宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『やまなし』-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語(2)-

Keywords: アイヌ語,蝦夷,カゲロウの幼虫,カシワ,鬼神,コルボックル論争,クラムボン,涙ぐむ目,ニンフ(妖精),杉,スイレン属,手宮洞窟

 

前稿(Shimafukurou,2021a)では〈クラムボン〉の正体の解明を試みた結果,〈クラムボン〉には従来の解釈と異なり先住民の女性が投影されていて,賢治の悲恋物語が描かれているという新しい説を得ることができた。本稿の前半に相当する項目「1」の「1)物語の背景にあるコロボックル論争」から「3)〈クラムボン〉に対する古アイヌ語を基にした新しい解釈」までは植物を取り上げずに〈クラムボン〉の語源について検討し,後半の「4)〈クラムボン〉と恋人の関係」から「2.アイヌは東北の先住民か」までは悲恋物語であるという新説が童話『やまなし』発表前後の作品に登場する植物を読み説くことによって裏付けられるかどうか検討する。

 

1.なぜ川底の小生物を恋人の比喩である〈クラムボン〉と呼んだのか

それは〈クラムボン〉が遠い昔から谷川の川底に住んでいたことと関係がありそうである。北海道や「東北」の「アイヌ」あるいは「蝦夷(エミシ)」も遠い昔から同じ土地に住んでいた。賢治が生きていた時代には,さらに彼らよりも前に住んでいたとされている「先住民」が話題になっていた。すなわち,「アイヌ」の伝説にある北海道の「先住民」であるとされた「コルボックル」が「アイヌ」か「非アイヌ」かが盛んに議論されていた(瀬川,2012)。

 

「コロボックル」の名称は,天明5年(1785)から6年にかけて「蝦夷(エゾ)地」(今の北海道)を調査した探検家である最上徳内の著書『渡島筆記』(1808)に記載されている。

 

これによれば「コロボクングルといふものあり,是も古の人にして,時世いつなることを失ふ。コロボクングル仔細に唱ふれば,コロボツコルウンクルなり。又ボク実はボキなり,コロとはふきの葉なり。ボキ此にボツと略称す。ボキは下といふことなり。コルは持なり,ウンは居也,住也。グルは人といふ義なり。則ふきの葉の下にその茎を持て居る人といへることなり。」とある。すなわち,「コロボックル」は「フキの葉の下に住んでいる人」の意味であると推測されている。アイヌの伝説として伝えられている「小人種」のことである。ただ,北海道に自生するフキは「アキタブキ」(Petasites japonicus (Siebold et Zucc.) Maxim.Subsp. giganteus (G.Nicholson) Kitam.)の一種で「ラワンブキ」というのがあるがこのフキは高さが3mに及ぶものがある。

 

賢治も「コロボックル」という言葉を知っていた。賢治の詩集『春と修羅』の「樺太鉄道」(1923.8.4)には,「おお満艦飾のこのえぞにふの花/月光いろのかんざしは/すなほなコロボックルのです」とある。「えぞにふ」は,セリ科シシウド属の「エゾニュウ」(Angelica ursina (Rupr.)Maxim.)のことで,花は白で複散形花序である。1つの散形花序は賢治の詩にあるように「かんざし」のようでもある。

 

賢治は「コロボックル」以外にも伝説上の「小人」を作品の中に多数登場させている(佐藤,2008)。短編『うろこ雲』(1922)では「銀の小人」,詩「滝沢野」(1922)では「Green Drwarf(緑の小人)」,詩〔鉄道線路と国道が〕(1924.5.16)では「赭髪(あかがみ)の小さなgoblin」が登場する。「goblin(ゴブリン)」はケルト民俗由来の悪戯好きの妖精である。賢治は,「小人」に「妖精」のイメージを重ねているようにも思える。 

 

「コロボックル」と関係するものとして「手宮文字」がある。賢治の詩集『春と修羅』の詩「雲とはんのき」(1923.8.31)に出てくる。

 

「手宮文字」は,小樽市近郊の凝灰岩が露出している「崖の下」の「洞窟」の壁に刻まれた線刻画のことで,北海道の「先住民」が残したものとされている。この壁画のようなものは,沢山の「頭に角(つの)を持つ人物」あるいは秋田の男鹿半島の「なまはげ」のような「角のある面を付けた人物」に見える。1600年前頃の続縄文時代中頃から後半の時代のものと推定されている。「石斧」や「土器」も発掘されていて,1921年に国指定史跡になっている。渡瀬荘三郎(1886)は,この洞窟遺跡や近傍の竪穴住居跡が「コロボックル」のものであるとして人類学会で紹介した。ただし,この論文は「コロボックル」のものとしては確証に乏しく,人類学へのロマンをかき立てるようなものであった。

 

1)物語の背景にあるコロボックル論争

コロボックル論争(1886~)は,渡瀬の人類学会での報告に白井光太郎が辛辣に批判したことがきっかけで,人類学者の坪井正五郎と解剖学者の小金井良精の間で起こった「日本人の起源」をめぐる論争である。坪井は「アイヌ」が石器や土器を使った記憶を残していないことと,「アイヌ」の小人伝説から「石器(縄文)人」=非アイヌ説をとる。彼は,「コロボックル」は背が小さいと言われているエスキモーやアメリカ大陸からベーリング海峡にかけて散在している島々に棲むアリュート人が潮流に乗って千島から日本列島へ来て日本の原住民になった人達という説を唱える。

 

一方,小金井は,「アイヌ」と狩猟採取の民である「石器(縄文)人」の骨格を比較し,「アイヌ」は石器(縄文)人の末裔であり,その後新しく渡来した人たちに追われ北上し,ついには北海道に閉じ込められた,いわゆる「石器(縄文)人」=アイヌ説を唱えた(梅原・埴原,1993;金田一,2004;阿部,2012)。その後,鳥居(1903)は千島アイヌが石器や土器を使っていたことを発見し,また千島アイヌ,蝦夷(エゾ)アイヌ,樺太アイヌの身長がほぼ同じであるという情報が得られたことなどから,「アイヌ」以外に背の小さい「先住民」がいたという坪井説は劣勢となっていった。ちなみに明治時代に石器や土器を使っていたという千島アイヌの身長(男子7名の平均158cm)は同時期の日本人の身長ともほぼ同じであったという。

 

2)〈クラムボン〉と「コロボックル」の関係

筆者は,童話『やまなし』に登場する「樺」の植物名が後述(次稿)するアイヌ語に由来すると思われることから,〈クラムボン〉もアイヌ語と関係すると考えている。〈クラムボン〉がアイヌの伝説の小人「コロボックル」と関係があると最初に示唆したのは山田貴生であろう。彼は高知大学宮沢賢治研究会の機関誌(注文の多い土佐料理店)に,「クラムボン」はアイヌ語で分解すると「kur・人,男,ram・低い,pon(bon)・子供)」になり,「アイヌ各地に分布する伝説の小人・コロボックルである」と報告している(山田,2006)。山田は「イサド」もアイヌ語で解釈できるとして,「i・そこの,sat・乾いた,to・沼」だとしている。

 

「コロボックル」は文字として残されたものではなく,「アイヌ」の口碑によって伝承されたものなので様々な呼び名の名称として残されている。例えば,アイヌ研究家のジョン・バチラーは,彼らは「koropok un guru(コロボク・ウン・グル)」と呼ばれていたと著書で記している(仁多見・飯田,1993)。バチラーは,「コロボックル」を「フキの葉の下の人」ではなく「下の方の住民たち」と解釈し,「corpok・下に」を「korkoni・フキ(蕗)」とするのは誤訳であると指摘している。バチラーは,当時北海道で発掘されていた竪穴住居の遺跡が「アイヌ」のものであると推測していた(阿部,2012)。竪穴住居とは深さ90cmくらいの穴を掘り窪めて複数の柱を立て「アシ(葦)」などの植物を使って屋根を葺いた家屋である。

 

北海道余市町にも,小樽市の「手宮洞窟」と同じ時代のものとされる「フゴッペ洞窟」が残されている。この洞窟にある陰刻画も「先住民」が描いたとされ,その陰刻画には「角を持つ人」以外に舟や魚などもあった。

 

アイヌ人の詩人で思想家の違星(1972)が余市町の古老に「アイヌ」の先住民族「コロボックル」について訪ねたとき,古老は「お前はコロボックルといふが,それはさうぢゃないkurupun unkurといふんだ,クルは岩だ,水かぶり岩だ,ナニ水の底にあるごろんだ(粒々の)石のことだ,ナンデモ石に親しんだもので恰(あたか)も石の下にでもゐるやうな人種だからアイヌはこれを形容してクルプンウンクルとよんだもんだ」(昭和2年7月3日)と答えたという。

 

さらに話は続き,「私は非常に面白いと思った。私の兄に話したら「馬鹿いへ,水かぶりの石の下・・・サル蟹ぢやあるまいし」と一笑に付されたのであるが,発音はkurupun unkurといふのが正しいと父もいってゐたのである。石に親しんだものだから石の下の人とよび,背が低かったから色々な説話もうまれたものであって,要するに実在の重要な反映を做(な)すものである」とある。引用文にあるサル蟹は「サワガニ」のことと思われる。

 

3)〈クラムボン〉に対する古アイヌ語を基にした新しい解釈

「kur・クル」はアイヌ語で「人」あるいは「影」だが,「kut・クッ」には古いアイヌ語で別の意味がある。言語学者で盛岡出身の金田一(2004)によれば,「kut・クッ」は「岩層・断崖」を意味するとある。陸奥二戸郡福岡付近に岩山があるが,古くは尻屈(シリクツ)山あるいは尻口(シリクチ)山と呼ばれていた。「シリ」は山のことで,「クツ」あるいは「クチ」は岩層のことであるという。北海道の旭川にも似た岩山(神居岩)があり,「kut ne sir・クッネシリ」という。アイヌ語で「岩崖になっている山」という意味だという。

 

ちなみに,アイヌ語で「ra・ラ」は「下方」あるいは「低い所」を示す名詞で,「un・ウン」は「~にいる」で,「pon(bon)・ポン(ボン)」は形容詞の「小さい」という意味である(田村,1982;知里,1992)。名詞の「小さい子」は「po・ポ」である。アイヌ語で「p」と「b」は同一の音素で区別しない。「u」は,音節のつながり方によって,省略される場合がある。例えば,鬼志別(onispet)は,「o ni us pet」(川口に・木が・たくさんある・川)の「u」が省略されたものである(佐藤,1977)。すなわち,〈クラムボン〉は,アイヌ語で「kut・岩崖, ra・低い所,un・にいる, bon・小さい」(kut ran bon)に分解できるかもしれない。

 

また,「コロボックル」が「コロボツクル・ウンクル」の略称であったように,〈クラムボン〉も略称である可能性があり,本当は「クラムボン・ウンクル」と呼んだ方が良いのかもしれない。「アイヌ」の古老が記憶していた「kurupun unkur・クルプンウンクル」(石の下の人)は,「kut・岩崖, ra・低い所,pon・小さい,unkur・人」の変化したものと思われる。

 

筆者は,〈クラムボン〉の名称が「アイヌ」の伝説に登場する「先住民」を指す言葉「コルボックル」に由来すると考えているが,今のところ,(1)山田説か,(2)「kut・岩層(岩崖)」と「ra・下方」と「un・にいる」と「bon・小さい」とした賢治の造語か,あるいは(3)「kurupun unkur」やそれに類似した別称の発音を真似たもののうちのどれかはわからない。しかし,筆者は(2)が最も可能性が高いと考えている。

 

4)〈クラムボン〉と恋人の関係

賢治は,前述したように小樽市近郊の「崖下」の「手宮洞窟」の壁に刻まれた陰刻画に強い関心を示している。詩集『春と修羅』(第二集)の詩「休息」でも積乱雲が様々に形に変えていく様を「手宮洞窟」のものと思われる線刻画と重ね「古い洞窟人類の/方向のないLibidoの像を/肖顔(にがほ)のやうにいくつか掲げ」(下線は引用者)と比喩したりしている。「角を持つ人物像」と「方向のないLibidoの像」の「肖顔」とはどのような関係があるのだろうか。

 

「リビドー」とは様々な欲求に変換可能な無意識を源泉とする性的エネルギーとされるものである。多分,その答えは詩「雲とはんのき」の中にある。詩には「(ひのきのひらめく六月に/おまへが刻んだその線は/やがてどんな重荷になって/おまへに男らしい償いを強ひるかわからない)/手宮文字です 手宮文字です」(宮沢,1986)と記載されていた。この詩にある「おまえ」を賢治とすれば,賢治は線を何に刻んだのか。別な言葉に置き換えれば,誰を傷つけたのだろうか。償いをしなければならないとあるので,恋の破局の相手であろう。

 

「ひのきのひらめく六月・・・」の詩句は,この詩を書いた3か月前の「風林」(1923.6.3)と「白い鳥」(1923.6.4)という2つの詩の中に記載されたものと関係があると思われる。

 

前者には「かしはのなかには鳥の巣がない/あんまりがさがさ鳴るためだ・・・・」(下線は引用者)とあり,後者には「ゆうべは柏ばやしの月あかりのなか/けさはすずらんの花のむらがりのなかで/なんべんわたくしはその名を呼び/またたれともわからない声が/人のない野原のはてからこたへてきて/わたくしを嘲笑したことか」と記載されている。「風林」の中の「かしはのなかには鳥の巣がない」の詩句は,昭和6(1931)年頃と思われる「雨ニモマケズ手帳」に記載された文語詩〔きみにならびて野に立てば〕の下書稿の詩句「きみにならびて野にたてば/風きらゝかに吹ききたり/柏ばやしをとゞろかし/枯葉を雪にまろばしぬ(中略)「さびしや風のさなかにも/鳥はその巣を繕はんに/ひとはつれなく瞳(まみ)澄みて山のみ見る」ときみは云ふ」(下線は引用者)に対応している。

