宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-ケヤキのような姿勢の青年(2)-

Keywords:文学と植物のかかわり,移住者,先住民,スギ,タイタニック号遭難,  東北,槻(つき),大和朝廷

 

前報では「ケヤキ」がなぜ「大和朝廷」を象徴するようになったのかの理由について説明した。本稿では,賢治が「移住者」を象徴する「ケヤキ」を童話『銀河鉄道の夜』の中にどのように描いているのかについて解説するとともに,賢治の恋の破局理由についても言及してみたい。

 

1.『銀河鉄道の夜』に登場する「ケヤキ」

「東北」(岩手県)の「先住民」と「移住者」の対立の渦の中に賢治と相思相愛の恋人が巻き込まれ,恋が破局した可能性があるということについて報告した(石井,2018)。童話『銀河鉄道の夜』の初期形第一次稿の「橄欖の森」の場面は,「女の子」を「東北」に先住していた人を祖先にもつ恋人とし,この「女の子」に恋をするカムパネルラを後から「東北」へきた「移住者」の末裔としての賢治に当てはめると賢治の恋物語としても読むことができるということも説明した。第四次稿では第一次稿にいくつかの物語が加筆される。この加筆された文章の中に「先住民」を連想させる「女の子(かほる)」が難破船の乗客として,「移住者」を連想させる「ケヤキ」の姿勢のような「青年」と一緒に登場してくる。

 「何だか苹果(りんご)の匂がする。僕いま苹果のこと考へたためだらうか。」カムパネルラが不思議さうにあたりを見まはしました。「ほんたうに苹果の匂だよ。それから野茨の匂もする。」ジョバンニもそこらを見ましたがやっぱりそれは窓からでも入って来るらしいのでした。いま秋だから野茨の花の匂のする筈はないとジョバンニは思ひました。そしたら俄かにそこに,つやつやした黒い髪の六つばかりの男の子が赤いジャケツのぼたんもかけずひどくびっくりしたやうな顔をしてがたがたふるえてはだしで立ってゐました。隣りには黒い洋服をきちんと着たせいの高い青年が一ぱいに風に吹かれてゐるけやきの木のやうな姿勢で,男の子の手をしっかりひいて立ってゐました。「あら,こゝどこでせう。まあ,きれいだわ。」青年のうしろにもうひとり十二ばかりの眼の茶いろな可愛らしい女の子が黒い外套を着て青年の腕にすがって不思議さうに窓の外を見てゐるのでした。(『銀河鉄道の夜』第四次稿 九.ジョバンニの切符 宮沢,1985)下線は著者

 

春でもないのに「野茨の匂い」がするということで,「野茨」から「野ばら」が,そして「野ばら」から「木苺」が連想され,茶色の「キイチゴ」の実をイメージした「眼の茶色」な「黒い外套」を着た「女の子」が登場してくる。賢治の相思相愛の恋人も「眼が茶色」で「黒い外套」を着るときがあったという。詩集『春と修羅』の「春光呪詛」(1922.4.10)には「頬がうすあかく瞳が茶いろ/ただそれっきりのことだ」と恋人の目の色を表現した記述があり,また詩ノート〔古びた水いろの薄明窮の中に〕(1927.5.7)には「恋人が雪の夜何べんも/黒いマントをかついで男のふうをして/わたくしをたづねてまゐりました/そしてもう何もかもすぎてしまったのです」(下線は著者)とある。

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第1図.キイチゴ(モミジイチゴ)の花と実

 

童話『銀河鉄道の夜』第四次稿のこの場面とこれに続く難破船の話に登場する「女の子」も第一次稿と同じく賢治の恋人をイメージして読むと第四次稿に対する新しい解釈が可能になる。もしかしたら,この場面に賢治の恋の破局の理由が語られているのかもしれない。

 

上記引用文に続く難破船の話は実際に起こったタイタニック号遭難をヒントにして作られている。「女の子」が乗る船が氷山と衝突して沈没してしまうが,「女の子」は救助されることなく銀河鉄道という「死後の世界」を走る列車に乗り込んでくる。タイタニック号は,沈没するまでかなりの時間があり救命ボートも用意されていた。乗船した人全てを乗せる余裕はなかったが,婦女子優先のルールがあり婦人と子供の多くが夫(父親)や乗組員によって救助されている。

 

