宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-絹で包んだリンゴ-

Keywords : 文学と植物のかかわり,蝦夷(えみし),インディアン,郷愁,キカラスウリ,コロラド高原,新世界交響曲,種山ヶ原

 

童話『銀河鉄道の夜』には,「顔色」を果実の色で表現している箇所がある。日本人でキリスト教徒らしき少女(かほる)が「新世界交響楽」が聞こえる中で列車の中から「コロラド高原」辺りの遠い地平線のはてを見つめている場面である。その時の少女の「顔色」は,「絹で包んだ苹果」のようだと言っている。

  さうさうこゝはコロラドの高原ぢゃなかったらうか,ジョバンニは思はずさう思ひました。カムパネルラはまださびしさうにひとり口笛を吹き,女の子はまるで絹で包んだ苹果のやうな顔いろをしてジョバンニの見る方を見てゐるのでした。突然たうもろこしがなくなって巨(おほ)きな黒い野原がいっぱいにひらけました。新世界交響楽はいよいよはっきり地平線のはてから湧きそのまっ黒な野原のなかを一人のインデアンが白い鳥の羽根を頭につけたくさんの石を腕と胸にかざり小さな弓に矢を番(つが)へて一目散に汽車を追って来るのでした。

 「あら,インデアンですよ。インデアンですよ。ごらんなさい。」

 黒服の青年も眼をさましました。ジョバンニもカムパネルラも立ちあがりました。     

 「走って来るわ,あら,走って来るわ。追いかけてゐるんでせう。」

 「いゝえ,汽車を追ってるんぢゃないんですよ。漁(りょう)をするか踊るかしてるんですよ。」青年はいまどこに居るか忘れたという風にポケットに手を入れて立ちながら云ひました。

 

まったくインデアンは半分は踊ってゐるようでした。第一かけるにしても足のふみやうがもっと経済もとれ本気にもなれさうでした。にはかにくっきり白いその羽根は前の方へ倒れるやうになりインデアンはぴたっと立ちどまってすばやく弓を空にひきました。そこから一羽の鶴がふらふらと落ちて来てまた走り出したインデアンの大きくひろげた両手に落ちこみました。インデアンはうれしそうに立ってわらひました。(九.「ジョバンニの切符」)宮沢,1986 下線は引用者 

 

文学作品で「顔色」を果実で表現するのは珍しいことではない。英文学では顔の色を「リンゴ」,「サクランボ」,「ザクロ」,「ラズベリー」などの果実で表現することが多いという(今村,2014)。果実の中では特に「リンゴ」が多い。「赤く」なる顔を「リンゴ」で比喩する場合,熟した「リンゴ」のよう “his face was red as a ripe apple”, 「黄色」の顔としてラセット(リンゴの品種名)の「リンゴ」のよう “russet face like an apple”,あるいは「赤」と「茶」の顔としての「リンゴ」 “her face, red and brown, was like an apple” などである。

 

一般的に,西洋人ではアングロ・サクソン系,日本人でも東北地方の人の肌の色は「白 い」ので,興奮したり,酒を飲んだりして顔が「赤く」なったり,恐れや緊張で顔が「青く」なることはあると思う。しかし,顔色を「リンゴ」と単に表現するのではなく「リンゴ」に「絹で包んだ」という形容を付けることはあまりしない。「リンゴ」を「絹」で包むとどんな色になるのであろうか。あるいは「リンゴ」を「絹」で包むこと自体に意味をもたせているのであろうか。本稿では,「リンゴ」の色と「リンゴ」を「絹」で包むことの意味について論じたい。

 

1.「リンゴ」の色 

「リンゴ」の色は様々だ。賢治が生きた時代(大正・昭和初期)の「リンゴ」には,紅玉や国光のように熟すと「赤く」なる品種や,珍しかったと思われるが「黄色」のゴールデンデリシャスという品種もあった。また,それらの未熟な果実は「青(緑)」である。一方,顔の色は,人種の肌の色(東洋人は黄色)であると同時に感情によっても変化する。興奮や羞恥で「赤く」なったり,恐れや緊張で「青く」なったりすることは経験するところである。また,興奮や恐れの強弱は色合い(濃淡)にも影響を及ぼすだろう。

 

それゆえ,「リンゴ」の色で比喩した少女の顔色を知るには,少女のその時の気持ち(感情)を知る必要がある。少女に極端な興奮や恐怖は感じられない。多分,少女は長く日本(故郷)を離れていたのでホームシックになってジョバンニの見つめる遠くの方を見つめていたのだろう。すなわち,少女は「郷愁」の「思い」を抱いている。一緒にいるカムパネルラが寂しそうに口笛を吹いているし,ボヘミア生まれのドヴォルザーク(A.L. Dvořák;1841~1904)の『交響曲第9番ホ短調「新世界より」』(1893年作曲)と思われる「新世界交響楽」が聞こえている。