 

「かしは」あるいは「柏」は,ブナ科の落葉樹の「カシワ」(Quercus dentata Thunb.)のことである。「カシワ」の葉は,落葉樹であるが,新芽を守るため葉が枯れても風が吹いても春が来るまでは落ちない。〔きみにならびて野に立てば〕の「きみ」は恋人のことで,恋人は賢治に「強風の中でもカシワの葉は落ちないし,鳥も巣を作っているのになぜあなたはそうしないの」と訴えていた。

 

恋人は,どんなに反対されても賢治と「家庭(巣)」を作って,自分の性的エネルギーの全てを「家庭」に投入するはずであった。しかし,その夢も近親者らの反対などで破れ,方向を失った恋人のLibidoは他へ向かわざるを得なかったと思える。そして,そのLibidoの向かった先の1つが,賢治によって刻まれた「怒り」を象徴する「顔」の「角(鬼)」だったのだろう。賢治は洞窟の壁に刻まれた「角を持った人物像」に恋人を重ねているように思える(石井,2018)。

 

賢治は,〈クラムボン〉に〈ウンクル〉を付けた〈クラムボン・ウンクル〉を,「フキの葉の下に住んでいる人」ではなく,余市の古老が話したように「石の下の人」あるいは「岩崖の下方の小さい人」(さらに深読みすれば岩崖の下の洞窟に住んでいる小人〈妖精〉)という意味で使ったのかもしれない。すなわち,推測ではあるが「先住民」の末裔である恋人とイメージが重なる遠い昔の洞窟に住んでいた人という意味である。

 

5)〈クラムボン〉はカゲロウの幼虫のことかもしれない

筆者は,「コロボックル」が「石の下の人」であるとする余市アイヌによる解釈や,「下の方の住民たち」というバチラーの解釈には興味を持っている。「サワガニ」だけでなく「カゲロウ」などの水生昆虫(幼虫)も石の下に生息しているからである。「ヒメフタオカゲロウ」の幼虫は石の下だけでなく巨石の下流側の淀みにも生息している。賢治もバチラーの解釈は知っていたかもしれない。また,「カゲロウ」の幼虫は,水中あるいは水面で脱皮するときに羽が立ち上がる。釣り人はこれを「カゲロウ」が「立ち上がる」と言うらしい(刈田,2000)。一方,「カワシンジュガイ」は石の下にというよりは砂礫(されき)や石礫(せきれき)質の河床に殻を半分ほど埋めて「立ち上がる」ような状態で生息している。

 

「カゲロウ」は,水生の幼虫のあと,有翅(ゆうし)の亜成虫期を経て成虫になる。これを不完全変態と呼ぶ。「カゲロウ」の幼虫は,完全変態する「トビケラ」の幼虫「ラーバ(larva)」と区別するために「ニンフ(nymph)」と呼ぶ。また,「カゲロウ」の仲間は5月(May)頃に羽化するので「メイフライ」ともいう。「ニンフ」はギリシャ神話の「ニュンペー」の英語読みで,若い女性の姿をしている妖精(女神)という意味である。山や川,森や谷に宿り,これらを守っているのだという。ギリシャ語では「花嫁」や「新婦」の意味である。

 

「カゲロウ」や「カワゲラ」の幼虫に対するアイヌ語名はわからなかったが,トビケラ類の幼虫は「worun kamuy・ウオルンカムイ」(wor・水,un・にいる,kamuy・神)と呼ぶ(アイヌ民俗博物館,2020)。多分,トビケラ類は、水生昆虫の総称を指しているのであろう。石の下の意味はないが,「アイヌ」は水生昆虫の幼虫を水の神(精)と見なしている。水の神は,アイヌ語で別に「wakka us kamuy・ワッカウシカムイ」という名が付けられている。「水場の女」を意味する女神である。西洋で「カゲロウ」の幼虫を「ニンフ」と呼ぶのと似ている。ちなみに,渓流の「ヤマメ」はアイヌ語で「icankaot・イチャンカオッ」(ican・ホリ,ka・の上,ot・にたかっている)あるいは「kitra・キッラ」である。神の名ではない。

 

賢治が,「杉」(在来種)の近くで,恋人の名前を呟く詩がある。詩集『春と修羅』(第三集)の〔エレキや鳥がばしゃばしゃ翔べば〕(1927.5.14)には,「枯れた巨きな一本杉が /もう専門の避雷針とも見られるかたち/・・・けふもまだ熱はさがらず/Nymph,Nymbus,,Nymphaea ・・・ 」(宮沢,1986)(NymbusはNimbusの誤記?)とある。この詩を書いたのは,恋人がシカゴで亡くなってから1か月後である。「枯れた杉」は,亡くなった背の高い恋人のことを言っていると思われる。賢治は,また恋人をNymph,Nimbus,Nymphaeaと形容している。Nymphは「カゲロウ」の幼虫(ニンフ)と同じ英語名で,Nimbus(ニムバス)は雨雲(乱層雲)で,Nymphaea(ニンフェア)はスイレン属の植物のことである。

 

雨雲は,『新宮沢賢治語彙辞典』によれば,前述した積乱雲のLipido像のように「官能的なイメージを惹起させるもので,性欲を否定したがる賢治にとって,誘惑者であり邪気を含んだもの」であるとしている(原,1999)。また,乱層雲の膨れた形状から妊婦(ニンプ)という言葉も想起させる。

 

「スイレン属」の植物は,「Tearful eye(涙ぐむ目);第1図」という目(眼)を象った花壇設計のスケッチ図に記載されている(文字は英語)。このスケッチ図は,賢治が羅須地人協会時代(1926年8月に設立)に使用した「MEMO FLORA」ノートの32頁にある(宮沢,1986)。スケッチ図では眼の「瞳(瞳孔)」に相当するところは暗色系のパンジー(Pansy Dark),眼の「虹彩(Iris)」の部分は青花のブラキコメ(Brachycome Indigo),強膜(いわゆる白目)の部分は白花のブラキコメ(Brachycome White)を植えるとしていて,眼の両側にある涙を作って貯める涙腺と涙嚢に相当するところにはスイレン属(Nymphaea)らしい植物を浮かせた水瓶(Water Vase)を置くとしている(宮沢,1986)。

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第1図.「MEMO FLORA」ノートにスケッチされたTearful eye(涙ぐむ目)の模写図.

 

水瓶の植物は,英語で「Water vase with nymph・・・」と記載されていて,「Nymph・・・」の単語の末字が判読しづらいが,賢治研究家の伊藤(2001)は,これを「Nymphaea」と解釈した。日本には,スイレン属の植物として「ヒツジグサ」(Nymphaea tetragona Georgi)がある。スイレン属の学名Nymphaeaはギリシャ神話の水の妖精(ラテン名Nympha)に由来するという。すなわち,賢治の詩に登場する「Nymphaea」は,失恋した恋人の涙を意味しているかもしれない。

 

多分,賢治は,「コルボックル」を北海道の岩崖の下にある「手宮洞窟」の「先住民」(石器(縄文)人)と考えていて,童話に「先住民」の末裔である恋人を谷川の川底(石の下)に住む妖精(ニンフ)として登場させたものと思われる。そして,「ニンフ」と呼ばれる「カゲロウ」の幼虫に恋人を投影させて,〈クラムボン〉と名付けたのであろう。

 

最近,澤口(2021)は『やまなし』のサブタイトルが「五月」なので,著者と同様に〈クラムボン〉は「メイフライ」と呼ばれる「カゲロウ」であると推測している。しかし,澤口にとって〈クラムボン〉は,恋人ではなく「韻を踏む言葉を探す者」という意味で賢治自身を表すとしている。

 

2.アイヌは東北の先住民か

東北の「先住民」である「蝦夷(エミシ)」が「アイヌ」か「非アイヌ」かの論争も行われていた。賢治が生きた時代は,言語学者の金田一京助や歴史学者の喜田貞吉が主張する「蝦夷」=「アイヌ」説が優勢であった(秋枝,1996;金田一,2004)。賢治は東北に先住していた「石器(縄文)人」も「蝦夷」や「アイヌ」の祖先と信じていたように思える。

 

詩集『春と修羅 第二集』の詩〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕(1924.5.18)は「東北」の「先住民」である「蝦夷(エミシ)」=「アイヌ」説の影響を受けている。この心象スケッチの場所は花巻近郊のエミシ塚あるいはアイヌ塚と呼ばれていた場所である。また,詩に登場する〈杉の古木〉は賢治と相思相愛であったが破局し失意の底にある恋人が投影されていると思われる(石井,2018)。〈蛾〉は賢治であろう。

日はトパーズのかけらをそゝぎ

雲は酸敗してつめたくこごえ

ひばりの群はそらいちめんに浮沈する

  (おまへはなぜ立ってゐるか

  立ってゐてはいけない

  沼の面にはひとりのアイヌものぞいてゐる)

一本の緑天蚕絨の杉の古木

南の風にこごった枝をゆすぶれば

ほのかに白い昼の蛾は

そのたよりない気岸の線を

さびしくぐらぐら漂流する

  (水は水銀で

  風はかんばしいかほりを持ってくると

  さういふ型の考へ方も

  やっぱり鬼神の範疇である)

  アイヌはいつか向ふへうつり

  蛾はいま岸の水ばせうの芽をわたってゐる

              (宮沢,1986)下線は引用者による

 

この詩では「緑天蚕絨(みどりびらうど)の杉の古木」が近くの鏡の面を持つ沼に現れる先住民「アイヌ」の幻影(鬼神)と一緒に登場してくる。ここで賢治は,沼面から覗く「アイヌ」の「鬼神」が語る「おまへはなぜ立ってゐるか 立ってゐてはいけない」という言葉を「幻聴」として聞いている。また,この下書稿では,「そこに住む古い鬼神」あるいは「樹神」という言葉もあり,また一旦書かれて削除された詩句には「たたりをもったアイヌの沼は/・・・沼はむかしのアイヌのもので/岸では鍬(やじり)や石斧もとれる」(下線は引用者)とある。削除された詩句の「鏃」や「石斧」は石器(縄文)時代の遺物である。

 

すなわち,石器時代の昔から「東北」の地に先住していた民族(アイヌ)の「祟り」を持った「鬼神」に「お前は恋人と並んで立ってはいけない」と威嚇されているのである。この「鬼神」は「東北」の「先住民」に対して繰り返された大和朝廷の侵略の歴史に対する「先住民」の怒りが「鬼」となったものであろう。

 

賢治の恋を読んだ詩「マサニエロ」(1922.10.10)では,「古木」ではなく恋人が務めていた小学校にある「橄欖天蚕絨(かんらんびろうど)」という美しいルビの形容の付く〈杉〉と一緒に「ひとの名前をなんべんも/風のなかで繰り返してさしつかえないか」といった切ない詩情が語られていた。しかし,2年以上経過して詠んだ詩〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕には,〈杉の古木〉と一緒にアイヌ塚の沼面から覗く「祟り神」の「鬼神」が登場している。2つの詩の〈杉〉が共通の女性を比喩しているのなら,多分,この間に賢治と恋人の恋の破局が訪れたのであろう。

 

詩の引用箇所の最後の「水ばせう」は,植物の「ミズバショウ」(サトイモ科;Lysichiton camtschatcense S.)のことで葉が変形して花のように見える「仏炎苞」と呼ばれる苞が特徴である。「仏炎苞」という名は,苞が仏像の背後にある炎をかたどる飾り(後背)に似ていることによる。それゆえ,詩の最後の2行は,相思相愛の恋人が「怒り」とともに米国に去ったのち,火に集まる習性のある〈蛾〉に化身した賢治が仏教の暗喩ともとれる仏炎苞を持つまだ芽でしかない「水ばせう」の上を「たよりなく,さびしくぐらぐらと」漂流しているとも読める。ここでは「祟り神」である「鬼神」を恐れている「移住者」の末裔としての賢治が,「先住民」の恋人と並んで「東北」の大地に立つことが許されない苦悩が語られているのかもしれない。

 

童話『やまなし』では,この「アイヌ」の「鬼神」は川面の上方から何の前触れもなく怒りを示す「赤い目」の〈カワセミ〉となって現れる。父親の〈蟹〉が子供達に〈カワセミ〉に対して「おれたちはかまはないんだから」と言ったのは同じ先住民同士だからである。〈蟹〉の兄弟が川底から見た〈カワセミ〉の嘴(くちばし)は「鬼」の「角」のように「黒く尖って」いた。

 

詩集『春と修羅』の「晴天恣意(水沢臨時緯度観測所にて)」(1924.3.25)に「鬼神」が怒るとどうなるかが記載されている。

古生山地の峯や尾根

盆地やすべての谷々には

おのおのにみな由緒ある樹や石塚があり

めいめい何か鬼神が棲むと伝へられ

もしもみだりにその樹を伐り

あるひは塚を畑にひらき

乃至はそこらであんまりひどくイリスの花をとりますと

さてもかういふ無風の日中

見掛けはしづかに盛りあげられた

あの玉髄の八雲のなかに

夢幻に人はつれ行かれ

かゞやくそらにまっさかさまにつるされて

見えない数個の手によって

槍でづぶづぶ刺されたり

おしひしがれたりするのだと

さうあすこでは云ふのです。

         (宮沢,1986)下線は引用者による

 

下線部の「イリス」は,植物の「アイリス」のことでアヤメ科アヤメ属の学名である。賢治の詩に登場する「カキツバタ」(Iris laevigata Fisch)や「シャガ」(I japonica Thunb.;第2図)を指す。いずれも「在来種」である。「カキツバタ」は茎先に青紫色の花をつける。「イリス」は「先住民」の女性の比喩として使われているように思える。この詩の「あんまりひどくイリスの花をとりますと・・・/かゞやくそらにまっさかさまにつるされて・・・/槍でづぶづぶ刺されたり・・・」という詩句は,童話『やまなし』の〈蟹〉の兄弟の「魚が何か悪いことしてるんだよとつてるんだよ」という会話を彷彿させる。『やまなし』ではこの後に〈魚〉が〈カワセミ〉の槍のような嘴で挟まれて天空に連れ去られる。

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第2図.シャガ.