すなわち,物語の第四次稿も「女の子」は遭難したあとに助けられてもおかしくはなかった。しかし,一緒に乗船したキリスト教徒らしい「ケヤキ」のような姿勢の家庭教師(父親から雇われている)の「青年」は「女の子」を助けることができなかった。「青年」が「女の子」を婦女子優先の救命ボートに乗せずに「死後の世界」を走る列車に乗車させた弁明が以下のように語られる。

 「いえ,氷山にぶつかって船が沈みましてね,わたしたちはこちらのお父さんが急な用で二カ月前一足さきに本国へお帰りになったのであとから発ったのです。私は大学へはひってゐて,家庭教師にやとはれてゐたのです。ところがちょうど十二日目,今日か明日のあたりです,船が氷山にぶつかって一ぺんに傾きもう沈みかけました。月のあかりはどこかぼんやりありましたが、霧が非常に深かったのです。ところがボートは左舷の方半分はもうだめになってゐましたから,とてもみんなは乗り切らないのです。もうそのうちには船は沈みますし,私は必至となって,どうか小さな人たちを乗せてくださいと叫びました。近くの人たちはすぐみちを開いてそして子供たちのために祈って呉れました。けれどもそこからボートまでのところにはまだまだ小さな子どもたちや親たちやなんか居て,とても押しのける勇気がなかったのです。それでもわたくしはどうしてもこの方たちをお助けするのが私の義務だと思ひましたから前にゐる子供らを押しのけようとしました。けれどもまたそんなにして助けてあげるよりはこのまゝ神のお前にみんなで行く方がほんたうにこの方たちの幸福だとも思ひました。それからまたその神にそむく罪はわたくしひとりでしょってぜひとも助けてあげようと思ひました。けれどもどうして見てゐるとそれができないのでした。子どもらばかりボートの中へはなしてやってお母さんが狂気のやうにキスを送りお父さんがかなしいのをじっとこらへてまっすぐに立ってゐるなどとてももう腸(はらわた)もちぎれるやうでした。そのうち船はもうずんずん沈みますから,私はもうすっかり覚悟してこの人たち二人を抱いて,浮かべるだけは浮かぼうとかたまって船の沈むのを待ってゐました。誰が投げたかライフブイが一つ飛んで来ましたけれども滑ってずっと向ふへ行ってしまひました。私は一生けん命で甲板の格子になったとこをはなして,三人それにしっかりとりつきました。どこからとなく〔約二字分空白〕番の声があがりました。たちまちみんなはいろいろな国語で一ぺんにそれをうたひました。そのとき俄かに大きな音がして私たちは水に落ちました。もう渦に入ったと思ひながらしっかりこの人たちをだいてそれからぼうっとしたらと思ったらこゝへ来てゐたのです。この方たちのお母さんは一昨年亡くなられました。えゝボートはきっと助かったにちがひありません,何せよほど熟練の水夫たちが漕いですばやく船からはなれてゐましたから。」(『銀河鉄道の夜』第四次稿 九.ジョバンニの切符 宮沢,1985)下線は著者 

 

2.難破船の話の中に賢治の恋の破局の真相が隠されている

タイタニック号で救命ボートの数が不足していたのは船の安全性に対する過信もあったとされる。タイタニック号は,無線機を配備し,二重船底構造の自動防水ドア付で15の隔壁をもつ近代科学技術の粋を集めた客船で,クルーも乗客も安全性を信じて疑わなかった。その「過信」あるいは「慢心」が救命ボートの不足や救助要請の遅れに導き,多くの尊い命を奪ったとされる(中尾,2018)。

 

物語では「女の子」の命を助けられなかった主な理由(救命ボートに乗せられなかった理由)として,家庭教師の「青年」は「近くの人たちはすぐみちを開いてそして子供たちのために祈って呉れました。けれどもそこからボートまでのところにはまだまだ小さな子どもたちや親たちやなんか居て,とても押しのける勇気がなかったのです」,あるいは「神にそむく罪はわたくしひとりでしょってぜひとも助けてあげようと思ひました。けれどもどうして見てゐるとそれができないのでした」(下線は著者)という2つの理由をあげている。

 

「女の子」は,「ケヤキ」の木の姿勢の「青年」の腕に「すがって」とあるようにぴったりと寄り添っている。この「女の子」を助けることができなかった「青年」を賢治に重ねれば,「青年」が語る話は,賢治が結婚に対して猛反対する両家の近親者たちに対抗することができずに,賢治に絶大な信頼を寄せている恋人を異郷(米国)の地へ行かせてしまった理由とも解釈できる(恋人は異郷の地へ渡ったあと3年後に亡くなっている)。賢治側の近親者には結婚に理解するものもあったらしく,宮沢家から正式に結婚の申込が恋人側にあったという。

