宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-星座早見を飾るアスパラガスの葉(2)-

Key words:文学と植物のかかわり,ほんとうの葉(鱗片葉),偽りの葉(仮葉枝),三角標,きのこ

 

前稿に続き,星座早見を飾るアスパラガスの葉が,観賞種であるアスパラガス属の「仮葉枝」ではなく,食用のアスパラガスの「三角形の鱗片葉」であるという私の見解について述べる。本稿では,賢治の創作した難解な「三角標」という言葉についても説明する。

 

1.三角標とは何か

「三角標」は,『新宮沢賢治語彙辞典』(原,1999)では,鉄道線路脇の列車を安全に走行させるための「信号標」と関連づけて説明されている。しかし,他にもいくつかの解釈が存在する(ますむら,1999)。『銀河鉄道の夜』のプラネタリウム版では,三角測量に使う「懸柱式高測標(光を送る回照器が付いたもの)」をモデルにした「三角標」が出てくる。これは,物語に出てくる「三角点」や「測量旗」という三角測量に使われる専門用語から連想したものであると思われる。

 

しかし,「三角標」は青白い「燐光」を発するので「墓」とか「死」のイメージが付きまとう。例えば,『銀河鉄道の夜』の天上を走る列車に乗る者がジョバンニを除き死者であるように,「三角標」は死者が安住の場所へ行くための道標(=航路を示す標識としての「澪標(みおつくし)」)の役割も担っているようにも思われる。「三角標」を単純に信号標あるいは懸柱式高測標(測量標)」とすると,「墓」とか「死」のイメージは出てこない。「三角標」を理解するには,裏のイメージに繋がるものも見つける必要がある。

 

岩手県在住の家井美千子(2004)は,東北地方の「祭り」あるいは盆行事(仏事)を詳細に調べ,盆行事に死者の魂を迎える「迎え火」としての「灯籠木(とうろうぎ)」が「三角標」のモデルの一つであると推定している。家井(2004)が「三角標」と「灯籠木」を関係づけた根拠となる資料に,東北地方の盆行事を記した民俗学者・柳田国男の『雪国の春』(1956)や『秋田領風俗問状答書』がある。その中の文章を以下に示す。 

 百年前の『秋田領風俗問状答書』の絵に見えている通りの昔風の燈籠は,陸中に入ってからしだいにこれを見かけるようになった。寺の境内に立てた高い柱には,昼の間は白い幡を掲げて置く例もあるが,尋常民家の燈籠木に至っては,いずれも尖端を十字にして,杉の小枝を三房結わえてある。以前はその木が必ず杉であったことを,これだけでも示すのみならず,村によっては今なお天然の杉の木を,梢ばかり残して柱にしているものさえあった。今では不幸のあった翌々年の盆まで,この燈籠は掲げる習いになっている。空を往来する精霊(しょうりょう)のためには,まことに便利なる澪標であるが,生きた旅人にとってはこれほどもの寂しいものはない。ことには白い空の雲に,または海の緑に映じて高く描け出でて立つのを見ると,立ち止まってはこれら労働に終始した人々の,生涯の無聊(ぶりょう)さを考えずにはおられなかった。閉伊の吉里吉里(きりきり)の村などは,小高い所から振り返ってみると,ほとんど一戸として燈籠の木を立てぬ家はない。どうしてまたこのようなおびただしい数かと思うと,やはり昨年の流行感冒のためであったのだ。                        『雪国の春』柳田国男 (下線は引用者)

 

 此月,高灯籠造り立て候に,殊にのびよき丸太の三丈,四丈も候を用ひ,その頭へ木結て,三角の形に縄を張り,網のごとく縄を縦横にし,紙手きりかけ,その三角の角ごとに杉の葉,笹の葉なんど束ぬるなり。これは亡魂の三年まで,それより七年,十三年と年囘(ねんかい)ごとにするか,あるは年ごとに立る家も候。一町に三處,四處は必おし立候故,黄昏に高きより望めば,星の林とも見え候。是は朔日より晦までに候。  『秋田領風俗問状答書』 1丈(じょう)は約3.03 m

 

