宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『ガドルフの百合』考(第1稿)-「稜が五角の屋根」を持つ「巨きなまっ黒な家」とは何か

童話『ガドルフの百合』考 目次

第1稿-「稜が五角の屋根」を持つ「巨きなまっ黒な家」とは何か

はじめに

 1.「曖昧な犬」は先住民の比喩

 2.「稜が五角の屋根」を持つ「巨きなまっ黒な家」は「クジラの頭」

第2稿-百合の花に喩えた女性とは誰か

 1.賢治の恋人との関係

 2.「しのぶぐさ」の上に横たわる「百合」

第3稿-「俺の百合は勝ったのだ」の「百合」とは何か

 1.街路樹としての楊

 2.白い貝殻の楊

 3.貝細工の百合

 4.「1本の木」に宿る雫に映る「蝎の赤い光」

第4稿-夢の中で争う二人の男は誰か

 1.豹の毛皮を着た男

 2.烏の王

第5稿-朝廷と東北の先住民の歴史的対立

第6稿-賢治は本当に〈恋〉よりも〈宗教〉の方を重要と考えたのか

 まとめ

 

はじめに

童話『ガドルフの百合』(1923年頃)は,400字詰の原稿用紙13枚に書き留められた宮澤賢治の短編作品である。

 

ドイツ人を匂わせる名のガドルフという主人公が「曖昧な犬」の居るところをたよりに「楊(やなぎ)」の並木のある土地を旅している。ガドルフは,旅の途中で嵐に遭遇し,1軒の廃墟と思われる「屋根の稜が五角」の「巨きなまっ黒な家」に避難する。その庭には雷雨に打たれる10本ばかりの白い「百合の花」が群れて咲いている。ガドルフは,この一群れの「百合」と熱って痛む頭の奥に浮かぶもう一群れの「貝細工の百合」の両方を見つめながら,庭に咲く「百合の花」のうちの一番背の高い1本に恋人の面影を重ねて,雷雨に打ち負けないように願う。しかし,雷光と雨は激しさを増し,背の高い「百合の花」は折れてしまう。ガドルフは,「俺の恋は砕けたのだ」とつぶやき「巨きなまっ黒な家」の中で眠り込んでしまうが,夢の中で2人の男が坂の上で激しく争うのを見ることになる。夢の中には自分自身も登場していて,争う2人に弾き飛ばされてしまう自分を見る。ガドルフは目を覚ましたとき,雨は止んでいたが雷光は嵐に「勝ち誇った」9本ほどの「百合の群れ」を照らしている。そのとき,ガドルフは窓の外の「1本の木」に付いている「雫(しずく)」に南の空の「蝎(さそり)の赤い光」が映っているのを見て,「俺の百合は勝ったのだ」とつぶやき,この物語は終わる。 

 

この作品は,短編ではあるが,旅人が偶然見た「百合の花」が恋人になったり,「曖昧な犬」,「屋根の稜が五角」の「巨きなまっ黒な家」,「貝細工の百合」などの難解な言葉が次々に登場してきたりして話の主旨が捉えにくいものになっている。これまで多くの賢治研究家達が,この謎の多い作品にチャレンジし,様々な解釈を生みだしてきた(多田,1980,1997;大室,1985;畑山,1996;小埜,1999)。

 

その中で多いのは,ガドルフが女性に喩えた「百合の花」を賢治の実在した恋人として,賢治の恋愛観が表白されたものであるとするものである(多田,1980;大室,1985;畑山,1996)。特に注目されているのは,論文引用数などから多田(1980,1997)の評論と思われる。多田によれば,この作品は,〈宗教〉と〈恋〉の間で揺れ動く賢治自身が投影されたガドルフの深層意識を扱った作品と考えられている。多田は,嵐で折れた背の高い1本の「百合の花」を賢治の初恋の相手として,嵐でも折れずに残った「百合の群れ」に〈ひとり〉への愛から〈みんな〉への愛,別の言葉で言い換えれば宗教的な愛へと昇華されていく姿を見ていた。この解釈の根底にあるのは,文末の「俺の百合は勝ったのだ」の「百合」が,「勝ち誇った百合の群れ」と見なしてのことである。