 

この曲は,ドヴォルザークがアメリカ滞在中にアメリカの黒人の音楽が故郷ボヘミアの音楽に似ていることと,インディアンの英雄伝説を長詩にしたロングフェロウ(H.W.Longfellow;1807~1882)の『ハイアワサの歌』に刺激を受け,「新世界」であるアメリカから祖国ボヘミアへの「郷愁」の「思い」を壮大なスケールで謳い上げた作品だと言われている(山根,2003)。

 

それでは,少女が「郷愁」の「思い」にかられるとどのような顔色になるのか。「思い」を含めて「怒り」,「喜び」,「憂い」,「恐れ」といった様々な感情(五志)を肌の色で表現したものが中国最古の医学書の『黄帝内経素問(こうていだいけそもん)』(前漢時代に編集)に記載されている(邱,1995)。この医学書は,81編からなり,人体の生理・病理・病因等を自然の原理をもととして陰陽五行説が論じられている。そのうち「陰陽応象大論編」によれば,五志の1つの「思い」は色では「黄色」,臓器では「脾」に関係するという(第1表)。

 第1表.五行の配当モデル.

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「脾」は,五臓(肝,心,脾,肺,腎)の1つで,現代の医学用語を使って言えば,消化器系の機能を担っている臓器である(西洋医学の解剖学が示す脾臓ではない)。また,「五蔵生成篇第十第二節」では,『銀河鉄道の夜』と同じく,顔色を「絹」で包んだ「黄色」の果実で表現する方法も記載されている(下線部分)。これを原文で読むにせよ,翻訳文(小曽戸,2006)で読むにせよ鉱物や植物およびある程度の中国医学の知識が必要である。

 生於心如以縞裹朱。生於肺如以縞裹紅。生於肝如以縞裹紺。

 生於脾如以縞裹括樓實。生於腎如以縞裹紫。此五藏所生之外榮也。

『黄帝内経素問』「五蔵生成篇第十第二節」 下線は引用者

 

下線部の果実を示す「括樓實」は,日本の「キカラスウリ」(Trichosanthes kirilowii  Maxim. var. japonica (Miq.) Kitam.)に類似した「シナカラスウリ」(ウリ科のTrichosanthes kirilowii var. kirilowii )の熟した橙黄(とうこう)色の果実のことを指している(根からは天花粉が作られる)。「縞」は,中国では薄い「白絹」,「裹」は「包む」をそれぞれ意味しているので,下線部を翻訳すると,健康な人の顔色が,「脾」の臓器に「精気」となって表れるときは,薄い「白絹」で「シナカラスウリ」の果実を包んだときの「艶(つや)」のある色合いになるということになる。

 

すなわち,「郷愁」の「思い」が気持ちの中に出てくると,「思い」と関係する臓器の「脾」の精気が顔に表れ「絹」のような「艶」のある「黄色」の顔色になる。また,別の個所では,「思い」が強すぎて消化器系である「脾」が障害されれば食欲不振や「艶」のない「黄色」の肌(例えば黄疸)になるとも記載されている。

 

菜食主義者の賢治は病弱ということもあり,健康や医学に関心が高かったと思われる。賢治は,童話『よく利く薬とえらい薬』(1921),童話『毒もみすきの署長さん』(1924),童話『ビヂテリアン大祭』(1924年)あるいは西域を舞台にした童話『北守将軍と三人の医者』(1931)など,医者や薬・毒が登場する作品をたくさん書いている。賢治研究者の作成した蔵書目録には解剖学や生理学の学術専門書や『断食療法』,『抵抗養成論』,『健康法全書』などの一般向けの健康を扱った書物が列記されている(宮沢,2001)。

 

多分,賢治は「絹で包んだ苹果のやうな顔いろ」という表現をこれら中国の古い医学書『黄帝内経素問』あるいはそれに関連した書物の引用文などを参考に作ったのかもしれない。いずれにせよ,少女は銀河鉄道が地球を西進する地平線のさらに先の故郷(日本)を「白絹」で包んだ「黄色」の「リンゴ」のような顔色で見つめていた。

 

ジョバンニ(あるいは賢治)も同じ西の地平線を見つめているが,それは故郷(南欧あるいは岩手)ではない。もっと遠い人類の歴史を見つめている。ドヴォルザークが「新世界交響楽」を作曲するにあたって影響を受けた黒人霊歌(Negro spiritual)は聖書を題材にしたものが多いが,その根底に流れるものは「奴隷」としてアメリカに連れて来られた黒人(アフリカ系アメリカ人)の故郷への「郷愁」と「逃亡」あるいは「自由(ほんたうの幸せ)」への憧憬であった。だから,黒人霊歌は正式な礼拝で使われるのではなく,非公式な宗教的集まりや労働の場などで歌われた(アメリカンフォークソング資料保存プロジェクト,2015)。

