宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『四又の百合』に登場するまっ白な貝細工のやうな百合の十の花のついた茎(3)-この1茎を持つはだしの子供とは誰か-

童話『四又の百合』では,この「四又の百合」を持つ〈はだしの子供〉は「日がまっ白に照って半分あかるく夢のやうに見える家」の前の「栗の木」の下に立っている。はたして,この〈はだしの子供〉とは誰か。この問の答えのヒントは,この童話と深く関係する『阿闍世王受決経』にあると思われる。

 

3つの部分から構成されるこの経の2番目は,〈阿闍世王〉の庭園を管理する〈庭師〉が受決を受ける部分である。要約すると次のようになる(原文と現代語訳はWatto氏のブログを参照のこと)。

 

王は,また釈迦を招き,王宮の庭園の管理者に,その朝に咲いた良い花を持ってくるように命じた。庭師の一人が庭園から集めた花を抱えて歩いていたとき,釈迦に出会った。庭師はこのとき釈迦から説法を聞くことができ,その内容に感激し,釈迦に庭園で集めた花を献上した。釈迦は庭師のこの行いと過去の善行から庭師に将来覚華如来という仏になるという予言を授けた。庭師は喜んだが,王の命令で集めた花を自ら釈迦に献上してしまったことに気づき,命令に叛いた罰として「王に殺されるのではないか」と不安になる。家に帰った庭師は外に空き箱を置いた。すると,帝釈天が空き箱に天上の花を満たした。庭師はこれを見て歓喜し,この「天上の花」を国王に献上した(下線は引用者,以下同じ)。

 

下線の原文は「天帝釋便以天華滿空箱中」である。「天帝釋」は「帝釈天」のこと。「天華」は「天上の花」である。〈庭師〉が空き箱を置いたのは〈釈迦〉に救いを求めるためとも思える。〈庭師〉は〈釈迦〉から説法を聞き受決を授けられているわけだから,〈帝釈天〉はこの強い信仰心を持つ〈庭師〉の困窮を素早く察して空き箱に「天上の花」を満たしたものと思われる。

 

もし,賢治が童話『四又の百合』を創作するにあたって『阿闍世王受決経』を参考にしたのなら,〈はだしの子供〉は〈帝釈天〉の化身で,〈はだしの子供〉が持っていた「まっ白な貝細工のやうな百合の十の花のついた茎」は「天上の花」である可能性がある。なぜ,そのようなことが言えるかというと,童話の〈大蔵大臣〉もまた国王に林で1茎の「百合の花」を見つけてくるように命じられたが見つからずに困っていたからであり,またそのことにより,「まっ白な貝細工のやうな百合の十の花のついた茎」を持つ〈はだしの子供〉が現れたからである。童話の〈大蔵大臣〉が『阿闍世王受決経』の〈庭師〉のように「菩提心」を持っていたかどうかは次稿で考察する。

 

〈はだしの子供〉=〈帝釈天の化身〉を裏付けるものとして,〈はだしの子供〉が立っていた場所が「栗の木」の下だったことが挙げられる。この「栗の木」が重要なヒントになっている。

 

「栗の木」はブナ科クリ属の「クリ」(Castanea crenata Siebold et Zucc.)のことであろう。賢治は,この童話を執筆していた頃,「クリ」を「聖なる木」と見做していた。例えば,童話『種山ヶ原』(1921)には,「北上川の岸からこの高原の方へ行く旅人たびびとは,高原に近づくに従がって,だんだんあちこちに雷神の碑を見るやうになります」,「半分に焼けた大きな栗の木の根もとに,草で作った小さな囲ひがあって,チョロチョロ赤い火が燃えてゐました」,「はるかの北上の碧い野原は,今泣やんだやうにまぶしく笑らひ,向ふの栗の木は,青い後光を放ちました」(宮沢,1985;下線は引用者)と記載されている。種山ヶ原辺りは雷が多いところで知られている。また,賢治の死後に発表された『風の又三郎』(1934)では,「一本の巨きな栗の木が立ってその幹は根もとの所がまっ黒に焦げて大きな洞のやうになり,その枝には古い繩や,切れたわらじなどがつるしてありました」(宮沢,1985)とある。「雷神の碑」とは石碑のことと思われるが,賢治は当時「栗の木」も「聖なる木」であり,その根もとには「雷神」が祀られていると考えていたように思える。

 

〈帝釈天〉と「雷神」は深い繋がりがある。〈帝釈天〉は仏教の守護神である天部の一つであるが,元々はインド最古の聖典『リグ・ヴェーダ』に登場する「雷神」である。インドの「雷神」である「インドラ神」が仏教に取り入れられ,仏教の守護神である天部の一尊である〈帝釈天〉となったものである。梵天と共に〈釈迦〉の悟りより以前から〈釈迦〉を助け,その説法を聴聞したという仏教の護法善神でもある。すなわち,〈はだしの子供〉は『阿闍世王受決経』に登場する〈帝釈天〉の化身と思われる。だから,〈はだしの子供〉は「四又の百合」という地上では見ることのできない「聖なる花」(天上の花)を持っていたのである。(続く)

 

参考文献

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

Watto.2018.「貧者の一灯」の原典『阿闍世王授決経』の現代語訳がネットで見当たらなかったので私訳してみた(その2)https://www.watto.nagoya/entry/2018/10/09/000000. 

 

お礼:wattoさん,poolameさん,本ブログ記事を読んで,また☆までいただきましてありがとうございます。はげみになります。