宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『若い木霊』(6) -黒い森と大きな木霊から逃げた理由-

Keywords: 葦,恋人,まっくらな巨きなもの,先住民,日本武尊

 

本稿では,「黒い森」が何を意味しているのか明らかにし,〈若い木霊〉が〈大きな木霊〉から逃げた理由について考察する。「黒い森」は以下の場面で登場してくる。

「鴾(とき),鴾,どこに居るんだい。火を少しお呉れ。」

「すきな位持っておいで。」と向ふの暗い木立の怒鳴りの中から鴾の声がしました

「だってどこに火があるんだよ。」木霊はあたりを見まはしながら叫びました。

「そこらにあるじゃないか。持っといで。」鴾が又答へました。

 木霊はまた桃色のそらや草の上を見ましたがなんにも火などは見えませんでした。

「鴾,鴾,おらもう帰るよ。」

「そうかい。さよなら。えい畜生。スペイドの十を見損っちゃった。」と鴾が黒い森のさまざまのどなりの中から云ひました

 若い木霊は帰らうとしました。その時森の中からまっ青な顔の大きな木霊が赤い瑪瑙(めのう)のやうな眼玉をきょろきょろさせてだんだんこっちへやって参りました。若い木魂は逃にげて逃げて逃げました

                     (宮沢,1986)下線は引用者

 

前稿(石井,2021c)で,「桃色のかげろふのやうな火」という「幻想世界」の中から見た「暗い木立(黒い木)」は,如来の「髻(もとどり)」にある「髪の毛」がイメージされていると述べた。〈若い木霊〉は〈鴾〉を追いかけて走り回った影響で疲労困憊したと思われる。〈若い木霊〉が見た「暗い木立」は,うとうとと眠りかけたときに見る「入眠幻覚」のようなものとして現れた。しかし,幻影としての「暗い木立」は,〈若い木霊〉が〈鴾〉が示した「鴾の火」を見つけられずに「おらもう帰るよ。」と言った瞬間に「黒い森」に変わる。賢治が意図的に変えたと思われる。多分,〈若い木霊〉は,この場から帰りたいと思った瞬間,「幻想世界(夢)」から醒め,再び「現実世界」に立ち戻ったのだと思う。「黒い森」は「暗い木立」という言葉と似ているが,意味は全く異なると思われる。では「現実世界」で見た「黒い森」とは何を意味しているのであろうか。

 

6.「黒い森」とは何か

〈鴾〉は〈若い木霊〉をこの「黒い森」に案内する途中で4番目の丘の狭間の「葦」の中に墜ちてしまう。この「黒い森」の正体は,この〈鴾〉が落ちた場所と関係がありそうである。

「お前は鴾といふ鳥かい。」

 鳥は

「さうさ,おれは鴾だよ。」といひながら丘の向ふへかくれて見えなくなりました。若い木霊はまっしぐらに丘をかけのぼって鳥のあとを追ひました。丘の頂上に立って見るとお日さまは山にはひるまでまだまだ間がありました。鳥は丘のはざまの蘆(あし)の中に落ちて行きました。若い木霊は風よりも速く丘をかけおりて蘆むらのまはりをぐるぐるまわって叫びました。

「おゝい。鴾。お前,鴾の火といふものを持ってるかい。持ってるなら少しおらに分けて呉(く)れないか。」

「あゝ,やらう。しかし今,ここには持ってゐないよ。ついてお出(い)で。」

 鳥は蘆の中から飛び出して南の方へ飛んで行きました。若い木霊はそれを追いました。あちこち桜草の花がちらばってゐました。そして鳥は向うの碧いそらをめがけてまるで矢のやうに飛びそれから急に石ころのやうに落ちました。

                       (宮沢,1986)下線は引用者

 

