宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『やまなし』考 -第二章の章題「十二月」は「十一月」の誤りか-

賢治童話に大正十二年(1923)4月8日付け岩手毎日新聞に発表した『やまなし』がある。この童話は,「一,五月」と「二.十二月」という2つ章から構成となっているが,第二章の章題「十二月」に異論を唱える研究者たちがいる。最初に異論を唱えたのは詩人であり賢治研究家の谷川雁である。谷川は第二章に「やまなしがドブンと落ちてくる」とあるが,自分が知っている「やまなし」の実は11月中に全て落果する。だから発表形の第二章の章題「十二月」は「十一月」の誤りであり,発表紙の誤植であると主張した。本稿では「十二月」がほんとうに「十一月」の誤りなのかどうか検討する。

 

ちなみに,果実の落果は,機械的落果,病虫害による落果,樹の特性や栄養条件が原因となる生理的落果に大別されるが,本稿では生理的落果を扱う。生理的落果には早期落果(6月頃発生しやすいことからジューンドロップという)と後期落果がある。ナシは後期落果に分類される(ルーラル電子図書館,2022)。

 

岩手毎日新聞に掲載された『やまなし』の第二章における谷川(渓谷)の情景と「やまなし」の果実が落果する場面は以下の通り。

 

二,十二月

・・・

蟹の子供らは,あんまり月が明るく水がきれいなので睡らないで外に出て,しばらくだまって泡をはいて天上の方を見てゐました。

『やっぱり僕の泡は大きいね。』

『兄さん,わざと大きく吐いてるんだい。僕だってわざとならもっと大きく吐けるよ。』

  (中略)

 またお父さんの蟹が出て来ました。

『もうねろねろ。遅そいぞ,あしたイサドへ連れて行かんぞ。』

『お父さん,僕たちの泡どっち大きいの』

『それは兄さんの方だろう』

『さうじゃないよ,僕の方大きいんだよ』弟の蟹は泣きさうになりました。

 そのとき,トブン。

 黒い円い大きなものが,天井から落ちてずうっとしずんで又上へのぼって行きました。キラキラッと黄金のぶちがひかりました。

『かわせみだ』子供らの蟹は頸をすくめて云ひました。

 お父さんの蟹は,遠めがねのような両方の眼をあらん限り延ばして,よくよく見てから云ひました。

『さうじゃない,あれはやまなしだ,流れて行くぞ,ついて行って見やう,あゝいゝ匂ひだな

                  (宮沢,1985)下線は引用者 以下同じ

 

谷川雁(1985)の主張は『賢治初期童話考』(197頁)に記載されている。

 

第二部は「二,十二月」とされている。だが,これには大いに疑問がある。同巻所収の〈やまなし 初期形〉には,「二,十一月」とあるからである。・・・・したがって,草稿では「十一月」としておきながら発表にあたって作者が意識して「十二月」と改めたとはいかにも考えにくい。

そもそも岩手山地の十二月に「やまなし」の実が樹に残っていることは常識としてありえない。私は例年のように長野県戸隠高原の種々の自生のナシの木を見に出かけるが,無数についている青い実八月の末か九月のはじめには,風などの理由でかなりの割合が落果する。残ったものが熟れるのは十月の中,下旬であり,十一月半ばには一個もあまさず地に落ちているのが普通である。戸隠高原と岩手山地の気候は大同小異であるから,十一月には高山部が冠雪し,早い年は月初から根雪となる十二月に,樹上にバラ科の実があるのはどうしても不自然である。これは新聞社の文選工の誤まりが校正されず,そのまま印刷された結果ではないか。

                                                       (谷川,1986)

 

谷川雁は,岩手山地の十二月に「やまなし」の実が残っているとは「常識としてありえない」とまで言っている。そして,谷川は第二章に相応しい時期を「やまなし」が落ちずに残っているぎりぎりの時期である「おそらく十一月上旬」と推定している。

 

この谷川雁の第二章の章題「十一月」説は,その後に賢治研究家の中野新治(1991)や九頭見和夫(1996)らによって支持されることになる。例えば,中野は「たしかに谷川説の通り,あんまり月があかるく水がきれいなので眠らないで外に出るにも,イサドに遊びに行くにも東北の十二月は寒すぎるし,やまなしの実が十二月にまだ木に残っているのも考えにくい」,「十二月は十一月に改められるべきであろう」としている。また,九頭見は「谷川の十一月説は,分析そのものが論理的で説得力があり,さらに賢治の鉛筆で和半紙四枚に書いた初期形も十一月になっていることからもおそらくは谷川説が正しいであろう。宮澤賢治全集の編集に関係している天澤退二郎もほぼ谷川説を認めている」と述べている。

