宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

賢治と地質時代のシダ植物(試論)

Key words:「「春」変奏曲」,「春と修羅」,「イギリス海岸の歌」,「小岩井農場」,三木成夫,星葉木,「真空溶媒」,修羅,地質時代

 

賢治は,地質時代古生代中生代)という太古の植物や動物を扱った作品を数多く残している。中でも,『春と修羅(第二集)』の「「春」変奏曲」(1924.8.22 ;1933.7.5)という古代シダを扱った詩(心象スケッチ)がとてもユーモラスであり,また同時に賢治の悲劇的な深層意識をうまく表現しているようにも思えるので紹介してみる。

 

この「「春」変奏曲」の内容は,プラットフォームで列車を待っている少女の一人がドロヤナギ(Populus maximomiczii 泥柳;ヤナギ科の高さ20~30メートルにもなる落葉高木)の花粉を吸いこんでしまい,今で言う花粉症を発症してしまった状況の中で,いつしか古代シダの繁る3億5千年前の地質時代古生代石炭紀)の世界にタイムスリップしてしまうというものである。 

ところがプラットフォームにならんだむすめ/そのうちひとりがいつまでたっても笑ひをやめず/みんなが肩や背なかを叩き/いろいろしてももうどうにも笑ひをやめず       

(中略)

(ギルダちゃんとてもわらってひどいのよ)/(星葉木の胞子だろう/のどをああんとしてごらん/こっちの方のお日さまへ向いて/さうさう おお桃いろのいいのどだ/星・・・・葉木の胞子だな/つまり何だよ葉木の胞子にね/四本の紐があるんだ/そいつが息の出入りのたんび/湿気の加減がかはるんで,/のどがのびたり,/くるっと巻いたりするんだな/誰かはんけちを,水でしぼってもっといで/あっあっ沼の水ではだめだ,/あすこでことこと云っている/タンクの脚でしぼっておいでぜんたい星葉木なんか/もう絶滅している筈なんだがどこにいったいあるんだろう/なんでも風の上だから/あっちの方にはちがひないが)

そっちの方には星葉木のかたちもなくて,/手近に五本巨きなドロが/かがやかに分轄し/わずかに風にゆれながら/枝いっはいに硫黄の粒を噴いています

(先生,はんけち)/(ご苦労,ご苦労/ではこれを口へあてて/しずかに四五へん息をして さうさう/えへんとひとつしてごらん/もひとつえへん さう,どうだい)/(ああ助かった/先生どうもありがとう)/(ギルダちゃん おめでとう)/(ギルダちゃん おめでとう)

ベーリング行XZ号の列車は/いま触媒の白金を噴いて,/線路に沿った黄いろな草地のカーペットを/ぶすぶす黒く妬き込みながら/梃々として走って来ます

 (「「春」変奏曲」宮沢,1986) 下線は引用者 

この心象スケッチに登場する星葉木は,古代シダの一つで「セイヨウボク」と読ませるらしいが,一般的な植物図鑑には記載がないので,賢治の造語かもしれない。多分,星葉木は,地質時代古生代石炭紀(3.5~2.9億年前)に栄えたカラミテス( calamites;ロボクとも呼ぶ ),あるいはそれに近い植物を指していると思われる。

 

カラミテスは,大型シダ植物で高さが20メートル,その地下茎は水平に伸びよく発達し,その化石から葉が輪生することや胞子に紐のような弾糸をもつなど,現存するスギナと似ていることが明らかにされている。スギナはシダ植物門トクサ科に属する。まさに,カラミテスはスギナの祖先といってよいのかもしれない。賢治もそのことを知っていて,スギナの輪生する葉が星のように見えることから星葉木と名づけたのかもしれない。

 

また,古生代石炭紀にはカラミテス以外にもレピドデンドロン( lepidodendron )やシギラリヤ( sigillaria )というシダ植物も繁っており,こちらは高さが30~40メートルにも及ぶという。レピドデンドロンの葉は,小さく鱗片状で,葉は落ちるとその後にうろこ状の跡がのこることから「鱗木(リンボク)」とも呼ばれる。まさに「「春」変奏曲」で,賢治は,うっそうと繁る地質時代の巨大な古代シダ植物の森林の中あるいはその周辺に迷い込んでしまった。

 

