宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『やまなし』に登場するクラムボンは石の下の小さな生物という意味である

前稿(石井,2021)で,童話『やまなし』に登場する〈クラムボン〉には従来の解釈と異なり先住民の女性が投影されていて,賢治の悲恋物語が描かれているという新しい説を示した。すなわち,童話には谷川に棲む〈魚〉と〈クラムボン〉の悲恋物語が記載されている。本稿では恋人が投影されている〈クラムボン〉の正体と名前の由来について検討する。

 

〈クラムボン〉は谷川の川底にある「石の下」にいる「カゲロウ」の幼虫のことと思われる。「カゲロウ」は,水生の幼虫のあと,有翅(ゆうし)の亜成虫期を経て成虫になる。これを不完全変態と呼ぶ。「カゲロウ」の幼虫は,完全変態する「トビケラ」の幼虫「ラーバ(larva)」と区別するために「ニンフ(nymph)」と呼ぶ。「ニンフ」は妖精という意味である。なぜニンフと呼ぶかは分からないが,昆虫の世界では「ニンフ」は幼虫のことを言うらしい。また,「カゲロウ」の仲間は5月(May)頃に羽化するので英語で「メイフライ(mayfly)」ともいう。エッセイストの澤口たまみさんも著書『クラムボンはかぷかぷわらったよ 宮澤賢治おはなし30選』(2021)で,この「メイフライ」に注目して「クラムボンはカゲロウが妥当」と書いている。

 

「カゲロウ」の仲間でも,「石の下」に生息し,流線型をして泳ぐのがうまく跳ねたりできるのはヒメフタオカゲロウ科あるいはフタオカゲロウ科の幼虫であろう。例えば,「ヒメフタワカゲロウ」の幼虫は,河川蛇行部の内側あるいは巨岩の下流の淀みあるいは石の下に潜んでいる。また,「ナミフタオカゲロウ」の幼虫は,体長16mm内外,山地渓流に生息し,羽化が近づくと浅瀬に集まり,人が近づくと飛び跳ねるという。釣り人はこれら「カゲロウ」の幼虫を,ピンピン「跳ねる」ように泳ぐことから「ピンチョロ」と呼ぶ。

 

「カゲロウ」は昆虫なので,幼虫にも哺乳類と同様に口部には上唇と下唇がある。口唇は母乳で育つ哺乳類の特徴であるが,なぜか昆虫にもある。「カ(蚊)」も昆虫なので上唇と下唇がある。だから血をこぼさずうまく吸うことができる。人間は「笑う」と上唇と下唇の接合部である「口角」が上がる。だから,「ヒメフタオカゲロウ科」などの幼虫は,「口角」を上下に動かせるとすれば,それを上げて笑ったように見せることは可能かもしれない。「五月」の章で〈蟹〉の兄弟の会話に登場する『クラムボンは跳てわらつたよ。』にぴったりである。

 

ネットで〈クラムボン〉を「トビケラ」だと主張している人がいる。しかし,「トビケラ」は水中で巣を作ってその中で生活をする。いわゆる,蓑虫のようなものである。跳ねたりはしないと思われる。

 

「カゲロウ」は谷川に遠い昔から棲んでいた。〈クラムボン〉と同じ先住土着の女性を比喩する「樺(かば)」は,アイヌ語の「カリンパ」に由来すると言われている。それゆえ,〈クラムボン〉という名称も,アイヌ語の可能性があり,「アイヌ」の伝説に登場する「先住民」の「コロボックル」と関係があると思われる。

 

〈クラムボン〉が先住民族であるアイヌの伝説の小人「コロボックル」と関係があると最初に示唆したのは山田貴生さんであろう。彼は高知大学宮沢賢治研究会の機関誌(注文の多い土佐料理店)に,「クラムボン」はアイヌ語で分解すると「kur・人,男,ram・低い,pon(bon)・子供)」になり,「アイヌ各地に分布する伝説の小人・コロボックルである」と報告している。

 

「コロボックル」は和人によって「フキの下の小人」と翻訳されたりもしているが,「アイヌ」の間では「kurupun unkur」(石の下の人)として伝承されている地域もある。〈クラムボン〉(発音はkut ran bon)は,賢治の造語と思われる。私は,〈クラムボン〉の最初の「ク」を「kut(岩崖)」として山田さんとは異なった解釈を試みてみた。すると,〈クラムボン〉は,アイヌ語で「kut・岩崖, ra・下方,un・にいる, bon・小さい」に分解できることが分かった。すなわち,〈クラムボン〉は「カゲロウ」の幼虫の姿をしているが,「岩崖(石)の下」にいる「小人(妖精)」のことであろう。〈魚〉が谷川の岩(石)の下に居る水の妖精に恋をしたのである。

 

参考文献

石井竹夫.2021.童話『やまなし』は魚とクラムボンの悲恋物語である。https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/09/20/090540

 

2021.9.22(投稿日)

童話『やまなし』は魚とクラムボンの悲恋物語である

宮沢賢治の童話『やまなし』は,大正12(1923)年4月8日に岩手毎日新聞に発表されたものである。この童話には,〈蟹〉,〈魚〉,〈鳥〉などの動物や「樺の木」や「やまなし」などの植物が登場し,〈蟹〉の親子(父親と二人の男の子)がこれら動植物を谷川の川底から眺めている世界が描かれている。小学校高学年の教科書にも採用されている。しかし,〈クラムボン〉,「イサド」あるいは「樺の木」など意味が取りにくい用語もたくさん出てきて難解である。

 

この物語(特に前半部)には,〈魚〉が〈クラムボン〉のところに「ゆっくり落ち着いて,ひれも尾もうごかさず」に「口を環(わ)のように円(まる)くして」やってきたとき,鳥である〈かはせみ(カワセミ)〉が鉄砲玉のように飛び込んできて魚を上空へ連れ去るシーンが描かれている。前半部の山場のところである。多くの研究者たちは,〈クラムボン〉を正体不明としたり,あるいはアメンボ,プランクトン,言葉変化遊び(crambo),水の泡,光線による水面の変化などと様々な推測を試みたりしながらも,この物語が谷川での生物の生と死,別の言葉で言い変えれば弱肉強食の生存競争あるいは食物連鎖をイメージして創作されたものと考えた。すなわち,〈クラムボン〉が〈魚〉に捕食され,〈魚〉は〈カワセミ〉に捕食される。後半部ではナシの実が〈蟹〉に捕食されることが予想されている。いわゆる〈クラムボン〉→〈魚〉→〈カワセミ〉あるいは「ナシの実」→〈蟹〉という食物連鎖が想定されている。

 

しかし,この物語が生物の生と死あるいは食物連鎖をメインテーマにしているなら,なぜ題名が植物名の「やまなし」なのかが理解できない。別の解釈もある。エッセイストの澤口たまみさんは,この題名には賢治の相思相愛の恋人の名が隠されていて,物語には恋の終わりが記録されているとした(『新版 宮澤賢治 愛の歌』,2018)。ただ,どのような恋が描かれているかについての詳細な説明はない。

 

私は,澤口たまみさんの新しい解釈に興味をもった。その理由は,賢治の恋の破局の時期がこの童話が新聞で発表された時期と重なるからである。同時期に発表された『シグナルとシグナレス』,あるいは執筆されたが未発表の寓話『土神ときつね』も悲恋物語である。賢治は詩や童話を書いているので,破局したとはいえ,悲恋体験をそれとは分からないように文字として残したと思われる。童話『やまなし』もそのうちの1つである可能性がある。私は童話が本当に悲恋物語なのかどうか調べてみたくなった。

 

調べるに当たって最も注目したのは,〈魚〉が〈カワセミ〉によって天空へ連れ去られる前の〈魚〉の行動である。〈魚〉は〈クラムボン〉の所へ行ったり来たりしていた。そして〈カワセミ〉に連れ去られる直前では,前述したように「口を環のように円く」して静かにやってくる。〈魚〉が,餌を捕食するとき口を開けっぱなしにするだろうか。クジラがオキアミを捕食するときなら納得するが,渓流魚では考えにくい。普通,〈魚〉は餌を「パクッ」と食べるのではないのか。口を開けるのは飲み込む直前の一瞬と思われる。

 

では,〈魚〉が「口を環のように円く」するとはどのような意味が込められているのであろうか。そして,それが悲恋物語にどのように繋がるのであろうか。

 

賢治は「魚の口」という言葉に強い「こだわり」をもっているように思える。最近,東京オリンピックの閉会式のフィナーレを,宮沢賢治の「星めぐりの歌」が飾った。女優の大竹しのぶさんは,子供達と一緒に「あかいめだまのさそり ひろげた鷲(わし)のつばさ・・・・」と歌った。ここで,注目したいのは,この歌詞の続きに「・・・アンドロメダの くもは さかなのくちの かたち・・・」とあることである。なぜ,渦巻き銀河であるM(メシエ)31アンドロメダ銀河(アンドロメダ大星雲とも呼ぶ)を「魚の口」としたのであろうか。賢治は,『やまなし』と同時期に制作した作品の中でも渦巻き銀河ではないが環状星雲を「魚の口」と表現している。

 

寓話『シグナルとシグナレス』(1923)では,擬人化された鉄道信号機の〈シグナル〉が相思相愛の〈シグナレス〉に「琴座」の環状星雲を婚約指輪に見立てて差し出している。〈シグナル〉が〈シグナレス〉に渡す婚約指輪は,『新宮澤賢治語彙辞典』によれば「琴座」のα,β,γ,δ四星の作る菱形をプラチナリングに,環状星雲M(メシエ)57を宝石に見立てたものであるという。また,物語では,宝石に相当する環状星雲には「フイツシユマウスネビユラ」のルビが振ってある。「フイツシユマウスネビユラ」とは「魚口星雲」のことである。

