宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

シグナルとシグナレスの反対された結婚 (1) -そのきっかけはシグナレスが笑ったから-

 

童話『シグナルとシグナレス』は大正12(1923)年5月11日~23日にかけて岩手毎日新聞に掲載されたものである。タイトルにある〈シグナル〉は,本線側の金属製で電燈と信号腕木が付いた新式の信号機のことで擬人化されていて話すことができる。〈シグナレス〉は軽便鉄道側の木製でランプと信号腕木が付いた信号機で〈レス,less〉とあるように女性がイメージされている。この物語は,本線側の〈シグナル〉と軽便鉄道側の〈シグナレス〉の相思相愛の結婚が,特にシグナル側の近親者から組織だった反対を受けるというものである。この悲恋には実際の恋のモデルがあると言われている。エッセイストの澤口たまみ(2010,2018)は,この悲恋物語は大正11年に賢治自身が実際に体験した恋愛に基づいているとしている。異論もある。賢治研究家の米地文夫(2016)は小説家である有島武郎と恋人(新渡戸稲造の姉の娘)との恋愛がモデルであるとした。しかし,悲恋のモデルが誰であるかは次稿(2)と次次稿(3)で考察するとして,本稿では〈シグナル〉と〈シグナレス〉の結婚が反対された理由を物語に記載されている事のみから推測してみたい。

 

まずは,結婚が反対された理由が記載されている場面を引用する。賢治の文体は歴史的仮名遣いを用いているので拗音である「ゃ ゅ ょ」 は大書きして,「や ゆ よ」になっている。少し読みづらいが以下に示す。

引用文A

『ね,僕ぼくはもうあなたの為なら,次の汽車の来るとき,頑張って腕を下げないことでも,なんでもするんですからね,わかったでせう。あなたもその位の決心はあるでせうね。あなたはほんたうに美しいんです,ね,世界の中にだって僕たちの仲間はいくらもあるんでせう。その半分はまあ女の人でせうがねえ,その中であなたは一番美しいんです。もっともほかの女の人僕よく知らないんですけれどね,きっとさうだと思ふんですよ,どうです聞こえますか。僕たちのまはりに居るやつはみんな馬鹿ですね,のろまですね,僕とこのぶつきりこが僕が何をあなたに云つてるのかと思って,そらごらんなさい,一生けん命,目をパチパチやつてますよ,こいつときたら全くチヨークよりも形がわるいんですからね,そら,こんどはあんなに口を曲げてゐますよ。呆(あき)れた馬鹿ですねえ,僕のはなし聞こえますか,僕の……』

『若さま,さつきから何をべちやべちや云っていらつしやるのです。しかもシグナレス風情と,一体何をにやけていらつしゃるんです』

 いきなり本線シグナル附きの電信ばしらが,むしやくしやまぎれに,ごうごうの音の中を途方もない声でどなつたもんですから,シグナルは勿論シグナレスも,まつ青になつてぴたつとこつちへ曲げてゐたからだを,まっすぐに直なおしました。

『若さま,さあ仰しやい。役目として承(うけたまわ)らなければなりません』

 シグナルは,やつと元気を取り直なおしました。そしてどうせ風のために何を云っても同じことなのをいいことにして,

『ばか,僕はシグナレスさんと結婚して幸福になつて,それからお前にチヨークのお嫁さんをくれてやるよ』と,こうまじめな顔で云つたのでした。その声は風下のシグナレスにはすぐ聞こえましたので,シグナレスは恐いながら思はず笑つてしまひました。さあそれを見た本線シグナル附きの電信ばしらの怒りやうと云つたらありません。早速ブルブルツとふるへあがり,青白く逆上(のぼせ)てしまひ唇をきつとかみながらすぐひどく手をまわして,すなわち一ぺん東京まで手をまわして風下に居る軽便鉄道の電信ばしらに,シグナルとシグナレスの対話がいつたいなんだつたか,今シグナレスが笑つたことは,どんなことだつたかたずねてやりました。

