宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-文学と植物のかかわり-

Key words:銀河鉄道の夜,烏瓜,なでしこ,植物,つりがねそう,楊

 

はじめに

童話『銀河鉄道の夜』(第四次稿)には30種ほどの植物が登場する(第1図)。賢治の作品に登場する植物は,単に風景描写とは言えないものが少なくない。今回,『銀河鉄道の夜』で見られる植物のうち重要と思われるものを4つ選び,なぜ物語に登場してきたのかを考察してみる。今後,30種ほどの植物の全てについて考察していくので,本稿はある意味で序論に相当するものである。 

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第1図.『銀河鉄道の夜』に登場する植物.

『銀河鉄道の夜』は,主人公であるジョバンニ少年(小学生くらい)が銀河(Milky Wayあるいは牛乳の道)の祭りの日に病気の母に届いていない牛乳を牛乳屋に取りに行く物語である。ジョバンニは,牛乳屋に行く途中,牧場近くの黒い丘で眠ってしまう。同時刻に友人のカムパネルラは,「烏瓜のあかり」を川へ流していたが,川へ落ちた友達(ザネリ)を救おうとして死んでしまう。黒い丘で眠ってしまったジョバンニは,夢の中で水死したカムパネルラと会い,幻想四次空間である銀河を銀河鉄道の列車に乗って白鳥座(北十字星)からサウザンクロス(南十字星)まで旅することになる。 

 

植物は,物語の中でどのように登場するのだろうか。『銀河鉄道の夜』の舞台は,南欧ということから,地上にはプラタナス(スズカケノキ科),ポプラ(ヤナギ科;別名イタリアヤマナラシ),ケール(アブラナ科),アスパラガス(ユリ科),トマト(ナス科;南米から16世紀にイタリアに入る)といった南欧の植物が数多く配置されている。以下に,風景描写ではなく物語の内容と密接に関係するものをいくつかを紹介する。

 

1.天上と地上を結ぶ烏うり

『銀河鉄道の夜』では,「烏うりのあかり」という灯籠(とうろう)が何度か登場する。この「あかり」は,「カラスウリ(ウリ科)」の花でなく実と思われる。多分,「カラスウリ」の実(長さ10cmくらい)の中身をくり抜いて作ったものと思われる。実際に,中身をくり抜き薄皮になった「カラスウリ」の実に小さな蝋燭を入れてみた。水に浮かべたのを第2図に示す。蝋燭(ろうそく)の柔らかい明かりが透かしだされていて心が癒される。

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第2図.烏うりのあかり. 

なぜ賢治は,『銀河鉄道の夜』に「カラスウリ」の「灯籠流し」を採用したのだろうか。多分,賢治は「カラスウリ」を死者との交流にもっともふさわしいものと考えたのではないだろうか。すなわち,「カラスウリ」を生と死あるいは地上と天上を結ぶ連絡通路となる聖なる植物(天の花)とみなしたように思える。ちなみに,同属のキカラスウリを地方によっては「天瓜」と呼んだり,根からは昔ベビーパウダーとして使われた天花粉をとったりした。天花については,デンプンの粉が白い雪(天花)のようにサラサラしているからと思われるが,天瓜については「カラスウリ」がつる性植物で木などに絡みながら上へ上へ(天上)と這い上り美しい花を咲かせることから付けられたのかもしれない。また,「カラスウリ」の花は死をイメージする夜にしか咲かない(第3図;日が沈んでから開き,夜明け前にしぼむ)。

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第3図.カラスウリの花.

最終章の「ジョバンニの切符」では,ジョバンニの親友であるカムパネルラの死とその経緯が語られる。

 「ザネリがね,船の上から烏うりのあかりを水の流れる方へ押してやらうとしたんだ。そのとき船がゆれたもんだから水へ落っこったらう。するとカムパネルラがすぐ飛びこんだんだ。そしてザネリを船の方へ押してよこした。ザネリはカトウにつかまった。けれどもあとカムパネルラがみえないんだ。」

     (中略)

 「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから。」

ジョバンニは思はずかけよって博士の前にたって,ぼくカムパネルラの行った方をしっています。ぼくはカムパネルラといっしょに歩いていたのですと云はうとしましたがのどがつまって何とも云へませんでした。宮沢,1986 (下線は引用者)

 

カムパネルラは,「烏うりのあかり」を川へ流す過程で水死するが,ジュバンニは外出時に母から「川へははひらないでね」と言われていたのでこの事故に遭遇することはなかった。まさに,生と死を分かつあるいは結ぶ象徴として「烏うりのあかり」は使われている。

 

