宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『若い木霊』(5) -鴾の火と法華経(安楽行品)の関係について-

Keywords:安楽行品,髻中明珠,黒い鴾,暗い木立

 

本稿では,「法華経」の「四要品」の一つである「安楽行品第十四」の教えが以下の〈鴾〉が〈若い木霊〉を連れていった「桜草のかげらふ」の中,あるいは〈鴾〉と〈若い木霊〉の会話の中に隠されているかどうか検討する。

 

5.安楽行品の教えと「黒い鴾」,および鴾の火との関係

「安楽行品(あんらくぎょうほん)」では,「法華経」を広めるために心がけるべき4つの行法(四楽案行)が説かれている。第1に行動と交際の範囲を厳守せよ(人々の集まる娯楽の場所や色街あるいは女性に近づくな)。第2に他人を非難し敵視せず,また他人と論争するな。第3に依怙贔屓(えこひいき)するな。そして第4に他人を信仰させ,さとりを達成しうるように成熟させるべし。という教えである(坂本・岩本,1994)。

 

童話では「四楽案行」のうち特に第1の「女性に近づくな」の教えが書かれているように思える。「安楽行品第十四」には「若入他家。不与少女。処女寡女等共語。」(若し他の家に入らんには,小女・処女・寡女等と共に語らざれ。),「若為女人説法。不露歯笑。不現胸臆。」(若し女人の為に法を説かんには,歯を露わにして笑まざれ,胸臆を現わさざれ。)とある。

 

〈若い木霊〉は4番目の丘の上を飛んでいる〈鴾〉を見つける。この〈鴾〉は,羽の裏が「桃色」にひらめいている。〈若い木霊〉は〈鴾〉が自分の求めている「鴾の火」を持っていると思い,〈鴾〉に「少し分けて呉れ」と懇願する。〈鴾〉は,「鴾の火」のある場所を知っているらしく〈若い木霊〉を丘の「南」に位置する「桜草がいちめん咲い」ていてその中から「桃色のかげろふのやうな火がゆらゆらゆらゆら燃えてのぼって」いる場所(以下「桜草のかげらふ」)に連れて行く。

そこには桜草がいちめん咲いてその中から桃色のかげろふのやうな火がゆらゆらゆらゆら燃えてのぼって居りました。そのほのほはすきとほってあかるくほんたうに呑(の)みたいくらゐでした。

 若い木霊はしばらくそのまはりをぐるぐる走ってゐましたがたうたう

「ホウ,行くぞ。」と叫んでそのほのほの中に飛び込こみました

 そして思わず眼をこすりました。そこは全くさっき蟇(ひきがえる)がつぶやいたやうな景色でした。ペラペラの桃色の寒天で空が張られまっ青な柔らかな草がいちめんでその処々にあやしい赤や白のぶちぶちの大きな花が咲いてゐました。その向ふは暗い木立で怒鳴や叫びががやがや聞えて参ります。その黒い木をこの若い木霊は見たことも聞いたこともありませんでした。木霊はどきどきする胸を押へてそこらを見まはしましたが鳥はもうどこへ行ったか見えませんでした。

「鴾(とき),鴾,どこに居るんだい。火を少しお呉れ。」

「すきな位持っておいで。」と向ふの暗い木立の怒鳴りの中から鴾の声がしました。

「だってどこに火があるんだよ。」木霊はあたりを見まはしながら叫びました。

「そこらにあるじゃないか。持っといで。」鴾が又答へました。

 木霊はまた桃色のそらや草の上を見ましたがなんにも火などは見えませんでした。

「鴾,鴾,おらもう帰るよ。」

「そうかい。さよなら。えい畜生。スペイドの十を見損っちゃった。」と鴾が黒い森のさまざまのどなりの中から云ひました。

 若い木霊は帰らうとしました。その時森の中からまっ青な顔の大きな木霊が赤い瑪瑙(めのう)のやうな眼玉をきょろきょろさせてだんだんこっちへやって参りました。若い木魂は逃にげて逃げて逃げました

