宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

ドングリ問答-いちばんえらいのは-

ドングリって何ですか

イメージ的には小さくて,丸っこくて,しかも先が尖っていて,堅い殻をもつ木の実です。生物学の本でも諸説があって混乱しています。環境省自然保護局生物多様センターの定義では,ブナ科のコナラ属,シイ属,マテバシイ属の果実を総称してドングリと呼んでいます。

 

ドングリの木というのはあるのですか

柿の木,桃の木はあっても,ドングリの木というものはないと思います。

 

なぜ,ドングリだけが果実と木の呼び名が一致していないのですか

よくわかっていないようです。日本は南北に細長い。そのため,その地方によって生えるブナ科の木も様々です。そのブナ科の実に対する呼び名も様々で,「ドングリ」もその呼び名の一つ(方言)であったのが,次第に共通語になっていったと言われています。

 

具体的にはどんな木の果実がありますか

コナラ属にはコナラ,ミズナラ,クヌギ,アベマキ,カシワ,アラカシ,シラカシ,ウラジロガシ,ウバメガシなどが,シイノキ属にはスダジイ,ツブラシイが,またマテバシイ属にはマテバシイ,シリブカガシなどがあります。このうち,県立大磯城山公園にはコナラ,クヌギ,アラカシ,シラカシ,スダジイ,ツブラシイ,ウバメガシが植栽されています(注:単にシイと呼ぶときはスダジイとツブラシイの両方を指します)。

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第1図.スダジイの実

 

え! 「カシワモチ」のカシワにもドングリの実がつくのですか

カシワは,ブナ科でコナラ属に分類され,クヌギの実と似たドングリをつけます。

 

ドングリを「団栗」と書いたりするのはなぜですか

団という字から連想するのは丸っこい形で,クヌギのドングリに由来するという説と,「どん」という音(おん)は,「だめな」という意味もあることから,渋くてそのままでは食べられないということから付けられたという説があるそうです。諸説があって定かでないようです。

 

ドングリは種子に見えますが,本当に果実なのですか

ドングリは果肉のない果実です。ドングリを割ってみると,一番外側に堅い殻状のものがあり,その下の渋皮があり,そして渋皮の中に水気のある身が入っています。果実部分は,このうち一番外側の堅い殻一枚を言います。すなわち,果肉(果物の食用部分)が発達しませんでした。ちなみに,渋皮と中の身が種子ということになります。果実は植物学上,子房の成長したものとあるので,殻一枚といっても,この殻は子房が変化してできたものなのでれっきとした果実です。乾燥して堅くなった果実を堅果(けんか)と呼びます。種子は堅く,果実は柔らかいとは限りません。

 

ドングリは「はかま」あるいは「帽子」のようなものを付けているがあれは何ですか

くりの「いが」と同じで,専門用語で殻斗(かくと)と呼びます。この殻斗が何なのかはまだよくわかっていないようです。最近の研究では枝が変化したものと言われています。普通,ドングリの仲間は1つの殻斗に1つの果実がつきます。クリは1つの殻斗に3つの果実がつきます。殻斗は徳利(とっくり)のような面白い形をしていますが,沖縄の西表島に自生するオキナワウラジロガシという日本最大のドングリの殻斗は直径2.5センチ,高さ1.3センチもあります。また,殻斗の模様でドングリを分類できます。横縞ならアラカシ,シラカシ(シラカシは横縞にさらに台形や三角の模様がはいる),ウロコ状ならコナラ,細長い鱗片に囲まれるのがクヌギ,すっかり包み込まれ熟すと3片,4片に裂けるのがスダジイとツブラシイ(ツブラシイの方が果実がやや丸い)という具合です。これで大方,城山公園のドングリは分類できます。

 

ドングリをよく観察すると小さな穴があいている。この穴は何ですか

穴をあけた犯人は,コナラシキゾウムシやハイイロチョッキリという虫によるものです。ハイイロチョッキリは体長18mmほどの虫で,口が長く体の3分の2ほどを占めています。ハイイロチョッキリの雌は,このドリルのような長い口を使ってドングリの実に穴をあけて産卵します。産みこまれた卵はやがて孵化し,幼虫がドングリの中身を食べて成長します。なお虫食いのドングリは水にいれると浮くので容易に判別できます。

