宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

植物から『銀河鉄道の夜』の謎を読み解く(総集編Ⅱ)-リンゴの中を走る汽車-

Keywords: 文学と植物のかかわり,臨死体験,鉄の船,宙に浮く汽車,夢の橋

 

童話『銀河鉄道の夜』(第一次~第四次稿)に登場する汽車は宙に浮いて銀河の中を走る。このファンタスチックな夢の中の汽車には「リンゴ」の匂いも漂っている。本稿では,なぜ宙に浮いた汽車には「リンゴ」の匂いがしてくるのか,また汽車は空の工兵大隊が作った「鉄の橋」を渡ったのかについても説明する。

 

1宙に浮く汽車はリンゴの匂いに包まれている

1)乳幼児期の記憶

賢治は,「宙に浮く汽車」という発想をどこから得たのであろうか。賢治研究家で思想家でもある吉本(1996)は,『銀河鉄道の夜』,『氷と後光(習作)』,詩集『春と修羅』の「青森挽歌」に共通する「夜の闇を走る列車のそこだけが明かりがともり,暖かい,宙に浮いたような箱という賢治の生涯をいつも流れる原型的なイメージ」を「原風景」と考えた。この「原風景」は,文芸評論家で化学技術者の奥野(1972)の言葉では,文芸作家達の作品の底を流れる幼い頃に「自己形成とからみあい血肉化した,深層意識ともいうべき風景」を,別の言葉で言えば,「その作家の魂に焼き付いて永遠に離れなくなった,記憶のひとこま」のことである。

 

「青森挽歌」は,「こんなやみよののはらのなかをゆくときは/客車のまどは水族館の窓になる/(乾いたでんしんばしらの列が/せはしく遷ってゐるらしい/きしゃは銀河系の玲瓏レンズ/巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる)」という美しい詩句で始まる。また,『氷と後光(習作)』では,客車の中の「こどもの頬は苹果のやうにかゞやき,苹果のにほひは室(へや)いっぱい」に充満している。著者は,前者の詩句の汽車が「りんごのなかをかけてゐる」や後者の客車が「苹果の匂いでいっぱい」に注目して,吉本が示した賢治の「原風景」の「宙に浮いたような箱」を「宙に浮いたようなリンゴの匂いのする箱」と言い直して,賢治の「原風景」の基になる深層意識に踏み込んでみた(石井,2016b)。 

 

「原風景」と関係する「リンゴ」が『銀河鉄道の夜』に最初に登場するのは,五章の「天気輪の柱」である。ジョバンニは,母に届いていない牛乳を牧場にとりに行くが,その途中に同級の子供らにからかわれて「天気輪の柱」のある「黒い丘」に逃げるように向かう。ジョバンニは孤立感の中で「寂しさ」に堪えながら「黒い丘」から町を見渡す。すると,町を走る列車とその一列の窓が小さく赤く見えるが,ジョバンニはその列車の中で「苹果(りんご)を剥いたり,わらったり,いろいろな風にしてゐる」たくさんの旅人のことを考えて悲しくなってしまう。

 

「列車の赤い窓」から「リンゴ」が呼び起こされる理由は,ジョバンニというよりは賢治自身の遠い記憶(乳幼児期)の中にあるように思える(石井,2016b)。賢治は,『銀河鉄道の夜』に登場する汽車のモデルとされる花巻から北上山地の仙人峠間を走る岩手軽便鉄道(1913~1936)の列車(小さな蒸気機関車とそれが牽引する客車)を遠くからあるいは近くから何度も見ていたと思われる。そして闇夜の中を走る小さな列車の一列に並んだ「窓の明かり」から様々な想像を掻き立てられた。もしかしたら,その中に賢治の乳幼児期の宮沢家の土間の「竈(かまど)=へっつい」の「明かり」に関する記憶もあったのかもしれない。

 

「竈」は鍋や釜をかけ,下から火をたいて煮炊きする設備である。「竈」の構造は,鍋をかけるところである火口(ほくち)と薪(たきぎ)をくべるところである「焚口(たきぐち)」から成る。家族や使用人の数に応じて大小の「竈」が発達し,火口が3個ある「三つべっつい」,それ以上の「五つべっつい」,「七つべっつい」などがある。「竈」は,ほとんど日が射さない薄暗い土間にあるので,一列に並んだ四角い「焚口」から漏れる「炎(=焔)」は,見様によってはあるいは遠くから見れば夜行列車の客車の複数の「窓の明かり」に見えないことはない。「焚口」が4つある「竈」を第1図に挙げておく。

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第1図.4個の焚口のある竈(吉田好宏の文献にある写真を基に作成).

