宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

春の妖精たち

「春の妖精」とは,雪解けとともに春一番で地上に姿を現し,初夏の樹上の若葉が出揃う前に姿を消してしまうはかなくも愛らしい植物たちのことをいう。「スプリング・エフェメラル(春の短い命)」とも呼ぶこともある。カタクリ,サクラソウ,フクジュソウ,ニリンソウ,ヒトリシズカ,ミヤマネコノメソウなどがある。

 

多くは多年草で,姿を消すといっても地上部の花と葉の部分だけで,地下の部分は地下茎などの形で翌春まで休眠する(カタクリは種子で増える)。

 

「春の妖精」が見られる地域は,主として真冬に葉を落とす落葉樹の林あるいは森林地帯である。時期は地域にもよるが2月下旬から4月中旬の落葉樹に葉がない林の中が明るい40日~70日の短い期間だけである。

 

この春一番で咲く花を,詩的な言葉で表現した童話を紹介する。宮沢賢治の『若い木霊』(1922年以前の作と言われている)という作品である。木霊と書いて「こだま」と読む。森の霊みたいなものだろうか。ここで登場する「妖精」はカタクリとサクラソウである。「こだまが落葉樹の柏や栗の木の幹にすきとおる大きな耳を当て,水を吸い上げている音を聞こうとするが聞こえない。まるで眠っているようだ。しかし,地表ではカタクリやサクラソウの花がもうすでに咲いている」という内容である。

 それから若い木霊(こだま)は,明るい枯草の丘の間を歩いて行きました。

丘の窪(くぼ)みや皺(しわ)に,一きれ二きれの消え残りの雪が,まっしろにかゞやいて居(お)ります。

      (中略)

「おいおい,栗の木,まだ眠(ね)ってるのか。もう春だぞ。おい,起きないか。」

 栗の木は黙ってつめたく立ってゐました。若い木霊はその幹にすきとほる大きな耳をあててみましたが中はしんと何の音も聞こえませんでした。

 若い木霊はそこで一寸(ちょつと)意地悪く笑って青空の下の栗の木の梢(こずえ)を仰いで黄金(きん)色のやどり木に云ひました。

「おい。この栗の木は貴様らのおかげでもう死んでしまったやうだよ。」

 やどり木はきれいにかゞやいて笑って云ひました。

「そんなこと云っておどさうたって駄目(だめ)ですよ。眠ってるんですよ。僕下りて行ってあなたと一緒に歩きませうか。」

       (中略)

 そしてふらふら次の窪地(くぼち)にやって参りました。

 その窪地はふくふくした苔(こけ)に覆はれ,所々やさしいかたくりの花が咲いてゐました。若い木だまにはそのうすむらさきの立派な花はふらふらうすぐろくひらめくだけではっきり見えませんでした。却(かへ)ってそのつやつやした緑色の葉の上に次々せはしくあらはれては又消えて行く紫色のあやしい文字を読みました。

「はるだ,はるだ,はるの日がきた,」字は一つずつ生きて息をついて,消えてはあらはれ,あらはれては又消えました。

               (『若い木霊』 宮沢,1986)

 

落葉樹がまだ活動を始めていない,早春の明るい林のなかでカタクリの可憐な花が咲いている情景が見事に描き出されている。カタクリの葉の表面にある紫色の模様が「はるだ,はるだ」と春を告げる文字に見えてくるというのも賢治らしい表現だ。「ポラーノの広場」でも白ツメクサの花に算用数字が書かれてあった。

 

自生のカタクリは,残念ながら大磯では見ることはできない。大磯で見られる「春の妖精」は高麗山のニリンソウ(第1図),ヒトリシズカ(第2図),ミヤマネコノメソウなどである。県立大磯城山公園でも植栽だが栗の木の下でフクジュソウ(第3図)を見ることができる。2月中旬ごろにまず花が咲き始め,花が終わりかけたころに葉が繁りはじめる。葉を含め地上部が姿を消すのは4月~5月にかけてであろうか。

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第1図.ニリンソウ.

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第2図.ヒトリシズカ.

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第3図.フクジュソウ.

 

フクジュソウに限らず「春の妖精」たちは,なぜ初夏までに葉まで枯らす必要があるのであろうか。植物研究家の多田多恵子が面白い説を出している。

 初夏を迎えると,木々は一斉に緑葉を広げ,林は急速に暗く閉ざされる。林床にはわずかな透過光と木漏れ日しか届かなくなり,その状態が秋まで続く。林床の植物はこうなると光を満足に受けられず,葉の光合成量も減ってしまう。もし葉がつくり出すエネルギーよりも,葉が維持費として消費するエネルギーの方が多くなれば,植物は葉を枯らした方が得になるはずだ。

          (『したたかな植物たち』 多田,2019)

 

賢治は,1922年に相思相愛の恋をしたとされる。この恋愛は1年ほどでしか続かず,周囲の反対もあって破局している。恋人は破局後に渡米し,3年後に異国の地で亡くなった。賢治は,この短命だった恋人を「妖精」に喩えることがある。童話『やまなし』(1923.4.8)では,恋人を渓流の石の下にいる「カゲロウ」の幼虫(英語で妖精を意味するnymphy)に喩えた(shimafukurou,2021)。また,恋人が亡くなって1か月後に書かれた詩〔エレキや鳥がばしゃばしゃ翔べば〕(1927.5.14)では,「枯れた巨きな一本杉が /もう専門の避雷針とも見られるかたち/・・・けふもまだ熱はさがらず/Nymph,Nymbus,Nymphaea ・・・ 」(宮沢,1986)(NymbusはNimbusの誤記?)とあるように,枯れた巨きな一本杉を亡くなった恋人に喩えて「Nymph,Nymbus, Nymphaea ・・・」と呟く。 

 

「春の妖精」に出会ったら,ただ見惚れているだけでも良いし,賢治のように詩などの創作に興じたり,多田みたいに経済論的に植物を論じたりするのもよいと思う。

 

参考・引用文献

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

Shimafukurou.2021.宮沢賢治の『やまなし』-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語(1).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/08/08/095756

多田多恵子.2019.したたかな植物たち.筑摩書房.東京.

 

本稿は,『宮沢賢治に学ぶ 植物のこころ』(蒼天社 2004年)に収録されている報文「春の妖精たち」を加筆・修正にしたものです。