宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-アスパラガスとジョバンニの家(2)-

Key words: 文学と植物のかかわり,ゴシック廻廊,火輪,教会堂,楢,三角標,積雲,天気輪の柱

 

前稿では,ジョバンニの家の前に植えられてある「アスパラガス」と「ケール」が,仏教だけでなくあらゆる宗教の宗派や教派の「死後の世界」を統一する「五輪塔」をイメージできると報告した。しかし,賢治にとって,全ての宗教の「死後の世界」や「理念」を統一しても「ほんたうの幸せ」が得られるとは思っていないようだ。科学者でもある賢治は,宗教に科学を取り込もうとした。本稿では,「五輪塔」の背後にある仏教理念が科学的にも解釈可能であることと,別の言葉で言えば賢治が宗教と科学を一致させる実験的試みがなされたことについて説明する。

 

1.「五輪」の科学的解釈

仏教では,前稿で報告したように「銀河宇宙」の「ほんたう(=真理)」を象徴する「仏」がいる。真言密教の教主であり,「地・水・火・風・空」から成る宇宙の「真理」そのものとされる「仏=大日如来」である。賢治は,この「大日如来」の「実体」である「地・水・火・風・空」に対して,当時の最先端の「物理学」の用語を使って科学的な解釈を行っている(あるいは宗教と科学の一致)。例えば,『春と修羅』の中の詩「五輪峠」(下原稿1924.3.24)には,「五輪」は「地水火風空/空といふのは総括だとさ/まあ真空でいゝだらう/火はエネルギー/地はまあ固体元素/水は液態元素/風は気態元素と考へるかな/世界もわれわれもこれだといふのさ/心といふのもこれだといふ/いまだって変わらないさな」 と説明されている。

 

これは,まさに宗教言語を当時最先端の科学用語を使って解釈しているものである。物理的空間としての「真空」,「物質」としての「個体元素」,「液体元素」,「気体元素」そして「エネルギー」は,物理学における重要な科学用語である。ただし,賢治の言う「真空」は,現在,我々が認識している何もない空間ではなく,波動を伝える「光」の媒質である「光素(エーテル)」が充満している空間である。「エネルギー」と「物質」の間の関係は,第三次稿に登場するブルカニロ博士の言葉に借りれば,「ひかりといふものは,ひとつのエネルギーだよ。お菓子や三角標も,みんないろいろに組みあげられてできてゐる。だから規則さへさうならば,ひかりがお菓子になることもあるのだ。」ということになっている。

 

これは,アインシュタイン(A.Einstein;1879-1955)の特殊相対理論の中のエネルギー(E)=質量(m)x 光速度(c)2乗の式(エネルギーと物質の質量は等価)の影響を受けている。現実空間で,粒子と波動の二面性を持つ「光」が「物質」に変化することはないが,賢治が描いた幻想第四次空間(夢の中)では,「エネルギー」でもある「光」は「物質」に変化する。しかし,現実世界でも「エネルギー」を使って「物質」である「個体元素」,「液体元素」,「気体元素」を組み合わせて「物」(道具や建造物)を作ることはできる。例えば,賢治が訪れた王子製紙苫小牧工場や隣接するカーバイド工場では,水力発電所から取り出した「電気エネルギー」を使って紙(パルプ)や窒素肥料を作っていた。

 

賢治は,物理学者では,アインシュタイン以外に「電子」を発見したジョセフ・ジョン・トムソン(J.J.Thomson;1856-1940)の影響も強く受けたと言われている(大塚,1993)。トムソンは,「物質」の最小単位とされていた「元素」は,分割可能であり,「元素」は「原子」の中にちりばめられている「電子」からなるとした(「ブドウパンモデル」と呼ばれた原子模型を考案)。

 

すなわち,「物質」の最小単位は,「電気エネルギー」にも関係する「電子」から成るとした。これは,大塚常樹(1993)が指摘しているように,賢治にとっては「人間を含めた宇宙の総てが電子というエネルギー単位によって1つに統一された」ことを意味していた。何になるかは仏教に依るところの「因果」によるとして,「わたくしといふ現象」も「因果交流電燈のひとつの青い照明」とした(『春と修羅』の序文)。

