宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-赤い点々を打った測量旗とは何か-

Key words:文学と植物のかかわり,宝石,近代科学,国際信号旗,レーザー,ラズベリー,ルビー,三角測量

 

童話『銀河鉄道の夜』は,造語などによって発生する事物としての謎や,言葉がよく知られたものでも意味が取りにくいもの(機能・役割としての謎)が多く,作品を理解させることを難しくさせている。鈴木(1994)によれば,謎の多さが解釈の多様さを呼び,結果として大量の研究論文を生産させているという。

 

多様な解釈に対して肯定的に捉える研究者もいるが,文芸評論家で思想家でもある吉本(2012)は,著書の中で「この作品はいってみれば解釈可能性の束のようなもので,よく匿(とく)されているが,宮沢賢治の信仰から知識にわたるすべてのものが圧縮されて投げ込まれている気がします。そしてまだよくわからないところが,これから掘りだされてくると,予想よりはるかにおおきな容器だということになるかもしれません」と述べている。

 

吉本は,作品中のまだ手つかずの難解な語句の意味を明らかにしていけば,多様な解釈を生んでいる作品の「ほんとう」の意味が明らかになると言っているようにも思える。著者は,これまで,この物語に登場する賢治の難解な言葉(三角標,天気輪の柱,ケンタウルス露を降らせなど)の意味を,植物の解析を通して説明してきた。それは,難解な言葉の近くに配置された植物に,その言葉の意味を明らかにするヒントが隠(匿)されていると思ったからである。この物語に登場する30種ほどの植物は,単なる風景描写として配置されているわけではない。全ての植物の配置されている意味が明らかになれば,物語の「ほんとう」の意味が明らかになっていくものと信じている。

 

まだ解明されていない難解な言葉の1つに,「三角標」の上にはためく「赤い点々を打った測量旗」(作品では赤い点点をうったと表記)というのがある。本稿では,今日まで私を悩ませ続けたこの「赤い点々」の模様が何を意味しているのかについて,この旗の近くに配置されている「野ばら」という植物を使って説明してみたい。また,この「赤い点々」の意味が明らかになることで,物語の理解度が深まることについても述べてみたい。

 

最初に「三角標」の上にはためく「赤い点々を打った測量旗」が登場する場所がどこかについて,次に「旗」の下の「三角標」が何をイメージしているか,そして最後に宝石の「ルビー」と関係づけて「赤い点々」の模様の意味について説明する。

 

1.「赤い点々を打った測量旗」をつけた「三角標」の場所 

ジョバンニたちを乗せた幻想第四次の銀河鉄道の列車は,銀河宇宙の北十字(白鳥座)から南十字(サウザンクロス)へ向かう。車窓からは,我々が見慣れた地球上の南欧から北米大陸へ西進しているときの風景が次々と現れてくる。

 

「赤い点々を打った測量旗」の見える場所は,ちょうど「白鳥区」にある教会堂の「尖塔」をイメージできる「三角標」が立ち並ぶ「天の野原」(南欧の上空辺り)を通過して,北米大陸手前のニューファンドランド島沖へ差し掛かっているところである。星座で表現すると,鷲(わし)座と射手座の中間である。この場所で,海霧の中で遭難したタイタニック号の乗客と思われる人たちが銀河鉄道の列車に乗り込んでくる。この場所では,「狼煙(のろし)」とともに「苹果(りんご)」と「野茨」の匂いがしてくる。まさに,幻燈のような美しい風景になっている。

 「何だか苹果の匂がする。僕いま苹果のこと考へたためだらうか。」カムパネルラが不思議さうにあたりを見まはしました。

 「ほんとうに苹果の匂だよ。それから野茨の匂もする。」ジョバンニもそこらを見ましたがやっぱりそれは窓からでも入って来るらしいのでした。いま秋だから野茨の花の匂のする筈はないとジョバンニは思ひました。

        (中略)

