宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

植物の「こころ」はヒトの「こころ」を癒す

花や植物の緑を見ると,不安や緊張がほぐれて気持ちが和らぐことをしばしば経験する。ある植物研究家が,どんな花が気持ちを和らげる効果が強いかどうか調べていた。それによると,コスモス,コギク,カスミソウ,スミレなどの小さくて可憐な花にそのような効果が強いことが分かったという。スミレの仲間であるパンジーなどは病院の花壇に限らず,公園や植物園の花壇でよく見かける。一方,バラ,ヒマワリなどの色が鮮やかで大きな花を咲かせる植物は,逆に気持ちを高揚させる効果があるという。

 

賢治は,大正15年(1926)と昭和2年の2年間の間,花巻病院の花壇作りに関係したとされる。この期間は,かなり楽しかったようで,その様子が詩集『春と修羅 詩稿補遺』の「病院の花壇」や「短編梗概」の「花壇工作」という作品に記載されている。「病院の花壇」では,ヒヤシンス,キャンデタクト,ツメクサの花が登場する。「花壇工作」でもムスカリ,チュウリップなど何種類かの草花が登場するが,見る側の視線を気にしながら花壇作りに対する賢治の熱い思いが述べられている。

 そこでおれはすっかり舞台に居るやうなすっきりした気持ちで四月の初めに南の建物の影が落ちて呉(く)れる限界を屋根を見上げて考へたり朝日や夕日で窓から花が逆光線に見えるかどうか目測したりやってから例の白いはうたいのはじで庭に二本の対角線を引かせてその方庭(ほうてい)の中心を求めそこに一本杭を立てた。

 そのとき窓に院長が立ってゐた。云った。

    (どんな花を植ゑるのですか。)

    (来春はムスカリとチュウリップです。)

    (夏は)

    (さうですな。まんなかをカンナとコキア,観葉種です,それから 

    花甘藍(はなかんらん)と,あとはキャンデタフトのライラックと白で 

    模様をとったりいろいろします。)

      (中略)

 だめだだめだ,これではどこにも音楽がない。おれの考へてゐるのは対称はとりながらごく不規則なモザイクにしてその境を一尺のみちに煉瓦(れんぐわ)をジグザグに埋めてそこへまっ白な石灰をつめこむ。日がまはるたびに煉瓦のジグザグな影も青く移る。あとは石灰からと鋸屑(おがくづ)で花がなくてもひとつの模様をこさへこむ。それなのだ。              

          (「花壇工作」宮沢,1986)

 

賢治は,チュウリップやカンナなどの色鮮やかな花と白い石灰の間に,ヒヤシンス,ムスカリそしてキャンデタクトといった可憐な花を配置している。もしかしたら,賢治はこれら可憐な花が患者の不安や緊張を和らげることを直感的に察して,これらを植えようとしたのかもしれない。

 

草の緑,木々の緑も安らぎの効果をもたらす。米国での調査だが,窓から外の植物が見える部屋にいる受刑者は,緑が見えない受刑者に比べ医者にかかる回数が少ないことが報告されている。また,歯科医院に植物を置いておくと,痛みの感じ方が少ないともいう。

    

米国のUlrich(1984)は,胆嚢手術後の入院患者を,窓から木々の緑が見えるグループとレンガ塀が見えるグループに分けて健康回復の程度を詳細に調査した。そして,窓から緑が見えるグループでは鎮痛剤投与を要求する回数が有意に少ないこと,退院も早くなったことを報告した。これを証明する基礎研究も盛んに行われるようになった。例えば,植物の景観を見せると,脳波のα波が増え,脈拍が少なくなり,血圧が下がるという。これらは,米国だけでなく我が国にも大きなインパクトを与えた。緑の効果は実際に体験しなくても疑似体験でも認められる。国立がんセンター中央病院では,患者に緑豊かな木々の映像を見せて,あたかも林や森に行った気にさせることで,心拍数,血圧,呼吸を安定させ,ガン治療に伴う副作用の吐き気軽減に効果を上げている。

 

これは,個人的な体験だが,心臓病を患って長期入院したことがある。最初は,病室が8人部屋で,カーテンで8つに仕切られた真ん中だった。個人に与えられている居室空間が狭く,また薄暗く,寝ているとカーテンと天上の壁しか見ることが出来なかった。さらに,両側の患者さんの気配を感じながら結構憂鬱な毎日であった。ところが,6人部屋の窓側(東)に移ったときはある種のさわやかを感じた。朝,窓越しではあったが朝日を拝むことができたし,庭の樹木も,遠くの海も眺めることができた。秋になったときは紅葉が美しいと感じた。だから,米国の調査結果は肌で納得できるものであった。

 

しかし,仮想空間や窓越しの景色ではなく,現実の木々の緑の中に入ることが最も効果を発揮することは言うまでもいない。木々の肌触り,香り,音もリフレッシュ効果に役立つ。森の中に入って,耳を研ぎ澄ませば,風の音,小鳥たちの鳴き声,滝や小川のせせらぎ,動物たちの枯れ葉を踏んでいく音が聞こえてくる。賢治は,妹トシが病気でまさに死に至ろうとするとき,トシが好きだった松の林に降った「雪」と「松の枝」を取ってきて手渡したことが作品の中で記載されている。

はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから

おまへはわたくしにたのんだのだ

 銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの

そこからおちた雪のさいごのひとわんを・・・・・

・・・ふたきれのみかげせきざいに

みぞれはさびしくたまってゐる

わたくしはそのうえにあぶなくたち

雪と水とのまつしろな二相系をたもち

すきとほるつめたい雫にみちた

このつややかな松のえだから

わたくしのやさしいいもうとの

さいごのたべものをもらっていかう

    (「永訣の朝」1922.11.27   宮沢,1986)

 

  さつきのみぞれをとってきた

  あのきれいな松のえだだよ

おお おまえはまるでとびつくやうに

そのみどりの葉にあつい頬をあてる

そんな植物性の青い針のなかに

はげしく頬を刺させることは

むさぼるやうにさへすることは

どんなにわたくしたちをおどろかすことか

そんなにまでもおまへは林へいきたかつたのだ

おまへがあんなにねつに燃され

あせやいたみでもだえてゐるとき

わたしは日のてるところでたのしくはたらいたり

ほかのひとのことをかんがへながら森をあるいてゐた

   《ああいい さっぱりした

    まるで林のながさ来たよだ》

鳥のやうに栗鼠(りす)のやうに

おまへは林をしたつてゐた 

   (中略)

