宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治と赤い点々で危険を知らせる野ばらの実

Key words;十力の金剛石,国際信号旗,野ばら

 

『十力の金剛石』(1921年)には王子と大臣の子の2人の少年が登場する。王子は,2人で自分の持っているルビーよりももっといい宝石を探しに森へ出かける。しかし,「サルトリイバラ」が王子の着物に鉤(かぎ)でひっかけて引き留めようとする。「サルトリイバラ」(猿捕茨;Smilax china L.;第1図)とはユリ科に分類され茎に鉤状の棘(とげ)のあるつる性低木である。根茎(こんけい)を菝葜(バツカツ)と呼び,排膿薬(はいのうやく)・解毒薬とした。

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第1図.サルトリイバラ. 

王子は,この解毒薬にもなる「サルトリイバラ」を自分の剣で切って,森の奥へ入っていく。2人が森の中の草の丘に着くと,ダイヤモンドやサファイアの霰(あられ)が降ってきて,丘の上の草もたくさんの宝石に変身して光輝く(光の丘)。「リンドウ」(第2図)は天河石(アマゾンストン)の花と硅孔雀石(クリソコラ)の葉で,「センブリ(当薬;第3図)」は碧玉(へきぎょく)の葉と紫水晶の蕾で,そして「ノイバラ」は琥珀(こはく)の枝とまっ赤なルビーの実で組み上がっている。

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第2図.リンドウ.

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第3図.センブリ.

花の中も宝石でいっぱいである。王子はこれら宝石を持って帰ろうとするが,このとき擬人化された薬草たちが「光の丘は暗い」とか「悲しい」とか言って歌い出す。しばらくして,王子は自分の手に入れたいものをたくさん持っている薬草たちがなぜ「悲しい」と歌っているのか不思議に思う。 

 二人は腕を組んで棒のやうに立ってゐましたが王子はやっと気がついたやうに少しからだを屈めて

「ね,お前たちは何がそんなにかなしいの。」と野ばらの木にたづねました。

 野ばらは赤い光の点々を王子の顔に反射させながら

「今云った通りです。十力の金剛石がまだ来ないのです。」

 王子は向ふの鈴蘭の根もとからチクチク射して来る金色の光をまぶしさうに手でさへぎりながら

「十力の金剛石ってどんなものだ。」とたづねました。                                  

              (『十力の金剛石』 宮沢,1986) 下線は引用者

 

薬草たちは,「十力の金剛石がまだ来ない」ので「悲しい」と言っているが,王子にはなぜ「悲しい」のか理解できない。そこで薬草たちは王子に光で警告し,その真意を伝えようとする。「野ばら」は「赤い光の点々」を,「鈴蘭」は「根もとから金色の光」を王子の顔に反射させる。この光が何を意味しているのかを知ることは物語の理解を深めると思われる。

 

この物語の「野ばら」とは,バラ科の落葉性低木の「ノイバラ」(野茨;Rosa multiflora Thunb.)のことである(第4図)。秋期に赤く小球形の偽果(ぎか)になる(第5図)。この果実は「営実(エイジツ;局方生薬)」と呼び峻下薬(しゅんげやく;強い作用を呈する下剤)とする。「鈴蘭」とはユリ科の多年草である「スズラン」(Convallaria keiskei Miq.;第6図)のことである。根と根茎に強心配糖体コンバラトキシンを含み,古い薬草書には強心利尿薬として分類されていたが一般には用いない。多量に摂取すると呼吸停止,心不全状態に陥り死に至るからである。すなわち,有毒植物でもある薬草の毒成分を多量に含有する部位に光を当て,その反射光で王子に危険を知らせている。

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第4図.ノイバラの花.

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第5図.ノイバラの実

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第6図.スズラン.

なぜ危険信号だと分かるのかというと,ルビーのような赤い「ノイバラ」の実を使って「赤い光の点々」を照射されると,その被照射面に危険を知らせる「信号旗」と同じ模様が現れるからである。

 

スタジオジブリのアニメ映画『コクリコ坂から』には,主人公が戦争で亡くなった船乗りの父を偲(しの)んで毎朝庭に「旗」を揚げるシーンが出てくるが,この「旗」は国際信号旗のU旗とW旗を並べた2字信号(図7)で「安全な航海を祈る」を意味する。模様が「赤い点々」にも見えるU旗を,単独で1字信号の「旗」で使うと「貴船の進路に危険あり」となる。賢治は,この国際信号旗のU旗が王子の顔に映し出されるようにしたのだと思われる。 

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第7図.国際信号旗(「安全な航海を祈る」の意味) 

「野ばら」が王子の顔に「赤い光の点々」を照射したのは,「有益なサルトリイバラをばっさり切り捨て,たくさんの毒のある宝石を手に入れようとするあなたは危険に向かっています」という意味だと思われる。

 

同様に,童話『銀河鉄道の夜』でも白鳥区が終わるところで,野ばらの実が「三角標」の上にはためく測量旗に「赤い点々」を付けている。この「赤い点々」も「貴列車の進路に危険あり」を意味する信号であると思われる。信仰心を失って物質的豊かさをもたらす「科学」に依存し始めた人々への警告である。

 

物語の後半で「十力の金剛石」が「露」だと知らされる。「十力の金剛石」は「露」ということなので「生命の源の水」という意味になるが,賢治は仏教思想に共感した人なので「如来(仏)の力」あるいは「ほんたう(真実)の力」という意味も含まれる。実際に,「十力の金剛石(露)」が丘に下って来ると,硬い毒々しい宝石だった薬草たちは,歓喜し「ほんたうの柔らかなうすびかりする緑色の草」に戻る。そして,丘を去る王子の足に再度「サルトリイバラ」の鉤がひっかかるが,王子はこれを剣で切るのではなく屈んで静かにそれをはずす。

 

参考・引用文献

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集.筑摩書房.東京.

 

本稿は,「薬学図書館」(2017年62巻3号)に投稿した原稿「『十力の金剛石』に登場する赤い野ばらの実」を加筆修正したものです。