 

童話では「誰が投げたかライフブイが一つ飛んで来ましたけれども滑ってずうっと向ふへ行ってしまひました」という記載に対応する。最後まで反対したのは恋人側の母親あるいは近親者らしい(澤口,2010)。

 

「女の子」が「ケヤキ」の木の姿勢の「青年」の腕に「すがって」いる様子と同じ表現をしたものが物語の後半にも登場する。第一次稿でも第四次稿でも,ジョバンニが夢から醒めかけたときに赤い腕木の電信柱(高圧送電線A柱)が現れるが,腕木は一般的には「ケヤキ(槻)」が,そして電信柱の支柱には「杉」が使われる(石井,2017)。それゆえ,この「赤い腕木の電信柱」も「移住者」の末裔である賢治(槻)の腕(腕木)に相思相愛の恋人(杉)が寄り添っている姿になぞらえることができる。

 

破談の理由の1つとして,賢治が恋人側の近親者の主張を「押しのける勇気がなかった」ということがあったとすれば,これば恋人側の背後にある「まっくらな巨きなもの」を動かす力がなかったことを指していると思われる。この「まっくらな巨きなもの」は,「先住民」の「移住者」への「疑い」や「反感」と関係していると思われるが,その根底にあるものは『春と修羅 詩稿補遺』にある「火祭」の「(ひば垣や風の暗黙のあひだ/主義とも云はず思想とも云はず/たゞ行はれる巨きなもの)」にあるように「先住民」のもつ主義や思想とは異なるものである。

 

「先住民」の「反感」が主義や思想からくるものであれば動かしようもある。「押しのける力」が弱いのは,この「まっくろな巨きなもの」が何か明確につかみ切れていないことがあったからかもしれない。また,賢治の「慢心」もあったと思われる。賢治は,農民らから繰り返し「やっぱりおまへらはおまへらだし/われわれはわれわれだと」と言われてきた。賢治は,この「まっくらな巨きなもの」に衝突したとき,説得が困難でも前述したタイタニック号のクルーたちのように沈没(結婚話の破談)するはずはないという「慢心」の気持ちが強くあったような気がする。

 

「先住民」が示す「まっくらな巨きなもの」と賢治の「慢心」は,「陰」と「陽」の様に表裏一体のものである。賢治が残した最後の書簡(1933.9.11;没10日前)には「私のかういふ惨めな失敗はたゞもう今日の時代一般の巨きな病,「慢」といふものの一支流に過って身を加へたことに原因します。僅かばかりの才能とか,器量とか,身分とか財産とかいふものが何かじぶんのからだについたものでもあるかと思ひ,自分の仕事を卑しみ,同僚を嘲り,いまにどこかじぶんを所謂社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ,空想をのみ生活して却って完全な現実の生活をば味ふこともしてこなかった」と猛省している。

 

当時は自由な恋愛が許されなかったので,二人の恋は,「噂にならないように,誰にも見られないように,細心の注意を払いながら続けられた」という(澤口,2010)。そのため,結婚に反対する近親者への説得を放棄して恋を貫けば(駆け落ち),「そこからボートまでのところにはまだまだ小さな子どもたちや親たちやなんか居て」とあるように,恋人の兄弟や妹たちにも影響を及ぼしたであろう。

 

また,賢治は,自分が財閥一族の出身であることを負い目に感じていて,農学校時代の同僚に「花巻黒沢尻あたりの財閥は,農村を搾取してできたものだ。これを農村に返させるのが自分の仕事だ」と話したという(堀尾,1991)。賢治は宮沢家の長男であり,自分が家長になったら財産を無償で農民へ帰す決意をしていたとも言われている(吉見,1982;多田,1984)。そのためには花巻あるいは宮沢家からは離れられない。

 

もう1つの「神にそむく罪」は,キリスト教というよりは仏教とりわけ「法華経」に関する罪であろう。「法華経」に帰依する賢治にとっては恋愛そのものが『法華経』の「安楽行品第十四」に記載されている「女性に近づいてはいけない」という教えに背くことを意味している。また賢治が主張する『農民芸術概論綱要』の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」とも相いれない。

 