  おまえの頬の けれども

  なんといふけふのうつくしさよ

  わたくしは緑のかやのうへにも

  この新鮮な松のえだをおかう

  そら

  さはやかな

  terpentine(ターペンティン)の匂もするだらう

      (「松の針」1922.11.27  宮沢,1986)

 

なぜ,人は「肉体」あるいは「心」が疲弊したとき,あるいは「病気」になったとき,花や木々の緑を求めたり,それらによって癒されたりするのだろうか。香りや森の音のリフレッシュ効果もあるがそれだけではない。

 

ドイツの教育哲学者ボルノーが,1986年5月に日本に来日し「国際グリーン・フォーラム――都市と緑の文化戦略――」で講演したとき,彼は,「人間は,都会生活の機械的な時計で測られる時間の単調な経過の中では不活発になり疲弊する。しかし,四季の移り変わりの中で経験されるリズムを自然とともに共体験すると,自らの体内に存在するリズムが呼び戻されリフレッシュすることができる」と話した。

 

花や木々は,季節の動きに合わせて活動している。春の花や若葉,夏の花や青葉,秋の花や紅葉そして冬の枯葉や落葉。こうした季節感(宇宙リズム)が花や木々を求める重要な要因になっている。季節を感じる機会が多いほど体調は正常に維持される。これは「肉体」の回復だけを指すのではない。すでに,解剖学者の三木成夫(1995)は,「内臓のはたらきと子どものこころ」という著作のなかで,人間の「心」の本態を「からだに内臓された食と性の宇宙リズム」とし,人間の「心」もまた,植物のもつ四季の移り変わり,すなわち太陽系の諸周期と歩調を合わせる宇宙リズムと交響したときリフレッシュすると言っている(Shimafukurou,2021)。

 

雪と氷で閉ざされている北国で,鬱積した心の状態でいるとき,春一番に雪の中から芽を出してくるフキノトウやフクジュソウをみれば,誰しもが,心の奥底から「春だ」と叫ばずにはいられないであろう。秋のススキの穂の輝きを見れば,秋の深まりをしみじみと感じることになる。

 

賢治の妹のトシもまた,「銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいのそこからおちた雪のさいごのひとわん」や「松のえだ」に触れたとき,季節感を感じ,また宇宙リズムと交響し,肉体こそ回復しなかったが,一時でも「こころ」の平安を得ることは出来たことだろう。

                                 

参考・引用文献

三木成夫.1995.内蔵のはたらきと子どものこころ.築地書館.東京.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

Shimafukurou.2021.宮沢賢治の『鹿踊りのはじまり』―植物や動物と「こころ」が通う-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/08/01/101145

Ulrich R.S.1984.View through a window may influence recovery from surgery. Science 224:420-421.

 

本稿は,『植物と宮沢賢治のこころ』(蒼天社 2005年)に収録されている報文「植物の「こころ」はヒトの「こころ」を癒す」を加筆・修正にしたものです。

宮沢賢治の『鹿踊りのはじまり』―植物や動物と「こころ」が通う-

植物や動物に「心」があるのかと問う前に,「心」とは何かについて考えてみる。

「心」とは何かという問いに答えるのは難しいが,解剖学者で発生学者の三木成夫(1995)によれば,「心」とは物事に感じて起こる情であり,感応とか共鳴といった心情の世界を形成するものだという。そして,「心」のある場所は,頭(脳)というよりは,心臓,胃,子宮などの内臓器官であるといっている。「血がのぼる」,「胸がおどる」,「心がときめく」などは,人間の心情を心臓の興奮で表現したものであり,また,お腹が空いたり,子宮が28日毎に精子を待ち続け,そして「待ちぼうけ」を食らったりしたときの「いらいら」感も同様に「胃」とか「子宮」の切迫した状況での内臓表現であると言っている。無論,考えたり,知覚したりする高度な感覚は,精神の座である頭(脳)がつかさどっている事は言うまでもないが。

 

また,三木成夫(1995)は,内臓器官の動きには一定のリズムがあり,そのリズムは大自然のリズムあるいは宇宙リズムに照応していて,心の働きに密接に影響すると言っている。例えば,心臓の拍動と呼吸の周期は密接な関係があるが(心臓が四つ打つ間に一つ呼吸),呼吸のリズムは大海原の波打ちのリズムと関係があるという。

 

さらに,人間を含めて動物には獲物を求めて活動する「食」の相と,異性を求めてさ迷う「性」の相があるという。人間でははっきり区別できないが,例えば渡り鳥の行動をみればそれを納得できるはずである。一定の季節に孵化を終えた鳥たちは,生まれ故郷を離れ餌場に向かいそこで「食」の相を過ごす。そして,また時期がくれば「性」の相にもどり,飲まず食わずで,生まれ故郷の繁殖場へ大移動する。これを毎年繰り返すことになる。すなわち,動物の「食」と「性」の相のリズムは太陽系の周期(宇宙のリズム)に歩調を合わせている。そして,このような内臓器官のリズムが自然のリズムや宇宙リズムとうまく調和しなくなると,「心」の動揺や「心」の動転となって病理学的な異常を訴えることになるという。

 

このように,三木成夫は「心」と内臓の関係を宇宙リズムと関係づけて言及したが,さらに,人間だけでなく動物にも「心」はあると考えた。しかし,動物は人間のように「心」を意識することはない。人間の「胸がおどる」といった春情に匹敵する動物の「心」とは,「宇宙リズム」に乗って,自らの体を「食」の相から「性」の相へ,駆り立てていくものであり,それは動物体内に内蔵された宇宙リズムそのものである。

 

三木成夫の「心」への関心は植物にも及ぶ。彼は,動物の体内にある心臓は,植物にとっては光合成のもとである「太陽」であるといっている。植物は,豊かな大地に根をおろし,天空に向かって茎や葉という触手をのばし,太陽を中心とした循環回路のなかで光合成すなわち生の営みを行う。さらに,植物体は天地を結ぶ巨大な循環路の動物の器官でいえば毛細血管のようなものであるともいう。無論,動物と同様に,「食」の相である茎・葉の生い茂る季節と,「性」の相である花が咲き実のなる季節があり,種によって時期は異なるものの太陽系の周期と歩調を合わせる。例えば,太陽の高さと歩調をあわせながら,昼が短くなるとアサガオ,キク,コスモスなどが花を開き,昼が長くなるとドクダミなどが花を開く。このように,植物にも動物の内臓器官に相当するものがある。すなわち,植物にも人間や動物の内臓感覚に相当する「心」はあると言っている。

 

