宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-桔梗色の空と三角標-

Key words: 文学と植物のかかわり,薄明窮,鐘,キキョウ科,教会堂,乳液,送電鉄塔

 

童話『銀河鉄道の夜』(第四次稿)には,天上世界の空の色を「桔梗色」と表現している箇所が4つある。賢治は,物語の地上世界の景観に現れる空を「鋼青の空」と記載していたが,天上の景観に現れる空には,物語の展開に沿って「がらんとした桔梗いろの空」(八,鳥を捕る人),「きれいな桔梗いろの空」,「桔梗いろのがらんとした空」,「桔梗いろのつめたさうな天」(九,ジョバンニの切符)と「桔梗いろの空」に様々な形容語句を付けて表現している。

 

「桔梗色」とは,「キキョウ」(キキョウ科;Platycodon grandiflorus (Jacq.) A.DC.;第1図)の花のような青みを帯びた紫色のことを言う。この「桔梗色の空」は,地球上では日の出前や日没後の空が薄く光る現象(薄明;twilight)と共に現れるという。正確に言うと,水平線と水平線下の太陽の中心となす角度が18度(伏角)以内にあるときに現れるらしい(原,1999)。賢治は,空が明けて来る様子を短編『柳沢』では「深い鋼青から柔らかな桔梗,それからうるはしい天の瑠璃(るり)」,あるいは童話『まなづるとダアリヤ』では「夜があけかゝり,その桔梗色の薄明の中で」と表現した。

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第1図.キキョウの花

「鋼青」や「桔梗色」は,賢治の好きな色(宮沢,1991)と思われるが,宗教的なイメージが強い色である。賢治が書いた仏教・西域童話である『インドラの網』には,「桔梗いろの冷たい天盤には」とか「その冷たい桔梗色の底光りする空間を天が翔けているのを私はみました」という表現が出てくる。仏教では,紫色は高貴な色として扱われ,高僧が身に着ける袈裟(けさ)の色に使われたりする。また,「キキョウ」の花の形は,教会の「鐘」に似ているので英語圏では “bell flower”と呼ばれる。この物語でも,「桔梗いろの空」はキリスト教のイメージに彩られた天上世界を現す1つの手段として使われているように思われる。

 

しかし,それだけではない。キキョウ科植物の「枝を切れば白い乳液が滴り落ちる」という特徴も生かしていると思われる。一章「午後の授業」で,ジョバンニの先生が「天の川(=銀河)」を「巨(おほ)きな乳の流れ」と比喩したように,「銀河」はギリシャ神話の女神ヘラの乳が流れた「乳の河(英語のMilky Way)」とも呼ばれる。このように,賢治は物語で「十字架」や「賛美歌」など,キリスト教のイメージに彩られた天上世界の空を「桔梗いろの空」と記載したが,このキリスト教的イメージは物語の進展につれて大きく変貌する。本稿では,「桔梗いろの空」が出てくる4つの場面を前半2つと後半2つに分けて,この空の下に立つキリスト教的なイメージを持つ「三角標」の変貌ついて考察する。

 

1.前半2つの桔梗色の空

最初の「桔梗いろの空」は,八章の「鳥を捕る人」に出てくる。この場面では,天の川で鳥を捕って商売にしている〈鳥捕り〉が鳥を捕まえる方法が描かれている。

 「あすこへ行ってる。ずゐぶん奇体だねえ。きっとまた鳥をつかまえへるとこだねえ。汽車が走って行かないうちに,早く鳥がおりるといゝな。」と云った途端,がらんとした桔梗いろの空から,さっき見たやうな鷺(さぎ)が,まるで雪の降るやうに,ぎゃあぎゃあ叫びながら,いっぱいに舞ひおりて来ました。するとあの鳥捕りは,すっかり注文通りだといふやうにほくほくして,両足をかっきり六十度に開いて立って,鷺のちぢめて降りて来る黒い脚を両手で片っ端から押へて,布の袋の中に入れるのでした。すると鷺は,蛍のように,袋の中でしばらく,青くぺかぺか光ったり消えたりしてゐましたが,おしまひたうとう,みんなぼんやり白くなって,眼をつぶるのでした。ところが,つかまへられる鳥よりは,つかまへられないで無事に天の川の砂の上に降りるものの方が多かったのです。それは見てゐると,足が砂へつくや否や,まるで雪の融けるやうに,縮まって扁べったくなって,間もなく熔鉱炉から出た銅の汁のやうに,砂や砂利の上にひろがり,しばらくは鳥の形が,砂についてゐるのでしたが,それも二三度明るくなったり暗くなったりしてゐるうちに,もうすっかりまはりと同じいろになってしまふのでした。 

