宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-幻の匂い(1)-

Key words:文学と植物のかかわり, 苹果,野茨,ばら,共感覚,幻嗅

 

「匂い」が快感や不快感を誘起したり, 食欲増進やリフレッシュ効果(リラックス効果)をもたらしたりすることはよく知られている。これら「匂い」や「香り」の特質から,「匂い」は教育,産業及び医療などさまざまな分野で注目されるようになった。しかし,米国での調査によると,65歳以下の人では1%と少ないが,65歳以上では50%以上の人が何らかの嗅覚障害を有することが報告されている(坪田,2005)。

 

嗅覚障害には,「匂い」を全く感じない嗅覚脱失,「匂い」の感じ方が正常よりも弱い嗅覚減退,「匂い」の感じ方が正常よりも強い嗅覚過敏,及び匂い物質が存在しないにもかかわらず「匂い」を感じる嗅覚幻覚(幻嗅)などが知られている(坪田,2005)。嗅覚過敏は,妊娠時に見られることがある。また,神経症・ヒステリー,統合失調症,薬物中毒などの心因性・精神障害で,嗅覚過敏や幻嗅などの症状が引き起こされることも知られている(洲崎,1995)。

 

1.銀河はバラの匂いがする

賢治の作品の中には,「匂い」(特に植物の匂い)に関する記載が多い。 その中には嗅覚障害を疑わせる記載も少なくない(板谷,1990,1999,2000)。童話『銀河鉄道の夜』において,存在するはずのない「苹果(りんご)」や「野茨」の「匂い」がしてくる場面がある。

 

最初に断わっておくが,『銀河鉄道の夜』は主人公のジョバンニが黒い丘で入眠し,夢の中で銀河を旅する物語である。だから,夢の中の登場人物の感じる感覚に対して,正覚か幻覚かを論じるのは矛盾のようにも思えるかもしれない。しかし,ここでは夢の中の世界を現実に起こっている出来事と仮定して話を進めたい。『銀河鉄道の夜』は,大正13年(1924)頃に第一次稿が書かれるが,その後推敲を重ね現在第四次稿までの文章が残っている。嗅覚障害を疑わせる記述が登場するのは第二次稿からである。そこには,以下のような記述がある。

 「何だか苹果(りんご)の匂(におひ)がする。僕はいま苹果のことを考へたためだらうか。」カムパネルラが不思議さうにあたりを見まはしました。

 「ほんたうに苹果の匂だよ。それから野茨(のいばら)の匂もする。」ジョバンニもそこらを見ましたがやっぱりそれは窓からでも入って来るらしいのでした。いま秋だから野茨の花の匂のする筈(はず)はないとジョバンニは思ひました。 

 そしたら俄(には)かにそこに,つやつやした黒い髪の六つばかりの男の子がひどくびっくりしたやうな顔をしてはだしで立ってゐました。隣りには黒い洋服をきちんと着たせいの高い青年が一ぱいに風に吹かれてゐるけやきの木のやうな姿勢で,男の子の手をしっかりひいて立ってゐました。

 「あら,こゝどこでせう。まあ,きれい。」青年のうしろに姉妹らしい三人の少女がお互みんな堅く手をつないでジョバンニのうしろに立ち,不思議さうに窓の外を見てゐるのでした。

      (中略)

 「あなたそこへお掛けなさい。」眼のまっ黒な,まん中に居た女の子に,青年はカンパネルラのとなりの席を指さして云ひました。女の子はすなほにそこへ座って,きちんと両手を組み合せました。

      (中略)

 ごとごとごとごと汽車はきらびやかな燐光(りんくわう)の川の岸を進みました。向ふの方の窓をみると,野原はまるで幻燈のやうでした。百も千もの大小さまざまの三角標,その大きなものの上には赤い点点をうった測量旗も見え,野原のはてはそれらがいちめん,たくさんたくさん集ってぼおっと青白い霧のやう,そこからかまたはもっと向ふからかときどきさまざまの形のぼんやりした狼煙(のろし)のやうなものが,かはるがはるきれいな桔梗いろのそらにうちあげられるのでした。じつにそのすきとほった綺麗な風は,ばらの匂い(にほひ)でいっぱいでした。

 「あら,お姉さん,苹果もっているわ。」向ふの席のいちばんちいさな女の子がびっくりしたやうに叫びました。「えゝ,さっきから持ってゐたわ。みんなで五つあるのよ。」その髪の黒い姉は,黄金(きん)と紅でうつくしくいろどられた大きな苹果を落さないやうに両手で膝(ひざ)の上のかゝへてゐました。

(『銀河鉄道の夜』第二次稿 宮沢,1986) 下線は引用者

 