では,三木成夫にとって植物の「心」とは実際にどのようなものか。

 生まれつき一切の通信網を持たない,この生物が,では,いかにして四季の推移に順応することが出来るのか? それは地球の営む周行のリズムが,すでに体内に宿されていたから,と答えるよりなかろう。それ自身が,太陽を廻りながら,食と性を交代させる一個の惑星,いわば地球の“生きた衛星”となるのだ。植物達は,こうして“宇宙交響”の宴に加わりながら,そこに生の彩(いろど)りを添える。これが「植物の心」というものだ。

            (『海・呼吸・古代形象』 三木,1992)下線は引用者

 

このように三木成夫は,植物にも動物の宇宙と交響する内臓感覚と同じものがあると言っている。植物は,動物を特徴づける「感覚・運動」の神経組織も筋肉組織もないので,「食」と「性」の相を行き来することはできない。それゆえ,植物は「自身が,太陽を廻りながら,食と性を交代させる一個の惑星,いわば地球の“生きた衛星”」となり,「宇宙リズム」との「ハーモニー(調和)」に,まさに全身全霊を捧げつくすのである。そして,この「ハーモニー」こそ植物の純粋な「心」なのであると。

 

  では,次に人間,動物,植物の間で「心」が通うとはどのようなことなのか考えてみたい。動物の「心」と人間の「心」が通うということはよく知られている。しかし,植物の「心」が,動物や人間の「心」と通うということはありえるだろうか。仮想の話かもしれないが,宮沢賢治の『鹿踊(ししをど)りのはじまり』という童話作品を取り上げて考えてみよう。

 

この物語は,「ざあざあ吹いてゐた風が,だんだん人のことばにきこえ,やがてそれは,いま北上の山の方や,野原に行はれてゐた鹿踊りの,ほんたうの精神を語りました。」という出だしで始まる。膝を悪くした主人公の〈嘉十(かじゅう)が湯治場へ行く途中,野原で休憩することになるが,お腹がいっぱいになったのか栃と栗でできた団子を残してしまい,それを「ウメバチソウ」の近くに「こいづは鹿さ呉(け)でやべか。それ,鹿,来て喰(け)」と言って置いていく。このとき,〈嘉十〉はうっかり,「ウメバチソウ」と団子の近くに白い手拭(てぬぐい)を置き忘れてしまう。その後,手拭のないのに気がついて取りに戻るが,その手拭の廻りに6頭の「鹿(多分雄)」が大きな環になって集まり,そしてぐるぐる廻りながら,おそるおそる手拭の正体を暴こうとしている現場に出くわしてしまう。「鹿」にとって初めて見る手拭は何か得体の知れない恐ろしいものに見えたのかもしれない。

 

〈嘉十〉は,ススキの隙間からこの光景を覗いているが,いつしか「鹿」の言葉が聞き取れるようになる。「鹿」は,手拭が危険なものではないと分かると,関心が次第に手拭から,団子,そして「ウメバチソウ」へと移っていく。〈嘉十〉は,「鹿」が団子を分け合って食べた後に,一列に並び太陽を拝み,そして歌いだすという神秘的な現場に出会うことになる。

 太陽はこのとき,ちやうどはんのきの梢の中ほどにかかって,少し黄いろにかゞやいて居(を)りました。鹿のめぐりはまただんだんゆるやかになって,たがひにせわしくうなづき合ひ,やがて一列に太陽に向いて,それを拝むやうにしてまっすぐに立ったのでした。嘉十はもうほんたうに夢のやうにそれを見とれてゐたのです。

 一ばん右はじにたった鹿が細い声でうたひました。

 「はんの木(ぎ)の

  みどりみぢんの葉の向(むご)さ

  ぢやらんぢやららんの

  お日さん懸がる。」

 その水晶の笛のやうな声に,嘉十は目をつぶってふるへあがりました。右から二ばん目の鹿が,俄(には)かにとびあがって,それからからだを波のやうにうねらせながら,みんなの間を縫ってはせまはり,たびたび太陽の方にあたまをさげました。それからじぶんのところに戻るやぴたりととまつてうたひました。

 「お日さんを

  せながさしよへば,はんの木(ぎ)も

  くだげで光る

  鉄のかんがみ。」

   (中略)

 このとき鹿はみな首を垂れてゐましたが,六番目がにはかに首をりんとあげてうたひました。

 「ぎんがぎがの

  すすぎの底(そご)でそつこりと

  咲ぐうめばぢの

  愛(え)どしおえどし。」

 鹿はそれからみんな,みじかく笛のやうに鳴いてはねあがり,はげしくはげしくまはりました。

 北から冷たい風が来て,ひゆうと鳴り,はんの木はほんたうに砕けた鉄の鏡のやうにかゞやき,かちんかちんと葉と葉がすれあって音をたてたやうにおもはれ,すすきの穂までが鹿にまじつて一しよにぐるぐるめぐつてゐるやうに見えました。

 嘉十はもうまつたくじぶんと鹿とのちがひを忘れて,

「ホウ,やれ,やれい。」と叫びながらすすきのかげから飛び出しました。

    (「鹿踊りのはじまり」 宮沢,1986)

 

この作品には重要な植物として,ニシキギ科の「ウメバチソウ」(Parnassia palustris L. var. palustris;第1図)が登場する。「ウメバチソウ」には,まるい白い花弁が5枚あり,それを天満宮の梅鉢紋にたとえて名前がつけられた。茎につく葉は,ハート形または円形をしており茎を抱くような形になっている。花期は,8~10月で,日当たりのよい湿った草地に生える多年草である。作品からすれば,太陽が西へ移動するとき,太陽の高さがちょうどハンノキの頂から梢の中ほどにある頃にススキ(第2図)の下で「ウメバチソウ」が咲くということになる。すなわち,「ウメバチソウ」は太陽系の周期に歩調を合わせ,言葉を代えれば昼の長さが短くなり,夜の長さが長くなるころに「食」の相から「性」の相へ変わり花を咲かせ実をつける。

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第1図.ウメバチソウ(箱根湿生花園で撮影)

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第2図.ススキ

 いっぽう,「鹿達(多分雄)」も10~11月の「性」の相すなわち繁殖期が近づいていることを彼らの宇宙リズムと共感する内臓器官で察知することになる。「雄鹿」は,繁殖期が近づくと「雌鹿」を求めて笛のような泣き声を発することが知られている。

 

