宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-鳥の押し葉-

Key words:文学と植物のかかわり,かはらははこぐさ,鳥の押し葉

 

「鳥の押し葉」という言葉が『銀河鉄道の夜』の「八,鳥を捕る人」で登場してくる。「花の押し花」や「葉の押し葉」は,聞いたことがあるが,「鳥の押し葉」の存在は『銀河鉄道の夜』で初めて知った。賢治は,たくさんの造語を作ったが,「鳥の押し葉」はなかなか理解しにくいものの1つである。日本野鳥の会に所属する賢治研究家の国松(1996)によると,鳥を標本にするときは,仮剝製(かりはくせい)にするのだという。脚にデータを書いた札をつけて引き出しなどに保存しておくと,鳥は 脚をちぢめて体をのばし平べったくなるそうだ。

 

国松は,賢治がこの仮剝製からヒントを得て「鳥の押し葉」を思いついたと推定している。しかし,押し花や押し葉は,採取した植物を新聞紙などの紙の間に挟んで重しを置いて作るのが普通である。圧を加えるということに注目すれば,「鳥の押し葉」は鳥を圧縮して葉のように平べったくしたものと考えるのが一般的と思う。何か薄気味悪い感じがする。賢治は,なぜ,「鳥の押し葉」という言葉を思いついたのであろうか。本来の植物の押し葉という観点から私なりに推測してみた。

 

1.「鳥の押し葉」とカワラハハコ

〈鳥捕り〉は,物語では銀河の河原で鷺(さぎ),鶴(つる),雁(がん)などの鳥を捕まえて押し葉にして,それを食用として売っている。「鳥の押し葉」の作り方は,〈鳥捕り〉の言葉を借りれば,「天の川の水あかりに,十日もつるして置くかね,さうでなけぁ,砂に三四日うづめなけぁいけないんだ。さうすると,水銀がみんな蒸発して,喰べられるやうになる」である。〈鳥捕り〉は,白鳥の停車場で銀河鉄道の列車に乗り込んでくるが,次の停車場の鷲(わし)の停車場で降りるので,自分のことを「わっし」という。鷲が雁などの鳥を捕食することは知られているので,〈 鳥捕り〉を鷲にひっかけて「わっし」と言わせるのは面白い。ジョバンニとカンパネルラは,〈鳥捕り〉から「鳥の押し葉」を見せてもらうが,何か胡散臭い匂いを感じ取り,〈鳥捕り〉に色々と質問する。

 それは,茶いろの少しぼろぼろの外套を着て,白い巾(きれ)でつつんだ荷物を,二つに分けて肩に掛けた,赤髯のせなかのかがんだ人でした

 (中略)

「わっしはすぐそこで降ります。わっしは,鳥をつかまえる商売でね。」

「何鳥ですか。」

「鶴(つる)や鴈(がん)です。さぎも白鳥もです。」

 (中略)

「鶴,どうしてとるんですか。」

鶴ですか,それとも鷺(さぎ)ですか。

「鷺です。」ジョバンニは,どっちでもいいと思ひながら答えました。

「そいつはな,雑作(ぞうさ)ない。さぎといふものは,みんな天の川の砂が凝(こ

ご)って,ぼおっとできるもんですからね,そして始終川へ帰りますからね,川原で待ってゐて,鷺(さぎ)がみんな,脚をかういふ風にして下りてくるとこを,そいつが地べたへつくかつか ないうちに,ぴたっと押へちまふんです。するともう鷺は,かたまって安心して死んぢまひます。あとはもう,わかり切ってまさあ。し葉にするだけです。

鷺を押し葉にするんですか。標本ですか。」

標本ぢゃありません。みんなたべるぢゃありませんか。」

をかしいね。」カムパネルラが首をかしげました。

「をかしいも不審もありませんや。そら。」その男は立って,網棚から包みをおろして,手ばやくくるくると解きました。

「さあ,ごらんなさい。いまとって来たばかりです。」

「ほんたうに鷺だねえ。」二人は思わず叫びました。まっ白な,あのさっきの北の十字架のやうに光る鷺のからだが,十ばかり,少しひらべったくなって,黒い脚をちぢめて,浮彫のやうにならんでいたのです。