 

「フイツシユマウスネビユラ」の婚約指輪は,寓話『土神ときつね』(1923年頃)でも登場する。この寓話は,南から来たハイネの詩を読みドイツ製ツァイスの望遠鏡を自慢するよそ者の〈きつね〉が北のはずれにいる土着の〈樺の木〉に恋をするが,土着の神である〈土神〉がこれに嫉妬して〈きつね〉を殺してしまう物語である。この寓話で〈きつね〉は〈樺の木〉に環状星雲を望遠鏡で見せる約束をする。そして,〈樺の木〉は「まあ,あたしいつか見たいわ」と答える。この環状星雲を〈きつね〉は「魚の口の形ですから魚口星雲(フイツシユマウスネビユラ)とも云ひます」と説明する。〈きつね〉が環状星雲を見せると約束し,〈樺の木〉が見たいと答えたことで婚約が成立しそうになっている。

 

『やまなし』では婚約指輪と記載されていないので分かりにくいが,〈魚〉は〈カワセミ〉に連れ去られる直前に,婚約指輪のつもりで「口を環のように円く」して,〈クラムボン〉に求婚しようとしていたのだと思われる。しかし,〈魚〉と〈クラムボン〉の恋愛は谷川で生活している生き物たちには歓迎されていない。だから,〈魚〉が〈クラムボン〉に求婚したとき〈カワセミ〉が突然に川底に侵入してきて〈魚〉を上空へ連れ去ってしまったのである。この恋の顛末は寓話『土神ときつね』の〈きつね〉と〈樺の木〉の恋と同じである。

 

賢治は環状星雲であるM57がある「琴座」に強い関心を寄せている。「琴座」は,ギリシャ神話の音楽の名手オルフェウスの竪琴(たてごと)の姿を形づくっている。「琴座」は童話『銀河鉄道の夜』に「橄欖(かんらん)の森」という言葉で出てくる。具体的に言えば,『銀河鉄道の夜』(初期形第一次稿;1924年)の冒頭部分に,「そして青い橄欖の森が見えない天の川の向ふにさめざめと光りながらだんだんうしろの方へ行ってしまひ,そこから流れて来るあやしい楽器の音ももう汽車のひゞきや風の音にすり耗(へ)らされて聞えないやうになりました」とある。本文の中で「橄欖の森」について詳しい説明はないが,登場人物の〈女の子〉に「あの森琴(ライラ)の宿でせう」と言わせている。

 

すなわち,「橄欖の森」は「竪琴」の音が奏でられている「琴(ライラ)の宿」と同じ意味で使われている。これは,ギリシャ神話の竪琴の名手オルフェウスが,死んで天上世界へ旅だった妻のエウリディケを追いかけて連れ戻そうとする悲恋物語を連想させる。エウリディケという名は木の「妖精」(Nymph)という意味である。賢治は,『銀河鉄道の夜』(第一次稿)を執筆する2年前,あるいは『やまなし』を発表する1年前に先住の民と思われる女性と相思相愛の恋をしたが,1年で破局するという苦い体験をしている。恋人は,破局後渡米し3年後に亡くなる。

 

余談だが,東京オリンピックの閉会式で「星めぐりの歌」を歌った大竹しのぶさんは,1988年にお笑いタレントで魚の名前がつく明石家さんまさんと結婚している。童話と同じで本物の婚約指輪はもらっていないそうだ。名前(さんま)の由来は,さんまさんの実家が水産加工業を営んでいたからという。4年後に離婚しているが,その後も共演を繰り返していて仲が良さそうだ。大竹さんはオリンピック閉会式の放送後,さんまさんは見逃したらしいが,「オリンピックに出たよ・・」とLINEで出演したことを報告したという。また,大竹さんは2015年にギリシャ神話のオルフェウスの話をパロディ化した舞台『地獄のオルフェウス』にも出演している。何か,賢治とは縁があるのかもしれない。

 

谷川の〈魚〉には賢治が,そして〈クラムボン〉には恋人が投影されているとすれば,童話『やまなし』は実体験を基にして創作された〈魚〉と〈クラムボン〉の悲恋物語になる。「ヤマメ」などの渓流魚の多くは「在来種」というよりは移入種である。移入種とは日本固有種であるが,本来の生息域ではない場所に人為的に持ち込まれたものである(移植放流など)。〈魚(=移住者の末裔としての賢治)〉が〈クランムボン(=先住民の末裔としての恋人)〉に恋をして求婚しようとするが,谷川に先住していた生き物達(=周囲の者達)には歓迎されず,〈カワセミ(=周囲の者達)〉から手荒い仕打ちを受けたという悲恋物語であろう。

 

〈魚〉が自分の口を婚約指輪(琴座の環状星雲)に見立てて〈クラムボン〉に示したのは,賢治にしてみれば,琴座にまつわるギリシャ神話にもあるように,破局して去っていった恋人を連れ戻そうとする気持ちの現れだったのではないだろうか。

 

注:〈 〉に囲まれた言葉は,物語の登場人物あるいは擬人化された動植物

 

参考論文

石井竹夫.2021a.宮沢賢治の『やまなし』-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語(1)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/08/08/095756

石井竹夫.2021b.宮沢賢治の『やまなし』-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語(2)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/08/09/101746

石井竹夫.2021c.宮沢賢治の『やまなし』-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語(3)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/08/10/122017

2021.9.20(投稿日)

宮沢賢治の『若い木霊』(7) -なぜ物語にやどり木と栗の木が登場するのか-

Keywords: 栗の木,再生と復活,神聖な木,やどりぎ

 

本稿では,なぜ物語にやどり木と栗の木が登場するのかについて考察する。最後に「まとめ」を記す。

 

8.やどり木

「やどり木」はビャクダン科の「ヤドリギ(宿り木)」(Viscum album L.subsp.coloratum Kom.)のことで,高い木の途中に30~100cm位の緑色の球体となって寄生する。主にエノキ,クリ,ブナなどの落葉樹の枝に根を食い込ませ水分や養分を奪うが,自らも光合成を行なうので正確には半寄生植物である。熱帯産の「ヤドリギ」は水分を吸い尽くすとされ宿主樹木を枯らすこともあるが,日本で見られる「ヤドリギ」は宿主樹木を枯らすことはほとんどないと言われている。 

 

欧州では「ヤドリギ」は冬の落葉樹が葉を全て落とした枝に,生き生きと緑の葉を付けているので神聖なものとされていた。特に北欧では落葉樹の「オーク(ブナ科 コナラ属植物の総称)」が古代から最も神聖な木とされていたので,「オーク」に付く「ヤドリギ(セイヨウヤドリギ)」(Viscum album L. subsp.album)は一番珍重され,再生や不滅の象徴とされていた。例えば,ギリシャ神話にも冥界を訪れた半神の英雄アイネイアスが安全に地上に戻れるように,ヤドリギを持って行ったという話が残っている(De Vries,1984)。北欧では1年で最も日が短い「冬至」に光の神バルデルの人形と「ヤドリギ」を火のなかに投げ,太陽の死からの再生・復活を願う火祭りが行われる。つまり,欧州では「ヤドリギ」は「再生復活の呪力」があるものとして崇められてきたようである。

 

童話『若い木霊』では「ヤドリギ」は「黄金(きん)色のやどり木」として登場してくる。この「黄金色のやどり木」も「再生復活の呪力」が関係していると思える。「ヤドリギ」が金色なのはフレーザー(Sir James George Frazer;1854~1941)の『金枝篇(The Golden Bough)』(1890~1914)という著書の影響があるのかもしれない。フレーザーは「ヤドリギ」がなぜ「金枝」と呼ばれるかについて,切り取られた「ヤドリギ」の葉が次第に金色を帯びるからとしている(Frazer,1973)。童話『若い木霊』の「金色のやどり木」には,高慢になって太陽の届かない「暗い森」すなわち「性欲」などの欲望に囚われそうになっている修行中の〈若い木霊〉を「みんなのさいはひ」を求める本来の姿に復活させようとする役割が与えられているように思える。

 

ただ「ヤドリギ」が枯れるなどして金色になるかどうかは疑わしいところがある。余談だが,フレーザーの『金枝篇』を読んで「ヤドリギ」を切り取って数ヶ月放置して枝や葉が金色になるかどうか確認しようとした植物研究者がいる。その研究者によると「私もいちど試してみたのだが,褐変して,あげくは,ばらばらになってしまった。気候のちがいか,付着する菌類がちがうのか,その原因はいまだに解らない」としてある(栗田,2003)。賢治が実際に「黄金色のヤドリギ」を見たかどうかは定かではない。

 

9.栗の木

この童話で「ヤドリギ」は「栗の木」に付いていた。この「栗の木」にも何か意味が込められているのだろうか。童話『水仙月の四月』と童話『タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった』にも「黄金(きん)いろのやどり木」が登場するが,いずれも「栗」の梢に付いている。

 

また,賢治は昭和5年(1930)2月9日に教え子の沢里武治に「もし三月来られるなら栗の木についたやどりぎを二三枝とってきてくれませんか。近くにあったら。」(下線は引用者)と手紙を出している。賢治は「栗の木」とわざわざ指名している。4月4日に「やどりぎありがとうございます。ほかへも頒(わ)けましたしうちでもいろいろに使ひました。あれがあったらうと思われる春の山,仙人峠へ行く早瀬川の渓谷や赤羽根の上の穏やかな高原など,いろいろ思ひうかべました。・・・こんどはけれども半人前しかない百姓でもありませんから,思い切って新しい方面へ活路を拓きたいと思ひます。期して待って下さい。・・・私も農学校の四年間がいちばんやり甲斐のある時でした。但し終わりのころわづかばかりの自分の才能に満じてじつに倨傲(きょごう)な態度になってしまったこと悔いてももう及びません。しかも,その頃はなお私には生活の頂点でもあったのです。もう一度新しい進路を開いて幾分でもみなさんのご厚意に酬いたいとばかり考えます。」と返信している。