作品では,六番目の「鹿」が,「ぎんがぎ」という太陽の光でまぶしく輝いているススキの下で「そつこり」と咲く「ウメバチソウ」を見て,「愛どしおえどし(いとし,おいとしいの意)」と恋心を歌う。このとき,「鹿達」の心臓の拍動は速くなり,その拍動に合わせて環のめぐりのスピードも速くなった。すなわち,「鹿はそれからみんな,みじかく笛のやうに鳴いてはねあがり,はげしくはげしく」廻ることになる。そこに,さらに主人公の〈嘉十〉までもが心がときめいたのか,または胸がおどったのか「じぶんと鹿とのちがひを忘れて」,「ホウ,やれ,やれい」と相槌まで打ってしまう。この「ホウ,やれ,やれい」という掛け声は,〈嘉十〉にとっては頭(脳)で考えたのではなく,心臓あるいは内臓の奥底から発した心情的な「こころ」の叫びであったに違いない。〈嘉十〉もまた,「ウメバチソウ」と「鹿」の踊りを見て恋心に似た感情が芽生えたのだ。

 

「鹿」,「ウメバチソウ」,〈嘉十〉の「心」が通じ合い,太陽系あるいは宇宙と一体化し交響した瞬間であろう。この場面では,人間も自然の一部だということだ。

  

 植物でも動物でも「心」をこめて育てればりっぱに成長してくれるという。人間の「心」と動植物の「心」が通じ合うのは,あながち賢治の童話の中だけということでもなさそうだ。

 

参考・引用文献

三木成夫.1992.海・呼吸・古代形象 生命記憶の回想.うぶすな書院.東京.

三木成夫.1995.内蔵のはたらきと子どものこころ.築地書館.東京.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

 

本稿は,『宮沢賢治に学ぶ 植物のこころ』(蒼天社 2004年)に収録されている報文「植物や動物と「こころ」が通う(試論)」を加筆・修正にしたものです。

 

ススキを扱ったものとして以下の記事がある。

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-光り輝くススキと絵画的風景(1)https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/27/121321

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-光り輝くススキと絵画的風景(2)https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/27/123334

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-ススキと鳥を捕る人の類似点-https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/23/141519

宮沢賢治と赤い点々で危険を知らせる野ばらの実

Key words;十力の金剛石,国際信号旗,野ばら

 

『十力の金剛石』(1921年)には王子と大臣の子の2人の少年が登場する。王子は,2人で自分の持っているルビーよりももっといい宝石を探しに森へ出かける。しかし,「サルトリイバラ」が王子の着物に鉤(かぎ)でひっかけて引き留めようとする。「サルトリイバラ」(猿捕茨;Smilax china L.;第1図)とはユリ科に分類され茎に鉤状の棘(とげ)のあるつる性低木である。根茎(こんけい)を菝葜(バツカツ)と呼び,排膿薬(はいのうやく)・解毒薬とした。

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第1図.サルトリイバラ. 

王子は,この解毒薬にもなる「サルトリイバラ」を自分の剣で切って,森の奥へ入っていく。2人が森の中の草の丘に着くと,ダイヤモンドやサファイアの霰(あられ)が降ってきて,丘の上の草もたくさんの宝石に変身して光輝く(光の丘)。「リンドウ」(第2図)は天河石(アマゾンストン)の花と硅孔雀石(クリソコラ)の葉で,「センブリ(当薬;第3図)」は碧玉(へきぎょく)の葉と紫水晶の蕾で,そして「ノイバラ」は琥珀(こはく)の枝とまっ赤なルビーの実で組み上がっている。

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第2図.リンドウ.

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第3図.センブリ.

花の中も宝石でいっぱいである。王子はこれら宝石を持って帰ろうとするが,このとき擬人化された薬草たちが「光の丘は暗い」とか「悲しい」とか言って歌い出す。しばらくして,王子は自分の手に入れたいものをたくさん持っている薬草たちがなぜ「悲しい」と歌っているのか不思議に思う。 

 二人は腕を組んで棒のやうに立ってゐましたが王子はやっと気がついたやうに少しからだを屈めて

「ね,お前たちは何がそんなにかなしいの。」と野ばらの木にたづねました。

 野ばらは赤い光の点々を王子の顔に反射させながら

「今云った通りです。十力の金剛石がまだ来ないのです。」

 王子は向ふの鈴蘭の根もとからチクチク射して来る金色の光をまぶしさうに手でさへぎりながら

「十力の金剛石ってどんなものだ。」とたづねました。                                  

              (『十力の金剛石』 宮沢,1986) 下線は引用者

 

薬草たちは,「十力の金剛石がまだ来ない」ので「悲しい」と言っているが,王子にはなぜ「悲しい」のか理解できない。そこで薬草たちは王子に光で警告し,その真意を伝えようとする。「野ばら」は「赤い光の点々」を,「鈴蘭」は「根もとから金色の光」を王子の顔に反射させる。この光が何を意味しているのかを知ることは物語の理解を深めると思われる。

 

この物語の「野ばら」とは,バラ科の落葉性低木の「ノイバラ」(野茨;Rosa multiflora Thunb.)のことである(第4図)。秋期に赤く小球形の偽果(ぎか)になる(第5図)。この果実は「営実(エイジツ;局方生薬)」と呼び峻下薬(しゅんげやく;強い作用を呈する下剤)とする。「鈴蘭」とはユリ科の多年草である「スズラン」(Convallaria keiskei Miq.;第6図)のことである。根と根茎に強心配糖体コンバラトキシンを含み,古い薬草書には強心利尿薬として分類されていたが一般には用いない。多量に摂取すると呼吸停止,心不全状態に陥り死に至るからである。すなわち,有毒植物でもある薬草の毒成分を多量に含有する部位に光を当て,その反射光で王子に危険を知らせている。

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第4図.ノイバラの花.

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第5図.ノイバラの実

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第6図.スズラン.

なぜ危険信号だと分かるのかというと,ルビーのような赤い「ノイバラ」の実を使って「赤い光の点々」を照射されると,その被照射面に危険を知らせる「信号旗」と同じ模様が現れるからである。

 

スタジオジブリのアニメ映画『コクリコ坂から』には,主人公が戦争で亡くなった船乗りの父を偲(しの)んで毎朝庭に「旗」を揚げるシーンが出てくるが,この「旗」は国際信号旗のU旗とW旗を並べた2字信号(図7)で「安全な航海を祈る」を意味する。模様が「赤い点々」にも見えるU旗を,単独で1字信号の「旗」で使うと「貴船の進路に危険あり」となる。賢治は,この国際信号旗のU旗が王子の顔に映し出されるようにしたのだと思われる。 

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第7図.国際信号旗(「安全な航海を祈る」の意味) 

「野ばら」が王子の顔に「赤い光の点々」を照射したのは,「有益なサルトリイバラをばっさり切り捨て,たくさんの毒のある宝石を手に入れようとするあなたは危険に向かっています」という意味だと思われる。