 ああ,シグナルは一生の失策をしたのでした。シグナレスよりも少し風下にすてきに耳のいい長い長い電信ばしらが居て,知らん顔をしてすまして空の方を見ながらさつきからの話をみんな聞いてゐたのです。そこでさつそく,それを東京を経て本線シグナルつきの電信ばしらに返事をしてやりました。本線シグナルつきの電信ばしらはキリキリ歯がみをしながら聞いてゐましたが,すつかり聞いてしまうと,さあ,まるでばかのやうになつてどなりました。

『くそつ,えいつ。いまいましい。あんまりだ。犬畜生,あんまりだ。犬畜生,ええ,若さま,わたしだって男ですぜ。こんなにひどくばかにされてだまつてゐるとお考へですか。結婚だなんてやれるならやつてごらんなさい。電信ばしらの仲間はもうみんな反対です。シグナルばしらの人たちだって鉄道長の命令にそむけるもんですか。そして鉄道長はわたしの叔父ですぜ。結婚なりなんなりやつてごらんなさい。えい,犬畜生め,えい』

 本線シグナル附きの電信ばしらは,すぐ四方に電報をかけました。それからしばらく顔色を変へて,みんなの返事をきいてゐました。確かにみんなから反対の約束を貰ったらしいのでした。それからきつと叔父のその鉄道長とかにもうまく頼んだにちがいありません。シグナルもシグナレスも,あまりのことに今さらポカンとして呆れてゐました。本線シグナルつきの電信柱は,すつかり反対の準備ができると,こんどは急に泣き声で言ひいました。

『あゝあ,八年の間,夜ひる寝ねないでめんどうを見てやつてそのお礼がこれか。あゝ情ない,もう世の中はみだれてしまつた。あゝもうおしまいだ。なさけない,メリケン国のエジソンさまもこのあさましい世界をお見すてなされたか。オンオンオンオン,ゴゴンゴーゴーゴゴンゴー』

 風はますます吹ふきつのり,西の空が変に白くぼんやりなつて,どうもあやしいと思っているうちに,チラチラチラチラとうとう雪がやって参まいりました。       

                       (下線は引用者;以下同じ)

 

1.物語の登場キャラクター

主要な登場キャラクターは,本線側の擬人化された信号機〈シグナル〉と〈本線シグナル附きの電信柱〉,そして軽便鉄道側の〈シグナレス〉の3キャラクターである。これ以外に本線側と思われる〈倉庫の屋根〉と軽便鉄道側の〈耳のいい長い長い電信柱〉がいる。この物語は岩手県花巻の東北本線と岩手軽便鉄道が合流する花巻駅周辺が舞台になっている。登場キャラクターの立っている位置を『新宮澤賢治語彙辞典』(1999)に添付されている大正時代の花巻付近図を参考に推定してみる(第1図)。

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第1図.大正時代の花巻駅周辺と登場キャラクターの位置(イメージ図)

 

〈シグナル〉と〈シグナレス〉は岩手軽便鉄道の線路を挟んで北に〈シグナル〉,南に〈シグナレス〉という位置関係で立っている。〈シグナル〉のさらに北で東北本線の線路を越えたところに盛岡電燈(株)花巻変電所があるが,この変電所近くに〈本線シグナル附きの電信柱〉が立っていて,〈シグナル〉に電灯用の電気を送っている。多分,この電信柱は変電所と繋がっている「柱上変圧器のついた電信柱」であろう。当時,賢治の親友である保阪嘉内がこれと同様なものと思われる「柱上変圧器のついた電信柱」のスケッチ図を残しているので参考に挙げておく(第2図)。バケツの形をした変圧器を柱上に備え付けている。この変圧器で送電線から送られてくる高圧の電気の電圧を100Vあるいは200Vに下げて〈シグナル〉に電灯用の電気を送っていたと思われる。

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第2図.柱上変圧器のついた電信柱(保阪嘉内のスケッチ図)

 