 

ドングリを食べるものとして虫以外にどんなものがいますか

クマ,イノシシ,ネズミ,リス,カケスなどが食べます。

 

食べられるだけではブナ科の木は子孫を増やせないではないでしょうか

シキゾウムシ,クマ,イノシシは食べるだけですが,ネズミ,リス,カケスは貯食行動を取るため,ドングリを食べはしますがドングリを遠くへ分散させるのに貢献しています。

 

貯食行動とは何ですか

ネズミ,リス,カケスには,すぐに食べないドングリを冬に備えて地面に埋めるという習性があります。掘り出されて食べられなかったドングリは,結局,親木の元を離れて発芽に成功します。このように,動物とうまく共生することでブナの森は繁栄しています。

 

我々でも食べることができるのでしょうか

スダジイやマテバシイは食べられます。スダジイは生でも食べられますが,一般的には炒るかクッキーにして食べます。人間がドングリを食べた歴史は古く,実際,クッキー状の炭化物が縄文時代の遺跡からいくつか見つかっています。例えば,1999年8月10日付けの朝日新聞に,約6000年前と思われる大崎遺跡(長野県)の住居跡から,直径3センチのクッキー状炭化物が見つかっています(日本最古)。

 

実際にどのように調理するのですか

クッキーの作り方はこうです。拾ってきたドングリをまずは茹でます。その後,殻と渋皮を取り除き,すり鉢などで粉にします。粉につなぎとしてマーガリンや卵を混ぜ,砂糖を加えてこねたあと,適当な形に整えオーブントースターで焼きます。縄文風にしたければ,つなぎにヤマイモを,甘味に蜂蜜を加えればよいと思います。

 

どんなドングリでも食べられるのですか

スダジイやマテバシイ以外は渋く(アクが強く)そのままでは食べられません。しかし,コナラなどの渋いドングリでも,飢饉に襲われたときには救荒植物として食べたようです。

 

渋の原因は何ですか

渋はタンニンによります。コナラに4.8%,シラカシに4.5%,アラカシに4.4%,クヌギに1.3%,マテバシイに0.5%,スダジイに0.1%含まれます。すなわち,人間が渋を抜かずに食べられるのは,タンニンの量が1%以下のシイの仲間ぐらいだと思います。

 

なぜ渋いのですか

植物にとっては,子孫を残すためと思われます。すなわち,食べられないようにしています。ネズミは,ほとんど全てのドングリを食べますが,さすがにタンニン含量の多いドングリの捕食は少ないようです。またタンニンが少なくても生き残るドングリはあります。動物は,タンニンの少ないドングリを食べ過ぎると,タンニンのせいで消化不良になり未消化のドングリを糞便として出してしまいます。このドングリの中には発芽できるものもあるからです。

 

渋(アク)はどうすれば抜くことができますか

灰汁と一緒に煮てアクを抜き,砕いてから2~3日水にさらすとよいようです。

 

未熟な青いドングリは食べられますか

普通は熟したドングリを食べると思います。ただ,鳥のカケスは青いドングリも好んで食べるようです。ある研究報告によれば,ルリカケスはスダジイとアラカシの樹上にある緑色果を利用する頻度が高かったそうです。両樹種の緑色果と褐色果の成分分析をしたところ,タンニン量の違いは見られなかったが,緑色果は褐色果に比べて栄養価としては同等,ないし,やや優れているとしていました。童話『よく利く薬とえらい薬』で,森の中のカケスが主人公の清夫に,「弁当おあがりなさい」と言って,青いドングリを一粒落とします。

 

ドングリは薬になりますか

コナラ,カシワなどの樹皮はタンニンを多く含むので収斂薬(下痢止め)や染色用の触媒とします。ドングリそのものが薬用にされたかどうか定かではありませんが,樹皮と同様にタンニンを含むということで民間療法的に下痢止めに使われた可能性はあります。

 

ドングリに,1年ものと2年ものがあると聞いていますが

1年ものは,受粉したその年の秋にドングリになるものでコナラやシラカシがあります。また,2年ものとして,受粉してから次の年の秋に成熟してドングリになるクヌギやマテバシイなどがあります。2年かかるドングリは,南方に多い原始的な種類とされています。