 

『新校本 宮澤賢治全集第十二巻 童話Ⅴ・劇・その他校異篇』(1995)でも,章題「十一」→「十二」にしてあるので「誤植の可能性も強い」としている。しかし,訂正するには至っていない。小学校の国語読本に採用されている『やまなし』も「十二月」のままのようである。

 

私は,「十二月」を「十一月」に訂正する必要は今のところないと考えている。なぜなら,「やまなし」には生息場所(分布)と性質の異なるいくつかの「種」や「変種」があること,および谷川雁が実際に11月中に全て落果したという「やまなし」を見た場所が賢治の生活圏である岩手県ではないからである。

 

岩手県で見ることのできる「やまなし」の中に,11月終わりでも落果せずに樹上に実を付けていたという情報がある。賢治研究家の松田司郎(1991)の『宮沢賢治 花の図譜』(写真は笹川弘三)に「私は十一月の終わりごろに,物見山(種山ヶ原)の頂上付近で,まだ黄金いろの実をたわわにつけた木をみたことがある。あまりに可愛らしいので,実をもいで口に入れたが,渋くてはきだした。」とある。

 

「種山ヶ原」とは岩手県の北上山地にある準平原である。物見山とはその中に位置する標高870mの山である。「種山ヶ原」は賢治がよく訪れる場所である。果実のアップを含む2枚の写真が付いている。木の下の地面が写っていないので果実がどの程度落果したかは分からないが,葉をすっかり落とした木にはたくさんの実が付いている。11月終わりに「たわわに」に付けた「やまなし」の実が12月に入る前に全て落果してしまうというのは考えにくい。12月になってもかなりの数の実が残っていると思われる。また,アップ写真を見ると,果実の頂点部に萼片が宿在している。これは,後述するが「ミチノクナシ」の可能性がある。

 

私は,童話『やまなし』に登場する谷川(渓谷)のモデルとなったものがあるとすれば,岩手県江刺郡の人首川(ひとかべがわ)にある渓谷が一つの候補になるということを本ブログで報告したことがある(石井,2022)。人首川は「種山ヶ原」の山頂付近に端を発し,江刺郡の中心市街地の岩谷堂あたりを通過し,伊手川と合流し北上川へと流れ出る,流路延長30kmほどの河川である。この渓谷は松田が見た「やまなし」のある場所に近い。

 

多分,谷川雁が長野戸隠高原で見た「やまなし」と松田司郎が「種山ヶ原」で見た「やまなし」は別のものである可能性がある。別のものとは,後述するが「種(しゅ,species)」は同じだが「変種(へんしゅ,variety)」のようなもののことである。

 

現在,日本列島には果樹園で栽培されるナシを除き,「ミチノクナシ」(Pyrus ussuriensis Maxim.),「マメナシ」(Pyrus calleryana Decne),「ヤマナシ」(Pyrus pyrifolia)の3種と「ミチノクナシ」の「変種」である「イワテヤマナシ」(Pyrus ussuriensis Maximvar.aromatica (Nakai et Kikuchi))Rehd.)と「アオナシ」(Pyrus ussuriensis Maxim.var. hondoensis (Nakai et Kikuchi) Reh.)という3種2変種のナシが自生している(第1表)(池谷,2005,片山,2019)。神戸大学の片山寬則(2019)は,童話に登場する「やまなし」が芳香を強く放っていることから,この「やまなし」を3種2変種のナシの中の「東北」に自生する「イワテヤマナシ」と推定している。学名にある「var.」の次の「aromatica」は「芳香のある」という意味である。 

 

では,賢治研究家の二人が見た「やまなし」とは,この3種2変種のナシの中のどれであろうか。「マメナシ」は果実が1cm位で小さく,東海地方(三重県,愛知県)に分布する。「ヤマナシ」(別名ニホンヤマナシ)は本州中部地方以南・九州,四国地方に分布する。「マメナシ」は果実が小さく分布が東北と離れているので童話の「やまなし」の候補にはならないと思われる。また,「ヤマナシ」も東北で自生する個体が少ない可能性があること,および後述する理由で「やまなし」である可能性は少ない。多分,異なった「種」であるというよりは,同じ「ミチノクナシ」という「種」の2つの「変種」である可能性が高い。すなわち,「イワテヤマナシ」か「アオナシ」であろう。「変種」であれば同じ「種」であっても違いがある。

 