〈耳のいい長い長い電信ばしら〉は〈シグナレス〉の遠く離れた南側に立っている。この電信柱は岩根橋発電所から花巻に電気を送る高圧送電線を支える電信柱の一つであろう。多分,高圧送電線は太い電線なので,それを支える電信柱は第1図に示すように2本の木製電柱をアルファベットの「A」の形にした高い電信柱と思われる(送電鉄塔のようなもの)。〈倉庫の屋根〉は東北本線の引き込み線の先端にある稗貫農業倉庫がモデルになっていると思われる。

 

〈シグナル〉は〈本線シグナル附きの電信柱〉からは「若さま」と呼ばれていて,せっかちな性格を有している。〈本線シグナル附きの電信柱〉は,本線〈シグナル〉に夜電気を送る背が低くて太い電信柱で,鉄道長の甥にあたり,また自ら〈シグナル〉の世話をする後見人と名乗っている。物語の語り手からは「太い電信柱」あるいは「太つちょ」と呼ばれ,〈シグナル〉からは「ぶつきりこ」と呼ばれ,礼式も何も知らない野蛮なものとして扱われている。

 

〈シグナレス〉は〈シグナル〉と相思相愛の恋人として登場するが,〈本線シグナル附きの電信柱〉から快く思われていない。〈本線シグナル附きの電信柱〉は,常日ごろから〈シグナル〉が〈シグナレス〉に話しかけたりすると,「若さま,いけません。これからはあんなものに矢鱈(やたら)に声をおかけなさらないやうにねがひます」とか,「シグナレス風情と,一体何をにやけていらつしゃるんです」とか言って〈シグナル〉に注意したりしている。これは,軽便鉄道側にも言える。〈シグナレス〉は朝目覚めたときに「今朝は叔母(おば)さんたちもきつとこつちの方を見ていらつしやるわ。」と独言を言ったりする。〈シグナレス〉はいつも叔母さんたちの目を気にしているのだ。多分,〈シグナレス〉と〈シグナル〉の恋は両方の近親者から快く思われていない。何か両家の間にはのっぴきならない事情があるようだ。

 

2.反対される「きっかけ」になったのは〈シグナレス〉の笑い

この引用文Aを読む限り,反対される「きっかけ」になったのは〈本線シグナル〉と〈本線シグナル附き電信柱〉の会話を聞いて〈シグナレス〉が笑ったことにある。最初〈本線シグナル附き電信柱〉は,風上にいたせいか〈シグナル〉の言葉が良く聞き取れずに,「一ぺん東京まで手をまわし」て〈シグナレス〉の近くにいた軽便鉄道の電信柱に尋ねる。返事を聞いた〈本線シグナル附き電信柱〉は激しく怒り,本線側の近親者に連絡をとって結婚反対の同意をとってしまう。〈シグナレス〉の笑いを誘導したのは,〈本線シグナル〉が〈本線シグナル附き電信柱〉に風上で聞こえにくいことをいい事にして「馬鹿でのろまなぶつきりこ」とか,「チヨークよりも形がわるい」とか,「僕はシグナレスさんと結婚して幸福になつて,・・・お前にチヨークのお嫁さんをくれてやるよ」ということを真面目な顔で言ったことに対してである。

 

結婚が反対された「きっかけ」は以上のことなのだが,難解な言葉がいくつかあって読んだだけでは〈シグナレス〉が笑った理由がよく理解できない。〈シグナレス〉が直接〈本線シグナル附き電信柱〉に悪口を言ったわけではないのに,〈本線シグナル附き電信柱〉は〈シグナレス〉の笑い顔だけで怒る必然性はあるのだろうか。

 

難解な言葉としては,「ぶっきりこ」,「一ぺん東京まで手をまわして」,「チョーク」などである。

 

調べてみた。「ぶっきりこ」は,「ぶっきらぼうな者」から造語されたものとされている。「打 (ぶ) っ切った棒」の意から物の言い方や挙動などに愛想がない人のことをいうそうだ。

 

