宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-ススキと鳥を捕る人の類似点-

Key words : あってはならない感受性,文学と植物のかかわり,常不軽菩薩,雑草,厄介者

 

『銀河鉄道に夜』の天上に最初に登場する植物は,銀河鉄道の線路際(鉄道敷)あるいはその周辺で銀河の青白い光を浴びて銀色に光輝く「ススキ原」の「ススキ」である。この絵画的とも言える美しい風景描写が,イギリス人で光の錬金術師と言われたターナーの絵画をヒントにしたと思われることはすでに報告した(石井,2014)。しかし,この物語の舞台が南欧ということもあり,その天上にあまりにも日本的な「ススキ原」の風景を採用した理由についてはまだ十分に説明出来ていなかった。本稿では,

天上に登場する植物がなぜ「ススキ」でなければならないのかを考えてみたい。

 

この疑問に対する答のヒントは,「ススキ」と一緒に登場する「鳥捕り」という人物にありそうだ。賢治は,「ススキ」に人間の「鳥捕り」に対するのと同じような感情を抱いていて,それらを相互に補完するように物語に登場させているように思える。両者に共通するものは,対象を「邪魔者」(排除すべきもの)とみなす否定の感情であろう。

 

1.「鳥捕り」に対してジョバンニはどう思ったか

「鳥捕り」は,物語では銀河の河原で鷺,鶴,雁などの鳥を捕まえて「押し葉」にして食用として売る商売をしている。性格は,「がさつで,単純で,ひとがよいのに,すこしずるそうなところもあり,あなどられやすい善人」として描かれている(吉本,1996)。すなわち,他人の幸福のために自己を犠牲にするという「聖」なる者たちの対極に存在する。あるいは,殺生する者という位置づけになっているのかもしれない。

 

この物語の主人公であるジョバンニは,銀河鉄道の列車の車内で初めて会った「鳥捕り」と鳥の捕まえ方や商売の方法について会話するが,しばらくすると一緒にいるのが面倒な気持ちになって,「鳥捕り」を「邪魔(=厄介)」な存在と感じてしまう。このとき,ジョバンニは「鳥捕り」に対して特異な「こころ」の反応を見せる。例えば,「この鳥捕りのために自分のもっている物を全てあげてしまいたい」とか,「この人のほんたうの幸(さいはひ)になるなら自分があの光る天の川の河原に立って百年つゞけて立って鳥をとってやってもいい」という気持ちが湧いてくる。この「鳥捕り」に対して,自己犠牲的な「償い」に繋がる気持ち(ジョバンニの言葉を借りれば「変てこな気持ち」)が生じた時,「鳥捕り」が物語から退場し,その代わりに「白いすゝき」が登場してくる。

 ジョバンニはなんだかわけもわからずににはかにとなりの鳥捕りが気の毒でたまらなくなりました。鷺(さぎ)をつかまへてせいせいしたとよろこんだり,白いきれでそれをくるくる包んだり,ひとの切符をびっくりしたやうに横目で見てあわててほめだしたり,そんなことを一一考へてゐると,もうその見ず知らずの鳥捕りのために,ジョバンニのもってゐるものでも食べるものでもなんでもやってしまひたい,もうこの人のほんたうの幸になるなら自分があの光る天の川の河原に立って百年つゞけて立って鳥をとってやってもいゝといふやうな気がして,どうしてももう黙ってゐられなくなりました。ほんたうにあなたのほしいものは一体何ですか,と訊(き)かうとして,それではあんまり出し抜けだから,どうしようかと考へて振り返って見ましたら,そこにはもうあの鳥捕りが居ませんでした。網棚の上には白い荷物も見えなかったのです。また窓の外で足をふんばってそらを見上げて鷺を捕る志度をしてゐるのかと思って,急いでそっちを見ましたが,外はいちめんのうつくしい砂子と白いすゝきの波ばかり,あの鳥捕りの広いせなかも尖った帽子も見えませんでした。

 「あの人どこへ行ったらう。」カムパネルラもぼんやりさう云ってゐました。

 「どこへ行ったらう。一体どこでまたあふのだらう。僕はどうしても少しあの人に物を言はなかったらう。」

 「あゝ,僕もさう思ってゐるよ。」

 「僕はあの人が邪魔なやうな気がしたんだ。だから僕は大へんつらい。」ジョバンニはこんな変てこな気もちは,ほんたうにはじめてだし,こんなこと今まで云ったこともないと思ひました。    

(九.ジョバンニの切符)宮沢,1986 下線は引用者

 