 

賢治は,教え子である沢里の手紙を貰う2年半前(1928年8月)に両側肺浸潤と診断され以後自宅で療養生活を送っていた。それが1929年9月頃になると病状も回復してきて,さらに半年後には引用した手紙に書かれてあるように「思い切って新しい方面へ活路を拓きたいと思ひます」とすっかり健康を取り戻した。沢里に送ってくれるように頼んだ「ヤドリギ」は再生復活を強く意識したものと思われる。賢治はその後石灰岩を粉砕して肥料を作っている鈴木東蔵に出会い,東北の酸性土壌を安価な石灰で改良するという東蔵の話に意気投合し,昭和6(1931)年2月に東北砕石工場の嘱託技師となり石灰の宣伝・販売に従事するようにうなる(佐藤,2008)。

 

賢治が「栗の木についたやどりぎ」を指定したのは,「オーク」が欧州の先住民にとって神聖な木であったように,「栗」が我が国の「先住民」にとって神聖な木であったからと思われる。

 

「栗」は,我が国の山野で普通に見られる「クリ」(別名はシバグリ,ヤマグリ;Castanea crenata Siebold et Zucc..)のことであろう。「オーク」と同じブナ科の落葉高木である。果実はクルミ,トチ,各種ドングンリと同様に縄文時代からの狩猟採取民にとって重要な食料源であった。近年,縄文時代中期頃とされる青森県の三内丸山遺跡で極めて高率に花粉分布域が検出され,当時この周辺には栽培・管理された純林に近い「クリ林」が存在していたことが明らかにされている。さらに,縄文人は果実を食料にするだけでなく木材を住居の柱,杭,丸木舟,櫂(かい)など土木・用具材に利用してきたことも明らかになってきた。

 

三内丸山遺跡で,巨大な集落跡に「クリ材」を使用したと思われる地上の高さ15mと推定される6本柱の巨大な掘立柱建物跡(直径約1m)が出土した。柱穴規模や残された「クリ材」の巨大さ,集落内の移住空間と分離した位置にあることから,一般の掘立柱建物とは異なった祭祀的性格の強い構造物だったとされている(植田,2005)。縄文文化の中心が「東北」ということを考えれば,「クリ」は狩猟採集の縄文時代を通じて最もよく使われる木材の1つであり,また神聖な木であったと考えられる。

 

10.まとめ

(1)童話『若い木霊』は,「鴾の火」や〈大きな木霊〉や「黒い森」など難解な用語が多く,全体の意味が取りにくい謎の多い作品の1つとして知られている。難解な用語を解くカギは,「四」という数字に隠されていると思われる。なぜなら,木の霊である〈若い木霊〉は,木から抜け出して早春の4つある丘を散策していくが,最初の丘で何か胸がときめくのを感じ,柏の木の下で「来たしるし」として「枯れた草穂をつかんで四つだけ結ぶ」という不思議な動作をするからである。

 

(2)〈若い木霊〉には,菩薩になりたかった賢治自身が投影されていると思われる。修行僧がイメージされている〈若い木霊〉にとって胸をときめかすものは「法華経」と思われる。〈若い木霊〉が「四つだけ結ぶ」とは,28品目ある「法華経」のうち,特に方便品第二,如来寿量品第十六,安楽行品第十四,観世音菩薩普門品第二十五の4品を学ぶということを意味していると思われる。〈若い木霊〉は4つの丘の間にある平地や窪地にいる擬人化された〈蟇〉やそこで咲いている〈かたくり〉や〈桜草〉の独り言あるいは葉に現れる文字のようなものから「法華経」の「四要品」の教えを学ぶことになる。

 

(3)最初の丘を下ったところの窪地にいる〈蟇〉の「鴾の火だ。鴾の火だ。もう空だって碧(あお)くはないんだ。桃色のペラペラの寒天でできてゐるんだ。いい天気だ。ぽかぽかするなあ。」という独り言は,「法華経」の「方便品第二」の教えに相当すると思われる。「方便品第二」では「如来がこの世に登場したのは煩悩に縛られている衆生を救うためである」と説かれている。物語では,土の中から出られないでいた〈蟇〉(煩悩で苦しんでいる衆生)が,日が長くなった春の光(如来の登場)で救いだされたのである。〈若い木霊〉は〈蟇〉の「鴾の火」という言葉を聞いて「胸はどきどきして息はその底で火でも燃えてゐるやうに熱くはあはあ」する。この〈若い木霊〉にとっての「鴾の火」は多くの研究者によって「若い主人公の中に目覚めた官能の象徴」と解釈されてきた。しかし,筆者は,〈若い木霊〉が興奮したのは,〈蟇〉の独り言の中に「法華経」の「方便品第二」の教えを読み取ったからと考える。

 

(4)2つめの丘の向こうにある窪地には〈かたくり〉が咲いている。その〈かたくり〉の葉に現れるあやしい文字「そらでも,つちでも,くさのうえでもいちめんいちめん,ももいろの火がもえてゐる。」は,「観世音菩薩普門品」の教えに対応する。観世音菩薩とはサンスクリット語では「あらゆる方角に顔を向けたほとけ」という意味である。「観世音菩薩普門品」には,観音の力を念じれば菩薩はどんなところでも一瞬のうちに現れて,念じた者の苦しみを無くしてくれるということが記載されている。太陽の高さが高くなり日陰だったところに春の光が「いちめんいちめん」に射すようになると〈かたくり〉が芽を出し,そして花を咲かせるようになる。

 

(5)3つめの丘を下ったところの窪地には〈桜草〉が咲いている。この〈桜草〉は,「お日さんは丘の髪毛の向ふの方へ沈んで行ってまたのぼる。そして沈んでまたのぼる。空はもうすっかり鴾の火になった。さあ,鴾の火になってしまった。」と独り言を言う。この独り言は,「法華経」の「如来寿量品」にある「良医治子の誓え」に対応していると思われる。

 

(6)「良医治子の誓え」は,如来の教えを学ぶ衆生に対して,求道心を強く持たせようとするものである。「法華経」によれば,如来の寿命は本来無限であるのだが,無限と言ってしまっては衆生が怠けてしまうので,時には死んだと嘘をつくというものである。〈桜草〉にとって太陽からの光は「鴾の火」であり,尽きることはないと思われるが,一日中連続的に浴びていたらうまく成長できない。すなわち,植物にとって太陽は毎日一定時間沈む必要があるのである。

 

(7)〈若い木霊〉は,〈桜草〉の独り言を聞いて「胸がまるで裂けるばかりに高く鳴り出し・・・その息は鍛冶場のふいごのやう,そしてあんまり熱くて吐いても吐いても吐き切れなく」なってしまう。〈若い木霊〉は〈桜草〉の独り言の中に「ほんたうのこと(=真実)」を感じ取ったと思われる。賢治も書物を読んで激しく感動した経験を持っている。賢治の弟の清六は,賢治が盛岡高等農林学校へ進学するための受験勉強をしていた頃の兄について,賢治は,島地大等編纂の『漢和対照妙法蓮華経』にある「如来寿量品第十六」を読んで感動し,驚喜して身体がふるえて止まらず,この感激を後年ノートに「太陽昇る」と記していた」と述べている

 

(8)〈鴾〉が〈若い木霊〉を案内した4つめの丘の「南」に位置する「桜草がいちめん咲い」ていていて,その中から「桃色のかげろふのやうな火がゆらゆらゆらゆら燃えてのぼって」いる場所は,賭博場あるいは性的エネルギーの発散場所でもある遊郭などがイメージされているように思える。

 

(9)〈鴾〉が桜草の咲いている場所で〈若い木霊〉に分け与えようとした「鴾の火」は,〈鴾〉自身がときめく「番(つがい)」の対象となる「黒い鴾」であると思われる。別の言葉で言えば「官能の象徴」でもある。物語の〈鴾〉が「トキ」(Nipponia nippon)のことであるとすれば,この〈鴾〉の羽は通常白く裏側が桃色であるが,繁殖期になると〈鴾〉は首の周りから出る分泌物をこすりつけることで,頭から背中にかけて黒灰色になる。しかし,〈若い木霊〉は〈鴾〉が差し出した「黒い鴾」すなわち「官能の象徴」を「桃色のかげろふ」のような火の中からは認識することができなかった。

 

(10)〈鴾〉が分けてくれた「鴾の火(=黒い鴾=官能の象徴)」が〈若い木霊〉に見えなかったのは,「桃色のかげろふ」のような火の向こうにある「暗い木立(黒い木)」に秘密がある。多分,〈若い木霊〉は背景にある「暗い木立」が「黒い鴾」を見えにくくしているのだと思われる。

 

(11)「黒い木」は,〈桜草〉の「お日さんは丘の髪毛の向ふの方へ沈んで行ってまたのぼる」という独り言の中の「髪毛の向ふ」と関係していると思われる。「髪毛の向ふ」とは「お日さん」が沈むところであろう。「お日さん」を「如来の言葉」すなわち「法華経」とすれば,「髪毛の向こう」は「法華経」が隠されているところなのかもしれない。「安楽行品」の「髻中明珠の譬え」には「法華経」の譬喩である宝珠が如来の頭にある「髻」の中に隠されているとある。すなわち,「暗い木立」は〈若い木霊〉にとっては「髻中明珠の譬え」にある「髻」の髪の毛であろう。

