宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『若い木霊』(1) -「四」という数字が意味するもの-

Keywords: 文学と植物のかかわり,法華経,一水四見,柏,四要品

           

賢治の童話に『若い木霊』というのがある。制作年度は確定されていないが,大正11年(1922)11月の妹トシの死以前に書き始められたとされている(中地,1991a)。

 

木の精霊である主人公の〈若い木霊〉が,自分の木から抜け出して早春の丘の木々や黄金の〈やどり木〉に呼びかけながら野原や窪地をさまよっている。4つの丘とその間にある窪地や「黒い森」が物語の舞台となる。

 

〈若い木霊〉は,そこで〈蟇(ひきがえる)〉と〈桜草〉の独り言や〈かたくり〉の葉に現れる文字のような斑紋から「桃色」の「鴾の火」に関する情報を入手して胸が高まり呼吸が荒くなったりする。しかし,〈若い木霊〉には自分をときめかす「鴾の火」の正体が分からない。〈若い木霊〉は4つ目の丘で羽の裏が「桃色」にひらめく〈鴾〉を見つける。〈若い木霊〉は,〈鴾〉が「鴾の火」を持っているというので,〈鴾〉が案内する場所について行く。〈鴾〉が案内したところは〈桜草〉から「桃色」の「かげらふのやうな火」が燃えていて,〈若い木霊〉はその中に飛び込むが「鴾の火」は見つからない。「桃色」の火の中から見ると向こう側には「暗い木立(黒い森)」があり,そこから赤い瑪瑙のような眼をした〈大きな木霊〉が出てくるが,〈若い木霊〉はそれを見て逃げ帰ってしまう。というのが童話の粗筋である。

 

この童話は,制作年度が定まらないだけでなく,出だしの文書が欠如していたり,「鴾の火」や〈大きな木霊〉や「暗い木立(黒い森)」の正体について明かされていなかったりしているので全体の意味が取りにくく謎の多い作品の1つとしても知られている。

 

これまで,多くの賢治研究家がこれら難解な用語を解読し,物語の底にある本意を明らかにしようとした(伊東,1977;中地,1991a;青木,1992;鈴木,1994)。この童話には,舞台が早春の「丘の窪(くぼ)みや皺(しわ)」であったり,繁殖期の〈蟇〉が「桃色のペラペラな寒天」と独り言を言ったり,〈若い木霊〉の息が「熱くはあはあ」したりするなど,性的な欲望の対象物やエロスを喚起するような表現が多く出てくる。そこで,多くの賢治研究家は,この物語が「性の目覚め」を題材にしたものと解釈している。

 

例えば,伊東(1977)は「鴾の火」を「若い主人公の中に目覚めた官能の象徴」とし,「黒い森」を「思春期の官能に目覚めたばかりの若い木霊の前途に広がる,未知の世界,つまり大人の世界,の象徴」とし,〈大きな木霊〉を「成熟した大人」と解釈した。そして,「黒い森」から逃げたのは「早すぎた目覚め」と「鴾の火(性)に対する無知」によるものとした。

 

中地(1991a,b)は,「鴾の火」は伊東と同じで「性の目覚めの象徴」としたが,「黒い森」は性の目覚めが引き起こした「修羅の世界」であるとした。そして,〈若い木霊〉が「黒い森」から逃げ帰ったのは「性の目覚めを体験し,それに執着したために不気味な幻想世界(修羅の世界)を呼び起こして驚いたから」とした。

 

鈴木(1994)は,「鴾の火」には「性のシンボル」以外に「性のシンボル」としての意味を超えた「至高善」としての意義を有した何かも考えるべきだと主張している。鈴木は,童話『若い木霊』を法華文学の1つとして捉えていて,「至高善」としての「仏」の教えが説かれているとしている。また,「黒い森」に関しては「人間界より下方世界,つまり地獄・餓鬼・畜生・修羅,を象徴した世界」のことで詩「小岩井農場」における「爬虫がけはしく歯を鳴らして飛ぶ」,「侏羅や白亜のまっくらな森林」と同質なものとしている。この世界は,鈴木によれば仏教における第六天の魔王波旬によって支配されていると見なされている。そして,〈若い木霊〉が「黒い森」から逃げ帰った理由として,魔王波旬の眷属(けんぞく)になってしまうことへの恐怖を挙げている。ただ,鈴木は「至高善」としての「仏」の教えがどのようなものかについては語っていない。