舞台は,南欧ということになっているが,実際には賢治の住む岩手県もイメージされているように思える。「烏うりのあかり」の灯籠とカムパネルラの亡骸は,静かに南北を流れる北上川を下っていく。この本文が書かれた花巻市の夏の天頂には「白鳥座」が,そして川と地平線が交差する空には「さそり座」が位置し,その先に南十字星(北半球からは見えない)がある。川面には,銀河が南北に大きく映っていて,天頂の「白鳥座」も映っているはずだ(第4図)。ジョバンニとカムパネルラは,丁度銀河の映る北上川に沿って走る東北本線に乗って旅するように,夢のなかで幻想四次空間の銀河に沿って「白鳥座」から「南十字星」へと旅をする。

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第4図.イーハトーブの地形. 

2.十字と関係するつりがねそう

この物語には,キリスト教の象徴語彙としての「十」という文字がたくさん出てくる。賢治は,熱心な法華経の信者であるが,『銀河鉄道の夜』を書き始めたころはキリスト教徒の斎藤宗次朗(内村鑑三に従事し洗礼)と交流があり影響を受けたとされる。物語には,「十字路」,「鷺(さぎ)のからだが十ばかり」,「天の川の水あかりに十日もつるして置く」,「米も殻もないし十倍も大きい,」そしてジョバンニが持っている切符には「おかしな十ばかりの字を印刷したもの」などが出てくる。また,銀河の中の白鳥の停車場(北十字星)とサザンクロス(南十字星)の停車場には十字架が立っていて,サウザンクロスの停車場近くには「神々しい白いきものの人」(たぶんキリスト)もいる。地上から天上に上るところは,黒い丘の頂で,夢の中で旅の出発点でもある銀河ステーションに変貌する。

 

天上に上る手段は,幻想第四次を走る汽車であるが,その列車は,黒い丘の頂のどこから上るのだろうか。そのヒントは,第三次稿のタイタニック号と思われる船の沈没事件の際に歌われる賛美歌に隠されている。その歌は,「主よみもとの歌」であり,「主よみもとにちかづかん/のぼるみちは十字架に/ありとなどかなしむべき/主よみもとにちかづかん」と歌われる。すなわち,十字架が地上から天上に上る足場あるいは停車場になるというのだ。では,黒い丘に「十字」に関係するものはあるのだろうか。黒い丘の頂には,「天気輪の柱」が立っているが「十字形」をしているとは記載されていない。

 

しかし,黒い丘の頂には「つりがねさうか野ぎくかの花」が,「そこらいちめんに,夢の中からでも薫りだしたといふやうに」咲いているとある。たぶん,「十字架」に関係する植物は「ツリガネニンジン」であろう。「つりがねさう」は釣鐘状の花をつけた植物(ホタルブクロ,ツリガネニンジン,ナルコユリなど)の総称であるが,「十字」の形となると花柄や葉が十字形に輪生する「ツリガネニンジン」が『銀河鉄道の夜』の黒い丘の頂に咲く植物としてはもっとも相応しいように思える。

 

「ツリガネニンジン」は,キキョウ科であるので,この科の特徴として枝を折ると白い乳液もでる。白い乳液は,銀河(Milky Way;牛乳の道)を連想させる。また,『銀河鉄道の夜』には花弁が十字になる植物も登場する。ジョバンニ少年が住む家の入口の空箱に植えられているケールである。ケールは,南欧原産のアブラナ科の植物でキャベツやブロッコリーの原種とされる。アブラナ科の植物は,花弁が四個で「十字形」につくので十字花と呼ばれ,昔はジュウジバナ科と呼んだこともある。

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第5図.ツリガネニンジン.

黒い丘に向かう途中にあるヒノキとヒバも葉は,十字対生で「十」に関係する植物である。また天上に咲くリンドウも花は5弁で星のように見えるが,葉は十字対生である。ナデシコ科のカワラナデシコも葉は十字対生である。すなわち,ジョバンニ少年は,ケールが植えてある自宅から,ヒノキやヒバを見ながら「十字になった町のかど」を通って,黒い丘の頂の「ツリガネニンジン」が生えている所へ行き,そこから銀河鉄道の列車に乗って天上である北十字星あるいは南十字星へ向かうことになる。

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第6図.ジョバンニの歩いた道. 