 

木の実には「なり年」があると聞きますが

ドングリは毎年たくさん実るわけではありません。年によってはほとんど実らないことがあります、なぜ,「なり年」があるのでしょうか。一つの説として,ドングリを食べる虫や動物への対策として,実る年と実らない年をわざと作っているというのがあります。毎年,同じように実を作ればそれを食べる動物によって食べ尽くされてしまいます。しかし,実がならない年があれば,それを食べる動物は減ってしまい,その後はたくさんの実が食べられることなく芽を出すことができます。

 

ドングリはだいたいが1~2センチくらいの大きさだが,どうしてですか

ドングリを捕食する動物によると考えられています。例えば,アカネズミの巣の近くに,ヒマワリの種,シイの実,クルミの実を置いておくと,アカネズミはヒマワリの種はその場で食べてしまうが,ドングリサイズになると,その場では食べず,巣穴や餌場近くの林床に埋めに行くようです。これは,殻をむく手間もかかり,1つ食べるのに時間がかかるので,安全な場所で食べるほうがよいということと思われます。このように,ネズミに貯食行動を取らせるには,種子の大きさがある程度のサイズ必要だということがわかります。

 

ドングリの果実はなぜ丸くて尖っているのですか

童謡にも歌われているように,丸いとドングリは落ちたときにコロコロと遠くまで転がっていくことができます。遠くに転がったドングリは,そこで芽を出し新しい木として成長します。つまり丸い形は子孫を増やすためと言われています。ドングリは丸いだけでなく,尖っている部分があります。尖っているのは,動物に食べられにくくするためと考えられています。尖っている部分がそれを摂取した動物の消化管を傷つけることがあるからです。この尖っている部分には植物にとって重要な「胚」が存在します。また,タンニンが多いという報告もあるようです。だから,ドングリを食べる動物は丸い部分だけ食べて,この尖った部分を避けるそうです。丸い部分を食べられても,その量にもよるとは思いますが,植物は芽生えできるようです。

 

同種の木から成るドングリでも大きさに違いはあるのですか

34本のコナラのドングリを調査した結果が報告されています。9378個のドングリの重さの平均は2.1gでしたが,最小は0.1gで最大は4.5gだったそうです。コナラ1つとってもドングリの大きさはまちまちです。動物が嫌うタンニンの量は大きいドングリでは少なく,小さいドングリでは多いそうです。野ネズミなどの動物は大きいドングリを選んで食べるようです。

 

ドングリにとって理想の形はあるのですか

前述したように丸いだけではだめです。尖っていることも必要と思われます。大きいドングリはタンニンの量が少ないため野ネズミによって食べられてしまいます。小さいドングリは食べられにくいけれども,芽生えも小さくなり,光を巡る植物同士の競争には不利です。植物にとって,具体的にはコナラにとっては多様なタイプのドングリを実らせた方が得策と言えそうです。

 

童話『どんぐりと山猫』では,榧(かや)の森でどんぐりたちが一番えらいのは誰かということを競っていました。どんぐりたちは,おのおの尖っているのが一番だとか,丸いのが一番だとか,大きいのが一番だとか言っていましたがが,一郎は「このなかでいちばんばかで,めちゃくちゃで,まるでなってゐないやうなのが,いちばんえらい」と言ってどんぐりたちをだまらせてしまいます。

 

童話『どんぐりと山猫』の舞台がどこかについては,本ブログでも考察していますので,そちらをご覧ください。

「『どんぐりと山猫』の舞台は碁盤の上」https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/05/14/100352

 

最後に,子供たちはなぜドングリを見ると拾おうとするのですか

子供たちは,ドングリなどの木の実を拾ったりする以外に,木登りしたり,虫を捕まえたり,雑草を引っこ抜いたり,パチンコで鳥を打ったり,土をこねくり回したりして遊びます。このような遊びに対して,奥野健男が一つの仮説を立てています。それは,日本人の深層意識の中に,約1万年前からはじまったという縄文文化の影響が現代にいたるまで色濃く残っているからだとしています。すなわち,これらの遊びすべてが採取,狩猟文化時代の真似事だと考えています。詳細は前のブログ記事をご覧ください。

「なぜ人は食べもしないドングリを拾うのか(試論)」https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/08/20/074742

 

参考文献

中村友洋・江口和洋.2020.堅果成熟過程におけるルリカケスGarrulus Lidthiの堅果利用.日本鳥学会誌 69(2):197-207.