さて,この心象スケッチにはいくつか不明瞭な箇所がある。賢治は,星葉木(カラミテス)の胞子に4本の紐があり,それが乾燥や湿気で伸びたり丸まったりすると記述しているが,生きた星葉木など手に入る筈などないのに,そんなことがわかるのだろうか。賢治が過去へタイムトラベルをして,生きたカラミテスの胞子を観察したとはとても思えない。多分,現存するスギナの胞子を顕微鏡か何かで覗いて,それを参考にして古代シダの花粉も同様であるという前提の基に創作したと思われる。植物研究家である多田多恵子が実際にスギナの胞子を顕微鏡で観察したというので,その観察記録を見てみた。まさに,胞子の形状および動きは,賢治の作品の内容とドンぴしゃりだった。

 胞子を顕微鏡でのぞいてみた。ルーペ程度ではわからなかったが,顕微鏡で観察すると丸い胴体に4本の腕があって四方に伸びている。その形のおもしろさに熱中して顕微鏡をのぞいていたら,突然,胞子はくるくると毛糸玉のように丸まってしまった。「あれれ」と思うままに,また腕がするすると伸びてくる。丸くなったり,広がったり。その腕の動きに応じて,胞子の本体もぼこぼこと飛び跳ねる。まるで鍋のポップコーンを見ているような気分だ。スギナの胞子が四方に出している腕には,ちょうど乾湿度計のように,湿ると丸まり,乾くと広がる性質があるのだ。のぞいた拍子に腕が丸まったのは,じつは私の鼻息がかかって湿ったためだった。

 注:本文中の腕とは弾糸のこと

 (『したたかな植物たち』 多田,1986) 

なぜ星葉木の胞子に付随する弾糸は伸びたり,丸まったりするのだろうか。この質問に答えるのは難しいが,まずはスギナを含めたシダ植物の生活史を見てみよう。

 

スギナの胞子は,湿った地面に落ちると芽をだし,姿がコケによく似た前葉体(ぜんようたい)というものになる。この前葉体は,薄く平べったく簡単な仮根をもつ。そして雌雄に分かれて成長し造卵器と造精器をつくり卵と精子がつくられる。精子は,動物の精子と同様に運動性があり,別の前葉体の造卵器へ泳いで移動する。こうして結ばれた受精卵から葉やしっかりとした根をもつスギナが育ち始める。このように,スギナのもっとも重要な生殖時期(前葉体時代)には,前葉体が乾燥しないための適度な湿り気と受精するためのたっぷりとした水が絶対に必要なことが理解できる。

 

また,胞子の弾糸(だんし)の奇妙な運動は,空気が乾いているときに胞子の4本の弾糸が伸び風に乗って遠くへ運ばれるが,湿った場所に運よく着地できればくるくるっと旋回して胞子をその場所にしっかりと固着させるものであるということも理解できる。着地した場所が乾いていれば,また風に飛ばされて湿った場所を探す。まさに子孫を繁栄させるためのシダ植物が編み出した巧妙な仕掛けなのである。しかし,まったくの偶然の重なり合いによってしか受精が可能とならない効率の悪い生殖法が,生存競争に不利に働いたことはとりあえず強調しておく。

 

賢治は,多田と同じようにこのスギナの巧妙な仕掛けを実際に顕微鏡下で体験し,古代シダである星葉木の胞子が少女の喉の奥にひっかかり「そいつが息の出入りのたんび湿気の加減がかはるんでのどでのびたりくるっと巻いたり」して笑いが止まらなくなったと表現したのだと思う。

 

では,最後にもっとも重要な疑問点について考えてみよう。なぜ,賢治はプラットフォームで列車を待っている少女という現実の風景から,突然地質時代という過去の幻想の世界に入り込んでしまうのだろうか。

                                     

前述の「「春」変奏曲」では植物を扱っていたが,同様な現象は地質時代の動物が登場する作品にも見られる。それは「小岩井農場」(1922.5.21)という『春と修羅』に収録されている作品の中に出てくる。これは,賢治が小岩井農場を散策している間に,恐竜が跋扈(ばっこ)する地質時代である中生代侏羅紀や白亜紀(2億年~6千万前)の森林の中に迷い込んでしまうというものだ。

