宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

自閉スペクトラム症の特徴の一つとされるタイムスリップ現象,賢治も体験したか

「タイムスリップ現象」とは精神科医の杉山登志郎が1994年に命名した言葉で自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder;ASD)の児童,成人が遙か昔のことを突然に想起し,あたかもつい先ほどのことのように感じるという現象である(杉山,2016)。杉山によれば,1)もともと優れた記憶能力を持つ,知的に高い,しかし,不安定な自閉症の症例にしばしば見られ,2)喜び,怒り,悲しみなどの現在の感情的な体験を引き金として,過去の同様な感情の記憶や出来事が想起され,3)その過去の記憶を現在もしくはつい最近の体験であるかのように扱うものであり,4)その記憶体験は普通児における一般に想起することが出来ない年齢のものまで含まれるとされる。PTSD(心的外傷後ストレス障害 Post traumatic Stress Disorder)における「フラッシュバック」に類似している。例えば,道ですれ違った赤の他人の口紅の色が子どもの頃担任された教師の口紅の色と結びつき,その教師から叱責された記憶がよみがえって突然怒り出す,あるいは10年前の祖父の葬儀を突然想起して号泣するなどである。

 

優れた記憶能力を持ち,知的に高いと思われる宮沢賢治もこの「タイムスリップ現象」を体験したことがあるのであろうか。似たような体験が「心象スケッチ」と位置づける詩集『春と修羅』の「春と修羅(mental sketch modified)」(1922.4.8)に登場してくる。ちなみに「心象スケッチ」とは賢治の詩集『春と修羅』の序(1924.1.20)に,「これらは二十二箇月の/過去とかんずる方角から/紙とインクをつらね/(すべてわたくしと明滅し/みんなが同時にかんじるもの)/ここまでたもちつゞけられた/かげとひかりのひとくさりづつ/そのとほりの心象スケッチです」,あるいは生前に刊行された唯一の童話集『注文の多い料理店』(大正十三年刊)の広告文に,「これらは決して偽りで仮空(ママ)でも窃盗でもない。多少の再度の内省と分析とはあっても,たしかにこの通りその時心象の中に現れたものである」と説明されている。つまり,詩集『春と修羅』を書いた頃の詩や童話は賢治の心に浮かんだ情景や感覚を表現したもということである。

 

「春と修羅(mental sketch modified)」の心象スケッチは「modified」とあるように修正されているが,地質時代へのタイムスリップは同時期に書かれ「modified」と書かれてない「真空溶媒」(1922.5,18)や「小岩井農場」(1922.5.21)でも認められるので実体験したことに基づく心象スケッチと思われる。

 

「春と修羅(mental sketch modified)」には以下のような詩句が並ぶ。

心象のはひいろはがねから/あけびのつるはくもにからまり/のばらのやぶや腐食の湿地/いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様/(正午の管楽よりもしげく/琥珀のかけらがそそぐとき)/いかりのにがさまた青さ/四月の気層のひかりの底を/唾(つばき)し はぎしりゆききする/おれはひとりの修羅なのだ

           (中略)

日輪青くかげろへば/修羅は樹林に交響し/陥りくらむ天の椀から/黒い木の群落が延び/その枝はかなしくしげり/すべて二重の風景を/喪神の森の梢から/ひらめいてとびたつからす     (宮沢,1985)下線は引用者で以下同じ

 

 注:引用者がつけた下線の「黒い木」は詩集発表直前の原稿では古代シダの一つでスギナの祖先である「魯木(ロボク)」となっていた

 

この詩に出てくる「修羅」とは何であろう。仏教では天上から追放され,人よりも下位にある,「怒り」や「闘争」に悶え苦しむ生き物とされる。人は三毒である貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)により「修羅」に落とされる。「貪」は「むさぼる」こと,「瞋」は,「いかりのにがさまた青さ」の「いかり(怒り)」のことである。「痴」は「無知」のことである。つまり,賢治は自分が「むさぼり」や「怒り」によって「修羅」に落とされたとき,同時に3億5千年前の地質時代(古生代石炭紀)の「魯木」が群生する世界にタイムスリップしてしまうのだ。

 

同様な現象は地質時代の動物が登場する作品にも見られる。それは「春と修羅(mental sketch modified)」の1ヶ月後の「小岩井農場」(1922.5.21)という作品の中に出てくる。これは,賢治が小岩井農場を散策していて「四五本乱れて」「気まぐれ」に立つ「サクラ」の木を見た後,恐竜が跋扈(ばっこ)する地質時代である中生代侏羅紀や白亜紀(2億年~6千万前)の森林の中にタイムスリップしてしまうというものだ。賢治は「サクラ」を「蛙の卵に見えると」といって嫌っている。「サクラ」の花から成熟した女性をイメージしてしまうのかもしれない。

 

パート三

もう入口だ[小岩井農場]/(いつものとほりだ)/混んだ野ばらやあけびのやぶ/[もの売りきのことりお断り申し候]/いつものとほりだ,ぢき医院もある)/[禁猟区] ふん いつものとほりだ/小さな沢と青い木だち/沢では水が暗くそして鈍っている