 

すなわち,賢治は「アイヌ」は「蝦夷」であり,「東北」の石器時代まで遡ることのできる「先住民」(コルボックル)と信じている。別の言葉でいえば,賢治は恋人が遠い昔から「東北」に先住していた家系の女性であると強く信じている。賢治は,詩〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕を心象スケッチしたその日の午後に修学旅行の引率のため北海道へ旅立っているが,2日後に「アイヌ」に関する標本が陳列されている博物館を,そして4日後に白老(しらおい)のアイヌ集落を訪問している。並々ならぬ「アイヌ」への関心の高さである。

 

このように,当時学者たちの間では「蝦夷」=アイヌ説が優勢だったが,東北人はどのように受け止めていたのであろうか。賢治研究家の秋枝(1996)によれば,東北人の中にはこの説を受け入れることができなかった者が多かったようで,その一例として,次のエピソードが記載されている。喜田貞吉が昭和5年頃に東北の村役場で「日本民族上に於けるアイヌの地位」と題して講演したところ,途中入場した一酔漢が「蝦夷だアイヌだと,アイヌが何だ」と,演壇下まで迫ってきてなぐられそうになったという。

 

土地の有力者によれば,東北人が「アイヌ」の末裔であるとする考えは,「教育上の一大問題」であり,「立派な日本民族である誇り」をもつ東北人を自暴自棄に陥らせるのだという。多分,賢治もこのことは承知していて作品に「蝦夷」の名を登場させることはしなかったし,「アイヌ」の表記も極力避けたように思える。それゆえ,賢治は「先住民」の「鬼神」となった「コロボックル」を作品に登場させるとき,特に新聞などで公表する場合には,特定の人物との関係が知られることを恐れて正体不明の〈クラムボン〉と表記したのだと思われる。

 

「カワシンジュガイ」と書いても容易に「アイヌ」が連想される。「カゲロウ」の幼虫としても「ニンフ」,すなわち若い「女性」が連想されてしまう。童話『やまなし』は,大正12年4月8日に岩手毎日新聞に発表されている。

 

本稿では従来試みられなかった(植物に着目する)方法で新説を確かなものにすることができた。次稿では『やまなし』に登場する植物を読み解くことによってさらに裏付けが可能かどうか検討する。

 

参考・引用文献

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本稿は,人間・植物関係学会雑誌20巻第2号67-74頁2021年(3月31日発行)に掲載された自著報文「宮沢賢治の『やまなし』の謎を植物から読み解く-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語 中編-」(種別は資料・報告)に加筆・修正したものである。題名が長いので,本ブログでは短くしている。また,自著報文では「童話『やまなし』発表前後の作品に登場する植物と物語の展開との関係」というA41枚程度の表が挿入されていたが,表が大きすぎるので本ブログでは載せていない。原文あるいはその他の掲載された自著報文は,人間・植物関係学会(JSPPR)のHPにある学会誌アーカイブスからも見ることができる。ただし,学会誌アーカイブスでの報文公表は,雑誌発行日から1~2年後になる予定。

http://www.jsppr.jp/academic_journal/archives.htm

宮沢賢治の『やまなし』-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語(1)-

Keywords: 文学と植物との関わり,クラムボン,魚口星雲,二枚貝,精神分析,食物連鎖,水生昆虫,前額法

 

宮沢賢治の童話『やまなし』(1923.4.8)には,〈蟹〉,〈魚〉,〈鳥〉などの動物や「樺の木」や「やまなし」(第1図)などの植物が登場し,〈蟹〉の親子(父親と二人の男の子)がこれら動植物を谷川の川底から眺めている世界が描かれている。小学校高学年の教科書にも採用されている。しかし,〈クラムボン〉,「イサド」あるいは「樺の木」など意味が取りにくい用語もたくさん出てきて難解である。

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 第1図.ヤマナシの実(神奈川県平塚市総合公園で撮影)

 

この物語(特に前半部)には,鳥である〈かはせみ(カワセミ)〉が鉄砲玉のように飛び込んできて魚を捕食するシーンが描かれている。そこで,多くの研究者たちは,〈クラムボン〉を正体不明としたり,あるいはアメンボ,プランクトン,言葉変化遊び(crambo),水の泡,光線による水面の変化などと様々な推測を試みたりしながらも,この物語が谷川での生物の生と死,別の言葉で言い変えれば弱肉強食の生存競争あるいは食物連鎖をイメージして創作されたものと考えている(中野,1991;松田・笹川,1991;畑山,1996;九頭見,1996;石井,2014)。すなわち,〈クラムボン〉が〈魚〉に捕食され,〈魚〉は〈カワセミ〉に捕食される。後半部ではナシの実が〈蟹〉に捕食されることが予想されている。いわゆる〈クラムボン〉→〈魚〉→〈カワセミ〉あるいは「ナシの実」→〈蟹〉という食物連鎖が想定されている。

 

しかし,この物語が生物の生と死あるいは食物連鎖をメインテーマにしているなら,なぜ題名が植物名の「やまなし」なのかが理解できない。別の解釈もある。エッセイストの澤口(2018)は,この題名には賢治の相思相愛の恋人の名が隠されていて,物語には恋の終わりが記録されているとした。ただ,どのような恋が描かれているかについての詳細な説明はない。

 

筆者は,難解な童話『銀河鉄道の夜』を解釈するに当たって,そこに登場する30種ほどの植物から,沢山のヒントをもらった(石井,2020)。賢治作品に登場する植物は,単に風景描写として配置されているのではない。意味が取りにくい文章に遭遇したとき,その近くに配置されている植物を調べることによって解決したこともある。作品中の植物には,登場する意味が付与されている。

 

本稿(1),次稿(2),次次稿(3)では,登場する植物を念入りに調べることによって,童話『やまなし』が自然界の生存競争を扱った物語なのか,あるいは恋物語なのかを明らかにする。『やまなし』は短編童話で登場する植物も多くはない。そこで,同時期に創作された他の童話や詩に登場する植物も検討する。

 

1.この童話は自然界の弱肉強食や食物連鎖をメインテーマにはしていない

この童話は,「五月」と「十二月」(初期形では十一月)というサブタイトルが付く2部構成となっている。「五月」の章は「アイヌ」の叙事詩ユーカラのような「韻」を踏んだ繰り返し(リフレイン)の多い文章で始まる。それゆえ,〈クラムボン〉を英語のcrambo(言葉変化遊び)と関連付けて解釈する研究者もいる(畑山,1996;原,1999;澤口,2021)。

 二疋(ひき)の蟹(かに)の子供らが青じろい水の底で話てゐました。

『クラムボンはわらつたよ。』

『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』

『クラムボンは跳てわらつたよ。』

『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』

   (中略)

『それならなぜクラムボンはわらつたの。』

知らない。』 

   (中略)

 つうと銀のいろの腹をひるがへして,一疋(ぴき)の魚が頭の上を過ぎて行きました。

『クラムボンは死んだよ。』

『クラムボンは殺されたよ。』

『クラムボンは死んでしまつたよ………。』

『殺されたよ。』

『それならなぜ殺された。』兄さんの蟹は,その右側の四本の脚の中の二本を,弟の平べつたい頭にのせながら云(い)ひました。

わからない。

                   (宮沢,1986)下線は引用者による

 

この引用文では〈魚〉と〈クラムボン〉の関係が記載されている。「サワガニ」(十脚目サワガニ科;Geothelphusa dehaani  (White,1847);第2図)と思われる兄弟の〈蟹〉が「クラムボンが死んだよ」と話をしている。また,弟には〈クラムボン〉が〈魚〉に殺されたと信じられている。鳥である〈カワセミ〉が〈魚〉を水中から食料として連れ去ったのは谷川で起こった事実と思われるが,〈クラムボン〉は本当に〈魚〉によって殺されたのであろうか。事実関係を文章の記述から検証してみたい。

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第2図.サワガニ.

1)跳ねることができる川底の小生物

最初に,〈クラムボン〉がどんなものか推測してみる。〈クラムボン〉は,〈蟹〉の兄弟には「笑う」あるいは「跳ねる」(初期形では「立ち上がる」)生き物のように見えている。物語には「小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈です」とあるので,〈クラムボン〉も川底にいる可能性が高い。「跳ねる」とあるので,川底では「川底から弾みがついて水中に上がる」という意味であろう。渓流に住む生物で川底にいるのは,カワゲラ,トビケラ,カゲロウなどの水生昆虫の幼虫,ヌカエビなどのエビ類,サワガニあるいはカワシンジュガイなどの二枚貝である。このうち,「跳ねる」(あるいは立ち上がる)ことができる生物は何であろうか。

 

水生昆虫は,泳ぎながら移動する遊泳型,急流中の石面に生息する固着型,河床を脚で匍匐(ほふく)して移動する匍匐型,土中で生活している掘潜型に分類される。固着型や匍匐型の水生昆虫は「爪」,「吸盤」,「粘液」などを使って石面などに固着して普段あまり移動しないか,移動しても近傍の範囲に限られるという(竹門,2005)。多分,動きの鈍い固着型や匍匐型の水生昆虫は跳ねれば早い水流で流されて〈魚〉の標的にされてしまう。身の危険に晒されることはしないだろう。「跳ねる」ことが想定されるのは動きが素早い遊泳型である。「カゲロウ」の仲間で「フタオカゲロウ科」あるいは「ヒメフタオカゲロウ科」の幼虫は体が流線形(紡錘形)で泳ぐのに適している。具体的には「ナミフタオカゲロウ」(並双尾蜉蝣:Siphlonurus sanukensis Takahashi,1929)や「ヒメフタオカゲロウ」(姫双尾蜉蝣;Ameletus montanus Imanishi,1930)などである。

 

「ヒメフタオカゲロウ」の「ヒメ(姫)」は小さい,「フタオ(双尾)」は成虫に尾が2本あるから。「ヒメフタオカゲロウ」の幼虫は,河川蛇行部の内側あるいは巨岩の下流の淀みあるいは石の下に潜んでいる。「ナミフタオカゲロウ」の幼虫は,体長16mm内外,山地渓流に生息し,羽化が近づくと浅瀬に集まり,人が近づくと飛び跳ねるという(丸山・花田,2016)。釣り人はこれら「カゲロウ」の幼虫を,ピンピン「跳ねる」ように泳ぐことから「ピンチョロ」と呼ぶ。

 

「カゲロウ」は昆虫なので,幼虫にも哺乳類と同様に口部には上唇と下唇がある。口唇は母乳で育つ哺乳類の特徴であるが,なぜか昆虫にもある。人間は「笑う」と上唇と下唇の接合部である「口角」が上がる。だから,「ヒメフタオカゲロウ科」などの幼虫は,「口角」を上下に動かせるとすれば,それを上げて笑ったように見せることは可能かもしれない。

 

「サワガニ」やエビ類はどうであろうか。ネットでヤマトヌマエビが水槽内で「跳ねる」という記載を見つけた。渓流に生息する小さなエビ類も「跳ねる」可能性はある。

 

渓流の二枚貝も「跳ねる」可能性がある。海に棲む二枚貝ではあるが,イタヤガイ科の「ホタテガイ」の成貝は「跳ね」たり泳いだりすることが知られている。大正11年の矢倉(1922)の『介類叢話・趣味研究』にも「ホタテガイ」が「飛躍し,殻を互いに烈しく開閉して前進する」と記載してある。また,渓流に棲む「カワシンジュガイ」と同じイシガイ科の「イケチョウガイ」や「ドブガイ」の稚貝(殻高0.3mm程)が殻を開閉しながら移動する姿が報告されている(伊藤ら,2015)。すなわち,二枚貝の中には「跳ねる」だけでなく「かぷかぷ」と笑ったように殻を互いに開閉して移動するものがいる。

 

〈カワセミ〉は全長17cm位なので,この鳥が捕食する〈魚〉もこの長さを超えることはないと思われる。さらにこの〈魚〉が捕食できる二枚貝の大きさも,〈魚〉の口の大きさからすれば1cmを超えないと思われる。多分,〈魚〉に捕食される〈クラムボン〉を二枚貝とすれば,イシガイ科の「カワシンジュガイ」(Margaritifera laevis (Haas,1910))の稚貝あるいは若い成貝が候補に挙がる。〈クラムボン〉を二枚貝とする説は,すでに報告されている(小野・小野,2016)。「クラム(clam)」は英語で二枚貝のことで,「ボン」(坊)は子供ということらしい。

 

ただし,この「クラム(clam)」には疑問もある。「クラムボン」の「ム」と「ボ」は両方とも発声時に両唇を閉じる動作があり,「ム」の母音である「ウ(u)」の動作から「ボ」の破裂音の発声は難しい。賢治は明治生まれ(戦前)の人なので,歴史的仮名遣いで作品を書いている。歴史的仮名遣いで「ム(mu)」は「ン(n)」と発音することがあるので,〈クラムボン〉は現代表記では〈クランボン〉である可能性もある。また,〈クランボン〉としたときの「クラン(clan)」は英語で「一族」の意味であり二枚貝ではない。