 風のやうに光のやうに逃げました。そして丁度前の栗の木の下に来ました。お日さまはまだまだ明るくかれ草は光りました。

 栗の木の梢(こずえ)からやどり木が鋭するどく笑って叫びました。

「ウワーイ。鴾にだまされた。ウワーイ。鴾にだまされた。」

                 (宮沢,1986)下線は引用者

 

〈鴾〉が〈若い木霊〉に分け与えようとした「鴾の火」とは何か。多分,それは〈鴾〉自身がときめく「番(つがい)」の対象となる「黒い鴾」であろう。物語の〈鴾〉が「トキ」(Nipponia nippon)のことであるとすれば,この〈鴾〉の羽は通常白く裏側が桃色であるが,繁殖期になると〈鴾〉は首の周りから出る分泌物をこすりつけることで,頭から背中にかけて黒灰色になる。この黒灰色型羽色の婚姻色は1月末から始まり3~4月で完成すると言われている。

 

では,〈若い木霊〉が飛び込んだ「桜草のかげらふ」の中とはどんな所であろうか。飛び込んだ「桜草のかげらふ」の中は,天井(空)には,「ペラペラの桃色の寒天」で張られ,地は「まっ青な柔らかな草がいちめんでその処々にあやしい赤や白のぶちぶちの大きな花が咲い」ていて,向こう側には「怒鳴や叫びががやがや聞えて」くる「暗い木立」が見える所である。これらは〈若い木霊〉が「桜草のかげらふ」の中に飛び込む前には〈若い木霊〉には見えていなかったので,飛び込んだことによって突然に出現したように思える。〈若い木霊〉は,この「黒い木立」を形成している「黒い木」を見たことも聞いたこともないことから,〈若い木霊〉にとって「桜草のかげらふ」の中の世界は「異空間」あるいは「幻想世界」のものと思われる。

 

これまで,多くの賢治研究家が〈若い木霊〉が飛び込んだ「桜草のかげらふ」の中の世界を「大人の世界(伊東,1977)」,「修羅の世界(中地,1991b)」,「『彼方』の暗黒・深淵(天沢,1993)」,「人間界より下方世界(鈴木,1994)」の象徴などと解釈してきた。鈴木が言う「人間界よりも下方世界」とは地獄・餓鬼・畜生・修羅を象徴した世界のことである。筆者はこの場所の空が「ペラペラの桃色の寒天」とあるのは〈蟇〉が言ったように「性の象徴」を現しているように思え,また「あやしい赤や白のぶちぶちの大きな花」は女性の白と赤が基調の化粧や遊郭の朱色の格子や外壁が連想されるので,この異空間の「桜草のかげらふ」の中は色街がイメージできる。

 

また,「桜草のかげらふ」の向こうは怒鳴りが聞こえてくることから人々の集まる歓楽街もイメージされているように思える。〈若い木霊〉が飛び込んだ世界が「修羅の世界」なのか,あるいは「人間界よりも下方の世界」なのかは分からないが,〈若い木霊〉にとっては,賢治と同様に「みんな」を「ほんたうのさいはひ」に導こうとする願いから砕け疲れた世界だと思われる。

 

『春と修羅』の「小岩井農場」(1922.5.21)には「もしも正しいねがひに燃えて/じぶんとひとと万象といつしよに/至上福しにいたらうとする/それをある宗教情操とするならば/そのねがひから砕けまたは疲れ/じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと/完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする/この変態を恋愛といふ/そしてどこまでもその方向では/決して求め得られないその恋愛の本質的な部分を/むりにもごまかし求め得やうとする/この傾向を性慾といふ」(下線は引用者)とある。

 

菩薩になりたかった賢治にとって最も「ときめくもの」あるいは「欲しいもの」は「じぶんとひとと万象といつしよに/至上福しにいたらうとする」もの,別の言葉で言えば「自分のさいはひ」と「みんなのさいはひ」をもたらすものであると言っている。「官能を刺激するもの」は「自分のさいはひ」だけに結びつくものである。さらに,官能を刺激する「恋愛」や「性欲」は,「みんなのさいはひ」を求めていく過程で「砕けまたは疲れ」たときにやむを得ず求めてしまうものとしている。

 

