宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-カンパネルラの恋(1)-

Keywords : アイヌ神謡集,アイリス,文学と植物のかかわり,蛇紋岩,橄欖(かんらん)の森,ミズバショウ,先住民,スギ,種山ヶ原,ヤマザクラ

 

賢治は,童話『銀河鉄道の夜』の中で「ほんたうにみんなの幸せのためなら僕のからだなんか百ぺん灼(や)いてもかまはない」ということを繰り返し主人公たちに言わせているが,この「みんなの幸せ」の「みんな」とは誰であろうかと疑問に持つことがある。例えば,ジョバンニの家族のことなのか,ジョバンニの住んでいる町の人々のことなのか,あるいはもっと広く地球に住んでいる全ての人々のことなのかということである。しかし,賢治がこの童話を創作する時点では,この「みんな」はもっと具体的な人たちをイメージして作られていたと思われる。

 

文芸評論家の奥野健男(1972)は,かつて文芸作家達の作品の底を流れる幼い頃に「自己形成とからみあい血肉化した,深層意識ともいうべき風景」を「原風景」と呼んだ。例えば,「太宰治の場合は津軽平野一帯を,宮沢賢治の場合は『銀河鉄道の夜』と表現し,また「イーハトーブ」と名付けた北上山系一帯」を「原風景」と考えた。「イーハトーブ」とは賢治の心象世界にある「理想郷」を指す言葉である。

 

賢治が『銀河鉄道の夜』(第一次稿)の創作時期と同時期に刊行した童話集である『注文の多い料理店』(1924.12.1)の広告文に「イーハトーブとは1つの地名である。(中略)実にこれは,著者の心象中に,この様な状景をもって実在した「ドリームランド」としての日本岩手県である」と記載されている。賢治は『銀河鉄道の夜』の創作時に,北上山系一帯を「ドリームランド」にする夢を描いていた。すなわち,賢治の言う「幸せ」の対象(=みんな)は,まずは岩手県を含む北上山系一帯(東北)の人々であろう。

この「東北」にはどのような人々が住んでいたのであろうか。古代において,この「東北」には「蝦夷」と表記して「エミシ」と呼ばれていた人々が先祖代々長く在住していた。大和朝廷から続く歴代の中央政権の直接的な支配が及んでいない(あるいは対決していた)在地の住民が一括してそう呼ばれていた。中央政権側と「東北」の間では長い闘争が繰り返された。すなわち,「蝦夷(エミシ)」とは支配者側が「東北」の地を命名した蔑視あるいは恐れの気持ちが入っている言葉である。

 

また,「東北」の地には「蝦夷(エミシ)」以外にも「先住民」としての「アイヌ」の人々もいたようである。「蝦夷」を「エゾ」と呼ぶ場合は北海道の「アイヌ」または「アイヌ」の祖先を指す場合が多い。「アイヌ」と「蝦夷(エミシ)」の関係はよく分かっていないが(川久保ら,2009),賢治の生きた時代には日本人の北方起源説が盛んに主張されていて,「蝦夷(エミシ)」と「アイヌ」が同一視されたりもした(秋枝,1996)。

 

このように,賢治の生きた時代の「東北」には,「先住民」としての「蝦夷(エミシ)」あるいは「アイヌ」の末裔と,これら以外に混血して同化した人々を含む多数の「移住者(和人)」及びその末裔が住んでいた。賢治が心象世界で思い描く「ドリームランド」としての「イーハトーブ」とは,「東北」の「先住民」と「移住者」及びその末裔が共に対立もなく「幸せ」に暮らせる世界であろう。

 

大正13(1924)年に創作された童話『銀河鉄道の夜』(第一次稿)は「橄欖(かんらん)の森」の場面から始まる。多分,この「橄欖」の森の中に,物語の創作に繋がるヒントが隠されている。本稿(1)では「橄欖の森」が何を意味しているのかを明らかにして,物語がどのようにして生まれてきたかについて考察してみる。

1.童話の中の「橄欖」

現在までに残されている童話『銀河鉄道の夜』(初期形第一次稿;宮沢,1985)は,第四次稿の4分の1ほどの短い物語で以下の文章で始まる。

〔ここまで原稿なし〕

そして青い橄欖の森が見えない天の川の向ふにさめざめと光りながらだんだんうしろの方へ行ってしまひ,そこから流れて来るあやしい楽器の音ももう汽車のひゞきや風の音にすり耗(へ)らされて聞えないやうになりました。