 

(2)嬰児籠から見た風景

賢治は,乳幼児期の一時期に母との関係の希薄さを象徴すると思われる「嬰児籠(えじこ)」の中で育てられたという(石井,2016b)。「嬰児籠」は,岩手県などの東北地方の主に貧しい農家で,農作業時などで家を長時間離れなければならないときに使われる乳幼児を入れておくための揺り籠のような用具である。裕福な商家の宮沢家で賢治がなぜ「嬰児籠」で育てられたのかはわからないが,「母」イチは農家の嫁のように家業の手伝いで忙しかったのかもしれない。

 

年譜によれば,「母」イチは料理に煩く注文をつける舅の相手や病弱な姑の介護,娘(賢治の妹)のトシやシゲの世話,あげくは古着を沢山買う上客を座敷にあげて酒肴(しゅこう)をもてなす宮沢家の習わしの中で多忙を極めたという。実際に,年譜から見て取れるのは賢治の子守をしているのは叔母たちである。すなわち,賢治は,闇夜を走る軽便鉄道の小さな列車の一列の「窓の明かり」から,乳幼児期に「嬰児籠」から見た薄暗い土間に置かれた「竈」の一列の「焚口」の「炎=(明かり)」を「寂しさ」と一緒に思い出していたのかもしれない。

 

賢治の詩集『春と修羅 詩稿補遺』の中の「心象スケッチ 林中乱思」には,「何とこの焔の美しさ/柏の枝と杉と/まぜて燃すので/こんなに赤のあらゆるphaseを示し/もっともやはらかな曲線を/次々須臾(しゅゆ)に描くのだ/それにうしろのかまどの壁で/煤かなにかが/星よりひかって明滅する」(下線は著者)とある。この詩では,カシワとスギの枝を混ぜて薪にすれば「焚口」から見える「炎」は赤くなること,そして「竈」の火口から空中に飛散した煤が燃えて星のように点滅することが描かれている。まるで星々の中を飛行する「宙に浮く」銀河鉄道の列車のようである。

 

「かまど」という表現は,賢治の詩「心象スケッチ 林中乱思」以外では,童話『猫の事務所』と『紫紺染めについて』の中で登場する。『猫の事務所』では,「心象スケッチ 林中乱思」と同様に土間に置かれている調理設備の「竈」であるが,『紫紺染めについて』に登場するのは「リンゴ」の「芯」のことを言っている(第2図)。この物語には,「そこでみんなは青いりんごの皮をむきはじめました。山男もむいてたべました。そして実をすっかりたべてからこんどはかまどをぱくりとたべました」(下線は引用者)とある。このように,賢治は,調理設備の「竈」と「リンゴ」の「芯」という異なった意味のものを同じ「かまど」という言葉で表現している。

 

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第2図.リンゴの縦断面.

ちなみに,「リンゴ」の「芯」を「竈」と呼ぶのは,「火」を扱う「竈」が生活(家庭)の第一のよりどころ,生活の「中心」であることから付けられたという。すなわち,賢治にとって,闇夜を走る列車の「窓の明かり」から「竈」の「焚口から漏れる明かり」,そして「リンゴ」を想像することはたやすいことだったはずである。

 

賢治は,果物では「リンゴ」と「トマト」と「ナツミカン」が好きだった。特に,「リンゴ」は主に生でかじるのが好きだったようだが,教員時代には冬に「リンゴ」をストーブの上で焼いて食べるのが得意だったという。賢治の幼少時代には,母親が賢治たちにこの「焼きリンゴ」を「竈」を使って作っていたのかもしれない。この時は,土間に通じる部屋は「リンゴ」の「匂い」で充満していたと思われる。

 

