宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

植物の「こころ」はヒトの「こころ」を癒す

花や植物の緑を見ると,不安や緊張がほぐれて気持ちが和らぐことをしばしば経験する。ある植物研究家が,どんな花が気持ちを和らげる効果が強いかどうか調べていた。それによると,コスモス,コギク,カスミソウ,スミレなどの小さくて可憐な花にそのような効果が強いことが分かったという。スミレの仲間であるパンジーなどは病院の花壇に限らず,公園や植物園の花壇でよく見かける。一方,バラ,ヒマワリなどの色が鮮やかで大きな花を咲かせる植物は,逆に気持ちを高揚させる効果があるという。

 

賢治は,大正15年(1926)と昭和2年の2年間の間,花巻病院の花壇作りに関係したとされる。この期間は,かなり楽しかったようで,その様子が詩集『春と修羅 詩稿補遺』の「病院の花壇」や「短編梗概」の「花壇工作」という作品に記載されている。「病院の花壇」では,ヒヤシンス,キャンデタクト,ツメクサの花が登場する。「花壇工作」でもムスカリ,チュウリップなど何種類かの草花が登場するが,見る側の視線を気にしながら花壇作りに対する賢治の熱い思いが述べられている。

 そこでおれはすっかり舞台に居るやうなすっきりした気持ちで四月の初めに南の建物の影が落ちて呉(く)れる限界を屋根を見上げて考へたり朝日や夕日で窓から花が逆光線に見えるかどうか目測したりやってから例の白いはうたいのはじで庭に二本の対角線を引かせてその方庭(ほうてい)の中心を求めそこに一本杭を立てた。

 そのとき窓に院長が立ってゐた。云った。

    (どんな花を植ゑるのですか。)

    (来春はムスカリとチュウリップです。)

    (夏は)

    (さうですな。まんなかをカンナとコキア,観葉種です,それから 

    花甘藍(はなかんらん)と,あとはキャンデタフトのライラックと白で 

    模様をとったりいろいろします。)

      (中略)

 だめだだめだ,これではどこにも音楽がない。おれの考へてゐるのは対称はとりながらごく不規則なモザイクにしてその境を一尺のみちに煉瓦(れんぐわ)をジグザグに埋めてそこへまっ白な石灰をつめこむ。日がまはるたびに煉瓦のジグザグな影も青く移る。あとは石灰からと鋸屑(おがくづ)で花がなくてもひとつの模様をこさへこむ。それなのだ。              

          (「花壇工作」宮沢,1986)

 

賢治は,チュウリップやカンナなどの色鮮やかな花と白い石灰の間に,ヒヤシンス,ムスカリそしてキャンデタクトといった可憐な花を配置している。もしかしたら,賢治はこれら可憐な花が患者の不安や緊張を和らげることを直感的に察して,これらを植えようとしたのかもしれない。

 

草の緑,木々の緑も安らぎの効果をもたらす。米国での調査だが,窓から外の植物が見える部屋にいる受刑者は,緑が見えない受刑者に比べ医者にかかる回数が少ないことが報告されている。また,歯科医院に植物を置いておくと,痛みの感じ方が少ないともいう。

    

米国のUlrich(1984)は,胆嚢手術後の入院患者を,窓から木々の緑が見えるグループとレンガ塀が見えるグループに分けて健康回復の程度を詳細に調査した。そして,窓から緑が見えるグループでは鎮痛剤投与を要求する回数が有意に少ないこと,退院も早くなったことを報告した。これを証明する基礎研究も盛んに行われるようになった。例えば,植物の景観を見せると,脳波のα波が増え,脈拍が少なくなり,血圧が下がるという。これらは,米国だけでなく我が国にも大きなインパクトを与えた。緑の効果は実際に体験しなくても疑似体験でも認められる。国立がんセンター中央病院では,患者に緑豊かな木々の映像を見せて,あたかも林や森に行った気にさせることで,心拍数,血圧,呼吸を安定させ,ガン治療に伴う副作用の吐き気軽減に効果を上げている。

 

これは,個人的な体験だが,心臓病を患って長期入院したことがある。最初は,病室が8人部屋で,カーテンで8つに仕切られた真ん中だった。個人に与えられている居室空間が狭く,また薄暗く,寝ているとカーテンと天上の壁しか見ることが出来なかった。さらに,両側の患者さんの気配を感じながら結構憂鬱な毎日であった。ところが,6人部屋の窓側(東)に移ったときはある種のさわやかを感じた。朝,窓越しではあったが朝日を拝むことができたし,庭の樹木も,遠くの海も眺めることができた。秋になったときは紅葉が美しいと感じた。だから,米国の調査結果は肌で納得できるものであった。

 