 もう入口だ[小岩井農場]/(いつものとほりだ)/混んだ野ばらやあけびのやぶ/[もの売りきのことりお断り申し候]/いつものとほりだ,ぢき医院もある)/[禁猟区] ふん いつものとほりだ/小さな沢と青い木だち/沢では水が暗くそして鈍っている

      (中略)

いま日を横ぎる黒雲は/侏羅や白亜のまっくらな森林のなか/爬虫がけはしく歯を鳴らして飛ぶ/その氾濫の水けむりからのぼったのだ/たれもみていないその地質時代の林の底を/水は濁ってどんどんながれた/いまこそおれはさびしくない/たったひとりで生きていく

(「小岩井農場」 宮沢,1986)

賢治は,自分が仏教でいうところの「修羅」という天上から追放され,人間よりも下位にある,怒りや闘争心に悶え苦しむ生き物とみなしていた。修羅になった賢治は,地質時代の植物や動物に共感あるいは交響できるなにものかを感じとっていたに違いない。そして何かの敵機があれば,無意識に夢とも現実とも区別がつかない幻想の世界に容易に入り込んでしまうという危うい精神構造をもっていたと思われる。「春と修羅(mental sketch modified)」(1922.4.8)および「真空溶媒」(1922.5.18)に以下のような自己の心象スケッチが語られている。

心象のはひいろはがねから/あけびのつるはくもにからまり/のばらのやぶや腐食の湿地/いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様/(正午の管楽よりもしげく/琥珀のかけらがそそぐとき)/いかりのにがさまた青さ/四月の気層のひかりの底を/唾(つばき)し はぎしりゆききする/おれはひとりの修羅なのだ

     (中略)

日輪青くかげろへば/修羅は樹林に交響し/陥りくらむ天の椀から/黒い木の群落が延び/その枝はかなしくしげり/すべて二重の風景を/喪神の森の梢から/ひらめいてとびたつからす

 注:アンダーラインの「黒い木」は詩集発表直前の原稿では古代シダの一つでスギナの祖先である「魯木(ロボク)」となっていた

(「春と修羅 (mental sketch modified)」宮沢,1986)

 

苹果(りんご)の樹がむやみにふえた/おまけにのびた/おれなどは石炭紀の鱗木のしたの/ただいっぴきの蟻でしかない

 (「真空溶媒」宮沢,1986)

地質時代古生代石炭紀には,大型の古代シダがうっそうと茂った森林や湿地帯があり,中生代の侏羅紀や白亜紀には恐竜などの大型の肉食獣などが跋扈(ばっこ)する弱肉強食の森林があった。修羅である賢治は,これら植物や動物たちに共感したと思われる。しかし,単なる巨木の森林とか大型の肉食獣に共感しているのではない。現在,シダ植物ではないが巨木からなる薄暗い森林や湿地帯は多く存在するし,巨大な恐竜がいない代わりに獰猛(どうもう)な肉食獣は多数現存する。すなわち,地質時代そのものや盛者必滅・無常観ということに共感しているのだろう。もちろん、地質時代を代表する「侏羅(ジュラ)」と「修羅(シュラ)」の語感の類似も,ある程度考慮されていると思われるが。

 

地質時代の植物と動物にとって,賢治と真に共感あるいは交響できる修羅とは何であろうか。これを生命の進化という側面から考えてみたいと思う。

 

生命は,原始の海から誕生したという。人間なら海の単細胞動物→多細胞原生動物→下等脊椎動物→魚類→両生類→爬虫類→哺乳類→類人猿→人と進化をとげてきた。植物も海の単細胞植物→海の藻→多胞子嚢植物(コケでもシダでもない植物)→シダ→裸子植物被子植物(最も進化した双子葉植物はキク科植物)と進化してきた。このうち地質時代とは,進化の過程の中でどのような位置づけになるのであろうか。それは,生命が海から陸である大地に上陸した時期に相当するということである。動物なら魚が陸に上陸し,水陸両用の両生類を経て爬虫類になった時期であり,植物なら藻類が海から陸に上陸し,胞子嚢をもつシダ植物になった時期に相当する。

 

いいかえれば,賢治にとっての地質時代とは,海から陸に上陸した最初の生物が生きていた時代ということを指し示している。それは,生命が進化の過程でもっとも過酷な試練を強いられ,繁栄と滅亡を繰り返した時期でもあった。修羅である賢治がもっとも共感できるものであったに違いない。