「変種」は,「種」の集団の中で自然に起きた変異(形態,色など)を示すもので,その特徴は継代的に遺伝される。学名記載は「var.」と略記する。例えばイヌビエ,ヒメイヌビエ,ヒメタイヌビエの3変種,どれも湿性条件に適応して生育するが,ヒメイヌビエは乾燥に比較的強く路傍や畑地などでも生育できるのに対し,ヒメタイヌビエは乾燥に弱く水田でイネと共存する適応性をもつなど,それぞれの「変種」で生態的に大きく異なる特性を持っていることがある(Wikipedia)。

 

「アオナシ」の果実は名前のように熟しても青緑色であるが,「イワテヤマナシ」は褐色を含め様々である。「アオナシ」は「イワテヤマナシ」と比べて葉身がやや小さく長さ6~8cm程度で,葉縁が針状にならない鋸歯縁となる。また,「アオナシ」は,長野・山梨県のほぼ全域に加えて,群馬県西部,神奈川県西部,静岡県東部,岐阜県北部に及ぶ(池谷,2005)。「イワテヤマナシ」の分布は岩手県を中心として東北地方に限られる。また,「アオナシは」は同じ場所に生育する他の植物よりも,果実が成熟して落葉する時期が1ヶ月程度早く,9月上中旬であるということも知られている(池谷,2005)。また,「イワテヤマナシ」は個体間で成熟期が異なると言われている。7月の 終わり頃に成熟する早生のものから10月に成熟する晩生のまであるという(高田,2019)。「アオナシ」と「イワテヤマナシ」に共通するのは果実の大きさと頂部に萼片が宿存することである。ちなみに,「ヤマナシ」や「マメナシ」の果頂には萼片は宿存していない(第1表,第1図)。

 



 

第1図.果頂に萼片を宿存するイワテヤマナシの実.

(私は岩手に自生するイワテヤマナシの実物を見たことがないので文献写真を基にしてのイメージ図で示す).

 

長野県大町市美麻上ノ平に「若栗のアオナシ」という推定樹霊500年の「アオナシ」の巨木がある。9月30日に撮った写真がネットに掲載されている。樹上にたくさん実が付いているが落果しているものも多く見受けられる(全国巨木探訪記,2022)。賢治研究家の鈴木守はブログで「種山ヶ原」の物見山で撮った「やまなし」の写真を載せている。ブログには「物見山に登ると,東屋の近く,登山路の両脇に2本のヤマナシが生えている。一方がヤマナシで,もう一方がイワテヤマナシだと先輩から教わった。」とある。2020年10月18日に撮影した写真にはたくさんの葉と果実を付けた「やまなし」が写っていた。写真に写っている果実は頂部に萼片が宿存しているので「ヤマナシ」ではなく「イワテヤマナシ」のものであろう。

 

多分,谷川雁が長野県戸隠高原で見たという「やまなし」は「アオナシ」で,松田司郎が「種山ヶ原」で見た「やまなし」は「イワテヤマナシ」と思われる。谷川自身も,著書の中で自分が見た「やまなし」について「無数についている青い実」と記載している。だから,谷川が見た「やまなし」の果実と松田司郎の見たものが異なった落果の仕方をしても不思議ではない。谷川は,植物を調べるに当たっては北村四朗・村田源(1971)の『原色日本植物図鑑』を参考にしたと記載している(谷川,1986)。そして,谷川は日本に自生しているナシは「ミチノクナシ」,「ヤマナシ」,「マメナシ」の3種であると認識し,童話の「やまなし」はこの3種のうち「ミチノクナシ」であろうと推定した。谷川は「ヤマナシ」も候補に挙げたが,物語で川に落ちた「やまなし」が水面を流れていくとき,「横になって木の枝に引っかかってとまり」という描写に注目して,果実に萼片という余計な突起物が付いていない「ヤマナシ」を候補から外している。丸いい果実だけだと木の枝に引っかかりにくいと考えたようだ。 

 

谷川雁の3種という認識は誤りではないが不十分である。『原色日本植物図鑑』にも「ミチノクナシ」の「変種」として「アオナシ」が存在することが記載されていた。この図鑑の43から44頁には「ミチノクナシも変異の幅が広く果実の大きさ,形,色,鋸歯,花柱基部の毛などのちがいが詳細に調べられ,多くのものが種として記載された。・・・葉が小さく,薄く,芒状鋸歯も小さいものをアオナシとし静岡県,山梨県,長野県,群馬県などに分布するとされる。」とある。すなわち,谷川は「ミチノクナシ」に「アオナシ」の「変種」があることを見逃してしまったようだ。谷川は,長野県戸隠高原と岩手の北上山地の「やまなし」を「変種」のない同じ「種」である「ミチノクナシ」と認識し,自分が見た「やまなし」が「アオナシ」であることに気がつかなかった。あるいは,気づいていたが不問にした。 

