宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-ケンタウル祭の植物と黄金と紅色で彩られたリンゴ(3)

Key Words文学と植物のかかわり,法華経,烏瓜,ケンタウル祭,区分キメラ,縞模様,真実(ほんとう),接木,融合

 

賢治は,童話『銀河鉄道の夜』で,「もみ」や「楢」の枝で包まれた街燈,紫色の「ケール」や「アスパラガス」が植えられている空き箱,電気会社の前の6本の「プラタヌス」の木や星空に浮かぶ「ポプラ」のように,光に透かされた縦の「縞模様」をイメージ出きるものを「ケンタウルス」や「人魚」などの「キメラ」やそれに類したもの(ジョバンニの家)と重ねながら繰り返し登場させてきた。なぜ賢治は,これほど「烏瓜のあかり」に象徴される光に透かされた縦の「縞模様」や「キメラ」に拘るのだろうか。

 

理解しがたいものが沢山あるが,ここでは宗教と科学を「融合」(あるいは一致)しようとしていた賢治が,「縞模様」に「キメラ」のように個体と個体を結び付ける「力」だけでなく宗教と科学をも結び付ける不思議な「力」を有しているのではないかと察したからだと考えて論を進めることにする。本稿(3)では,賢治のこの難解な「拘り」を「烏瓜」の果実の透かし出された「縞模様」の解明を通してさらに追及していきたい。また,ジョバンニが第八章で「灯台看守」から貰う「黄金(きん)と紅色でうつくしくいろどられた苹果」の「リンゴ」がどのようなものであったかも,その外観だけでも明らかにしたい。  

 

1.「烏瓜のあかり」

「烏瓜のあかり」に使われる「カラスウリ」はつる性植物で天上と地上を結ぶものとして物語に象徴的に登場してくることはすでに報告した(石井,2011)。「カラスウリ」の果実は,赤く熟す前はスイカのように果梗から果頂部にかけて緑の濃淡でできた「帯」が複数連なった「縞模様」をもつ。ウリ科の果実の表面に現れる「縞」の数は3の倍数と言われている。これは果実が3枚の葉(心皮)が集まって出きることによるらしい。しかし,スイカではぴったり15本とはいかなくて14~17本という(塚谷,2014)。

 

小さい「カラスウリ」の果実の「縞」の数は,ネットの情報によれば10本だそうだ(則面から見れば5〜6本)。この「縞模様」のある「カラスウリ」の未熟果実で作った「灯り」(=烏瓜のあかり;(第1図AB)は,賢治の時代の子供の遊びにあったかもしれないが,西洋の祭りの一つである「ハロウィン(Halloween)」のカボチャをくり抜いた中に蝋燭を立てる「ジャック・オー・ランタン(Jack-o'-lantern)」と日本の「七夕祭」に川に流す「燈籠」を融合して創作したようにも思われる(石井,2011)。では,この「キメラ」の雰囲気を漂わす「烏瓜のあかり」によって透かし出された「縞模様」には「融合」(あるいは一致)以外にどんな意味が込められているのであろうか。

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第1図.カラスウリの果実(A)と中身をくり抜いて蝋燭の火を灯した烏瓜のあかり(B). 側面から見ると5〜6本の縦縞が見える.

 

2.透かし出された「烏瓜」の「縞模様」から真実は見えるのか

自然が作り出す「縞模様」は,この物語に限局すれば,第七章「プリオシン海岸」の発掘現場でジョバンニたちが出くわす120万年前の「地層」を思い起こさせる。この「地層」で,学者らしい人たちが「くるみの実」の植物化石や牛の祖先(ボス)の動物化石を掘り出している。第七章の話は,賢治が花巻近郊の川岸(イギリス海岸)の泥岩層で「オオバタグルミ」の化石や偶蹄類の足跡化石を発見したという実話に基づいている。

 

「クルミ」は物語では最も重要な植物として位置づけられていて,七章以外では最終章の最後の「蠍の火」の逸話の直後に登場する。賢治がこの「クルミ」を賢治が帰依した「法華経」の比喩として使っていることは前報で報告した(石井,2014)。「オオバタグルミ」の化石は,120万年経った今日でも当時の面影を残している。賢治は,この永遠に変わらずに存在し続ける「クルミ」の実の化石で象徴される「法華経」が永遠の真実である「ほんとう」の仏典であり,その「クルミ」の実は「縞模様」の「地層」の中にあると言いたいのだ。すなわち,「縞模様」の中に「ほんとう」と「うそ」を区別する方法のヒントが隠されていると信じたように思われる。