島田卓哉.2015.野ネズミに食べられやすいドングリ,食べられにくいドングリ.Forest Wind もりからのかぜ・東北 No61.

多田多恵子.2017.原寸で楽しむ身近な木の実・タネ図鑑&採集ガイド.実業の日本社.東京.

 

本稿は,『宮沢賢治に学ぶ植物のこころ』(蒼天社 2004年)に収録されている報文「ドングリ問答」を加筆・修正にしたものです。

なぜ人は食べもしないドングリを拾うのか(試論)

秋も深まったころ,県立大磯城山公園内の草地を散策していたら,多数の家族連れが2~3本のシラカシの木の下で一生けんめい地面に落ちた「ドングリ」を拾っているのを見かけた。中には,子供たちと一緒に大人も夢中になって拾っていた。城山公園にはコナラ,クヌギ,アラカシ,シラカシ,スダジイ,ツブラシイ,ウバメガシなどの「ドングリ」の成る木が多数植栽されているので,秋にもなると沢山の「ドングリ」が落ちる(第1図)。ちなみに,「ドングリ」はブナ科のコナラ属,シイ属,マテバシイ属の果実の総称である。

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第1図.ドングリ(シラカシ).

 

子供たちは,あっちこっち駆け回りながら1つずつ拾っては大きな袋に入れていた。どうするのだろうと思いながらその場を後にしたが,帰り際に,同じ場所に戻ってみると,家族連れの姿はなく,シラカシの木の下に「ドングリ」の山が築かれていた。あんなに夢中になって集めた「ドングリ」なのに置いていってしまった。確かに,シラカシの「ドングリ」は渋くてそのままでは食べられない。食べようとしたらあく抜きが必要である。しかし,食べもしない「ドングリ」をなぜあんなにも夢中になって拾ったのだろうか。

 

科学者で文芸評論家の奥野健男(1972)は,『文学における原風景』で,子供たちが「原っぱ」で「ドングリ」などの木の実を拾ったり,木登りしたり,虫を捕まえたり,雑草を引っこ抜いたり,パチンコで鳥を打ったり,土をこねくり回したりして遊ぶのは,日本人の深層意識の中に,約1万年前からはじまったという縄文文化の影響が現代にいたるまで色濃く残っているからだと述べていた。また,子供の遊びに農耕,農民を真似たものはなく,遊びすべてが採取,狩猟文化時代の真似事だともいう。ヨーロッパのような石造建築や石畳みの街路の中でも遊びには見られないものである。

 

哲学者の梅原 猛も小説家の中上健次との対談で,奥野と同様に「日本という国は,縄文時代,狩猟採集時代の文化が,弥生時代以降も大変残ったところで,日本人の無意識の深層にも旧石器時代の人たちが共通に持っていたものを記憶として残している」と述べている(梅原・中上,1994)。

 

多分,子供たちが「ドングリ」を拾うのは,遊びの一環であり,奥野が言うように採取,狩猟文化時代の真似事なのかもしれない。

 

しかし不思議に思うのは,子供だけでなく大人も夢中になって拾っていることである。家族連れだからということではないと思う。私も1人で散策しているとき,2~3個くらいなら無意識的に拾ってしまう。理由はよく分からないのだが,とにかく血が騒ぐのだ。さらに,私の場合は,必ず家に持ち帰り机の上や本棚の中に飾っておく。そして,毎日,飽きもせずそれを眺めている。

 

だが最近,誰もが「ドングリ」を見たら拾うというものではないということも知った。知人にそのことを言ったら「ドングリを見ても気にもしない」と一笑されてしまったからである。これは単なる推測だが,縄文の血の濃い人にしか当てはまらないのかもしれない。一部の人かもしれないが,大人がドングリを拾う理由を考えてみたい。