「あの森琴(ライラ)の宿でせう。あたしきっとあの森の中に立派なお姫さまが立って竪琴を鳴らしていらしゃると思ふわ,お附きの腰元や何かが青い孔雀の羽でうしろからあふいであげてゐるわ。」

 カムパネルラのとなりに居た女の子が云ひました。

 それが不思議に誰にもそんな気持ちがするのでした。第一その小さく小さくなっていまはもう一つの緑いろの貝ぼたんのやうに見える森の上にさっさっと青じろく時々光ってゐるのはきっとその孔雀のはねの反射だらうと思ひました。けれどもカムパネルラがやはりそっちをうっとり見てゐるのに気がつきましたらジョバンニは何とも云へずにかなしい気がして思はず「カムパネルラ,こゝからはねおりて遊んで行かうよ。」と云はうとしたくらゐでした。    (下線は引用者)

 

ここで注目したいのは,「橄欖の森」が「竪琴」の音が奏でられている「琴(ライラ)の宿」と同じ意味で使われていることである。これは,ギリシャ神話の竪琴の名手オルフェウスが,死んで天上世界へ旅だった妻のエウリディケを追いかけて連れ戻そうとする悲恋物語を連想させるものである(入沢・天沢,1979)。エウリディケという名は木の「妖精」(Nymph)という意味である。星座で言えば「琴座」(ラテン語でLyra)に纏わる神話である。童話『銀河鉄道の夜』でも「橄欖の森」の場面で主人公の1人であるカムパネルラは「うっとり見てゐる」とあるように「女の子」に恋をする。カムパネルラは,ステッドラーの色鉛筆も買えるほどの裕福な「男の子」という設定である。

 

また,ギリシャ神話と異なるところの1つとして,『銀河鉄道の夜』ではこのカンパネルラの恋に対してジョバンニが嫉妬することである(三角関係)。このように,童話『銀河鉄道の夜』の発想には,恋物語が関係している。

 

賢治は文語詩「機会」によれば,生涯に4回の恋をしたことになっていて,その中には「瞳が茶色」で「背のすらり」とした女性との相思相愛の熱烈な恋もあったという(澤口,2010,2013;重松ら,2011;澤村,2010;吉増,2018),

 

賢治作品に登場する恋人が,実際に賢治が恋した女性を指しているかどうかはわからない。詩集の中の「春と修羅」の副題に“mental sketch modified”(修正された心象スケッチ)とあるように,事実に基づくものでも修正あるいは修飾されている可能性は高い。また,賢治は「農民芸術概論」(1926)で「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」と述べているように,残された文字の上では恋人だけとの幸せは望んでいない。しかし,相思相愛の恋の経験があったなら,修正した形にせよ作品に登場してきてもおかしくはない。

童話『銀河鉄道の夜』には,研究資料としての生原稿や創作メモなどが多数残されていて,その一つとしてこの物語の初期形(第一次稿)の原稿78葉余白には自筆鉛筆書きの創作メモとして,「カムパネルラをぼんやり出すこと,」「カムパネルラの死に遭ふこと,」「カムパネルラ,ザネリを救はんとして溺る。」の文字が記載されているが,裏側には2行にわたって「カムパネルラ/〇〇〇の恋(左わき3文字は縦線が入っていて判読不明)」の文字がある。カムパネルラの文字の左わきの〇で記した3文字は無理に読もうとすれば第1字はおそらく「外」で,第2字は「道」または「色」,第3字は書きかけの文字だと言われている(入沢,1997)。

 

賢治研究家の入沢康夫と天沢退二郎(1979)は,この消された2文字は「外色」と読んでは意味が通じないので「外道」ではないのかと推測した。一方,澤口(2013)は,この3文字の2字は「水色」であり,裏面には「カムパネルラ/水色の恋」と記載されているのだと推測している。

 

賢治の作品で『銀河鉄道の夜』と同じく「三角関係」の恋を扱ったものに『土神ときつね』(1934年に発表)という寓話がある。この寓話は,綺麗な女性に擬人化されている「樺の木」をめぐって谷地に住む「土神」と南から来る「狐」が恋の鞘当てをする物語であり,「土神」と「狐」の恋愛の苦悩(嫉妬や怒り)が描かれている。原稿の表紙には,「土神,……退職教授/きつね,……貧なる詩人 樺の木,……村娘」」と創作メモが残されているが,この「樺の木」を「先住民」の女性,「土神」を「先住民」の神,そして「狐」を南から来た「移住者」に喩えると理解しやすい。