 

著者も童話『ガドルフの百合』読後に,多田と同じく,この作品が〈宗教〉か〈恋〉かの選択をモチーフにしているものであると直感した。しかしながら,またいくつかの疑問も生じた。

 

その疑問とは,第1に,これがもっとも大きな謎となっているのだが,物語の冒頭に登場してくる「曖昧な犬」と「屋根の稜が五角」の「巨きなまっ黒な家」がはたして何を意味しているのかということである。この疑問に対して明瞭な答えを出した研究者はいない。第2に,「百合の花」に喩えた恋人が本当に初恋の女性であるのかどうかということである。なぜなら,賢治の初恋の時期は1914年で『ガドルフの百合』の執筆年とされる年よりも9年も前である。第3に,「しのぶぐさ」の上に横たわる「百合」とは何を意味しているのか。第4に,文末の「俺の百合は勝ったのだ」の「百合」が,「勝ち誇った百合の群れ」であるのかどうかも疑問である。なぜなら,この物語に登場する「百合」は,庭の「勝ち誇った百合の群れ」以外に,折れてしまった背の高い1本の「百合」と,ガドルフの脳裏に浮かぶもう一群れの幻覚とも思える「貝細工の百合」が登場するからである。第5に,なぜ夢の中で争う二人の男が登場してくるのかという謎もある。そして最後に,話の主旨として,賢治は本当に〈恋〉よりも〈宗教〉の方を重要と考えたのかどうかである。

 

著者は,これまで難解とされてきた『銀河鉄道の夜』を,この童話に登場する植物がなぜ登場してくるのか解読することによって読み解いてきた。文章の意味がとりにくいところでも,その近くに配置されている植物を丹念に調べることによって明らかになったことを何度も経験している。童話『ガドルフの百合』には,「百合」と「楊(やなぎ)」が主要な植物として繰り返し登場してくるが,これ以外に「しのぶぐさ」と植物名が明らかでない「一本の木」が登場してくる。

 

本ブログ(第1稿)と次の5編(第2~6稿)では,これら植物がどのような役割をもって物語に登場してくるか明らかにすることによって前述した6つの疑問に対して著者なりの答えをだしてみたい。

 

1.「曖昧な犬」は先住民の比喩

 「曖昧な犬」という表現は,この物語の前半部分にでてくる。

 

 それに俄(には)かに雲が重くなったのです。

(卑しいニッケルの粉だ。淫(みだ)らな光だ。)

 その雲のどこからか,雷の一切れらしいものが,がたっと引きちぎったような音をたてました。

(街道のはずれが変に白くなる。あそこを人がやって来る。いややって来ない。あすこを犬がよこぎった。いやよこぎらない。畜生。)

        (中略)

 ガドルフはあらんかぎりすねを延ばしてあるきながら,並木のずうっと向ふの方のぼんやり白い水明りを見ました。

(あすこはさっき曖昧な犬の居たとこだ。あすこが少ぅしおれのたよりになるだけだ。)

 けれども間もなく全くの夜になりました。空のあっちでもこっちでも,雷が素敵に大きな咆哮(ほうかう)をやり、電光のせはしいことはまるで夜の大空の意識の明滅のやうでした。

 道はまるっきりコンクリート製の小川のやうになってしまって,もう二十分と続けて歩けさうにもありませんでした。

 その稲光りのそらぞらしい明りの中で,ガドルフは巨(おほ)きなまっ黒な家が,道の左側に建ってゐるのを見ました。

(この屋根は稜(かど)が五角で大きな黒電気石の頭のやうだ。その黒いことは寒天だ。その寒天の中へ俺ははひる。)