同様の恋愛の否定は,詩集『春と修羅』の中の詩「小岩井農場」の「じぶんとひとと万象といっしょに/至上至福にいたらうとする/それをある宗教情操とするならば/そのねがひから砕けまたは疲れ/じぶんとそれからたつたもうひとつのたましひと/完全そして永久にどこまでもいつしょに行かうとする/この変態を恋愛といふ」詩句にも述べられている。賢治が恋愛をしているとき,妹だけでなく恋人も結核に患っていたことが明らかになっていて,破局の原因の1つにあげる研究者もいる(澤口,2011)。しかし,賢治が破局の主な原因をこの物語で述べているとすれば前記した2つがその理由のように思える。

 

物語の第四次稿では,このあとに列車は「まっ赤に光る円い実がいっぱいの林」を見たり,また賛美歌を聞いたりしながら通過していくが,このとき青年は顔色が青ざめ,「女の子」はハンカチを顔にあててしまう。多分,この林の沢山の赤い実は「瞳」のメタファーであり(石井,2014),賢治と恋人の結婚に反対する近親者たちの怒りの「眼」である。

 

物語では,さらに赤帽の「信号手」が登場し高い櫓の上から旗を振ったり「今こそ渡れ渡り鳥」と言ったりして渡り鳥の動きを統率しているが,この信号手による一糸乱れぬ鳥の群れの行動は,賢治が結婚に反対する近親者たちを皮肉ったものと思われる。

 

これら近親者たちの組織だって結婚に反対する様子は,恋の破局の顛末を記載したとされる寓話『シグナルとシグナレス』(1923)で詳細に紹介されているという(澤口,2010)。著者は,この近親者たちの組織だって行動する様子を童話『銀河鉄道の夜』と関係深いとされる詩「薤露青」(1924.7.17)の「杉ばやしの上がいままた明るくなるのは/そこから月が出ようとしてゐるので/鳥はしきりにさわいでいる」という詩句の中にも見ることができると思っている。

 

この語句中に登場する「月」は恋人のことを言っている。「文語詩未定稿」の〔セレナーデ 恋歌〕で恋人を「ルーノの君」と呼んでいるが,「ルーノ(luno)」はエスペラント語で「月」である。詩「薤露青」のこの場面は自然描写とは考えにくく,恋人(=「月」)が「東北」の大地(=「杉ばやし」)から出て行こう(1924年6月;渡米)とすると近親者(=鳥)たちが騒ぎだすと読めば意味が通じる。詩「薤露青」は,妹の死(1922.11.27)を嘆いて詠んだ挽歌であるが,賢治は同時に恋人との別れも悲しんでいる。この詩は,理由は定かでないが全文が消しゴムで末梢されたものであり,後に研究者によって復元されている。

 

3.『銀河鉄道の夜』は賢治が恋人に読んでもらいたかったもの

童話『銀河鉄道の夜』初期形第一次稿は,1924年冬に短編童話集『注文の多い料理店』(1924.12.1)の出版記念のつもりで花巻公会堂という料亭で開いた会食の際に友人二人(菊池武雄,藤原嘉藤治)に披露されたという(堀尾,1991)。その直前とも思える頃の『春と修羅』遺稿 「孤独と風童」(1924.11.23)に恋人とこの童話を直接結び付ける話が記載されている。1924年6月には,恋人が結婚して渡米しているので,この詩が書かれたのは恋人が渡米して半年後ということになる。

 

   シグナルの赤いあかりもともったし

   そこらの雲もちらけてしまふ

   プラットフォームは

   Yの字をしたはしらだの

   犬の毛皮を着た農夫だの

   けふもすっかり酸えてしまった

   東へ行くの

   白いみかげの胃の方へかい

   さう では おいで

   行きがけにねえ

   向ふの あの

   ぼんやりとした葡萄いろのそらを通って

   大荒沢や向ふはひどい雪ですと

   ぼくが云ったと云っとくれ

   ぢゃ さようなら

      (宮沢,1985)  下線は著者 

 

この詩の「Yの字をしたはしら」とは,澤口(2018)によれば恋人のことで,「Yの字」は恋人の名のイニシャルだという。しかし,恋人を「東北」の大地に先住した人たちの末裔とすれば,賢治は「Yの字をしたはしら」を「アイヌ民族」が儀式に使う柱という意味でも使っているようにも思える。例えば「Yの字」という語句は詩ノートの中の詩〔これらは素朴なアイヌ風の木柵であります〕(1927.5.9)にも登場するが,この場合は「アイヌ」の「神(カムイ)祭り」でクマなどの神々の頭骨などを安置する祭壇(木柵)の中の「Yの字」の形をした柱を指していると思われる(原,1999;浜垣,2018)。