すなわち,「夜の闇を走る列車のそこだけが明かりがともり,暖かい,宙に浮いたようなリンゴの匂いのする箱」という『銀河鉄道の夜』にも通じる「原風景」は,生活の中心を「竈」に置いた宮沢家の賢治の乳幼児体験に基づくものと思われる。そして,母と稀薄な関係であった乳幼児体験を基に列車が宙に浮くという『銀河鉄道の夜』は創作されたと思われる。

 

2.「鉄の船」はあの世とこの世を結ぶ

1)空の工兵大隊が作る鉄の橋

カムパネルラは,友達(ザネリ)を助けるために川に飛び込み,その後行方不明になる。第四次稿では,この時間は約45分である。この時間は,ジョバンニが「黒い丘」で眠っていた時間でもある。ジョバンニは,この約45分間の夢の中で銀河鉄道の列車内のカムパネルラと一緒だった。

 

銀河鉄道の列車は,夢の後半部分で空の工兵大隊が「鉄の舟」を使って架橋練習をしているところを通過する。実際に,工兵が軍事的に架橋に使ったものにも「鉄の船」があったようである。船を並べてその上に架台(橋板)を渡した「浮橋(あるいは舟橋)」と呼ばれたものである。物語では銀河鉄道の列車がこの「鉄の舟」を並べて作った「橋(浮橋)」を渡ったとは記載されていない。しかし,物語にはこの「浮橋」を渡ったことを示唆するヒントが散りばめられている。

 

カムパネルラは夢の中で乗車直後に銀河鉄道の線路が書き込まれた黒曜石でできた「円い板のやうな地図」(星座早見のような星座図)を貰うことになるが,この地図には「天の川の左の岸に沿って一条の鉄道線路」が北から南へ向かって書き込まれている。

 

すなわち,カムパネルラと一緒のジョバンニは,この地図を進行方向に沿って眺めたとき,「琴座」(橄欖の森)や「蠍座」の赤い星である「アンタレス(=蠍の火)」は天の川(銀河)の左の岸(の線路上)にあるのを確認できたはずである。しかし,物語では銀河鉄道の列車が左岸の「橄欖の森」の中を通過してしばらく経った頃に,ジョバンニは本来同じ岸にあるはずの「蠍の火」を川の向こう岸(対岸)に見ることになる。多分,銀河鉄道の列車は,地図に書かれてある鉄道線路を離れて空の工兵大隊が作った「浮橋」を渡って対岸(あの世)に行ったと思われる(石井,2019d)。

 

2)夢の橋

古くからある民話や伝承に出てくる「橋」には,「この世」と「あの世」を繋ぐものがあるという。例えば,瀕死の病人が,病床で夢現の中で「橋の夢」を見た。「橋」の向こうはすばらしく綺麗な所で,この「橋」を渡ればきっとすばらしい世界に入れると思って途中まで行くが,どうしても「橋」の向こうへは行けずに苦しんでいる。しかし,夢から覚めることができ,同時にその重病人は助かったというものである。この「橋の夢」が意味するものは,「橋」を渡り向こう側へ行ってしまったら,意識を取り戻すことなく死んでしまうが,「橋」を渡らなければ助かるというものである。

 

多分,カムパネルラは川に落ちて意識が朦朧としているときに「濡れた上着」を着て三途の川に喩えられる銀河に沿って走る鉄道の列車に乗った。そして,乗車してからおよそ15〜30分後に列車で「鉄の舟」でできた「橋」を渡ってしまったと思われる。

 

賢治が生きた時代の医学(救命医療)の水準がどの程度であったか分からないが,1981年にフランスのカーラー(Morely Cara)が作成した救命曲線によれば呼吸停止後約10分過ぎれば50%の人が,さらに15〜30分でほぼ100%の人が救命措置をしても助からないという。すなわち,水没後30分以上経過しているということは,医学的に蘇生不可能な死を意味する。察知能力があると思われるジョバンニは,「黒い丘」で覚醒し,夢の中で「橋」を通過したことを思い出した時,カムパネルラの死が頭によぎったと思われる(石井,2019d)。

 

「橋」を渡ったカムパネルラは,仏教的には六界(地獄,餓鬼,畜生,修羅,人間,天)の1つで「兜率天」のある「天界」へ輪廻転生したと思われる。さらに,カムパネルラはサウザンクロスの停車場近くで「石炭袋」が見える方角の「きれいな野原」を「ほんたうの天上」と言うが(第三次と第四次稿),この「きれいな野原」は輪廻しないとされる「如来界(仏界)」であろう。