 ごとごとごとごと汽車はきらびやかな燐光の川の岸を進みました。向ふの方の窓を見ると,野原はまるで幻燈のやうでした。百も千もの大小さまざまの三角標,その大きなものの上には赤い点点をうった測量旗も見え,野原のはてはそれらがいちめん,たくさんたくさん集ってぼおっと青白い霧のやう,そこからかまたはもっと向ふからかときどきさまざまの形のぼんやりした狼煙のやうなものが,かはるがはるきれいな桔梗いろのそらにうちあげられるのでした。じつにそのすきとほった綺麗な風は,ばらの匂いでいっぱいでした。

 「いかゞですか。かういう苹果はおはじめてでせう。」向ふの席の燈台看守がいつか黄金(きん)と紅色でうつくしくいろどられた大きな苹果を落とさないやうに両手で膝の上にかゝへてゐました。

(九.ジョバンニの切符;宮沢1986)下線は引用者 

 

2.「三角標」でイメージできるもの

「赤い点々を打った測量旗」は,「百も千もの大小さまざまの三角標」の中でも特に大きな「三角標」の上にあると記載されている。「白鳥区」の端の鷲座から射手座へ向かう場面にある「三角標」とはどういうものであろうか。前報で「白鳥区」で見られる「三角標」は,物語の内容がキリスト教的であることと宗教の厳粛さみたいなものを表現しているので,その場所に立つ「三角標」は荘厳なゴシック様式の教会堂の「尖塔」(三角点)をイメージできると報告した(石井,2014)。「白鳥区」を離れたこの場面の「三角標」も教会堂の「尖塔」をイメージできるであろうか。 

 

賢治は,童話『銀河鉄道の夜』(初稿;1924)を書き始めた頃に,ニューファンドランド島を舞台とした童話『ビヂタリアン大祭』を執筆しているので,この『ビヂタリアン大祭』に,この場面での「三角標」が何であるかのヒントが隠されているように思えた。『ビヂタリアン大祭』の舞台は,カナダの最東端のニューファンドランド島で世界一霧が多いとされる州都セントジョンズ(St. John’s)に近い村を想定している。

 

内容は,菜食主義者(あるいは菜食信者)の「祭り」(国際会議)で繰り広げられる肉食を支持する者と反対する者たちの論争についての報告書である。参加者は,日本代表の仏教徒である〈私〉,トルコ人(多分イスラム教徒),中国人(儒教の信奉者あるいは仏教徒)及び米国・欧州のそれぞれの代表(キリスト教徒)が集まっている。インドの聖者(ヒンズー教)の食に対する話も物語の中で語られていて,国際色(あるいは宗教色)豊かな学会である。ここで注目すべきところは,「祭り」の会場がキリスト教的な色彩の強い場所にも関わらず,トルコ人たちの集まる教会(イスラム教寺院のモスク)の広庭(モスクの中庭)の天幕で開催されることである。 

 

賢治が生きた時代に,ニューファンドランド島で実際にこのような国際会議が開催されたかどうかは定かでない。この島が欧州の歴史に登場してくるのは,1497年6月24日(聖ヨハネの前夜祭;St. John’s Eve)にイタリア人航海者ジョン・カボットが島に上陸してからである。ニューファンドランド島の沖合は,メキシコ湾流とラブラドル海流がぶつかる潮目の位置にあり,世界屈指の良好な漁場である。それゆえ,ニューファンドランド島は,欧州各国の北大西洋漁業の重要な入植地となった。18世紀には入植者たちも増え,セントジュンズにニューファンドランド植民地の行政府が置かれ,教会の建設も行われた(ウイキペディア執筆者,2017)。

 