 

生物の海から陸への上陸が,生命誕生に続く一大ドラマであったことは,強調しすぎることはない。海の生物は,生活に必要なものは全て体の表面から吸収することが出来た。しかし,上陸生活をするには体のしくみを大きく変える必要があった。

 

植物では,維管束が発達し,茎が太陽の光を十分受けるため真っ直ぐに立つようになり,茎と根ができた。水分の蒸散を防ぐため,茎と葉にはクチクラ層が現れ,同時にガス交換を行うために気孔も出来た。こうした体制は,古生代デボン紀にはほほ整い,次の石炭紀に大森林を出現させる下地となった。そして,石炭紀の湿地帯に大森林を作った植物は大部分がシダ植物であった。

 

しかし,前述したように胞子嚢を持つシダ植物は,陸に上がったばかりであるがゆえに「水」という宿命から逃れることができず,効率の悪い生殖法を引きずりながら水辺や気候が温暖多湿であった石炭紀でしか繁栄することができなかった。多くの仲間たちは,その後の気候変動と親の体内で受精が行われる種子植物裸子植物被子植物)の誕生によって急速に衰退することとなった。すなわち生存競争に負けてしまった。スギナの仲間のトクサ科は,現在15種が生き残っているにすぎない。太古のシダの多くは化石となって石炭化してしまったが,現存するスギナは,まさに生きた化石なのだ。

 

動物では,硬骨魚の一部からシーラカンスの仲間が進化し,さらに両生類のイクチオステガが古代大地に上陸の第一歩を印した時期にあたる。陸の植物を求めて上陸に成功した動物のもっとも過酷な試練は,呼吸であったと言われる。一般に呼吸は,植物でも動物でも行うが,動くことを宿命とした動物の呼吸は,植物とは比べ物にならないくらい旺盛なものであるという。動物の呼吸は,上陸時にはえら呼吸から肺呼吸というまったく異なるしくみへ変えなければならないのだから,たいへんな試練を受けることになった。あまりにも急激な変化のため,脊椎動物の呼吸筋は専用の筋肉を用意することができず,動物性の筋肉(骨格筋に相当)という呼吸には不向きの筋肉から作られた。

 

魚のえらの筋肉は,植物性の筋肉(平滑筋に相当)からできていて,心臓や内臓筋を代表するように四六時中働いても疲れを知らないが,動物性の筋肉(骨格筋に相当)はすぐに疲労困憊してしまう。すなわち,すぐに息切れとか息詰まりが生じてしまう宿命を負うことになった。それゆえ,陸に上がりつつある動物あるいは陸に上がったばかりの動物は,水辺で呼吸筋の劇的な変動の中に右往左往していたのだと考えられる。

 

陸に上がったことがどんなにつらく困難なできことであったかは,人間の意識のなかに残されている記憶からも確認できる。

 

ドイツの進化論者であるエルンスト・ヘッケルは,「固体発生は系統発生を繰り返す」という説を唱えた。たとえば人間であれば,ある固体の受精卵から胎児,新生児,幼児,成人に至る過程は,人類が進化の過程で歩んできた全ての過程(単細胞動物→多細胞原生動物→下等脊椎動物→魚類→両生類→爬虫類→哺乳類→類人猿→人)を再現するというものだ。加えて,人間の無意識には過去の下等生物の記憶が残存するという説もある。

 

では動物の一生の中で起こる上陸劇は,この固体発生のどの時期で起こるのだろうか。解剖学者の三木成夫は,人間においては受胎32日目から1週間の母親の子宮内で起こるといっている。すなわち,受胎32日目の多細胞体は,米粒ほどの大きさだが胎児の顔は,まさにフカの顔そっくりで頭の付け根にははっきりとサメのエラを思わせる一列の裂け目があり,手足はひれの格好をしていた(4億年前古生代デボン紀)。受胎36日目の胎児の顔は,「爬虫類」(1億5千年前中生代侏羅紀)の面影が,そして38日目の胎児には哺乳類の面影が残されていたという。

 