ガドルフは大股に跳ねて,その玄関にかけ込みました。

             (宮沢,1986)下線は引用者による;以下同じ

 

ガドルフは,「十六哩(マイル)だといふ次の町」を「曖昧な犬」の居たところを頼りに旅をしている。賢治は,距離の単位を「マイル」と表記していること,イギリスの「ハックニー馬」やヨーロッパ中南部,西アジア原産と思われる「楊(やなぎ)」(種の特定は後述する)の並木という日本では通常見られない動植物を物語に登場させているので,物語の舞台をヨーロッパに設定しようとしたのかもしれない。しかし,童話『銀河鉄道の夜』もヨーロッパや米国大陸を舞台にしているがイーハトーブ岩手県の景観が二重に見えてくるので,この物語も単純にヨーロッパが舞台と決めつけることもできない。

 

「曖昧な犬」とは,ヨーロッパ原産で名前がなかなか思い出せない「イヌ」という意味ではない。多分,かつて東北に住んでいた「先住民」の「蝦夷(エミシ)」のことを指していると思われる。

 

2.「稜が五角の屋根」を持つ「巨きなまっ黒な家」は「クジラの頭」

賢治の同様の使い方は,別の作品でも見受けられる。童話『銀河鉄道の夜』には「ザウエル」という名の尾が「箒」のような犬が登場する。「ザウエル」は,定冠詞の「the」と「クジラ」の英名(ホエール;Whale)を組み合わせたものであろう(石井,2019)。童話では「ザウエル」は,ジョバンニの行動を監視している役として登場する。賢治は,黒くて大きい「クジラ」を東北の「先住民」に見立てている。賢治が「先住民」を「クジラ」と見なすのは,「蝦夷(エミシ)」が住んでいた土地の地形図(あるいは地質図)や「蝦夷」の漢字の読み方に由来すると思われる(石井,2019)。例えば,東北の東部に位置し,標高1600mを超える早池峰山や薬師岳と1400m以下の「種山ヶ原」を含む準平原の「北上高地」から成る「北上山系」は,この地形を鳥瞰して上空から見れば北端は青森県八戸市付近,南端は宮城県牡鹿半島にいたる「紡錘形」の形(南北240km余,東西の最大幅80km余)をしている。この「紡錘形」の山系は,北端側で大きく膨れているので見ようによっては巨大な魚(クジラ;第1図)のシルエットに見える。

第1図.クジラの形に見える北上山系

 

賢治は,地形を動物に準えることがある。賢治は,童話『サガレンの八月』で「チョウザメ(蝶鮫)」(チョウザメ科の硬骨魚類)を登場させているが,これは賢治研究家の浜垣(2018)によれば,賢治がサハリン(樺太,古くはサガレン)の地形と「チョウザメ」の形が類似していることを認識していたからだという。

 

また,「東北」では「クジラ」を神格化して「恵比寿」の化身として「エビス」と呼んでいたが,この「エビス」という名は大和朝廷側の「蝦夷」に対する呼び名でもあった。大和朝廷側は,「東北」のかつての「先住民」である「蝦夷」の呼称として「エミシ」を主に使ったが(北海道の「先住民」に対しては「蝦夷(エゾ)」),それ以外に「エビス」を使った時期もあった(高橋,2012)。

 

「巨きなまっ黒な家」の正体は形,色,大きさそして柔らかさからして「クジラの頭」をイメージしているように思える。なぜなら,その「屋根は稜(かど)が五角で大きな黒電気石の頭のやうだ。その黒いことは寒天だ」とガドルフに言わせているからである。黒電気石は,アルミニウムや砒素などを含む六方柱状の結晶体で面に電気が走ったような「皺」がある(原,1999)。マッコウクジラは四角い頭が特徴だが皮膚は「皺状」にうねっている。ゼラチンのようなぶよぶよした寒天は「テングサ」などの海産生物から作られる。「稜が五角の屋根」の「五角」が「五角形」なのか「稜」が5つある北海道の「五稜郭」のような星形「五角」なのかは分からないが,ここでは「五角形」として話しを進める。この「五角形」と関係するのは,天体にある「くじら座」である。「くじら座」の頭部にあたるところはα星(Menkar)とγ星を含む五つの星からなり,それぞれの星を結ぶと「五角形」になる。

