宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『氷河鼠の毛皮』考 (3) -熊のやうな人たちとは何者か-

物語の後半部で間諜(スパイ)の〈痩せた赤ひげ〉によって誘導された20人ほどの〈熊のやうな人たち〉が列車に乗り込んでくる。本稿では,この〈熊のやうな人たち〉が誰かについて考察する。

 

〈熊のような人たち〉が列車に乗り込んでくる場面は以下の通り。

 

引用文E 

夜がすつかり明けて東側の窓がまばゆくまつ白に光り西側の窓が鈍い鉛色になつたとき汽車が俄にとまりました。みんな顔を見合せました。

『どうしたんだらう。まだベーリングに着く筈(はず)がないし故障ができたんだらうか。』

 そのとき俄に外ががや/\してそれからいきなり扉(とびら)ががたつと開き朝日はビールのやうにながれ込みました。赤ひげがまるで違つた物凄(ものすご)い顔をしてピカ/\するピストルをつきつけてはひつて来ました。

 そのあとから二十人ばかりのすさまじい顔つきをした人がどうもそれは人といふよりは白熊(しろくま)といつた方がいゝやうな,いや,白熊といふよりは雪狐(ゆきぎつね)と云つた方がいいやうなすてきにもく/\した毛皮を着た,いや,着たといふよりは毛皮で皮ができてるというた方がいゝやうな,ものが変な仮面をかぶつたりえり巻を眼まで上げたりしてまつ白ないきをふう/\吐きながら大きなピストルをみんな握つて車室の中にはひつて来ました。

                (宮沢賢治,1986)下線は引用者,以下同じ

 

1.〈熊のやうな人たち〉は北方系の人たちがイメージされている

ベーリング行き急行を止めて乗り込んでくる〈熊のやうな人たち〉は,語り手によって「人といふよりは白熊(しろくま)といつた方がいゝやうな,いや,白熊といふよりは雪狐(ゆきぎつね)と云つた方がいいやうなすてきにもく/\した毛皮を着た,いや,着たといふよりは毛皮で皮ができているという方がいゝやうなもの」あるいは「へんな仮面」をかぶったり,「襟巻きを眼のところまで上げ」ていたり,と紹介されている。分かりにくい表現だが,多分,〈熊のやうな人たち〉は北方領域(北海道,樺太,千島)の「アイヌ」などの先住民の末裔を想定していたのかもしれない。

 

賢治がこの物語を執筆していた頃(大正時代あるいは昭和初期)は日本人の起原が盛んに議論されていた。例えば,解剖学者で人類学者の小金井良精の縄文時代人=アイヌ説や人類学者の清野謙次の混血説などである。混血説とは,縄文時代人が元々日本列島に住んでいて,北の方では北方人種との混血によって「アイヌ」が生じ,南の方では朝鮮から来た新しい渡来者との混血によって和人が生じたとされるものである(梅原・埴原,1993)。

 

また,古代から本州の「東北」(イーハトヴ)には和人以外に「エミシ」と呼ばれ狩猟を本業とする人たちが先住していた。「エミシ」は現在では漢字で「蝦夷」と書くが,7世紀以前の古書では「毛人」と記載されていた。「アイヌ」や古代蝦夷の人たちは白人のように毛が濃かったらしい(梅原・埴原,1993;金田一,2004)。また,古代蝦夷たちはアイヌ語を話していたとされる(高橋,2012)。賢治が生きていた時代は,「アイヌ」と「エミシ」は同一と考えられていた(金田一,2004)。もしかしたら,賢治は「東北」に先住していた人たちも北方の「アイヌ」と何らかの関係があると思っていたのかもしれない。

 

2.氷河鼠とはオコジョのことか

樺太や千島列島の北方にはカムチャッカ半島やチュコトカ半島があり,その先にベーリング海峡がある。北海道以北のこれら北方領域には当時「アイヌ」などの先住民族が住んでいたが,彼等は明治維新までラツコ(ラッコ),海狸(ビーバー),狐などの毛皮を日本(本州)および周辺国との交易品に使っていた。「ラッコ」はアイヌ語で「ラッコ」を意味する「rakko」に由来する。

 

題名にもなっている「氷河鼠の毛皮」は賢治の造語と思われる。「氷河鼠」とはなんであろうか。現在,毛皮のコートはミンクで70~80匹分.ウサギで30~40匹分,チンチラで150匹分だそうだ。童話『氷河鼠の毛皮』で〈タイチ〉は「氷河鼠」の毛皮の上着を「頸のところ」だけを450匹分使ったといっている。酒が入ると116匹に変更されるが,素面でいった450匹が正しいのであろう。〈タイチ〉の「上着」を「コート(外套)」のことだとし,「頸のところ」を毛皮全体の1/3とすれば,〈タイチ〉が持っている「氷河鼠」450匹分の頸だけの毛皮は「チンチラ」(尾を除く体長25~26cm,体重420~600g)相当の動物450匹分の毛皮ということになる。