直接に尋ねることをしないで,「一ぺん東京まで手をまわして・・・たずねる」,また尋ねられた方も「それを東京を経て・・・返事をした」とはどういうことであろうか。研究者によっては賢治流のユーモアなのだという。そうかな。私は大正時代にあった「電話」がイメージされていると思っている。明治23年(1890)に,日本初となる東京〜横浜間での電話サービスが開始される。電話をかけるには,まず電話機についているハンドルを手で回して発電させ「交換手」を呼び出し,つないでほしい相手の電話番号を口頭で伝えて通話の申し込みをする。すると交換手が手動で交換機の線でつないで,通話が成立するというものである。「交換手」は東京と横浜にいた。だから,「一ぺん東京まで手をまわして・・・たずねる」という表現になったのであろう。大正8年(1919)の賢治が書いた書簡(139)に東京に滞在していた賢治が妹・トシの入院で電話を使ったことが記載されている。ただ,花巻には当時電話はなかったと思われる。だから,電話とは書かなかったのかもしれない。

 

すなわち,〈本線シグナル附きの電信柱〉は電話で〈軽便鉄道の電信柱〉に尋ねたのだと思われる。この場合,〈軽便鉄道の電信柱〉はすぐに返答しているので本線側に味方する間諜(かんちょう)あるいは密告者だったのかもしれない。この童話『シグナルとシグナレス』の約1か月前に新聞発表された童話『氷河鼠の毛皮』では「間諜」(スパイ)の役割を担う人物が登場する。

 

では,「チヨーク」とは何であろうか。多分,この言葉を解説することが本稿の結婚反対理由を説明することになると思われる。「チヨーク」は現代仮名遣いでは「チョーク」のことであろう。「チョーク」は英語の「chalk」なら「白墨」,「choke」なら「息が詰まること」あるいは「窒息」のことである。賢治は「白墨」という言葉を詩の中で使うとき「チヨーク」とルビを振ることがある。しかし,「白墨の嫁さん」では意味が通じない。「窒息よりも形がわるい」とも言わない。多分,「チヨーク」は「白墨」の意味でも「窒息」の意味でも使っていないと思われる。

 

賢治が他の童話や詩の中で「チヨーク」あるいは「チョーク」という単語を含む言葉を使っているかどうか調べてみた。

 

すると,「春と修羅 詩稿補遺」〔そもそも拙者ほんものの清教徒ならば〕に「エルサレムアーティチョーク」という言葉を見つけた。

引用文B

そもそも拙者ほんものの清教徒ならば/或ひは一〇〇%のさむらひならば/これこそ天の恵みと考へ/町あたりから借金なんぞ一文もせず/八月までは/だまってこれだけ食べる筈/けだし八月の末までは/何の収入もないときめた/この荒れ畑の切り返しから/今日突然に湧き出した/三十キロでも利かないやうな/うすい黄いろのこの菊芋/あしたもきっとこれだけとれ,/更に三四の日を保する/このエルサレムアーティチョーク/イヌリンを含み果糖を含み/小亜細亜では生でたべ/ラテン種族は煮てたべる/古風な果蔬トピナムボー/さはさりながらこゝらでは/一人も交易の相手がなく/結局やっぱりはじめのやうに/拙者ひとりでたべるわけ/但しこれだけひといろでは/八月までに必らず病む/参って死んでしまっても/動機説では成功といふ

 

引用文Bに登場する「エルサレムアーティチョーク」は,キク科ヒマワリ属の「キクイモ」(菊芋;Helianthus tuberosus L.)のことである。他の別名としてアメリカイモ,ブタイモ,サンチョーク,トピナンブールがある。「キクイモ」の食用部は塊茎である。塊茎とはジャガイモのように地下茎の部分が肥大したものである。芋の形はジャガイモのように滑らかな丸さではなくでこぼこして手や足が付いているような形をしている。強いて喩えるなら縄文時代の遺跡で発掘される「むっくり」とした土偶のような形をしている。ネットで検索すれば見ることができる。

 