 

この寓話で,「土神」は,ハイネの詩とかドイツ製の天体望遠鏡を自慢する「狐」が「樺の木」に恋したことに嫉妬し「狐」を殺してしまうという話になっている。また,物語では「樺の木」はどちらかというと「狐」の方が好きということになっている。「樺の木」は日本在来種の「ヤマザクラ」(山桜; Cerasus jamasakura (Siebold ex Koidz.) H.Ohba ),「オオヤマザクラ」(Cerasus sargentii (Rehder) H.Ohba)あるいは「カスミザクラ」(Cerasus leveilleana ( Koehne ) H.Ohba,2001)などのバラ科植物の可能性がある。

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第1図.ヤマザクラ

「東北」にとって「ヤマザクラ」は観賞というよりは商品価値の高いものとして重宝がられていた。赤みを帯びた美しい縞模様のある樹皮を使って茶筒などの工芸品(樺細工)が作られている。「ヤマザクラ」の樹皮はアイヌ語でカリンバニ(karimpa-ni)と呼ぶ。「カリンバ(karimpa)」はアイヌ語で「纒く」(枕にする)の意味で,「ニ(ni)」は樹皮という意味である。すなわち,「カリンバニ」は,「枕にする皮」という意味になる。何かエロチックな名であり,また『銀河鉄道の夜』の主人公の1人であるカムパネルラの名前とも重なる。童話『銀河鉄道の夜』(第四次稿)でもこの「ヤマザクラ」と思える「桜」がカムパネルラと一緒に登場する。

 

最近,秋枝美保(2017)は,賢治の寓話『土神ときつね』と詩集『春と修羅』の「いかりのにがさまた青さ」という詩句がある詩「春と修羅(mental sketch modified)」(1922.4.8)の内容が知里幸恵(1978)の訳した『アイヌ神謡集』(1版は1923年8月に出版)の神謡「谷地の魔神が自ら歌った謡“ハリツ クンナ”」と似ているということを報告している。共通点は「怒り」あるいは「焦燥感」だという。『土神ときつね』は,童話『銀河鉄道の夜』(第一次稿)の直前の大正11年(1922)年後半から12年(1923)中に書かれたとされている。この「怒り」あるいは「焦燥感」は,そのまま『銀河鉄道の夜』へも流れていくように思われる。

「橄欖の森」の「橄欖」については賢治研究者たちの間で意見が分かれる。「橄欖」を鉱物の橄欖岩とするものや,植物の「カンラン」(カンラン科;Canarium album (Lour.) Raeusch)あるいは聖書に登場する「オリーブ」(モクセイ科;Olea europaea L.)とするものもいる(石井,2014)。この「橄欖」の「ほんとう」の意味は,物語の初期形第一次稿ができた年の直前に書かれた作品で,同じ「橄欖」の文字が登場する作品を詳細に調べると理解できるかもしれない。

 

2.詩「マサニエロ」に登場する「橄欖」と「杉」

「橄欖」という文字は,大正十二年に賢治の相思相愛の恋人を詠んだとされる詩集『春と修羅』の「マサニエロ」(1922.10.10)に登場する。詩「マサニエロ」は,賢治の勤めていた農学校の裏手にある花巻城址(歴代の南部藩花巻郡代の居城)の高台から花城小学校辺りの景観を読んだ詩とされている(澤口,2010)。この詩には「すゞめ すゞめ/ゆっくり杉に飛んで稲にはいる/そこはどての影で気流もないので/そんなにゆっくり飛べるのだ/(なんだか風と悲しさのために胸がつまる)/ひとの名前をなんべんも/風のなかで繰り返してさしつかえないか」という恋人の名前を呼びたくても呼べない切ない恋心の表現のような言葉が並ぶ。

 

賢治の恋人はこの小学校の代用教員として勤めていた。この詩には「杉」(2回登場),「ぐみの木」,「すすき」,「桐」,「蓼(たで)」,「稲」,「桑」,「蘆(あし)」といった沢山の植物が登場するが,「杉」だけが異様に目立つのである。「杉」はヒノキ科の常緑針葉樹の「スギ」(Cryptomeria japonica (L.f.) D.Don)のことで,真っ直ぐに伸びる(直木)という名が由来の我が国の在来種である。この詩の「杉」には1回読んだだけでは意味が通じない形容語句がつく。

