宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『若い木霊』(4) -鴾の火と法華経・如来寿量品の関係について-

Keywords:春の光,ほんたうのこと,24時間の明暗周期,如来寿量品第十六,沈んでまた昇る,良医治子

 

本稿では,「法華経」の「四要品」の一つである「如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)第十六」の教えが以下の〈桜草〉の独り言の中に隠されているかどうか検討する。下記引用文の下線部分が推定された仏の教えの部分である。

 右の方の象の頭のかたちをした灌木(かんぼく)の丘からだらだら下りになった低いところを一寸越(こし)ますと,又窪地がありました。

 木霊はまっすぐに降りて行きました。太陽は今越えて来た丘のきらきらの枯草の向ふにかゝりそのなゝめなひかりを受けて早くも一本の桜草が咲いてゐました。若い木霊はからだをかゞめてよく見ました。まことにそれは蛙(かえる)のことばの鴾の火のやうにひかってゆらいで見えたからです。桜草はその靭(しな)やかな緑色の軸(じく)をしずかにゆすりながらひとの聞いてゐるのも知らないで斯(か)うひとりごとを云ってゐました。

お日さんは丘の髪毛(かみけ)の向ふの方へ沈んで行ってまたのぼる。

 そして沈んでまたのぼる。空はもうすっかり鴾の火になった。

 さあ,鴾の火になってしまった。

 若い木霊は胸がまるで裂けるばかりに高く鳴り出しましたのでびっくりして誰(たれ)かに聞かれまいかとあたりを見まはしました。その息は鍛冶場(かじば)のふいごのやう,そしてあんまり熱くて吐いても吐いても吐き切れないのでした。

                (宮沢,1986)下線は引用者

 

4.如来寿量品第十六の教えと〈桜草〉の独り言,および鴾の火との関係

3番目の丘を下ったところの窪地には〈桜草〉が咲いている。その〈桜草〉の独り言である「お日さんは丘の髪毛(かみけ)の向ふの方へ沈んで行ってまたのぼる。そして沈んでまたのぼる。空はもうすっかり鴾の火になった。さあ,鴾の火になってしまった。」は,「法華経」の「如来寿量品第十六」に対応していると思われる。

 

「如来寿量品第十六」には如来の寿命の長さは無限で尽きないということを分かりやすく説明するための「良医治子(ろういじし)の誓え」が記載されている。この譬えとは,名医が「方便(巧妙な手段)」を使って毒を飲んで苦しんでいる子供達を「良薬」で助ける話である。

 

学識があって賢明であり,あらゆる病気の治療に優れた手腕のある医者には,大勢の子供がいた。この名医が外国に行って留守の間に,子供達は毒のために苦しんでいた。そこに父親の医者が帰ってきて,直ちに「良薬」を調合して与えた。子供達のうち,意識の転倒していない者は直ちにその薬を飲んで苦しみから解放されたが,毒が回って意識の転倒している子供は,「良薬」を見ても疑って飲もうとしなかった。そこで名医は巧妙な手段を使って「我今衰老。死時已至。是好良薬。今留在此。汝可取服。勿憂不差。作是教已。復至他国。遣使還告。汝父已死。」(私は老いて死期が近い。ここに良薬を置いておくから飲みなさい。治らないと疑ってはいけないと言い残して他国に行き,使者を遣わして「父は死んだ」と伝えさせた)。

 

意識の転倒していた子供達は,父の死を聞いて頼る人がいない身の上になったことを嘆き悲しみ,意識を取り戻し,ついに「良薬」を飲んで苦しみから解放された。そこで「其父聞子。悉已得差。尋便来帰。咸使見之。」(父(良医)は子供達が苦しみから解放されたことを知って,直ちに戻って皆の前に現れた)(坂本・岩本,1994)という譬(喩)え話である。父である如来の寿命は無限であるが,方便によって死んだと見せて,衆生に「悟り」(ほんたうのさいはひ)に対する求道心を起こさせるとしている。そして衆生が求道心を回復したら再び現れるというものである。

 