ジョバンニが「鳥捕り」に感じたこの「変てこな気もち」は,賢治の童話『祭りの晩』でも同様に認められる。『祭りの晩』は,主人公の少年亮二(りょうじ)が山の神の祭りの晩に掛茶屋で団子を食べたが代金が払えず村の若者にいじめられている山男を助けるという話である。山男は「薪を百把持って来てやっから,許して呉れろ」と懇願するが村の若者は信じない。亮二は,いじめの現場で状況を素早く察知し代金を肩代わりするのだが,そのお礼に山男から団子以上の価値のあるたくさんの薪(たきぎ)と栗の実をもらう。童話は,これで終わっても良いのだが,この後に亮二は,ジョバンニと同様に山男に「嬉(うれ)しがって泣いてぐるぐるはねまはって,それからからだが天に飛んでしまふ位いゝものをやりたい」という気もちになる。思想家で賢治研究家でもある吉本隆明(1996)は,両作品を対比させながら優れた解説を行っている。

 ジョバンニが突然鳥捕りの人に感じた「変てこな気もち」は,『祭の晩』で亮二が山男に感じた「からだが天に飛んでしまふ位いゝものをやりたい」という気もちとおなじだ。ただ「祭りの晩」では山男の善意をばかにし,いじわるく痛めつけたのは村の若者であって亮二ではない。だが銀河鉄道の夜』では,列車に乗りあわせた人たちのうち,ただひとりふつうの人(もしかすると殺生をする人の象徴)である鳥を捕る人は,過去に善なる行為をしたことがないものとして描かれている。がさつで,単純で,ひとがよいのに,すこしずるそうなところもあり,あなどられやすい善人として,そのあなどられ易さをジョバンニやカムパネルラに照りかえして,ふたりはすこし無視したり,邪慳(じゃけん)なそぶりをみせたり,あなどったのにちかい振舞いをこころのなかでみせた。そこは『祭の晩』の山男にたいする亮二の場所とすこしちがう。鳥を捕る人のようにふつうの平凡な善いひとにたいして,それを照りかえしたような軽いあなどりが無意識にこころのなかに生じるのは,ごくありふれたことのはずだ。だが作者のなかにある「ほんたう」の感受性では,この無意識の軽いあなどりは,ただのこころの反映で,いちばんあってはならない感受性なのだ。この敏感な極微のこころの揺れを言葉のピンにとめていることは,宮沢作品の芸術的な本質である。

(『宮沢賢治』 吉本,1996)下線は引用者

 

吉本は,なぜジョバンニが「鳥捕り」を排除したい気持ちになったとき,すばやくそれを打ち消すかのように「気の毒」になり,「自己犠牲」によって償う感情を出してくるのかに対して,それは,「ただのこころの反映で,いちばんあってはならない感受性」だからと説明している。すなわち,「邪魔者」という他者を「あなどる」気持ちは,ジョバンニや賢治にとっては「あってはならない感受性」であり,そのことが「つらい」とか「気の毒」という気持ちを呼び起こし,そして,「自己犠牲」によって償う感情になって現れてくる。では,このジョバンニ(あるいは賢治)の「こころ」の中の特異な反応(「変てこな気持ち」)はどこからくるだろうか。

 

この特異な反応は,賢治自身の資質によるかもしれないが,賢治が信じた『法華経』の「常不軽菩薩品第二十」の教えによるところも大きいと思われる。『法華経』に登場する常不軽菩薩(「常に軽蔑された男」の意味)は,菩薩自身が迫害され,誹謗中傷されても仏法に敵対するなどと誹謗し返さなかった。それどころか,相手がどんな人物であれ,人を見ては「わたしは,あなたがたを深く尊敬します。けっして軽んじたり,あなどったりすることはありません。」と声をかけて法華経の教えを説いたという(この功徳により常不軽菩薩はのちに如来に転身する)。次に,賢治に植物である「ススキ」に「あなどる」気持ちと「償い」の気持ちの相反する二つの感情が存在していたのかを考察してみる。

 

2.「ススキ」に対して賢治はどう思ったか

「ススキ」(イネ科;Miscanthus sinensis Andersson)は日本の原野に生育している在来野草の中で,面積,量とも最大を占めるイネ科の多年草雑草である(第1図,根本, 2014)。また,河原,農耕地に接する道路(土手を含む),『銀河鉄道の夜』での風景描写のように鉄道敷でよく見られる「雑草」にも分類されている(阿部ら, 2012;根本, 2014)。今でこそ,「ススキ」は秋の風情を感じるものとして尊重されているが,賢治存命のころの農業に従事する者たちにとっては畑に侵入されて困る最も厄介(「邪魔」)な「雑草」と位置付けられていたと思われる。

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第1図.ススキ原(箱根仙石原にて)