 

同様に,童話『銀河鉄道の夜』でも白鳥区が終わるところで,野ばらの実が「三角標」の上にはためく測量旗に「赤い点々」を付けている。この「赤い点々」も「貴列車の進路に危険あり」を意味する信号であると思われる。信仰心を失って物質的豊かさをもたらす「科学」に依存し始めた人々への警告である。

 

物語の後半で「十力の金剛石」が「露」だと知らされる。「十力の金剛石」は「露」ということなので「生命の源の水」という意味になるが,賢治は仏教思想に共感した人なので「如来(仏)の力」あるいは「ほんたう(真実)の力」という意味も含まれる。実際に,「十力の金剛石(露)」が丘に下って来ると,硬い毒々しい宝石だった薬草たちは,歓喜し「ほんたうの柔らかなうすびかりする緑色の草」に戻る。そして,丘を去る王子の足に再度「サルトリイバラ」の鉤がひっかかるが,王子はこれを剣で切るのではなく屈んで静かにそれをはずす。

 

参考・引用文献

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集.筑摩書房.東京.

 

本稿は,「薬学図書館」(2017年62巻3号)に投稿した原稿「『十力の金剛石』に登場する赤い野ばらの実」を加筆修正したものです。

 

賢治と赤く変色するリトマス試験紙

Key words:毒蛾,北守将軍と三人兄弟の医者,サルオガセ

 

溶液の酸性度を測る指示薬にリトマス試験紙というのがあります。青色のリトマス試験紙が赤に変色すれば酸性,逆に赤が青に変色すればアルカリです。今では殆ど使われませんが,先生の目を盗んで,身の回りの物の酸性度を手当たり次第測定した理科の授業が懐かしく思いだされます。しかし,これがある植物を原料にして作られるということを皆さんご存知だったでしょうか。

 

赤色と青色の花が咲く「アジサイ」を思い浮かべる人が多いと思いますが,残念ながら違います。確かに「アジサイ」の花にはアントシアニンという色素があり,リトマス試験紙のように細胞液が酸性になると青花が赤花に変化するとされています。賢治の詩「種山ヶ原(先駆形)」(1925.7.19)にも,「花青素(アントケアン)は一つの立派な指示薬だから/その赤いのは細胞液の酸性により」とあります。

 

賢治は,花青素にアントケアンとルビを振っていますが,アントシアニンのことだと思われます。しかし,「アジサイ」はリトマス試験紙の原料にはしません。実は,リトマス試験紙は「リトマスゴケ」とか「サルオガセ」という地衣植物(菌類と藻類の共生してできている生物)から作られます。「リトマスゴケ」は,アントシアニンではなくジフラクタ酸(diffractaic acid)やレカノール酸(lecanoric acid)という色素を含みます(重松,2021)。

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第1図.アジサイの仲間.

「リトマスゴケ」は日本には自生していません。一方,「サルオガセ」は我が国でも比較的標高の高い所で見受けられます。残念ながら大磯では高い山がないので確認の記録はありません。「サルオガセ」の写真はブログ・イーハトーブ・ガーデンで見ることができます(Nenemu8921,2011)。「サルオガセ」は,青白くトロロコンブや仙人の鬚(ひげ)のような形をしていて巨木などの枝に垂れ下がっています。霧などの空気中の水分を強力に吸い取る作用があるので,よく観察するとポタポタと水音が周囲に響くほど水を滴らせていると言われています。「サルオガセ」は,乾燥させて枕のソバガラの代わりに使うとリラックス効果があるということで古くから使われているとありますが,一般の人にはなじみのない植物です。

 

1.北守将軍と三人兄弟の医者

賢治は,一般の人が関心を持たない植物でも自らの作品の中にさりげなく登場させます。『児童文学』(1931年)に発表した『北守将軍と三人兄弟の医者』という作品です。この作品の初期形で,賢治は「サルオガセ」という珍しい植物を登場させていますが,ストーリーも奇抜です。30年間戦場で戦うときも休むときも,一度も馬から降りなかった北守将軍の顔や手に「サルオガセ」がびっしりと付いてしまうというお話です。単に「サルオガセ」を将軍の顎鬚(あごひげ)のようなものとして登場させているのではなく,植物医師(リンポー先生)が巴図(はず)の粉を振りかけるとリトマス試験紙のように「サルオガセ」が赤く変色するというのです。

若いリンポー先生は,将軍の顔をひと目みてていねいに礼をした。

「ご病気はよくわかりました。すぐになほしてさしあげます。おい,巴図(はづ)の粉をもってこい。」

 すぐに黄いろなはづの粉を,一人の弟子がもってきた。リンポー先生はその粉をすっかり将軍の,顔から肩へふりかけて,それから大きなうちわをもって,パタバタバタバタ扇ぎだした。するとたちまちさるをがせはみんなまっ赤にかはってしまいぴかぴかひかって飛び出した。見てゐるうちに将軍はすっかりきれいにさっぱりした。将軍は気がせいせいして,三十年ぶり笑いだした。

(『北守将軍と三人兄弟の医者』 初期形 宮沢,1986)下線は引用者

 

巴図の粉とは,多分トウダイグサ科( Euphorbiaceae )の「巴豆」(はず; Croton tiglium L.)の種子から作られた黄色い粉のことだと思われます。現在では,ほとんど使われていないと思いますが,昔は果実を輸入して乾燥させた種子を下剤薬として使ったものです。「巴豆」の種子には,ハズ油を多く含みます。ハズ油の主成分であるクロトン酸は低分子化合物で水に可溶です。黄色い粉末を水に溶かせば,溶けた部分の溶液は酸性になると思います。

 

すなわち,水をたっぷり吸った青白い「サルオガセ」に,「巴豆」の粉を振りかければ「サルオガセ」が赤く変色することはあり得る話だということです。また,「巴豆」には皮膚刺激作用(多量では水泡形成)もあるため,実際に皮膚に「サルオガセ」がへばり付いたとしても容易に剥がすことが可能だったかもしれません。

 

賢治は,当時「サルオガセ」と「巴豆」について十分な知識も持っていたのでしょうか。賢治研究家で教師でもあった板谷英紀さんが著書の中で,大戦中リトマス試験紙が入手困難になったとき,その代用品として「ヨコワサルオガセ」が使われたということを記載しています(板谷,1988)。『北守将軍と三人兄弟の医者』という作品が書かれたのは大戦前ですから,賢治は「巴豆」に関する知識はあったにせよ,「サルオガセ」からリトマス試験紙が作られるということは知らなかったと思われます。ではなぜ,「サルオガセ」に「巴豆」の粉をかけると赤くなるということを知ったのでしょうか。もしかしたら,好奇心の強い賢治は,実際に実験して確認したのかもしれません。