(八,鳥を捕る人 宮沢,1986) 下線は引用者

 

『銀河鉄道の夜』は,比喩の文学であるので,この鳥の捕まえ方にもある意味が込められているように思える。多分,宗教に救いを求めた信者たちの厳粛な「祈り」の様子が描かれている。〈鳥捕り〉が「両足をかっきり六十度に開く」様子は,「正三角形」の形になるので,物語にたびたび登場する「三角標」を連想させ,前報で報告したようにゴシック様式の「教会堂」の「鐘楼(尖塔)」をイメージできる(石井,2014)。

 

〈鳥捕り〉が持っている袋を「礼拝堂」,鷺を「信者」,そして眼をつぶる動作を「祈り」とすれば,〈鳥捕り(=教会堂)〉が鳥を捕まえる様子は,キリスト教の「信者」が「桔梗いろの空」の下で礼拝の時間を知らせる「鐘の音」を聞いて「礼拝堂」に集まり,その中で神に祈る様子になぞらえられる。また,〈鳥捕り〉によって捕まえられずに地面に無事に着地した鳥たちが,「熔鉱炉から出た銅の汁のやうに,砂や砂利の上に」広がり,ついには消えてしまう様子は,茶色の袈裟を着た仏教の僧侶や地面にひれ伏すイスラム教徒(回々教徒)の「祈り」の姿になぞらえられる。 

 

また,「桔梗いろの空」に「がらんとした」と形容詞が付くが,この「がらん」は,仏教用語の「伽藍」を連想させる。「伽藍」は僧侶が集まり修行する場所のことで,サンスクリト語のsaMghaaraamaの音写で,「僧伽藍摩(そうぎゃらんま)」の「僧伽藍」が略されて「伽藍」となったと言われているものである(Wikipedia)。すなわち,神聖な「桔梗いろの空」という意味であろう。また,鳥の「ぎゃあぎゃあ」と叫ぶ声は,経典「般若心経」末尾の呪文の一部である「「羯諦(ぎゃーてー) 羯諦(ぎゃーてー) 波羅羯諦(はーらーぎゃーてー)」を借用したものかもしれない。

 

次に,「桔梗いろの空」が出てくる場面は,たくさんの青白い霧のように見える「三角標」と「狼煙(のろし)」のようなものが上がる美しい風景描写の中である。この場面は,海霧の中で氷山と衝突し沈没したタイタニック号の乗客と思われる人たちが列車に乗り込んでくる直後の風景である。よって,この美しい風景描写は,ニューファンドランド島付近が想定されている。

 ごとごとごとごと汽車はきらびやかな燐光の川の岸を進みました。向ふの方の窓を見ると,野原はまるで幻燈のやうでした。百も千もの大小さまざまの三角標,その大きなものの上には赤い点点をうった測量旗も見え,野原のはてはそれらがいちめん,たくさんたくさん集ってぼおっと青白い霧のやう,そこからかまたはもっと向ふからかときどきさまざまの形のぼんやりした狼煙のやうなものが,かはるがはるきれいな桔梗いろのそらにうちあげられるのでした。じつにそのすきとほった綺麗な風は,ばらの匂いでいっぱいでした。 

(九.ジョバンニの切符 宮沢,1986) 下線は引用者

 

賢治は,『銀河鉄道の夜』(初稿;1924)を書き始めた頃に童話『ビヂタリアン大祭』を執筆している。この物語の舞台は,カナダの最東端のニューファンドランド島で世界一霧が多いとされるセントジョンズ(St.John’s)のトリニティー湾に近い村が想定されている。内容は,菜食主義者(あるいは菜食信者)の「祭り」(国際会議)において,肉食を支持する者と反対する者たちの論争についての主人公〈私〉の報告書である。

 