 

以上のように,「跳ねる」を基に〈魚〉に捕食される〈クラムボン〉を推測すると「カゲロウ」などの水性昆虫の幼虫,二枚貝の稚貝,小エビなどが候補に挙がる。後述(次稿)するが「カゲロウ」は水中の石の上あるいは水面で脱皮するときに,「カワシンジュガイ」は川底にいるときに「立ち上がる」こともできる。

 

2)食物連鎖との関係

〈クラムボン〉を「カワシンジュガイ」の稚貝や小エビとすれば,これを捕食する〈魚〉は何であろうか。特に堅い殻を持つ二枚貝を捕食できる〈魚〉は,この殻も砕くことができる「咽頭歯(いんとうし)」を持つコイ科の〈魚〉であろう。

 

雑食性のコイ科の「フナ」が「ドブガイ」を捕食している可能性のあることも報告されている(東垣ら,2018)。童話『やまなし』に登場する〈魚〉の特徴(体色)は,「銀色の腹」を持つことと,「鉄いろに変に底びかり」することである。「鉄いろ」とは,青みが暗くにぶい青緑色あるいは「くろがね」と呼ばれるような黒っぽい鉄の色である。

 

すなわち,〈魚〉の腹は銀色で側面は青緑色あるいは黒色である。ならば,この体色の特徴を持つ渓流に棲むコイ科の〈魚〉は何であろうか。ウグイ,エゾウグイ,アブラハヤが候補に挙がる。しかし,「ウグイ」の体色は焦げ茶色を帯びた銀色である。物語の季節が5月で「ウグイ」の繁殖期(3~5月)の体色(婚姻色)を考慮しなければならないが,このときの体色も3本の朱色の条線を持つことを特徴とする。黒ではない。「アブラハヤ」も黒い小斑が散在するが体色は黄褐色である(婚姻色は現れない)。すなわち,〈クラムボン〉を二枚貝(稚貝,若い成貝)とすると,〈クラムボン〉→〈魚〉→〈カワセミ〉という食物連鎖は物語の中では成立しそうにない。

 

一方,〈クラムボン〉をカゲロウとすれば,〈クラムボンと呼ばれる水生昆虫の幼虫〉→〈魚〉→〈カワセミ〉という食物連鎖は成立するように思われる。

 

体色が青緑色あるいは黒をイメージできる〈魚〉として,サケ科の「ヤマメ」あるいは「イワナ」がいる。「ヤマメ」の体型はやや側偏し,背側はわずかに緑色をおびた黄褐色で,腹部は白い。体側には幼魚期の特徴である,7~10個の暗青色の幼魚紋(パーマーク)が並列し,背側から側線にかけて小点が散在し,側線に沿って淡い赤色帯が通っているものも見られる。下北半島の「ヤマメ」は濃い青緑色でもある。また,雄は繁殖期(10~11月)になると黒色になる(婚姻色)。「イワナ」の体色は緑褐色か灰色で厳冬期は黒(サビ)くなる。

 

しかしながら,谷川の食物連鎖は〈クラムボン(水生昆虫の幼虫)〉→〈魚〉→〈カワセミ〉以外に,「藻」→〈クラムボン〉→〈カワセミ〉あるいは〈魚の死体〉→〈蟹〉→〈カワセミ〉もあり得る。ネット上で〈カワセミ〉が〈蟹〉を捕食した写真を見ることもできる。すなわち,〈クラムボン〉や〈蟹〉も〈カワセミ〉の捕食の対象になるはずである。鋭い観察力のある賢治がこれを知らないはずはない。しかし,〈蟹〉の父親は子供達に「おれたちはかまはないんだから」と言っている。この父親の言動は自然界の食物連鎖の厳しい掟からすれば矛盾している。

 

さらに,注目すべきは,物語で〈蟹〉が水中で泡を出していることである。「カニ」は陸上では泡を出すが水中では泡をださないと思われる。これも賢治は知っていたかもしれない。〈蟹〉は水中ではエラ呼吸だが,陸に上がると体にため込んだ水を使って呼吸する。少量の水を循環させて使うので泡が立つのだという(九頭見,1996)。すなわち,童話は自然界における食物連鎖のほんの一部を語っているにすぎない。また自然を忠実に描写してはいないので,自然界の食物連鎖がこの童話のメインテーマとは思われない。

 

2.クラムボンは本当に魚に殺されたのか

〈蟹〉の兄弟,特に弟の見間違いだったのかもしれない。なぜなら,兄弟が会話しているときは谷川の川底は,まだ日が射していない,薄暗い状態であった。父親も〈カワセミ〉の目は「黒い」(水中では瞬膜で覆われるので灰色?)のに「赤い」と言ってみたり,〈蟹〉は夜行性なのに月夜の晩に子供たちに早く寝ろと指図していたりしている。〈蟹〉の父親と弟の発する言葉は曖昧な点が多い。

 

さらに,兄が「その右側の四本の脚の中の2本を,弟の平べったい頭にのせながら」,「それならなぜ殺された」と尋ねたとき,弟は「わからない」と答えている。人間社会では,大人が子供の頭に手を乗せるときは,愛情表現の「しかる」,「ほめる」,「なだめる」という気持ちを示しているという。しかし,兄弟でそのようなことをするであろうか。もしかしたら,兄が弟の話したことの真意を確かめようとしたのかもしれない。

 

賢治はジークムント・フロイト(1856~1939)の「精神分析」を学んでいた。フロイトの精神分析法の中に「前額法(ぜんがくほう)」というのがある。例えば,ヒステリーの症状のある患者(ドイツ語でKuranke)に,「いつからこの症状が現れましたか」,「原因は何ですか」と質問して,「私にはわかりません」と答える患者がいた場合,片手を患者の額に置き,「こうして私が手で押さえていると,今に思い浮かびますよ。私が押さえるのを止めた瞬間にあなたには何かが見えるでしょう。さもなければ何かが思い浮かぶでしょうから,それを教えてください」と言う。この方法でフロイトは患者のヒステリーの原因を突き止めた(中野,2011)。

 

多分,兄は弟の言葉を疑っていて,精神分析医になったつもりで手の代わりに脚を弟の頭に乗せたのだと思われる(蟹は十脚目に分類されるので手はない)。しかし,弟は発言を裏付けるものが思い浮かばないので,兄の質問に対して「わからない」としか答えられなかった。

 

すなわち,兄は薄暗い状態の中での弟の言葉を信じていない。弟は「うそ」をついているか,噂を鵜呑みにしているのだと思われる。賢治は,〈クラムボン〉と〈魚〉の関係に関して,〈クラムボン〉の本当の名を隠して何か言いたいことがあるようである。

 

3.谷川の二枚貝と魚は遠い昔からここに棲んでいたのか

ここで谷川に棲む〈クラムボン〉と〈魚〉の出自について考察しておく。〈クラムボン〉の候補に挙がっている二枚貝の「カワシンジュガイ」は,氷河時代にロシアのサハリン州(樺太)やシベリア方面から日本列島に分布を広げ,その後氷河時代の終わりごろ(1万年前)に取り残された北方系の「遺存種」と考えられている。賢治が童話の中で想定している〈クラムボン〉が,二枚貝とすれば,多分在来種として石器(縄文)時代の昔から命を繋ぎながら棲んでいたと思われる。

 

「カワシンジュガイ」(アイヌ語でpipa・ピパ)の殻は,「アイヌ」が昭和初期まで「アワ(粟)」(Setaria italica(L.)P.Beauvois)などのイネ科植物の穂を摘み取るときに使う道具の材料に使っていた(石井,2019)。ちなみに,数万年生命を繋いできた「カワシンジュガイ」は大規模な河川改修工事などで数を減らし現在は絶滅危惧種となった(岩手県ではⅡ類Bランク)。明治時代に「アイヌ」が「滅び行く民」と言われていたことを考えると,明治維新後における日本の急速な近代化は必ずしも成功したとは言い切れないところがある。  

 

日本の「カゲロウ」は,これまで13科39属142種が確認されている(石綿・竹門,2005)。前述した「跳ねる」ことが可能な遊泳型の「ナミフタオカゲロウ」と「ヒメフタオカゲロウ」もこの中に含まれる。この2種の「カゲロウ」は「在来種」である可能性が高い。「サワガニ」(日本固有種)や「カワセミ」(Alcedo atthis bengalensis (Gmelin,1788):留鳥)も在来種であろう。

 

一方,「イワナ」,「ヤマメ」などの渓流魚はどうであろうか。これら〈魚〉は日本固有種であるが「在来種」であるかどうかは疑わしい。国立環境研究所(2017)の侵入生物データベースによれば,「イワナ」は在来種だけでなく,国内外来種(移入種)も混入しているとなっている。また「ヤマメ」も移入種が入っているが詳細は不明とある。

 

移入種とは日本固有種であるが,本来の生息域ではない場所に人為的に持ち込まれたものである(移植放流など)。例えば,数十メートルもあるような滝上で「イワナ」や「ヤマメ」を見かけることも珍しいことではない。また,大地震などの災害があればその地域の河川の魚類は絶滅することもあるという。鈴野(1993)は,「今日の渓流魚の分布域の過半は,山中の自然採取・加工に従事したマタギ,木地屋(きじや),木樵(きこり),炭焼き,山菜採り,職漁(しょくりょう)などの山村住民の幾重なる移植や放流-漁場の深耕により形成されたもの」としている。特に,「マタギ」はこの移植や放流に積極的であったという。

 

秋田マタギの故郷である阿仁町には「小沢を持っている」という言葉がある。これは魚止の滝上に人知れず「イワナ」を放流し,隠し沢とも言うべき自前の漁場を持つことを称したものであるという。すなわち,渓流魚の「イワナ」や「ヤマメ」には,「カワシンジュガイ」,「カゲロウ」,「サワガニ」に対しては「よそ者」として存在しているものもいる。

 

4.物語はけっして名前を明かすことのできない女性との恋物語か

1)〈魚〉と〈クラムボン〉の関係

〈魚〉は〈クラムボン〉の周りを行ったり来たりしている。しかし,〈クラムボン〉が〈魚〉を恐れているとは記載されていない。〈蟹〉の兄には「何か悪いことをしてるんだよとつてるんだよ」というように見えている。

 魚がまたツウと戻つて下流の方へ行きました。

『クラムボンはわらつたよ。』

『わらつた。』

 にはかにパツと明るくなり,日光の黄金(きん)は夢のやうに水の中に降つて来ました。

   (中略)

 魚がこんどはそこら中の黄金の光をまるつきりくちやくちやにしておまけに自分は鉄いろに変に底びかりして,又上流(かみ)の方へのぼりました。

『お魚はなぜあゝ行つたり来たりするの。』

弟の蟹がまぶしさうに眼を動かしながらたづねました。

何か悪いことをしてるんだよとつてるんだよ。

とつてるの。

『うん。』

 そのお魚がまた上流から戻つて来ました。今度はゆつくり落ちついて,ひれも 尾も動かさずたゞ水にだけ流されながらお口を環(わ)のやうに円くしてやつて来ました。その影は黒くしづかに底の光の網の上をすべりました。

『お魚は……。』

 その時です。俄(にはか)に天井に白い泡がたつて,青びかりのまるでぎらぎらする鉄砲弾(だま)のやうなものが,いきなり飛込んで来ました。 

                  (宮沢,1986)下線は引用者による

 

谷川の川底に日の光が届くようになると,川底に集光模様と思われる「光の網」が現れ,〈魚〉の体色まではっきり識別できるようになる。このとき〈魚〉が何をしているのかも明らかになってくる。多分,〈魚〉は〈クラムボン〉に求愛していたのであろう。〈魚〉は「ツウ」として〈クラムボン〉の周りを行ったり来たりしている。研究者によっては,「ツウ」は擬態語で〈魚〉が音もなく「すうっ」と通過している様とみなしている。しかし,筆者には,この「ツウ」は「ツ」と「チ」を区別しない東北弁の「チウ」(「口づけ」の擬音?)ではないかと思っている。多分,〈魚〉は口をとがらせて,あるいは鼻の下を伸ばして〈クラムボン〉に迫っているのだと思う。

 

「ヤマメ」の雄は繁殖期に鼻先が伸びて曲がる(鼻曲がり)。〈蟹〉の兄弟には笑ったり死んだり見えるのは,〈クラムボン〉を二枚貝と仮定すれば,二枚貝が2枚の殻を「かぷかぷ」と開閉させて「会話」したり,殻をずっと閉じて「沈黙」していたからと思われる。「カゲロウ」なら口角を上げたり下げたりしていたのかもしれない。〈魚〉と〈クラムボン〉は周囲には恋愛と知られないように慎重に行動しているように思われる。

 

2)寓話『シグナルとシグナレス』や『土神ときつね』との類似性

この求愛の様子を『やまなし』と同じ年に創作された寓話『シグナルとシグナレス』の擬人化された〈本線の信号機シグナル〉と〈軽便鉄道の小さな腕木式信号機シグナレス〉の会話で再現してみる。ちなみに,〈シグナレス〉はシグナル(signal)に[-ess]を付けて女性名詞化した造語である。〈シグナル〉は新式で夜に電燈が点くが,〈シグナレス〉は木製で夜もランプである。この寓話と後述する『土神ときつね』は,賢治の異性との恋愛体験を基に書いたとされている(堀尾,1984;澤口,2018)。

 

