宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『四又の百合』に登場するまっ白な貝細工のやうな百合の十の花のついた茎(4)-なぜ10銭で売ろうとした花がルビーの首飾りと同等なのか-

前稿(2)と(3)では「まっ白な貝細工のやうな百合の十の花のついた茎」が聖なる花であり「強い信仰心」を象徴しているということを記した。本稿(4)では,なぜ,この信仰心を象徴する百合の花を〈はだしの子供〉は10銭で売ろうとし,また〈大蔵大臣〉は代価を硬貨でなく自分のルビーの首飾りで支払おうとしたのかについて考察する。

 

童話の中で「四又の百合」が〈はだし子供〉から国王の臣下である〈大蔵大臣〉に売られ,さらに国王に渡される様子が以下のように記載されている。

 

大臣は進みました。

その百合をおれに売れ。

「うん売るよ。」子供は唇(くちびる)を円くして答へました。

「いくらだ。」大臣が笑ひながらたづねました。

「十銭。」子供が大きな声で勢よく云ひました。

「十銭は高いな。」大臣はほんたうに高いと思ひながら云ひました。

「五銭。」子供がまた勢よく答へました。

「五銭は高いな。」大臣はまだほんたうに高いと思ひながら笑って云ひました。

「一銭。」子供が顔をまっ赤にして叫びました。

さうか。一銭。それではこれでいゝだらうな」大臣は紅宝玉(ルビー)の首かざりをはづしました。

「いゝよ。」子供は赤い石を見てよろこんで叫びました。大臣は首かざりを渡して百合を手にとりました。

「何にするんだい。その花を。」子供がふと思い付いたやうに云ひました。

「正徧知にあげるんだよ。」

「あっ,そんならやらないよ。」子供は首かざりを投げ出しました。

「どうして。」

「僕がやらうと思ったんだい。」 

「そうか。じゃ返さう。」

「やるよ。」             

「そうか。」大臣はまた花を手にとりました。

お前はいゝ子だな。正徧知がいらっしゃったらあとについてお城へおいで。わしは大蔵大臣だよ。

「うん,行くよ」子供はよろこんで叫びました。

大臣は林をまわって川の岸へ来ました。

 「立派な百合だ。ほんたうに。ありがとう」王様は百合を受けとってそれから恭(うやうや)しくいたゞきました。

 川の向ふうの青い林のこっちにかすかな黄金いろがぽっと虹のようにのぼるのが見えました。みんなは地にひれふしました。王もまた砂にひざまずきました。

 二億年ばかり前どこかであったことのやうな気がします。

                    (宮沢,1985)下線は引用者

 

最初に〈はだしの子供〉が〈大蔵大臣〉から「その百合をおれに売れ」と言われたときに提示した売値は10銭である。なぜ,〈はだしの子供〉は10銭で売ろうとしたのか。別の言葉で言い換えれば10銭は妥当な値段か。多分,〈はだしの子供〉は〈大蔵大臣〉に地上に咲いている普通の「百合の花」の1本の相場の値段を提示したと思われる。

 

2億年前の話ということだが,ここでは大正時代の10銭の現代的価値について考えてみる。大正7年(1918)の公務員の初任給は70円で,平成30年のそれは181,200円であることを考慮すれば,大正時代の1円は現代の約2600円に相当する。すなわち,大正時代の10銭の価値は現代の260円くらいのものである。賢治の詩〔わたくしどもは〕(1927.6.1)には「わたくしは町はづれの橋で/村の娘が持って来た花があまり美しかったので/二十銭だけ買ってうちに帰りましたら/妻は空いてゐた金魚の壺にさして・・・・二円で売った・・・」という話が出てくる。ちなみに,賢治の稗貫郡立稗貫農学校教諭時代(1921~1926年)の初任給は80円である。

 