 

(12)「髻中明珠の譬え」とは,転輪聖王という王が闘いで活躍した兵士に城や財宝を与えて讃えたが,自分の束ねた髪の中に隠した宝珠だけは大きな功績がある者にだけしか与えなかったという譬え話である。この話で転輪聖王は「如来」で,兵士は衆生,城や財宝は法華経以前の仏の教えで,「髻」の中の宝珠は「法華経」である。法華経は諸経の中で最も優れていて高度なものだから,少しでも遊びや快楽の要素が含まれているものに近づこうとする者には理解できないとする教えである。

 

(13)だから「桜草のかげらふ」の中に飛び込んだ〈若い木霊〉には,背景にある「暗い木立」で〈鴾〉が「すきな位持っておいで」と差し出した「鴾の火」すなわち繁殖期の「黒い鴾」が見えなかったのである。「黒い木」とは転輪聖王(如来)の「髻」の髪の毛であろう。すなわち,〈若い木霊〉は「宝珠」(法華経)が隠されている如来の「髻」の中に飛び込んだのである。〈若い木霊〉が飛び込んだ「桜草のかげらふ」とは〈若い木霊〉にとっては如来の「髻」であり,〈鴾〉にとっては繁殖期の雌の〈鴾〉のいる「遊郭」やトランプ遊びができる娯楽の場所である。

 

(14)〈若い木霊〉が帰ろうとしたときに「黒い森」の中から「赤い瑪瑙」のような眼玉をきょろきょろさせて〈大きな木霊〉が出てくる。〈若い木霊〉はこの〈大きな木霊〉を見て逃げてしまう。この〈大きな木霊〉は性愛を伴う恋愛の対象者としての〈大人の木霊〉であろう。そして,この〈大きな木霊〉から逃げたのは,「法華経」の「安楽行品」から「みんなをさいはひ」に導くためには「若い女性に近づくな」ということを学んだからである。

 

参考・引用文献

De Vries,A.(著),山下圭一郎他訳.1984.イメージ・シンボル事典.大修館.東京.

Frazer,J.G.(著),永橋卓介(訳).1973.金枝篇(5).岩波.東京.

栗田子朗.2003.折節の花.静岡新聞社.静岡.

佐藤竜一.2008.宮澤賢治 あるサラリーマンの生と死.集英社.東京.

植田文雄.2005.立柱祭祀の史的研究-立柱遺構と神樹信仰の淵源をさぐる-.日本考古学 12(19):95-114.

 

2021.9.19(投稿日)

宮沢賢治の『若い木霊』(6) -黒い森と大きな木霊から逃げた理由-

Keywords: 葦,恋人,まっくらな巨きなもの,先住民,日本武尊

 

本稿では,「黒い森」が何を意味しているのか明らかにし,〈若い木霊〉が〈大きな木霊〉から逃げた理由について考察する。「黒い森」は以下の場面で登場してくる。

「鴾(とき),鴾,どこに居るんだい。火を少しお呉れ。」

「すきな位持っておいで。」と向ふの暗い木立の怒鳴りの中から鴾の声がしました

「だってどこに火があるんだよ。」木霊はあたりを見まはしながら叫びました。

「そこらにあるじゃないか。持っといで。」鴾が又答へました。

 木霊はまた桃色のそらや草の上を見ましたがなんにも火などは見えませんでした。

「鴾,鴾,おらもう帰るよ。」

「そうかい。さよなら。えい畜生。スペイドの十を見損っちゃった。」と鴾が黒い森のさまざまのどなりの中から云ひました

 若い木霊は帰らうとしました。その時森の中からまっ青な顔の大きな木霊が赤い瑪瑙(めのう)のやうな眼玉をきょろきょろさせてだんだんこっちへやって参りました。若い木魂は逃にげて逃げて逃げました

                     (宮沢,1986)下線は引用者

 

前稿(石井,2021c)で,「桃色のかげろふのやうな火」という「幻想世界」の中から見た「暗い木立(黒い木)」は,如来の「髻(もとどり)」にある「髪の毛」がイメージされていると述べた。〈若い木霊〉は〈鴾〉を追いかけて走り回った影響で疲労困憊したと思われる。〈若い木霊〉が見た「暗い木立」は,うとうとと眠りかけたときに見る「入眠幻覚」のようなものとして現れた。しかし,幻影としての「暗い木立」は,〈若い木霊〉が〈鴾〉が示した「鴾の火」を見つけられずに「おらもう帰るよ。」と言った瞬間に「黒い森」に変わる。賢治が意図的に変えたと思われる。多分,〈若い木霊〉は,この場から帰りたいと思った瞬間,「幻想世界(夢)」から醒め,再び「現実世界」に立ち戻ったのだと思う。「黒い森」は「暗い木立」という言葉と似ているが,意味は全く異なると思われる。では「現実世界」で見た「黒い森」とは何を意味しているのであろうか。

 

6.「黒い森」とは何か

〈鴾〉は〈若い木霊〉をこの「黒い森」に案内する途中で4番目の丘の狭間の「葦」の中に墜ちてしまう。この「黒い森」の正体は,この〈鴾〉が落ちた場所と関係がありそうである。

「お前は鴾といふ鳥かい。」

 鳥は

「さうさ,おれは鴾だよ。」といひながら丘の向ふへかくれて見えなくなりました。若い木霊はまっしぐらに丘をかけのぼって鳥のあとを追ひました。丘の頂上に立って見るとお日さまは山にはひるまでまだまだ間がありました。鳥は丘のはざまの蘆(あし)の中に落ちて行きました。若い木霊は風よりも速く丘をかけおりて蘆むらのまはりをぐるぐるまわって叫びました。

「おゝい。鴾。お前,鴾の火といふものを持ってるかい。持ってるなら少しおらに分けて呉(く)れないか。」

「あゝ,やらう。しかし今,ここには持ってゐないよ。ついてお出(い)で。」

 鳥は蘆の中から飛び出して南の方へ飛んで行きました。若い木霊はそれを追いました。あちこち桜草の花がちらばってゐました。そして鳥は向うの碧いそらをめがけてまるで矢のやうに飛びそれから急に石ころのやうに落ちました。

                       (宮沢,1986)下線は引用者

 

鳥の「葦むら」に落ちてから飛び上がり,また落ちるという不可思議な行動と野原の向こう側から聞こえてくる不思議な声は,詩集『春と修羅』の「白い鳥」(1923.6.4)にもでてくる。「白い鳥」には「どうしてそれらの鳥は二羽/そんなにかなしくきこえるか/それはじぶんにすくふちからをうしなつたときわたくしのいもうとをもうしなつた/そのかなしみによるのだが/(ゆふべは柏ばやしの月あかりのなか/けさはすずらんの花のむらがりのなかで/なんべんわたくしはその名を呼び/またたれともわからない声が/人のない野原のはてからこたへてきて/わたくしを嘲笑したことか)/そのかなしみによるのだが/またほんたうにあの声もかなしいのだ/いま鳥は二羽,かゞやいて白くひるがへり/むかふの湿地,青い芦のなかに降りる/降りやうとしてまたのぼる」とある。

 

引用した詩は,「(日本武尊の新らしい御陵の前に/おきさきたちがうちふして嘆き/そこからたまたま千鳥が飛べば/それを尊のみたまとおもひ/芦に足をも傷つけながら/海べをしたつて行かれたのだ)」という詩句が続くことから『古事記』の白鳥陵伝説を元にして創作された心象スケッチであることがわかる。「芦(よし)」はイネ科ヨシ属の多年草で「ヨシ」(Phragmites australis (Cav.) Trin.ex Steud.)で,童話『若い木霊』の「葦(あし)」のことである。

 

「葦(あし)」という呼び名は,古くは『古事記』や『日本書紀』などの記紀の「葦原中国(あしはらのなかつくに)」という言葉の中で使われていた。これは日本という国の古い呼称である。多分,童話の「葦」は記紀に登場する「葦」がイメージされている。朝廷によって作られた歴史書によれば,日本列島は大陸から稲作と鉄器の文化を持ってきた渡来系弥生人らによって統治される前は「葦」の茂る未開な国であったということである。この日本列島の「葦」が茂る土地には,渡来系弥生人らが来る前にすでに「先住民」が暮らしていた。

日本武尊(やまとたけるのみこ)は,第12代景行天皇の皇子で,西国の熊襲征討と東国(東北)の蝦夷(エミシ)征討を行ったとされる記紀上の伝説的英雄である。童話『若い木霊』が東北を舞台にしているとすれば,この物語に登場する「幻想世界」から醒めたときに現れた「黒い森」は東北の「蝦夷」と呼ばれた「先住民」と関係しているように思える。東北の「先住民」には朝廷に対して「まつろわぬ民」として記紀に登場する日本武尊の時代から,阿弖流為と坂上田村麻呂が戦った古代そして戊辰戦争の近代に至るまで対立してきた歴史がある。

 

賢治の作品には,この「黒い森」に相当するものは,詩集『春と修羅 詩稿補遺』の詩「境内」では「どうにも動かせない」「まっくらな巨きなもの」(石井,2021a),詩「火祭」においては「(ひば垣や風の暗黙のあひだ/主義とも云はず思想とも云はず/たゞ行はれる巨きなもの)」(石井,2021a)で,童話『ガドルフの百合』では「巨きなまっ黒な家」,そして童話『銀河鉄道の夜』においては「橄欖の森」,「大きな闇」あるいは「巨きな黒い野原」として表現されてきた。「橄欖の森」はブログ名にも採用している。詳細は固定ページの「ブログ名(橄欖の森)について」を参照してください。

