宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-星座早見を飾るアスパラガスの葉(1)-

Key words:アスパラガス,文学と植物のかかわり,ほんとうの葉(鱗片葉),偽りの葉(仮葉枝),三角形,星座早見,真果,偽果,トマト,リンゴ

 

『銀河鉄道の夜(四次稿)』四章の「ケンタウル祭の夜」に「青いアスパラガスの葉」が登場する。主人公のジョバンニは,学校で「黒い星座の図」を見ながら銀河とは何かについての授業を受けるが,帰宅後に母に牛乳が届いていないことを知り牧場に牛乳を取りに行く。その途中で,時計屋の黒い星座早見が「青いアスパラガスの葉」で飾られているのを見ることになる。

 「ではみなさんは,さういふふうに川だと云はれたり,乳の流れたあとだと云はれたりしてゐたこのぼんやりと白いものがほんたうは何かご承知ですか。」先生は,黒板に吊るした大きな黒い星座の図の,上から下へ白くけぶった銀河帯のやうなところを指しながら,みんなに問をかけました。

一章「午后の授業」,宮沢,1986 (下線は引用者)

 ジョバンニは,せはしくいろいろのことを考へながら,さまざまの灯や木の枝で,すっかりきれいに飾られた街を通って行きました。時計屋の店には明るくネオン燈がついて,一秒ごとに石でこさへたふくろふの赤い眼が,くるっくるっとうごいたり,いろいろな宝石が海のやうな色をした厚い硝子(ガラス)の盤に載(の)って星のやうにゆっくり循(めぐ)ったり,また向ふ側から,銅の人馬がゆっくりこっちへまはって来たりするのでした。そのまん中に円い黒い星座早見青いアスパラガスの葉で飾ってありました。

 ジョバンニはわれを忘れて,その星座の図を見入りました。

 それはひる学校で見たあの図よりはずうっと小さかったのですがその日と時間を合わせて盤をまはすと,そのとき出てゐるそらがそのまゝ楕円形(だえんけい)のなかめぐってあらはれるやうになって居(お)りやはりそのまん中には上から下へかけて銀河がぼうとけむったやうな帯になってその下の方ではかすかに爆発して湯気でもあげてゐるやうに見えるのでした。            

四章「ケンタウル祭の夜」,宮沢,1986 (下線は引用者)

 

 アスパラガス(ユリ科アスパラガス属;Asparagus offcinalis)は,欧州原産の大形の多年草で太い若芽を食用にする。北海道や東北地方など冷涼な地方で栽培されている。岩手県では,食用アスパラガスが5月~9月まで間収穫できる。夏には茎が1.5mほどになり上部でよく枝分かれして密生する(鈴木ら,1995)。面白いことに,葉に見える枝分かれしたものは,茎(「偽りの葉」)だという。論文で詳しく調べると,アスパラガス属の植物は,葉が鱗片状(三角形の「鱗片葉」)に小さく退化し,その代わりに枝を生じる位置に「仮葉枝(=偽葉)」と呼ばれる葉のような器官を作るとある(茎の形は線状)(第1図)。この器官は,光合成器官としての役割を担っているため,密生した「仮葉枝」は見た目だけでなく機能も葉と類似している(Nakayamaら,2012;中山ら,2013)。魚の鱗(うろこ)のような三角形の「ほんとうの葉(「鱗片葉」)は,食用アスパラガスの若芽では一片が5~15mmで光合成をほとんどしない(第2図)。

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第1図.アスパラガス属の葉の付き方.

 

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第2図.アスパラガス(食用)の若芽と鱗片状の葉.

さて,賢治は時計屋に置いてある星座早見の「青いアスパラガスの葉」を「ほんとうの葉=三角形の鱗片葉」あるいは葉のように見える「偽りの葉=仮葉枝」のどちらをイメージして物語に登場させたのだろうか。『新宮沢賢治語彙辞典』(原, 1999)ではこの「アスパラガス」を食用ではなく観葉種(例えば,A.plumosus var.nanus  , A. densiflorus cv.“Sprengeri” ,A.asparagoidesなど)と説明している(実際は枝を観賞している,第3図)。

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第3図.観葉種のアスパラガス.葉に見えるのは仮葉枝.左からプルモーサス・ナナス,スプレンゲリー,スマイラックス. 