〈魚〉と〈シグナル〉には賢治が,〈クラムボン〉と〈シグナレス〉には恋人がそれぞれ投影されているとすれば,〈魚〉と〈クラムボン〉あるいは〈シグナル〉と〈シグナレス〉は相思相愛の仲である。〈シグナル〉は一生懸命努力して〈シグナレス〉から結婚の約束を取り付けようとするが,〈シグナレス〉が躊躇していて色よい返事がもらえない。そんなとき〈シグナル〉の後見人とされる〈本線シグナル付きの電信柱〉が二人の会話に割り込んで「若さま,いけません。これからはあんなものに矢鱈(やたら)に声をおかけなさらないやうにねがひます」と言ってしまう。〈シグナル〉は決まり悪そうにするが,気の弱い〈シグナレス〉は「まるでもう消えてしまふか飛んでしまふかしたい」気持ちになってしまう。この後しばらくして二人の会話が以下のように続く。 

『又あなたはだまつてしまつたんですね。やつぱり僕がきらひなんでせう。もういゝや,どうせ僕なんか噴火か洪水か風かにやられるにきまつてるんだ。』

『あら,ちがひますわ。』

『そんならどうですどうです,どうです。』

『あたし,もう大昔からあなたのことばかり考へてゐましたわ。』

本当ですか,本当ですか,本当ですか。

『えゝ。』

『そんならいゝでせう。結婚の約束をしてください。』 

   (中略)

『約婚指輪(エンゲーヂリング)をあげますよ,そらねあすこの四つならんだ青い星ね』

『えゝ』

『あの一番下の脚もとに小さな環が見えるでせう,環状星雲(フイツシユマウスネビユラ)ですよ。あの光の環ね,あれを受け取つて下さい,僕のまごころです』

『えゝ。ありがとう,いただきますわ』

『ワツハツハ。大笑ひだ。うまくやつてやがるぜ』

 突然向ふのまっ黒な倉庫が,そらにもはばかるやうな声でどなりました。二人はまるでしんとなつてしまひました。

                    (宮沢,1986)下線は引用者による

 

2つの物語で〈シグナル〉と〈シグナレス〉あるいは〈魚〉と〈クラムボン〉は「沈黙」(殺された?)の後に「会話」(あるいは笑い)を始めるが,お互いに「思い」が通じ合ったと了解したとき〈シグナル〉は「本当ですか,本当ですか,本当ですか」と喚起の雄叫びをあげ,〈魚〉は「夢のやうに水の中」で自らを「まるつきりくちやくちや」にして喜ぶ仕草をする。『シグナルとシグナレス』では,この後〈シグナル〉が琴座の環状星雲を「約婚指輪(エンゲーヂリング)」(婚約指輪のこと)に見立てて相手に差し出している。

 

〈シグナル〉が〈シグナレス〉に渡す婚約指輪は,『新宮澤賢治語彙辞典』によれば琴座のα,β,γ,δ四星の作る菱形をプラチナリングに,環状星雲M(メシエ)57を宝石に見立てたものであるという(原,1999)。『やまなし』では婚約指輪と記載されていないので分かりにくいが,〈魚〉は〈クラムボン〉に婚約指輪を渡そうとしている。

 

〈魚〉が「ひれ」も尾も動かさずに「お口を環のやうに円くして」やってくるときの「魚の口」が「婚約指輪」に相当する。『シグナルとシグナレス』にでてくる宝石に相当する環状星雲には「フイツシユマウスネビユラ」のルビが振ってある。〈魚〉は自らの口を「環のやうに円く」して婚約指輪であることを示して〈クラムボン〉に求愛している。このとき〈魚〉の体が「鉄いろに変に底びかり」する。これは「婚姻色」のことである。〈魚〉を「ヤマメ」とすると「婚姻色」は黒である(特に頭部が黒くなる)。「ヤマメ」の繁殖期は秋であるが,この「ヤマメ」は春に発情して黒くなり鼻先も伸びている。「変に底びかり」の「変」はそのことを言っていると思われる。すなわち,季節を考慮すれば通常あり得ない「変な現象」なのである。

 

「フイツシユマウスネビユラ」の婚約指輪は,この2つの物語以外では寓話『土神ときつね』(1923年頃)でも登場する。この寓話は,南から来たハイネの詩を読みドイツ製ツァイスの望遠鏡を自慢するよそ者の〈きつね〉が北のはずれにいる土着の〈樺の木〉に恋をするが,東北からやって来る土着の神である〈土神〉がこれに嫉妬して〈きつね〉を殺してしまう物語である。この寓話で〈きつね〉は〈樺の木〉に「環状星雲」を望遠鏡で見せる約束をする。そして,〈樺の木〉は「まあ,あたしいつか見たいわ」と答える。この環状星雲を〈きつね〉は「魚の口の形ですから魚口星雲(フイツシユマウスネビユラ)とも云ひます」と説明する。〈きつね〉が「環状星雲」を見せると約束し,〈樺の木〉が見たいと答えたことで婚約が成立しそうになっている。この〈樺の木〉は,童話『やまなし』にも登場する。 

 

しかし,〈魚〉と〈クラムボン〉の結婚は,『シグナルとシグナレス』,『土神ときつね』と同様に,周囲の者たちからは歓迎されていない。兄の〈蟹〉が「何か悪いことをしてるんだよとつてるんだよ。」と言っている。〈魚〉が〈クラムボン〉に婚約指輪を渡そうとしたとき,〈魚〉は鉄砲玉のように飛び込んでくる〈カワセミ〉に捕食されてしまう。多分,〈カワセミ〉は谷川に鎮座する先住土着の「山の神」(鬼神)の化身であろう。

 

すなわち,童話『やまなし』は,よそ者(移入魚としてのヤマメ)が先住土着の家にいる娘(クラムボン)に恋をして求婚しようとするが,土着の神(「山の神」としてのカワセミ)から手荒い仕打ちを受けたという物語であると思われる。

 

5.賢治の恋愛体験

賢治は,『やまなし』,『土神ときつね』,『シグナルとシグナレス』を書いたとされる年(1923年)の直前(賢治は農学校の教員で26歳ごろ)に,短期間(1年間ほど)だが相思相愛の恋をしていたとされている(佐藤,1984;堀尾,1984;澤口,2018)。

 

破局後に相手の女性は,渡米(シカゴ)していて3年後に異国の地で亡くなった。花巻の賢治研究家である佐藤(1984)によれば,この女性は,賢治と同じ花巻出身(賢治の家の近く)で,小学校の代用教員をしていた。賢治より4歳年下の背が高く頬が薄赤い色白の美人であったという。かなり熱烈な恋愛であったらしい。その後,宮沢家から相手側に結婚の打診がなされ,近親者の中には,二人の結婚を予想しているものも多かったという。しかし,両家の近親者たちの反対もあり破局した。破局の理由はよくわかっていないが,筆者は両者の出自の違いや,それにともなう両家あるいは近親者たちの歴史的対立が背景にあると推測している。

 

賢治の家(あるいは一族)は京都出身であることは堀尾青史の作成した年譜などでよく知られている。また,花巻では「宮沢まき」と呼ばれる地方財閥の一員でもある。一方,恋人の家(あるいは近親者)は少なくとも宮沢一族が花巻に移住する前から住んでいたと思われる。天皇を中心とした中央政権と東北の「先住民」との対立は,朝廷側からすれば蝦夷征討とも呼ばれ,京都に都を置いた平安時代まで続く。さらに,その対立の影響は鎌倉,江戸時代の武家中心の時代および明治維新後の賢治の生きた時代にまで及んだ。だから賢治は恋の破局の一因になったと思われる両家の歴史的ルーツの違いには並々ならぬ関心を寄せたと思われる。

 

本稿では植物についての検討はしなかったが,この童話が従来の生存競争についてではなく悲恋物語について書かれてあるという新たな説を得ることができた。これは,澤口(2018)の説を支持するものでもある。次稿では賢治の他の作品に登場する植物に着目することでこの説が裏付けられるかどうか検討する。

 

参考・引用文献

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畑山 博.1996.『宮沢賢治〈宇宙羊水〉への旅』.日本放送出版協会.東京.

東垣大裕・學田青空・相馬理央.2018.兵庫県東橎磨地域のドブガイの分布と局所絶滅を引き起こす要因.日本陸水学会近畿支部会第29回研究会発表会 203-205.

堀尾青史.1984.解説:銀河へ向かう道程の中で.pp.81-95.堀尾青史(編集).宮沢賢治 愛の童話集.童心社.東京.

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石井竹夫.2020.植物から『銀河鉄道の夜』の謎を読み解く(総集編Ⅰ)-宗教と科学の一致を目指す-.人植関係学誌.19(2):19-28.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/04/145306

石綿進一・竹門康弘.2005.日本産カゲロウ類の和名-チェックリストおよび学名についてのノート-陸水学雑誌 66:11-35.

伊藤寿茂・横大路美帆・飯土用柊子・落合博之・長利 洋・柿野 亘.2015.青森県柿沼に生息するイシガイ類3種の幼生の宿主魚類.VENUS 73(3-4):151-161.

国立環境研究所.2017(更新年).侵入生物データベース.2020.10.1.(調べた日付).https://www.nies.go.jp/biodiversity/invasive/index.html

九頭見和夫.1996.宮沢賢治と外国文学-童話「やまなし」と比較文学的考察(その1).福島大学教育学部論集 人文科学部門 61:53-70.

丸山博紀・花田聡子.2016.原色川虫図鑑〈成虫編〉.全国農村教育協会.東京.

松田司郎・笹川弘三.1991.宮澤賢治 花の図譜.平凡社.東京.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

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鈴野藤夫.1993.山漁 渓流魚と人の自然史.農文協.東京.

竹門康弘.2005.底生動物の生活型と摂食機能群による河川生態系評価.日本生態学会誌 55:189 -197.

矢倉和三郎.1922.介類叢話・趣味研究.舞子介類館.神戸.

 

本稿は,人間・植物関係学会雑誌20巻第2号59-65頁2021年(3月31日発行)に掲載された自著報文「宮沢賢治の『やまなし』の謎を植物から読み解く-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語 前編-」(種別は資料・報告)に加筆・修正したものである。題名が長いので,本ブログでは短くしている。原文あるいはその他の掲載された自著報文は,人間・植物関係学会(JSPPR)のHPにある学会誌アーカイブスからも見ることができる。http://www.jsppr.jp/academic_journal/archives.htm    ただし,学会誌アーカイブスでの報文公表は、雑誌発行から1~2年後になる予定。

植物の「こころ」はヒトの「こころ」を癒す

花や植物の緑を見ると,不安や緊張がほぐれて気持ちが和らぐことをしばしば経験する。ある植物研究家が,どんな花が気持ちを和らげる効果が強いかどうか調べていた。それによると,コスモス,コギク,カスミソウ,スミレなどの小さくて可憐な花にそのような効果が強いことが分かったという。スミレの仲間であるパンジーなどは病院の花壇に限らず,公園や植物園の花壇でよく見かける。一方,バラ,ヒマワリなどの色が鮮やかで大きな花を咲かせる植物は,逆に気持ちを高揚させる効果があるという。

 

賢治は,大正15年(1926)と昭和2年の2年間の間,花巻病院の花壇作りに関係したとされる。この期間は,かなり楽しかったようで,その様子が詩集『春と修羅 詩稿補遺』の「病院の花壇」や「短編梗概」の「花壇工作」という作品に記載されている。「病院の花壇」では,ヒヤシンス,キャンデタクト,ツメクサの花が登場する。「花壇工作」でもムスカリ,チュウリップなど何種類かの草花が登場するが,見る側の視線を気にしながら花壇作りに対する賢治の熱い思いが述べられている。

 そこでおれはすっかり舞台に居るやうなすっきりした気持ちで四月の初めに南の建物の影が落ちて呉(く)れる限界を屋根を見上げて考へたり朝日や夕日で窓から花が逆光線に見えるかどうか目測したりやってから例の白いはうたいのはじで庭に二本の対角線を引かせてその方庭(ほうてい)の中心を求めそこに一本杭を立てた。

 そのとき窓に院長が立ってゐた。云った。

    (どんな花を植ゑるのですか。)

    (来春はムスカリとチュウリップです。)

    (夏は)

    (さうですな。まんなかをカンナとコキア,観葉種です,それから 

    花甘藍(はなかんらん)と,あとはキャンデタフトのライラックと白で 

    模様をとったりいろいろします。)

      (中略)

 だめだだめだ,これではどこにも音楽がない。おれの考へてゐるのは対称はとりながらごく不規則なモザイクにしてその境を一尺のみちに煉瓦(れんぐわ)をジグザグに埋めてそこへまっ白な石灰をつめこむ。日がまはるたびに煉瓦のジグザグな影も青く移る。あとは石灰からと鋸屑(おがくづ)で花がなくてもひとつの模様をこさへこむ。それなのだ。              

          (「花壇工作」宮沢,1986)

 

賢治は,チュウリップやカンナなどの色鮮やかな花と白い石灰の間に,ヒヤシンス,ムスカリそしてキャンデタクトといった可憐な花を配置している。もしかしたら,賢治はこれら可憐な花が患者の不安や緊張を和らげることを直感的に察して,これらを植えようとしたのかもしれない。

 

草の緑,木々の緑も安らぎの効果をもたらす。米国での調査だが,窓から外の植物が見える部屋にいる受刑者は,緑が見えない受刑者に比べ医者にかかる回数が少ないことが報告されている。また,歯科医院に植物を置いておくと,痛みの感じ方が少ないともいう。

    