 

詩の中で2回登場する「杉」の1番目は,「(と橄欖天蚕絨,杉)」である。この語句を括っている丸括弧の記号は独り言である。つまり,賢治は恋人が務める小学校を見て「(濠と橄欖天蚕絨,杉)」とつぶやいているのである。このつぶやきの後に,「マサニエロ」の上記引用文が続く。「濠」はお城の堀,「橄欖」は橄欖岩の緑色,「天蚕絨」は「天鵞絨」のことで,柔らかく光沢感のあるビロード(ベルベット)のような織物のことである。「天鵞」は白鳥で,白鳥の翼のように光沢があるという意味である。一方,「天蚕」はヤママユガ科の蛾の「ヤママユ」(Antheraea yamamai )で,その繭から薄い緑色の線維「天蚕糸(てぐす)」がとれる。蛾はアイヌ語で火(アぺ ape)に寄って来ることから「アペトゥムペ apetumpe」という。

 

なぜ賢治は,「天鵞(=白鳥)」を「天蚕」に変えたのかは分からないが,「橄欖天蚕絨,杉」を単純に解釈すれば,「葉が緑色で光沢感のある杉」という意味である。しかし,スギの葉の色を光沢のある緑と形容するのに,賢治は,なぜ「橄欖天鵞絨」という意味の取りにくい形容語句をつけたのだろうか。特に,「橄欖」は重要な言葉である。なぜなら,前述したように,童話『銀河鉄道の夜』の初期形第一次稿は,第四次稿の九章に当たる「ジョバンニの切符」の「橄欖の森」の場面から始まるからである。

 

3.詩〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕に登場する「杉」

詩集『春と修羅 第二集』の詩〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕(1924.5.18)にも詩「マサニエロ」と同様の「杉」が登場する。

  詩〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕(1924.5.18)

    日はトパーズのかけらをそゝぎ

    雲は酸敗してつめたくこごえ

    ひばりの群はそらいちめんに浮沈する

       (おまへはなぜ立ってゐるか

        立ってゐてはいけない

        沼の面にはひとりのアイヌものぞいてゐる)

   一本の緑天蚕絨の杉の古木

   南の風にこごった枝をゆすぶれば

   ほのかに白い昼の蛾は

   そのたよリない気岸の線を

   さびしくぐらぐら漂流する

       (水は水銀で

        風はかんばしいかほりを持ってくると

        さういふ型の考へ方も

        やっぱり鬼神の範疇である)

   アイヌはいつか向ふへうつり

   蛾はいま岸の水ばせうの芽をわたってゐる

         (宮沢,1985)下線は引用者

 

この詩では,1本の緑天蚕絨の「杉」の古木が,その近くの鏡の面を持つ沼に現れる先住民「アイヌ」の幻影と一緒に登場する。また,この下書稿では,「そこの住む古い鬼神」,「薬叉はいつか向ふへうつり」あるいは「樹神」という言葉もあり,また一旦書かれて削除された詩句には「沼はむかしのアイヌのもので/岸では鍬や石斧もとれる」とあるように,詩に登場する「杉」には「アイヌ」の「鬼神」あるいは仏教の「薬叉」(夜叉のこと)が取り憑いているように思える。

 

賢治の恋を読んだ最初の詩「マサニエロ」には,「杉」と一緒に「ひとの名前をなんべんも/風のなかで繰り返してさしつかえないか」といった切ない詩情が語られるが,2年以上経過して詠んだ詩〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕には,「怒り」の「鬼神」が宿った「杉」が登場することになる。2つの詩の「杉」が共通の女性を比喩しているのなら,多分,この間に賢治と恋人との破局が訪れたのであろう。

 

詩の引用箇所の最後の「水ばせう」は,植物の「ミズバショウ」(サトイモ科;Lysichiton camtschatcense S.)のことで葉が変形して花のように見える「仏炎苞」と呼ばれる苞が特徴である。「仏炎苞」という名は,苞が仏像の背後にある炎をかたどる飾り(後背)に似ていることによる。それゆえ,詩の最後の2行は,恋人が「怒り」とともに去ったのち,火に集まる習性のある蛾に化身した賢治が仏教の暗喩ともとれる仏炎苞を持つ「水ばせう」のまだ芽の上を「たよりなく,さびしくぐらぐらと」漂流しているとも読める。さらに,一般化すれば,「先住民」と共に並んで「東北」の大地に立つことのできない「移住者」の末裔の苦悩を語っているのかもしれない。