 

『銀河鉄道の夜』は「死後の世界」の様々な人たち(魂)の出会いの中で「みんなのほんとうの幸せ」を探す旅の物語であり,「ほんとうの幸せ」は「ほんとう」と「うそ」を区別し宗教的認識と科学的認識を「一致」させた結果に得られると信じられている(一次稿~四次稿に共通)。賢治が宗教と科学を「一致」させたがっているのは,宗教者としての自分と科学者としての自分が分裂しているからでもある。『銀河鉄道の夜』は「死後の世界=来世」を扱っているが,これは仏教の「浄土思想」や「輪廻転生思想」の影響を受けている。法華経に帰依する宗教者としての賢治は「死後の世界」を信じているが,「ほんとう」に信じているのかと賢治が自分に問いただせば,科学者としての賢治は,これを否定せざるを得ない。

 

「死後の世界」は有るのか,無いのかは賢治の「こころ」の中で「揺れ」ているように思える。多くの宗教者たちは,「死後の世界」はあると主張するが,賢治は決して「死後の世界」があるとは言わない。この「揺れ」は妹の死後に書かれた「オホーツク挽歌」や「青森挽歌」などの一連の詩作群で繰り返し述べられている。だから,宗教と科学の両方にのめりこんだ賢治にとって宗教と科学の「一致」は避けて通れない重要な課題であった。

 

では,どうすれば宗教と科学を「一致」あるいは「融合」させることができるのだろうか。この答えとして三次稿では,夢(天上)の中でセロの声のような人物(地上のブルカニロ博士の化身)が,ジョバンニに「おまへがほんたうに勉強して実験でちゃんとほんたうの考とうその考を分けてしまへばその実験の方法さへ決まればもう信仰(宗教)も化学(科学)と同じやうになる」(括弧内は著者)と話す。ブルカニロ博士は賢治のように宗教(「法華経」)と科学の両方を熟知している人物として描かれている。

 

しかし,賢治が「ほんとう」の仏典であると信じる「法華経」には,「ほんとう」と「うそ」を見分けたり,宗教と科学を「一致」させたりする方法は説かれてはいないと思われる。むろん科学の本にもそのような記載はない。そこで,ジョバンニは,「ほんとう」と「うそ」の見分ける方法をセロの声のような人物に尋ねる。しかし,この人物も「あゝわたしもそれをもとめている」としか答えない(あるいは答えられないのかもしれない)。賢治は,現実的には不可能とも見える課題に,ブルカニロ博士のように「わたしも探している」ではなく,どうしても解答を与えたいと思っている。

 

賢治は,作品の中で「ほんとう」とは何かに答えることをしないで「ほんとうの幸せ」とか「まことの力」という言葉を繰り返し使うが,吉本隆明(2010)も指摘しているように「ほんとう」はあくまで「ほんとう」であって「ほんとう」以外のものではないといったトートロジー(同語反復)的な無限円環の論理の中に彷徨い込んでしまっている。この「ほんとう」という不可知論の言葉から脱却できるヒントになると考えたのが「縞模様」であるかもしれない。賢治は,この不思議な「縞模様」の謎を解けば「ほんとうの幸せ」へ到達できると「本気」で考えているようにも思える。

 

縞模様」から「ほんとう」を具現させようとした試みが他の作品でも見受けられる。死後の世界の「天国編」である『銀河鉄道の夜』に対して「地獄編」に当たる宗教色の強い童話『ひかりの素足』の中にも記載されている。山で遭難して死の淵(地獄)に追いやられた兄弟が,赤い「瑪瑙(めのう)」の鋭い棘で出来た野原を足を切られながら歩いていると「法華経」の教えの一つである「如来寿量品第十六」という言葉を感じ取る。兄がその言葉を呟くと,如来である「白く光る足の人」が現れ,「こゝは地面が剣でできてゐる。お前たちはそれで足やからだをやぶる。さうお前たちは思ってゐる,けれどもこの地面はまるっきり平らなのだ。さうご覧。」と言って地面に一つの輪を描く。すると地獄の景観が一変して野原は「孔雀石の色に何条もの美しい縞」の「まっ青な湖水」のような野原になる。鉱物である「瑪瑙」も「孔雀石」も美しい「縞模様」がある。ここでは,「縞模様」が真実を解き明かす重要な小道具の一つとして使われている。