 

もう1つ解らないことがあります。なぜ,植物医師のリンポー先生は,凱旋時に将軍の顎鬚のような「サルオガセ」を赤く変色させたのでしょうか。別の言葉で言い換えれば,なぜ「黄色」をした「巴豆」の粉で「赤く」したのでしょうか。多分,賢治は将軍や兵士がこれ以上戦場で戦うのを「止め」たかったからと思われます。これは,交通信号機と関係があると思います。童話が書かれる1年前の1930年に緑(青),黄,赤3色の自動式信号機が,日比谷交差点に設置されました。「黄」の次の「赤」は「止まれ」の合図です。実際に,将軍は王様の「大将たちの大将になってくれ」という要請を断り,郷里に帰って百姓になります。

 

「赤」で象徴される「止まれ」の合図を守らなかったのは,童話『よく利く薬とえらい薬』に登場する大三です。大三は,健康であるにも係わらず,体が健康になると言われている「透き通ったバラの実」を探しに森の中に入っていきます。カケスが大三の足下に「赤茶色」のクリの実の皮を落として,この先に「進むな」と合図します。大三は,これを無視して森の中へ進み,集めた不透明なバラの実(ノイバラの実)をにせ金造りの技術を使って透明にしてしまいます。しかし,大三が作ったのは毒薬の昇汞で,大三はそれを飲んで死んでしまいます。

 

一方,病気の母親のために「透き通ったバラの実」を探している清夫には,カケスは「青色」のドングリの実を落とします。清夫は,森の中に進み「透き通ったバラの実」を発見し母親の病気を治します。この「透き通ったバラの実」が何を意味しているかについては,本ブログ「植物から宮沢賢治の『よく利く薬とえらい薬』の謎を読み解く」で明らかにされているのでご覧ください(shimafukurou,2021)。

 

2.毒蛾

賢治がリトマス試験紙(液)を使っていろいろと実験していたことを窺わせる作品が他にもあります。『毒蛾』という作品です。内容は文部局巡回視学官の主人公がイーハトブへ出かけたとき,触れると皮膚炎を引起こす「ドクガ」という蛾の発生に遭遇したというものです。そして,大学を視察中に,「ドクガ」の毒針毛(作品の中では鱗粉と記載)中に含まれる成分をつきとめる実験現場に立ち会いました。

 校長が,みんなを呼ぼうとしたのを,私は手で止めて,そっとそのうしろに行って見ました。

やっぱり毒蛾の話です。多分毒蛾の鱗粉(りんぷん)を見てゐるのだと私は思ひました。

「中軸はあるにはありますね。」

「その中軸に,酸があるのぢゃないですか。」

「中軸が管になって,そこに酸があって,その先端が皮膚にささって,折れたときに酸が注ぎ込まれるといふんですか。それなら全く模型的ですがね。」

「しかしさうでないとも云へないでせう。たゞ中軸が管になってゐることと,その軸に酸が入ってゐることが,証明されないだけです。」

 (中略)

 青いリトマス液が新しいデックグラスに注がれました。

「顕著です。中軸だけが赤く変わってゐます。」その教授は云ひまいた。

「どれ拝見。」私もそれをのぞき込みました。

 全く槍(やり)のやうな形の,するどい鱗粉が,青色リトマスで一帯に青く染まって,その中に中軸だけが暗赤色に見えたのです。

(『毒蛾』 宮沢,1986) 

 

ここでも,毒針毛の毒の成分を赤で染めて危険なものであることを知らせています。

毒針毛は,ドクガの幼虫と成虫にあり,長さが100ミクロン前後で形は賢治が作品の中で記載しているように細長い槍のような形をしたものです。幼虫では,一匹で600万本くらいが体表に生えているそうです。触ると,容易に脱落し皮膚に付着します。現在でも,「ドクガ」の毒針毛に含まれる内容物の酸性度を測ってみようとしたり,文章にしようとしたりする人など大学の専門家以外にそう多くはいないと思います。

 

このように,賢治は人々から見向きもされないような植物あるいは毛嫌いされる動物を,さりげなく作品に取り上げていますが,賢治の豊富な知識と,鋭くそして科学的な観察力には驚かされます。

 

県立大磯城山公園には,サザンカ(町の木に指定),ツバキ,カンツバキ等のツバキ科の植物が多数植栽されています。このツバキ科の植物には「ドクガ」の仲間である「チャドクガ」が発生することがあります。「ドクガ」と同様に毒針毛を持ちこれに触れると皮膚炎を起こします。発生が確認されたら近づかないようご注意ください。もちろん,リトマス紙(液)で酸性度を測る必要などありません。

 

参考・引用文献

板谷英紀.1988.宮沢賢治と化学.裳華房.東京.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

Nenemu8921.2011(更新年).イーハトーブ・ガーデン 八千穂高原①サルオガセ.https://nenemu8921.exblog.jp/16637778/

重松聖二.2021.7.23.(調べた日付).植物色素のpHによる色の変化.https://center.esnet.ed.jp/uploads/06kenkyu/04_kiyou_No73/h18_22-02.pdf

Shimafukurou.2021(更新年).宮沢賢治と橄欖の森 植物から宮沢賢治の『よく利く薬とえらい薬』の謎を読み解く.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/05/05/182423

 

本稿は,『宮沢賢治に学ぶ 植物のこころ』(蒼天社 2004)年に収録されている報文「リトマス試験紙」を加筆・修正にしたものです。『北守将軍と三人兄弟の医師』と同様に反戦童話に分類されると思われるものに『烏の北斗七星』があります。興味ある方は,本ブログの「植物から宮沢賢治の『烏の北斗七星』の謎を読み解く」(2021.5.3)もご覧ください。

 

県立大磯城山公園周辺の希少植物

Key words:フォッサ・マグナ要素の植物,「花鳥図譜,八月,早池峰山巓」

 

神奈川県立大磯城山公園およびその周辺で,たくさんの自生植物や植栽植物を観察することができる。その中には,イソギク,ハコネウツギ,ガクアジサイ,オオバヤシャブシ,クゲヌマランなどのフォッサ・マグナ要素の植物という他の地域では見られないものも含まれている。フォッサ・マグナ要素の植物とは,あまり聞きなれない名である。これは,日本の植物相を大きく5つの地区(北海道地区,日本海地区,関東陸奥地区,襲速紀地区,フォッサ・マグナ地区)に分けたときの1つで,糸魚川-静岡構造線の東側の地溝帯に対して名づけられたものである。具体的には,北は八ヶ岳から,西は赤石山脈,東は関東山地から房総半島,南は伊豆諸島の青ヶ島に至る地域である。