しかし,仮想空間や窓越しの景色ではなく,現実の木々の緑の中に入ることが最も効果を発揮することは言うまでもいない。木々の肌触り,香り,音もリフレッシュ効果に役立つ。森の中に入って,耳を研ぎ澄ませば,風の音,小鳥たちの鳴き声,滝や小川のせせらぎ,動物たちの枯れ葉を踏んでいく音が聞こえてくる。賢治は,妹トシが病気でまさに死に至ろうとするとき,トシが好きだった松の林に降った「雪」と「松の枝」を取ってきて手渡したことが作品の中で記載されている。

はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから

おまへはわたくしにたのんだのだ

 銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの

そこからおちた雪のさいごのひとわんを・・・・・

・・・ふたきれのみかげせきざいに

みぞれはさびしくたまってゐる

わたくしはそのうえにあぶなくたち

雪と水とのまつしろな二相系をたもち

すきとほるつめたい雫にみちた

このつややかな松のえだから

わたくしのやさしいいもうとの

さいごのたべものをもらっていかう

    (「永訣の朝」1922.11.27   宮沢,1986)

 

  さつきのみぞれをとってきた

  あのきれいな松のえだだよ

おお おまえはまるでとびつくやうに

そのみどりの葉にあつい頬をあてる

そんな植物性の青い針のなかに

はげしく頬を刺させることは

むさぼるやうにさへすることは

どんなにわたくしたちをおどろかすことか

そんなにまでもおまへは林へいきたかつたのだ

おまへがあんなにねつに燃され

あせやいたみでもだえてゐるとき

わたしは日のてるところでたのしくはたらいたり

ほかのひとのことをかんがへながら森をあるいてゐた

   《ああいい さっぱりした

    まるで林のながさ来たよだ》

鳥のやうに栗鼠(りす)のやうに

おまへは林をしたつてゐた 

   (中略)

  おまえの頬の けれども

  なんといふけふのうつくしさよ

  わたくしは緑のかやのうへにも

  この新鮮な松のえだをおかう

  そら

  さはやかな

  terpentine(ターペンティン)の匂もするだらう

      (「松の針」1922.11.27  宮沢,1986)

 

なぜ,人は「肉体」あるいは「心」が疲弊したとき,あるいは「病気」になったとき,花や木々の緑を求めたり,それらによって癒されたりするのだろうか。香りや森の音のリフレッシュ効果もあるがそれだけではない。

 

ドイツの教育哲学者ボルノーが,1986年5月に日本に来日し「国際グリーン・フォーラム――都市と緑の文化戦略――」で講演したとき,彼は,「人間は,都会生活の機械的な時計で測られる時間の単調な経過の中では不活発になり疲弊する。しかし,四季の移り変わりの中で経験されるリズムを自然とともに共体験すると,自らの体内に存在するリズムが呼び戻されリフレッシュすることができる」と話した。

 

花や木々は,季節の動きに合わせて活動している。春の花や若葉,夏の花や青葉,秋の花や紅葉そして冬の枯葉や落葉。こうした季節感(宇宙リズム)が花や木々を求める重要な要因になっている。季節を感じる機会が多いほど体調は正常に維持される。これは「肉体」の回復だけを指すのではない。すでに,解剖学者の三木成夫(1995)は,「内臓のはたらきと子どものこころ」という著作のなかで,人間の「心」の本態を「からだに内臓された食と性の宇宙リズム」とし,人間の「心」もまた,植物のもつ四季の移り変わり,すなわち太陽系の諸周期と歩調を合わせる宇宙リズムと交響したときリフレッシュすると言っている(Shimafukurou,2021)。

 

雪と氷で閉ざされている北国で,鬱積した心の状態でいるとき,春一番に雪の中から芽を出してくるフキノトウやフクジュソウをみれば,誰しもが,心の奥底から「春だ」と叫ばずにはいられないであろう。秋のススキの穂の輝きを見れば,秋の深まりをしみじみと感じることになる。

 

賢治の妹のトシもまた,「銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいのそこからおちた雪のさいごのひとわん」や「松のえだ」に触れたとき,季節感を感じ,また宇宙リズムと交響し,肉体こそ回復しなかったが,一時でも「こころ」の平安を得ることは出来たことだろう。

                                 

参考・引用文献

三木成夫.1995.内蔵のはたらきと子どものこころ.築地書館.東京.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

Shimafukurou.2021.宮沢賢治の『鹿踊りのはじまり』―植物や動物と「こころ」が通う-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/08/01/101145

Ulrich R.S.1984.View through a window may influence recovery from surgery. Science 224:420-421.

 

本稿は,『植物と宮沢賢治のこころ』(蒼天社 2005年)に収録されている報文「植物の「こころ」はヒトの「こころ」を癒す」を加筆・修正にしたものです。