 

3.「縞模様」を研究している人達

「縞模様」の中に「ほんとう」が隠されていると考えたのは賢治だけではない。賢治が没した1933年に,物理学者の寺田寅彦(1878-1935)が「自然界の縞模様」という随筆を発表している。寅彦はこの中で,「リーゼガングの輪と類似の現象による瑪瑙の皺(しわ)」,「鍾乳石の表面の周期的な皺」,「温泉の噴出口の周囲に出来る噴泉塔と呼ばれる放射状並びに円心状の周期的な凹凸」などの「縞模様」を紹介し,これらは「現在の科学ではきわめて辺鄙(へんぴ)な片田舎の一隅に押しやられて,ほとんど顧みる人もいないようなものだが,将来重要な研究課題になる可能性を伏蔵している」と記載している。

 

リーゼガング現象とは,ゲル中に電解質を溶かし,後から別の電解質を加えると,後から加えた電解質が下部に徐々に拡散していきながら「縞模様」の沈殿を生じることを言う。寅彦は植物にも言及していて,「瓜(うり)のような格好で,縦に深く襞(ひだ)の入ったシャボテン」,「リーゼガングの輪と類似のモチの木の葉に線香か炭火の一角を当てた時に出来る黒色の環状紋」についても記載している。また,樹木の年輪や,魚類の耳石の年輪,また貝殻の輪状構造などは一見して明白な理由によって説明されるようであるが,少し詳細に立ち入って考えると分からないことが沢山あるとも述べている。

 

賢治も童話『イギリス海岸』で,このリーゼガングの輪について記載している。童話の中で,生徒が古い地層の岩の中に埋もれた小さな植物の根の周りに水酸化鉄の茶色の輪(童話では「還(わ)」と記載)を見つけるが,先生が「この環はリーゼガングの環と云ひます。実験室でもこさへられます」と答える。

 

その後,「縞模様」の研究は忘れ去られたかのように見えたが,「縞模様」の地層を研究することによって,1980年にアルバレッツ(L. W.Alvarez)らが恐竜絶滅に関する小惑星衝突説を発表する。彼らは,白亜紀と第三紀境界(K-T境界層)に特徴的に含まれる粘土層に注目し,イリジウムの異常濃集を発見した。イリジウムは,地球の地殻やマントルにはほとんど含まれない。そこでK-T境界層の堆積物中に大量に見つかるイリジウムは,地球外の小惑星の衝突でもたらされ,衝突によるカタストロフィーで恐竜は絶滅したという仮説が誕生した。さらに,寅彦とアルバレッツの研究に共鳴した研究者たちも出てきて,「縞模様」から真実を探求する動きが出始めた。現在,地球科学を専門とする科学者が中心となって「縞模様」を研究する「縞々学」なる学問が立ち上がっている(川上,1995)。

 

本稿のテーマと直接に関係するかもしれないものとして,縄文時代の地層(あるいは地形)を研究して古代人の意識構造の「本質=(ほんとう)」を明らかにしようとする研究も始まっている。人類学者で宗教学者でもある中沢新一(2005,2016)は,仏典に見られる仏教の基本的な考え方は,物事を分離してそれらを対立させることにより思考するという西洋的な思考方法(合理性あるいは科学)とは異なり,全体性を直観的に捕まえていく東洋的な思考法(宗教としての仏教)に重きを置くと見做す。

 

そして,この思考法は仏教の開祖である釈迦族のゴーダマ・シッダルダ(紀元前5世紀頃の人)が最初に考案したものではなく,現代の人類の祖先である新石器時代の人類の思考法にまで遡れると考えた。新石器時代の人類は,単に狩猟・採集の生活だけをしていたわけではない。宗教も芸術もあった。この仏教思想の根底にある古代人の思考法は,また現代の我々の心的構造の無意識の中にも連続的な「層」となって受け継がれているという。