「桜草のかげらふ」の中は「闘争」を好む世界であるあるとともに,前述した詩「小岩井農場」の「決して求め得られないその恋愛の本質的な部分を/むりにもごまかし求め得やうとする/この傾向を性慾といふ」の「恋愛」や「性欲」が支配する世界でもある。〈若い木霊〉は〈鴾〉に騙されて「みんなのさいはひ」ではなく「畜生界」の「性欲」や「修羅界」の「争い」で苦しむ世界へ連れて行かれたのかも知れない。

 

賢治の友人である森(1974)は賢治の身内(妹シゲの夫・岩田豊蔵)から「いつか賢さんが一関の花川戸という遊郭へ登楼してきたといって,明るくニコニコ笑って話しました」という話を聞いている(森,1974)。事実かどうかは定かではないが,登楼があったとすれば妹トシが亡くなる前のことだという(1922年11月以前)。〈鴾〉は〈若い木霊〉を「南」の方角へ連れて行ったが,一関は花巻の「南」に位置する。

 

また,賢治は稗貫農学校の教諭になった頃に,花巻高等女学校の音楽教師・藤原嘉藤治と親しくなり,レコードを聴くなど音楽熱が高まっていた。時期は定かではないが(1921年12月以降),二人で毎週土曜日に女学校などでレコード鑑賞会を開くようになっていた。このとき鑑賞会に花城小学校の若い女性教諭達が7~8人集まっていたという(佐藤,1984)。つまり,当時賢治は多くの若い女性と出会っていたように思える。

 

では,なぜ〈若い木霊〉には,〈鴾〉が与えようとした「鴾の火」が見えなかったのだろうか。〈若い木霊〉は,〈蟇〉や〈桜草〉の独り言の中に出てくる「鴾の火」,あるいは〈かたくり〉の葉に現れた「鴾の火」は認識することができたのに〈鴾〉が示した「鴾の火」は見ることができなかった。なぜだろうか。

 

それは見たことも聞いたこともないという「黒い木」に秘密が隠されているように思える。この「黒い木」は,〈桜草〉の「お日さんは丘の髪毛の向ふの方へ沈んで行ってまたのぼる」という独り言の中の「髪毛の向ふ」と関係していると思われる。「髪毛の向ふ」とは「お日さん」が沈むところであろう。「お日さん」を「如来の言葉」すなわち「法華経」とすれば,「髪毛の向こう」は「法華経」が隠されているところなのかもしれない。「安楽行品第十四」の「髻中明珠(けいちゅうみょうしゅ)の譬え」には「法華経」の譬喩である宝珠(ほうじゅ)が頭の「髻(もとどり)」の中に隠されていることが記載されている。すなわち,「黒い木」は〈若い木霊〉にとっては「髻」の髪の毛であろう。「髻」は髪の毛を頭の上で束ねたところである。

 

「髻中明珠の譬え」とは,転輪聖王という王が闘いで活躍した兵士に城や財宝を与えて讃えたが,自分の束ねた髪の中に隠した宝珠だけは大きな功績がある者にだけしか与えなかったという譬え話である。この話で転輪聖王は「如来」で,兵士は衆生,城や財宝は法華経以前の仏の教えで,「髻」の中の宝珠は「法華経」である。法華経は諸経の中で最も優れていて高度なものだから,少しでも遊びや快楽の要素が含まれているものに近づこうとする者には理解できないとする教えである。

 

だから「桜草のかげらふ」の中に飛び込んだ〈若い木霊〉には,背景にある「暗い木立」で〈鴾〉が「すきな位持っておいで」と差し出した「鴾の火」すなわち繁殖期の「黒い鴾」が見えなかったのである。「黒い木」とは転輪聖王(如来)の「髻」の髪の毛であろう。すなわち,〈若い木霊〉は「宝珠」(法華経)が隠されている如来の「髻」の中に飛び込んだのである。〈若い木霊〉が飛び込んだ「桜草のかげらふ」とは〈若い木霊〉にとっては如来の「髻」であり,〈鴾〉にとっては繁殖期の雌の〈鴾〉のいる「遊郭」やトランプ遊びができる娯楽の場所である。

 