家井は,「灯籠木」の長竿(4~12 m )のてっぺん部が「三角」の形になっていることや,その底辺部に吊るされた提灯(ちょうちん)の「灯り」が「黄昏に高きより望めば,星の林とも見える」ことに注目し,『銀河鉄道の夜』の「三角標」のモデルになると考えた。「灯籠木」の「灯り」は,死者の「魂」に対する「迎え火」ということで「三角標」の裏のイメージを示唆するものでもある。岩手県では,現在でも「盂蘭盆会」の期間中に「灯籠木」が立てられている(川向,2007:Webでも見ることが出来る)。

 

「灯籠木」の高さは大小様々で,新盆(四十九日を過ぎて初めての盆)では,新仏の印の白い旗と提灯が屋根よりも高く揚げられる。また,『雪国の春』の中にある「空を往来する精霊のためには,まことに便利なる澪標である」の「澪標(みおつくし)」という表現にも注目したい。柳田は,「澪標」を死者の「魂」が生まれ育った家に帰ってくるための「道標」の比喩として使っているが,賢治存命の頃の水路に立てられてある「澪標」は,杭の先端部に逆三角形の標識が付いていて,これも「三角標」のイメージに繋がる。

 

2.なぜ星は三角標になったのか

賢治が創作した「三角標」は,実在する「信号標」,「測量標」,「澪標」あるいは「灯籠木」などのイメージが複合されているように思える。これらの「三角形」の形状や「灯り」からくる共通のイメージは星である。賢治が「三角標」を銀河系の星あるいは星座の代わりに使用していることは先に述べた。ここでは,「星(座)」がなぜ「三角標」に変貌するのかを考察してみる。その理由は,「三角標」と「琴座」あるいは「さそり座」を構成する星との関係を示す記述にある。「三角標」と「琴座」の星の関係については,第三次稿で詳しく説明されている。

 「あゝあの白いそらの帯が牛乳の川だ(以下原稿5枚なし)

ところがいくら見てゐても,そこは博士の云ったやうな,がらんとした冷いとこだとは思はれませんでした。それどころでなく,見れば見るほど,そこは小さな林や牧場やらある野原のやうに考へられて仕方がなかったのです。そしてジョバンニはその琴の星が,また二つにも三つにもなって,ちらちら瞬き,脚が何べんも出たり引っ込んだりして,たうたう蕈(きのこ)のやうに長く延びるのを見ました。

     (中略)

 (さっきもちゃうど,あんなになった。)

 ジョバンニが,かう呟(つぶや)くか呟かないうちに,愕(おどろ)いたことは,いままでぼんやり蕈のかたちをしてゐた,その青白いひかりが,にはかにはっきりとした三角標の形になって,しばらく螢(ほたる)のやうに,ぺかぺか消えたりともったりしてゐましたが,たうたうりんとうごかないやうになって,濃い鋼青のそらの野原にたちました。いま新しく灼いたばかりの青い鋼の板のやうな,そらの野原に,まっすぐにすきっと立ったのです。

 (いくらなんでも,あんまりひどい。ひかりがあんなチョコレートででも組みあげたやうな三角標になるなんて)。

 ジョバンニは思はず誰へともなしにさう叫びました。

三次稿『銀河鉄道の夜』「天気輪の柱」→「銀河ステーション」(下線は引用者) 

 

「琴座」の1等星であるベガ(織姫星)は,鷲座のアルタイル(彦星)や白鳥座のデネブとともに夏の大三角を形成していることは有名であるが,1つの星が幻覚などによって三角形を形成することもある。疲れと悲しみから平常心を失ったジョバンニは,涙目で「ぺかぺか」と青白く光る「琴の星(ベガ)」を見て「星が二つにも三つにもなって,ちらちら瞬き,脚が何べんも出たり引っ込んだりして,たうたう蕈(きのこ)のやうに長く延びる」のを見る。「蕈」には傘の下に柄が伸びるような形状のものがあり,形が「灯籠木」に似ている。多分,「蕈」は「灯籠木」の暗喩であるかもしれない。すなわち,涙目でみた青白い「琴の星(ベガ)」が死をイメージする「灯籠木」になり,そして「三角標」に変貌する(「琴座のベガ」→「蕈=灯籠木」→「三角標」)。

 

第四次稿では,「琴座(ベガ)」ではなく「黒い丘」に立つ「天気輪の柱」が「三角標」に変貌する。この「天気輪の柱」も難解な用語(賢治の造語)である。「天気輪の柱」は,死をイメージできる「五輪塔」を参考にしたのかもしれない。

 

「三角標」と「さそり座」を構成する星との関係について,第四次稿(九章「ジョバンニの切符」)では以下のように記載されている。

 