  (中略;ここで黄色な雁の足をちぎる)

「どうです。すこしたべてごらんなさい。」鳥捕りは,それを二つにちぎってわたしました。ジョバンニは,ちょっと喰べてみて,(なんだ,やっぱりこいつはお菓子だ。チョコレートよりも,もっとおいしいけれども,こんな雁が飛んでゐるものか。この男は,どこかそこらの野原の菓子屋だ。

  (中略)

二人もそっちを見ましたら,たったいまの鳥捕りが,黄いろと青じろの,美しい燐光(りんくわう)を出す,いちめんのかはらははこぐさの上に立って,まじめな顔をして両手をひろげて,じっとそらを見てゐたのです。 

(中略) 

がらんとした桔梗(ききょう)いろの空から,さっき見たやうな鷺(さぎ)が,まるで雪のふるやうに,ぎゃあぎゃあ叫びながら,いっぱいに舞ひおりて来ました。するとあの鳥捕りは,すっかり注文通りだといふやうにほくほくして,両足をかっきり六十度に開いて立って,鷺のちぢめて降りて来る黒い脚を両手で片っ端から押さへて,布の袋の中に入れるのでした。(宮沢,1986) 下線は引用者  

 

鳥を押し葉(押し花)にするという発想は,独創的であるが,そのヒントはどうも「鳥を捕る人」の章に登場する「カワラハハコ」(河原母子,キク科,ヤマハハコ属)にあると思える。「カワラハハコ」は,私の知る限り賢治の作品では『銀河鉄道の夜』にしか登場しない。この「カワラハハコ」に言及した人がいる。賢治研究家の沼田(1996)は,「カワラハハコ」が登場する理由として,鳥を捕える商売をしていてジョバンニに「雁の足」を食べさせてくれた〈鳥捕り〉と,魚を捕える仕事をしていてジョバンニの家族(母と子)を養育している父親とを重ねて読むようにという作者からの合図ではないかと考えている。

 

沼田(1996)は,「カワラハハコ(河原母子)」の「母子」に注目したようだ。しかし,「母子」からは鳥の押し葉は説明できないように思える。私は,別の視点,例えば「カワラハハコ」の特徴とか使われ方に注目してみたい。

 

「カワラハハコ」は,全体に白い綿毛に覆われている。花は,白いカサカサした花びらのような総苞片に囲まれていて,中に黄色の管状花がある。「カワラハハコ」は,乾燥させたあとでも花が色あせないことから,押し花の材料に適した植物とされてきた。エバーラスティング(everlasting)ともいう。エバーラスティングは,園芸の世界では良く知られていて,ムギワラギクのように花が硬くてカサカサして,花が終わったあとでも萎(しお)れずに,陰干しにしておけばドライフラワーにも利用できるものをいう。

 

大正9(1920)年9月,賢治が妹を連れて岩手山に登ったとき,妹が見つけた白い花を賢治はエバーラスティングと教えたという。賢治研究家の伊藤(2001)は,この花を「ヤマハハコ」と推定している(第1図)。「ヤマハハコ」は,カワラハハコと属が同じで形態も似ているので区別するのが難しい。

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第1図.ヤマハハコ(箱根湿性花園で撮影).

押し花アートで「カワラハハコ」の細く白い綿毛は,雪景色や雲を表現するのに格好の材料になる。物語でも「鷺(さぎ)が,まるで雪のふるやうに,ぎゃあぎゃあ叫びながら,いっぱいに舞ひおりて来ました」とある。作ろうと思えば,雪景色ではなく「カワラハハコ」の押し花で鳥の「鷺」を創出することもできる。実際にコサギ(羽は白だが足は黄色,第2図)をモデルに「カワラハハコ」で「鷺」を作ってみた(第3図)。

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第2図.コサギ(足は黄色,神奈川県大磯町の不動川で撮影).

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第3図.コサギをモデルにカワラハハコで作った押し花の鷺(部分).