米国のUlrich(1984)は,胆嚢手術後の入院患者を,窓から木々の緑が見えるグループとレンガ塀が見えるグループに分けて健康回復の程度を詳細に調査した。そして,窓から緑が見えるグループでは鎮痛剤投与を要求する回数が有意に少ないこと,退院も早くなったことを報告した。これを証明する基礎研究も盛んに行われるようになった。例えば,植物の景観を見せると,脳波のα波が増え,脈拍が少なくなり,血圧が下がるという。これらは,米国だけでなく我が国にも大きなインパクトを与えた。緑の効果は実際に体験しなくても疑似体験でも認められる。国立がんセンター中央病院では,患者に緑豊かな木々の映像を見せて,あたかも林や森に行った気にさせることで,心拍数,血圧,呼吸を安定させ,ガン治療に伴う副作用の吐き気軽減に効果を上げている。

 

これは,個人的な体験だが,心臓病を患って長期入院したことがある。最初は,病室が8人部屋で,カーテンで8つに仕切られた真ん中だった。個人に与えられている居室空間が狭く,また薄暗く,寝ているとカーテンと天上の壁しか見ることが出来なかった。さらに,両側の患者さんの気配を感じながら結構憂鬱な毎日であった。ところが,6人部屋の窓側(東)に移ったときはある種のさわやかを感じた。朝,窓越しではあったが朝日を拝むことができたし,庭の樹木も,遠くの海も眺めることができた。秋になったときは紅葉が美しいと感じた。だから,米国の調査結果は肌で納得できるものであった。

 

しかし,仮想空間や窓越しの景色ではなく,現実の木々の緑の中に入ることが最も効果を発揮することは言うまでもいない。木々の肌触り,香り,音もリフレッシュ効果に役立つ。森の中に入って,耳を研ぎ澄ませば,風の音,小鳥たちの鳴き声,滝や小川のせせらぎ,動物たちの枯れ葉を踏んでいく音が聞こえてくる。賢治は,妹トシが病気でまさに死に至ろうとするとき,トシが好きだった松の林に降った「雪」と「松の枝」を取ってきて手渡したことが作品の中で記載されている。

はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから

おまへはわたくしにたのんだのだ

 銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの

そこからおちた雪のさいごのひとわんを・・・・・

・・・ふたきれのみかげせきざいに

みぞれはさびしくたまってゐる

わたくしはそのうえにあぶなくたち

雪と水とのまつしろな二相系をたもち

すきとほるつめたい雫にみちた

このつややかな松のえだから

わたくしのやさしいいもうとの

さいごのたべものをもらっていかう

    (「永訣の朝」1922.11.27   宮沢,1986)

 

  さつきのみぞれをとってきた

  あのきれいな松のえだだよ

おお おまえはまるでとびつくやうに

そのみどりの葉にあつい頬をあてる

そんな植物性の青い針のなかに

はげしく頬を刺させることは

むさぼるやうにさへすることは

どんなにわたくしたちをおどろかすことか

そんなにまでもおまへは林へいきたかつたのだ

おまへがあんなにねつに燃され

あせやいたみでもだえてゐるとき

わたしは日のてるところでたのしくはたらいたり

ほかのひとのことをかんがへながら森をあるいてゐた

   《ああいい さっぱりした

    まるで林のながさ来たよだ》

鳥のやうに栗鼠(りす)のやうに

おまへは林をしたつてゐた 

   (中略)

  おまえの頬の けれども

  なんといふけふのうつくしさよ

  わたくしは緑のかやのうへにも

  この新鮮な松のえだをおかう

  そら

  さはやかな

  terpentine(ターペンティン)の匂もするだらう

      (「松の針」1922.11.27  宮沢,1986)

 

なぜ,人は「肉体」あるいは「心」が疲弊したとき,あるいは「病気」になったとき,花や木々の緑を求めたり,それらによって癒されたりするのだろうか。香りや森の音のリフレッシュ効果もあるがそれだけではない。

 

ドイツの教育哲学者ボルノーが,1986年5月に日本に来日し「国際グリーン・フォーラム――都市と緑の文化戦略――」で講演したとき,彼は,「人間は,都会生活の機械的な時計で測られる時間の単調な経過の中では不活発になり疲弊する。しかし,四季の移り変わりの中で経験されるリズムを自然とともに共体験すると,自らの体内に存在するリズムが呼び戻されリフレッシュすることができる」と話した。

 

花や木々は,季節の動きに合わせて活動している。春の花や若葉,夏の花や青葉,秋の花や紅葉そして冬の枯葉や落葉。こうした季節感(宇宙リズム)が花や木々を求める重要な要因になっている。季節を感じる機会が多いほど体調は正常に維持される。これは「肉体」の回復だけを指すのではない。すでに,解剖学者の三木成夫(1995)は,「内臓のはたらきと子どものこころ」という著作のなかで,人間の「心」の本態を「からだに内臓された食と性の宇宙リズム」とし,人間の「心」もまた,植物のもつ四季の移り変わり,すなわち太陽系の諸周期と歩調を合わせる宇宙リズムと交響したときリフレッシュすると言っている(Shimafukurou,2021)。

 

雪と氷で閉ざされている北国で,鬱積した心の状態でいるとき,春一番に雪の中から芽を出してくるフキノトウやフクジュソウをみれば,誰しもが,心の奥底から「春だ」と叫ばずにはいられないであろう。秋のススキの穂の輝きを見れば,秋の深まりをしみじみと感じることになる。

 

賢治の妹のトシもまた,「銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいのそこからおちた雪のさいごのひとわん」や「松のえだ」に触れたとき,季節感を感じ,また宇宙リズムと交響し,肉体こそ回復しなかったが,一時でも「こころ」の平安を得ることは出来たことだろう。

                                 

参考・引用文献

三木成夫.1995.内蔵のはたらきと子どものこころ.築地書館.東京.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

Shimafukurou.2021.宮沢賢治の『鹿踊りのはじまり』―植物や動物と「こころ」が通う-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/08/01/101145

Ulrich R.S.1984.View through a window may influence recovery from surgery. Science 224:420-421.

 

本稿は,『植物と宮沢賢治のこころ』(蒼天社 2005年)に収録されている報文「植物の「こころ」はヒトの「こころ」を癒す」を加筆・修正にしたものです。

宮沢賢治の『鹿踊りのはじまり』―植物や動物と「こころ」が通う-

植物や動物に「心」があるのかと問う前に,「心」とは何かについて考えてみる。

「心」とは何かという問いに答えるのは難しいが,解剖学者で発生学者の三木成夫(1995)によれば,「心」とは物事に感じて起こる情であり,感応とか共鳴といった心情の世界を形成するものだという。そして,「心」のある場所は,頭(脳)というよりは,心臓,胃,子宮などの内臓器官であるといっている。「血がのぼる」,「胸がおどる」,「心がときめく」などは,人間の心情を心臓の興奮で表現したものであり,また,お腹が空いたり,子宮が28日毎に精子を待ち続け,そして「待ちぼうけ」を食らったりしたときの「いらいら」感も同様に「胃」とか「子宮」の切迫した状況での内臓表現であると言っている。無論,考えたり,知覚したりする高度な感覚は,精神の座である頭(脳)がつかさどっている事は言うまでもないが。

 

また,三木成夫(1995)は,内臓器官の動きには一定のリズムがあり,そのリズムは大自然のリズムあるいは宇宙リズムに照応していて,心の働きに密接に影響すると言っている。例えば,心臓の拍動と呼吸の周期は密接な関係があるが(心臓が四つ打つ間に一つ呼吸),呼吸のリズムは大海原の波打ちのリズムと関係があるという。

 

さらに,人間を含めて動物には獲物を求めて活動する「食」の相と,異性を求めてさ迷う「性」の相があるという。人間でははっきり区別できないが,例えば渡り鳥の行動をみればそれを納得できるはずである。一定の季節に孵化を終えた鳥たちは,生まれ故郷を離れ餌場に向かいそこで「食」の相を過ごす。そして,また時期がくれば「性」の相にもどり,飲まず食わずで,生まれ故郷の繁殖場へ大移動する。これを毎年繰り返すことになる。すなわち,動物の「食」と「性」の相のリズムは太陽系の周期(宇宙のリズム)に歩調を合わせている。そして,このような内臓器官のリズムが自然のリズムや宇宙リズムとうまく調和しなくなると,「心」の動揺や「心」の動転となって病理学的な異常を訴えることになるという。

 

このように,三木成夫は「心」と内臓の関係を宇宙リズムと関係づけて言及したが,さらに,人間だけでなく動物にも「心」はあると考えた。しかし,動物は人間のように「心」を意識することはない。人間の「胸がおどる」といった春情に匹敵する動物の「心」とは,「宇宙リズム」に乗って,自らの体を「食」の相から「性」の相へ,駆り立てていくものであり,それは動物体内に内蔵された宇宙リズムそのものである。

 

三木成夫の「心」への関心は植物にも及ぶ。彼は,動物の体内にある心臓は,植物にとっては光合成のもとである「太陽」であるといっている。植物は,豊かな大地に根をおろし,天空に向かって茎や葉という触手をのばし,太陽を中心とした循環回路のなかで光合成すなわち生の営みを行う。さらに,植物体は天地を結ぶ巨大な循環路の動物の器官でいえば毛細血管のようなものであるともいう。無論,動物と同様に,「食」の相である茎・葉の生い茂る季節と,「性」の相である花が咲き実のなる季節があり,種によって時期は異なるものの太陽系の周期と歩調を合わせる。例えば,太陽の高さと歩調をあわせながら,昼が短くなるとアサガオ,キク,コスモスなどが花を開き,昼が長くなるとドクダミなどが花を開く。このように,植物にも動物の内臓器官に相当するものがある。すなわち,植物にも人間や動物の内臓感覚に相当する「心」はあると言っている。

 

では,三木成夫にとって植物の「心」とは実際にどのようなものか。

 生まれつき一切の通信網を持たない,この生物が,では,いかにして四季の推移に順応することが出来るのか? それは地球の営む周行のリズムが,すでに体内に宿されていたから,と答えるよりなかろう。それ自身が,太陽を廻りながら,食と性を交代させる一個の惑星,いわば地球の“生きた衛星”となるのだ。植物達は,こうして“宇宙交響”の宴に加わりながら,そこに生の彩(いろど)りを添える。これが「植物の心」というものだ。

            (『海・呼吸・古代形象』 三木,1992)下線は引用者

 

このように三木成夫は,植物にも動物の宇宙と交響する内臓感覚と同じものがあると言っている。植物は,動物を特徴づける「感覚・運動」の神経組織も筋肉組織もないので,「食」と「性」の相を行き来することはできない。それゆえ,植物は「自身が,太陽を廻りながら,食と性を交代させる一個の惑星,いわば地球の“生きた衛星”」となり,「宇宙リズム」との「ハーモニー(調和)」に,まさに全身全霊を捧げつくすのである。そして,この「ハーモニー」こそ植物の純粋な「心」なのであると。

 

  では,次に人間,動物,植物の間で「心」が通うとはどのようなことなのか考えてみたい。動物の「心」と人間の「心」が通うということはよく知られている。しかし,植物の「心」が,動物や人間の「心」と通うということはありえるだろうか。仮想の話かもしれないが,宮沢賢治の『鹿踊(ししをど)りのはじまり』という童話作品を取り上げて考えてみよう。

 

この物語は,「ざあざあ吹いてゐた風が,だんだん人のことばにきこえ,やがてそれは,いま北上の山の方や,野原に行はれてゐた鹿踊りの,ほんたうの精神を語りました。」という出だしで始まる。膝を悪くした主人公の〈嘉十(かじゅう)が湯治場へ行く途中,野原で休憩することになるが,お腹がいっぱいになったのか栃と栗でできた団子を残してしまい,それを「ウメバチソウ」の近くに「こいづは鹿さ呉(け)でやべか。それ,鹿,来て喰(け)」と言って置いていく。このとき,〈嘉十〉はうっかり,「ウメバチソウ」と団子の近くに白い手拭(てぬぐい)を置き忘れてしまう。その後,手拭のないのに気がついて取りに戻るが,その手拭の廻りに6頭の「鹿(多分雄)」が大きな環になって集まり,そしてぐるぐる廻りながら,おそるおそる手拭の正体を暴こうとしている現場に出くわしてしまう。「鹿」にとって初めて見る手拭は何か得体の知れない恐ろしいものに見えたのかもしれない。

 

〈嘉十〉は,ススキの隙間からこの光景を覗いているが,いつしか「鹿」の言葉が聞き取れるようになる。「鹿」は,手拭が危険なものではないと分かると,関心が次第に手拭から,団子,そして「ウメバチソウ」へと移っていく。〈嘉十〉は,「鹿」が団子を分け合って食べた後に,一列に並び太陽を拝み,そして歌いだすという神秘的な現場に出会うことになる。

 太陽はこのとき,ちやうどはんのきの梢の中ほどにかかって,少し黄いろにかゞやいて居(を)りました。鹿のめぐりはまただんだんゆるやかになって,たがひにせわしくうなづき合ひ,やがて一列に太陽に向いて,それを拝むやうにしてまっすぐに立ったのでした。嘉十はもうほんたうに夢のやうにそれを見とれてゐたのです。

 一ばん右はじにたった鹿が細い声でうたひました。

 「はんの木(ぎ)の

  みどりみぢんの葉の向(むご)さ

  ぢやらんぢやららんの

  お日さん懸がる。」

 その水晶の笛のやうな声に,嘉十は目をつぶってふるへあがりました。右から二ばん目の鹿が,俄(には)かにとびあがって,それからからだを波のやうにうねらせながら,みんなの間を縫ってはせまはり,たびたび太陽の方にあたまをさげました。それからじぶんのところに戻るやぴたりととまつてうたひました。

 「お日さんを

  せながさしよへば,はんの木(ぎ)も

  くだげで光る

  鉄のかんがみ。」

   (中略)