 

さらに,「杉」と一緒に,恋人の決して呼んではいけない名前を呟くもう1つの詩がある。詩集『春と修羅』(第三集)の〔エレキや鳥がばしゃばしゃ翔べば〕(1927.5.14)には,「枯れた巨きな一本杉が /もう専門の避雷針とも見られるかたち/……けふもまだ熱はさがらず/Nymph, Nymbus, Nymphaea, …… 」とある。Nymph(ニンフ)は,山,川,海,森などにすむ半神半人の少女の妖精で,Nimbus(ニンバス)は後光(光の雲)で,Nymphaea(ニンフェア)は,ヒツジグサ(Nymphaea tetragona Georgi)のようなスイレン属の植物のことである。

 

賢治は,年譜によれば父方および母方ともに京都の藤井将監という人が始祖だとされる。この藤井将監は,17世紀後半(江戸中期の天和・元禄年間)に花巻にやって来た公家侍のようである。この子孫が花巻付近で商工の業を営んで宮沢まき(一族)とよばれる地位と富を築いていった(堀尾,1991;畑山・石,1996)。すなわち,賢治は,生粋の東北人ではない。

 

詩集『春と修羅』の詩「過去情炎」(1923.10.15)で「わたくしは移住の清教徒(ピューリタン)です/(中略)/もう水いろの過去になっている」(下線は著者)と言っている。詩〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕に登場する「先住民」を暗喩する沼の傍あるいは「先住民」の恋人を暗喩する「杉」と並んで「(おまへはなぜ立ってゐるか/立ってゐてはいけない)」と賢治が呟くのは,宮沢家(あるいは宮沢一族)が「先住民」に対して対立する側の眷属すなわち「移住者」の末裔であり,それが原因の一つで賢治の恋が破局したことに対する後悔あるいは焦燥なのかもしれない。

 

一方,恋人の側の情報は少ないが,恋人の母は仙台藩の武家の出で,恋人と同じく凛として気丈な女性だったという(澤口,2010)。賢治の恋の破局の顛末は童話化した形で『シグナルとシグナレス』という形で岩手毎日新聞に連載公表されたと推測する研究者もいる(澤口,2010)。「シグナル」は東北本線側の信号機で「シグナレス」は岩手軽便鉄道側の信号機を擬人化したもので,それらを取り巻く両家の親族および近親者と思われる擬人化された電信柱たちが登場し,「シグナル」と「シグナレス」の結婚を反対する様子がユーモアとペーソス(哀愁)を交えて描かれている。

 

2本の信号機は結婚を誓い合い「シグナル」は「シグナレス」へ「琴座」のM57環状星雲を婚約指輪に見立てて贈ったりもする。賢治の恋の破局の本当の理由は知る由もないが,もしも,相思相愛の恋人が先祖代々「東北」の地に住んでいる家系の女性で,それが破局の原因の一つであったのなら,賢治にとって「先住民」と「移住者」及びその末裔の間の軋轢は,解決されなければならない重要な問題になったのは確かであろう。 

 

4.「先住民」と「橄欖岩」の大地

次に,詩「マサニエロ」の「杉」を形容する「「橄欖天蚕絨」の「橄欖」について考察してみたい。

 

この「橄欖」は,地中のマントル上部を構成する火成岩の一種でオリーブ色(濃緑色)の「橄欖岩(olivin)」のことである。その殆どは地下に存在する。「橄欖岩」は変性作用を受けやすく地表で見られる場合には殆どが「蛇紋岩」に変化してしまう。賢治の愛した「種山ヶ原」は「蛇紋岩」の大地である。童話『種山ヶ原』(1921)に「種山ヶ原というのは北上山地のまん中の高原で,青黒いつるつるの蛇紋岩や,硬い橄欖岩からできています」とある。

 

ただ,日本には世界的に有名な「橄欖岩」の産地が別にある。その産地とは,北海道様似町で日高山支稜線西南端に位置する標高810mの「アポイ岳」である(幌満かんらん岩;Horoman-peridotiteとして有名)。アポイ岳を含む日高山脈は,かつて東側の地下の岩盤である北米プレートと西側のユーラシアプレートが激しく衝突しめくり上がるようにして乗り上げてできたとされる。その際,プレートの下にあったマントルの一部が地表に押し上げられ「橄欖岩」の山・「アポイ岳」ができたという(加藤,2013)。地質学者でもある賢治が知らないわけがない。賢治が興味を示したのはこれだけではない。「アポイ岳」はアイヌ語で「火のある処;ape-o-i」を意味し,「アイヌ」の人々にとって容易に立ち入ることができない聖域である「神の山;kamuy nupuri」であったということである。