3.「蝎の火」と楊

最終章には,「蝎(さそり)の火」の話が出てくる。小さな虫を殺して生きてきた蝎が,あるときイタチに見つかり食べられそうになって一生懸命逃げるのだが,取り押さえられそうになったとき井戸に落ちる。井戸から上がれないで溺れ始めたときに神に祈る。

 あゝ,わたしはいままでいくつものの命をとったかわからない,そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときあんなに一生けん命にげた。それでもたうとうこんなになってしまった。あゝなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉れてやらなかったらう。そしたらいたちも一日生きのびたらうに。どうか神さま。わたしの心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかひ下さい。       (宮沢,1986)

 

すると,蝎はまっ赤な美しい火になって夜の闇夜を照らし始める(さそり座の赤色の一等星アンタレス)。この自己犠牲のエピソードは,法華経の焼身供養の教義(妙法蓮華経薬王菩薩本事品 第二十三)そのものが込められていて物語の核心になっている。物語の登場人物は,何かしらの自己犠牲を経験している。主人公のジョバンニは,小学生なのに朝は新聞配達,放課後は活版所で活字拾いのアルバイトをして病気の母を経済的に助けている(父は不在)。友人のカムパネルラは,友達を助けようとして水死する。また,銀河鉄道に乗りこんでくる難破船に乗船していた青年と2人の子供(女の子のかおると男の子のただし)は,救命ボートに乗る順番を後回しにして水死している。

 

この,蝎のエピソードが物語に導入される直前に「楊(やなぎ)の木」が登場する。「蝎の火」と「楊の木」には何か関係があるのだろうか。「楊の木」が登場する場面はこうである。

 川の向ふ岸が俄かに赤くなりました。の木や何かもまっ黒にすかし出され見えない天の川の波もときどきちらちら針のやうに赤く光りました。まったく向ふ岸の野原にまっ赤な火が燃されその黒いけむりは高く桔梗いろのつめたさうな天をも焦がしさうでした。ルビーよりも赤くすきとほりリチウムよりもうつくしく酔ったやうになってその火は燃えてゐるのでした。

 「あれは何の火だらう。あんな赤く光る火は何を燃やせばできるんだらう。」ジョバンニがゐ云ひました。

 「蝎の火だな。」カムパネルラが又地図と首っ引きして答へました。

    (宮沢,1986) 下線は引用者

 

楊はシダレヤナギのようなヤナギ(柳)属ではなく,ヤマナラシ(自生種),ドロノキ(自生種),ギンドロ(明治時代に導入)など枝が全体に立ち,葉が広楕円形のヤマナラシ(ポプラ)属のものを指す(鈴木,1999)。しかし,ヤマナラシ属の樹木を観察していても「蝎の火」に関連するものは見当たらない。ヒントは用途にあるようだ。

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第7図.ギンドロ.

昔,ヤマナラシやドロノキは,小箱や木靴程度の用途しかなかったが,マッチ工業が興り,材が白く柔らかいヤマナラシ属の樹木は最適の軸木として世界中で注目されるようになった。その結果,我が国を含め世界中で乱伐にあい自生木が激減してしまった。たぶん,賢治もこのような事実を知っていて,我々人間の生活に役立てるために「身を焼いて」貢献している楊を物語に採用したのかもしれない。ギンドロは,法華経の信者である賢治が最も愛した植物で,「雨にも負けず」の記念碑の傍に植えられている。

 

4.「夢の浮橋」とナデシコ

賢治は,「夢の橋」という言葉を作品によく使う。虹をイメージして使っているようだ。例えば,童話『めくらぶどうと虹』では「大きな虹が,明るい夢の橋のやうにやさしく空にあらはれました」とあり,『十力の金剛石』では「虹は空高く大きく夢の橋をかけてゐるのでした」とある。宮沢賢治語彙辞典によれば,この「夢の橋」は「紫式部の『源氏物語』の最終巻名である「夢の浮橋」を思いださせる」とある(原,1999)。『銀河鉄道の夜』の最終章でも,「夢の橋」とは書いていないが空の工兵大隊が天の川(銀河)に橋を架ける話が出てくる。

 

空の工兵大隊による架橋の話は,風景描写としてはトウモロコシ畑のある崖の上を走っていた汽車が川岸に下っていくところであり,内面描写では,主人公のジョバンニ少年が「かおる」という女の子と親しそうに話をしている親友のカムパネルラに嫉妬した直後である。嫉妬あるいは三角関係というあまりにも人間臭い話を導入したのは,この物語を単なる宗教物語にしたくなかったからだとも言われている(吉本,1989)。

 どんどんどんどん汽車は走って行きました。室中のひとたちは半分うしろの方へ倒れるやうになりながら腰掛にしっかりしがみついてゐました。ジョバンニは思はずカムパネルラとわらひました。もうそして天の川は汽車のすぐ横手をいままでよほど激しく流れて来たらしくときどきちらちら光ってながれてゐるのでした。うすあかい河原なでしこの花があちこち咲いてゐました。汽車はやうやく落ち着いたやうにゆっくりと走ってゐました。