衆生に「如来は死んだ」と思わせなかったらどうなるのであろうか。「如来寿量品第十六」にある有名な「自我偈」(寿量品後半にある5文字で1句となる詩の形で書かれた部分)には「以常見我故 而生憍恣心 放逸著五欲 堕於悪道中」(もしも常に私に会えるとなれば,奢(おご)りの心が生じて,放逸(ほういつ)し五欲に執着して,悪道の苦しみの中に墜ちてしまう)とある。

 

〈桜草〉は,サクラソウ科の多年草である「サクラソウ」(Primula sieboldii E.Morren)

で高原や山地のやや湿った草原や開けた森林,河川敷の草原に見られる。太陽の光が射し込む場所を好む。花は深く5枚に深く裂けている(合弁花)。淡紅色(桃色)でまれに白花もある。岩手山の麓には沢山の自生地があったという。現在,野生の群落を見ることはまれになっている。園芸店で「サクラソウ」として売られている植物としてはセイヨウサクラソウ(Ppolyanthus),オトメザクラ(P malacoides プリムラ・マラコイデス)などである。

 

童話で「桃色」の花が咲く〈桜草〉は「お日さんは丘の髪毛の向ふの方へ沈んで行ってまたのぼる。そして沈んでまたのぼる」とつぶやく。これを現代の植物学で解釈してみたい。太陽エネルギーを利用する光合成植物は,太陽が「沈んでまたのぼる」という1日のリズムに合わせて生きているように思われる。これまでの研究では,24時間の明暗の周期変動が植物の生育をもっとも促進するとされている。例えば,トマト(Solanum lycopersicum L.)の乾物量は,人工光源のみを用いた栽培において12時間あるいは48時間よりも24時間の明暗周期(明暗期比1:1)下において多くなる。理由として,植物には光照射により同化が促進される相と抑制されるまたは促進されない相からなる約24時間の内生リズムが存在するからだとされている。トマト以外でもカワラケツメイ,エンドウ,ピーナツ,ダイズで同様な結果が得られている(戸井田ら,2003)。

 

では明暗期比1:1以外ではどうなるのか。大橋(2008)の日長時間(1日のうちの明るい時間)を4,8,12,16,20および24時間(連続24時間照射)にしてトマトの苗を栽培した研究によると,トマトの生長にとって16時間日長が最適であり,それ以上だと生育が悪くなり24時間日長ではクロロシス(葉のクロロフィルが不足し黄色あるいは白色化する)が発生するという。しかし,大橋は,太陽光強度よりも弱い強度で照射するとホウレンソウなどでは連続24時間照射の方が明暗周期を設定した場合に比べて生育が旺盛であったという事例も挙げている。これは植物が受けた積算光量の増加に伴った光合成速度の増加によるものと考えられている。ただこの方法だと早く花芽を形成してしまい商品価値は少ないらしい。

 

大橋(2008)は,太陽光にエネルギーを依存する光合成生物にとって重要なのは,光周期の「明期」の長さではなく,中断されない「暗期」の長さだと述べている。すなわち,植物にとって重要なのは太陽が沈むということである。寿命が無限である「如来」を太陽に,5欲に執着する「衆生」を花弁が5裂し「桃色」の花を咲かせる〈桜草〉に,方便としての「如来の入滅」を「太陽が沈む」に置き換えれば,大橋の述べていること,あるいは〈桜草〉の独り言は「法華経」の「如来寿量品」の教えと類似しているように思える。

 

〈若い木霊〉は,〈桜草〉の独り言を聞いて「胸がまるで裂けるばかりに高く鳴り出し・・・その息は鍛冶場のふいごのやう,そしてあんまり熱くて吐いても吐いても吐き切れなく」なってしまう。同様の反応は,これよりは多少弱い反応だが〈若い木霊〉が〈蟇〉の独り言を聞いたときにも起こっていた。この〈若い木霊〉の生理的とも言える反応を,これまでの研究者達は「若い主人公の中に目覚めた官能の象徴に対しての反応」すなわち「性的な興奮反応」と捉えていた。しかし,激しい運動をしなくても,「性的な興奮反応」と同様のものは,病的にはパニック障害で,また病的でなくても書物を読んだり演劇を見たりして感動したときなどでも生じる。パニック障害は,突然理由もなく激しい動悸,息苦しさ,発汗,手足の震えなどに襲われることを特徴としていて,交感神経の興奮によるものとされている。