 

賢治が,宗教(仏教)と科学の一致を模索したことは総集編Ⅰ(石井,2020)で報告した。賢治は,この仏教的宇宙観をどのように科学的に解釈したのであろうか。賢治が「天界」を「太陽系」に,「仏界」を「銀河系」などの「星雲」に対応させた宇宙観を作り上げたと推論する研究者がいる(鈴木,1994)。また死者であるカムパネルラと一緒にいた生者のジョバンニには,この「きれいな野原」は「ぼんやりと白くけむっている」としか見えなかった。多分,鈴木の説を借りればカムパネルラが見た「ほんたうの天上」(仏界)は,賢治が殉教的な決意を託した「銀河系」の近くにある晩銀河である「マゼラン星雲」であろう。「マゼラン星雲」は,南半球の南天の空に白くぼんやりして雲のように見える。

 

 3)河原なでしこは聖と俗を分かつ花

天上にある「生」と「死」の境界である「橋」の手前にある植物は,「河原なでしこ」である(第1図)。「カワラナデシコ」<Dianthus superbus L.var.longicalycinus (Maxim.) F.N.Williams >はナデシコ科の多年草で大和撫子とも言うが,この「撫子」とはあまりの愛らしさにずっと撫でてやりたい愛児あるいは愛娘というのが語源であるという。

 

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第3図.カワラナデシコ

 

「撫子」は,法華経の影響を色濃く反映させている『源氏物語』に登場する植物としても知られている。『銀河鉄道の夜』の「鉄の舟(浮橋)」が出てくる場面は,この『源氏物語』の最終巻名である「夢の浮橋」やそこに出てくる<浮舟>という女性の名をイメージして創作したものと思われる(石井,2014a)。<浮舟>は,『源氏物語』では二人の男性(薫の君と匂宮)から求愛され悩み疲れて入水自殺を計るが,死にきれずに横川の僧都(そうず)により助けられ出家する。横川の僧都は村上天皇より法華八講の講師に選ばれた平安時代の天台宗の僧侶・源信(942~1017)がモデルとされる。

 

カムパネルラも<浮舟>も同じく自分の意志で入水するが,カムパネルラは級友を助けるためであり,一方<浮舟>は自分の苦しさから逃れるためである。「橋」の手前に咲く「カワラナデシコ」は入水したが生還した<浮舟>を象徴している。人のためになるなら自分を犠牲にすることも厭わないものを「聖」とすれば,『銀河鉄道の夜』に登場する「橋」は,「生」と「死」だけでなく「聖」と「俗」を別つ境界でもある(石井,2014a)。

 

 4)夢の中の天上世界はカムパネルラが瀕死の状態で見た「走馬灯」

物語では,異空間である天上世界はジョバンニの見た夢として表現されているが,実際はカムパネルラが水没し瀕死の状態で見た夢の中に,ジョバンニが「黒い丘」で入眠するのと同時に入り込んだものと言った方が適切かもしれない。人は死の間際に,特に溺死や自動車事故などの死の危機に瀕するとき,これまでの人生を一瞬で追体験する「走馬灯」(パノラマ体験,パノラマ視現象とも言われる)がよぎるということが言われている(ドラーイスマ,2009)。この「臨死体験」は,ときに身近な家族や友人と「分かち合われ」,「共有」されることもあるという(ムーディ・ペリー,2012)。「臨死共有体験;shared death experiences」と呼ばれている。

 

『銀河鉄道の夜』では,夢の中でこの二人を見つめているもう一人の眼の視線が存在する。これは臨死体験者が語る,「上方」(天井)から眼だけになった自分が自分の姿を見ている視線でもある(吉本,1992)。著者は,以前にこの童話が『アイヌ神謡集』の第1話の神謡「梟の神の自ら歌った謡“銀の滴降る降るまわりに”」をヒントに創作されたことを報告した(石井,2018a)。神謡では「梟」(シマフクロウ)がアイヌの子供に矢で射られ瀕死の状態になった(あるいは死んだ)とき,「梟」の霊魂(アイヌ語でラマッ “ramat”)が屍から離れ自分の屍の「耳と耳の間」に座って「この世」と「あの世」の境目の様子を物語る。すなわち,賢治は『アイヌ神謡集』の屍から離れた霊魂が物語を語るという手法を『銀河鉄道の夜』でも使用している。