人間の胎児にとっての上陸劇は,祖先が古生代の昔,デボン紀の大海原から古生代石炭紀にかけて上陸を遂行した数億年をわずか数日で成し遂げたことになる。水辺においてこの上陸に費やした苦闘の歴史がどんなものであったかは,受胎32日後の1週間に生じる母親の体と意識の変化をみればわかる。三木成夫(2007)が指摘した「つわり」である。36日後の」爬虫類」が子宮内で出現するとき「つわり」は始まる。「つわり」になると,嘔吐感だけでなく食物の嗜好が激変し,嗅覚が過敏になったり,食欲が増えたり減ったりする。非合理的な言動も目立つようになる。この頃は,胎児も危険な状態になり流産を起こしやすくなるという。

 

男(雄)は,一般的に無意識の中に閉じ込められた上陸の苦闘の歴史を,ストレス時などで息苦しさを感じる以外に体感することはないが,自然と共感しやすい賢治はこの苦悩をしばしば夢の中で体験したのだと思う。たとえば,賢治には小岩井農場の北側で道に迷い野宿をしていたとき「爬虫類」に襲われる悪夢をみたという逸話が残されている。この経験を基にいくつか作品も作られている。

 

すなわち,修羅になった賢治は,さまざまな悲しみ,いかり,孤独,不安を感じたとき目に見える風景から,目には見えないが自分の修羅の意識と交感できる地質時代の幻視の世界に無意識に心象スケッチを移していったのだと思う。

 

賢治は,花巻市小船渡付近の北上川川岸をたびたび訪れ,新生代第三紀の青白い泥岩層が広く露出していて,それがイギリスの白亜紀泥岩層の海岸に類似していたことから,そこをイギリス海岸と名づけた。そして,バタグルミの化石や新しく出現した偶蹄類(哺乳類の祖先)の足跡化石を発見したことは有名である。賢治は,イギリスのあの恐竜が跋扈しそして滅びた白亜紀の地層と花巻の第三紀の地層が時空を超えてつながっていると考えたのだろうか,盛者必滅と自らの修羅の思いを込め「イギリス海岸の歌」という作品を残している。

Tertiary the younger tertiary the younger

Tertiary the younger mud-stone

なみはあをざめ 支流はそそぎ

たしかにここは 修羅のなぎさ

  (「イギリス海岸の歌」 宮沢,1986)

賢治は,地質時代を共感できる修羅そのものであると感じていたが,希望もあった。それは,中生代侏羅紀に「爬虫類」から進化した鳥の出現である。しかし,天上から見放され修羅となった賢治にとって天上を意味する鳥はなかなか訪れてくれない。

胸はいま/熱くかなしい鹹湖(かんこ)であって/岸にはじつに二百里の/まっ黒な鱗木類の林がつづく/そしていったいわたくしは/爬虫がどれか鳥の形にかはるまで/じっとうごかず/寝ていなければならないのか

      (「胸はいま」 宮沢,1986) 

「「春」変奏曲」は,賢治にとって特に思い入れの強い作品で,星葉木が登場する後半部分は大正13年8月22日の初期の作品に,昭和8年7月5日付けで加筆されたものである。賢治は,その約2ヵ月半後の9月21日に亡くなるのでまさに遺作といえるものである。「「春」変奏曲」に登場する「ギルダちゃん」とは,すでに亡くなっていた妹の「トシ」あるいは破局に終わった『春と修羅』執筆時代の恋人を意識したものと思われる。英語の「guilt」には「罪をおかしていること」という意味がある。

 

作品を書いた時点では賢治の意識は地質時代にあり,鳥になって天上界に帰る夢を見ながら今度は進化がたどってきた道を逆方向に走馬灯のごとくベーリング行XZ列車に乗って猛スピードで進んでいった。

 

引用文献

三木成夫.2007.胎児の世界.中央公論新社.東京.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

多田多恵子.2002.したたかな植物たち.SCC.東京.

 

本稿は,『宮沢賢治に学ぶ 植物のこころ』(蒼天社 2004)年に収録されている報文「賢治と地質時代のシダ植物(試論)」を加筆・修正にしたものである。 破局に終わった恋人については,以下のブログページをご覧ください。

「宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-カムパネルラの恋(1)(2)(3)-」

「宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-ケヤキのような姿勢の青年(1)(2)-」

「植物から『銀河鉄道の夜』の謎を読み解く(総集編Ⅳ)-橄欖の森とカムパネルラの恋-」