 

賢治は,この黒人霊歌の旋律をイメージして作られた「新世界交響楽」にかなり共感しているように思える。賢治の『農民芸術の興隆』の中には,「嘗つてわれわれの師父たちは乏しいながら楽しく生きてゐた そこには芸術も宗教もあった」,とか「蓋し原始人の労働はその形式及内容に於て全然遊戯と異らず アフリカ土人」の記載がある。

 

ジョバンニ(あるいは賢治)は,我々の遠い祖先の人たちが「労働」,「芸術」,「宗教」,「遊戯」を一体化して生活していた頃を地平線を見つめながら思い浮かべている。物語では黒人の代わりに狩猟採集生活を営んでいると思われるインディアンが登場してくるが,インディアンは「半分は踊ってゐる」ように,「うれしそうに」そして「わらひ」ながら弓矢で獲物である「鶴(つる)」を射止める。「つる」を英語の「true(真実)」と誤訳すれば,賢治にとっての「ほんたう(真実)の労働」とは,「労働」と「遊戯」が一致しているものなのであろう。

 

賢治は,『交響曲第9番ホ短調「新世界より」』の第二楽章のラルゴ “Largo” の曲に「春はまだきの朱雲を/アルペン農の汗に燃やし」で始まる歌詞をつけ,曲「種山ヶ原」(1925)とした。『新宮沢賢治語彙辞典』(原,1999)には,曲「種山ヶ原」には「賢治の理想とする労働即快楽の思想が込められている」とある。しかし,賢治にとって「労働=遊戯(快楽)」の実現は,遠い過去に逆戻りするのではなく,未来の中で獲得しなければならない。銀河鉄道の列車は高原を過ぎると,逆戻りできない急坂を下っていく。

 

2.「絹」で包むことの意味 

少女の「顔色」が「黄色」ということだが,「黄色」を表現するのに,なぜ「シナカラスウリ」ではなく「リンゴ」なのか。多分,「リンゴ」を「絹」で包むことには,故郷への「郷愁」以外の別の意味も込められているように思える。「絹」は,その機能特性として吸放湿性,紫外線吸収性,物質吸着性,抗菌性,抗酸化性などを有する。このうち,物質吸着性はフィブロイン繊維の特異な結晶構造に由来し,このフィブロイン繊維が果物の「色づき」や軟化などの成熟に関連するエチレン(植物ホルモンの一種)を吸着することが実験的に証明されている(山崎,2015)。

 

「リンゴ」は「エチレンガス」を発生させるので,この「エチレンガス」を吸着する「絹」で包むことによってある程度鮮度は維持できる。「絹」の鮮度保持機能は,メカニズムは分からなくても昔から知られていているので(加藤,2015),『銀河鉄道の夜』の「女の子はまるで絹で包んだ苹果のやうな顔いろをしてジョバンニの見る方を見てゐるのでした」という表現は,「永遠」に褪せることのない「リンゴ」のような顔色でジョバンニの見る方を見ていたとも受け取れる。

 

「リンゴ」をキリスト教の「原罪」の比喩としてさらに深読みすれば,少女は,キリスト教徒の背負った「原罪」を永遠に朽ちさせないという「思い」をもってジョバンニの見る方を見つめていたということになる。ジョバンニが見ている先には,黒人霊歌を取り入れた「新世界交響楽」が聞こえる中で移民の白人達が19世紀の西部開拓時代に駆逐して保留地に押し込めていった先住民のインディアンがいる。

 

原罪とは,キリスト教では旧約聖書(創世記3章)に記載されている人間の始祖が「善悪を知る知識の木の実(=リンゴ?)を神の命に背いて食べたという罪」のことを指し,人間はこの「罪」を今日まで引き継いでいてその「罪」から逃れられないことが説かれている。このように,「原罪」の比喩としての「リンゴ」の背景には,白人のキリスト教徒達の犯したアフリカ原住民の強制移住と奴隷化およびアメリカインディアンの保留地への強制移住などの「罪」が隠されている。さらに,この「原罪」は仏教徒にも当てはまる。

 

詩集『春と修羅』の中の「原体剣舞連(mental sketch modified)」(1922.8.31)には『銀河鉄道の夜』のインディアンが登場する場面を彷彿させる詩句が記載されている。

    dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah

こんや異装(いそう)のげん月のした

鶏(とり)の黒尾を頭巾(づきん)にかざり

片刃(かたは)の太刀をひらめかす

原体(はらたい)村の舞子(をどりこ)たちよ

     (中略)

楢と椈(ぶな)とのうれひをあつめ

蛇紋山地(じゃもんさんち)に篝(かがり)をかかげ

ひのきの髪をうちゆすり

まるめろの匂のそらに

あたらしい星雲を燃せ

    dah-dah-sko-dah-dah

肌膚(きふ)を腐植と土にけづらせ

筋骨はつめたい炭酸に粗(あら)び

月月(つきづき)に日光と風とを焦慮し

敬虔に年を累(かさ)ねた師父(しふ)たちよ

こんや銀河と森とのまつり

准(じゅん)平原の天末線(てんまつせん)に

さらにも強く鼓を鳴らし

うす月の雲をどよませ

  Ho! Ho! Ho!