 

「やまなし」特に「イワテヤマナシ」の果実落果に関する情報をネットや書物で探したがなかなか見つからない。しかし,ようやく近場の図書館でマタギの話として「イワテヤマナシ」の落果時期を伺わせる情報を得ることができた。

 

民族学者・谷川健一(谷川雁の兄)編集の『日本民族文化資料集成』第1巻「サンカとマタギ」(1989)に秋田のマタギに関する資料が収められている。高橋文太郎という研究者が昭和11年3月に1週間位かけて秋田山間部のマタギ部落を旅しマタギの生活や熊の習性について地元住民から聞き取り調査を行っている。その中に,熊の食料としての「やまなし(山梨)」の果実が出てくる。秋田県は岩手県の隣の県である。

 

秋田マタギに関する資料には,「山梨は,秋に繭玉(まゆだま)位ゐの大きさの実がなり,雪が来てから落ちてゐる。すでに雪の深い所では五,六尺も吹き溜るので,その実も隠れるが,春の雪消える後になると,匂いを嗅いで熊がそれを掘り出して食べる。」とある。

 

この資料にある「山梨」は「匂い」があることから「イワテヤマナシ」のことであろう。注目すべきことは,この果実が「雪が来てから落ちてゐる」という記載である。

 

美の国あきたネット(秋田県公式サイト)によれば「秋田県は12月から4月上旬まで雪が降り,一番寒い2月には街中でも2メートル以上雪が積もる豪雪地域」とある。初雪は11月下旬頃かららしいが本格的に雪が降るのは12月からのようだ。すなわち,東北に自生する「やまなし」の果実には,全ての木とは言わないが,12月に落果するものもあるということだ。

 

童話『やまなし』の12月に落果するという「やまなし」は,東北に自生する「イワテヤマナシ」である可能性が高い。賢治研究家の松田司郎が11月の終わりに岩手県種山ヶ原でみた樹上に「たわわに」残っていたという果実も「イワテヤマナシ」のものであろう。谷川雁は発表形の第二章の章題「十二月」は「十一月」の誤りであり,「十一月」に変更すべきと主張していた。これは,谷川が長野県戸隠高原でみた「やまなし」の果実が11月に全て落果したことによる。しかし,谷川が見た「やまなし」は「イワテヤマナシ」ではなく,「ミチノクナシ」の「変種」である「アオナシ」と思われる。童話『やまなし』の鉛筆で書かれた初期形の第二章の章題は「十一月」になっていたが,11月であるという明瞭な根拠を「やまなし」の落果時期以外で説明できない限り,第二章の章題「十二月」を「十一月」に変更する必要はないと思われる。

 

参考・引用文献

原 子郎.1999.新宮澤賢治語彙辞典.東京書籍.

池谷 祐幸・間瀬 誠子・佐藤 義彦.2005.山梨県・長野県におけるアオナシの探索・収集.植探報.21:37-43.

石井竹夫.2022.童話『やまなし』の舞台となった谷川は実在するか-イサドとの関係-https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/07/02/104817

片山寛則.2019.新規ナシ遺伝資源としてのイワテヤマナシ~保全と利用の両立を目指して~.作物研究.64:1-9.

北村四朗・村田源.1971.原色日本植物図鑑.保育社.

九頭見和夫.1996.宮沢賢治と外国文学-童話「やまなし」と比較文学的考察(その1).福島大学教育学部論集 人文科学部門 61:53-70.

松田司郎・笹川弘三.1991.宮澤賢治 花の図譜.平凡社.東京.

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

中野新治.1991.「やまなし」読解ノート.日本文学研究 27:163-172.

大井次三郎.1965.改訂新版 日本植物誌 顕花篇.至文堂.

ルーラル電子図書館,2022(調べた年).生理的落果.http://lib.ruralnet.or.jp/nrpd/#koumoku=12884

鈴木 守.2020.みちのくの山野草 物見山(10/18,ヤマナシと「やまなし」)https://blog.goo.ne.jp/suzukishuhoku/e/e26dfb4d81b0e4936f7a21ff70a81d03

高田偲帆・片山寛則・村元隆行.2019.早生,中生,および晩生のイワテヤマナシの果汁への浸漬が牛肉の硬さに及ぼす影響.日本畜産学会報.90 (2),:147-151.

谷川 雁.1986.賢治初期童話考.潮出版社.

全国巨木探訪記.2022(調べた年).若栗のアオナシ.http://www.hitozato-kyoboku.com/wakaguri-aonashi.htm 

 

お礼:わっとさん,いつも本ブログ読んでいただきありがとうございます。2022年11月8日 Shimafukurou