 

賢治も書物を読んで激しく感動した経験を持っている。賢治の弟の清六は,賢治が盛岡高等農林学校へ進学するための受験勉強をしていた頃(大正3年秋,賢治18歳)の兄について,賢治は,島地大等編纂の『漢和対照妙法蓮華経』にある「如来寿量品第十六」を読んで感動し,驚喜して身体がふるえて止まらず,この感激を後年ノートに「太陽昇る」と記していた(下線は引用者)。」と述べている(宮沢,1991)。おそらく,賢治は,「如来寿量品第十六」に真実(=「ほんたうのこと」)が書かれてあると確信したと思われる。

 

多分,このとき激しい動悸と息苦しさも経験したと思われる。また,賢治は「如来寿量品第十六」だけでなく「方便品第二」にも感銘を受けたと思われる。大正7(1918)年6月27日に母親を失って意気消沈している友人の保阪嘉内に「保阪さん,諸共に深心に至心に立ち上り,敬心を以て歓喜を以てかの赤い経巻を手にとり静にその方便品,寿量品を読み奉らうではありませんか」(下線は引用者)と手紙を書いている。つまり,〈若い木霊〉は,〈蟇〉や〈桜草〉の独り言の中に賢治と同じように「方便品第二」や「如来寿量品第十六」の教えを感じ取り感動して興奮したのだと思える。

 

しかし,誰もが「方便品第二」や「如来寿量品第十六」を読んで歓喜するとは限らない。大部分の人達は,「法華経」を「ためになることが書かれてある」と言われ強制的に読まされても眠くなるだけだと思われる。賢治のように人に尽くさずにはいられない「利他的」な性格があってのことであろう。〈若い木霊〉には賢治が投影されている。人に尽くさずにはいられず,またその方法に苦慮している者が,ある書物(法華経)で出会い,その中に自分が求めていたものが書かれてあると確信したからこそ歓喜したのである。なぜ賢治が自分よりも他者を優先するようになったかについては前報(石井,2018)で自分なりの見解を述べているのでそれを参照してほしい。

 

〈桜草〉の独り言にはもう一つ難解な用語がある。「お日さんは丘の髪毛の向ふの方へ沈んで行ってまたのぼる」の「髪毛の向ふ」とは何か。なぜ「髪毛」という言葉が出てくるのか理解しがたい。国語事典で調べても「髪毛」には頭部に生える毛以外の意味はない。詩集『春と修羅』の「第四梯形」(1923.9.30)には,「あやしいそらのバリカンは/白い雲からおりて来て/早くも七つ森第一梯形(ていけい)の/松と雑木(ざふぎ)を刈(か)りおとし」とある。多分,「丘の髪毛」は「丘の木立」という意味で使っていると思われる。「木立」を「髪毛」とわざわざ言い換えているので,このあと(次稿)に「木立」が「髪毛」と同一の意味で使われているものが出てくるのであろう。

 

次稿(5稿)では,「法華経」の「四要品」にある最後の「安楽行品第十四」の教えと「鴾の火」との関係について述べる。(続く)

 

参考・引用文献

石井竹夫.2018.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の発想の原点としての橄欖の森-リンドウの花と母への強い思い-.人植関係学誌.18(1):25-29.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/13/085221

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

宮沢清六.1991.兄のトランク.筑摩書房.東京.

大橋(兼子)敬子.2008(更新年).植物の環境調節(日本植物生理学会みんなのひろば).2021.2.24(調べた日付).https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=1845

戸井田宏美・大村好孝・古在豊樹.2003.明暗の非周期変動下におけるトマト実生の生育.生物環境調節 41(2):141-147.

 

※:現在,太陽は,理論的な計算だが,約100億年の寿命があるとされている。太陽系が生まれたのは46億年前なので,太陽はあと50億年今と同じように輝き続けることができるとされている(「国立科学博物館の宇宙の質問箱」より)。賢治が太陽の寿命を無限と考えていたかどうかは定かではない。ホモ・サピエンス(現生人類)が誕生したのが20万年前とすれば,残りの寿命が50億年とされる太陽は,人類にとっては無限といってもよいのかもしれない。

 

本稿は未発表レポートです。2021.9.16(投稿日)