パート四

いま見はらかす耕地のはづれ/向ふの青草の高みに四五本乱れて/なんといふ気まぐれなさくらだらう/みんなさくらの幽霊だ(中略)いま日を横ぎる黒雲は/侏羅や白亜のまっくらな森林のなか/爬虫がけはしく歯を鳴らして飛ぶ/その氾濫の水けむりからのぼったのだ/たれもみていないその地質時代の林の底を/水は濁ってどんどんながれた/いまこそおれはさびしくない/たったひとりで生きていく

                                             (宮沢,1985)

 

つまり,賢治は大正11(1922)年4月から5月にかけて,自分が「怒り」や「闘争」に悶え苦しむ生き物とみなしていた。この頃,賢治は「四弘誓願」を立て「みんなの幸い」を願い仏道に精進していたが,気が緩んだのかどうか解らないが,ある特定の女性に恋をしてしまい,「みんなの幸い」を願う気持が揺らぐことで悩み苦しんでいた。多分,賢治は「むさぼり」の気持から特定の女性に恋をしてしまったことに「怒り」を感じていたのかもしれない。菩薩になることを願う「人」から「修羅」に落ちてしまった賢治は,「怒り」を感じながら地質時代の植物や動物に共感あるいは交響できるなにものかを感じとっていたに違いない。「怒り」やその時代の公響できる何かの敵機があれば,無意識に夢とも現実とも区別がつかない有史以前の世界に容易に入り込んでしまうという危うい精神構造をもっていたと思われる。

 

ちなみに,賢治の童話『楢ノ木大学士の野宿』(先駆形は1921あるいは1922)で,夢の中での話しだが,主人公が白亜紀の地層で恐竜の骨格探しをしているとき,突然生きた雷竜と出くわすという話しが出てくる。実際の夢体験に基づくものかどうかは定かではない。

 

賢治にはASDあるいはその傾向みたいなものはあったのであろうか。ASDは発達障害(神経発達症)の一つで,対人関係やコミュニケーションが苦手,限定された対象に強いこだわりがあるのが大きな特徴である。ASDは以前にアスペルガー症候群と言われていた。

 

病跡学的立場からの先行研究によれば,賢治は躁鬱病(福島章他),精神分裂病(津本一郎),てんかん性要因(老松克博他),緊張病親和者(杉林稔他),解離性障害(芝山雅俊),トゥレット症候群(高木通人),ディスクレシア(富永國比古,星野仁彦)などの疾患あるいはその傾向があったとされている(椚山・富永,2015;芝山,2007;星野,2010)。また,ネットでは賢治の持って生まれた資質の中に注意欠如多動症(ADHD)的な要素がはいっているとする研究者もいる(松本孝幸)。トゥレット症は,まばたきをしたり首を振ったりする運動性チックと奇声や咳払いなどの音声チックの両方が重なった状態が1年以上続く神経系疾患である。賢治が生徒を引率しているとき「ほう ほう」と奇声を発することはよく知られている(畑山,2017)。ディスクレシアは知的能力および一般的な理解能力などに特に異常がないにもかかわらず,文字の読み書きに著しい困難を抱える障害である(読字障害,書字障害等の学習障害)。賢治が『銀河鉄道の夜』でキリスト教の「ハレルヤ」を「ハルレヤ」と,また「雨ニモマケズ」で「ヒデリ」を「ヒドリ」と書き違えたとされている。

 

しかし,賢治がASDであったという報告はないように思える。だが,ディスクレシア説をあげている医師である富永は他の研究者が提唱した躁鬱病,精神分裂病などの疾患あるいは症状がASDに併存あるいは二次障害として起りえるものと考え,賢治がASDであった可能性を否定できないとした。「否定できない」とはかなり控えめな表現ではあるが,富永はASDの可能性を示唆するものとして,賢治のディスクレシアが「共感覚」と合併していること,ASDであった哲学者のルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインが対人コミュニケーションに困難さがあったが「鳥」とは異常なくらい深い交流ができたということを上げている(椚山・富永,2015)。賢治が「共感覚」を有していることは有名であり(板谷,2000),また動物との交流を数多く描いているが鳥類は55種と多い。なみなみならぬ「鳥」への「こだわり」が認められる。

 

つまり,賢治は富永國比古が指摘したように発達障害の一つである自閉スペクトラム症(ASD)あるいはその傾向を持つ人であった可能性が考えられる。もしも,今後の研究で賢治のASDである可能性がさらに高くなれば,詩集『春と修羅』の心象スケッチに認められたタイムスリップもASDの人に認められ杉山登志朗が命名した「タイムスリップ現象」と同様なものと考えてよいかもしれない。

 

参考文献

畑山 博.2017.教師 宮沢賢治のしごと.小学館.

星野仁彦(監修).2014.大人の発達障害の特性を活かして自分らしく生きる 実践編.日東書院.

板谷栄城.2000.宮沢賢治 美しい幻想感覚の世界.でくのぼう出版.

松本孝幸 2025(調べた年).『宮沢賢治とADHD』.

http://matumoto-t.blue.coocan.jp/kenjihyousi.html

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

椚山義次・富永國比古.2015.『銀河鉄道の夜』と聖書 ほんたうのさいはひ,十字架への旅.キリスト新聞社.

芝山雅俊.2007.解離性障害-「後ろに誰かいる」の精神病理.筑摩書房.

杉山登志郎.2016.自閉症の精神病理.The Japanese Journal of Autistic Spectrum 2016, 13(2):5-13.

 

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