 

このように,賢治は,トムソンの影響を受け「五輪」のなかで,特に「火輪(=エネルギー)」を重視した。宗教的には,「火」は『法華経』の「薬王菩薩本事品」における「焼身自己犠牲」を,また科学的には,高度科学技術で支えられている現代文明の根幹をなす主要なエネルギー源の「電気エネルギー」をイメージさせる。宗教における「焼身自己犠牲」と科学の一致は,童話『グスコーブドリの伝記』(1931)で「実践」されている。

 

この物語には冷害に苦しむ農民を救済するため,「潮汐発電所」から得られた「電気エネルギー」を使い石炭を連想させるカルボナード火山を人工的に「まっ赤」に爆発させて,炭酸ガスを噴かせ地球の温暖化を計るという話が記載されている。この物語では,主人公(ブドリ)は最終工程の仕事をするため自発的に火山島に残り,爆発する火山島と運命を共にする(「焼身自己犠牲」)。地球温暖化によって冷害に苦しむ農民に「ほんたうの幸せ」がもたらされたかどうかは地球全体で考えないと判断できないが,理念としての宗教と科学の一致には成功している。

 

童話『グスコーブドリの伝記』が宗教と科学の一致における実践編なら,『銀河鉄道の夜』はその理論編である。この物語には宗教と科学の両方のイメージを重ねた「火輪」が繰り返し登場してくる。

 

「火輪」として最初に登場するのは,前稿で報告したように,旅の出発点である主人公ジョバンニの家の前に植えられていた「アスパラガス」である。「アスパラガス」は,「地・水・火・風・空」を意味する「ラ・カ・キャ」を「音」からイメージでき,その「三角形」の葉は「地・水・火・風・空」の「火」に相当する。

 

1.時計屋の「アスパラガスの葉」で飾られた「星座早見」は「五輪塔」の暗喩

次に「火輪」をイメージできるのは,「黒い丘」へ向かう途中の時計屋に置いてある「円(まる)い黒い星座早見」を飾る「青いアスパラガスの葉」である。「星座早見」の形を,賢治が当時使っていたとされる平山信(監修)・日本天文学会(編)/三省堂(発行)の星座早見(明治40年第一版発行)から類推してみる。この星座早見盤は,丸い星座盤(径26㎝)とこれを挟む2枚の台紙からなる三重構造になっていて,表側の台紙は四つの四角い突起を残して円形にかたどられ,中央下部に楕円形の星座を見るための窓が設けられている。

 

「青いアスパラガスの葉」とは,前稿(石井,2013)で報告したように食用の「アスパラガス」の若芽に付いている「三角形」の「ほんたうの葉」のことである(第1図A)。物語に登場する「星座早見」もこれと同様と仮定して,この星座の上に「アスパラガス」の「三角形」をした葉を飾れば,「五輪」の中の「四角(=地輪)」,「丸(=水輪)」,「三角(=火輪)」が揃うことになる。形としての「半月(=風輪)」と「団形(=空輪)」はないが,その代わり「星座早見」の色としての「黒(=風輪)」とアスパラガスの色である「青(=空輪)」が加わるので不完全ながら「五輪」が完成する。 

 

すなわち,時計屋の「青いアスパラガスの葉」で飾られた「円い黒い星座早見」は,「天文学」(科学))の教具であるとともに,「銀河宇宙」を示す「五輪塔」(宗教)の暗喩である(第1図B)。真っ黒な「星座早見」の上に青い「三角形」の「ほんたう」の葉が浮き上がって見えたはずだ。

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第1図.アスパラガス(A)と青いアスパラガスの葉で飾られた黒くて丸い星座早見(B).Bの青(緑)い三角形のアスパラガスの葉と黒くて丸と四角から成る星座早見は五輪塔をイメージできる. 