 向ふとこっちの岸に星のかたちとつるはしを書いた旗がたってゐました。

 「あれ何の旗だらうね。」ジョバンニがやっとものを云ひました。

 「さあ,わからないねえ,地図にもないんだもの。鉄の船がおいてあるねえ。」

 「あゝ。」

 「橋を架けるとこぢゃないんでせうか。」女の子が云ひました。

 「あゝあれ工兵の旗だねえ。架橋練習をしてるんだ。けれど兵隊のかたちが見えないねえ。」

 その時,向ふ岸ちかくの少し下流の方で見えない天の川の水がぎらっと光って柱のやうに高くはねあがりどぉと烈しい音がしました。

 「発破だよ,発破だよ。」カムパネルラはこをどりしました。

 その柱のやうになった水は見えなくなり大きな鮭や鱒がきらっと白く腹を光らせて空中に抛り出されて円い輪を描いてまた水に落ちました。ジョバンニはもうはねあがりたいくらい気持ちが軽くなって云ひました。

(宮沢,1986 )下線は引用者 

 

工兵が軍事的に架橋(かきょう)に使うものは,物語にも記載されているように「鉄の船」である。実際には,船を並べてその上に架台(橋板)を渡した「浮橋」と呼ばれたものである。この物語が夢の中の出来事ということを考えれば,『銀河鉄道の夜』に登場する橋はまさしく「夢の浮橋」である。賢治の頃は盛岡にも工兵第八大隊が駐屯(ちゅうとん)していて,賢治も架橋練習を見た可能性がある。また,『銀河鉄道の夜』最終稿を創作している頃に『源氏物語』を読んでいた可能性も挙げることができる。

 

例えば,『銀河鉄道の夜』(第一次稿は大正13年冬)の先駆的作品として有名な「薤露青(かいろせい)」(大正13年7月)という詩は,「みおつくしの列をなつかしくうかべ/薤露青の聖(きよ)らかな空明のなかを/たえずさびしく湧き鳴りながら/よもすがら南十字へなかれる水よ」で始まる。この詩に出てくる「みおつくし」は,水路の柱という意味だが,『源氏物語』の十四帖の巻名の「澪標(みおつくし)」と同じである。賢治は,「銀河鉄道の夜」の最終章を書くにあたって,『源氏物語』の最終巻名である「夢の浮橋」やそこに登場する「浮船」という女性の名を思い出して,かつて見たことのある鉄の浮橋を使った架橋練習を物語に入れたとも思える。

 

『銀河鉄道の夜』の最終章で「鉄の船」が出てくる前に「河原なでしこの花があちこち咲いてゐました」という記載がある。この「河原なでしこ」も『源氏物語』と関係がありそうだ。『源氏物語』において「夢の浮橋」の前帖である「手習(てならい)」にも「なでしこ」が登場してくる。ちなみに,「なでしこ」は「手習」に限らず,『源氏物語』の他の帖でも高頻度で登場してくるので,いわばこの物語を象徴する植物であるといってもよい。「なでしこ」とは,我が国に自生するナデシコ科の「カワラナデシコ」のことで大和撫子ともいう。秋の七草の一つである。あまりの愛らしさに,ずっと撫でてやりたい愛児あるいは愛娘というのが語源であるらしい。

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第8図.カワラナデシコ.

賢治は好きだった「虹」という言葉を連想させ「うすあかい」色の花を持つカワラナデシコに,愛らしいが弱さをも持つ大和撫子,すなわち『源氏物語』に登場する最後の女性である「浮船」のイメージを重ねたのかもしれない。赤色は,虹の最外郭の色でもある。「浮船」は,『源氏物語』では二人の男性から求愛され,悩み疲れて自殺未遂を起こしてしまう悲劇のヒロインであり,求愛する男性の一人は『銀河鉄道の夜』に登場する女の子の名でもある「薫(かおる)」である。

 

引用文献

鈴木康夫・写真/畔上能力他・解説.1999.山渓ポケット図鑑春の花,夏の花,秋 の花.山と渓谷社.東京都

原 子朗.1999.新宮沢賢治語彙辞典.東京書籍.東京都.

宮沢賢治.1986.文庫版宮沢賢治全集10巻.筑摩書房。東京都.

吉本隆明.1989.宮沢賢治.筑摩書房.東京都.

 

本稿は,人間・植物関係学会雑誌11巻第1号21-42頁2011年に掲載された自著報文(種別は資料・報告)を基にしたものである。原文あるいはその他の掲載された自著報文は,人間・植物関係学会(JSPPR)のHPにある学会誌アーカイブスからも見ることができる。http://www.jsppr.jp/academic_journal/archives.html