「そうだ。見たまへ。そこらの三角標はちゃうどさそりの形にならんでゐるよ。」

ジョバンニはまったくその大きな火の向ふに三つの三角標がちゃうどさそりの腕のやうにこっちに五つの三角標がさそりの尾やかぎのやうにならんでゐるのを見ました。そしてほんたうにまっ赤なうつくしいさそりの火は音なくあかるくあかるく燃えたのです。 九章「ジョバンニの切符」(下線は引用者)

 

「さそり座」には明るい星が多くあり,視等級<3.00の星の数は12にも上り,88星座の中で最も多い(Wikipedia)。この記述は第一次稿からあり,第四次稿まで修正されることはなかった。賢治は,「さそり座」の腕にあたる三つの星と尾にあたる五つの星(2等星であるθ星,κ星,λ星を含む)を三角標になぞらえている。この記述は,物語の核心である法華経の焼身(自己犠牲)の教義(妙法蓮華経薬王菩薩本事品 第二十三)と関係のある「蠍の火」の逸話の直後にくる(石井,2011)。蝎は,たくさんの殺生をしたのち,いたちに見つかってしまう。蝎は,自らの死を悟ったとき神に「この次はまことのみんなの幸いのために私の体をお使いください」と祈って「まっ赤なうつくしい火になって燃える」星となる(1等星アンタレス)。

 

「さそり座」は,花巻の盆頃(7月=一次稿創作の頃)では,「薄明(空明,桔梗いろのそら)」が終了する8時頃に南東の地平線上に這うように現れる。岩手県の宮沢賢治記念館の「大銀河系図」ドームの南東には「さそり座」が空低い所に描かれている。『銀河鉄道の夜』の原型とも言える詩「薤露青(かいろせい)」(1924年7月17日;『春と修羅第二集』)には,「みおつくしの列をなつかしくうかべ/薤露の聖らかな空明のなかを/たえずさびしく湧き鳴りながら/よもすがら南十字へながれる水よ・・・・そこには赤いいさり火がゆらぎ/蝎がうす雲の上を這ふ・・・」(下線は引用者)とある。

 

この「蝎がうす雲の上を這う」南東には,仏教の護法善神(守護神)であり,「天部」の諸尊十二種(十二天)の一つである「火天=火の神」(梵名:Agni)がいる。京都国立博物館が所蔵する国宝十二天像の「火天」は,火炎光背を負い右手に「三角印」を持つ。「三角印」は火の燃える姿を象徴する。また,供養塔や墓塔として使われる「五輪塔」は,主に石を5つ下から四角(地輪),丸(水輪),三角(火輪),半丸(風輪)そして上に尖った丸(空輪)に積み上げた形になっている。賢治の詩「五輪峠」(下書稿一・最終形態;1924.3.24)には,「五輪は地水火風空/空といふのは総括だとさ/まゝ真空でいゝだらう/火はエネルギー/地はまあ個体元素・・・」とある。これらの「三角印」や「五輪塔」も「三角標」の裏のイメージに繋がる重要なキイワードである。

 

3.アスパラガスの「ほんとうの葉」が星座早見の星を飾る

『銀河鉄道の夜』は,「ほんとうの幸い」を求める旅の物語であるが(石井,2012),同時に賢治の様々な思いが込められている物語でもある。その一つが妹トシへの思いである。第一次稿執筆の2年前に,トシが死んでいる。トシは,法華経信仰を共にするほど賢治のよき理解者であったため,その死は賢治の生涯にとって大きな衝撃であったと思われる。

 

賢治の妹に対する思いは,悲しみとともにリンドウの花のように「湧くやうに,雨のやうに」脳裏をよぎったに違いない(石井,2013b)。その悲しみは,たくさんの詩(「永決の朝」,「松の針」,「無声慟哭」,「風林」,「白い鳥」,「青森挽歌」,「オホーツク挽歌」,「樺太鉄道」,「鈴谷平原」,「噴火湾(ノクターン)」など)になって表白されている(宮沢,1986)。ほんとうは,妹と一緒に「ほんとうの幸い」を求めて行くはずであり,物語の核心部分のジョバンニのセリフ「どこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのやうにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない」と決意していた。賢治は,死んだトシの「魂」の行方を求めて『銀河鉄道の夜』を創作したとも言われている。そこで,妹の死が物語にどのように影響を及ぼしたかを「灯籠木」,「三角標」および「アスパラガスの葉」を使って推測してみる。