 

筆者は,「鴾の火」という言葉で興奮するのは〈若い木霊〉だけではなく,擬人化された〈蟇〉や〈かたくり〉や〈桜草〉も「鴾の火」で興奮したり,あるいは生き生きと活動できたりすると思っている。他の研究者達は,この擬人化された〈蟇〉や〈かたくり〉や〈桜草〉について何も言及していない。「鴾の火」は「ときめくもの」あるいは「さいはひ」に導くものであり,それは1つではなく,〈若い木霊〉,〈蟇〉,〈かたくり〉,〈桜草〉にとってそれぞれ異なるものであると思っている。

 

筆者は,多くの研究者に難解と評価されている童話『銀河鉄道の夜』を自分なりに解釈するに当たって,そこに登場する植物から沢山のヒントもらった(石井,2020)。賢治作品に登場する植物は,単に風景描写として配置されているのではない。意味が取りにくい文章に遭遇したとき,その近くに配置されている植物を調べることによって解決したこともある。作品中の植物には,登場する意味が付与されている。

 

本ブログ記事は,7つの「稿」に分け,それぞれの「稿」で,登場する植物を入念に調べ童話『若い木霊』の謎を読み解いていく。筆者は,この童話が「性の目覚め」を扱った文学ではなく,法華文学の1つであるという鈴木の解釈を支持するものである。本稿では,童話の謎を解くキーワードである「四」という数字ついて解説する。2稿~5稿では,本稿のキーワードによって,この物語には「法華経」の教えが書かれたあること,並びに「鴾の火」が〈若い木霊〉だけでなく物語に登場する〈桜草〉や〈蟇〉や〈かたくり〉や〈鴾〉にとって何を意味しているのかについて明らかにする。6稿では,「黒い森」の正体について,および〈若い木霊〉が「黒い森」から出てくる〈大きな木霊〉を見て逃げ出してしまう理由について新しい解釈を提示する。7稿では,なぜ物語にヤドリギと栗の木が登場するのかについて考察する。

 

1.物語は「四」という数字がキーワードになっている。

賢治は,1920年に田中智学によって創設され,日蓮主義を奉じる国柱会に入会している(賢治24歳)。多分,賢治は『若い木霊』を執筆していた頃も熱心な法華経教徒であったと思われる。多分,主人公の〈若い木霊〉には修行中の菩薩(あるいは賢治)がイメージされていると思われる。

 

〈若い木霊〉は,最初の「丘」にやってきたとき,「ふん,日の光がぷるぷるやってやがる.いや,日の光だけでもないぞ。風だ。いや,風だけでもないな。何かかう小さなすきとほる蜂(すがる)のやうなやつかな。ひばりの声のやうなもんかな。いや,さうでもないぞ。をかしいな。おれの胸までどきどき云ひやがる。ふん。」と呟く。この呟きには,〈若い木霊〉にとって4つの「丘」や「窪地」に,仏教を修行中の主人公の胸をドキドキさせるものが隠されていることが暗示されている。

 

〈若い木霊〉は,その後,ずんずん草をわたって行き,〈柏〉の木が立っているところに来る。そして,訪れたという証として〈柏〉の木の下にある枯れた草を4つだけ結ぶ。

 丘のかげに六本の柏(かしわ)の木が立ってゐました。風が来ましたのでその去年の枯れ葉はザラザラ鳴りました

 若い木霊(こだま)はそっちへ行って高く叫びました。

「おゝい。まだねてるのかい。もう春だぞ,出て来いよ。おい。ねぼうだなあ,おゝい。」

 風がやみましたので柏の木はすっかり静まってカサッとも云ひませんでした。若い木霊はその幹に一本づつすきとほる大きな耳をつけて木の中の音を聞きましたがどの樹(き)もしんとして居りました。そこで