 

そのヒントになるのが,宮沢賢治の詩集『春と修羅』の「原体剣舞連」(mental sketch modified)にある。この詩の中に「楢と椈(ぶな)とのうれひをあつめ」という意味ありげな詩の一節が出てくる。その言葉が出てくる前後の部分はこうだ。

菩提樹皮(まだかは)と縄とをまとふ

気圏の戦士わが朋(とも)たちよ

青らみわたる顥気(かうき)をふかみ

楢と椈(ぶな)とのうれひをあつめ

蛇紋山地(じゃもんさんち)に篝(かがり)をかかげ

ひのきの髪をうちゆすり  

まるめろの匂のそらに

あたらしい星雲を燃やせ

           dah-dah-sko-dah-dah

         (中略)

こんや銀河と森とのまつり

准(じゅん)平原の天末線(てんまつせん)に

さらにも強く鼓を鳴らし

うす月の雲をどよませ

       Ho!  Ho!  Ho!

               むかし達谷(たつた)の悪路王(あくろわう)

    まつくらくらの二里の洞(ほら)

    わたるは夢と黒夜神(こくやじん)

    首は刻まれ漬けられ

アンドロメダもかゞりにゆすれ

    青い仮面(めん)このこけおどし

    太刀を浴びてはいつぷかぷ

    夜風の底の蜘蛛(くも)をどり

    胃袋はいてぎつたぎた

  dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah

           (「原体剣舞連」宮沢,1986)下線は引用者

 

詩「原体剣舞連」に登場してくる「達谷の悪路王」とは昔,平泉の達谷窟という洞窟に住んでいたと伝えられる採取・狩猟文化を有する先住民族「蝦夷(えみし)」のリーダー悪路王の伝説にもとづくものである。やがて,侵略してきた大和朝廷によって,はげしい激戦の末滅ぼされてしまった。賢治研究家の力丸光雄は,この詩の「気圏の戦士わが朋たちよ/青らみわたる顥気をふかみ/楢と椈とのうれひをあつめ」という詩句には,「一万数千年のあいだ,サケ・マスとともにナラ林ないしブナ林に支えられてきた縄文の文化が,弥生の勢力に押され,いつしか山林の奥に消え去った先住の人たちの怨念が籠められていて,その怨念や地霊を鎮める祈りが,大地を踏みしめて踊る剣舞に表現されている」と述べている。多分,賢治は,「楢」や「椈」には,大和朝廷によって打ち負かされた縄文の末裔である「蝦夷」の「うれい」や「怨念」の記憶が宿っていて,その「うれい」や「怨念」が「大地を踏みしめて踊る剣舞」によって鎮められるものと考えたのだと思う。

 

第2図は,原体剣舞の様子を撮ったものである。ただ,踊っているのは大人ではなく子供たちである。また,詩にあるように踊り手が「菩提樹皮と縄とをまとふ」ということもない。きらびやかな衣裳をまとっている。観光化してしまったためだろうか。大人が踊るものとして「鬼剣舞(おにけんばい))というのがあるが,これも「蝦夷」への鎮魂の踊りとされる。この剣舞の踊り手は,昔は手に不動の荒縄を意味する縄を三巻巻いていたという。縄文の聖地としても知られる熊野の「お灯祭り」(火祭りの一種)に参加する者たちは,現在でも白装束に「荒縄」を締めている。

 

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第2図.原体剣舞(宮沢賢治生誕120年記念行事にて)

 

東北の平泉には黄金の文化を築いたが,中央政権によって滅ぼされてしまった藤原氏(清衡,基衡,秀衡)の遺体が金色堂に安置されている。藤原氏は,清衡の母が阿部氏の出であるように,「蝦夷」の流れをくむとされていて,その棺の中には狩猟・採集民族の象徴である「ドングリ」やクルミの類がいっぱい入れられていたという(梅原,1994)。

 

都会では,「原体剣舞連」や「鬼剣舞」のような先住の人たちの怨念を鎮める踊りや祭りは行われなくなってきた。我々が,都会の公園などで「ドングリ」を拾うとき,単に縄文時代の採取・狩猟文化の遊びとしての真似事だけでなく,また鎮魂とは言わないまでも,先住の人たちに共感して「うれい」も一緒に集めていたのではないだろうか。

 

参考・引用文献

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

奥野健男.1972.文学における原風景.集英社.東京.

