宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

復活と再生のシンボルとしてのヤドリギ

冬に樹木の高い枝を見ていくと,こんもりと小さな枝と葉のかたまりが毬(まり)状になっているのを見ることができる。これがヤドリギ(宿り木;Viscum album L. subsp. coloratum Kom )である(第1図)。冬でなくても注意深く観察すれば見つけることは難しくない。県立大磯城山公園でもごく普通に見られる。名前が示すように寄生植物で,主にケヤキ,エノキ,サクラなどの落葉樹に寄生し,鳥を媒介にして木から木へと移り地面に下りることはない。ただし,葉緑素を持ち光合成もするので半寄生植物である。

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第1図.ヤドリギ

 

ヤドリギは,草にも見えるが,これでもれっきとした木の常緑樹で,2~3月に花が咲き,晩秋に黄色い実が熟す。果実は多量の粘液質を含んでいるので粘りがあり甘いらしい。ヒレンジャクやヒヨドリがこの実を好んで食べる。鳥が食べた後に堅い種子と一緒に消化しきれなかった粘液質を糞として排泄するので,この鳥の糞が金魚の糞のように糸を引いたようになり,糞は種子と一緒に鳥の行く先々で新たな枝にへばりつき,そこに新しい命を誕生させる。

 

欧州ではヤドリギは古くから神聖な植物とされ,ケルト人などが宗教的な行事に使用してきた。ヤドリギを夏至や冬至の夜に黄金の鎌(かま)で切り取り祭壇に供えたという。理由は,前述したように宿り主である落葉樹が葉を落とした後でも,青々とした葉を持ち続けるので,一旦は枯れたように見えた木が,あたかも再生したかのように見えるからである。北欧の神話の中にも登場してくる。オーディン(知恵・詩・戦い・農業の神)の息子バルドルが一旦は悪神ロキによってヤドリギの矢で殺されるが,その後復活する。ちなみに花言葉も「困難に打ち勝つ」とある。我が国でも賢治がこれらのことを知っていたとみえ,『水仙月の四日』(1922.1.19)という童話の中でヤドリギを不死あるいは復活と再生のシンボルとして使っている。

 

童話『水仙月の四日』の内容は,山村で生活している少年がカリメラ(砂糖菓子)を作るために砂糖を買いにいった帰りに猛吹雪に出くわして遭難してしまうというものである。東北地方の猛吹雪は,「八甲田死の彷徨」という新田次郎のドキュメントタッチの小説でも紹介されているように頑強な軍人でも死へ至らしめるほど迫力のあるものだが,本作品はその迫力に加えて全編,美しい詩的な言葉も加えて展開していく。

 

少年は赤い毛布(けっと)に包まっているが,寒さと疲れで猛吹雪の中で倒れてしまう。読者は少年が倒れた段階で死を予感すると思われるが,作者は,吹雪になる前に雪童子(ゆきわらし)という雪の妖精を出現させ従者の雪狼(ゆきおいの)に大きな栗の木から黄金色のヤドリギの毬を取らせ少年に投げつけ,死という結果にはならないことを暗示させる。その後,妖魔である雪婆んご(ゆきばんご)が現れ猛吹雪となる。ヤドリギを少年に拾わせた雪童子は雪婆んごから守るため,必死になって少年に倒れたまま動かないように叫ぶ。

 雪婆んごがやってきました。その裂けたやうに紫な口も尖(とが)った歯もぼんやり見えました。

「おや,をかしな子がゐるね,さうさう,こっちへとっておしまひ。水仙月の四日だもの,一人や二人とったっていゝんだよ。」

「えゝ,さうです。さあ,死んでしまへ。」雪童子はわざとひどくぶつかりながらまたそっと伝ひました。

「倒れてゐるんだよ。動いちゃいけない。動いちゃいけないつたら。」

 狼(おいの)どもが気ちがひのやうにかけめぐり,黒い足は雪雲の間からちらちらしました。

「さうさう,それでいゝよ。さあ,降らしておくれ。なまけちゃ承知しないよ。ひゅうひゅうひゅう,ひゅひゅう。」雪婆んごは,また向ふへ飛んで行きました。

 子供はまた起きあがらうとしました。雪童子は笑ひながら,もう一度ひどくつきあたりました。もうそのころは,ぼんやり暗くなって,まだ三時にもならないに,日が暮れるやうに思はれたのです。こどもは力もつきて,もう起きあがらうとしませんでした。雪童子は笑ひながら,手をのばして,その赤い毛布(けっと)を上からすっかりかけてやりました。

「そうして睡(ねむ)っておいで。布団をたくさんかけてあげるから。そうすれば凍えないんだよ。あしたの朝までカリメラの夢を見ておいで。」

 雪わらすは同じとこを何べんもかけて,雪をたくさんこどもの上にかぶせました。まもなく赤い毛布も見えなくなり,あたりとの高さも同じになってしまひました。

あのこどもは,ぼくのやったやどりぎをもってゐた。」雪童子はつぶやいて,ちょっと泣くやうにしました。

                                  (『水仙月の四日』 宮沢,1986)下線は引用者

 

あくる朝,吹雪も止み,村の方からお父さんらしき人が駆けつけてくるが,雪童子は少年の上に積もった雪を取り払い,語りに「子どもはちらっとうごいたやうでした」と言わせて物語が終わる。引用文にもあるように,雪童子が「あのこどもは,ぼくのやったやどりぎをもってゐた。」と泣くようしながら呟くのが印象的である。100%生きているという保障はないのだが,子供がヤドリギを持っていたということで,死ななかった,あるいは死んだとしても生き返ったということが読者に伝わるようにしてあると思われる。

 

「水仙月の四日」という日にちに関しては,諸説がある。私は,その中でもキリスト教における「復活祭」の当日のことを指しているという谷川雁の説を支持したい(伊藤,2001)。「復活祭」とは,十字架にかけられて死んだイエス・キリストが3日目に復活したことを記念する祭である。春分以後の満月直後の日曜日に行われる。童話『水仙月の四日』にも「しずかな奇麗な日曜日を,一そう美しくしたのです」という一文がある。賢治が生きた時代では1920年の復活祭は4月4日(日)であった。2021年も4月4日(日)である。

 

ヤドリギは宗教的な復活と再生のシンボルとしてだけでなく,実際の生活にも役立っていた。賢治が生活していた東北地方では,冷害などで不作のときヤドリギから餅を作って食べたという記録が残っている。また,薬草としても,利尿,降圧作用を目的とした漢方療法以外に民間療法的に強壮や産後の回復に使われた。多分,果実などには粘液質以外に多量のデンプンが含まれていて栄養価が高いからと思われる。このように,食料や医薬品が不足していたときには,体力や健康を復活させるためにも利用された。

 

参考・引用文献

伊藤光弥.2001.イーハトーヴの植物学 花壇に秘められた宮沢賢治の生涯.洋々社.東京.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

 

本稿は,『宮沢賢治に学ぶ 植物のこころ』(蒼天社 2004年)に収録されている報文「復活と再生のシンボルとしてのヤドリギ」を加筆・修正にしたものです。