 

そこで中沢は,宗教にも繋がる物事の全体性を直感的に捕まえる思考法の「本質」を明らかにするため,日本の新石器時代である約15000年前から始まる縄文時代の地形図を作成した。縄文時代に陸地であった第4紀の洪積世(完新世)と海であった沖積世(更新世)の境を示した「縞模様」になった地形図に,現代の地図上の神社・寺・古墳・墓地・遺跡などを重ねた「アースダイビングマップ」を作成した。この「マッピング」によると,古墳(横穴の洞窟)などの死者を埋葬する重要な聖地があった場所が半島や岬のように突出した所に重なり,またその場所に現在でも神社やお寺(墓地)が建てられているという。

 

聖なる場所である古墳は,「向こうの世界」の死者の「魂」を「洞窟」の通路を通じて迎えたり送り返したりする場所であり,死者の「魂」との交流の場所でもある。興味あることに科学を象徴する通信施設である「電波塔(東京タワー)」が紅葉山貝塚,前方後円墳,芝丸山古墳群などの聖地が密集している場所に建てられていることも明らかにした(現在は増上寺や多数の墓地が点在する)。中沢は,現代人が縄文時代の聖地に「電波塔」を建てるのは,単なる偶然の一致ではないと考えている。巨大な「三角標」にも思える「電波塔」がなぜ縄文時代の神聖な場所に建てられるのかは,生きていれば賢治も是非知りたいところであろう。 

 

賢治にとって,「縞模様」は「キメラ」とも密接に関係している。賢治の創作したもので「縞模様」をイメージできるものの近くにはいつも「キメラ」あるいはそれに類したものが存在する。「キメラ」は「融合」(一致)を意味する。賢治は,宗教と文学あるいは宗教と芸術を「融合」させる試みをしているが,宗教と科学の「融合」は,前述したように賢治にとって最後のもっとも重要な課題であった。賢治にとっても確証はないと思われるが,科学を象徴する街燈を「聖木」である「もみ」や「楢」で縞状に包んだように,賢治は「縞模様」をヒントに宗教と科学を「融合」させて「キメラ」を作れば「ほんとう」と「うそ」を区別する方法や「ほんとうの幸せ」を得る方法が見つかると信じたのではないか(あるいは信じたいと思った)。

 

あるいは,その逆に「ほんとう」と「うそ」を区別する方法が分かれば宗教と科学を「融合」できると考えた。「銀河の祭り」で子供らが「縞模様」が透かし出された「烏瓜のあかり」を持って「ケンタウルス,露をふらせ。」と叫ぶが,この「露」が童話『十力の金剛石』の「露」のように「ほんとう=真実」の暗喩とすれば,この呪文は「キメラのケンタウルスよ,宗教と科学を「一致」させて真実(「ほんとう」と「うそ」の見分け方)を我々に示せ」という賢治の強い思いが籠った「魂」の叫びであったのかもしれない。

 

4.「灯台看守」が持ってきた黄金と紅色で美しく彩られた「リンゴ」

賢治のこの思いは,天上世界に登場する大きな「鍵」を腰に下げた「灯台看守」(多分キーマン)に託された。第四次稿で「灯台看守」は車内でジョバンニたちに天上で収穫されたと思われる「黄金と紅色でうつくしくいろどられた大きな苹果」を配る(この「苹果」は第二次稿ではキリスト教徒の姉が持っていた)。

 「いかゞですか。かういう苹果はおはじめてでせう。」向ふの席の燈台看守がいつか黄金(きん)と紅色でうつくしくいろどられた大きな苹果を落とさないやうに両手で膝の上にかゝへてゐました。

 「おや,どっから来たのですか。立派ですね。こゝらではこんな苹果ができるのですか。」青年はほんたうにびっくりしたらしく燈台看守の両手にかゝへられた一もりの苹果を眼を細くしたり首をまげたりしながらわれを忘れてながめてゐました