 

2.黒い丘の「天気輪の柱」は自然が生み出した巨大な積乱雲の「五輪塔」

次に,「五輪塔」の「火輪」は「黒い丘」の空中に立つ「天気輪の柱」となって再び登場する。ジョバンニが時計屋の「アスパラガスの葉」で飾られた「星座早見」を見たあとに牧場を通って「黒い丘」へと向かう。

 牧場のうしろはゆるい丘になって,その黒い平らな頂上は,北の大熊星の下に,ぼんやりふだんよりも低く連なって見えました。

 ジョバンニは,もう露の降りかかった小さな林のこみちを,どんどんのぼって行きました。まっくらな草や,いろいろな形に見えるやぶのしげみの間を,その小さなみちが,一すじ白く星あかりに照らしだされてあったのです。草の中には,ぴかぴか青びかりを出す小さな虫もゐて,ある葉は青くすかし出され,ジョバンニは,さっきみんなの持って行った烏瓜のあかりのやうだとも思ひました。

 そのまっ黒な,松や楢の林を越えると,俄かにがらんと空がひらけて,天の川がしらしらと南から北に亙ってゐるのが見え,また頂きの,天気輪の柱も見分けられるのでした。つりがねさうか野ぎくかの花が,そこらいちめんに,夢の中からでも薫りだしたといふやうに咲き,鳥が一疋,丘の上を鳴き続けながら通って行きました。

 ジョバンニは,頂の天気輪の柱の下に来て,どかどかするからだを,つめたい草に投げました。  (五,天気輪の柱)宮沢,1986 下線は引用者 

 

「天気輪の柱」は,賢治の造語で,この物語以外には『文語詩稿一百篇』の「病技師〔二〕」に,「あえぎてくれば丘のひら,地平をのぞむ天気輪,白き手巾を草にして,をとめらみたりまどゐしき。」(病気の身であえぎながら丘の頂に登ってきたら,天気輪の柱が地平を望んで立っている。白い手拭を草に敷いて乙女が三人集まっていた)という詩句の中に出てくる。この詩の情景は,『銀河鉄道に夜』の「黒い丘」の「頂の天気輪の柱の下に来て,どかどかするからだを,つめたい草に投げました」という情景と類似している。

 

「天気輪の柱」とはどんな柱なのであろうか。この文語詩の下書稿では,「天気輪の柱」ではなく「五輪塔」と表現されているので,「五輪塔」をイメージしていることは確かである。しかし,これは供養塔や墓塔としての小さな石造の「五輪塔」のことではない。これは,すでに斎藤文一(1991)が指摘しているように,「いたゞき八千尺(約2400m)」にも及ぶ自然が生み出した巨大な「円錐」(断面は三角)の形をした「積雲」のことと思われる。賢治は,巨大な「積雲(=積乱雲)」を,仏教的なイメージに繋がる「五輪塔」あるいは科学用語とも思える「天気輪の柱」と表現して宗教と科学を合致させようとした。『春と修羅 第二集』「十九 晴天恣意」(1924.3.25)には,巨大な「積雲」を「五輪塔」の「火輪」と呼ぶ科学的根拠が記載されている。

つめたくうららかな蒼穹のはて

五輪峠の上のあたりに

白く巨きな仏頂状が立ちますと

数字につかれたわたくしの眼は

ひとたびそれを異の空間の

高貴な塔とも愕きますが

畢竟あれは水と空気の散乱系

冬には希な高くまばゆい積雲です

とは云へそれは再考すれば

やはり同じい大塔婆 いたゞき八千尺にも充ちる光厳浄の構成です

あの天末の青らむま下

きらゝに氷と雪とを鎧ひ

樹や石塚の数をもち

石灰,粘板,砂岩の層と,

花崗斑糲,蛇紋の諸岩,

堅く結んだ準平原は,

まこと地輪の外ならず,

水風輪は云はずもあれ,

白くまばゆい光と熱,

電,磁,その他の勢力は

アレニウスをば俟たずして

たれか火輪をうたがはん

もし空輪を云ふべくば

これら総じて真空の

その顕現を超えませぬ

斯くてひとたびこの構成は

五輪の塔と称すべく

(「白く巨きな仏頂状」は下書稿では「白く巨きな仏頂体の円錐体」とある)

  『春と修羅第二集』「十九 晴天恣意」宮沢,1986 下線は引用者

 

賢治は,水沢臨時緯度観測所から種山ヶ原を望んだとき,その「五輪峠」の上に「白く巨きな仏頂状」と表現する「円錐」の形をした「積乱雲(=雷雲)」を見ることになる。そして,準平原たる種山ヶ原を「個体元素」から成る「地輪」に,五輪峠の上に立つ「積乱雲」を「水(液体元素)」と「空気(気体元素)」の二層系からなる「水風輪」に,「積乱雲」の中で発生する「雷」を「火輪」に,そして「積乱雲」のさらに上の「真空」の空を「空輪」になぞらえた(第2図A)。

 

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第2図.黒い丘に立つ天気輪の柱(A)と三角標(B).

