7mmの小さな花化石である。花被片は内外3つずつの計6つである。一般的,白亜紀前期の地層から発見される花の化石は,ほとんどが1~2mmと極めて小さい(高橋,2005)。

 

残念ながら,大きな花をつける被子植物は白亜紀のAlbian(1億1300万年前~1億50万年前)以降に出現したらしい。実際に,ユリ科の化石は花粉としてではあるが暁新世(6500万年前~5500万年前)~始新世(5500万年前~3500万年前)の南極でわずかではあるが見つかったという(高橋,2005)。この南極で見つかったユリ科植物にユリ属が含まれていたかどうかは分からないが,現存するユリ属の「ヤマユリ」のような大きな花を付けるものもあったかもしれない。しかし,5000年前頃の話である。すなわち,ユリ科ユリ属の植物の祖先は,花被片が6つの百合でさえ地球上には存在していなかったように思える。

 

童話『四又の百合』に登場する「まっ白な貝細工のやうな百合の十の花のついた茎」は,現在地球上に存在する「ヤマユリ」のようなユリ科ユリ属の花をイメージしたものと思われる。しかし,「四又の百合」の「四」をユリ属の茎の頭頂部に十字を形成するように付く花柄の数,あるいは花被片の数とすると,そのようなユリ属の百合は2億年前でも我々の住む地球上には存在しない。すなわち,「地上の花」ではない。次稿(2)と次次稿(3)では,この「四又の百合」が「天上の花」であることを示す。(続く)

 

参考文献

原 子郎.1999.新宮澤賢治語彙辞典.東京書籍.

石井竹夫.2021植物から『銀河鉄道の夜』の謎を読み解く(総集編Ⅲ)-天気輪の柱と三角標-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/06/110204

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

高橋正道.2005.白亜紀~古第三紀の陸上植物の変遷過程一白亜紀に多様化した被子植物群と古第三紀の植物相の地理的分布一.石油技術協会誌 70(1):37-46.

津田直子.2018.ジャータカ物語(上)(下)-釈尊の前世物語-.第三文明社.