 「いや,まあおとり下さい。どうか,まあおとり下さい。」

 青年は一つとってジョバンニたちの方をちょっと見ました。

 「さあ,向ふの坊ちゃんがた。いかゞですか。おとり下さい。」

 ジョバンニは坊ちゃんといはれたのですこししゃくにさはってだまってゐましたがカムパネルラは「ありがたう,」と云ひました。すると青年は自分でとって一つづつ二人に送ってよこしましたのでジョバンニも立ってありがたうと云ひました。

 燈台看守はやっと両腕があいたのでこんどは自分で一つづつ睡(ねむ)ってゐる姉弟の膝にそっと置きました。

  (中略)

 姉はわらって眼をさましまぶしさうに両手を眼にあててそれから苹果を見ました。男の子まるでパイを喰べるやうにそれを喰べてゐました。また折角剥いたそのきれいな皮も,くるくるコルク抜きのやうな形になって床へ落ちるまでの間にはすうっと,灰いろに光って蒸発してしまふのでした。

 二人はりんごを大切にポケットにしまひました。

(九,ジョバンニの切符)宮沢,1986 下線は引用者

 

この「灯台看守」が持ってきた「リンゴ」が,「ほんとう」と「うそ」を区別(区分)する方法のヒントになる「キメラ」の「リンゴ」なのかもしれない。この場合の「キメラ」の「リンゴ」とは,果実の皮が黄金(あるいは黄色)と紅色の2色の「縞模様」を形成する植物学的に「区分キメラ」に分類される果実という意味だ(詳細は後述する)。

 

「灯台看守」は,米地(2010)によれば,ギリシャ神話に登場する獅子の皮を被った勇者ヘラクレス(半神半人で竜が守る黄金の「リンゴ」をヘスペリデスの園から取ってくる武勇伝が有名)に因むヘラクレス座(灯台のように点滅する変光星を有する)であり,花巻生まれで1923年に米国から接ぎ木用に「ゴールデンデリシャス」の穂木を導入した島 善隣(よしちか;1889-1964)を連想させるという。「接ぎ木」は2個以上の植物体を人為的に作った切断面で接着して,1つの個体とすることであり,果実は上部の穂木の性質を受け継ぐが,後述するように場合によっては遺伝子が混じり合って「キメラ」の果実を形成することがある。米地(2010)はまた「灯台看守」が持っている「リンゴ」が,赤色と黄色に色づく無袋の「ゴールデンデリシャス」であると推測している。

 

しかし,この「リンゴ」を初めて見たキリスト教徒の青年が「眼を細くしたり首をまげたりしながらわれを忘れて」眺めるぐらいのものだから,単に実在する栽培物の「ゴールデンデリシャス」をイメージしたものとは思えない。その「リンゴ」の大きさ,色,形状の何かが青年にかなりのインパクトを与えている。大きさもポケットに入るぐらいだからインパクトのある大きさではない。また,皮を剥いたときコルク抜きの様な螺旋状になるのだから形も普通の「リンゴ」と変わらないと思われる

多分,色と模様にインパクトを感じたのであろう。すなわち,半神半人であるヘラクレスの化身である「灯台看守」がもつ黄金と紅色で美しく彩られた「リンゴ」は,果実の皮が黄色(黄金色)と赤色の「縞模様」になっている「キメラ」の「リンゴ」をイメージしたものではないのか。大抵の人は,果皮が金色と赤色の明瞭な「縞模様」の「キメラ」の「リンゴ」を見たら我を忘れて眺めるであろう。

 

5.「区分キメラ」のリンゴ

植物学的に言う果実の「キメラ」とは, 同一果実内に遺伝子情報の異なる組織が混在する場合をいうが,その異なる遺伝情報を持つ組織が果実表面に「帯状」あるいは「縞状」に分布するものを「区分キメラ」,組織層を形成して重なるものを「周縁キメラ」と呼ぶ。これらは細胞の突然変異や「接ぎ木」で生じることがある(平田,2004)。例えば,園芸用語に「枝変わり(bud mutation)」というのがあるが,これは,茎や枝の生長点の細胞が突然変異を起こし,もとの茎や枝とは異なった果実を付けるようになることをいう。果樹で,有用な性質を持った「枝変わり」が生じると「接ぎ木」や「挿木」などで増殖させ,新しい品種として利用される(武田・山元,1991)。