「積乱雲」は,何らかの原因で発生した上昇気流によって「積雲」から成長したもので,塔あるいは山のように立ち,雲頂が成層圏下部にまで達する巨大な雲である。賢治は,この「空気と水の二相系」から成る「巨きな仏頂体」の形をした「積雲」を「五輪塔」に例えて「天気輪の柱」と呼んだ。すなわち,ジョバンニがみた「天気輪の柱」は巨大な「積雲」である。賢治が「五輪塔」と呼ばなかったのは,物語の底辺を流れる宗教理念が仏教理念を超えてしまっているからであろう。

 

3.「天気輪の柱」は入眠時に見た幻影の中で巨大なゴシック様式の教会堂(=三角標)に変貌する

次に,ジョバンニは,「黒い丘」の草の上に寝転んでいたとき,巨大な「五輪塔」を意味する「天気輪の柱(=雷雲)」の下で眠くなってしまう。このとき「五輪塔」の「火輪」に相当する「雷雲」は,「電気エネルギー」を放出する「雷」のように,「ぺかぺか消えたりともったり」しているときに「三角標」に変貌する(第2図B)。

 そしてジョバンニはすぐうしろの天気輪の柱がいつかぼんやりした三角標のかたちになって,しばらく蛍のやうに,ぺかぺか消えたりともったりしてゐるのを見ました。それはだんだんはっきりして,たうとうりんとうごかないやうになり,濃い鋼青のそらの野原にたちました。いま新しい灼いたばかりの青い鋼の板のやうな,そらの野原に,まっすぐにすきっと立ったのです。

 するとどこかで,ふしぎな声が,銀河ステーション,銀河ステーションと云ふ声がしたと思ふといきなり眼の前が,ぱっと明るくなって,まるで億万の蛍烏賊(ほたるいか)の火を一ぺんに化石させて,そら中に沈めたといふ工合,またダイアモンド会社で,ねだんがやすくならないために,わざと穫れないふりをして,かくして置いた金剛石を,誰かがいきなりひっくりかへして,ばら撒いたといふ風に,眼の前がさあっと明るくなって,ジョバンニは,思はず何べんも眼を擦ってしまひました。

 気がついてみると,さっきから,ごとごとごとごと,ジョバンニの乗ってゐる小さな列車が走りつづけてゐたのでした。ほんたうにジョバンニは,夜の軽便鉄道の,小さな黄いろの電燈のならんだ車室に,窓から外を見ながら座ってゐたのです。                 (六,銀河ステーション)宮沢,1986 下線は引用者 

 

ジョバンニが眠りに入りかけたときに,「雷雲」の中に見た幻影としての「三角標」とは何であろうか。これは,すでに報告しているように「ゴシック様式」の「教会堂」の「三角」の形をした「尖塔」であろう(石井,2014)。これは,「黒い丘」を登るときの「いろいろな形に見えるやぶのしげみ」という意味ありげな記述,小道を覆う「楢の林」,そして「青くすかしだされた葉」からも予見できる。なぜなら,この「楢の林」や「青くすかしだされた葉」が賢治に,高くそびえる「尖塔」や「アーチ」を特徴とする「ゴシック」(ヨーロッパに先住した「ゲルマン人」の祖先にあたるゴート人風の意味)の教会堂の樹林のような外形と柱の多い内部および「ステンドグラスの窓」をイメージさせるからである。

 