 

詩〔これらは素朴なアイヌ風の木柵であります〕では,作物の豊穣の恵みを願って「Yの字」の形の桑の木をアイヌ風の木柵に見立てて,「えゝ/家の前の桑の木を/Yの字に仕立てて見たのでありますが/それでも家計は立たなかったのです」とある。「アイヌ」は「神(カムイ)祭り」で神であるクマなどの頭骨を「Yの字」の形の柱に挟んで,その魂を神の国に送ることによって,神がお返しに自分たちに獲物などの豊穣の恵みを送ってくれると信じた。すなわち,詩「孤独と風童」の「Yの字をしたはしら」とは「東北」の大地に先住した人たちの末裔としての恋人という意味であろう。

 

「白いみかげの胃」は北アメリカ大陸を意味するのだという(澤口,2018)。北アメリカは地図上の形が胃に見える。また,北アメリカ大陸の大部分は「北アメリカ・クラトン;North American craton」と呼ばれる花崗岩(=御影石)などの軽量の珪長質の火成岩から成る安定陸塊でできているからである。「プラットフォーム」は,鉄道駅という意味もあるが,ここでは「北アメリカ・クラトン」に堆積岩などの被覆物が積もってできた台地(platform)を意味する。田舎の駅に見せかけて,実は恋人の居場所を示しているのだという。「御影石」は「墓石」に使うのでアメリカを「白い墓標」に見立てている。この詩の本意は,澤口によれば「もしも風の妖精よ,叶うなら岩手(大荒沢)のこの清らかな雪のひとひらを米国へ渡ったあの人へ届けてくれ」である。

 

しかし,この詩の下書稿(先駆形)では,さらに「樺の林の芽が噴くころにまたおいで/こんどの童話はおまへのだから」(下線は著者)という2行が加えられていた。すなわち,「こんどの童話はおまへのだから」と加えて,風の妖精(風童)に「雪のひとひら」を届けるだけでなく,春になったら「おまえのために『銀河鉄道の夜』を創作していること」も伝えてくれとも言っている。多分,賢治は「一緒になれなかった理由」を書き留めたこの童話を恋人に読んでもらいたかったのであろう。

 

引用文献

浜垣誠司.2018.4.21.(調べた日付).宮沢賢治の詩の世界-「これらは素朴なアイヌ風の木柵であります」詩碑.http://www.ihatov.cc/monument/116.html

原 子朗.1999.新宮沢賢治語彙辞典.東京書籍.東京.

堀尾青史.1991. 年譜 宮澤賢治伝.中央公論社.東京.

石井竹夫.2014.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する赤い実と悲劇的風景(前編).人植関係学誌.14(1):51-54.

石井竹夫.2017.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する赤い腕木の電信柱(前編).人植関係学誌.17(1):23-27.

石井竹夫.2018. 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の発想の原点としての橄欖の森-カムパネルラの恋 前編-.人植関係学誌.17(2):27-30.

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

中尾政之.2018.3.8(調べた日付).タイタニック号の沈没.http://www.shippai.org/fkd/hf/HA0000216.pdf

澤口たまみ.2010.宮沢賢治 愛のうた.盛岡出版コミュニティー.盛岡市.

澤口たまみ.2011.きみにならびと野にたてば-賢治の恋.pp.104-123.重松 清・澤口たまみ・小松健一(共著).宮澤賢治 雨ニモマケズという祈り.新潮社.東京.  

澤口たまみ.2018.3.8(調べた日付).みちのく随想「白い墓標」(岩手日報掲載 2016.4.25).http://happy.ap.teacup.com/tamamushi/650.html

多田幸正.1984.宮沢賢治と農村問題.日本文学 33(3):13-25.

吉見正信.1982.宮沢賢治の道程.八重岳書房.東京.

 

本稿は人間・植物関係学会雑誌18巻第1号19~23頁2018年に掲載された自著報文(種別は資料・報告)を基にしたものである。原文あるいはその他の掲載された自著報文は人間・植物関係学会(JSPPR)のHPにある学会誌アーカイブスからも見ることができる。http://www.jsppr.jp/academic_journal/archives.html