 

これらの「まっ黒」で「巨きなもの」として象徴されるものは,東北の「先住民」が「大和」あるいは「侵略者」に示す「疑い」や「反感」・「憎悪」の共同体意識(共同幻想)である。別の言葉で言い換えれば,「村人(農民)」の「町の人」に対する反感意識でもある。すなわち,〈鴾〉は〈若い木霊〉を「疑い」や「反感」・「憎悪」が渦巻く東北先住民の共同体意識の中に連れ込もうとしたと思われる。多分,〈若い木霊〉は丘の木々や花の精霊,動物達,あるいは「黒い森」に住む者達にとってはよそ者(移住者)として設定されているように思える。

 

7.大きな木霊から逃げた理由

〈若い木霊〉が帰ろうとしたときに「黒い森」の中から「赤い瑪瑙」のような眼玉をきょろきょろさせて〈大きな木霊〉が出てきて,〈若い木霊〉はこれを見て逃げてしまう。「黒い森」あるいは〈大きな木霊〉から逃げた理由として,伊東(1977)は「早すぎた目覚め」と「鴾の火(性)に対する無知」によるものとし,中地(1991a,b)は「性の目覚めを体験し,それに執着したために不気味な幻想世界(修羅の世界)を呼び起こして驚いたから」とし,鈴木(1994)は魔王波旬の眷属になってしまうことへの恐怖によるものとした。

 

筆者は,この〈大きな木霊〉は性愛を伴う恋愛の対象者としての〈大人の木霊〉であると思っている。「瑪瑙(メノウ)」は,縞模様が入る二酸化ケイ素を主成分とする鉱物(宝石)である。それゆえ「赤い瑪瑙」は,サケやマスの繁殖時期の腹側にできる薄赤い縞模様(「婚姻色」)がイメージできる。すなわち,「幻想世界」の中で「法華経(安楽行品)」から「若い女性に近づくな」ということを学んだ〈若い木霊〉は,この若い成熟した女性の木霊を見て「逃げた」のである。さらに深読みすれば,〈大きな木霊〉は賢治の背が高かった「先住民」の末裔と思われる恋人が投影されていると思われる。前述した詩集『春と修羅』の「白い鳥」に登場する2羽の白い鳥のうち1羽は妹トシであるが,もう1羽は破局に終わった恋人と思われる。

 

この童話の制作年度は研究者によっては1921年11月以前を想定しているが,賢治の恋が破局した1923年春頃も見直しと修正がなされていたのかもしれない。

 

賢治は,花巻農学校の教諭時代に地元の女性と相思相愛の恋愛をしている(佐藤,1984)。この女性は,前稿で述べたレコード鑑賞会に参加していた花城小学校の7~8人の女性教諭の1人である。この恋は長続きせずに1年ほどで破局している(1922年春から1923年春頃まで)。破局の原因は定かではないが,筆者は東北の「先住民」と京都に都を置いた朝廷側の歴史的対立が破局の原因の1つであると考えている(石井,2021b)。宮沢一族は京都出身の「移住者」の末裔であり,恋人は「先住民」の末裔と思われる。この歴史的対立がもたらした「先住民」の「移住者」に対する反感・憎悪は,前述したように「まっくらな巨きなもの」である。

 

賢治は,自分の前に立ちはだかった「まっくらな巨きなもの」をどうにも動かすことができなかった。賢治は「まっくらな巨きなもの(=黒い森)」から幻聴として「怒鳴や叫びががやがや聞えて」きたのかもしれない。前述したように「白い鳥」という詩の中には「またたれともわからない声が/人のない野原のはてからこたへてきて/わたくしを嘲笑したことか」という詩句がそれに対応している。そして,賢治は2人の「さいはひ」よりも「みんなのさいはひ」を選択したのであろう。

 

また,2番目の丘のところで〈若い木霊〉は,〈栗の木〉に耳をあてても何の音もしないことから,〈栗の木〉につく〈やどり木〉に対して「おい。この栗の木は貴様らのおかげでもう死んでしまったやうだよ」と非難していたが,森から引き返した後では「ふん,まだ,少し早いんだ。やっぱり草が青くならないとな」とやさしい言葉をかけるようになる。「法華経」の「安楽行品」から「他人を非難し敵視せず」ということを学んだからと思われる。(続く)

 

参考・引用文献

石井竹夫.2021a.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-ケヤキのような姿勢の青年(1)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/12/143453

石井竹夫.2021b.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-ケヤキのような姿勢の青年(2)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/12/145103

石井竹夫.2021c.宮沢賢治の『若い木霊』(4)-鴾の火と法華経・如来寿量品の関係について-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/09/16/061200

伊東眞一朗.1977.「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」論.国文学攷 74:12-24.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

中地 文.1991a.「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」の成立考(上).日本文学 75:16-33.

中地 文.1991b.「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」の成立考(中).日本文学 76:50-63.

鈴木健司.1994.宮沢賢治 幻想空間の構造.蒼丘書林.東京.

 

本稿は未発表レポートです。                                        2021.9.18(投稿日)

 

宮沢賢治の『若い木霊』(5) -鴾の火と法華経(安楽行品)の関係について-

Keywords:安楽行品,髻中明珠,黒い鴾,暗い木立

 

本稿では,「法華経」の「四要品」の一つである「安楽行品第十四」の教えが以下の〈鴾〉が〈若い木霊〉を連れていった「桜草のかげらふ」の中,あるいは〈鴾〉と〈若い木霊〉の会話の中に隠されているかどうか検討する。

 

5.安楽行品の教えと「黒い鴾」,および鴾の火との関係

「安楽行品(あんらくぎょうほん)」では,「法華経」を広めるために心がけるべき4つの行法(四楽案行)が説かれている。第1に行動と交際の範囲を厳守せよ(人々の集まる娯楽の場所や色街あるいは女性に近づくな)。第2に他人を非難し敵視せず,また他人と論争するな。第3に依怙贔屓(えこひいき)するな。そして第4に他人を信仰させ,さとりを達成しうるように成熟させるべし。という教えである(坂本・岩本,1994)。

 

童話では「四楽案行」のうち特に第1の「女性に近づくな」の教えが書かれているように思える。「安楽行品第十四」には「若入他家。不与少女。処女寡女等共語。」(若し他の家に入らんには,小女・処女・寡女等と共に語らざれ。),「若為女人説法。不露歯笑。不現胸臆。」(若し女人の為に法を説かんには,歯を露わにして笑まざれ,胸臆を現わさざれ。)とある。

 

〈若い木霊〉は4番目の丘の上を飛んでいる〈鴾〉を見つける。この〈鴾〉は,羽の裏が「桃色」にひらめいている。〈若い木霊〉は〈鴾〉が自分の求めている「鴾の火」を持っていると思い,〈鴾〉に「少し分けて呉れ」と懇願する。〈鴾〉は,「鴾の火」のある場所を知っているらしく〈若い木霊〉を丘の「南」に位置する「桜草がいちめん咲い」ていてその中から「桃色のかげろふのやうな火がゆらゆらゆらゆら燃えてのぼって」いる場所(以下「桜草のかげらふ」)に連れて行く。

そこには桜草がいちめん咲いてその中から桃色のかげろふのやうな火がゆらゆらゆらゆら燃えてのぼって居りました。そのほのほはすきとほってあかるくほんたうに呑(の)みたいくらゐでした。

 若い木霊はしばらくそのまはりをぐるぐる走ってゐましたがたうたう

「ホウ,行くぞ。」と叫んでそのほのほの中に飛び込こみました

 そして思わず眼をこすりました。そこは全くさっき蟇(ひきがえる)がつぶやいたやうな景色でした。ペラペラの桃色の寒天で空が張られまっ青な柔らかな草がいちめんでその処々にあやしい赤や白のぶちぶちの大きな花が咲いてゐました。その向ふは暗い木立で怒鳴や叫びががやがや聞えて参ります。その黒い木をこの若い木霊は見たことも聞いたこともありませんでした。木霊はどきどきする胸を押へてそこらを見まはしましたが鳥はもうどこへ行ったか見えませんでした。

「鴾(とき),鴾,どこに居るんだい。火を少しお呉れ。」

「すきな位持っておいで。」と向ふの暗い木立の怒鳴りの中から鴾の声がしました。

「だってどこに火があるんだよ。」木霊はあたりを見まはしながら叫びました。

「そこらにあるじゃないか。持っといで。」鴾が又答へました。

 木霊はまた桃色のそらや草の上を見ましたがなんにも火などは見えませんでした。

「鴾,鴾,おらもう帰るよ。」

「そうかい。さよなら。えい畜生。スペイドの十を見損っちゃった。」と鴾が黒い森のさまざまのどなりの中から云ひました。

 若い木霊は帰らうとしました。その時森の中からまっ青な顔の大きな木霊が赤い瑪瑙(めのう)のやうな眼玉をきょろきょろさせてだんだんこっちへやって参りました。若い木魂は逃にげて逃げて逃げました

 風のやうに光のやうに逃げました。そして丁度前の栗の木の下に来ました。お日さまはまだまだ明るくかれ草は光りました。

 栗の木の梢(こずえ)からやどり木が鋭するどく笑って叫びました。

「ウワーイ。鴾にだまされた。ウワーイ。鴾にだまされた。」

                 (宮沢,1986)下線は引用者

 

〈鴾〉が〈若い木霊〉に分け与えようとした「鴾の火」とは何か。多分,それは〈鴾〉自身がときめく「番(つがい)」の対象となる「黒い鴾」であろう。物語の〈鴾〉が「トキ」(Nipponia nippon)のことであるとすれば,この〈鴾〉の羽は通常白く裏側が桃色であるが,繁殖期になると〈鴾〉は首の周りから出る分泌物をこすりつけることで,頭から背中にかけて黒灰色になる。この黒灰色型羽色の婚姻色は1月末から始まり3~4月で完成すると言われている。