「キクイモ」は北アメリカ北部から北東部が原産地であり,幕末から明治の時期に飼料用作物として日本に導入されたものである。だからブタイモという別名があるのかもしれない。塊茎部は,ジャガイモなどの他のイモ類と比較しデンプン質が少ない。食物繊維と難消化性多糖類のイヌリンが多く含まれる。100g中にイヌリン2.2g含む。イヌリンはブドウ糖に果糖が 2~60 個程つながった多糖であるが,難消化性とあるように人間の小腸で消化(分解)されにくく,ブドウ糖あるいは果糖として吸収されることはほとんどない。だから,キクイモはジャガイモの半分以下のカロリーしかないとされている。また,イヌリンは腸内で水分を吸収してゲル状になるので,キクイモを食べれば満腹感が得られやすいという。

 

このように「キクイモ」は食べて満腹感は得られるがこれだけでは十分な栄養を得ることはできない。実際に,賢治は詩の中で「一人も交易の相手がなく・・・拙者ひとりでたべる」,あるいは「但しこれだけひといろでは/八月までに必らず病む/参って死んでしまう」かもしれないと言っている。「一人も交易の相手がなく」は,この詩の先駆形「菊芋」では「とは云へこゝらあたりでは/誰も一人も買い手がない/結局おれが/焼いたり漬けたり/毎日毎日食ふだけだ」となっている。

 

すなわち,賢治が生きた時代では,「キクイモ」の塊茎は姿形がふっくらしてでこぼこしているだけでなくカロリーが十分取れないことから「誰からも相手にされないもの」であった。

 

難解な言葉を解明できたと思われるので引用文Aを要約してみる。

〈シグナル〉は,風上にいた〈本線シグナル附き電信柱〉に自分たちの会話が聞こえにくいということをいい事に,「僕は世界で一番美しい女性と結婚する」が,お前には「チヨーク」な嫁さん,すなわち「誰からも見向きもされない」「貰い手のいない」嫁さんをくれてやると言ってしまった。風下の〈シグナレス〉はこれを聞いて怖いながらも思わず笑ってしまった。

 

〈本線シグナル附きの電信柱〉は二人の会話をはっきり聞き取ることはできなかったが〈シグナル〉が真面目な顔で話している様子と〈シグナレス〉の笑い顔は確認できた。そこで,〈本線シグナル附きの電信柱〉は悪口を言われているのかも知れないと疑って,〈シグナル〉から離れていたが風下にいた〈耳のいい長い長い電信柱〉に「電話」で二人の会話と〈シグナレス〉の笑いがどのようなものだったのか尋ねた。

 

〈耳のいい長い長い電信柱〉は「知らん顔をしてすまして空を見ながら」二人の話しを全て聞いていたので直ぐに〈本線シグナル附き電信柱〉に「電話」で回答した。〈本線シグナル附き電信柱〉はそれをすっかり聞いてしまうと激怒して,四方の親族に「電報」を打って2人の結婚の反対の約束を貰ってしまう。ということになる。

 

以上のように要約してみると,ある重要な事実に気づく。それは〈本線シグナル附きの電信柱〉が二人の会話を直接聞いたのではなく,〈耳のいい長い長い電信柱〉から間接的に聞いただけで,それを本人たちに確かめもせずに激怒したということである。

 

〈本線シグナル附きの電信柱〉は〈シグナル〉の真面目な顔で話している様子と〈シグナレス〉の笑い顔を確認しているが,話しの内容を確認できていない。〈耳のいい長い長い電信柱〉は聴力に長けていて二人の話の内容は確認できているが,「知らん顔をしてすまして空を見ながら」聞いていたので〈シグナル〉の真面目な顔で話している様子と〈シグナレス〉の「恐いながら思はず笑つて」しまった顔を見ていない。すなわち,〈本線シグナル附きの電信柱〉は耳のいい長い長い電信柱〉の不正確な情報を鵜呑みにして激怒している可能性がでてきた。

 

3.〈シグナレス〉の笑いは嘲笑ではなく失笑だった

では,ことの真相はどうであったのか。

 