参加者は,日本の代表で仏教徒の〈私〉と,トルコ人(多分イスラム教徒),中国人(儒教者あるいは仏教徒)および米国・欧州のそれぞれの代表(キリスト教徒)が集まっている。インドの聖者(ヒンズー教)の食に対する話も物語の中で語られていて国際色(あるいは宗教色)豊かな学会である。

 

ここで注目すべきところは,「祭り」の会場がトルコ人たちの集まる教会(イスラム教寺院のモスク)の広庭にある天幕の中であること,祭司長がトルコ人たちの教派の長老であること,そして教会の近くから学会の開催を知らせる「狼煙(=中国式の仕掛け花火)」が打ち上げられることである。

 

上記引用文で「百も千もの大小さまざまの三角標,その大きなものの上には赤い点点をうった測量旗も見え」とあるのは,宗教的な色彩の強い寺院を象徴する「三角標」が,キリスト教の「教会堂」だけでなく,イスラム教の「モスク」も含まれると言っているのかもしれない。ちなみに,「赤い点点をうった測量旗」とは国土地理院が使用した上下に赤と白に二分された測量旗に類似した(?)トルコの「国旗(あるいは国章)」であろうか。トルコの国旗はイスラム教のシンボルマークである「星」と「三日月」が赤地に白で描かれる(国章はその逆で白地に赤字)。また,引用文の「狼煙」は,聖ヨハネの前夜祭(St.John’s Eve;火祭り)を真似て,「ケンタウルス祭」前夜の「仕掛け花火」であろうか。

 

2.後半2つの「桔梗色の空」

3番目の「桔梗いろの空」は,何万という小さな鳥たちが「美しい美しい桔梗いろのがらんとした空の下」を通るという表現で出てくる。銀河鉄道の列車は,この時コネチカット州とコロラド高原の中間地点を通過していると思われる。賢治は,アメリカ大陸の中央で世界有数の渡り鳥の飛行ルートの一つとして知られているミシシッピー川とミズーリ川の合流点辺り(セントルイス?)を思い浮かべ物語を書いていたのかもしれない。

 川は二つにわかれました。そのまっくらな島のまん中に高い高いやぐらが一つ組まれてその上に一人の寛(ゆる)い服を着て赤い帽子をかぶった男が立ってゐました。そして両手に赤と青の旗をもってそらを見上げて信号してゐるのでした。ジョバンニが見ている間その人はしきりに赤い旗をふってゐましたが俄かに赤旗をおろしてうしろにかくすやうにし青い旗を高く高くあげてまるでオーケストラの指揮者のやうに烈しく振りました。すると空中にざあっと雨のような音がして何かまっくらなものがいくかたまりもいくかたまりも鉄砲玉のやうに川の向うの方へ飛んで行くのでした。ジョバンニは思わず窓からからだを半分出してそっちを見あげました。美しい美しい桔梗いろのがらんとした空の下を実に何万といふ小さな鳥どもが幾組も幾組もめいめいせはしくせはしく鳴いて通って行くのでした。

(九.ジョバンニの切符 宮沢,1986) 下線は引用者

 

この引用文では,「美しい美しい桔梗いろのがらんとした空の下」の高い「櫓(やぐら)」の上で,「信号手」が青い旗を振りながら「いまこそわたれわたり鳥,いまこそわたれわたり鳥」と叫んで渡り鳥の群れを誘導している。とてもファンタスチックな場面である。この「桔梗いろの空」の下にある「三角標」のような「櫓」にも,宗教的な意味合いを持たせることができるのだろうか。

 

宗教と科学を融合させた童話『グスコーブドリの伝記』(1931)には,興味深い2つの「櫓」が登場する。1つは,火山島の海岸沿いの潮汐発電所からの電力を送電する「送電鉄塔」で「白く塗られた鉄の櫓」と表現されているものである。もう1つは,学校の中に飾られている模型の「櫓」である。

 

後者の「櫓」は,とても奇妙なものである。スピルバーク制作総指揮の映画『トランスフォーマー』(2007)に登場する「金属生命体(Transformers)」(質量を変えずに様々な姿に変身できる)のようなもので,「櫓」の前の「取っ手(ハンドル)」を回すと「櫓」が「船」のような形になったり「むかで」のような形になったりする。これは,有機化学で扱う分子の立体配座(conformation)の概念をヒントにしたのかもしれない。例えば,シクロヘキサン(C6H12)には,分子式と分子量は変わらないのに構造的には「船型」と「いす型」(ムカデのようにも見える)の2つの立体配座が存在する。