 

では,〈若い木霊〉が飛び込んだ「桜草のかげらふ」の中とはどんな所であろうか。飛び込んだ「桜草のかげらふ」の中は,天井(空)には,「ペラペラの桃色の寒天」で張られ,地は「まっ青な柔らかな草がいちめんでその処々にあやしい赤や白のぶちぶちの大きな花が咲い」ていて,向こう側には「怒鳴や叫びががやがや聞えて」くる「暗い木立」が見える所である。これらは〈若い木霊〉が「桜草のかげらふ」の中に飛び込む前には〈若い木霊〉には見えていなかったので,飛び込んだことによって突然に出現したように思える。〈若い木霊〉は,この「黒い木立」を形成している「黒い木」を見たことも聞いたこともないことから,〈若い木霊〉にとって「桜草のかげらふ」の中の世界は「異空間」あるいは「幻想世界」のものと思われる。

 

これまで,多くの賢治研究家が〈若い木霊〉が飛び込んだ「桜草のかげらふ」の中の世界を「大人の世界(伊東,1977)」,「修羅の世界(中地,1991b)」,「『彼方』の暗黒・深淵(天沢,1993)」,「人間界より下方世界(鈴木,1994)」の象徴などと解釈してきた。鈴木が言う「人間界よりも下方世界」とは地獄・餓鬼・畜生・修羅を象徴した世界のことである。筆者はこの場所の空が「ペラペラの桃色の寒天」とあるのは〈蟇〉が言ったように「性の象徴」を現しているように思え,また「あやしい赤や白のぶちぶちの大きな花」は女性の白と赤が基調の化粧や遊郭の朱色の格子や外壁が連想されるので,この異空間の「桜草のかげらふ」の中は色街がイメージできる。

 

また,「桜草のかげらふ」の向こうは怒鳴りが聞こえてくることから人々の集まる歓楽街もイメージされているように思える。〈若い木霊〉が飛び込んだ世界が「修羅の世界」なのか,あるいは「人間界よりも下方の世界」なのかは分からないが,〈若い木霊〉にとっては,賢治と同様に「みんな」を「ほんたうのさいはひ」に導こうとする願いから砕け疲れた世界だと思われる。

 

『春と修羅』の「小岩井農場」(1922.5.21)には「もしも正しいねがひに燃えて/じぶんとひとと万象といつしよに/至上福しにいたらうとする/それをある宗教情操とするならば/そのねがひから砕けまたは疲れ/じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと/完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする/この変態を恋愛といふ/そしてどこまでもその方向では/決して求め得られないその恋愛の本質的な部分を/むりにもごまかし求め得やうとする/この傾向を性慾といふ」(下線は引用者)とある。

 

菩薩になりたかった賢治にとって最も「ときめくもの」あるいは「欲しいもの」は「じぶんとひとと万象といつしよに/至上福しにいたらうとする」もの,別の言葉で言えば「自分のさいはひ」と「みんなのさいはひ」をもたらすものであると言っている。「官能を刺激するもの」は「自分のさいはひ」だけに結びつくものである。さらに,官能を刺激する「恋愛」や「性欲」は,「みんなのさいはひ」を求めていく過程で「砕けまたは疲れ」たときにやむを得ず求めてしまうものとしている。

 

「桜草のかげらふ」の中は「闘争」を好む世界であるあるとともに,前述した詩「小岩井農場」の「決して求め得られないその恋愛の本質的な部分を/むりにもごまかし求め得やうとする/この傾向を性慾といふ」の「恋愛」や「性欲」が支配する世界でもある。〈若い木霊〉は〈鴾〉に騙されて「みんなのさいはひ」ではなく「畜生界」の「性欲」や「修羅界」の「争い」で苦しむ世界へ連れて行かれたのかも知れない。

 

賢治の友人である森(1974)は賢治の身内(妹シゲの夫・岩田豊蔵)から「いつか賢さんが一関の花川戸という遊郭へ登楼してきたといって,明るくニコニコ笑って話しました」という話を聞いている(森,1974)。事実かどうかは定かではないが,登楼があったとすれば妹トシが亡くなる前のことだという(1922年11月以前)。〈鴾〉は〈若い木霊〉を「南」の方角へ連れて行ったが,一関は花巻の「南」に位置する。

 

また,賢治は稗貫農学校の教諭になった頃に,花巻高等女学校の音楽教師・藤原嘉藤治と親しくなり,レコードを聴くなど音楽熱が高まっていた。時期は定かではないが(1921年12月以降),二人で毎週土曜日に女学校などでレコード鑑賞会を開くようになっていた。このとき鑑賞会に花城小学校の若い女性教諭達が7~8人集まっていたという(佐藤,1984)。つまり,当時賢治は多くの若い女性と出会っていたように思える。

 

では,なぜ〈若い木霊〉には,〈鴾〉が与えようとした「鴾の火」が見えなかったのだろうか。〈若い木霊〉は,〈蟇〉や〈桜草〉の独り言の中に出てくる「鴾の火」,あるいは〈かたくり〉の葉に現れた「鴾の火」は認識することができたのに〈鴾〉が示した「鴾の火」は見ることができなかった。なぜだろうか。

 

それは見たことも聞いたこともないという「黒い木」に秘密が隠されているように思える。この「黒い木」は,〈桜草〉の「お日さんは丘の髪毛の向ふの方へ沈んで行ってまたのぼる」という独り言の中の「髪毛の向ふ」と関係していると思われる。「髪毛の向ふ」とは「お日さん」が沈むところであろう。「お日さん」を「如来の言葉」すなわち「法華経」とすれば,「髪毛の向こう」は「法華経」が隠されているところなのかもしれない。「安楽行品第十四」の「髻中明珠(けいちゅうみょうしゅ)の譬え」には「法華経」の譬喩である宝珠(ほうじゅ)が頭の「髻(もとどり)」の中に隠されていることが記載されている。すなわち,「黒い木」は〈若い木霊〉にとっては「髻」の髪の毛であろう。「髻」は髪の毛を頭の上で束ねたところである。

 

「髻中明珠の譬え」とは,転輪聖王という王が闘いで活躍した兵士に城や財宝を与えて讃えたが,自分の束ねた髪の中に隠した宝珠だけは大きな功績がある者にだけしか与えなかったという譬え話である。この話で転輪聖王は「如来」で,兵士は衆生,城や財宝は法華経以前の仏の教えで,「髻」の中の宝珠は「法華経」である。法華経は諸経の中で最も優れていて高度なものだから,少しでも遊びや快楽の要素が含まれているものに近づこうとする者には理解できないとする教えである。

 

だから「桜草のかげらふ」の中に飛び込んだ〈若い木霊〉には,背景にある「暗い木立」で〈鴾〉が「すきな位持っておいで」と差し出した「鴾の火」すなわち繁殖期の「黒い鴾」が見えなかったのである。「黒い木」とは転輪聖王(如来)の「髻」の髪の毛であろう。すなわち,〈若い木霊〉は「宝珠」(法華経)が隠されている如来の「髻」の中に飛び込んだのである。〈若い木霊〉が飛び込んだ「桜草のかげらふ」とは〈若い木霊〉にとっては如来の「髻」であり,〈鴾〉にとっては繁殖期の雌の〈鴾〉のいる「遊郭」やトランプ遊びができる娯楽の場所である。

 

〈鴾〉はこの童話では,鈴木(1994)が指摘しているように仏教で言うところの第六天の魔王波旬の役割を担っているように思える。「六天(六欲天)」とは欲望に囚われる世界のことである。日蓮宗の宗祖である日蓮は,魔王波旬を,仏道修行者を「法華経」から遠ざけようとして現れる「魔」であると説いた。すなわち,魔王波旬の化身である〈鴾〉が修行中の〈若い木霊〉が「法華経」に近づくのを妨害しているようにも思える。

 

〈鴾〉が「えい畜生。スペイドの十を見損っちゃった。」※※と言うが,この「スペイド」は繁殖期の〈鴾〉を背中側から見たときの姿がトランプの黒いスペイドの形に似ていることによると思われる。また,「十」という数字は,遊郭に働く女性だけでなく,前述したレコード鑑賞会に集まった花城小学校の7~8人の若い女性教諭達がイメージされていたのかもしれない。〈鴾〉は〈若い木霊〉が欲していたものを自分が欲していたものと同じと思ったのであろうか,それとも〈鴾〉が始めから〈若い木霊〉を騙そうとしたのだろうか。多分,後者であろう。〈若い木霊〉を修行中の菩薩とすれば,〈若い木霊〉にとって「ほんたう」に「ときめく」ものは「自分のさいはひ」というよりは「みんなのほんたうのさいはひ」へ導くものだったのかもしれない。

 

〈鴾〉は,騙すつもりで繁殖期の黒い〈鴾〉を差し出したのに,〈若い木霊〉がそれを見つけることが出来なかったことに落胆している。だから〈若い木霊〉は〈やどり木〉から「ウワーイ。鴾にだまされた。」と言われたのである。しかし,〈若い木霊〉は自分では気づいていないかもしれないが「安楽行品」にある「女性に近づくな」の教えを学んだのである。

 

また,2番目の丘のところで〈若い木霊〉は,〈栗の木〉に耳をあてても何の音もしないことから,〈栗の木〉につく〈やどり木〉に対して「おい。この栗の木は貴様らのおかげでもう死んでしまったやうだよ」と非難していたが,森から引き返した後では「ふん,まだ,少し早いんだ。やっぱり草が青くならないとな」とやさしい言葉をかけるようになる。「安楽行品」から「他人を非難し敵視せず」ということを学んだからと思われる。

 

4つの丘を下った窪地あるいは草地にいる生き物の言葉と法華経の関係は第1表に,そして4つの窪地あるいは草地にいる生き物にとっての「鴾の火」とそれに対する反応は第2表に示す。

 

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以上のように,〈蟇〉や〈桜草〉の独り言と〈かたくり〉の葉の文字のような模様の中に,また〈鴾〉が〈若い木霊〉を連れていった「桜草のかげらふ」の中,あるいは〈鴾〉と〈若い木霊〉の会話の中に「法華経」の「四要品」の教えが隠されているのは明らかなように思える。次稿(6稿)では「黒い森」の正体と,〈若い木霊〉がこの森から出てくる「大きな木霊」見て逃げ出してしまう理由について検討する。(続く)

 

参考・引用文献

天沢退二郎.1993.宮沢賢治の彼方へ.筑摩書房.東京.