多分,賢治はこのような歴史的背景をもとに,童話『ビヂタリアン大祭』と『銀河鉄道の夜』を執筆したものと思われる。すなわち,上記引用文の「百も千もの大小さまざまの三角標,その大きなものの上には赤い点々を打った測量旗」も見える場所の「三角標」は,「白鳥区」の「三角標」と同様にゴシック様式などのキリスト教の教会堂の「尖塔」(三角点)にイスラム教のモスクの「ミナレット」を含めたものかもしれない。

 

また,高い建物が「三角点」になった歴史もあることから,船舶の安全な航行を確保するための「灯台」も「三角標」の候補に加えてよいのかもしれない。ニューファンドランド島のケープ岬に「灯台」があるが,灯を照らしているだけでなく無線の中継地としても使われていたことも注目すべきところである。しかし,宗教を美しく語った「白鳥区」とは異なり,霧が深い場所でもあり何か不吉な予感が漂っている。

 

3.「測量旗」と「ばらの匂い」

次に,これら「三角標」の上にはためく「測量旗」(測旗)について考察してみたい。「測量旗」は,測量自体に使うものではなく「三角点」の位置を示す目印である。欧州の三角測量に「測量旗」が存在したかどうかは分からないが,我が国の国土地理院が使用した「測量旗」は,上下に赤と白に二分されたものである(第1図A)。それ以外に,明治期内務省地理寮や,工部省が使用した対角線の両側に赤白が塗り分けられている「測量旗」((第1図B)もあったが,「赤い点々」の模様ではない(上西,2017)。

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第1図.測量旗(測旗)と国際信号旗.Aは国土地理院の標旗,Bは内務省地理寮の標旗,Cは国際信号旗のU旗.

第三次稿では,最初に登場する「三角標」の頂上にはためく「測量旗」に白鳥の模様が描かれていた(第四次稿では削除)。この物語では,三角測量を実施しているという記載はない。そこで「測量旗」という言葉は使っているが,その「赤い点々」をつけた「旗」を立てる目的は,測量以外の可能性が高い。この目的を明らかにするヒントが「赤い点々」の「測量旗」が見える場所に漂う「ばらの匂い」である。

 

本文では「ばら」としか表現されておらず,その種を特定するのは難しいが,キリスト教徒らしき人たちが乗車してくる前に「野茨の匂いもする」と言っているので,前報でも記載したように野生の「バラ」である可能性がある(石井,2013)。野生の「バラ」は,我が国では「ノイバラ」( バラ科バラ属;Rosa  multiflora Thunb. )が一般的であるが,賢治が「野ばら」と表現すると「ノイバラ」だけでなくバラ科のキイチゴ属の「木苺」を示すことがある。

 

例えば,賢治の『春と修羅』の中の詩「習作」には,「野ばらが咲いてゐる 白い花/秋には熟したいちごにもなり/硝子のやうな実にもなる野ばらの花だ(1922.5.14)」とある。この「木苺」は,我が国でごく普通に見られる「モミジイチゴ」(Rubus palmatus Thunb.var. coptophyllus ( A.Gray) Kuntze ex Koidz.);果実は球形で茶色を帯びたオレンジ色)のようなものである。欧州の「木苺」は,「ヨーロピアンラズベリー 」(Rubus idaeus L.)で,北米のものは「アメリカンラズベリー」(Rubus strigosus Michx.)である(いずれも食用)。これら「ラズベリー」の中には,香りの強いものもある。香り成分はラズベリーケトン,ギ酸エチルなどである。「ノイバラ」も「モミジイチゴ」も花期は3~5月である。しかし,物語の季節は秋であるので,「野ばら」の香りは,花ではなく実から出たのであろう。

 

この「野ばら」の「硝子のやうな実」(「ラズベリー」)と「測量旗」との関係だが,私は,この「野ばらの実」が銀河の光を反射させて「測量旗」に「赤い点々」の模様を作っていると思うようになった。以前,「測量旗」の「赤い点々」の模様は,イスラム教圏の国旗に使う星と三日月を現わしているのかもしれないと述べたことがあるが,どうも違うようだ(石井,2015)。「野ばらの実」が「赤い点々」を打っている光景は,ファンタジーを喚起させるが,俄かには信じがたいものもある。しかし,別の作品でも同様な記載をしているところがある。賢治は,1921年に執筆した童話『十力の金剛石』でも,赤い「野ばら」の実が太陽光を反射させて「赤い光の点々」を打っている場面を登場させている。