「ゴシック様式」の「教会堂」は,キリスト教が「ゲルマン人」をキリスト教に改宗させるために「樹木崇拝」をする「ゲルマン人」の「心」の故郷である「森」をイメージして考案されたとされる(植田,1994)。ここで登場する「楢」は,落葉広葉樹の「ヨーロッパナラ(Quercus robur L.)」のことで,「オーク;oak」とも呼び巨木になることが知られ,高さが40mに達するものもあるという(ドイツの国花)。「ドイツトウヒ」と共にドイツの暗い「森」のイメージを重ねている。

 

『銀河鉄道の夜』第一次稿と同じ時期に書かれた『春と修羅 第二集』の中のたくさんの下書稿を持つ「一七九 〔北いっぱいの星ぞらに〕」(1924.8.17)には,「楢の木立の白いゴシック廻廊(かいろう)や/降るやうな虫の聖歌を/みちはひとすじほそぼそとして/巨きな黒の椈林」,あるいは「まばらな楢の尖塔や/降るやうな虫のすだきを/路はひとすじしらしらとして/原始の暗い椈林」(下線は引用者)と「ゴシック様式」の「教会堂」をイメージさせる「楢の林」が形容語句を変えながら繰り返し登場してくる。

 

賢治は,『銀河鉄道の夜』の六章「銀河ステーション」を書き進めたとき,「天気輪の柱」あるいは「三角標」と記載するのと同時に脳裏には「教会堂」の「尖塔」や「ステンドグラスの窓」が思い浮かんだと思われる。あるいは,逆に「教会堂」をイメージして「三角標」と記載したのかもしれない。

 

「黒い丘」の上の「空の野原」に突如出現する「三角標」は,「天上世界」へ上る「門」や「階段」に相当するので,キリスト教的には松田司朗(1987)が指摘しているように『旧約聖書』(創世記28章第11〜18節)の「ヤコブが夢の中で見た天から地に向けられた梯子」を暗喩していると思われる。しかし,仏教的には斎藤文一(1991)が指摘しているように,『法華経』の「見宝塔品第十一」に登場する「多宝如来」の塔の出現を暗喩としていると思われる。

 

さらに,「黒い丘」で見た「三角標」は,「天上世界」では「星(=光)」の代わりとして登場してくる。賢治が主張する不完全な幻想第四次空間(夢の中)では,「光」は「物質」になることができる。あるいはそういう「きまり」になっている。それゆえ,天井で最初に登場する「三角標」は「黒い丘」で見たのと同じ「物質」でできた「ゴシック様式」の「教会堂」の「尖塔」と思われる(石井,2014;第3図)。

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第3図.天の野原に立つたくさんの教会堂の尖塔をイメージできる三角標.

「三角標」は,「五輪塔」に由来しているので「信仰」の対象物でもある。だから,物語が過去から現在へ進行するにつれ,その姿形は「信仰」が中心だった時代の「教会堂」から,科学の「火」を象徴する「発電所」の「電気エネルギー」を送電する「四角錐」の「送電鉄塔」へと変貌する(石井,2015)。

 

引用文献

石井竹夫.2013.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する星座早見を飾るアスパラガスの葉(後編).人植関係学誌.13(1):31-34. Shimafukurou.2021.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-星座早見を飾るアスパラガスの葉(2).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/24/094203

石井竹夫.2014.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する光輝くススキと絵画的風景(後編).人植関係学誌.14(1):47-50. Shimafukurou.2021.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-光り輝くススキと絵画的風景(2).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/27/123334

石井竹夫.2015.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する桔梗色の空と三角標.人植関係学誌.15(1):39-42. Shimafukurou.2021.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-桔梗色の空と三角標.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/07/01/093637

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

松田司朗. 1987. 宮沢賢治の童話論 深層の原風景.国土社.東京.

大塚常樹.1993. 宮沢賢治-心象の宇宙論.朝文社.東京.

斎藤文一.1991. 宮澤賢治-四次元論の展開.国文社.東京.

植田重雄.1994. ヨーロッパの心-ゲルマンの民族とキリスト教.丸善.東京.

 

本稿は,人間・植物関係学会雑誌15巻第2号23~26頁2016年に掲載された自著報文(種別は資料・報告)を基にしたものである。原文あるいはその他の掲載された自著報文は,人間・植物関係学会(JSPPR)のHPにある学会誌アーカイブスからも見ることができる。http://www.jsppr.jp/academic_journal/archives.html