すなわち,賢治は鷺を見て鳥の「押し葉」を発想したのではなく,「カワラハハコ」を採取したり,あるいはそれで実際に植物標本(押し葉)を作ってみたりしたところ,それが鳥の鷺(コサギの体は白く足は黄色)をイメージできたので鷺の「押し葉」を発想したと思われる。第4図は,「カワラハハコ」の植物標本である。ハハコグサ(母子草,キク科,ハハコグサ属)は,黄色い頭花が目立ち,白い鷺はイメージできない。

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第4図.カワラハハコの植物標本(部分).

不完全な幻想第四次空間では何が起こっても不思議ではないが,現実的な体験の裏打ちがあると思われる。賢治は,「鷺」の仮剝製を見たかもしれないが,実際には「カワラハハコ」の植物標本を見たか,あるいは作ったのだと思う。また,物語で〈鳥捕り〉がジョバンニに食べさせたのは「鷺の押し葉」ではなく「雁の押し葉」であり,それは米などから作られる「落雁」「初雁」「雁月」などの和菓子からイメージしたものではないのだろうか。京都では,実際に鳥の形をした「落雁」と言う名のお菓子が売られている。

 

賢治が『銀河鉄道の夜』を書き始めた時は,稗貫農学校(現在の花巻農学校)の教諭をしており,汽車の中で子供たちにお菓子を配ったようなことが詩「春と修羅」第二集「序」(1924~1925年)に記載されている(下線の部分)。

 この一巻は

わたくしが岩手県花巻の農学校につとめて居りました四年のうちの

終わりの二年の手記から集めたものでございます

この四ヵ年はわたくしにとってじつに愉快な明るいものでありました

先輩たち無意識なサラリーマンスユニオンが近代文明の勃興以来

或いは多少ペテンもあったではありませうがとにかく巨きな効果を示し

絶えざる努力と結束で獲得しましたその結果

わたくしは毎日わづか二時間及至四時間のあかるい授業と

二時間ぐらゐの軽い実習をもって

わたくしにとっては相当の量の俸給を保証されて居りまして

近距離の汽車にも自由に乗れ

ゴム靴や荒い縞のシャツなども可成に自由に選択し

すきな子供らにはごちそうもやれる

さういふ安固な待遇を得て居りました 

(中略)

そこでたゞいまこのぼろぼろに戻って見れば

いさゝか湯漬けのオペラ役者の気もしまするが

詩「春と修羅」第二集「序」(宮沢,1986)下線は引用者 

 

繰り返すが,〈鳥捕り〉を詐欺師と考えれば,「鳥の押し葉」を仮剝製や無理に鳥を圧縮して葉のように平べったくしたものと考えなくてもよいのではないだろうか。〈鳥捕り〉がジュバンニたちに見せたのは「カワラハハコ」で作った鳥の形をした押し花あるいは押し葉であり,ジョバンニたちに食べさせたのは鳥の形をした「落雁」などのお菓子であってもよいと思われる。また,「鳥の押し葉」が「鷺の仮剝製」か「鳥を圧縮したものか」,あるいは「鳥の形をしたお菓子」かを本文中で明らかにする必要はなく,私のように読者に「鳥の押し葉」とは何だろうと考えさせれば,作者側からすれば「うまくいった」ということになるのかもしれない。

 

ただ,「鳥の押し葉」という言葉が本文中で「カワラハハコ(かはらははこぐさ)」と一緒に登場すること,また「カワラハハコ」の花びらのような総苞片が鷺の羽根ように白いこと,そしてドライフラワーや押し花としてよく使われることを考え合わせると,「鳥の押し葉」が「カワラハハコ」からイメージされたものであるいうことは確かなことと思われる。実際,鳥捕りは「鳥の押し葉」の作り方として,「十日もつるして置く」か「砂に三四日うずめておく」と言っている。前者は明らかにドライフラワーの作り方である。

 

2.「鳥を捕る人」の章の隠されたテーマ

「春と修羅」第二集「序」を読むと,さらに注目すべきことが明らかになる。1つは,『銀河鉄道の夜』に登場する〈鳥捕り〉が稗貫農学校の教諭をしていたころの宮沢賢治そのものと重なるということである。

 