〈鴾〉はこの童話では,鈴木(1994)が指摘しているように仏教で言うところの第六天の魔王波旬の役割を担っているように思える。「六天(六欲天)」とは欲望に囚われる世界のことである。日蓮宗の宗祖である日蓮は,魔王波旬を,仏道修行者を「法華経」から遠ざけようとして現れる「魔」であると説いた。すなわち,魔王波旬の化身である〈鴾〉が修行中の〈若い木霊〉が「法華経」に近づくのを妨害しているようにも思える。

 

〈鴾〉が「えい畜生。スペイドの十を見損っちゃった。」※※と言うが,この「スペイド」は繁殖期の〈鴾〉を背中側から見たときの姿がトランプの黒いスペイドの形に似ていることによると思われる。また,「十」という数字は,遊郭に働く女性だけでなく,前述したレコード鑑賞会に集まった花城小学校の7~8人の若い女性教諭達がイメージされていたのかもしれない。〈鴾〉は〈若い木霊〉が欲していたものを自分が欲していたものと同じと思ったのであろうか,それとも〈鴾〉が始めから〈若い木霊〉を騙そうとしたのだろうか。多分,後者であろう。〈若い木霊〉を修行中の菩薩とすれば,〈若い木霊〉にとって「ほんたう」に「ときめく」ものは「自分のさいはひ」というよりは「みんなのほんたうのさいはひ」へ導くものだったのかもしれない。

 

〈鴾〉は,騙すつもりで繁殖期の黒い〈鴾〉を差し出したのに,〈若い木霊〉がそれを見つけることが出来なかったことに落胆している。だから〈若い木霊〉は〈やどり木〉から「ウワーイ。鴾にだまされた。」と言われたのである。しかし,〈若い木霊〉は自分では気づいていないかもしれないが「安楽行品」にある「女性に近づくな」の教えを学んだのである。

 

また,2番目の丘のところで〈若い木霊〉は,〈栗の木〉に耳をあてても何の音もしないことから,〈栗の木〉につく〈やどり木〉に対して「おい。この栗の木は貴様らのおかげでもう死んでしまったやうだよ」と非難していたが,森から引き返した後では「ふん,まだ,少し早いんだ。やっぱり草が青くならないとな」とやさしい言葉をかけるようになる。「安楽行品」から「他人を非難し敵視せず」ということを学んだからと思われる。

 

4つの丘を下った窪地あるいは草地にいる生き物の言葉と法華経の関係は第1表に,そして4つの窪地あるいは草地にいる生き物にとっての「鴾の火」とそれに対する反応は第2表に示す。

 

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以上のように,〈蟇〉や〈桜草〉の独り言と〈かたくり〉の葉の文字のような模様の中に,また〈鴾〉が〈若い木霊〉を連れていった「桜草のかげらふ」の中,あるいは〈鴾〉と〈若い木霊〉の会話の中に「法華経」の「四要品」の教えが隠されているのは明らかなように思える。次稿(6稿)では「黒い森」の正体と,〈若い木霊〉がこの森から出てくる「大きな木霊」見て逃げ出してしまう理由について検討する。(続く)

 

参考・引用文献

天沢退二郎.1993.宮沢賢治の彼方へ.筑摩書房.東京.

伊東眞一朗.1977.「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」論.国文学攷 74:12-24.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

宮沢清六.1991.兄のトランク.筑摩書房.東京.

森荘已池.1974.宮沢賢治の肖像.津軽書房.靑森.

中地 文.1991b.「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」の成立考(中).日本文学 76:50-63.

坂本幸男・岩本 裕(訳注).1994.法華経(上)(中)(下).岩波書店.東京.

佐藤勝治.1984.宮沢賢治 青春の秘唱“冬のスケッチ”研究.十字屋書店.東京.

鈴木健司.1994.宮沢賢治 幻想空間の構造.蒼丘書林.東京.

 

※:未亡人のことで「やもめおんな」と読む。

※※:「スペイドの十を見損っちゃった」という表現は,先駆形では「二十銭の切手を一杯損しちゃった」となっていた。明治5年発行の20銭の桜切手も中央部分に二重円線の蔓草模様が描かれていて,蔓草模様の四隅が羽ばたいている4疋の鳥の姿に見える。

 

本稿は未発表レポートです。