宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

賢治作品に登場する謎の植物-サキノハカとクラレの花-

Key wordsギンリョウソウ,共産主義,オキナグサ,赤旗(せっき),山の鞍部,幽霊草

 

1.サキノハカといふ黒い花              

詩ノートの〔サキノハカといふ黒い花といっしょに〕は,「サキノハカといふ黒い花といっしょに/ 革命がやがてやってくる /ブルジョアジーでもプロレタリアートでも/ おほよそ卑怯な下等なやつらは /みんなひとりで日向へ出た蕈のやうに/潰れて流れるその日が来る」(宮沢,1986)という詩句で始まる。この詩は,昭和2(1927)年5月頃の作と思われるが,「サキノハカといふ黒い花」の「サキノハカ」は何を意味しているのだろうか。

 

『新宮澤賢治語彙辞典』に2つの解釈が紹介されている(原,1999)。1つは「暴力」という漢字を分解して片仮名書きにしたというもので,もう1つは「先の墓」のことで花巻にある実相寺の墓だというものである。前者は,「暴(ぼう)」という漢字の下部に片仮名の「サ」と「ハ」が含まれているのと,「力(りょく)」に片仮名の「カ」が含まれていることによるらしい。

 

辞典には記載されていなかったが,「サキノハカ(Sakinohaka)」を「釈迦(shaka)」と「翁(okina)」(オキナグサ)に分解して解釈する研究者もいるようだ。これらは,「サキノハカ」が「暴力」,「先の墓」,「釈迦と翁」などの言葉から作られた造語であるとしているが,実は実態のない言葉だけの存在だと主張する研究者もいる(中村,2009)。

 

私は,賢治の造語には,最初に紹介した3人の研究者のように実態のある言葉が隠されていると考えている。多分,「サキノハカ」は「赤旗のハンマー(鎚)とカマ(鎌)」を略したものであろう。「サキノハカ」は,「サキ」と「ハカ」に分解できる。「サキ」は,「赤旗(あかはた)」のことである。当時,「赤旗」は音読みで「せっき」と呼ぶこともあった。日本の共産主義を目指す政党の中央機関紙「赤旗」(1928年~)も創刊時は「せっき」と呼んだ。「ハカ」は,「ンマー」と「マ」(傍線は引用者)のそれぞれの頭文字を合わせたものであろう。

 

すなわち,「セッキノハカ」が転じて「サキノハカ」となったものと思われる。「サキノハカ(セッキノハカ)」は,「共産主義」という意味である。「セッキ」よりも「サッキ(殺気)→サキ」の方が不気味である。「ハンマー(鎚)とカマ(鎌)」は,労働者と農民の団結を意味していて「共産主義」の象徴として使われている。また,「赤旗」に「鎚(つち)」と「鎌」を入れたのが,旧ソビエト連邦などの共産主義国家の国旗であった。

 

また,「黒い花」はキンポウゲ科の「オキナグサ」(Pulsatilla cernua (Thunb.) Berchtold et J.Presl)のことであろう。暗赤紫色の花を花茎の先に一つ付ける(第1図)。開花時には花はうつむいている。花弁に見えるのは萼片である。萼片の色は黒ではないが,賢治には「オキナグサ」の花が赤く見えたり,黒く見えたりする。賢治の童話『おきなぐさ』で,主人公が「蟻」に「オキナグサ」の花の色を尋ねるが,「蟻」は「オキナグサ」の萼片を太陽光に透かして「黒く見えるときもあります。けれどもまるで燃えあがってまっ赤な時もあります」と答えている。「オキナグサ」には別名として「幽霊草」あるいは「ものぐるい」の名がある(木村,1988)。

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第1図.オキナグサ

それゆえ,「サキノハカという黒い花」は,「サキノハカ」が「共産主義」,「黒い花」が「幽霊」の比喩なので,「共産主義という幽霊」の意味になる。実在する植物のことを言っているのではない。

 

「サキノハカ」の名称は,明治19(1848)年に書かれたカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの著書『共産党宣言』(Manifest der Kommunistischen Partei)と関係する。2人は,いずれもドイツの革命家である。『共産党宣言』冒頭の有名な1文は,「Ein Gespenst geht um in Europa - das Gespenst des Kommunismus.」であり,英語版では「A spectre is haunting Europe - the spectre of communism.」である。日本語に訳せば「幽霊がヨーロッパを徘徊している- 共産主義という幽霊が」(傍線は引用者)となる。ドイツ語の「Gespenst」と英語の「Spectre」はいずれも「幽霊」とか「亡霊」の意味である。賢治の蔵書目録にはマルクスの『資本論』が含まれている。多分,賢治はこの『共産党宣言』も読んでいたと思われる。

 

詩ノートに記載された〔サキノハカといふ黒い花といっしょに〕という詩の最初の2行は,「共産主義という幽霊といっしょに/革命がやがてやってくる」という意味である。

 