この辞典を基にしたかどうかは分からないが,『銀河鉄道の夜』のプラネタリウム版アニメ映画(KAGAYA studio ,2006)や漫画版(ますむら,1995)には,黒い星座早見を飾るアスパラガスとして枝が細かく分岐して葉のように見える「仮葉枝」が描かれている。では,賢治も「仮葉枝」のアスパラガスをイメージしたのだろうか。私は,賢治がイージした「青いアスパラガスの葉」は,「偽りの葉=仮葉枝」ではなく「ほんとうの葉=三角形の鱗片葉」であると確信している。

 

その根拠は,時計屋に置かれている星座早見が物語の舞台である銀河(天上)の縮図になっていることと,その天上の野原に星の代わりにたくさんの青白く輝く「鱗片葉」と同じ形の「三角形」の巨大な構築物(「三角標」と呼ばれている)が立っているからである。多分,賢治はアスパラガスの「三角形の鱗片葉」を天上の「星=三角標」に見立てて,時計屋の星座早見の星々の上に飾ったと思われる。根拠の詳細を以下に記述する。

 

1.賢治のアスパラガスの葉に対する知識

『銀河鉄道の夜』は,1924年ごろに初稿(第一次稿)が執筆されたが,晩年の1931年ごろ(第四次稿)まで推敲が繰り返された(未完の長編童話)。「青いアスパラガスの葉」は,第三次稿と第四次稿で登場する。1924年~1931年の間に賢治の持っている植物図鑑などの資料にアスパラガスはどのように記載されていたのだろうか。

 

1924年に北海道岩内町に住んでいた下田喜久三(1924)が『アスパラガス』という書物を出している。そこに,「葉は退化して鱗片状となり各分枝の基部を包む」という記載がある。下田は,アスパラガスを日本で初めて作るのに成功した人でもある。下田は,冷害で大きな被害を受けていた北海道の農家の状況を憂い,大正2年(1913)から研究を始め,欧米からアスパラガスの種子を取り寄せ試験栽培を続け,1922年に新品種の開発に成功した。翌年から大規模な栽培も始めている。すなわち,賢治が『銀河鉄道の夜』を執筆したころには,すでにアスパラガスは食用にされアスパラガスの「ほんとうの葉」が「三角形」の小さな鱗片状の葉であることは知られていた。植物好きで知識欲の旺盛な賢治がこの事実を知らない訳がない。

 

2.ほんとうの葉である必要性はあるのか

『銀河鉄道の夜』は「ほんとう」と「うそ」を見分けるのが1つの重要なテーマになっている。八章の「鳥を捕る人」では,登場人物の〈鳥捕り〉が天の川の河原で「鶴(つる→true=ほんとう)」や「鷺(さぎ→詐欺)」を捕まえて,それらを売る商売をしている。〈鳥捕り〉は,ジョバンニにマジックを掛け,捕まえた鷺を見せてから雁の足を食べさせる。しかし,ジョバンニは〈鳥捕り〉のマジックには引っ掛からなかった。ジョバンニは〈鳥捕り〉から貰った雁の足を「ほんとうの雁の足」ではなく「お菓子」だと疑っている(石井,2012)。

 

また,物語にはリンゴとトマトという2つの果実が登場する。果実は,一般的に花が咲いたあとの食用にする部分で,種子を食用にするものは除く。種によって子房が発達してできたものと,子房以外の花床などが発達してできたものがある。子房からなる果実を真果(true fruit)と呼び,子房以外からなる果実を偽果(false fruit)と呼ぶ。トマトは,真果であり,リンゴは偽果である。物語でジョバンニは,真果であるトマトを「むしゃむしゃ」食べるが,天上で燈台看守から貰う偽果のリンゴは決して食べない。リンゴを食べるのは,ジョバンニが言うところの「うその神さま」を信仰している子供である。

 

アスパラガスの葉には「ほんとうの葉」と「うその葉」がある。ジョバンニには「ほんとう」と「うそ」を区別できる能力を有すると思われるので,彼は星座早見に飾られたアスパラガスの葉が「ほんとうの葉」と気づいたと思われる。だから,「ほんとうの幸福」を探している「ジョバンニはわれを忘れて,その星座の図を見入りました」となるのである。

 

3.アスパラガスのほんとうの葉は天上に出現する「星=三角標」と関係がある

賢治は,なぜ三角形をした鱗片状の「ほんとうの葉」を星座早見の飾りとしたのであろうか。観賞用の「アスパラガス」の「仮葉枝」を使った方が「飾り」としては見栄えがする。多分,賢治は「アスパラガス」にある「鱗片葉」の「三角」という形と「青(=緑)」という色に注目したのだと思う。

 

星座早見は天上へ上って行く列車の中で再度登場する(六章「銀河ステーション」)。カムパネルラが持っていた星座早見のような「まっ黒な盤の上」には,「一一の停車場や三角標,泉水や森が,や橙(だいだい)や緑や,うつくしい光でちりばめられてありました」と記載されている。また,「ジョバンニはなんだかその地図をどこかで見たやうにおもひました。」というように,ジョバンニがそれを地上の学校や時計屋で見たことを暗示するような記載もある。

 