 

大磯を含めてこの地域は,遠い昔は海に没していて,第3紀中頃の火山活動に伴い隆起し,そこへ侵入,定着し,適応・変成した植物がフォッサ・マグナ要素と呼ばれる植物群である。ちなみにフォッサ・マグナとは「大きな溝」と言う意味の地質学上の言葉である。

 

フォッサ・マグナ要素の植物のうち,「クゲヌマラン」(Cephalanthera longifolia (L.) Fritsch;第1図)は,湘南海岸のクロマツ林の砂地に生える「ギンラン」(Cephalanthera erecta (Thunb.) Blume);第2図)の海岸型とされていて,藤沢市鵠沼海岸で発見され命名された。高さ20~40cmで5月頃に10個くらいの白い花をつける。花は,「ギンラン」と同様にほとんど開かない。希少種で県立大磯城山公園周辺では2003年5月に初めて観察された(石井,2006)。

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第1図.クゲヌマラン

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第2図.ギンラン

希少種といえば,城山公園周辺にもう1種「サガミラン」という非常に珍しいラン科の植物が確認されている(2001~2004年)。「サガミラン」(Cymbidium nipponicum (Franch. et Sav.) Rolfe;第3図)は,背丈が10~20cmで葉は鱗片状に退化し葉緑素をほとんどもたず腐生生活をしている(菌類と共生)。わずかに花茎が緑色で光合成を行っていたころの名残をとどめている。自生地で10株くらいが確認されていて7月~10月にかけて花をつける。「サガミラン」は,ほとんど詳細な研究がなされていないのでフォッサ・マグナ要素の植物かどうかわからないが,絶滅危惧種にも指定されている希少種である。第4図は,城山公園周辺で見つかった「マヤラン」(Cymbidium macrorhizon Lindl.)である。

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第3図.サガミラン.

 

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第4図.マヤラン.

 

このように,県立大磯城山公園およびその周辺にはフォッサ・マグナ要素の植物や絶滅が危惧されている貴重な植物が自生している。このような植物は,環境の影響を受けやすいし,栽培法も確立していないものもあるのでむやみに採取することはつつしまなければならない。むしろ,郷土の貴重な財産として保護していく必要がある。

 

しかし,実際どのように保護していくかは難しい。一つは,公園入り口に「希少植物の保護」を訴える立札を立てるのもよいと思われる。それ以外では,各自の良心に訴えるしかない。

 

以下,自らおよび公園を訪れる方の良心に届くように貴重植物の保護を扱った宮沢賢治の詩の一部を記載しておく。この詩は,貴重な高山植物を根こそぎ採取していく者と,森林主事の会話形式をとっている。

(根こそげ抜いて行くやうな人に限って

それを育てはしないのです 

ほんとの高山植物家なら

時計皿とかペトリシャーレをもって来て

眼を細くして種子だけ採っていくもんです)

(魅惑は花にありますからな)

(魅惑は花にありますだって 

こいつはずゐ分愕いた 

それならひとつ 

袋をしょってデパートへ行って

いろいろと魅惑にあるものを

片っぱしから採集して

それで通れば結構だ)

(けれどもこゝは山ですよ)

(山ならどうだと云ふんです

ここは国家の保安林で

いくら雲から抜けでてゐても

月の世界ぢゃないですからな 

それに第一常識だ,

新聞ぐらゐ読むものなら

みんな判ってゐる筈なんだ,

ぼくはこゝから顔を出して

ちょっと一言物を言へば,

もうあなた方の教養は,

手に取るやうにわかるんだ,

教養のある人ならば

必ずぴたっと顔色がかはる)

(わざわざ山までやって来て

そこまで云われりゃ沢山だ)

(さうですこゝまで来る途中には

二箇所もわざわざ札をたてて

とるなと云ってあるんです)

(二十万里の山の中へ二つたてたもすさまじいや)

(あなたは谷をのぼるとき

どこを見ながら歩いてました)

(ずゐ分大きなお世話です 

雲を見ながら歩いてました)

(なるほど雲だけ見てゐた人が

山を登ってしまったもんで

俄かにショベルや何かを出して

一貫近く花を荷造りした訳ですね 

それもえらんでこゝ特産の貴重種だけ 

ぼくはこいつを趣味と見ない 

営利のためと断ずるのだ)

(ぼくの方にも覚悟があるぞ)

(覚悟の通りやりたまへ,

花はこっちへ貰ひます 

道具はみんな没収だ,

あとはあなたの下宿の方へ

罰金額を通知します)

      (中略)

(高橋さんがさう云ふんだよ 

何でも三紀のはじめ頃 

北上山地が一つの島に残されて

それも殆ど海面近く,

開析されてしまったとき 

この山などがその削剥の残丘だと 

なんぶとらのをとか・・・・・とか  

いろいろな特種な植物が

この山にだけ生えてるのは

そのためだらうといふんだな)

(「花鳥図譜,八月,早池峰山巓(はやちねさんてん)」 宮沢,1986)

 

参考・引用文献

石井竹夫.2006.賢治と学ぶ 大磯四季の花 上(春・初夏編).蒼天社.神奈川.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

 

本稿は,『宮沢賢治に学ぶ 植物のこころ』(蒼天社 2004)年に収録されている報文「県立大磯城山公園周辺の希少植物」を加筆・修正にしたものである。 

山椒の意外な使い方

Key words:山椒,選択毒性

                                                                          

ミカン科の落葉低木である「サンショウ」(Zanthoxylum piperitum;第1図)は,香辛料の代表的なものであるが健胃剤としても有名である。漢方薬でもっとも使われるものに「大建中湯」がある。便秘あるいは術後イレウスの予防などに使う。しかし,「サンショウ」には香辛料や薬以外にも意外な使われ方をしてきた。宮沢賢治の作品に面白い使い方が記載されている。それは,「サンショウ」の樹皮に含まれる毒を使って川魚を捕まえるというものだ。賢治の『風の又三郎』に,「サンショウ」の粉を入れた笊(ざる)を川の上流の浅瀬で「じゃぶじゃぶ」洗って川魚を捕まえるシーンが描かれている。同じく『毒もみの好きな署長さん』という小作品には,具体的な「サンショウ」を使った漁法(「毒もみ)が記載されている。