 このとき鹿はみな首を垂れてゐましたが,六番目がにはかに首をりんとあげてうたひました。

 「ぎんがぎがの

  すすぎの底(そご)でそつこりと

  咲ぐうめばぢの

  愛(え)どしおえどし。」

 鹿はそれからみんな,みじかく笛のやうに鳴いてはねあがり,はげしくはげしくまはりました。

 北から冷たい風が来て,ひゆうと鳴り,はんの木はほんたうに砕けた鉄の鏡のやうにかゞやき,かちんかちんと葉と葉がすれあって音をたてたやうにおもはれ,すすきの穂までが鹿にまじつて一しよにぐるぐるめぐつてゐるやうに見えました。

 嘉十はもうまつたくじぶんと鹿とのちがひを忘れて,

「ホウ,やれ,やれい。」と叫びながらすすきのかげから飛び出しました。

    (「鹿踊りのはじまり」 宮沢,1986)

 

この作品には重要な植物として,ニシキギ科の「ウメバチソウ」(Parnassia palustris L. var. palustris;第1図)が登場する。「ウメバチソウ」には,まるい白い花弁が5枚あり,それを天満宮の梅鉢紋にたとえて名前がつけられた。茎につく葉は,ハート形または円形をしており茎を抱くような形になっている。花期は,8~10月で,日当たりのよい湿った草地に生える多年草である。作品からすれば,太陽が西へ移動するとき,太陽の高さがちょうどハンノキの頂から梢の中ほどにある頃にススキ(第2図)の下で「ウメバチソウ」が咲くということになる。すなわち,「ウメバチソウ」は太陽系の周期に歩調を合わせ,言葉を代えれば昼の長さが短くなり,夜の長さが長くなるころに「食」の相から「性」の相へ変わり花を咲かせ実をつける。

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第1図.ウメバチソウ(箱根湿生花園で撮影)

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第2図.ススキ

 いっぽう,「鹿達(多分雄)」も10~11月の「性」の相すなわち繁殖期が近づいていることを彼らの宇宙リズムと共感する内臓器官で察知することになる。「雄鹿」は,繁殖期が近づくと「雌鹿」を求めて笛のような泣き声を発することが知られている。

 

作品では,六番目の「鹿」が,「ぎんがぎ」という太陽の光でまぶしく輝いているススキの下で「そつこり」と咲く「ウメバチソウ」を見て,「愛どしおえどし(いとし,おいとしいの意)」と恋心を歌う。このとき,「鹿達」の心臓の拍動は速くなり,その拍動に合わせて環のめぐりのスピードも速くなった。すなわち,「鹿はそれからみんな,みじかく笛のやうに鳴いてはねあがり,はげしくはげしく」廻ることになる。そこに,さらに主人公の〈嘉十〉までもが心がときめいたのか,または胸がおどったのか「じぶんと鹿とのちがひを忘れて」,「ホウ,やれ,やれい」と相槌まで打ってしまう。この「ホウ,やれ,やれい」という掛け声は,〈嘉十〉にとっては頭(脳)で考えたのではなく,心臓あるいは内臓の奥底から発した心情的な「こころ」の叫びであったに違いない。〈嘉十〉もまた,「ウメバチソウ」と「鹿」の踊りを見て恋心に似た感情が芽生えたのだ。

 

「鹿」,「ウメバチソウ」,〈嘉十〉の「心」が通じ合い,太陽系あるいは宇宙と一体化し交響した瞬間であろう。この場面では,人間も自然の一部だということだ。

  

 植物でも動物でも「心」をこめて育てればりっぱに成長してくれるという。人間の「心」と動植物の「心」が通じ合うのは,あながち賢治の童話の中だけということでもなさそうだ。

 

参考・引用文献

三木成夫.1992.海・呼吸・古代形象 生命記憶の回想.うぶすな書院.東京.

三木成夫.1995.内蔵のはたらきと子どものこころ.築地書館.東京.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

 

本稿は,『宮沢賢治に学ぶ 植物のこころ』(蒼天社 2004年)に収録されている報文「植物や動物と「こころ」が通う(試論)」を加筆・修正にしたものです。

 

ススキを扱ったものとして以下の記事がある。

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-光り輝くススキと絵画的風景(1)https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/27/121321

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-光り輝くススキと絵画的風景(2)https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/27/123334

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-ススキと鳥を捕る人の類似点-https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/23/141519

宮沢賢治と赤い点々で危険を知らせる野ばらの実

Key words;十力の金剛石,国際信号旗,野ばら

 

『十力の金剛石』(1921年)には王子と大臣の子の2人の少年が登場する。王子は,2人で自分の持っているルビーよりももっといい宝石を探しに森へ出かける。しかし,「サルトリイバラ」が王子の着物に鉤(かぎ)でひっかけて引き留めようとする。「サルトリイバラ」(猿捕茨;Smilax china L.;第1図)とはユリ科に分類され茎に鉤状の棘(とげ)のあるつる性低木である。根茎(こんけい)を菝葜(バツカツ)と呼び,排膿薬(はいのうやく)・解毒薬とした。

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第1図.サルトリイバラ. 

王子は,この解毒薬にもなる「サルトリイバラ」を自分の剣で切って,森の奥へ入っていく。2人が森の中の草の丘に着くと,ダイヤモンドやサファイアの霰(あられ)が降ってきて,丘の上の草もたくさんの宝石に変身して光輝く(光の丘)。「リンドウ」(第2図)は天河石(アマゾンストン)の花と硅孔雀石(クリソコラ)の葉で,「センブリ(当薬;第3図)」は碧玉(へきぎょく)の葉と紫水晶の蕾で,そして「ノイバラ」は琥珀(こはく)の枝とまっ赤なルビーの実で組み上がっている。

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第2図.リンドウ.

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第3図.センブリ.

花の中も宝石でいっぱいである。王子はこれら宝石を持って帰ろうとするが,このとき擬人化された薬草たちが「光の丘は暗い」とか「悲しい」とか言って歌い出す。しばらくして,王子は自分の手に入れたいものをたくさん持っている薬草たちがなぜ「悲しい」と歌っているのか不思議に思う。 

 二人は腕を組んで棒のやうに立ってゐましたが王子はやっと気がついたやうに少しからだを屈めて

「ね,お前たちは何がそんなにかなしいの。」と野ばらの木にたづねました。

 野ばらは赤い光の点々を王子の顔に反射させながら

「今云った通りです。十力の金剛石がまだ来ないのです。」

 王子は向ふの鈴蘭の根もとからチクチク射して来る金色の光をまぶしさうに手でさへぎりながら

「十力の金剛石ってどんなものだ。」とたづねました。                                  

              (『十力の金剛石』 宮沢,1986) 下線は引用者

 

薬草たちは,「十力の金剛石がまだ来ない」ので「悲しい」と言っているが,王子にはなぜ「悲しい」のか理解できない。そこで薬草たちは王子に光で警告し,その真意を伝えようとする。「野ばら」は「赤い光の点々」を,「鈴蘭」は「根もとから金色の光」を王子の顔に反射させる。この光が何を意味しているのかを知ることは物語の理解を深めると思われる。

 

この物語の「野ばら」とは,バラ科の落葉性低木の「ノイバラ」(野茨;Rosa multiflora Thunb.)のことである(第4図)。秋期に赤く小球形の偽果(ぎか)になる(第5図)。この果実は「営実(エイジツ;局方生薬)」と呼び峻下薬(しゅんげやく;強い作用を呈する下剤)とする。「鈴蘭」とはユリ科の多年草である「スズラン」(Convallaria keiskei Miq.;第6図)のことである。根と根茎に強心配糖体コンバラトキシンを含み,古い薬草書には強心利尿薬として分類されていたが一般には用いない。多量に摂取すると呼吸停止,心不全状態に陥り死に至るからである。すなわち,有毒植物でもある薬草の毒成分を多量に含有する部位に光を当て,その反射光で王子に危険を知らせている。

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第4図.ノイバラの花.

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第5図.ノイバラの実

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第6図.スズラン.

なぜ危険信号だと分かるのかというと,ルビーのような赤い「ノイバラ」の実を使って「赤い光の点々」を照射されると,その被照射面に危険を知らせる「信号旗」と同じ模様が現れるからである。

 

スタジオジブリのアニメ映画『コクリコ坂から』には,主人公が戦争で亡くなった船乗りの父を偲(しの)んで毎朝庭に「旗」を揚げるシーンが出てくるが,この「旗」は国際信号旗のU旗とW旗を並べた2字信号(図7)で「安全な航海を祈る」を意味する。模様が「赤い点々」にも見えるU旗を,単独で1字信号の「旗」で使うと「貴船の進路に危険あり」となる。賢治は,この国際信号旗のU旗が王子の顔に映し出されるようにしたのだと思われる。 

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第7図.国際信号旗(「安全な航海を祈る」の意味) 

「野ばら」が王子の顔に「赤い光の点々」を照射したのは,「有益なサルトリイバラをばっさり切り捨て,たくさんの毒のある宝石を手に入れようとするあなたは危険に向かっています」という意味だと思われる。

 

同様に,童話『銀河鉄道の夜』でも白鳥区が終わるところで,野ばらの実が「三角標」の上にはためく測量旗に「赤い点々」を付けている。この「赤い点々」も「貴列車の進路に危険あり」を意味する信号であると思われる。信仰心を失って物質的豊かさをもたらす「科学」に依存し始めた人々への警告である。

 

物語の後半で「十力の金剛石」が「露」だと知らされる。「十力の金剛石」は「露」ということなので「生命の源の水」という意味になるが,賢治は仏教思想に共感した人なので「如来(仏)の力」あるいは「ほんたう(真実)の力」という意味も含まれる。実際に,「十力の金剛石(露)」が丘に下って来ると,硬い毒々しい宝石だった薬草たちは,歓喜し「ほんたうの柔らかなうすびかりする緑色の草」に戻る。そして,丘を去る王子の足に再度「サルトリイバラ」の鉤がひっかかるが,王子はこれを剣で切るのではなく屈んで静かにそれをはずす。

 

参考・引用文献

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集.筑摩書房.東京.

 

本稿は,「薬学図書館」(2017年62巻3号)に投稿した原稿「『十力の金剛石』に登場する赤い野ばらの実」を加筆修正したものです。

 

賢治と赤く変色するリトマス試験紙

Key words:毒蛾,北守将軍と三人兄弟の医者,サルオガセ

 

溶液の酸性度を測る指示薬にリトマス試験紙というのがあります。青色のリトマス試験紙が赤に変色すれば酸性,逆に赤が青に変色すればアルカリです。今では殆ど使われませんが,先生の目を盗んで,身の回りの物の酸性度を手当たり次第測定した理科の授業が懐かしく思いだされます。しかし,これがある植物を原料にして作られるということを皆さんご存知だったでしょうか。

 

赤色と青色の花が咲く「アジサイ」を思い浮かべる人が多いと思いますが,残念ながら違います。確かに「アジサイ」の花にはアントシアニンという色素があり,リトマス試験紙のように細胞液が酸性になると青花が赤花に変化するとされています。賢治の詩「種山ヶ原(先駆形)」(1925.7.19)にも,「花青素(アントケアン)は一つの立派な指示薬だから/その赤いのは細胞液の酸性により」とあります。

 

賢治は,花青素にアントケアンとルビを振っていますが,アントシアニンのことだと思われます。しかし,「アジサイ」はリトマス試験紙の原料にはしません。実は,リトマス試験紙は「リトマスゴケ」とか「サルオガセ」という地衣植物(菌類と藻類の共生してできている生物)から作られます。「リトマスゴケ」は,アントシアニンではなくジフラクタ酸(diffractaic acid)やレカノール酸(lecanoric acid)という色素を含みます(重松,2021)。

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第1図.アジサイの仲間.