 

『銀河鉄道の夜(一次稿)』を創作していたとき,特に花巻の盆にあたる頃では,不幸の有った家の故人の「魂」を迎えるための「灯籠木」がその家の家族によって立てられ,夜には火をとぼした灯籠が長い「灯籠木」の先端の「三角」部分につりあげられていた。また,盆の終わりには「魂」を送るため川に「灯籠」を流したりもした。日が沈んだ黄昏時に小高い処からこれらを眺めれば,『秋田領風俗問状答書』にもあるように,宮沢家のものを含めたくさんの「灯籠木」の「灯り」が「星の林」のように見え,「灯籠流し」の「灯り」は詩「薤露青」にある「澪標の列」や「銀河の星」に見えただろう。そして,南東の夜空には地平線上に這うように「さそり座」が位置し,1等星のアンタレスが南東の守護神「火天」の炎のように赤く輝いている。

 

賢治は,このような光景を見ながら,七夕伝説に出てくる青白く輝く「琴座」のベガ(織姫星)を見ていた。そして,琴座の織姫に妹を重ね,悲しみで目が潤み,ベガの光が「きのこ」のように尾を引きくのを見た。「きのこ」の形は,「灯籠木」を連想させ,さらに「灯籠木」は「三角」を形作る「火天」,「五輪塔」,「澪標」,そして「測量標」のイメージを幾重にも重ねて「三角標」に変貌した。幻覚などの特殊な感覚を有する賢治にとっては実体験に近いものだったのかもしれない(石井,2013a)。賢治が幻視した「三角標」なるものが,青白く巨大な「三角形」の形状をしたものであることはおぼろげにも推測できるが,これ以上の詳細部分は賢治以外にはたどることは出来そうにない。賢治は,年に一度,妹の「魂」と出会える盆の夜(あるいは七夕の晩)に,銀河の星を「魂」が通る道の道標(「三角標」)にし「法華経思想」を組み込んだ『銀河鉄道の夜』を創作した。

 

『銀河鉄道の夜』において,法華経における「焼身・自己犠牲」の象徴は動物では「サソリ」であるが,植物では「楊(やなぎ)=マッチの軸木」(石井,2011)と「アスパラガス」である。「アスパラガス」は,冷害で苦しむ北海道や東北の農家を自らの命を差し出して救済した。『銀河鉄道の夜』の天上の縮図が,地上にある時計屋の星座早見である。多分,賢治が頭の中で描く時計屋の星座早見には「アスパラガス」の「三角形」をした小さな「ほんとうの葉」が「ほんとうの幸い」を一緒に求めることができなくなった兄妹の悲しい思いを乗せて「琴座」や「さそり座」の星々の上に一つずつ飾られていたものと思う(第1図)。    

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第1図.青いアスパラガスの葉で飾られた円くてまっ黒な星座早見.

 

引用文献

原 子朗.1999.新宮沢賢治語彙辞典.東京書籍.東京.

家井美千子.2004. 『銀河鉄道の夜』の「ケンタウル祭」.アルテス ロベラレス(岩手大学人文科学部紀要).75:19-35.

石井竹夫.2011. 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する植物.人植関係学誌.11(1):21-24.

石井竹夫.2012. 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する鳥の押し葉.人植関係学誌.11(2):19-22.

石井竹夫.2013a. 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する幻の匂い(前編)(後篇).人植関係学誌.12(2):21-28.

石井竹夫.2013b. 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場するりんだうの花と悲しい思い.人植関係学誌.13(1):27-30.

川向富貴子.2007. いわて文化ノート・供養のかたち~盂蘭盆会雑記.岩手県立博物館だより.No.115.

ますむらひろし.1999. イーハトーブ乱入記-僕の宮沢賢治体験.ちくま新書.東京.

宮沢賢治.1986.文庫版宮沢賢治全集10巻.筑摩書房.東京.

柳田国男.1956.雪国の春-柳田国男が歩いた東北-.角川ソフィア文庫.東京.

 

本稿は人間・植物関係学会雑誌13巻第1号31~34頁2013年に掲載された自著報文(種別は資料・報告)を基にしたものである。原文あるいはその他の掲載された自著報文は人間・植物関係学会(JSPPR)のHPにある学会誌アーカイブスからも見ることができる。http://www.jsppr.jp/academic_journal/archives.html