鳥の「葦むら」に落ちてから飛び上がり,また落ちるという不可思議な行動と野原の向こう側から聞こえてくる不思議な声は,詩集『春と修羅』の「白い鳥」(1923.6.4)にもでてくる。「白い鳥」には「どうしてそれらの鳥は二羽/そんなにかなしくきこえるか/それはじぶんにすくふちからをうしなつたときわたくしのいもうとをもうしなつた/そのかなしみによるのだが/(ゆふべは柏ばやしの月あかりのなか/けさはすずらんの花のむらがりのなかで/なんべんわたくしはその名を呼び/またたれともわからない声が/人のない野原のはてからこたへてきて/わたくしを嘲笑したことか)/そのかなしみによるのだが/またほんたうにあの声もかなしいのだ/いま鳥は二羽,かゞやいて白くひるがへり/むかふの湿地,青い芦のなかに降りる/降りやうとしてまたのぼる」とある。

 

引用した詩は,「(日本武尊の新らしい御陵の前に/おきさきたちがうちふして嘆き/そこからたまたま千鳥が飛べば/それを尊のみたまとおもひ/芦に足をも傷つけながら/海べをしたつて行かれたのだ)」という詩句が続くことから『古事記』の白鳥陵伝説を元にして創作された心象スケッチであることがわかる。「芦(よし)」はイネ科ヨシ属の多年草で「ヨシ」(Phragmites australis (Cav.) Trin.ex Steud.)で,童話『若い木霊』の「葦(あし)」のことである。

 

「葦(あし)」という呼び名は,古くは『古事記』や『日本書紀』などの記紀の「葦原中国(あしはらのなかつくに)」という言葉の中で使われていた。これは日本という国の古い呼称である。多分,童話の「葦」は記紀に登場する「葦」がイメージされている。朝廷によって作られた歴史書によれば,日本列島は大陸から稲作と鉄器の文化を持ってきた渡来系弥生人らによって統治される前は「葦」の茂る未開な国であったということである。この日本列島の「葦」が茂る土地には,渡来系弥生人らが来る前にすでに「先住民」が暮らしていた。

日本武尊(やまとたけるのみこ)は,第12代景行天皇の皇子で,西国の熊襲征討と東国(東北)の蝦夷(エミシ)征討を行ったとされる記紀上の伝説的英雄である。童話『若い木霊』が東北を舞台にしているとすれば,この物語に登場する「幻想世界」から醒めたときに現れた「黒い森」は東北の「蝦夷」と呼ばれた「先住民」と関係しているように思える。東北の「先住民」には朝廷に対して「まつろわぬ民」として記紀に登場する日本武尊の時代から,阿弖流為と坂上田村麻呂が戦った古代そして戊辰戦争の近代に至るまで対立してきた歴史がある。

 

賢治の作品には,この「黒い森」に相当するものは,詩集『春と修羅 詩稿補遺』の詩「境内」では「どうにも動かせない」「まっくらな巨きなもの」(石井,2021a),詩「火祭」においては「(ひば垣や風の暗黙のあひだ/主義とも云はず思想とも云はず/たゞ行はれる巨きなもの)」(石井,2021a)で,童話『ガドルフの百合』では「巨きなまっ黒な家」,そして童話『銀河鉄道の夜』においては「橄欖の森」,「大きな闇」あるいは「巨きな黒い野原」として表現されてきた。「橄欖の森」はブログ名にも採用している。詳細は固定ページの「ブログ名(橄欖の森)について」を参照してください。

 

これらの「まっ黒」で「巨きなもの」として象徴されるものは,東北の「先住民」が「大和」あるいは「侵略者」に示す「疑い」や「反感」・「憎悪」の共同体意識(共同幻想)である。別の言葉で言い換えれば,「村人(農民)」の「町の人」に対する反感意識でもある。すなわち,〈鴾〉は〈若い木霊〉を「疑い」や「反感」・「憎悪」が渦巻く東北先住民の共同体意識の中に連れ込もうとしたと思われる。多分,〈若い木霊〉は丘の木々や花の精霊,動物達,あるいは「黒い森」に住む者達にとってはよそ者(移住者)として設定されているように思える。

 