 

4.賢治童話で記載される「赤い点々」の描写

童話『十力の金剛石』には,王子と大臣の子の2人の少年が登場する。王子は,大臣の子と一緒に自分の持っている「ルビー」よりももっと良い「宝石」を探しに森へ出かける。王子は,乱暴にも剣を抜いて藪を切り,森の奥に入っていく。2人が森の中の草の丘に着くと,「ダイヤモンド」や「サファイア」の霰(あられ)が降ってきて,丘の上の草も沢山の「宝石」に変身して光輝く。二人は,「リンドウ」(Gentiana scabra Bunge var. buergeri (Miq.) Maxim )が,天河石(アマゾンストン)の花と硅孔雀石(クリソコラ)の葉で,「センブリ(当薬)」( Swertia japonica (Schult.) Makino )が碧玉(へきぎょく)の葉と紫水晶の蕾で,そして「ノイバラ」が琥珀の枝とまっ赤な「ルビー」の実で組み上がるのを見る。花の中も「宝石」でいっぱいになる。王子は,これら「宝石」を持って帰ろうとするが,このとき擬人化された植物たちが,「光の丘は暗い」とか「悲しい」とか言って歌いだす。しばらくして,王子は自分の手に入れたいものを沢山持っている植物たちが,なぜ「悲しい」と歌っているのか不思議に思って植物たちに尋ねる(宮沢,1986)。 

 二人は腕を組んで棒のやうに立ってゐましたが王子はやっと気がついたやうに少しからだを屈めて

 「ね,お前たちは何がそんなにかなしいの。」と野ばらの木にたづねました。

 野ばらは赤い光の点々を王子の顔に反射させながら

 「今云った通りです。十力の金剛石がまだ来ないのです。」

 王子は向ふの鈴蘭の根もとからチクチク射して来る黄金(きん)色の光をまぶしさうに手でさへぎりなが

 「十力の金剛石ってどんなものだ。」とたづねました。                                   (『十力の金剛石』宮沢,1986 下線は引用者

 

植物たちは,答えるが,王子にはなぜ「悲しい」のか言葉だけでは理解できない。そこで植物たちは,王子に光で警告し,その真意を伝えようとする。「野ばら」は,「赤い光の点々」を,「鈴蘭」は「根もとから黄金色の光」を王子の顔に反射させる。王子の顔にできた「赤い光の点々」の模様は,何を意味しているのだろうか。多分,この意味を知ることが,物語の理解を深めるとともに,『銀河鉄道の夜』に登場する「測量旗」の「赤い点々」の模様の意味も明らかにすると思われる。

 

童話『十力の金剛石』の「野ばら」とは,『銀河鉄道の夜』とは異なり「ノイバラ」のことと思われる。秋季に赤く小球形の偽果(ぎか)を結ぶ。この果実は,「営実(エイジツ;局方生薬)」と呼び峻下薬(しゅんげやく;強い作用を呈する下剤)とする。「鈴蘭」とはユリ科の多年草であるスズラン(Convallaria keiskei Miq.)のことである。根と根茎に強心配糖体コンバラトキシンを含み,古い薬草書には強心利尿薬として分類されていたが一般には用いないものである。多量に摂取すると呼吸停止,心不全状態に陥り死に至るからだ。

 

すなわち,有毒植物でもある「野ばら」と「鈴蘭」は,毒成分を多量に含有する自らの部位に光を当て,その反射光で王子に危険を知らせている。なぜ危険信号だと分かるのかというと,「ルビー」のような赤い「ノイバラ」の実を使って「赤い光の点々」を照射されると,その被照射面である王子の顔に危険を知らせる「国際信号旗」と同じ模様が現れるからである。