特に,耕作を放棄した畑では「ススキ」の侵入が著しい。四国農業試験場の川上・野田(1973)は,耕作放棄して3年になる傾斜畑の耕耘(こううん)前の雑草群落(27種)の優占度を調べた結果,ヨモギが82.3%で最も高く,次いでアレチノギク69.3%,「ススキ」63.4%,ハハコグサ30.9%の順であるとした(「ススキ」は3番目)。「ススキ」は原野や新開墾畑の強酸性土壌に分布する指標雑草としても知られている(堀江・根本,1990)ので,賢治の住んでいた東北が火山灰台地の酸性土壌であることを考慮すれば,それを好む「ススキ」の優占度は東北地方ではさらに高いものと思われる。

 

「ススキ」は,草丈が1~2メートルまで伸びる大型の多年生植物で,地下には短いが太い地下茎(根茎)があり繁殖力が旺盛である。根茎は,よく分岐して,そこから花茎が叢生して株を作り,根は葡匐(ほふく)して広範囲に拡がる。また,「ススキ」の葉の縁には鋭い鋸のような歯があり,手で触ると簡単に皮膚が切れてしまう。それゆえ,新たに原野を開墾する場合,あるいは耕作放棄地を復元する場合など,「ススキ」の株全体あるいは網目のようにはびこった地下茎や根を抜き取るには多大な労力が必要だったと思われる。

 

賢治が農耕地に侵入してきた「ススキ」に対して,どう思っていたかを賢治の作品群の中から直接知ることはできないが,畑の「雑草」としてよく知られた「ジシバリ」(地縛り,キク科;Ixeris stolonifera A.Gray)に対しては詩の中で自分の気持ちを吐露している。

 

賢治が『銀河鉄道の夜』の第三次稿を執筆中の頃に書かれた『春と修羅』第三集の詩「七三一〔黄いろな花もさき〕」先駆形(1926.8.20)には,「がりがり引っ掻くぢしばりの蔓/緑,紫,苹果青/川は億千の針をながす/(なにしてす/うらむごとすこしもなぃんす/たゞおまうしわげなぃばかりだんす)」とある。「ジシバリ」を「邪魔者」(=厄介者)として「あなどる」気持ちと,その直後に「申し訳ない」と後悔する感情が内面描写として表現されている。賢治は,この詩を書いた1926年の3月に,病弱な者にとっても安定した給料が得られる花巻農学校を敢えて依願退職して,同年4月より北上川の岸辺にある宮沢家の別宅(下根子桜)で独居自炊の生活と過酷な肉体労働を強いる農業を始める。農業を始めるといっても畑などがあるわけではなく,賢治は土地の開墾から始めなければならなかった。賢治と深い親交のあった森荘已池は,この時の様子を著書の中で,「北上川の岸の砂質壌土の畑は,渡船場の河原近く,みちばたにあった。教え子たちに助けてもらい,すすき野を開墾したようだった。」と述懐している(鈴木,2014)。それゆえ,上記の詩は「ススキ野」を開墾して作った畑を描いたものであろう。

 

「ジシバリ」も,「ススキ」と同様に繁殖力の強い多年生植物である。細長い茎(走出枝)が縦横に地面を這っていて,節ごとに根をおろす様子が地面を縛るように見えるのでこの名がある。茎や葉は弱々しく見え,花は黄色で愛らしいが(花弁は矢尻形),いったん畑に侵入すると,畑を耕すたびに走出枝が切断され,その一片一片が新苗となって再生し地上に現れるので,耕作者にとっては厄介な(「邪魔」な)植物でもある。また,寒冷地に多く,「畑にジシバリ,田にヒルモ」と恐れられ,「小僧泣かせ」や「小僧殺し」の別名をもつことも知られている。

 

「七三一〔黄いろな花もさき〕」という詩の発展形が『春と修羅』詩稿補遺の詩「〔西も東も〕」である。「厄介者」の「ジシバリ」に対する賢治の「こころ」の反応がより詳細に表現されている。

西も東も 

山の脚まで雲が澱んで 

野はらへ暗い蓋をした

 ………レーキは削るぢしばり,ぢしばり,ぢしばり

   川は億千の針をながす………

川上にやっと一きれ白い天末

そのこっちでは

広告に大きくこさへた

煉瓦会社の煙突が 幾日かぶりかで

黒い煙を吐いてゐる

 ………ぢしばりもいま,

   やっぱり冬にはひらうとして

緑や苹果青〔あを〕や紅,紫,

あらゆる色彩を仕度する

それをがりがり削いてとる………

もずが一むれ遡ってくる

矢羽をそらでたゝいてゐて

足ぶみをするやうなのは

岸の小松か何かの中へ

おりたいとでもいふのだらう

   (たゞ済まないと思ふばかり

   どうしてもう恨むことなどございませう)

煉瓦会社の煙突から

黒いけむりがのぼって行って

しづかに雨の雲にまぶれる

「『春と修羅』詩稿補遺〔西も東も〕 宮沢,1986」 

注(著者):レーキは柄の先に爪を多数取り付けた除草などに用いる農具

 