伊東眞一朗.1977.「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」論.国文学攷 74:12-24.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

宮沢清六.1991.兄のトランク.筑摩書房.東京.

森荘已池.1974.宮沢賢治の肖像.津軽書房.靑森.

中地 文.1991b.「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」の成立考(中).日本文学 76:50-63.

坂本幸男・岩本 裕(訳注).1994.法華経(上)(中)(下).岩波書店.東京.

佐藤勝治.1984.宮沢賢治 青春の秘唱“冬のスケッチ”研究.十字屋書店.東京.

鈴木健司.1994.宮沢賢治 幻想空間の構造.蒼丘書林.東京.

 

※:未亡人のことで「やもめおんな」と読む。

※※:「スペイドの十を見損っちゃった」という表現は,先駆形では「二十銭の切手を一杯損しちゃった」となっていた。明治5年発行の20銭の桜切手も中央部分に二重円線の蔓草模様が描かれていて,蔓草模様の四隅が羽ばたいている4疋の鳥の姿に見える。

 

本稿は未発表レポートです。

宮沢賢治の『若い木霊』(4) -鴾の火と法華経・如来寿量品の関係について-

Keywords:春の光,ほんたうのこと,24時間の明暗周期,如来寿量品第十六,沈んでまた昇る,良医治子

 

本稿では,「法華経」の「四要品」の一つである「如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)第十六」の教えが以下の〈桜草〉の独り言の中に隠されているかどうか検討する。下記引用文の下線部分が推定された仏の教えの部分である。

 右の方の象の頭のかたちをした灌木(かんぼく)の丘からだらだら下りになった低いところを一寸越(こし)ますと,又窪地がありました。

 木霊はまっすぐに降りて行きました。太陽は今越えて来た丘のきらきらの枯草の向ふにかゝりそのなゝめなひかりを受けて早くも一本の桜草が咲いてゐました。若い木霊はからだをかゞめてよく見ました。まことにそれは蛙(かえる)のことばの鴾の火のやうにひかってゆらいで見えたからです。桜草はその靭(しな)やかな緑色の軸(じく)をしずかにゆすりながらひとの聞いてゐるのも知らないで斯(か)うひとりごとを云ってゐました。

お日さんは丘の髪毛(かみけ)の向ふの方へ沈んで行ってまたのぼる。

 そして沈んでまたのぼる。空はもうすっかり鴾の火になった。

 さあ,鴾の火になってしまった。

 若い木霊は胸がまるで裂けるばかりに高く鳴り出しましたのでびっくりして誰(たれ)かに聞かれまいかとあたりを見まはしました。その息は鍛冶場(かじば)のふいごのやう,そしてあんまり熱くて吐いても吐いても吐き切れないのでした。

                (宮沢,1986)下線は引用者

 

4.如来寿量品第十六の教えと〈桜草〉の独り言,および鴾の火との関係

3番目の丘を下ったところの窪地には〈桜草〉が咲いている。その〈桜草〉の独り言である「お日さんは丘の髪毛(かみけ)の向ふの方へ沈んで行ってまたのぼる。そして沈んでまたのぼる。空はもうすっかり鴾の火になった。さあ,鴾の火になってしまった。」は,「法華経」の「如来寿量品第十六」に対応していると思われる。

 

「如来寿量品第十六」には如来の寿命の長さは無限で尽きないということを分かりやすく説明するための「良医治子(ろういじし)の誓え」が記載されている。この譬えとは,名医が「方便(巧妙な手段)」を使って毒を飲んで苦しんでいる子供達を「良薬」で助ける話である。

 

学識があって賢明であり,あらゆる病気の治療に優れた手腕のある医者には,大勢の子供がいた。この名医が外国に行って留守の間に,子供達は毒のために苦しんでいた。そこに父親の医者が帰ってきて,直ちに「良薬」を調合して与えた。子供達のうち,意識の転倒していない者は直ちにその薬を飲んで苦しみから解放されたが,毒が回って意識の転倒している子供は,「良薬」を見ても疑って飲もうとしなかった。そこで名医は巧妙な手段を使って「我今衰老。死時已至。是好良薬。今留在此。汝可取服。勿憂不差。作是教已。復至他国。遣使還告。汝父已死。」(私は老いて死期が近い。ここに良薬を置いておくから飲みなさい。治らないと疑ってはいけないと言い残して他国に行き,使者を遣わして「父は死んだ」と伝えさせた)。

 

意識の転倒していた子供達は,父の死を聞いて頼る人がいない身の上になったことを嘆き悲しみ,意識を取り戻し,ついに「良薬」を飲んで苦しみから解放された。そこで「其父聞子。悉已得差。尋便来帰。咸使見之。」(父(良医)は子供達が苦しみから解放されたことを知って,直ちに戻って皆の前に現れた)(坂本・岩本,1994)という譬(喩)え話である。父である如来の寿命は無限であるが,方便によって死んだと見せて,衆生に「悟り」(ほんたうのさいはひ)に対する求道心を起こさせるとしている。そして衆生が求道心を回復したら再び現れるというものである。

 

衆生に「如来は死んだ」と思わせなかったらどうなるのであろうか。「如来寿量品第十六」にある有名な「自我偈」(寿量品後半にある5文字で1句となる詩の形で書かれた部分)には「以常見我故 而生憍恣心 放逸著五欲 堕於悪道中」(もしも常に私に会えるとなれば,奢(おご)りの心が生じて,放逸(ほういつ)し五欲に執着して,悪道の苦しみの中に墜ちてしまう)とある。

 

〈桜草〉は,サクラソウ科の多年草である「サクラソウ」(Primula sieboldii E.Morren)

で高原や山地のやや湿った草原や開けた森林,河川敷の草原に見られる。太陽の光が射し込む場所を好む。花は深く5枚に深く裂けている(合弁花)。淡紅色(桃色)でまれに白花もある。岩手山の麓には沢山の自生地があったという。現在,野生の群落を見ることはまれになっている。園芸店で「サクラソウ」として売られている植物としてはセイヨウサクラソウ(Ppolyanthus),オトメザクラ(P malacoides プリムラ・マラコイデス)などである。

 

童話で「桃色」の花が咲く〈桜草〉は「お日さんは丘の髪毛の向ふの方へ沈んで行ってまたのぼる。そして沈んでまたのぼる」とつぶやく。これを現代の植物学で解釈してみたい。太陽エネルギーを利用する光合成植物は,太陽が「沈んでまたのぼる」という1日のリズムに合わせて生きているように思われる。これまでの研究では,24時間の明暗の周期変動が植物の生育をもっとも促進するとされている。例えば,トマト(Solanum lycopersicum L.)の乾物量は,人工光源のみを用いた栽培において12時間あるいは48時間よりも24時間の明暗周期(明暗期比1:1)下において多くなる。理由として,植物には光照射により同化が促進される相と抑制されるまたは促進されない相からなる約24時間の内生リズムが存在するからだとされている。トマト以外でもカワラケツメイ,エンドウ,ピーナツ,ダイズで同様な結果が得られている(戸井田ら,2003)。

 

では明暗期比1:1以外ではどうなるのか。大橋(2008)の日長時間(1日のうちの明るい時間)を4,8,12,16,20および24時間(連続24時間照射)にしてトマトの苗を栽培した研究によると,トマトの生長にとって16時間日長が最適であり,それ以上だと生育が悪くなり24時間日長ではクロロシス(葉のクロロフィルが不足し黄色あるいは白色化する)が発生するという。しかし,大橋は,太陽光強度よりも弱い強度で照射するとホウレンソウなどでは連続24時間照射の方が明暗周期を設定した場合に比べて生育が旺盛であったという事例も挙げている。これは植物が受けた積算光量の増加に伴った光合成速度の増加によるものと考えられている。ただこの方法だと早く花芽を形成してしまい商品価値は少ないらしい。

 

大橋(2008)は,太陽光にエネルギーを依存する光合成生物にとって重要なのは,光周期の「明期」の長さではなく,中断されない「暗期」の長さだと述べている。すなわち,植物にとって重要なのは太陽が沈むということである。寿命が無限である「如来」を太陽に,5欲に執着する「衆生」を花弁が5裂し「桃色」の花を咲かせる〈桜草〉に,方便としての「如来の入滅」を「太陽が沈む」に置き換えれば,大橋の述べていること,あるいは〈桜草〉の独り言は「法華経」の「如来寿量品」の教えと類似しているように思える。

 