氷山と衝突して遭難したキリスト教徒(男の子,三人姉妹及び家庭教師の青年の5人)が乗車してくるとき,「苹果(りんご)」や「野茨」の「匂い」がしてくる。ジョバンニとカムパネルラには「苹果」も「野茨」も見つけることはできない。しかし,銀河鉄道の列車が走って暫くすると,「ばらの匂い」でいっぱいな場所を通過するようになる。また,遭難した三人姉妹の1人(姉)がいつのまにか苹果を抱えている。

 

2.匂いが生じた理由

存在しないはずの「苹果」や「野茨」の「匂い」がなぜ生じたかに対して,2通りの解釈が可能である。1つ目は,ジョバンニとカムパネルラの2人の嗅覚が非常に過敏であり,進行方向の先にある「ばら」あるいは姉妹が隠し持っていたかもしれない「苹果」の匂いを感じることができたというものである。2つ目は,2人が「匂い物質が存在しないにもかかわらず匂いを感じる」ことができる特殊感覚の持ち主だったということである。精神病理学的には「幻の匂い=幻嗅」ということである。

 

後者の場合は,単なる幻嗅体験ではなく,2人が同時に進行方向の先にある未来の出来事を予知しているということも重要である。予知とは,時系列的にみて,その時点では発生していない事がらについて予め知ることである。経験則や情報による確定的な予測とは異なる。

 

また,「匂い」のもとがなぜ「苹果」や「野茨」なのかに関しては,新たに乗車してくる人たちがキリスト教徒であることと関係があるのかもしえない。リンゴは,キリスト教にとって「原罪」の象徴であり,バラの花は聖母マリアを象徴する。実際,キリスト教絵画にはリンゴやバラが登場する。

 

3.「苹果」,「野茨」及び「ばら」を特定する

物語で存在が確認できる「苹果」について説明する。リンゴは「林檎」と「苹果」の2つの表記方法があるが,賢治は『銀河鉄道の夜』では後者の「苹果」を使っている。「林檎」は西洋リンゴ輸入前の小粒の和リンゴの総称で,西洋リンゴ(バラ科リンゴ属;Malus pumila )の表記は「苹果」であった(原,1999)。明治時代以降の代表的な西洋リンゴの品種は,「国光」と「紅玉」である。「国光」の果皮は黒ずんだ赤色であるが,「紅玉」はその名の通り艶やかな「深紅」のリンゴで芳香を放つ。多分,賢治が本文で記載した「苹果」は「紅玉」をイメージしたものかもしれない。

 

「ばら」は,物語の語り手によって「じつにそのすきとほった綺麗な風は,ばらの匂いでいっぱいでした」とあるように,姿こそ見せないが「匂い」として確かに存在している。汽車が走って暫くしてから現れるバラは,本文では「ばら」としか表現されておらず,その種を特定するのは難しいが,銀河鉄道沿線から匂ってくるので野生のバラであろう。銀河鉄道の汽車は,銀河に広がる野原や林や森の中を走るからである。

 

童話『よく利く薬とえらい薬』でも森の中に自生する「ばら」が登場するが,語り手によって「野ばら」と説明される。野生のバラは,「ノイバラ」( バラ科バラ属;Rosa  mutiflora )が一般的であるが,賢治が「野ばら」と表現すると「ノイバラ」だけでなく,バラ科のキイチゴ属を示すことがある。例えば,賢治の『春と修羅』の中の詩「習作」には,「野ばらが咲いてゐる 白い花/秋には熟したいちごにもなり/硝子のやうな実にもなる野ばらも花だ(1922.5.14)」とある。

 

この木苺は,我が国でごく普通に見られる「モミジイチゴ」(Pubus palmatus var. coptophyllus ;果実は球形で茶色を帯びたオレンジ色,米国ではGolden mayberryと呼ぶ)のようなものであると思われる(第1図)。欧州の木苺は,ラズベリー (Rubus idaeus)と呼ぶ。ラズベリーの中には香りの強いものもある(香り成分:ラズベリーケトン,ギ酸エチルなど)。「ノイバラ」も「モミジイチゴ」も花期は3~5月である。しかし,物語の季節は秋であるので「野ばら」の香りは花ではなく実から出たのであろう。

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第1図.モミジイチゴの花と実

「モミジイチゴ」の実が熟するのは初夏であるので,物語の「ばら」が「モミジイチゴ」を想定したものとすると,「モミジイチゴ」の実は秋まで残っていたことになる。少し,違和感もあるので他のキイチゴを調べてみた。深山に生える「ミヤマモミジイチゴ」(Rubus pseudoacer Makino )は,「モミジイチゴ」よりも花期が遅く実も秋に熟す。「インディアンサマー」( Rubus idaeus ssp. Idaeus )のような欧州の木苺(ラズベリー)も秋に実が熟す。物語の「ばら」はこれら木苺をイメージしたものであろう。