「えいねぼう。おれが来たしるしだけつけて置かう。」と云ひながら柏の木の下の枯れた草穂(くさぼ)をつかんで四つだけ結び合ひました

 そして又またふらふらと歩き出しました。丘はだんだん下って行って小さな窪地になりました。そこはまっ黒な土があたゝかにしめり湯気はふくふく春のよろこびを吐はいてゐました。

                    (宮沢,1986)下線は引用者

 

〈柏〉はブナ科の「カシワ(Quercus dentata Thunb.)のことであろう。「カシワ」の葉は,童話で「去年の枯れ葉はザラザラ鳴りました」とあるように,新芽が出るまで古い葉が落ちないという特徴がある。また,古来より「カシワ」には樹木の「葉を守る神」あるいは樹木を守護する神が宿るといわれる。神聖な樹木である。すなわち,木の精霊である〈若い木霊〉は,樹木を守護する神の下で草を4本結ぶことになる。〈若い木霊〉の前途に宗教的な出会いが予見されている。この「四つだけ結ぶ」とは何を意味しているのだろか。ほとんどの研究者は,この「四つだけ結ぶ」という言葉に言及していない。筆者は,この「四つだけ結ぶ」の「四」という数字は,物語が「法華経(妙法蓮華経)」と関係しているということを示していると思っている。

 

賢治が大切に所持していた赤い経巻である島地大等の『漢和対照 妙法蓮華経』には大等の丁寧な解説が付いていた。解説の中の「法華大意」には,「所謂方便品は法華迹門(しゃくもん)の眼目なり,寿量品は法華本門の精要なり。安楽品は法華修行の行要を説き,普門品は化他無窮の應用を示す。此経の極要四品に在りて盡(つ)きざるなし」と「法華経の四要品」についての記載がある。すなわち,「法華経」は28品(ほん)あるが,特に方便品(ほうべんぼん)第二,如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)第十六,安楽行品(あんらくぎょうほん)第十四,観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)第二十五の4品が重要なものであると言っている。

 

賢治もこの4品が重要なものと思っている。賢治は大正7年(1918)3月13日に盛岡高等農林学校の親友・保阪嘉内が学籍除名処分されたとき,嘉内あて書簡(3月20日前後)に「妙法蓮華経 方便品第二,妙法蓮華経 如来寿量品第十六,妙法蓮華経 観世音菩薩普門品第二十四」と安楽行品を除く3品を書き送って慰めている(観世音菩薩普門品は赤い経巻では第二十五となっている)。賢治が書簡で安楽行品を除いたのは,除名処分を受けた嘉内にはふさわしくないと考えられたためと言われている(田村,2005)。

 

物語には「4つの丘」が登場し,最初の丘で「草穂を四つだけ結ぶ」というように「四」という数字が意味ありげに登場してくる。多分,童話『若い木霊』には「法華経」でもっとも重要なものとされる「四要品」の教えが書かれているように思われる。

 

次稿(2~5稿)では,物語に登場する植物や動物の独り言などを入念に調べることによって,本稿で示した推測が正しいかどうか検証してみる。(続く)

 

参考・引用文献

青木美保.1992.宮沢賢治「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」論.比治山女子短期大学紀要 26:7-16.

石井竹夫.2020.植物から『銀河鉄道の夜』の謎を読み解く(総集編Ⅰ)-宗教と科学の一致を目指す-.人植関係学誌.19(2):19-28.(ブログ; https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/04/145306 )

伊東眞一朗.1977.「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」論.国文学攷 74:12-24.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

中地 文.1991a.「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」の成立考(上).日本文学 75:16-33.

中地 文.1991b.「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」の成立考(中).日本文学 76:50-63.

鈴木健司.1994.宮沢賢治 幻想空間の構造.蒼丘書林.東京.

田村公子.2005.島地大等が宮沢賢治に与えた影響.琉球大学留学生センター紀要2:23-39.

 

本稿は未発表レポートです。2021.9.13(投稿日)