 

3番目の「桔梗いろの空」の下の「櫓」と「信号手」は,実際に鉄の「櫓」の上に「信号機」を付けた路線脇の巨大な「腕木式信号機」のイメージと『グスコーブドリの伝記』に登場する様々な形に変わる「櫓」の模型のイメージを融合して創作されたものかもしれない。この「櫓」も「三角標」の1つだとすれば(三角測量の三角点にはならないと思われるが),物語に頻繁に出てくる「三角標」のイメージは,「教会堂」の「鐘楼(尖塔)」から「信号機」の付いた鉄の「櫓」に変貌したことになる

 

すなわち,賢治は頭の中の「取っ手」を回し,3番目の「桔梗いろの空」が出てくる場面で,宗教色の強い「教会堂」の「鐘楼」をイメージできる「三角標」を近代科学が象徴する鉄の「櫓」をイメージできる「三角標」に変身させた。セントルイスは,商工業都市(自動車,飛行機,化学薬品などの工場が濫立)であり,物資輸送の鉄道網が整備されているので,「櫓」を巨大な「信号機」とみなしてもおかしくない。

 

賢治が『銀河鉄道の夜』を執筆していた1920年代のアメリカは,「黄金の20年代」と呼ばれ,自家用車やラジオ,電話,洗濯機,冷蔵庫などの家電製品が普及し,大衆の生活が大量生産と大量消費の時代に突入していた(Wikipedia)。引用文の中の「がらんとした空」は,1番目の「がらんとした桔梗いろの空」の「がらん(伽藍)」の意味ではなく,信仰心を失い「教会堂」へ行かなくなった,科学を拠り所にして「機械文明」の中に生きている人たちの「空虚(からっぽ)」な様子が比喩されているのかもしれない。

 

また,その「空の下を実に何万といふ小さな鳥どもが幾組も幾組もめいめいせはしくせはしく鳴いて通って行くのでした」とあるのは,「がらん」とした「教会堂」のそばを,宗教の代わりに科学を信仰するようになった人たちが「機械」に使われ,あくせくと時間に追われる様子を比喩したものとも考えられる。1936年のチャップリン(C.S.Chaplin;1889~1977)の資本主義社会と機械文明を痛烈に風刺した映画『モダン・タイムス』が彷彿とされる。

 

また,「川は二つにわかれ」の「二つ」は,「善」と「悪」あるいは「真」と「偽」を表しているのかもしれない。「まっくらなもののかたまり」を教派の信者たち(キリスト教では「群れ」と呼ぶ)とすれば,教派の信者たちは自分を見失い,「善」と「悪」あるいは「真」と「偽」の判断を教派の指導者に委ね(あるいは判断をお金で買う),その判断に沿って集団で行動している。これは,『農民芸術概論綱要』(1926年頃)の「宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷たく暗い/芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した/いま宗教家芸術家とは真善若くは美を独占し販るものである」に対応する。

 

最後に登場する「桔梗いろの空」は,物語の最大の山場である「蝎の火」の逸話が語られる場面であり,「桔梗いろのつめたさうな天」という表現で登場する。ここに登場する「三角標」のイメージは,前報で報告したように三角測量にも使われることのある冷たい鉄でできた「送電鉄塔」である(石井,2015)。

 川の向ふ岸が俄(には)かに赤くなりました。楊(やなぎ)の木や何かもまっ黒にすかし出され見えない天の川の波もときどきちらちら針のやうに赤く光りました。まったく向ふ岸の野原に大きなまっ赤な火が燃されその黒いけむりは高く桔梗いろのつめたさうな天をも焦がしさうでした。ルビーよりも赤くすきとほりリチウムよりもうつくしく酔ったやうになってその火は燃えてゐるのでした。

 「あれは何の火だらう。あんな赤く光る火は何を燃やせばできるんだらう。」

 ジョバンニが云ひました。

 「蝎の火だな。」カムパネルラが又地図と首っ引きして答へました。

          (中略)

 ジョバンニはまったくその大きな火の向ふに三つの三角標がちゃうどさそりの腕のやうにこっちに五つの三角標がさそりの尾やかぎのやうにならんでゐるのを見ました。       (九.ジョバンニの切符 宮沢,1986) 下線は引用者