 

童話『よく利く薬とえらい薬』に登場する「ばら」も木苺である(石井,2004)。「ノイバラ」の実はエイジツ(営実)と呼び瀉下剤などに使うが匂いは弱い。一方,木苺やラズベリーは食用になり,ジャムにするぐらいだから匂いは存在する。甘酸っぱい匂いだそうだ。最近,興味ある事実が報告された。ドイツにあるマックス・プランク電波天文学研究所の研究グループが,天の川銀河の中心部に近い分子雲「射手座B2」内に「ギ酸エチルethyl formate」が存在することを発見した。すなわち,銀河の射手座付近はラズベリー(ギ酸エチルが匂いの主要成分の1つ)の匂いがする(Nature Research Center,2012)。

 

偶然の一致だろうか,『銀河鉄道の夜』に登場する「ばらの匂いでいっぱいでした」という記述は,銀河鉄道が「鷲座」から「射手座」へ向かう途中で現れる。賢治は,射手座付近で木苺の匂い成分が発見されることを80年前に予知していたのであろうか。 射手座付近でなくても,宇宙には独特の「匂い」があるらしい。地球の軌道を回る宇宙飛行士が,船外活動を終えて船内に戻ってきたとき,仲間の飛行士の宇宙服から独特の甘い「匂い」を感じるということが報告されている。すなわち,嗅覚過敏説をとれば,ジョバンニとカムパネルラは,苹果(たぶん「紅玉」)と木苺(秋成りのキイチゴ)の実が放出するわずかな匂い分子を鼻腔で受け取り,「苹果」の「匂い」と「野茨」の「匂い」がすると表現したのかもしれない。

 

「野茨」は,バラ科バラ属の「ノイバラ」( Rosa  mutiflora )のことと思われる。しかし,「ノイバラ」は春に花が咲くので秋に花の匂いがするのは矛盾である。物語でも,ジョバンニが「いま秋だから野茨の花の匂のする筈はない」と自ら「野茨」の存在を否定している。すなわち,野茨は存在しない。しかし,なぜ「野茨」を「野ばら」あるいは木苺としなかったかの疑問は残る。

 

4.賢治の嗅覚過敏と幻嗅体験

私は,賢治の作品の多くが自らの体験を基に創作されていると確信している。それゆえ,この『銀河鉄道の夜』における「匂い」が嗅覚過敏あるいは予知を伴った幻嗅によるものであるとすれば,賢治の体験の裏付けがあると思っている。賢治の性格,資質,病理に関して言及している論文(あるいは著書)も少なくない。賢治は,盛岡中学校を卒業したあと(1914年4月),岩手病院(現在の岩手医科大学付属病院)で肥厚性鼻炎の手術をするが,手術後に高熱に苦しみ発疹チフスの疑いで長期間(2カ月間)入院することになる(宮沢賢治を愛する会,1996)。賢治は, 入院中の高熱の中でさまざまな「幻夢」を経験したそうだ。また退院後も「幻覚」だけでなく「感覚過敏」が激しくなり,自ら体験した超感覚世界を心象スケッチとして短歌,詩,童話の中に取り入れたという。

 

賢治の病理および幻想感覚については,板谷(1990,1999,2000)の著書に詳しく記載されている。例えば,板谷(2000)は「苹果」の幻嗅を表現している短歌として「いざよひの/月はつめたきくだものの/匂をはなちあらはれけり」を挙げている。「苹果」という言葉はでてこないが,「くだもの」が「苹果」以外には考えにくく,短歌の字数の関係で四字の「くだもの」にしたと推察している。さらに,童話『双子の星』(1918)には「今は,空は,りんごのいゝ匂(にほひ)で一杯です。西の空は消え残った銀色のお月様が吐いたのです。」の記載もある。

 

賢治は,月を見たり,月の光を浴びたりすると「苹果」の「匂い」を感じるという特殊な感覚を持っている。形から「匂い」を感じたりする以外に,文字に色を感じたり,音に色を感じたり,あるいは形に味を感じたりすることを共感覚と呼ぶ。『銀河鉄道の夜』の「蝎の火」の逸話には,「その火がだんだんうしろの方になるにつれてみんなは何とも云へずにぎやかなさまざまの楽の音や草花の匂(にほひ)のやうなもの口笛や人々のざわざわ云ふ声やらを聞きました」とある。下線に示すように「草花の匂いを聞く」と表現している。この種の共感覚的な表現は賢治の作品に多い。賢治を共感覚者の1人に挙げている研究者もいるくらいだ。 

 