〈若い木霊〉は,〈桜草〉の独り言を聞いて「胸がまるで裂けるばかりに高く鳴り出し・・・その息は鍛冶場のふいごのやう,そしてあんまり熱くて吐いても吐いても吐き切れなく」なってしまう。同様の反応は,これよりは多少弱い反応だが〈若い木霊〉が〈蟇〉の独り言を聞いたときにも起こっていた。この〈若い木霊〉の生理的とも言える反応を,これまでの研究者達は「若い主人公の中に目覚めた官能の象徴に対しての反応」すなわち「性的な興奮反応」と捉えていた。しかし,激しい運動をしなくても,「性的な興奮反応」と同様のものは,病的にはパニック障害で,また病的でなくても書物を読んだり演劇を見たりして感動したときなどでも生じる。パニック障害は,突然理由もなく激しい動悸,息苦しさ,発汗,手足の震えなどに襲われることを特徴としていて,交感神経の興奮によるものとされている。

 

賢治も書物を読んで激しく感動した経験を持っている。賢治の弟の清六は,賢治が盛岡高等農林学校へ進学するための受験勉強をしていた頃(大正3年秋,賢治18歳)の兄について,賢治は,島地大等編纂の『漢和対照妙法蓮華経』にある「如来寿量品第十六」を読んで感動し,驚喜して身体がふるえて止まらず,この感激を後年ノートに「太陽昇る」と記していた(下線は引用者)。」と述べている(宮沢,1991)。おそらく,賢治は,「如来寿量品第十六」に真実(=「ほんたうのこと」)が書かれてあると確信したと思われる。

 

多分,このとき激しい動悸と息苦しさも経験したと思われる。また,賢治は「如来寿量品第十六」だけでなく「方便品第二」にも感銘を受けたと思われる。大正7(1918)年6月27日に母親を失って意気消沈している友人の保阪嘉内に「保阪さん,諸共に深心に至心に立ち上り,敬心を以て歓喜を以てかの赤い経巻を手にとり静にその方便品,寿量品を読み奉らうではありませんか」(下線は引用者)と手紙を書いている。つまり,〈若い木霊〉は,〈蟇〉や〈桜草〉の独り言の中に賢治と同じように「方便品第二」や「如来寿量品第十六」の教えを感じ取り感動して興奮したのだと思える。

 

しかし,誰もが「方便品第二」や「如来寿量品第十六」を読んで歓喜するとは限らない。大部分の人達は,「法華経」を「ためになることが書かれてある」と言われ強制的に読まされても眠くなるだけだと思われる。賢治のように人に尽くさずにはいられない「利他的」な性格があってのことであろう。〈若い木霊〉には賢治が投影されている。人に尽くさずにはいられず,またその方法に苦慮している者が,ある書物(法華経)で出会い,その中に自分が求めていたものが書かれてあると確信したからこそ歓喜したのである。なぜ賢治が自分よりも他者を優先するようになったかについては前報(石井,2018)で自分なりの見解を述べているのでそれを参照してほしい。

 

〈桜草〉の独り言にはもう一つ難解な用語がある。「お日さんは丘の髪毛の向ふの方へ沈んで行ってまたのぼる」の「髪毛の向ふ」とは何か。なぜ「髪毛」という言葉が出てくるのか理解しがたい。国語事典で調べても「髪毛」には頭部に生える毛以外の意味はない。詩集『春と修羅』の「第四梯形」(1923.9.30)には,「あやしいそらのバリカンは/白い雲からおりて来て/早くも七つ森第一梯形(ていけい)の/松と雑木(ざふぎ)を刈(か)りおとし」とある。多分,「丘の髪毛」は「丘の木立」という意味で使っていると思われる。「木立」を「髪毛」とわざわざ言い換えているので,このあと(次稿)に「木立」が「髪毛」と同一の意味で使われているものが出てくるのであろう。

 

次稿(5稿)では,「法華経」の「四要品」にある最後の「安楽行品第十四」の教えと「鴾の火」との関係について述べる。(続く)

 

参考・引用文献

石井竹夫.2018.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の発想の原点としての橄欖の森-リンドウの花と母への強い思い-.人植関係学誌.18(1):25-29.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/13/085221

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

宮沢清六.1991.兄のトランク.筑摩書房.東京.

大橋(兼子)敬子.2008(更新年).植物の環境調節(日本植物生理学会みんなのひろば).2021.2.24(調べた日付).https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=1845

戸井田宏美・大村好孝・古在豊樹.2003.明暗の非周期変動下におけるトマト実生の生育.生物環境調節 41(2):141-147.

 

※:現在,太陽は,理論的な計算だが,約100億年の寿命があるとされている。太陽系が生まれたのは46億年前なので,太陽はあと50億年今と同じように輝き続けることができるとされている(「国立科学博物館の宇宙の質問箱」より)。賢治が太陽の寿命を無限と考えていたかどうかは定かではない。ホモ・サピエンス(現生人類)が誕生したのが20万年前とすれば,残りの寿命が50億年とされる太陽は,人類にとっては無限といってもよいのかもしれない。

 

本稿は未発表レポートです。2021.9.16(投稿日)

宮沢賢治の『若い木霊』(3) -鴾の火と法華経・観世音菩薩普門品の関係について-

Keywords:春の光,観世音菩薩普門品二十五,かたくりの葉の模様,太陽の高さ

 

本稿では,「法華経」の「四要品」の一つである「観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)第二十五」の教えが以下の2番目の丘の向こうの窪地に咲く〈かたくり〉の葉に現れる文字のような模様の中に隠されているかどうか検討する。下記引用文の下線部分が推定された仏の教えの部分である。

 そしてふらふら次の窪地にやって参りました。

 その窪地はふくふくした苔(こけ)に覆はれ,所々やさしいかたくりの花が咲いてゐました。若い木だまにはそのうすむらさきの立派な花はふらふらうすぐろくひらめくだけではっきり見えませんでした。却(かへ)ってそのつやつやした緑色の葉の上に次々せわしくあらはれては又消えて行く紫色むらさきいろのあやしい文字を読みました。

はるだ,はるだ,はるの日がきた,」字は一つずつ生きて息をついて,消えてはあらはれ,あらはれては又消えました。

そらでも,つちでも,くさのうえでもいちめんいちめん,ももいろの火がもえてゐる。

 若い木霊ははげしく鳴る胸を弾(はじ)けさせまいと堅く堅く押へながら急いで又歩き出しました。

                     (宮沢,1986)下線は引用者

 

3.観世音菩薩普門品第二十五の教えと〈かたくり〉の葉に現れる文字,および鴾の火との関係

2番目の窪地の〈かたくり〉の葉に現れるあやしい文字「そらでも,つちでも,くさのうえでもいちめんいちめん,ももいろの火がもえてゐる。」は,観世音菩薩普門品第二十五の「具足神通力 広修智方便 十方諸国土 無刹不現身 種種諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅」に対応すると思われる。

 

観世音菩薩とはサンスクリット語では「あらゆる方角に顔を向けたほとけ」という意味である。観世音菩薩普門品第二十五には,観音の力を念じれば菩薩はどんなところでも一瞬のうちに現れて,念じた者の苦しみを無くしてくれるということが記載されている。また,観世音菩薩普門品第二十五には,観世音菩薩は一切衆生を救うために相手に応じて「仏身」,「声聞身」,「長者」,「阿修羅」など,33の姿に変身すると説かれている。

 

これは,「法華経」に帰依して菩薩になりたかった賢治の「東ニ病気ノコドモアレバ・・・西ニツカレタ母アレバ・・・南ニ死ニサウナ人アレバ・・・北ニケンクヮヤソショウガアレバ・・・」という詩「雨ニモマケズ」の世界である。手帳に書かれた「雨ニモマケズ」の詩の最後の言葉は「ソウイウモノニワタシハナリタイ」である。さらに,この言葉に続いて,手帳には南無無辺行菩薩,南無上行菩薩,南無多宝如来,南無妙法蓮華経,南無釈迦牟尼佛,南無浄行菩薩,南無安立行菩薩と「文字曼陀羅」のようなものが書き込まれてある。この「文字曼陀羅」の中心にある「南無妙法蓮華経(法華経の教えに帰依するという意味)」という字は他の菩薩名や如来名の文字よりも大きく書かれてある。

 

〈かたくり〉は,ユリ科多年草の「カタクリ」(Erythronium japonicum Decne.;第1図)のことで,早春に広葉樹林の林床に姿を現す。「カタクリ」の花は淡い「紫」の6枚の花弁が妖精を思わせるように反り返っている。長楕円形の葉には濃い「紫」の斑紋がある。広葉樹の葉が茂り太陽光が林床に届かなくなる初夏には枯れる。スプリングエフェメレル(春の妖精)と呼ばれる。

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第1図.カタクリ(ブログ名の背景図に採用した植物でもある).

 

〈かたくり〉にとって「鴾の火」は,太陽が高くなり大地を照射する面積が増す春の光なので,「そらでも,つちでも,くさのうえでもいちめんいちめん,ももいろの火がもえる」(下線は引用者)ようになる。冬に,日陰だったところにも春の日が射すようになる。すなわち,春の光(ももいろの火=仏)はどんなところでも照射(出現)する。

 

大乗仏教の経典の1つである「観無量寿経」には観世音菩薩の身体は「紫」がかった金色とある。紫色の花と葉を持つ〈かたくり〉は観世音菩薩の変身した姿であり,〈若い木霊〉は葉の紫色の斑紋を菩薩の言葉として読んだ。〈若い木霊〉は,〈かたくり〉の葉に明滅する仏の教え(観世音菩薩普門品第二十五)を読み取り,「はげしく鳴る胸を弾けさせまいと堅く堅く押へる」ことになる。(続く)

 

参考・引用文献

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

 

本稿は未発表レポートです。2021.9.15(投稿日)