多分,〈シグナル〉の〈本線シグナル附き電信柱〉への「チヨークよりも形がわるいんですからね」とか「お前にはチヨークの嫁さんを呉れてやる」という言葉は本意ではなかったと思われる。〈シグナル〉は〈シグナレス〉が不断から〈本線シグナル附き電信柱〉からひどい言葉を浴びせられていたので,それを気にしていて,風上で〈本線シグナル附き電信柱〉が聞こえにくいのをいい事として「冗談」(ジヨーク)を言ってしまったのだと思われる。つまり,「チヨーク」は「ジョーク」の意味もある。

 

〈シグナレス〉が「恐いながら思はず笑ってしまった」のは,物語の語り手が語っているので事実(「ほんとうのこと」)である。だから,〈シグナレス〉が笑ったのは「嘲笑」ではなく「失笑」である。〈シグナレス〉は〈本線シグナル附き電信柱〉を怖い存在とみなしているので,「嘲笑」できるはずもない。〈シグナレス〉は,〈シグナル〉の〈本線シグナル附き電信柱〉への言葉を「冗談」と認識したが,それを真面目な顔で言っていたから,そのギャップに「おかしい」と感じ,いつも怖い存在と感じていたけれど笑いをこらえられず思わず笑ってしまったのだと思う。喜劇役者のチャップリンの芸を観客が笑うのは,真面目な顔をしてずっこけたことをするからである。観客の笑いにチャップリンへの軽蔑の気持ちがないように,〈シグナレス〉の笑いにも〈本線シグナル附き電信柱〉への軽蔑の意味は含まれていない。

 

一方,〈本線シグナル附き電信柱〉は〈シグナレス〉から自分の醜い容姿に対して「嘲笑」されたと思っている。〈耳のいい長い長い電信柱〉は,〈シグナル〉が真面目な顔をして話したことを知らないから,〈シグナレス〉の笑い声を単なる「失笑」とはみなさなかった。すなわち,〈耳のいい長い長い電信柱〉は〈シグナレス〉が〈シグナル〉の容姿に対して笑ったと認識したと思われる。勘違いである。そして,〈本線シグナル附き電信柱〉には〈シグナレス〉が〈本線シグナル附き電信柱〉の容姿に対して笑ったと電話で「ほんとうではないこと」を説明した。では,なぜ〈本線シグナル附き電信柱〉は激怒し結婚に反対したのであろうか。これは単なる私の推測だが,〈本線シグナル附きの電信柱〉(=柱上変圧器のついた電信柱)は他の電信柱と違って「キクイモ(=チヨーク)」の塊茎のようにでこぼこして太っているので自分の体型を内心気にしていた。物語の語り手からも「太つちよ」と呼ばれていた。すなわち,〈本線シグナル附き電信柱〉は自分よりも下位の者に自分の気にしていることを笑われたから激怒したのである。

 

確かに,結婚がシグナル側の近親者に反対されたのは〈シグナレス〉が笑ったことによる。しかし,その原因となったのは〈シグナル〉自身が〈本線シグナル附き電信柱〉に語った,「冗談(ジョーク)」と思われるが,「チヨークよりも形がわるいんですからね」とか「お前にはチヨークの嫁さんをくれてやる」という〈本線シグナル附き電信柱〉を傷つける辛辣な言葉である。物語の語り手にも「シグナルは一生の失策をしたのでした。」と言わせている。 

 

ただ,これは結婚が反対された「きっかけ」にすぎない。それも些細なことであり,しかも「誤解」によって引き起こされたものである。結婚が反対された本当の理由は,些細な事を近親者同士の争いにまで拡大してしまう〈シグナル〉と〈シグナレス〉の両家の間にあるのっぴきならない事情にあると思われる。しかし,それはこの物語では隠されている。

 

参考資料と引用文献

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

澤口たまみ.2010.宮澤賢治 愛のうた.盛岡出版コミュニティー.

澤口たまみ.2018.新版宮澤賢治 愛のうた.夕書房.

米地文夫.2016.宮沢賢治「シグナルとシグナレス」の三重の寓意 ― 岩手軽便鉄道国有化問題と有島武郎の恋と天球の音楽と ―.総合政策 17(2):177-196.