星座早見にちりばめられてある「青いアスパラガスの葉」は,天上に上る汽車の中では黒曜石で出来た「まっ黒な盤」の中の小さな「三角標」に変貌している。さらに,この星座早見を連想させる「まっ黒な盤」上の小さな「三角標」は,幻想四次空間(死後の世界)を走る銀河鉄道の線路周辺では青白い燐光を発する巨大な構築物(三角標)となって現れてくる(九章「ジョバンニの切符」)。

 「あゝしまった。ぼく,水筒を忘れてきた。スケッチ帳も忘れてきた。けれど構わない。もうぢき白鳥の停車場だから。ぼく,白鳥を見るなら,ほんたうにすきだ。川の遠くを飛んでゐたって,ぼくはきっと見える。」そして,カムパネルラは,円い板のやうになった地図を,しきりにぐるぐるまはして見てゐました。まったくその中に,白くあらはされた天の川の左の岸に沿って一条の鉄道線路が,南へ南へたどって行くのでした。そしてその地図の立派なことは,夜のやうにまっ黒な盤の上に,一一の停車場や三角標,泉水や森が,や橙(だいだい)や緑や,うつくしい光でちりばめられてありました。ジョバンニはなんだかその地図をどこかで見たやうにおもひました。

        (中略)

 野原にはあっちにもこっちにも,燐光(りんくわう)の三角標が,うつくしく立ってゐたのです。遠いものは小さく,近いものは大きく,遠いものは橙(だいだい)や黄いろではっきりし,近いものは青白く少しかすんで,或(ある)いは三角形,或いは四角形,あるいは電(いなづま)や鎖の形,さまざまにならんで,野原いっぱい光ってゐるのでした。 六章「銀河ステーション」  (下線は引用者)

 ごとごとごとごと汽車はきらびやかな燐光(りんこう)の川の岸を進みました。向ふの方の窓を見ると,野原はまるで幻燈のやうでした。百も千もの大小さまざまの三角標,その大きなものの上には赤い点点をうった測量旗も見え,野原のはてはそれらがいちめん,たくさんたくさん集ってぼおっと青白い霧のやう,そこからかまたはもと向ふからかとこどきさまざまの形のぼんやりした狼煙(のろし)のやうなものが,かはるがはるきれいな桔梗(ききょう)いろのそらにうちあげられるのでした。九章「ジョバンニの切符」  (下線は引用者) 

 

すなわち,一章の「午后の授業」で出てくる「黒い星座の図」にあるたくさんの「星」は,四章の「ケンタウル祭の夜」の「黒い星座早見」では「アスパラガスの葉」の「飾り」に変わり,六章の「銀河ステーション」の「まっ黒な盤(=星座早見?)」では小さな「三角標(三次構造?)」になり,そして天上の幻想四次空間では巨大な構築物である「三角標(四次構造?)」に変貌する。

 

また三次稿では「ひかり」は「エネルギー」であり「三角標」という「物質」になると説明している。これは,1922年に日本に来日したアルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein ,1879~1955)の影響を受けている。アインシュタインの有名な数式E(エネルギー)=m(質量)・c(光の速度)で左辺(エネルギー)と右辺(質量)は等価である。このような化学反応や物理学の専門用語を物語に比喩的に応用すれば,「星の光(エネルギー)は二次構造を持つ三角形(平面)の鱗片葉と反応して(あるいは修飾されて)三次構造あるいは四次構造を持つ立体の三角標という物質に変化する」である。次稿へ続く。

 

引用文献

原 子朗.1999.新宮沢賢治語彙辞典.東京書籍.東京.

石井竹夫.2012.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する鳥の押し葉.人植関係学誌.11(2):19-22.

ますむらひろし.1995.銀河鉄道の夜.扶桑社.東京.

宮沢賢治.1986.文庫版宮沢賢治全集10巻.筑摩書房.東京.

中山北斗・山口貴大・塚谷裕一.2013.3.4. (調べた日付).姿はまるで葉のような「仮葉枝」の進化の過程をはじめて明らかに.http://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2012/14.html

Nakayama, H.,T.Yamaguchi and H.Tsukaya. 2012.Acquisition and diversification of cladodes:Leaf-like organs in the genus Asparagus.Plant Cell.24:925-940.

下田喜久三.1924.アスパラガス.端洋食品研究所.北海道.

鈴木庸夫(写真)・畔上能力・菱山中三郎・鳥居恒夫・西田尚道・新井二郎・石井英実(解説).1995.山渓ポケット図鑑 春の花.山と渓谷社.東京.

 

本稿は人間・植物関係学会雑誌13巻第1号27~30頁2013年に掲載された自著報文(種別は資料・報告)を基にしたものである。原文あるいはその他の掲載された自著報文は人間・植物関係学会(JSPPR)のHPにある学会誌アーカイブスからも見ることができる。http://www.jsppr.jp/academic_journal/archives.html