 

童話『猫の事務所』では「氷河鼠」の産地は「ベーリング地方」となっている。多分,「氷河鼠の毛皮」は北方領域で「アイヌ」が交易に使っていた「銀鼠」の毛皮のことを指しているのかもしれない。「銀鼠」はイタチ科の毛皮獣である「オコジョ」(別名はエゾイタチ)のことである。「オコジョ」は体長16~33cmで体重は150~320gで,世界最小の狩人(肉食獣)である。我が国には「エゾオコジョ」と「ホンドオコジョ」がいる。「エゾオコジョ」はベーリング海峡以南,サハリン(樺太),千鳥,北海道に分布する。氷河時代の生き残りとも言われている(中村,2022)。異説もある。澤口たまみ(2021)によると「氷河鼠」はキヌゲネズミ科のクビワレミングの可能性があるという。しかし,レミングは体長7~15cm,体重30~112gで小さく,毛皮としては利用されていなかったと思われる。

 

「オコジョ」の冬毛は白色だが尾の一部は黒い。その美しい姿から「山の妖精」あるいは「森の妖精」と呼ばれている。欧州で「銀鼠」の毛皮はアーミンと呼ばれ珍重された。ダヴィッドが描いた「ナポレオンの戴冠式」では,ナポレオンがアーミン「縁取り」したマントを身につけている(中村,2022)。ヨーロッパでは中世より,王侯貴族や高位聖職者,裁判官などが公式の場面で身に着ける伝統 があり,アーミンは権威,とりわけ王権の象徴として知られている(三友,2005)。賢治もこのような服を見て,権威の象徴として物語で「氷河鼠の頸のとこの毛皮だけでこさへた上着」と記載したのかもしれない。

 

また,「黒狐」は『続日本紀』和銅5年(712年)に記載が見られるし,まれに北海道でも見ることができるという。「アイヌ」は「狐」も「カムイ(神)」として崇め,「黒狐」はその中でも最も尊いものとしている(知里,2009)。ただ,次稿で考察するが,物語で「氷河鼠」や「黒狐」は,北方の「先住民」の譬喩として使われているような気がする。例えば,〈熊のやうな人たち〉の着ている服,あるいは彼等の体毛のことである。

 

3.「アイヌ」あるいは「東北の先住民」とはどのような人たちであったのか

〈熊のやうな人たち〉が北方の「アイヌ」あるいは「東北」の「先住民」をイメージしているとすれば,どのような性格の人たちであろうか。

 

金田一(1993)が樺太アイヌや北海道アイヌの「ユーカラ」などの伝記を基に「アイヌ」の「種族性」(和人との違い)について調べていたものがあるので,それを参考にしたい。

 

金田一(1993)は,「アイヌ」(多分「エミシ」も)には以下の5つの特徴があるということを報告している。第1に,名誉や名声を大切にする。第2に,情に篤く,愛情に富み,涙脆い。いわば「頑強な体に弱い心の所有者」である。第3に,「事大主義」であり,自分の信念を持たずに支配的な勢力や風潮に迎合する。第4に,利欲に蛋白で,貧困に陥っても無理に富を求めずに貧しい生活に甘んじてしまう。また,「アイヌ」の社会は四民平等の社会なので立身の出世という野心も起こり得なかったのである。第5に,これが一番の欠点であるが,気が弱く,気兼ねし,気を廻し過ぎるので猜疑心が生じ,「外」に対しては「疑い深い」とともに「内」には「反目嫉視(しっし)」をする。(嫉視とは妬みのことである)

 

従って大同団結することはなく国家生活を知らなかった。その結果あるいは原因かもしれないが家族的な愛の濃やかさには似ずに「公衆の愛」というような現れは認めがたく,慈母孝子の感情があっても公正の感情,公明な感情というものは遅れていたようである。また,祖先崇拝の一面が党同伐異の風を醸成し,祖先を異にする部落の間に絶え間ない争いを引き起こすことにもなったのである。これらが今日主義の低い生活程度に止まり,専業ということなしに,誰もが同じ生活を繰り返すから文化の進歩が遅かったのである。

 

英国女性で旅行家のバード(Isabella L. Bird)の『日本奥地紀行』(初版は1880年)には,1878年6月に北海道の幌別,白老,湧別,平取等のアイヌ集落を訪れた様子が記載されている(バード,2000)。彼女は紀行文の中で「アイヌ」の性格について次のように語っている。

 