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第1図.サンショウ

 山椒(さんせう)の皮を春の午(うま)の日の暗夜(やみよ)に剥(む)いて土用を二回かけて乾かしうすでよくつく,その目方一貫匁(かんめ)を天気のいゝ日にもみじの木を焼いてこしらへた木灰七百匁とまぜる,それを袋に入れて水の中へ手でもみ出すことです。

 そうすると,魚はみんな毒をのんで口をあぶあぶやりながら,白い腹を上にして浮びあがるのです。

              (『毒もみ好きな署長さん』 宮沢,1986)   

 

「毒もみ」という漁法は,賢治が創作したものではない。賢治が生きていた時代に,だれが,考えたのか分からないが,実際にこの漁法が行われていた。今は,魚漁法で禁止されているが,富山県宇奈月町,あるいは長野県駒ケ根地方では,賢治が記載したのとほとんど同じ方法でイワナやアマゴ(サクラマスの仔)を獲ったという記録が残っている。

 

なぜ,「サンショウ」は,人間には香辛料や薬になるのに,魚には毒なのだろうか。「サンショウ」の果実や樹皮には,サンショオール,サンショウアミド,キサントキシン,キサントキシン酸などが含まれている。この内,サンショオールやサンショウアミドは辛味成分として知られているもので害にはならないと思われる。しかし,キサントキシン(xanthoxin)は,動物に投与すると痙攣毒に,またキサントキシン酸(xanthoxinic acid)は麻痺性物質であることが最近分かってきた。

 

動物(マウス、イヌ)が「サンショウ」を摂取して痙攣を発現するのは,抽出液を注射(皮下など)で直接投与した場合だけであり,口からでは多量摂取しても重篤な毒性を引起こすことはない。ただ,魚はこのキサントキシンやキサントシン酸に対して敏感に反応する。金魚などの小魚をキサントシリンの希釈溶液中に放すと一時的に運動活発になった後,激しい痙攣を引起こして死ぬという。すなわち,「サンショウ」に含まれる成分の中には,魚に「選択毒性」を持っているものがある(鳥居塚,2005)。

 

「選択毒性」といえば,抗生物質を思い出す。抗生物質は,人間には重篤な害がほとんどないが,病原微生物には増殖を止めてしまうほどの毒作用がある。植物にも殺菌作用を示すものは多い。我々がなにげなく口にしているものには,人間以外に有毒なものが結構たくさんある。

 

参考・引用文献

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

鳥居塚 和生(編集).2005.モノグラフ生薬の薬効・薬理.医歯薬出版.東京.

 

本稿は,『宮沢賢治に学ぶ 植物のこころ』(蒼天社 2004)年に収録されている報文「山椒の意外な使い方」を加筆・修正にしたものである。

「マグノリアの木」とはどんな木か

Key wordsコブシ,マグノリア

                                                                         

宮沢賢治に『マグノリアの木』(1923年)という短編の作品がある。仏教の教えに基づいて書いたものとされている。その内容は,諒安(りょうあん)という人(お坊さん?)が霧のかかった険しい山谷を歩いていて,やっと平らな所にたどり着いたとき霧が晴れた。振り返ってみると,今たどって来た山谷のいちめんに真っ白な「マグノリアの木」の花が咲いていたというものである。この平らな所というのは,仏教でいう「さとり」の境地ということらしい。

 

しかし,「マグノリアの木」とはあまり聞きなれない名である。いったいどんな木なのだろうか。 植物図鑑を調べても記載されていない。多分,「マグノリアの木」は賢治の造語と思われる。「マグノリア ( Magnolia )」 という言葉自体は,学術的にはホオノキ,コブシ,タムシバ等のモクレン属の木の総称を指す言葉である。よって,「マグノリアの木」とはこの内のどれかかであろう。

 

賢治は,『マグノリアの木』の中で,「マグノリアの木」の花を真っ白い鳩(はと)に喩えている。

それは一人の子供がさっきよりずうっと細い声でマグノリアの木の梢(こずえ)を見上げながら歌ひだしたからです。

 「サンタ,マグノリア,

  枝にいっぱいひかるはなんぞ。」

向ふ側の子が答へました。

 「天に飛びたつ銀の鳩(はと)。」

こちらの子が又うたひました。

 「セント,マグノリア,

  枝にいっぱいにひかるはなんぞ。」

 「天からおりた天の鳩。」

    -中略―

あの花びらは天の山羊の乳よりしめやかです。あのかをりは覚者(かくしゃ)たちの尊い偈(げ)を人に送ります。 

                    (『マグノリアの木』 宮沢,1986)

 

モクレン属の中で花が一見して鳩に見えるのは,その花の色,大きさ,姿からして「コブシ」である(第1図)。「コブシ」の花弁は,白色で6個,3個の萼には銀色の軟毛が密生している。そして,花は香りを放ちながら上向きに空へ向かって開く。「コブシ」のつぼみは,南側からふくらみ始めるのでつぼみの先端は,ほとんどが北の方向を向くのだという。北の天空には北極星(Polaris)があり,また賢治の理想郷でもある「ポラーノの広場」や「イーハトーブ」がある。賢治は,「コブシ」(学術名:Magnolia kobus )を指して「マグノリアの木」と言っているのだと思われる。

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第1図.コブシ(天に飛びたつ銀の鳩).

県立大磯城山公園でも,もみじの広場に「コブシ」が植栽されている。3月から4月にかけて真っ白い「コブシ」の花が満開になる。賢治の言葉を借りれば,枝に止まった純白でしめやかな鳩の群れがまさに天に向かって飛び立つようにも見えて見事である。

 

賢治を魅了する「コブシ」の花には,いくつかの面白い事実が知られている。花の中を覗くと,雌しべを構成している多数の心皮があるのに気が付く。そして,心皮がDNAのように螺旋状に花床の上部に配列していている。これは,原始的な植物の特徴とされている。さらに,1982年,弥生時代の住居の発掘現場(約2000年前)からコブシの種子が見つかったが,この種子をまいたら,発芽し11年後に真っ白い花が咲いたという(大歳の自然,2021)。まさに,コブシの花は時空を超えて天から降りてきた鳩のようにも見える。

 

引用文献

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

大歳の自然.歴史.p18-49.http://ootoshi-comm.info/pdf/chiiki/hakkobutsu/ayumi/kyoudo_03_rekishi.pdf

 

本稿は,『宮沢賢治に学ぶ 植物のこころ』(蒼天社 2004)年に収録されている報文「マグノリアの木とはどんな木か」を加筆・修正にしたものである。コブシについてはブログページ「『なめとこ山の熊』に登場する薬草」でもふれているのでご覧下さい。

           

※:コブシの蕾が北を向くとあるが,私が観察したところでは必ずしもそうとは言えないところがある。