 

死に瀕していなくても精神障害の1つである「解離性障害;dissociative disorders」の患者にも「臨死体験」と似たような現象(例えば離人感)が認められるという。賢治は,「解離性障害」とは言われていないが,「解離」を呈しやすい傾向を持っていたという(柴山,2007;浜垣,2019)。賢治はまた,「共感覚」,「予知」,「感覚過敏」,「幻覚」など特殊な感覚体験を有していることも知られている(石井,2013a)。

 

このように,ジョバンニとカムパネルラが同時に見た天上世界を旅する夢は,賢治が投影されているカムパネルラが水没後に瀕死の状態で見た「走馬灯」であったと思われる。

 

この不可思議な心理的体験は,特殊な感覚体験と「解離」しやすい傾向を持つ賢治が実際に重篤な病気に陥った時あるいは妹トシの臨終の際に経験したものと思われる。妹トシの死を描いた詩集『春と修羅』の「青森挽歌」(1923.8.1)でも,死の世界へ旅立つ妹との「魂の交信」が表現されている。日本語の「魂 “tamasii”」は,アイヌ語のラマッ “ramat”から導かれるという研究者もいる(梅原・藤村,1999)。(続く)

 

引用文献

ドラーイスマ,D.(鈴木 晶訳).2009.なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 記憶と時間の心理学.講談社.東京.

浜垣誠司.2018(更新年).宮沢賢治の詩の世界 「おかしな感じやう」の心理学-「心象スケッチ」における賢治の超常体験の特徴.2019.8.31(調べた日付).http://www.ihatov.cc/doc/summer_seminar2018.pdf

石井竹夫.2014a.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する聖なる植物(前編・中編・後編).人植関係学誌.13(2):27-38.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/22/081209 https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/22/082607 https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/22/083625

石井竹夫.2016b.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する列車の中のリンゴと乳幼児期の記憶.人植関係学誌.15(2):27-30.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/18/090817

石井竹夫.2018a.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の発想の原点としての橄欖の森-カムパネルラの恋(前編・中編・後編)-.人植関係学誌.17(2):15-32.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/11/162705 https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/11/173753 https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/11/185556

石井竹夫.2019d.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の発想の原点としての橄欖の森-異界の入口の植物-.人植関係学誌.19(1):25-31.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/17/103821

石井竹夫.2020.植物から『銀河鉄道の夜』の謎を読み解く(総集編Ⅰ)-宗教と科学を同じにさせる-.人植関係学誌.19(2):19-28.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/04/145306

ムーディ,R.・P.ペリー.(堀 天作訳).2012.永遠の別世界をかいま見る 臨死共有体験.ヒカルランド.東京.

奥野健男.1972. 文学における原風景-原っぱ・洞窟の幻想.集英社.東京.

柴山雅俊.2007.解離性障害-「うしろに誰かいる」の精神病理.筑摩書房.東京.

鈴木健司.1994.宮沢賢治 幻想空間の構造.蒼丘書林.東京

梅原 猛・藤村久和.1999.アイヌ学の夜明け.小学館.東京.

吉本隆明.1992.おもろさうしとユーカラ.pp. 2-16. 村崎恭子(編集・執筆)・池宮正治(編集・執筆)・吉本隆明(エッセイ).新潮古典文学アルバム別巻 ユーカラ・おもろさうし.新潮社.東京.

吉本隆明.1996. 宮沢賢治.筑摩書房.東京.

吉田好宏.2021(更新年).かまどに関する文化的考察http://www.hibana.co.jp/sinktank/11reading/02kyo-no-shintanbunka/01_kamado-no-bunkashi/kamado-no-bunkashi.pdf

(著者文献の年号に付く記号は総集編Ⅰに準じる)

 

本稿は人間・植物関係学会雑誌19巻第2号29~32頁2020年に掲載された自著報文(種別は資料・報告)を基にしたものである。原文あるいはその他の掲載された自著報文は人間・植物関係学会(JSPPR)のHPにある学会誌アーカイブスからも見ることができる。http://www.jsppr.jp/academic_journal/archives.html