力丸光雄.2001.《賢治と植物》-心象の博物誌.宮沢賢治16:50-61.

梅原 猛.1994.日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る.集英社。東京.

梅原 猛・中上健次.1994.君は弥生人か縄文人か.集英社.東京,

 

本稿は,『植物と宮沢賢治のこころ』(蒼天社 2005年)に収録されている報文「なぜ人は食べもしないドングリを拾うのか(試論)」を加筆・修正にしたものです。

ガラスマントの宅急便-ヤシの謎-(試論)

賢治の童話『風野又三郎』(1924年2月12日以前の作)は,いきなり何の前触れもなく「九月一日 どっどどどどうど どどうど どどう」という風の音の擬音で始まる。この作品に登場する「又三郎」は,「ガラスのマント」と透きとおる「沓(くつ)」を履いて空を駆け巡る風を擬人化した「風の精」である。科学的な根拠に基づいて,風が我々人間や植物にどのような役割を果たしてきたか,あるいは気象現象である大気の「大循環」を使って旅したことついて,「風の精」の言葉を通して村の子どもたちに語る物語である。「大循環」とは,地球上では赤道付近と極地付近の気温差による大気の大循環をさす。植物は,ザクロ,マツ,イネ,ヤナギ,ガガイモ(草綿とも呼ぶ),リンゴ,ナシ,キュウリ,マルメロ,カラスウリ等たくさん登場し,風との関係が丁寧に説明される。

 

例えば,村の子どもの一人が「又三郎」に傘を壊されるなどの悪戯をされたことに腹を立て,「汝(うな)などぁ悪戯(いたづら)ばりさな。傘(かさ)ぶっ壊(か)したり」,「樹(き)折ったり」,「稲も倒さな」といって悪たれをつくと,風の精である「又三郎」は「いゝことはもっと沢山するんだよ」,「僕は松の花でも楊(やなぎ)の花でも草棉の毛でも運んで行くだらう。稲の花粉だってやっぱり僕らが運ぶんだよ。それから僕が通ると草木はみんな丈夫になるよ」と言って答えたりする。

 

さらに,海岸に吹く風にも言及していて,「海岸ではね,僕たちが波のしぶきを運んで行くとすぐ枯れるやつも枯れないやつもあるよ。苹果(りんご)や梨(なし)やまるめろや胡瓜(きうり)はだめだ,すぐ枯れる,稲や薄荷(はくか)やだいこんなどはなかなか強い,牧草なども強いねえ。」と,その博識ぶりを披露する。

 

確かに,多くの植物は海岸が苦手のようだ。真水が得られにくく,潮風や日差しが強いので乾燥しやすいからである。そこで海岸で生息することを選んだ植物は,葉を厚くし,風を避けるため茎を横に這わせるとか,果実や種子などの散布体では果皮や種皮が発達し海水に浮きしかも耐塩性を持たせるようにした。

 

しかし,この作品に登場してくる植物の中で,大気の「大循環」の説明に登場する「ヤシ」(ヤシ目ヤシ科に属する植物の総称)の木が不可解なのだ。これまでの賢治の作品には,マツ,クリ,ヤナギなど我々になじみのある木々が多数登場してくるので,「ヤシ」という見慣れない南国の木が突然出てくると違和感をもってしまう。赤道直下が重要なら「ヤシ」が生えていないところでも良いはずだ。なぜ,「ヤシ」の木を作品に組み込んだのだろうか。賢治のことだから,「ヤシ」が潮風に強いとか,熱帯地方の情景描写に相応しいという理由で取り上げたとは思えない。

 

「ヤシ」といえば,島崎藤村の有名な「椰子の実」という歌を思い出す。遠き島より椰子の実が流れ着いたという内容の歌である。島崎藤村は明治の詩人なので,「椰子の実」の歌は賢治も当然知っていたはずである。しかし,ここでは「ヤシ」の「木」は登場しても「ヤシ」の「実」は出てこない。大気の「大循環」と関係するかどうかは分からないが,黒潮に乗って南の島から「椰子の実」が日本に漂流してくるという話ではないのだ。