 

スタジオジブリのアニメ映画『コクリコ坂から』(宮崎吾郎監督作品;2011年公開)には,主人公が戦争で亡くなった船乗りの父を偲んで,毎朝庭に「旗」を揚げるシーンがでてくる。この「旗」は,「国際信号旗」のU旗とW旗を並べた2字信号で,「安全な航海を祈る」を意味する。「赤い点々」にも見えるU旗を単独で1字信号の「旗」で使うと「貴船の進路に危険あり」という意味になる(第1図C)。賢治は,この「国際信号旗」のU旗が王子の顔に映し出されるようにしたのだと思われる。すなわち,「野ばら」が王子の顔に「赤い光の点々」を照射したのは,「毒にもなるたくさんの宝石を手に入れようとするあなたは危険に向かっています」という意味のことを言葉だけでなく光でも伝えようとしたのだと思われる。

 

物語の後半で「十力の金剛石」が「露」だと知らされる。「十力の金剛石」は,「露」ということなので「生命の源の水」という意味になる。賢治は,仏教思想に共感した人なので「如来(仏)の力」あるいは「ほんたう(真実)の力」という意味も含まれる。実際に,「十力の金剛石(露)」が丘に下って来ると,硬い毒々しい「宝石」だった植物たちは,歓喜し「ほんたうの柔らかなうすびかりする緑色の草」に戻るし,王子はやさしい心の持ち主になる。     

 

5.「測量旗」の「赤い点々」は宗教の行く先を危惧する「信号旗」の模様

では,「三角標」にはためく「測量旗」の「赤い点々」の模様はどうであろうか。多分,『十力の金剛石』と同様の意味で使っているように思える。『銀河鉄道の夜』でも,「野ばら」(「ラズベリー」)の実が,「三角標」(灯台)の上にある「測量旗」に「三角測量」に使う回照器のように銀河の光を反射させて「赤い点々」を打ったものと思われる。

 

その意味は,「銀河鉄道の列車の進行方向に危険物あり」である。『銀河鉄道の夜』というファンタジーな世界におけるこの表現は,実際のタイタニック号遭難事故を題材にして創作されたものであろう。タイタニック号が漂流する氷山と衝突する数時間前に,近くの小型客船が氷山や氷原を発見し無線(電波通信)で危険を知らせていた。また,衝突後にタイタニック号は,モールス符号による遭難信号と発火信号(狼煙)を発信している。タイタニック号からの遭難信号を最初に受診したのは,ニューファンドランド島のケープレース岬の灯台である(Wikipedia)。

 

『銀河鉄道の夜』の天上世界を走る列車は,「白鳥区」では,美しい燐光を出すたくさんゴシック様式の教会堂の「尖塔」をイメージできる「三角標」や,金色の円光をいただく「立派な眼もさめるような白い十字架」の風景の中を走っていた。しかし,「白鳥区」を過ぎると,「三角標」は変貌しネオゴシック様式の商業の大聖堂(ウールワースビル)をイメージできる「三角標」や,「近代科学」を象徴する「送電鉄塔」,工場の「煙突」などをイメージできる冷たく暗い「三角標」の中を走っていくようになる(石井,2015)。さらに,カーバイド工場の「炎」をイメージできる「蝎の火」は,宗教を象徴する桔梗色の空をも焦がすようになる。

 

これらは,賢治の「思索メモ」や『農民芸術概論綱要』(1926年頃)に記載されている「科学に威嚇(いかく)されている宗教」や「宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷たく暗い/芸術はいまわれらを離れ然もわびしく没落した/いま宗教家芸術家とは真善若しくは美を独占し販るものである」に対応する。賢治は,これを書くにあたって参考にした室伏高信の『文明の没落・第2(土に還る)』(1924)には,「科学は新しき神である。科学は疑ふべからざる威厳(いげん)である。科学は,懐疑(かいぎ)から生まれた。そして信仰となった」という記載もある。