 ジョバンニのモデルは,賢治であるとする説が有力であるが,この詩を読めば〈鳥捕り〉もまた賢治自身ではないかと思ってしまう。『銀河鉄道の夜』で鳥捕りの「少しぼろぼろの外套を着て,せなかのかがんだ人でした」という容貌や,「わっしはすぐそこで降ります」,「どうもからだに恰度(ちゃうど)合ふほど稼いでゐるくらゐ,いゝことはありませんな」という言動は,「近距離の列車にも自由に乗れ,少ない労働で多額の報酬を得ていた」と自己申告している教諭時代の賢治そのものである。自分を過小評価しすぎているとこともある。「少ない労働で多額の報酬を得ている」ことをペテン(詐欺)とも言っている。

 

もう1つは,鳥の名前である。なぜ,鶴と鷺が並列して出てくるのかの理由である。賢治研究家の天沢(1991)は,「賢治童話には,科学的根拠のあるものないものも含めて,予告や予知,前兆,伏線などがいたるところに仕掛けられている」と言っている。私も賢治の作品は,深読みしても深読みしすぎることはないと思っている。私なりにこの「鳥を捕る人」の章を深読みしてみる。ペテンは,詐欺(さぎ),すなわち鳥の鷺(さぎ)に繋がる。言葉を並列して並べる場合の一つとして反対語がある。詐欺師は嘘をつく人であるから,詐欺の反対語は「ほんとう」あるいは「真実」である。「ほんとう」は英語でtrue(ツルー),すなわち鶴(つる)に繋がる。

 

ジョバンニが「鶴,どうしてとるんですか。」と質問したとき,鳥捕りは「鶴ですか,それとも鷺(さぎ)ですか。」 と答えるが,この文章は,「真実はどうすればわかるんですか」,「真実のことですか,それとも嘘をいっていることですか」とも読める。鶴は,次の「九,ジョバンニの切符」の西部劇映画を連想するシーンの中でも登場するが,インディアンはこの鶴を射止めることになる。インディアンになぜ鶴(真実)は捕まえられるかは謎だが,賢治も見たであろう西部劇映画の「インディアン嘘をつかない」というインディアンのステレオタイプ的なセリフと関係しているのかもしれない。すなわち,「カワラハハコ」が登場する「鳥を捕る人」の章では,「真実」と「うそ」の見分け方が隠されたテーマになっている。

 

『銀河鉄道の夜』の主要なテーマの1つに「みんなのほんたうのさいはひ」を探し求めるというのがある。もっとも難解なテーマである。最終章「ジョバンニの切符」でも「ほんたうのさいはひ」という言葉が繰り返し登場してくる。「ほんたうの神様」と「うその神様」についての論争もある。最終章の前に〈鳥捕り〉の話を入れたのは,「ほんとうのさいはひ」あるいは「ほんたうの神様」を求めるためには「true(ほんとう)」と「詐欺(うそ)」を見分ける必要があるからだと思われる。

 

「カワラハハコ」の花言葉は「永遠」である。『銀河鉄道の夜』の第三次稿には,「おまへがほんたうに勉強して実験でちゃんとほんたうの考えとうその考えとを分けてしまへばその実験の方法さへきまればもう信仰も化学と同じやうになる」という記載がある。我々は,この先,ジョバンニが持っている「どこまでもいける切符」あるいは「ほんたうの考えとうその考えを分ける実験の方法」を手に入れて,「ほんたうのさいはひ」を見つける旅に出て行くことになると思う。

 

参考文献

天沢退二郎.1991.謎解き・風の又三郎.丸善.東京.

伊藤光弥.2001.イーハトーヴの植物学.洋々社.東京.

国松俊英(著)・薮内正幸(画).1996.宮沢賢治 鳥の世界.小学館.東京.

宮沢賢治.1986.文庫版宮沢賢治全集10巻.筑摩書房.東京.

沼田純子.1996. 「銀河鉄道の夜」ところどこ,私読.宮沢賢治 14:120-132.

鈴木庸夫(写真)・畔上能力・菱山中三郎・鳥居恒夫・西田尚道・新井二郎・石井英(解説).1994.山渓ポケット図鑑 秋の花.山と渓谷社.東京.

 

本稿は,人間・植物関係学会雑誌11巻第2号19-22頁2012年に掲載された自著報文(種別は資料・報告)を基にしたものである