 

ガドルフが嵐で避難した「クジラの頭」をイメージした「巨きなまっ黒な家」はどこにあるのであろうか。そのヒントは,ガドルフが向かう次の町が「十六哩先」(25.6km)だということと,街道の向こうに「水明かり」が見えたり,街道が大量の雨水で「コンクリート製の小川のやうに」なっていたりすることにある。ガドルフが次の町に旅する中継点を,かつて「蝦夷(エミシ)」が住んでいた東北がイメージされているとすれば,岩手県胆沢郡の水沢あたりが候補にあがる。ガドルフの背負っている背嚢には「小さな機械類」が入っているし,物語の語り手が「雲の濃淡」,「空の地形図」,「星座のめぐり」などの空や天体に関する話を詳細に述べているからである。水沢には,当時天体観測などの科学技術手法を使って正確な緯度を測定する緯度観測所があった。賢治自身も訪れたことがある。

 

旅の中継点である水沢を出発点として次の町を花巻とすると,ガドルフは嵐の日に水沢から花巻までの30kmほどを歩く予定でいたことになる。花巻まで16マイルとすれば,ガドルフが嵐で避難した「巨きなまっ黒な家」は水沢から4~5km北に位置する。歩いている街道が嵐で川のようになっているとあるので,この街道は北上川をイメージすることができる。さらにこの建物は街道の左側(西側)にあるとも記載されている。多分,ガドルフは,水沢から北上川に沿って北に4~5km歩いた左側(西側)の建物に避難したと思われる。この場所には,平安時代に東北の「先住民」である「蝦夷(エミシ)」(=「クジラ」)に対して征討の拠点とした城柵(胆沢城)の跡があった。「稜が五角の屋根」を持つ「巨きなまっ黒な家」は,この胆沢城と何らかの関係があると思われる。(続く)

 

参考文献

浜垣誠司.2018.11.23.(調べた日付).宮澤賢治の詩の世界 オホーツク行という実験.http://www.ihatov.cc/blog/archives/2015/04/post_824.htm

畑山 博.1996.『宮沢賢治〈宇宙羊水〉への旅』.日本放送出版協会.東京.

原 子郎.1999.新宮澤賢治語彙辞典.東京書籍.東京.

石井竹夫.2019.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の発想の原点としての橄欖の森-アワとジョバンニの故郷(前編・後編)-.人植関係学誌.18(2):53-69.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/14/150002 https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/14/152434

大室英爾.1985.宮澤賢治ノート-「ガドルフの百合」について-.駒澤短大国文 15:36-51.

小埜裕二.1999.〈大宇宙の生命世界〉と〈心象世界〉-「ガドルフの百合」論-.上越教育大学研究紀要 19(1):17-27.

多田幸正.1980.賢治の初恋と「まことの恋」-『ガドルフの百合』を中心に-.日本文学 29(11):53-661.

多田幸正.1997.「ガドルフの百合」論-宮沢賢治の《内なる旅》-.児童文学研究 30:1-13.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

 

本ブログは,宮沢賢治研究会発行の『賢治研究』145号10-24頁2021年(12月3日発行)に掲載された自著報文「植物から『ガドルフの百合』の謎を読み解く-宗教と恋のどちらがより大切か(上)-」(投稿日は2020年6月1日 種別は論考)に基づいて作成した。ブログ題名は(上)をさらに第1稿と第2稿と第3稿の3つに分けているので変更した。また,ブログ掲載にあたり一部内容及び図を改変した。