また,賢治の主治医でもあった佐藤(1994)の著書には,次のような嗅覚過敏あるいは予知を伴った幻覚体験を思わせるエピソードも記載されている。

 生徒を伴って山に行きます。賢治さんは

「炭を焼いている臭いがする。」と言う。しかし何の香りも生徒には感じられません。

「そうですか。」と答えていくうちに山の中の炭焼窯に到着します。

 野路を行く。

「杏の花の香りがすると言う。」しばらくすると白い杏の花を見る。生徒は宮沢先生の感覚の鋭敏さのなみなみでないのに驚きます。

 

 また,ある時,賢治が佐藤師という某寺の住職に

「僕がチャイコフスキー作曲の交響楽をレコードで聞いていた時,その音楽の中から『私はモスコー音楽院の講師であります』ということばをはっきり聞きました。そこですぐに音楽百科事典を調べてみたら,その作曲の年はやはり,チャイコフスキーがその職にあった年だったのです」と語りました。

(『宮沢賢治-素顔のわが友-』 佐藤,1994)

 

このエピソードの前半部分を嗅覚過敏から考察すれば,賢治は空気中を漂っている炭を焼いて生じる匂い成分あるいは杏の花からでる匂い成分の微量を,敏感になった鼻の奥の匂いを感じる細胞(嗅細胞)で受け取って,生徒達には感じない「匂い」を感じ取ったということになる。嗅細胞は,人間の身体のなかで,一番感応しやすい細胞で,ほとんどの揮発性の物質に感応し,しかも数分子あれば感応する場合もあるという。炭の匂い成分は知らないが,杏の匂いはベンズアルデヒドである(杏仁豆腐の匂い)。ちなみに,リンゴの実やバラの花では匂い分子は,エチルアセテートなどのエステルやアルコールのゲラニオールである(奈良岡,2006, 澁谷達明・市川真澄,2007)。

 

しかし,佐藤(1994)の記載した嗅覚に関するエピソードは,炭を焼いて生じる匂い分子や杏の花から出る匂い分子が賢治の鼻の嗅細胞に1分子たりとも到達していなかったとすれば,考えにくいことだが予知を伴った幻嗅と考えるしかない。また,賢治が住職に話したとされるレコードに関する逸話は,予知を伴った幻聴であろう。しかし,これらエピソードからだけでは,依然として『銀河鉄道の夜』に登場する「苹果」や「野茨」の匂いが,嗅覚過敏を想定してのものか,予知を伴った幻嗅を想定してのものなのかを判断することはできない。

 

「匂い」の元が「苹果」や「ばら=木苺)」であるのは,「匂い」がした後に乗車してくるキリスト教徒と関係していることは確かであろう。また,匂い自体に関して,賢治の特殊な感覚体験(共感覚,予知,感覚過敏,幻覚)にもとづいていることも間違いないだろう。次稿では,『銀河鉄道の夜』の「苹果」の「匂い」や「野茨」の「匂い」が,主人公たちの嗅覚過敏によるものか,あるいは予知を伴った幻覚(幻嗅)によるものかを明らかにしていきたい。 

 

引用文献

原 子朗. 1999. 新宮沢賢治語彙辞典.東京書籍.東京,

石井竹夫.2004. 宮沢賢治に学ぶ植物のこころ.蒼天社.神奈川.

石井竹夫.2011. 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する植物.人植関係学誌 11(1):21-24.

板谷栄城. 1990. 宮沢賢治の見た心象~田園の風と光の中から. 日本放送出版協会. 東京.

板谷栄城. 1999. 宮沢賢治の, 短歌のような 幻想感覚を読み解く. 日本放送出版協会. 東京.

板谷栄城. 2000. 宮沢賢治 美しい幻想感覚の世界.でくのぼう出版. 神奈川.

宮沢賢治.1986.文庫版宮沢賢治全集10巻.筑摩書房.東京.

宮沢賢治を愛する会 編集. 1996. 宮沢賢治 エピソード313. 扶桑社. 東京.

奈良岡 馨.2006. りんご香気の生理的機能性に関する研究.平成18年度青森県工業総合センター事業報告書.99-103.

Nature Research Center.2012.9.7.(調べた日付)The center of galaxy tastes like raspberries.http://naturalsciences.org/nature-research-center/how-do-we-know/raspberries

佐藤隆房(佐藤 進 編). 1994. 宮沢賢治-素顔のわが友-. 桜地人館. 岩手県.

澁谷達明・市川真澄 編集.2007. 匂いと香りの科学.朝倉書店.東京.

洲崎春海.1995. 嗅覚障害とその治療.総合臨床 44(10) : 2503-2504.

坪田雅仁・西条寿夫・矢田幸博・小野武年(2005) :  嗅覚障害.医学のあゆみ 214(9) : 757-762.

 

本稿は,人間・植物関係学会雑誌12巻第2号21~24頁2013年に掲載された自著報文(種別は資料・報告)を基にしたものである。