 

ミカンではウンシュウミカンから早生ウンシュウ,「リンゴ」ではデリシャスからスターキングデリシャスの「枝変わり」が生まれている。例えば,ハウスミカンの「宮川早生」や「上野早生」の「枝変わり」の例では,果実の果梗部から果頂部にかけて,果皮にはっきりとした単一の「帯状模様」や「カラスウリ」のように「帯」が複数連なった「縞模様」が認められている(安宅,2014)。

 

「リンゴ」の「ゴールデンデリシャス」に関しても「区分キメラ」と思われる単一の「帯状模様」あるいは「縞模様」を発現しているものが生産者(あるいは発見者)の驚嘆する様子と一緒のWeb上で公開されている。賢治の生きた時代にも「キメラ」の「リンゴ」が学術雑誌に写真と共に報告されている(Castle, 1914; Ossian Dahlgren,1927<第2図>)。また,人為的な「キメラ」の作出としては,最近,杯軸の寄せ接ぎで食味に優れた「福原オレンジ」を果肉層に,また病害抵抗性の「川野なつだいだい」を果皮層にそれぞれ組み込んだ「周縁キメラ」が作出されている(大津,2016)。 

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第2図.区分キメラであるリンゴ.(Ossian Dahlgren von K.V., 1927).

賢治は,「銀河の祭り」で,科学を象徴する街燈を「聖木」である「もみ」や「楢」で縞状に包んだように,「縞模様」の「烏瓜のあかり」を持っている子供らに「ケンタウルス,露をふらせ。」と叫ばせている。これは前述したように「キメラのケンタウルスよ,宗教と科学の認識方法を「一致」させて真実を我々に明らかにせよ」という賢治の「魂」の切なる叫びであり,その叫びは「灯台看守」の持つ「リンゴ」となって現世に戻るジョバンニのポケットに大切に収められた。

「ほんとう」と「うそ」を見分ける方法の発見は,現在生きている我々に託されたのと同じである。「キメラ」は,その奇妙な姿からこれまで「理解できない夢」とか「実現しない夢や計画」の象徴とされてきた。賢治は,実際に「キメラ」という言葉を使って作品を創作している。童話『あけがた』(1922)は,明け方に見た夢を題材にしたと思われるが,「理解できない夢」の中の人物として「さまざまのやつらのもやもやした区分キメラ」の男を登場させている。『銀河鉄道の夜』では逆に実現させたい(あるいは理解したい)という願いと共に様々な「キメラ」を登場させているように思える。

すなわち,賢治は,「ほんとう」と「うそ」を区別する方法は,ギリシャ神話に出てくる想像上の「キメラ」のようにほとんど実現不可能(プレシオスの鎖)と思われるようなものでも,生物学上の「縞模様」を示す「キメラ」が実際に存在する限りかならずあると信じている。実際に,賢治は『銀河鉄道の夜』を実験場にして,「法華経」に記載されている様々な「方便」や「聖書」の「エピソード」と天文学,考古学,心理学,地質学,農学などの科学知識を「キメラ」の「リンゴ」ように「癒合」させ,「ほんとう」と「うそ」の見分け方を模索している。その象徴が「縞模様」の「烏瓜のあかり」であり,「鍵」を腰に下げた灯台看守が現世に戻るジョバンニに渡した「縞模様」の「キメラ」の「苹果」であろう(第3図)。

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第3図.黄金と紅色で彩られた苹果のイメージ図.   

天上世界ではこの「苹果」 は,余分な所がないので食べても全てが吸収されて排泄されるものがなく,また剥いて捨てた皮も床に落ちる前に蒸発してしまう。「リンゴ」は,植物学的には花床が果実になるということで「偽果」(うその果物)に分類されているが,ジョバンニには「ほんとう」の食物としての「苹果」を渡したのかもしれない。

 

引用文献

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本稿は人間・植物関係学会雑誌16巻第2号33~37頁2017年に掲載された自著報文(種別は資料・報告)を基にしたものである。原文あるいはその他の掲載された自著報文は人間・植物関係学会(JSPPR)のHPにある学会誌アーカイブスからも見ることができる。http://www.jsppr.jp/academic_journal/archives.html