宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

「烏瓜のあかり」とは何か

Key words:実をくり抜いて作った燈籠(とうろう)

 

『銀河鉄道の夜』は,夢の中で「みんなのほんたうのさいはひ」を求めて銀河宇宙を旅する話だが,サクラ,カラスウリ,イチイなど30種ほどの植物が登場してくる。このうち,「カラスウリ」を使った「烏瓜のあかり」というとても奇妙な言葉が随所に登場し,他の植物は忘れてしまっても,この「カラスウリ」だけは頭から離れない。

 

賢治は,「カラスウリ」をとても重要な植物として扱っているようだ。しかし,「烏瓜のあかり」とはいったいどんなものであろうか。具体的なイメージがなかなか作れない。また,なぜこの物語に「烏瓜のあかり」が必要なのかも分からない。そこで,今回は物語中に「カラスウリ」が出てくる箇所を拾い読みしながら「烏瓜のあかり」について考えてみたい。

 

最初に,その用途についてだが,「二,活版所」の章で,「星祭に青いあかりをこしらえて川へ流す」とあるので,星祭(ケンタウル祭)に使うものであることが分かる。次に,「カラスウリ」のどの部分を使うのだろうか。

 

葉,花,実,あるいは全て。あかりといえば「ポラーノ広場」に出てくる「つめくさのあかり」を連想させる。この物語では,夕暮れ時あるいは月夜の晩でも白い花は目立つので,花を「あかり」といっているようだ。確かに,「カラスウリ」の花も日が暮れてから咲く夏の夜を演出する花で,花の中心には星型の白い花びらがあり,その縁から白い糸が多数出ていて直径8センチぐらいのレースのコースターのような形になっていて目立つ(第1図)。レースのところは,灰色にも見えるので中心の白い花がいっそう夕暮れあるいは月の光の中で浮き出てきてとても美しい。花の中心部が星の形をしているので,星祭にふさわしい花といえる。

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第1図.カラスウリの花.

しかし,「烏瓜のあかり」が「つめくさのあかり」と同じように花を指しているのかというとそうでもない。「二,活版所」の章で,青いあかりと言っていたはずだ。さらに,「六,銀河ステーション」の章で,「あゝ,りんだうの花が咲いてゐる。もうすっかり秋だね」と季節が秋であると告げている。「カラスウリ」の花は,白色で夏咲くので,残念ながら「烏瓜のあかり」を花と見做すのは無理があるようだ。どうも果実を使うようである。

 

「カラスウリ」は,秋に長さ5~10センチぐらいの縦縞模様のある青い果実(正確には緑;第2図)をつける。しかし,「カラスウリ」の実もそれ自身では発光もしないし薄暗い夜の中で白花のように目立つこともない。「烏瓜のあかり」が「カラスウリ」の実を使うとしたら,その実をどのように使って青いあかりにしたか考えていかなければならない。そのヒントが「五,天気輪の柱」の章にあった。

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第2図.カラスウリの実.

 草の中には,ぴかぴか青びかりを出す小さな虫もいて,ある葉は青くすかし出され,ジュバンニは,さっきみんなの持って行った烏瓜のあかりのやうだと思ひました。                        (『銀河鉄道の夜』五,天気輪の柱  宮沢,1986)

 

葉の裏にとまっている蛍が発光すると,葉を通して青い光がすけて見えるとある。さらに賢治の別の作品『風野又三郎』でも明かりに「すかし」だされる「カラスウリ」が出てくる。

 そして今朝少し明るくなるとその崖がまるで火が燃えているようにまっ赤なんだろう。さうさう,まだ明るくならないうちにね,谷の上の方をまっ赤な火がちらちらちらちら通って行くんだ。楢(なら)の木や樺の木が火にすかし出されてまるで烏瓜の燈籠のやうに見えたぜ。

      (『風野又三郎』 宮沢,1986) 

 

ここでは,木が朝日ですかし出されるだけでなく,さらに「燈籠(とうろう)のように見えた」とも言っている。すなわち,「烏瓜のあかり」の正体は,皮が薄くなり光が透けて見えるまで中身がくり抜かれた「カラスウリ」の実であったと思われる。そして,さらに踏み込んでみると,何らかの台座に固定し,中に小さな蝋燭(ろうそく)などの火種をいれた「燈籠」のようなものが想定される(第3図)。ちょうど,日本の七夕やお盆などの燈籠流しとキリスト教のお祭りであるかぼちゃをくり抜いてあかりを作るハロウインを一緒にしたようのものであろうか。

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第3図.烏瓜のあかり. 