 

すなわち,「野ばら」が「白鳥区」が終わるところで,電波通信ではなく光通信で,この先に危険が待ち受けていることを,銀河鉄道の列車に乗り込んだ「ほんとうの幸(さいわい)」を求めている乗客(求道者)に知らせている(第2図)。賢治が予知した危険物とは,「近代科学」のことであろう。賢治が生きた時代には,宗教に取って代わろうとする「近代科学」が人々に物質的な「豊かさ」をもたらしていた。

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第2図.野ばら(ラズベリー)の実と光を反射させて赤い点々の模様を付けた旗と狼煙.

しかし,その一方では,「豊かさ」の中に潜む弊害(人間の自然征服・商品機械化,自由の喪失,苦痛を強いる労働など;『農民芸術の興隆』より)が少しずつ出始めていた。例えば,水力発電所からの余剰電力を利用して,カーバイド(carbide)製造などの電気化学工業が発展を遂げていた。カーバイドからは,近代農業に貢献した窒素肥料などが生産されたが,逆にヘドロが海に流れ出し,漁業被害が始まり,また工場排水に含まれていた危険物により環境が汚染され, 戦後の高度成長期には「メチル水銀中毒」などの公害病を生むことにもなった。

 

詩集『春と修羅』の「カーバイト倉庫」(1922.1.12)では,これらの弊害を予知していたかのように,「まちなみのなつかしい灯とおもって/いそいでわたくしは雪と蛇紋岩(サーペンタイン)との/山峡をでてきましたのに/これはカーバイト倉庫の軒/すきとほつてつめたい電燈です」と,「近代科学」を象徴する工場倉庫の電燈を「冷たい」と表現されている。賢治は,信仰の対象を宗教から「近代科学」へ移すだけでは「ほんとうの幸」は得られないと思っている。

 

6.賢治と宝石

最後の疑問は,なぜ賢治は危険を知らせるのに「野ばら」の実を選んだのかである。これは,賢治が興味を示した「宝石」と関係があるように思える。賢治は,少年時代に鉱物採集に夢中になり「石っこ賢さん」と呼ばれていた。さらに,天然の鉱物だけでなく,その合成にも興味を伸ばし,1919年1月31日と2月2日に父正次郎あてに,今後の仕事として将来実用化されると思えた「人造宝石」としての「ルビー」や「サファイア」の研究に従事したい旨の手紙を送っている。「人造宝石」とは,「天然宝石」と化学的成分は同じで人工的に合成,結晶化した素材によるものである(白木,1999)。賢治は,宝石合成という夢を実現させなかったが,1928年6月10日の詩「高架線」(『東京』)に,「酸化礬土(アルミナ)と酸水素焔にてつくりたる紅きルビーのひとかけを」と記載し,1902年にフランスの化学者ベルヌーイ(Auguste Victor Louis Verneuil ;1856-1913)によって商業的に成功した「人造宝石」(ルビー,サファイア)の製造法を紹介したりはしていた。

 

賢治の「人造宝石」への情熱は,童話『銀河鉄道の夜』執筆中でも持続していたように思える。童話『十力の金剛石』や『銀河鉄道の夜』で,賢治は「野ばら」の実をまっ赤な「ルビー」や「硝子」の実のようだと表現して光を反射させて王子の顔や「測量旗」に「赤い光の点々」を照射している(光通信)。しかし,球体の「野ばら」の実が太陽光を反射して遠く離れた被照射体に輪郭まで明瞭にした「赤い光の点々」を照射するのは,ファンタジーの世界ならともかく現実の世界では不可能である。明瞭に「赤い光の点々」として反射させるには,「野ばら」の実自体が長距離を拡散せずに伝播する光を反射しなければならない。

 