賢治が不思議な植物名で「共産主義」という言葉を隠したのは,当時の社会情勢を考慮したからと思われる。大正15年(1926)年3月に,「国体を変革し,及び私有財産制度を否認せんとする」結社・運動を禁止する「治安維持法」が成立した。そして,昭和3年3月15日に共産党,労農党などに対して手入れがあり,関係者の検挙や取り調べが全国的に行われた(いわゆる三・一五事件)。当時,労農党のシンパ(協力者)であった賢治も,この日に警察の取り調べを受けた可能性があるという(伊藤,1997)。賢治は,自分というよりは家族あるいは羅須地人協会の会員に無用な疑いがかけられるのを避けたのかもしれない。

 

2.クラレの花

童話『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』に「クラレといふ百合のやうな花が,まっ白にまぶしく光って」(宮沢,1986)と出てくる。この童話は大正10(1921)年あるいは11(1922)年に創作されたとされている。「クラレの花」とはどんな花であろうか。

 

「クラレの花」は,物語では「ばけもの世界」と「人間の世界」の境界に咲いている。「人間の世界」の側からすれば,ネパールの国からチベットへ入る「峠」の頂に相当する場所だという。両国の境にはヒマラヤ山脈がある。いわば異界の入り口あるいはヒマラヤに咲く花である。多くの研究者たちがこの「クラレの花」の解釈を試みている。

 

『新宮澤賢治語彙辞典』には,「クラレット(ボルドー産の赤ブドウ酒の銘柄)」から想定された赤黒い苔の花やコケモモなどの高山植物が紹介されている(原,1999)。また,辞典には出てこないが「クラーレ」(論文ではクラレと表記されている)という矢毒を想定している論文もある(中谷,1982)。この矢毒は,南米の原住民がツヅラフジ科のChondrodendron tomentosum(和名はない)などの樹皮から作るものである。各種族によってクラーレを作る植物は異なる。医療ではChondrodendron tomentosumの樹皮に含まれる毒作用を有するアルカロイド(ツボクラリン)を医薬品(筋弛緩薬)として使っていた。

 

私は,「クラレ」という名称(発音)は,既存の植物の名とは関係しないと思っている。「クラレ」の「クラ:kura」は,アイヌ語で「山の鞍部(あるいは峠)」の意味である。日本語の地形語としての「クラ(倉,蔵,鞍)」も同じような意味で使われている。「クラ」は,山を意味する場合があるが,一般的な山ではなく,断崖や峻険(しゅんけん)な斜面をもつ山を指す場合が多いという。例えば,岩手県の岩手山付近に八幡平という火山地域がある。そこの黒倉山,姥倉山,犬倉山,鬼ヶ城山などの,御釜湖のある火口をめぐる外輪山の山々があって,それらの頂上付近はいずれも片側が火口壁の大断崖をなしている(松尾,1952)。

 

「レ」が何を意味しているか分からない。賢治は,詩集『春と修羅 第二集』の〔北上川は熒気をながしィ〕(1924.7.15)で「カワセミ」を「ミチヤ」と命名している。詩では「ミの字はせなかのなめらかさ/チの字はくちのとがった具合/アの字はつまり愛称だな」とある。「クラレ」の「レ:re」も愛称かもしれないが,「レ」の字体からイメージできるのは,山の鞍部の向こうは断崖絶壁という意味かもしれない。すなわち,「クラレの花」とは断崖をもつ山の「鞍部(峠)」に咲く花という意味であろう。

 

チベットとネパールの境(「峠」)に自生して白い百合のような花とは何であろうか。多分,ツツジ科の「ギンリョウソウ」(Monotropastrum humile (D.Don) H.Hara)であろう。腐生植物である。「ギンリョウソウモドキ」(Monotropa uniflora L.)というのもある。「ギンリョウソウ」は,日本全土あるいはヒマラヤで見ることができる。第2図の植物は箱根で7月に撮影したもので「ギンリョウソウ」と思われる。夏に森の林床に草丈の低い白い花を咲かせる。横向きに咲き,見ようによっては白百合の様にも見える。別名は,「幽霊草」あるいは「幽霊花」である(木村,1988)。「ばけもの世界」の側にある「峠」に生えている植物にふさわしいと思われる。

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第2図.ギンリョウソウ

 

参考文献と資料

原 子郎.1999.『新宮澤賢治語彙辞典』.東京書籍

伊藤光弥.1997.昭和三年三月十五日の謎-賢治挫折の系譜-.『賢治研究』.74:1-14.

木村陽二郎(監修).1988.『図説草本辞苑』柏書房.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

中村三春.2009.かばん語の神-宮澤賢治のノンセンス様式再考-.『賢治研究』.108:21-35.

中谷俊雄.1982.クラレの花.『賢治研究』.29.38-39.

松尾俊郎.1952.崖を意味する地名.『新地理』.1(2):1-10.