第1に,アイヌ人は誠実であるという点を考えるならば,わが西洋の大都会に何千という堕落した大衆がいる。彼らはキリスト教徒として生まれて,洗礼を受け,クリスチャン・ネームをもらい,最後には聖なる墓地に葬られるが,「アイヌ」の人の方がずっと高度で,ずっと立派な生活を送っている。全体的に見るならば,アイヌ人は純潔であり,他人に対して親切であり,正直で崇敬の念が厚く,老人に対しては思いやりがある。 

 

第2に,彼らの宗教的儀式は,大昔から伝統的な最も素朴で最も原始的な形態の自然崇拝である。漠然と樹木や川や岩や山を神聖なものと考え,海や森や火や日月に対して,漠然と善や悪をもたらす力であると考えてきている。彼らは太陽や月を崇拝し,しかし星は崇拝しない,森や海を崇拝する。狼,黒い蛇,梟,その他いくつかの獣や鳥には,その名にカムイ(神)という語がつく。例えば,狼は「吠える神」であり,梟は「神々の鳥」,黒い蛇は「太陽神」である。雷(神鳴り)は「神々」の声であり,恐怖心を呼び起こす。太陽は彼らの最善の神であり,火はその次に善い神である,と彼らはいう。

 

第3に,彼らの生活は臆病で単調で,善の観念をもたぬ生活である。彼らの生活は暗く単調で,この世に希望もなければ,父なる神も知らぬ生活である。また,何事も知らず,何事も望まず,わずかに恐れるだけである。着ることと食べることの必要が生活の原動力となる唯一の原理であり,酒が豊富にあることが唯一の善である。彼らは儲けを全部はたいて日本酒を買い,それをものすごく多量に飲む。泥酔こそは,これら哀れなる未開人の望む最高の幸福であり,「神々のために飲む」と信じ込んでいるために,泥酔状態は彼らにとって神聖なものとなる。

 

第4に,「外」に対して疑い深いことである。彼らは,私が一人で食事をしたり休息するように,と言って退ったが,酋長の母だけは残った。その皺だらけの顔には人を酷(きび)しく疑う目つきがあった。私は,彼女がもしかしたら悪魔の眼をしているのではないかとさえ思った。いつもそこに座ってじっと見つめ,そして運命の三女神(人間の生命に糸を紡ぐという)の一人のように,樹皮の糸を絶えず結んで,彼女の息子の二人の妻や,織りに来た別の若い女たちを油断なく見守っている。彼女には老人ののんびりした休息はない。彼女だけが外来者を疑っている。私の訪問は彼女の種族にとって縁起が悪いと考えているのだ。

 

金田一やバードが記録した言葉から北方の「先住民」を一般化できるかどうか分からないが,両者の言っていることには類似点が多い(石井,2021)。すなわち,北方の「先住民」は自然を神聖なものとして崇拝し,誠実で正直者であるが,何事も知らず,何事も望まないという無気力な性格も有しているとしている。別の言葉で言えば,騙されやすい人たちということである。この騙されやすい性格は,逆に「よそ者」に対して「酷しく疑う目つき」にしているのだと思う。そして,同族に対しては妬みが強い。また,何よりも酒好きでもある。当時の金田一ら学者たちは「アイヌ」と東北の先住民である「蝦夷(エミシ)」を同一と見做していた。バードや金田一がみたアイヌ人の性格は「東北」の先住民にも当てはまるかも知れない。

 

「東北」の「先住民」にとって「町の人たち」は同じイーハトヴの住民であるが「よそ者」でもある。実際に宮沢家は京都からの移民の末裔である。すなわち,土着の民ではない。よって,〈熊のやうな人たち(=東北の先住民)〉は,〈タイチ〉などの商人たちに「疑い」や「反感」だけでなく「妬み」も持っている。賢治が書簡で「質草」を「青いねたみ」と言っていた。

 

参考文献

バード・イサベラ(高梨健吉訳).2000.日本奥地紀行.平凡社.

石井竹夫.2021.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-アワとジョバンニの故郷(2)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/14/152434

金田一京助.1993.金田一京助全集(第12巻)アイヌの文化・民俗学.三省堂.東京.

金田一京助.2004.古代蝦夷(えみし)とアイヌ.平凡社.

三友晶子.2005.フェルメールの斑点入り毛皮をめぐる「アーミン」言説の 再考 - 絵画における服飾表現の現実性-.日本家政学会誌 56(9): 617-626.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集8.筑摩書房.

中村和之.2022(調べた年).アイヌ民族と北方の交易.https://www.ff-ainu.or.jp/about/files/sem1714.pdf

澤口たまみ.2021.クラムボンはかぷかぷわらったよ 宮澤賢治おはなし30選.岩手日報社.

高橋 崇.2012.蝦夷(えみし).中央公論新社.

知里幸恵(編訳).2009.アイヌ神謡集.岩波書店.

梅原 猛・埴原和郎.1993.アイヌは原日本人か.小学館.