 

まず「大循環」の旅を作品にそって説明すると,始まりは赤道直下の中部太平洋に散在する「ギルバート群島」※辺りにあり,そこには「大循環志願出発線」という標識があって,上昇気流に乗って空高く上る。天空に上がった後,北極経路と南極経路の2つのコースに分かれるが,作品では北極経路のみが紹介されている。すなわち,赤道上空から,ハワイ,グリーンランドを通過して北極に至る。帰路は一端下降して海の上を通って,ベーリング海峡,太平洋を渡って北海道へ向かうというものだ。北極から1ヶ月で津軽海峡へ到達できると言っている。

 

「ヤシ」の木が登場する「大循環」の説明では,次のように記載されている。

 赤道には僕たちが見るとちゃんと白い指導標が立ってゐるよ。お前たちが見たんぢゃわかりゃしない。大循環志願者出発線,これより北極に至る八千九百ベヱスター南極に至る八千七百ベヱスターと書いてあるんだ。そのスタートに立って僕は待ってゐたねえ,向ふの島の椰子(やし)の木は黒いくらゐ青く,教会の白壁は眼へしみる位白く光ってゐるだらう。だんだんひるになって暑くなる,海は油のやうにとろっとなってそれでもほんの申しわけに白い波がしらを振ってゐる。

 ひるすぎの二時頃になったらう。島で銅鑼(どら)がだるさうにぼんぼんと鳴り椰子の木もパンの木も一ぱいにからだをひろげてだらしなくねむってゐるやう,赤い魚も水の中でもうふらふら泳いだりじっととまったりして夢を見てゐるんだ。その夢の中で魚どもはみんな青ぞらを泳いでゐるんだ。青ぞらをぷかぷか泳いでゐると思ってゐるんだ。魚といふものは生意気なもんだねえ,ところがほんたうは,その時,空を騰(のぼ)って行くのは僕たちなんだ,魚ぢゃないんだ。もうきっとその辺にさへ居れや,空へ騰って行かなくちゃいけないやうな気がするんだ。けれどものぼって行くたってそれはそれはそおっとのぼって行くんだよ。椰子の樹(き)の葉にもさはらず魚の夢もさまさないやうにまるでまるでそおっとのぼって行くんだ。・・・・僕たちはもう上の方のずうっと冷たい所に居てふうと大きく息をつく,ガラスのマントがぱっと曇ったり又さっと消えたり何べんも何べんもするんだよ。                       

                     (『風野又三郎』宮沢,1986)                 注:ベヱスターとは長さの単位で1.067 km

 

ここで,「ヤシ」の木を取り巻く環境は,「だんだんひるになって暑くなる,海は油のやうにとろっとなってそれでもほんの申しわけに白い波がしらを振って」とか,「銅鑼(どら)がだるさうにぼんぼんと鳴り」とか,「椰子の木もパンの木も一ぱいにからだをひろげてだらしなくねむってゐるやう」とか,「夢の中で魚どもはみんな青ぞらを泳いでゐるんだ」というように,波の音を聞きながら,いまにも眠ってしまいそうなけだるいものがある。まるで,母親の子宮にある羊水の中でまどろんでいる胎児をイメージさせる。

 

個人的な話だが,動悸と息切れがひどくなり入院したことがある。心室性頻拍と胸水貯留を伴った原因不明の胸膜炎という診断をうけ安静を命じられた。胸に心電図を測定するための電極と看護ステーションのモニターに電波を飛ばす発信装置を持たされ,四六時中監視を受けることになった。普通,心臓は1分間に60~80回くらい拍動し,その拍動毎に心電図上にそれぞれ3つの高さの異なるピークをもつ波形を刻むのだが,心室性頻拍が発生すると通常の2倍以上の拍動となり,心電図上にはこれらピークが失われた異常波が出現する。

 