賢治の詩には,内面描写のための独特な記号(丸括弧,波線)の使い方がある。吉本(2012)によれば,波線の間には,内語といって言葉にはならないが「こころ」の中でそう思ったという言葉が入り,丸括弧の中には自分の注釈とか独り言みたいなものが入るという。これを詩「〔西も東も〕」に当てはめれば,最初の波線「…」の間の「レーキは削るぢしばり,ぢしばり,ぢしばり/川は億千の針をながす」は,「こんちくしょう,俺が開墾した大切な畑に入り込みやがって」という「怒り」にも近い,言葉にはならない無意識の「あなどり」の感情を「ぢしばり」を3回繰り返すことによって,また矢尻の形をした「ジシバリ」の花弁をとげとげしい「億千の針」に喩えて表現している。

 

つぎの波線の間の「ぢしばりもいま,やっぱり冬にはいらうとして/緑や苹果青や紅,紫,/あらゆる色彩を仕度する/それをがりがり削いてとる」は,「邪魔者と思っていたが,ジシバリもまた冬支度をしながら一生懸命生きている。それを私はがりがりと刈り取っている」というふうに後悔の気持ちが出始めてくる。そして,最後の丸括弧の中では,「たゞ済まないと思ふばかり/どうしてもう恨むことなどございませう」と後悔の気持ちを表す独り言になっている。

 

さらに「ジシバリ」に対する後悔の気持ちは,『詩ノート』の詩「雑草」(1927.4.5)では,「ジシバリ」を刈り取ることを「聖物毀損の罪」と捉え,ジョバンニや『祭りの晩』の亮二のように自分のできる最大限の「償い」を実際の行動で起こそうとする。この詩「雑草」には,「何といふりっぱなぢしばりだ/羽衣甘藍のやうに紫銅色で/その葉もみんな尖ってゐる/ブリキいろした牛蒡やちさで/も一つちがった図案をこゝにこさへるために/わたくしはいまこの夢のやうに縁辺をまばらに消やす/豪華なアラベスクを削ってゐる/このことに就てわたくしは/あらゆる聖物毀損の罪に当らう/その償ひにこんどこいつを/どこかのローマンテックなローンに使はう/その黄金の針金でできる皿がたの花を/そこいちめんに展げさせよう」とある。

 

「ススキ」は,いくら四季の移ろい(風情)を感じさせようと,耕耘前に畑に侵入してくれば「ジシバリ」と同様に排除すべき対象となる。「ススキ野」を開墾した経験もある賢治は,「ススキ」に「ジシバリ」以上に「邪魔者」とか「厄介者」という感情を強く持ったと思われる。しかし,それは同時に賢治にとって恥ずべき「いちばんあってはならない感受性」でもあった。賢治は「ススキ」に「あってはならない感受性」を強く感じてしまったことを「罪」と感じ,南欧が舞台の『銀河鉄道の夜』という創作物のなかで償おうとしたように思える。『銀河鉄道の夜』の「邪魔者」と感じられてしまう「鳥捕り」が登場する場面で,賢治はターナーの手法を使い,「ススキ」を天上に青白い銀河の光を浴びて銀色に光輝く美しい「ススキ原」として,あるいは鉄道敷に「芝草」や月長石ででも刻まれたような紫色の「りんだう」の花と一緒に豪華な「ススキ原」のアラベスクとして表現して見せた。

 

引用文献

阿部拓也・栗林健一・露木 寿・小笠原勝.2012.東日本における鉄道敷の雑草植生.雑草研究  57(4):159-163.

堀江秀樹・根本正之.1990.ススキの生育に対する土壌pHとアルミニウムの影響.雑草研究 35(3):292-295.

石井竹夫.2014.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場するススキと絵画的風景(前篇).人植関係学誌.14(1):43-46.

川上剛志・野田 博.1993.畑地雑草の発生生態.日本作物学会四国支部紀事.10:1-3.

宮沢賢治.1986.文庫版宮沢賢治全集10巻.筑摩書房.東京.

根本正之.2014.雑草社会がつくる日本らしい自然.築地書館.東京

鈴木 守. 2014.8.22.(調べた日付).下根子桜への道そして渡船場.http://blog.goo.ne.jp/suzukikeimori/m/201103

吉本隆明.1996.宮沢賢治.筑摩書房.東京.

吉本隆明.2012.宮沢賢治の世界.筑摩書房.東京.

 

本稿は人間・植物関係学会雑誌14巻第2号25~28頁2015年に掲載された自著報文(種別は資料・報告)を基にしたものである。原文あるいはその他の掲載された自著報文は人間・植物関係学会(JSPPR)のHPにある学会誌アーカイブスからも見ることができる。http://www.jsppr.jp/academic_journal/archives.html