 

「アポイ岳」は,また「三角測量」の一等三角点でもある。日高山脈に属する山として同じく「アイヌ」の人々が神の山とする「カムイエクウチカウシ山」も一等三角点になっている(1900年)。明治新政府は,明治2(1869)年に,それまで「蝦夷(エゾ)」と呼ばれていた「先住民」の住む土地を北海道と改めた。「三角測量」は北海道では明治六(1873)年に苫小牧の勇払原野の勇払基線から始まる。「三角測量」は,先住民の「アイヌ」の人々にとっては先祖代々の土地が奪われるということを意味する。

 

賢治が生まれた3年後の明治32(1899)年に,「アイヌ」の土地所有権の制限(不動産の相続権の停止など),アイヌ語の廃止,日本の同化政策を目的とした北海道旧土人法が制定された。興味あることに,「日高」と「北上」は語源を同じくしているらしい。「北上」は「日高見(ひだかみ)」の転訛だという。『日本書紀』に「東北」の「蝦夷」の住んでいた地方を「日高見国」と言ったとある(Wikipedia執筆者,2018)。

 

「スギ」は北海道には自生していない。しかし,「スギ林」は北海道の中央部に位置する月形町(北限)や道南地方にたくさん見受けられる。この月形町の「スギ林」は明治政府によって明治23(1990)年に植栽されたものである(北海道森林管理局,2018)。すなわち,北海道の「先住民」にとって植林された「スギ」は奪われた土地を象徴する。詩「マサニエロ」に登場する「橄欖天蚕絨」と形容した「スギ」に「アイヌ」あるいは「蝦夷(エミシ)」の「鬼神」が取り憑いても不思議ではない。

 

北上山系が「蛇紋岩」の大地であるということは,さらに,もう1つ重要な意味が隠されている。それは,「蛇紋岩」の地層が多く見られる所には,「砂金」も多く含まれるということである。すなわち,北海道の日高山系と同様に北上川流域を始め,「東北」ではかなりの「砂金」が採れた。それが寛治元年(1087)から約100年間の「蝦夷(エミシ)」の系統を継ぐとされる奥州藤原氏の栄華の源泉だった。この栄華を象徴するのが平泉にある「中尊寺」の「金色堂」である。この「金色堂」の装飾品として,夜光貝を用いた螺鈿細工や孔雀であしらわれた須弥壇が見られる。

 

これらは,「童話『銀河鉄道の夜』(初期形第一次稿)の最初にでてくる「橄欖」の森が「貝ぼたん」に見えたり,孔雀が連想されたりするのと関係がありそうである。「東北」は,酸性土壌で不毛な大地ではあるが,金を産出するということで栄華を極めたときもあった。また,「中尊寺」の参道には,江戸時代に仙台藩が植林した樹齢300年を超える「杉並木」がある。仙台藩は,平泉の随所に「スギ」を植林し,中尊寺を手厚く保護した。この植林は土地開発ではなく森林保護が目的とされている(岩手県立図書館,2018)。賢治は「橄欖の森」を日高山系や平泉の「中尊寺」辺りの森をイメージして物語に導入したとも思われる。

 

5.「橄欖岩」の大地に咲く「アイリス」

賢治の恋人らしい女性がでてくる重要な詩に,詩集『春と修羅 第二集』補遺にある「若き耕地課技手のIrisに対するレシタティヴ」(1925.7.19)というのがある。この詩は,詩「種山ヶ原」の下書稿の一部を独立・発展させたものである。耕地課とは,昔の稗貫郡か江刺郡の役所の1つの部門と思われ,その若き技手とは耕地課の職員の助手ということで賢治のことだと言われている(宮城・高村,1992)。賢治が農学校の教員だったころ,耕地課の職員と一緒に「種山ヶ原」の土地開発のための測量を手伝ったときの様子を詠んだ詩のようである。

 