また,宮城県図書館のレフォアレンス協同データベースには,ネット視聴者から「大正10年頃の10銭の値段は,現在のいくらの価値があるか」という質問を受けたとき,「カレーライス(普),国鉄(JR)入場券,コーヒー1杯分」と回答としたという事例が載せられている。多分,1本の花が普通に見られる百合の花であるなら,10銭は妥当な値段だったと思われる。現在,花屋で売られているもので1本260円というのは普通に見かける。ただ,花に興味がない人には高いと感じるかも知れない。

 

童話の〈大蔵大臣〉も財務・通貨などを扱っている所の長なので値段には厳しく,また花には興味が無いらしく〈はだしの子供〉が持っていた花に対して「十銭は高いな」と判断して,それを1銭まで値切った。さすがに,1銭は安すぎであろう。〈はだしの子供〉は「顔をまっ赤にして」怒って見せたが大臣の買値に従った。

 

このあと〈大蔵大臣〉は不思議な行動をとる。大臣は「さうか。一銭。それではこれでいゝだらうな」と「紅宝玉(ルビー)の首かざり」を「百合の花」の1茎の代価として支払ったのだ。なぜ,〈大蔵大臣〉は代価を硬貨でなく自分のルビーの首飾りで支払おうとしたのだろうか。大臣が硬貨あるいは紙幣を持っていなかったとは考えにくい。しかも,ルビーの首飾りが1銭ではなく10銭でも買えるとは思えないのだが。

 

この大臣の不思議な行動は〈はだしの子供〉への言動にも現れている。〈大蔵大臣〉は〈はだしの子供〉の持っている〈百合の花〉を見たとき,即座に「その百合をおれに売れ」と相手を見下すような乱暴な口調で話しかけている。しかし,会話を重ねるうちにだんだんと優しい口調に変わっていく。暫くすると「お前はいゝ子だな。正徧知がいらっしゃったらあとについてお城へおいで」と〈正徧知〉と一緒に城に招き入れようとまでする。また,大臣が子供に「何にするんだい。その花を」と尋ね,「正徧知にあげるんだよ」という返事を貰うと,「そうか。じゃ返さう」とまで言う。国王から命じられてやっと手に入れたものを返してしまっては,国王の逆鱗に触れ殺されてしまうこともあると予想されるのに。

 

大臣の心が優しくなって,返そうとまでしたのは〈はだしの子供〉が持っていた「百合の花」によるものと思われる。この「百合の花」は聖なる花であり,「強い信仰心」を象徴するものである。大臣は,この「百合の花」を見たり,あるいは手にしたりすると,聖なる「百合の花」の「力(あるいは霊力)」によって「純粋な心」と「強い信仰心」が芽生え始めたのだと思われる。だから,大臣は〈はだしの子供〉が持っていた「百合の花」を口頭で1銭まで値引いてみせたが,実際に支払う時には1銭硬貨ではなく,今自分の持っているもので最も価値があると思われるルビーの「首飾り」を代価として渡したのだと思われる。1銭で売ろうとした花がルビーの「首飾り」と同等になるというのは,信仰心のない者には信じがたいことである。

 

『阿闍世王受決経』の(3)の王及び王子が受決を受ける部分には,王が国の財産や民の力を使って〈釈迦〉を供養するのではなく,自分の身を削って,すなわち自分の「首飾り」で「宝の花」を作り〈釈迦〉を供養する話が出てくる。(Watto,2018)。

 

童話『四又の百合』で聖なる「百合の花」の影響を受けたのは大臣だけではない。国王も大臣からこの「百合の花」を受け取ると「純粋な心」と「強い信仰心」を持ち始めることになる。〈釈迦〉がヒームキャの河に来ると,王はひれ伏した民と同様に河の砂にひざまずくことになる。(了)

 

引用文献

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

Watto.2018.「貧者の一灯」の原典『阿闍世王授決経』の現代語訳がネットで見当たらなかったので私訳してみた(その3)https://www.watto.nagoya/entry/2018/10/10/150000