     むかし達谷(たつた)の悪路王(あくろわう)

     まつくらくらの二里の洞(ほら)

     わたるは夢と黒夜神(こくやじん)

     首は刻まれ漬けられ

アンドロメダもかゞりにゆすれ

     青い仮面(めん)このこけおどし

     太刀を浴びてはいつぷかぷ

     夜風の底の蜘蛛(くも)をどり

     胃袋はいてぎつたぎた

  dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah

(「原体剣舞連(mental sketch modified)」の一部)

 

原体村は江差にあるが,この剣舞(第1図)の舞台は,「種山ヶ原」と言われている北上山地にある蛇紋岩や橄欖岩でできている高原地帯である。『銀河鉄道の夜』の列車は,「不完全な幻想第四次」を走っているので車窓の景色は南欧から地球を西進しているときの風景と同時に盛岡から東北本線に乗って南下しているときの風景が二重に重なって見えてくる。列車が西進するのと南下するのが丁度重なったところがアメリカの「コロラド高原」であり,日本の「種山ヶ原」である(石井,2012)。

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 第1図.原体剣舞(宮沢賢治生誕120年記念行事にて)

この詩に登場する達谷の悪路王とは,平安時代に平泉近くの達谷窟を拠点に構えた先住民族である「蝦夷」の首長であったアテルイがモデルになっているとされる。賢治はこの「青い仮面」の人物を悪路王に見立てて,剣舞から悪路王が征夷大将軍の坂上田村麻呂(758~811)に率いられる強力な軍隊に屈服させられる様子を想像したものと思われる(星野,2014)。

 

また,賢治は,「楢と椈とのうれひをあつめ」とあるように,木の実を採集して生活していた「蝦夷」の「憂い(悲しみ)」も感じ取っている。仏教に対する信仰心が強い坂上田村麻呂は,北方の守護神である「毘沙門天」の化身と言われ,また京都の清水寺(真言宗)を創建したことでも有名である。東北地方にも坂上田村麻呂が創建したと伝えられる寺社は多数存在する(星野,2014)。仏教に対する信仰心の強い者(たち)が先住民族である「蝦夷」を駆逐していく構図は,キリスト教徒たちが先住民族であるインディアンを駆逐し,黒人を強制移住させ自由を拘束していく構図と重なる。

 

賢治には,キリスト教徒や仏教徒の背負った「原罪」を永遠に朽ちさせないという「思い」が強かったように思える。このように,「絹」で包んだ「リンゴ」には,故郷に対する「郷愁」と宗派の神を信仰する者たちの「原罪」の2つの意味が込められていると思われる。

 

引用文献

アメリカンフォークソング資料保存プロジェクト.2015.1.30(調べた日付).アフリカ系アメリカ民謡.http://www.arc.ritsumei.ac.jp/folksong/multiculture/007.html

原 子朗.1999.新宮沢賢治語彙辞典.東京書籍.東京.

星野岳義.2014.坂上田村麻呂に関する伝承-菅江真澄の採集を素材にして-.ソシオサイエンス.20:100-114.

今村 潔.2014.果実のような顔.龍谷紀要.36(1):1-10.

石井竹夫.2012.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する農業(後編).人植関係学誌.12(1):21-24.

小曽戸丈夫.2006.素問 新釈.たにぐち書店.東京.

邱 紅梅.1995. わかる中医学.燎原書店.東京.

山根知子.2003.宮沢賢治 妹トシの拓いた道-「銀河鉄道の夜」にむかって.朝文社.東京.

山崎昌良.2015.1.19(調べた日付). シルクおよび繭層抽出物の機能特性とその活用.2003 Silk Summer Semminar inOkaya http://www.nias.affrc.go.jp/silkwave/hiroba/Library/SeisiKD/56SKD2003/5yamazaki.pdf

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

宮沢賢治.2001.新校本宮沢賢治全集 第十六巻(下)補遺・資料(補遺・伝記資料編).筑摩書房.東京.

 

本稿は人間・植物関係学会雑誌16巻第1号53~56頁2016年に掲載された自著報文(種別は資料・報告)を基にしたものである。原文あるいはその他の掲載された自著報文は人間・植物関係学会(JSPPR)のHPにある学会誌アーカイブスからも見ることができる。http://www.jsppr.jp/academic_journal/archives.html