宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『若い木霊』(3) -鴾の火と法華経・観世音菩薩普門品の関係について-

Keywords:春の光,観世音菩薩普門品二十五,かたくりの葉の模様,太陽の高さ

 

本稿では,「法華経」の「四要品」の一つである「観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)第二十五」の教えが以下の2番目の丘の向こうの窪地に咲く〈かたくり〉の葉に現れる文字のような模様の中に隠されているかどうか検討する。下記引用文の下線部分が推定された仏の教えの部分である。

 そしてふらふら次の窪地にやって参りました。

 その窪地はふくふくした苔(こけ)に覆はれ,所々やさしいかたくりの花が咲いてゐました。若い木だまにはそのうすむらさきの立派な花はふらふらうすぐろくひらめくだけではっきり見えませんでした。却(かへ)ってそのつやつやした緑色の葉の上に次々せわしくあらはれては又消えて行く紫色むらさきいろのあやしい文字を読みました。

はるだ,はるだ,はるの日がきた,」字は一つずつ生きて息をついて,消えてはあらはれ,あらはれては又消えました。

そらでも,つちでも,くさのうえでもいちめんいちめん,ももいろの火がもえてゐる。

 若い木霊ははげしく鳴る胸を弾(はじ)けさせまいと堅く堅く押へながら急いで又歩き出しました。

                     (宮沢,1986)下線は引用者

 

3.観世音菩薩普門品第二十五の教えと〈かたくり〉の葉に現れる文字,および鴾の火との関係

2番目の窪地の〈かたくり〉の葉に現れるあやしい文字「そらでも,つちでも,くさのうえでもいちめんいちめん,ももいろの火がもえてゐる。」は,観世音菩薩普門品第二十五の「具足神通力 広修智方便 十方諸国土 無刹不現身 種種諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅」に対応すると思われる。

 

観世音菩薩とはサンスクリット語では「あらゆる方角に顔を向けたほとけ」という意味である。観世音菩薩普門品第二十五には,観音の力を念じれば菩薩はどんなところでも一瞬のうちに現れて,念じた者の苦しみを無くしてくれるということが記載されている。また,観世音菩薩普門品第二十五には,観世音菩薩は一切衆生を救うために相手に応じて「仏身」,「声聞身」,「長者」,「阿修羅」など,33の姿に変身すると説かれている。

 

これは,「法華経」に帰依して菩薩になりたかった賢治の「東ニ病気ノコドモアレバ・・・西ニツカレタ母アレバ・・・南ニ死ニサウナ人アレバ・・・北ニケンクヮヤソショウガアレバ・・・」という詩「雨ニモマケズ」の世界である。手帳に書かれた「雨ニモマケズ」の詩の最後の言葉は「ソウイウモノニワタシハナリタイ」である。さらに,この言葉に続いて,手帳には南無無辺行菩薩,南無上行菩薩,南無多宝如来,南無妙法蓮華経,南無釈迦牟尼佛,南無浄行菩薩,南無安立行菩薩と「文字曼陀羅」のようなものが書き込まれてある。この「文字曼陀羅」の中心にある「南無妙法蓮華経(法華経の教えに帰依するという意味)」という字は他の菩薩名や如来名の文字よりも大きく書かれてある。

 

〈かたくり〉は,ユリ科多年草の「カタクリ」(Erythronium japonicum Decne.;第1図)のことで,早春に広葉樹林の林床に姿を現す。「カタクリ」の花は淡い「紫」の6枚の花弁が妖精を思わせるように反り返っている。長楕円形の葉には濃い「紫」の斑紋がある。広葉樹の葉が茂り太陽光が林床に届かなくなる初夏には枯れる。スプリングエフェメレル(春の妖精)と呼ばれる。

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第1図.カタクリ(ブログ名の背景図に採用した植物でもある).

 

〈かたくり〉にとって「鴾の火」は,太陽が高くなり大地を照射する面積が増す春の光なので,「そらでも,つちでも,くさのうえでもいちめんいちめん,ももいろの火がもえる」(下線は引用者)ようになる。冬に,日陰だったところにも春の日が射すようになる。すなわち,春の光(ももいろの火=仏)はどんなところでも照射(出現)する。

 

大乗仏教の経典の1つである「観無量寿経」には観世音菩薩の身体は「紫」がかった金色とある。紫色の花と葉を持つ〈かたくり〉は観世音菩薩の変身した姿であり,〈若い木霊〉は葉の紫色の斑紋を菩薩の言葉として読んだ。〈若い木霊〉は,〈かたくり〉の葉に明滅する仏の教え(観世音菩薩普門品第二十五)を読み取り,「はげしく鳴る胸を弾けさせまいと堅く堅く押へる」ことになる。(続く)

 

参考・引用文献

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

 

本稿は未発表レポートです。2021.9.15(投稿日)