 

文学とキリスト教に造詣の深い佐藤泰正(2000)は,賢治が物語で「十字架」や「賛美歌」など,キリスト教のイメージに彩られた天上世界を「高く桔梗色のつめたさうな天」と呼び,「蝎の火」がこれを黒々と焦がしつつ燃え続けていると表現したことに関して,これは賢治のキリスト教を含めた既成宗教(仏教の宗派,キリスト教とイスラム教の教派)への異和あるいは批判の激しい表現であるとした。しかし,賢治が批判しているのは宗教だけではない。科学に対しても異議を唱えている。

 

賢治の『農民芸術概論綱要』は,戦前戦中のジャーナリストの室伏高信の『文明の没落』(1923)やその続編の『文明の没落・第2(土に還る)』(1924)に強く影響を受けている(上田,1988)。

 

『文明の没落』には,「神の代わりに試験管が,教会の代わりに工場が置き換えられてきた(p13)」,「宗教が科学によって,信仰が智によって代へられただけではない。教育も芸術も,あらゆる文明の形態は一様に巨大なメキャニズムの一作用にまで堕ちてしまってゐるのである。(p39)」「宗教的精神の旺盛と,ゴシック芸術の歴然たる光を見ることのできた中世紀は,この意味において正に文化の時代であったのである。(p174)」「近代科学は,一歩々々宗教的表現を征服し,近代的精神の機制をもって,中世紀的霊性の王国を,この地上から駆逐したのである。(p176)」「科学は心をもたない。冷たい知識の網である。(p177)」(括弧内はページ,下線は引用者)などの記載が続く。

 

また,その続編である『文明の没落・第2(土に還る)』には,「基督教(きりすときょう)は,今日はイエスのそれではない。お弟子の基督教である。お弟子によって翻訳され,誤訳され,改作され,精神が盗奪されて骸骨が残った。イエスは上昇である。教会は堕落である。力なき牧師の蒼ざめた顔を見よ。(p47)」「パウロとヨハネを見るように,人々は大学教授を見る。懐疑(かいぎ)は今日では神への懐疑である。科学は新しき神である。科学は疑ふべからざる威厳(いげん)である。科学は,懐疑から生まれた。そして信仰となったのである。(p53)」(括弧内はページ,下線は引用者)とある。

 

『文明の没落』にある「教会の代わりに工場」の「教会」をキリスト教寺院の「教会堂」の「鐘楼(尖塔)」やイスラム教寺院の「モスク」に付随する「ミナレット(尖塔)」とし,「工場」を「工場」に付随する「煙突」,「信号機」,電力を供給する「送電鉄塔」に置き換えれば,これらは賢治がイメージした「桔梗いろのつめたさうな天」の下の様々に形を変えていく「三角標」になる。すなわち,「三角標」とは信仰の対象物の象徴でもある。また,「科学は心もたない。冷たい知識の網である」という室伏高信の言葉は科学を志している者にとっては手厳しい。 

 

引用文献

原 子朗.1999.新宮沢賢治語彙辞典.東京書籍.東京.

石井竹夫.2014.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する光り輝くススキと絵画的風景(後編).人植関係学誌.14(1):45-50. Shimafukurou.2021.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-光り輝くススキと絵画的風景(2)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/27/123334

石井竹夫.2015.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する楊と炎の風景(前篇).人植関係学誌.14(2):15-18. Shimafukurou.2021.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-楊と炎の風景(1)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/29/185712

佐藤泰正.2000.賢治とキリスト教-『銀河鉄道の夜』再読-.国文学解釈と鑑賞65(2):20-26.

上田 哲. 1988.宮沢賢治 その理想社会への道程 改訂版.明治書院.東京.

宮沢清六.1991.兄のトランク.筑摩書房.東京.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

室伏高信.1923. 文明の没落.批評社.東京.

室伏高信.1924. 文明の没落・第2(土に還る).批評社.東京.

 

本稿は人間・植物関係学会雑誌15巻第1号39~42頁2015年に掲載された自著報文(種別は資料・報告)を基にしたものである。原文あるいはその他の掲載された自著報文は人間・植物関係学会(JSPPR)のHPにある学会誌アーカイブスからも見ることができる。http://www.jsppr.jp/academic_journal/archives.html