「Iris」は,植物の「アイリス」あるいは「イリス」のことでアヤメ科アヤメ属の学名である。賢治の詩に登場する「カキツバタ」(Iris laevigata Fisch)や「シャガ」(Iris japonica Thunb.)を指す(いずれも在来種)。「カキツバタ」は茎先に青紫色の花をつける。「Iris」には,植物以外に眼の「虹彩(Iris)」の意味もある。これもとても重要なことで後述する。

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第2図.シャガの花

詩の最初は,賢治とは別行動している測量班の人々が「種山ヶ原」を測量して地図を仕上げていく様子が描かれているが,後半は測量後に予想される「種山ヶ原」の様子や昔の恋人を回想する場面が登場する。

 (前略)これは張りわたす青天の下に /まがふ方ない原罪である /あしたはふるふモートルと/ にぶくかゞやく巨きな犁(すき)が /これらのまこと丈高く /靱(つよ)ふ花軸の幾百や /青い蝋とも絹とも見える /この一一の花蓋(かがい)と蕋(しべ)を/ 反転される黒土の /無数の条に埋めてしまふ(後略)               (宮沢,1985)下線は著者

「種山ヶ原」の土地開発のために,明日は,この一帯に電動機(moter)の音が鳴り響き,巨大な犂によって土壌が掘り起こされ,「種山ヶ原」の無数の在来種の「アイリス」の花軸,花蓋(萼と花弁),蕊(雌しべと雄しべ)が土の中に埋められる様子が想像されている。ここで注目しなければいけないのは,このような開発行為を「原罪」としていることである。これは,前述した詩〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕に登場する「アイヌ」の「鬼神」が取り憑いた日本在来種の「杉」と関係がありそうである。

 

「種山ヶ原」一帯の北上山地は,古くから「先住民」である「蝦夷(エミシ)」が住んでいた土地である。賢治はこの場面でも「先住民」が住んでいた土地に開発の手が入ることに憂慮している。さらにこの詩には続きがある。この詩の下書稿には,「むしろわたくしはそのまだ来ぬ人の名を/このきらゝかな南の風に/いくたびイリスと呼びながら/むらがる青い花紅のなかに/ふたゝび地図を調へて/測量班の赤い旗が/原の向ふにあらはれるのを/ひとりたのしく待ってゐやう」と,詩「マサニエロ」と同様に恋人を日本在来種の「アイリス」,あるいは「先住民」である「蝦夷(エミシ)」と重ねて,その名前を繰り返し呼んでいるのである。

 

詩「種山ヶ原」や「若き耕地課技手のIrisに対するレシタティヴ」に記載せずに下書稿に残した一節に賢治の本心があるとすれば,破局がなければやがて訪れるであろう「種山ヶ原」の「ドリームランド」を夢みて集まる開拓民の家族の中に恋人との生活もあったのだと想像しているのだと思う。

 

さらに,結婚というテーマで作った詩も残されている。詩集『春と修羅 第二集』のアイルランド風というメモ書きのある「島祠」(1924.5.23)には,「鷗の声もなかばは暗む/そこが島でもなかったとき/そこが陸でもなかったとき/鱗をつけたやさしい妻と/かってあすこにわたしは居た」とある。「前世」では海の底で「人魚」(妖精;Nymph)の妻と結婚していたかもしれないという切ない恋歌である(米地,2015;浜垣,2018)。恋人を「妖精」の「人魚」に喩えたのは,恋人が飲食業を営む実家の手伝いをしていて手が魚の鱗のように荒れていたからだという。

 

以上,童話『銀河鉄道の夜』(初期形第一次稿)の最初に登場する「橄欖の森」について考察した。この物語は「コロラド高原」の「インディアン」が登場してくるように夢の中では北米大陸を舞台にしているが,賢治がこの物語を創出する時点では「インディアン」と重ねるように北海道の日高山系あるいは「東北」の北上山系の「蝦夷」など「先住民」が住み,過去には砂金も採れた「橄欖岩」を産出する大地がイメージされていた。そこには,賢治の相思相愛で「背のすらり」とした恋人をイメージできる在来種である「杉」の森が存在し,「アイリス」の青い花が咲き乱れていた。(続く)   

 

引用文献 

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本稿は人間・植物関係学会雑誌17巻第2号15~21頁2018年に掲載された自著報文(種別は資料・報告)を基にしたものである。原文あるいはその他の掲載された自著報文は人間・植物関係学会(JSPPR)のHPにある学会誌アーカイブスからも見ることができる。http://www.jsppr.jp/academic_journal/archives.html