このように,『銀河鉄道の夜』で出てくる「烏瓜のあかり」は,ケンタウル祭という星祭りに使う,青い「カラスウリ」の実をくり抜いて作った「燈籠」をイメージしていることがわかる。

 

次に,なぜ賢治はこの物語に「カラスウリ」で作った「燈籠」を採用したのか考えてみる。多分,賢治は「カラスウリ」を死者との交流にもっともふさわしいものとして選択したと思われる。すなわち,「カラスウリ」を生と死を,あるいは地上と天上を結ぶ連絡通路となる聖なる植物とみなしていた。最終章である「九,ジョバンニの切符」で,死に関する象徴的な出来事としてジョバンニの親友であるカムパネルラの死とその経緯が語られる。

 「ザネリがね,船の上から烏うりのあかりを水の流れる方へ押してやらうとしたんだ。そのとき船がゆれたもんだから水へ落っこったらう。するとカムパネルラがすぐ飛びこんだんだ。そしてザネリを船の方へ押してよこした。ザネリはカトウにつかまった。けれどもあとカムパネルラがみえないんだ。」

     (中略)

 「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから。」

 ジョバンニは思はずかけよって博士の前にたって,ぼくカムパネルラの行った方をしっていますぼくはカムパネルラといっしょに歩いていたのですと云はうとしましたがのどがつまって何とも云へませんでした。

注:博士とはカムパネルラのお父さん

(『銀河鉄道の夜』九,ジュバンニの切符  宮沢,1986)

 

カムパネルラは,「烏瓜のあかり」を川へ流す過程で水死するが,ジュバンニは外出時に母から「川へははひらないでね」と言われていたのでこの事故に遭遇することはなかった。まさに,生と死を分かつあるいは結ぶ象徴として「烏瓜のあかり」は使われている。

 

なぜ,「カラスウリ」が生(現世)と死(天上)を関係付ける聖なる植物なのであろうか。これは,「カラスウリ」がもつ特別の呼び名が関係しているのかもしれない。「カラスウリ」の仲間で「キカラスウリ」というのがある。両者の区別は実が熟さないとわからない。「カラスウリ」は,実が熟すると赤くなるが,「キカラスウリ」は実が熟すると黄色くなる。「キカラスウリ」の根には多量のデンプンが含まれていて,このデンプンの粉を天花粉と呼び,昔は赤ちゃんのあせも,湿疹の予防などに使っていた。また,「キカラスウリ」を天瓜と呼ぶ地方もある。すなわち,「キカラスウリ」は天花(あるいは天瓜)と呼ばれていたのである。天花(瓜)の語源はよく分からない。天花については,デンプンの粉が白い雪(天花)のようにサラサラしているからとも言われるが,天瓜については「カラスウリ」がつる性植物で木に絡みながら上へ上へ(天上)と這い登り美しい花を咲かせるからつけられたのかもしれない。

 

また,前述したように「カラスウリ」の花は白い。白は「法華経」のシンボルである白い蓮につながる。賢治は,熱心な法華経信者であったので白い花には特に深い思い入れがあったようだ。シロツメクサ,コブシ,ゲンノショウコ,ウメバチソウ,スズランなど多くの白い花の咲く植物を繰り返し作品に取り入れている。

 

すなわち,賢治はこの白い花が咲き,地上から天空へ伸びていく「天の花(瓜)」のカラスウリを神聖な植物とみなし,『銀河鉄道の夜』で生と死,あるいは現世と天上界をつなぐ重要な小道具として使ったと思われる。

 

賢治は,イメージしただけでなく,きっと縦縞模様のある青い「カラスウリ」の実を実際にくり抜いて「烏瓜のあかり」を作ったと思われる。そうでなければ「楢の木や樺の木が火にすかし出されてまるで烏瓜の燈籠のやうに見えた」などとは表現できないはずだ。そして,自分で作った「烏瓜のあかり」を見ながら「銀河鉄道の夜」の創作を進めたにちがいない。

 

引用文献

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

 

本稿は,『宮沢賢治に学ぶ 植物のこころ』(蒼天社 2004)年に収録されている報文「「烏瓜のあかり」とは何か(試論)」を加筆・修正にしたものである。 「烏瓜のあかり」に関しては,以下のブログページでも詳細に検討しているのでご覧ください。

「宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-文学と植物のかかわり-」

「宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-異界の入口の植物-」