7.大きな木霊から逃げた理由

〈若い木霊〉が帰ろうとしたときに「黒い森」の中から「赤い瑪瑙」のような眼玉をきょろきょろさせて〈大きな木霊〉が出てきて,〈若い木霊〉はこれを見て逃げてしまう。「黒い森」あるいは〈大きな木霊〉から逃げた理由として,伊東(1977)は「早すぎた目覚め」と「鴾の火(性)に対する無知」によるものとし,中地(1991a,b)は「性の目覚めを体験し,それに執着したために不気味な幻想世界(修羅の世界)を呼び起こして驚いたから」とし,鈴木(1994)は魔王波旬の眷属になってしまうことへの恐怖によるものとした。

 

筆者は,この〈大きな木霊〉は性愛を伴う恋愛の対象者としての〈大人の木霊〉であると思っている。「瑪瑙(メノウ)」は,縞模様が入る二酸化ケイ素を主成分とする鉱物(宝石)である。それゆえ「赤い瑪瑙」は,サケやマスの繁殖時期の腹側にできる薄赤い縞模様(「婚姻色」)がイメージできる。すなわち,「幻想世界」の中で「法華経(安楽行品)」から「若い女性に近づくな」ということを学んだ〈若い木霊〉は,この若い成熟した女性の木霊を見て「逃げた」のである。さらに深読みすれば,〈大きな木霊〉は賢治の背が高かった「先住民」の末裔と思われる恋人が投影されていると思われる。前述した詩集『春と修羅』の「白い鳥」に登場する2羽の白い鳥のうち1羽は妹トシであるが,もう1羽は破局に終わった恋人と思われる。

 

この童話の制作年度は研究者によっては1921年11月以前を想定しているが,賢治の恋が破局した1923年春頃も見直しと修正がなされていたのかもしれない。

 

賢治は,花巻農学校の教諭時代に地元の女性と相思相愛の恋愛をしている(佐藤,1984)。この女性は,前稿で述べたレコード鑑賞会に参加していた花城小学校の7~8人の女性教諭の1人である。この恋は長続きせずに1年ほどで破局している(1922年春から1923年春頃まで)。破局の原因は定かではないが,筆者は東北の「先住民」と京都に都を置いた朝廷側の歴史的対立が破局の原因の1つであると考えている(石井,2021b)。宮沢一族は京都出身の「移住者」の末裔であり,恋人は「先住民」の末裔と思われる。この歴史的対立がもたらした「先住民」の「移住者」に対する反感・憎悪は,前述したように「まっくらな巨きなもの」である。

 

賢治は,自分の前に立ちはだかった「まっくらな巨きなもの」をどうにも動かすことができなかった。賢治は「まっくらな巨きなもの(=黒い森)」から幻聴として「怒鳴や叫びががやがや聞えて」きたのかもしれない。前述したように「白い鳥」という詩の中には「またたれともわからない声が/人のない野原のはてからこたへてきて/わたくしを嘲笑したことか」という詩句がそれに対応している。そして,賢治は2人の「さいはひ」よりも「みんなのさいはひ」を選択したのであろう。

 

また,2番目の丘のところで〈若い木霊〉は,〈栗の木〉に耳をあてても何の音もしないことから,〈栗の木〉につく〈やどり木〉に対して「おい。この栗の木は貴様らのおかげでもう死んでしまったやうだよ」と非難していたが,森から引き返した後では「ふん,まだ,少し早いんだ。やっぱり草が青くならないとな」とやさしい言葉をかけるようになる。「法華経」の「安楽行品」から「他人を非難し敵視せず」ということを学んだからと思われる。(続く)

 

参考・引用文献

石井竹夫.2021a.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-ケヤキのような姿勢の青年(1)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/12/143453

石井竹夫.2021b.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-ケヤキのような姿勢の青年(2)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/12/145103

石井竹夫.2021c.宮沢賢治の『若い木霊』(4)-鴾の火と法華経・如来寿量品の関係について-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/09/16/061200

伊東眞一朗.1977.「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」論.国文学攷 74:12-24.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

中地 文.1991a.「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」の成立考(上).日本文学 75:16-33.

中地 文.1991b.「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」の成立考(中).日本文学 76:50-63.

鈴木健司.1994.宮沢賢治 幻想空間の構造.蒼丘書林.東京.

 

本稿は未発表レポートです。                                        2021.9.18(投稿日)