「リトマスゴケ」は日本には自生していません。一方,「サルオガセ」は我が国でも比較的標高の高い所で見受けられます。残念ながら大磯では高い山がないので確認の記録はありません。「サルオガセ」の写真はブログ・イーハトーブ・ガーデンで見ることができます(Nenemu8921,2011)。「サルオガセ」は,青白くトロロコンブや仙人の鬚(ひげ)のような形をしていて巨木などの枝に垂れ下がっています。霧などの空気中の水分を強力に吸い取る作用があるので,よく観察するとポタポタと水音が周囲に響くほど水を滴らせていると言われています。「サルオガセ」は,乾燥させて枕のソバガラの代わりに使うとリラックス効果があるということで古くから使われているとありますが,一般の人にはなじみのない植物です。

 

1.北守将軍と三人兄弟の医者

賢治は,一般の人が関心を持たない植物でも自らの作品の中にさりげなく登場させます。『児童文学』(1931年)に発表した『北守将軍と三人兄弟の医者』という作品です。この作品の初期形で,賢治は「サルオガセ」という珍しい植物を登場させていますが,ストーリーも奇抜です。30年間戦場で戦うときも休むときも,一度も馬から降りなかった北守将軍の顔や手に「サルオガセ」がびっしりと付いてしまうというお話です。単に「サルオガセ」を将軍の顎鬚(あごひげ)のようなものとして登場させているのではなく,植物医師(リンポー先生)が巴図(はず)の粉を振りかけるとリトマス試験紙のように「サルオガセ」が赤く変色するというのです。

若いリンポー先生は,将軍の顔をひと目みてていねいに礼をした。

「ご病気はよくわかりました。すぐになほしてさしあげます。おい,巴図(はづ)の粉をもってこい。」

 すぐに黄いろなはづの粉を,一人の弟子がもってきた。リンポー先生はその粉をすっかり将軍の,顔から肩へふりかけて,それから大きなうちわをもって,パタバタバタバタ扇ぎだした。するとたちまちさるをがせはみんなまっ赤にかはってしまいぴかぴかひかって飛び出した。見てゐるうちに将軍はすっかりきれいにさっぱりした。将軍は気がせいせいして,三十年ぶり笑いだした。

(『北守将軍と三人兄弟の医者』 初期形 宮沢,1986)下線は引用者

 

巴図の粉とは,多分トウダイグサ科( Euphorbiaceae )の「巴豆」(はず; Croton tiglium L.)の種子から作られた黄色い粉のことだと思われます。現在では,ほとんど使われていないと思いますが,昔は果実を輸入して乾燥させた種子を下剤薬として使ったものです。「巴豆」の種子には,ハズ油を多く含みます。ハズ油の主成分であるクロトン酸は低分子化合物で水に可溶です。黄色い粉末を水に溶かせば,溶けた部分の溶液は酸性になると思います。

 

すなわち,水をたっぷり吸った青白い「サルオガセ」に,「巴豆」の粉を振りかければ「サルオガセ」が赤く変色することはあり得る話だということです。また,「巴豆」には皮膚刺激作用(多量では水泡形成)もあるため,実際に皮膚に「サルオガセ」がへばり付いたとしても容易に剥がすことが可能だったかもしれません。

 

賢治は,当時「サルオガセ」と「巴豆」について十分な知識も持っていたのでしょうか。賢治研究家で教師でもあった板谷英紀さんが著書の中で,大戦中リトマス試験紙が入手困難になったとき,その代用品として「ヨコワサルオガセ」が使われたということを記載しています(板谷,1988)。『北守将軍と三人兄弟の医者』という作品が書かれたのは大戦前ですから,賢治は「巴豆」に関する知識はあったにせよ,「サルオガセ」からリトマス試験紙が作られるということは知らなかったと思われます。ではなぜ,「サルオガセ」に「巴豆」の粉をかけると赤くなるということを知ったのでしょうか。もしかしたら,好奇心の強い賢治は,実際に実験して確認したのかもしれません。

 

もう1つ解らないことがあります。なぜ,植物医師のリンポー先生は,凱旋時に将軍の顎鬚のような「サルオガセ」を赤く変色させたのでしょうか。別の言葉で言い換えれば,なぜ「黄色」をした「巴豆」の粉で「赤く」したのでしょうか。多分,賢治は将軍や兵士がこれ以上戦場で戦うのを「止め」たかったからと思われます。これは,交通信号機と関係があると思います。童話が書かれる1年前の1930年に緑(青),黄,赤3色の自動式信号機が,日比谷交差点に設置されました。「黄」の次の「赤」は「止まれ」の合図です。実際に,将軍は王様の「大将たちの大将になってくれ」という要請を断り,郷里に帰って百姓になります。

 

「赤」で象徴される「止まれ」の合図を守らなかったのは,童話『よく利く薬とえらい薬』に登場する大三です。大三は,健康であるにも係わらず,体が健康になると言われている「透き通ったバラの実」を探しに森の中に入っていきます。カケスが大三の足下に「赤茶色」のクリの実の皮を落として,この先に「進むな」と合図します。大三は,これを無視して森の中へ進み,集めた不透明なバラの実(ノイバラの実)をにせ金造りの技術を使って透明にしてしまいます。しかし,大三が作ったのは毒薬の昇汞で,大三はそれを飲んで死んでしまいます。

 

一方,病気の母親のために「透き通ったバラの実」を探している清夫には,カケスは「青色」のドングリの実を落とします。清夫は,森の中に進み「透き通ったバラの実」を発見し母親の病気を治します。この「透き通ったバラの実」が何を意味しているかについては,本ブログ「植物から宮沢賢治の『よく利く薬とえらい薬』の謎を読み解く」で明らかにされているのでご覧ください(shimafukurou,2021)。

 

2.毒蛾

賢治がリトマス試験紙(液)を使っていろいろと実験していたことを窺わせる作品が他にもあります。『毒蛾』という作品です。内容は文部局巡回視学官の主人公がイーハトブへ出かけたとき,触れると皮膚炎を引起こす「ドクガ」という蛾の発生に遭遇したというものです。そして,大学を視察中に,「ドクガ」の毒針毛(作品の中では鱗粉と記載)中に含まれる成分をつきとめる実験現場に立ち会いました。

 校長が,みんなを呼ぼうとしたのを,私は手で止めて,そっとそのうしろに行って見ました。

やっぱり毒蛾の話です。多分毒蛾の鱗粉(りんぷん)を見てゐるのだと私は思ひました。

「中軸はあるにはありますね。」

「その中軸に,酸があるのぢゃないですか。」

「中軸が管になって,そこに酸があって,その先端が皮膚にささって,折れたときに酸が注ぎ込まれるといふんですか。それなら全く模型的ですがね。」

「しかしさうでないとも云へないでせう。たゞ中軸が管になってゐることと,その軸に酸が入ってゐることが,証明されないだけです。」

 (中略)

 青いリトマス液が新しいデックグラスに注がれました。

「顕著です。中軸だけが赤く変わってゐます。」その教授は云ひまいた。

「どれ拝見。」私もそれをのぞき込みました。

 全く槍(やり)のやうな形の,するどい鱗粉が,青色リトマスで一帯に青く染まって,その中に中軸だけが暗赤色に見えたのです。

(『毒蛾』 宮沢,1986) 

 

ここでも,毒針毛の毒の成分を赤で染めて危険なものであることを知らせています。

毒針毛は,ドクガの幼虫と成虫にあり,長さが100ミクロン前後で形は賢治が作品の中で記載しているように細長い槍のような形をしたものです。幼虫では,一匹で600万本くらいが体表に生えているそうです。触ると,容易に脱落し皮膚に付着します。現在でも,「ドクガ」の毒針毛に含まれる内容物の酸性度を測ってみようとしたり,文章にしようとしたりする人など大学の専門家以外にそう多くはいないと思います。

 

このように,賢治は人々から見向きもされないような植物あるいは毛嫌いされる動物を,さりげなく作品に取り上げていますが,賢治の豊富な知識と,鋭くそして科学的な観察力には驚かされます。

 

県立大磯城山公園には,サザンカ(町の木に指定),ツバキ,カンツバキ等のツバキ科の植物が多数植栽されています。このツバキ科の植物には「ドクガ」の仲間である「チャドクガ」が発生することがあります。「ドクガ」と同様に毒針毛を持ちこれに触れると皮膚炎を起こします。発生が確認されたら近づかないようご注意ください。もちろん,リトマス紙(液)で酸性度を測る必要などありません。

 

参考・引用文献

板谷英紀.1988.宮沢賢治と化学.裳華房.東京.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

Nenemu8921.2011(更新年).イーハトーブ・ガーデン 八千穂高原①サルオガセ.https://nenemu8921.exblog.jp/16637778/

重松聖二.2021.7.23.(調べた日付).植物色素のpHによる色の変化.https://center.esnet.ed.jp/uploads/06kenkyu/04_kiyou_No73/h18_22-02.pdf

Shimafukurou.2021(更新年).宮沢賢治と橄欖の森 植物から宮沢賢治の『よく利く薬とえらい薬』の謎を読み解く.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/05/05/182423

 

本稿は,『宮沢賢治に学ぶ 植物のこころ』(蒼天社 2004)年に収録されている報文「リトマス試験紙」を加筆・修正にしたものです。『北守将軍と三人兄弟の医師』と同様に反戦童話に分類されると思われるものに『烏の北斗七星』があります。興味ある方は,本ブログの「植物から宮沢賢治の『烏の北斗七星』の謎を読み解く」(2021.5.3)もご覧ください。

 

県立大磯城山公園周辺の希少植物

Key words:フォッサ・マグナ要素の植物,「花鳥図譜,八月,早池峰山巓」

 

神奈川県立大磯城山公園およびその周辺で,たくさんの自生植物や植栽植物を観察することができる。その中には,イソギク,ハコネウツギ,ガクアジサイ,オオバヤシャブシ,クゲヌマランなどのフォッサ・マグナ要素の植物という他の地域では見られないものも含まれている。フォッサ・マグナ要素の植物とは,あまり聞きなれない名である。これは,日本の植物相を大きく5つの地区(北海道地区,日本海地区,関東陸奥地区,襲速紀地区,フォッサ・マグナ地区)に分けたときの1つで,糸魚川-静岡構造線の東側の地溝帯に対して名づけられたものである。具体的には,北は八ヶ岳から,西は赤石山脈,東は関東山地から房総半島,南は伊豆諸島の青ヶ島に至る地域である。

 

大磯を含めてこの地域は,遠い昔は海に没していて,第3紀中頃の火山活動に伴い隆起し,そこへ侵入,定着し,適応・変成した植物がフォッサ・マグナ要素と呼ばれる植物群である。ちなみにフォッサ・マグナとは「大きな溝」と言う意味の地質学上の言葉である。

 

フォッサ・マグナ要素の植物のうち,「クゲヌマラン」(Cephalanthera longifolia (L.) Fritsch;第1図)は,湘南海岸のクロマツ林の砂地に生える「ギンラン」(Cephalanthera erecta (Thunb.) Blume);第2図)の海岸型とされていて,藤沢市鵠沼海岸で発見され命名された。高さ20~40cmで5月頃に10個くらいの白い花をつける。花は,「ギンラン」と同様にほとんど開かない。希少種で県立大磯城山公園周辺では2003年5月に初めて観察された(石井,2006)。

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第1図.クゲヌマラン

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第2図.ギンラン

希少種といえば,城山公園周辺にもう1種「サガミラン」という非常に珍しいラン科の植物が確認されている(2001~2004年)。「サガミラン」(Cymbidium nipponicum (Franch. et Sav.) Rolfe;第3図)は,背丈が10~20cmで葉は鱗片状に退化し葉緑素をほとんどもたず腐生生活をしている(菌類と共生)。わずかに花茎が緑色で光合成を行っていたころの名残をとどめている。自生地で10株くらいが確認されていて7月~10月にかけて花をつける。「サガミラン」は,ほとんど詳細な研究がなされていないのでフォッサ・マグナ要素の植物かどうかわからないが,絶滅危惧種にも指定されている希少種である。第4図は,城山公園周辺で見つかった「マヤラン」(Cymbidium macrorhizon Lindl.)である。

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第3図.サガミラン.

 

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第4図.マヤラン.

 

このように,県立大磯城山公園およびその周辺にはフォッサ・マグナ要素の植物や絶滅が危惧されている貴重な植物が自生している。このような植物は,環境の影響を受けやすいし,栽培法も確立していないものもあるのでむやみに採取することはつつしまなければならない。むしろ,郷土の貴重な財産として保護していく必要がある。

 

しかし,実際どのように保護していくかは難しい。一つは,公園入り口に「希少植物の保護」を訴える立札を立てるのもよいと思われる。それ以外では,各自の良心に訴えるしかない。

 

以下,自らおよび公園を訪れる方の良心に届くように貴重植物の保護を扱った宮沢賢治の詩の一部を記載しておく。この詩は,貴重な高山植物を根こそぎ採取していく者と,森林主事の会話形式をとっている。

(根こそげ抜いて行くやうな人に限って

それを育てはしないのです 

ほんとの高山植物家なら

時計皿とかペトリシャーレをもって来て

眼を細くして種子だけ採っていくもんです)

(魅惑は花にありますからな)

(魅惑は花にありますだって 

こいつはずゐ分愕いた 

それならひとつ 

袋をしょってデパートへ行って

いろいろと魅惑にあるものを

片っぱしから採集して

それで通れば結構だ)

(けれどもこゝは山ですよ)

(山ならどうだと云ふんです

ここは国家の保安林で

いくら雲から抜けでてゐても

月の世界ぢゃないですからな 

それに第一常識だ,

新聞ぐらゐ読むものなら

みんな判ってゐる筈なんだ,

ぼくはこゝから顔を出して

ちょっと一言物を言へば,

もうあなた方の教養は,

手に取るやうにわかるんだ,

教養のある人ならば

必ずぴたっと顔色がかはる)

(わざわざ山までやって来て

そこまで云われりゃ沢山だ)

(さうですこゝまで来る途中には

二箇所もわざわざ札をたてて

とるなと云ってあるんです)

(二十万里の山の中へ二つたてたもすさまじいや)

(あなたは谷をのぼるとき

どこを見ながら歩いてました)

(ずゐ分大きなお世話です 

雲を見ながら歩いてました)

(なるほど雲だけ見てゐた人が

山を登ってしまったもんで

俄かにショベルや何かを出して

一貫近く花を荷造りした訳ですね 

それもえらんでこゝ特産の貴重種だけ 

ぼくはこいつを趣味と見ない 

営利のためと断ずるのだ)

(ぼくの方にも覚悟があるぞ)

(覚悟の通りやりたまへ,

花はこっちへ貰ひます 

道具はみんな没収だ,

あとはあなたの下宿の方へ

罰金額を通知します)

      (中略)

(高橋さんがさう云ふんだよ 

何でも三紀のはじめ頃 

北上山地が一つの島に残されて

それも殆ど海面近く,

開析されてしまったとき 

この山などがその削剥の残丘だと 

なんぶとらのをとか・・・・・とか  

いろいろな特種な植物が

この山にだけ生えてるのは

そのためだらうといふんだな)

(「花鳥図譜,八月,早池峰山巓(はやちねさんてん)」 宮沢,1986)

 

参考・引用文献

石井竹夫.2006.賢治と学ぶ 大磯四季の花 上(春・初夏編).蒼天社.神奈川.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

 

本稿は,『宮沢賢治に学ぶ 植物のこころ』(蒼天社 2004)年に収録されている報文「県立大磯城山公園周辺の希少植物」を加筆・修正にしたものである。