光が長距離を拡散せずに伝播し,非常に小さなスポットに収束したりすることをコヒーレンスが高いという。この高いコヒーレンスな光の特性を有するものが近代科学の創出した「レーザー」である。すなわち,「野ばら」の実自体が「レーザー発振器」になればよい。多くの「個体レーザー」は単一波長の光が得られるということで「宝石」や「ガラス」を用いる。「レーザー」の理論的基礎は1917年にアインシュタイン(Albert Einstein ;1879~1955)によって確立されている。「個体レーザー」のうち,1960年に実現した「ルビーレーザー」は,「合成ルビー」(アルミナ;Al2O3と微量のクロム)が用いられる。その後,「ガラスレーザー」(珪酸ガラスと微量のNd3+)も作られた。

 

「ルビー」を基に原理を説明すると,「合成ルビー」に光が照射されると「ルビー」に含まれる微量のクロムが励起され,エネルギーが増幅されたのち単一波長の高いコヒーレンスな特性を持つレーザービームとなって出力されるというものである。賢治は,「ルビーレーザー」や「ガラスレーザー」の到来を予知していたのかもしれない。

 

また,『銀河鉄道の夜』において,「野ばら」を「ノイバラ」ではなく「ラズベリー」にしたのにも意味があるように思える。これは,とても考えにくいことなのであるが,銀河鉄道の列車は鷲座から射手座へ向かうところで「ばらの匂い(ラズベリー)」がしてくる。最近,ドイツのマックス・プランク電波天文研究所の研究グループが天の川銀河の「射手座B2」内に「ラズベリー」の匂い成分である「ギ酸エチル」が存在することを発見した(The Guardian,2017;記事は2009年)。賢治は,85年前にこの事実も予知していたのだろうか。もしかしたら賢治は,実際に「人造宝石」を使った「ルビーレーザー」のような光発振器を組み込んだ光通信装置のようなものを夢想していて,その果たせなかった夢を「ラズベリー」の匂いがする射手座付近の場面で実現させようとしたのかもしれない。

 

現在では「レーザー」は,通信用光源のみならず距離を測定する光波測距儀,レーザーメスなど科学・医療・情報分野において幅広く応用されている。

 

7.まとめ

以上のように,「三角標」(灯台らしいもの)の上にはためく「赤い点々を打った測量旗」とは,「野ばら」(「ラズベリー」)の実が,「三角標」の上にある「旗」に銀河の光を反射させて「赤い点々」の模様を作ったものと思われる。この「赤い点々」の模様は,「丸」と「四角」の違いはあるが,「国際信号旗」のU旗と同じ意味になり,光通信でこの先に危険が待ち受けていることを銀河鉄道の列車に乗り込んだ「ほんとうの幸」を求めている乗客(求道者)に知らせている。

 

賢治が予知した危険とは,人々が物質的な「豊かさ」を求めるあまり宗教を威嚇する科学を盲信してしまうことである。この危険を回避する方法のヒントは,鍵を腰にぶら下げた灯台看守が乗客に配った「黄金と紅色で彩られた大きな苹果」に隠されている。

 

引用文献

石井竹夫.2013.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する幻の匂い(前編).人植関係学誌.12(2):21-24.Shimafukurou.2021.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-幻の匂い(1).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/07/02/094155

石井竹夫.2014.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する光り輝くススキと絵画的風景(後編).人植関係学誌.14(1):47-50.Shimafukurou.2021.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-光り輝くススキと絵画的風景(2).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/27/123334

石井竹夫.2015.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する桔梗色の空と三角標.人植関係学誌.15(1):39-42.Shimafukurou.2021.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-桔梗色の空と三角標.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/07/01/093637

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吉本隆明.2012. 宮沢賢治の世界.筑摩書房.東京.

 

本稿は,人間・植物関係学会雑誌17巻第1号17-22頁2017年に掲載された自著報文(種別は資料・報告)を基にしたものである。