拍動が早くなれば血液の循環が良くなると思われがちだが,2倍以上にもなると逆に危険なのだ。心臓がただ振るえているだけで血液を送り出さなくなる。意識を失ってしまう。さらに長時間持続すれば命も落としてしまう。だから,この異常波がある一定時間以上持続すると看護ステーションに待機している看護師が様子を伺いに病室に駆けつけてきた。

 

最初は,この異常波が出現しても持続時間が短かったせいかほとんど気がつかなかった。だから,看護師が駆けつけてきても,何の用事できたのか分からないことが多かった。ときたま,頻拍が少しばかり続くと,意識がぼおっとなって初めて頻拍が出ていたのかなという感じであった。しかし,これが繰り返され,さらに持続時間が長くなり始めると不安になった。退院しても,初期段階でこの異常波を自分でキャッチできなければ通勤中,あるいは仕事中突然倒れてしまうかもしれないと思ったからである。そこで,医師にこの心電図上の異常波が発生しているとき,自分の身体ではどのように感じるのか知りたいから心電計を貸してくれるようにお願いした。しかし,この願いは受け入れてもらえなかった。

 

そこで,それから毎日毎日,腕の脈を取ったり,枕に耳をあてたりして心臓から伝わってくる鼓動の響きを聞き入った。1週間くらいして,通常は「どっどっどっどっど」であるが,たまに脈が飛んで「どっどっどっ どど」といった響きを感じるとることが出来るまでになった。しかし,まだ,響きをまったく感じない時間帯の方が多かった。ある晩,病院内が静まり返っているとき,とても小さな響きだったが「どどどどどどどどど」と数えるのが困難なほどの早いテンポの音を聞いた。なにか,地響きが体の中に伝わってくるような感触だった。その後しばらくして,頭が熱っぽくぼおっとなった。これが,心室性頻拍の発生だったことはすぐに理解できた。夜中にも係わらず,看護師が病室に駆けつけてきたからだ。看護ステーションのモニター上に異常波が出現した時間と私が異常感覚を認めた時間が一致した。

 

我々は,これまで心臓の鼓動は「ドキドキ」とか「ドキンドキン」というふうに何気なく学んできたような気がする。しかし,私の場合は,心臓の鼓動を胸腔に貯まった水を介して聞いていたのであろうか「どっどっどっどっ」や「どどどどどどどどど」といった柔らかな響きであった。小さな弱々しい音ではあったが「どどどどどどどどど」という音を聞くと,脳に血液へ行かなくなり命までもが吹っ飛んでしまいそうで恐ろしかった。

 

このとき,この心臓の音あるいは響きが,どこかで聞き覚えのある音であることに気がついた。賢治の童話『風野又三郎』に出てくる風の音である。一郎という少年が夢の中で以下のような風の歌をきく。

九月十日

「ドッドドドドウド,ドドウド,ドドウ,

ああまいざくろも吹きとばせ,

すっぱいざくろもふきとばせ,

ドッドドドドウド,ドドウド,ドドウ

ドッドドドドウド,ドドウド,ドドウ。」

             (『風野又三郎』宮沢,1986)

 

風の音は普通「ひゅうひゅう」と表現する。風の名作『水仙月(すゐせんづき)の四日』でも,賢治は風の音を「ひゆう,ひゆう,ひゆう,ひゆうひゆう」と表現している。なぜ『風野又三郎』では風の音が「ドッドドドドウド,ドドウド,ドドウ」なのだろうか。また,一郎が夢の中で聞いた歌に,なぜ「ザクロ」(Punica granatum L.)が登場するのだろうか。

 

ダイバーたちが海に潜って波の打つ音を聞くと心臓の鼓動のように聞こえるという。解剖学者の三木成夫は,胎児が母親の子宮内で聞く血流音もこの音だと推測している。心臓の拍動と呼吸の周期は密接な関係がある。心臓が鼓動を4つ打つ間に1つ呼吸する。また,呼吸のリズムは大海原の波打ちのリズムすなわち宇宙リズムと関係がある。無論,波は風によって引き起こされる。

 

「ヤシ」の実は見ようによっては心臓の形に似ている。また,果実の大きさは植物の中では最大級のものであり,心臓の形をしている「ヤシ」は「大循環」を回すポンプのシンボルとしてはうってつけの植物であったと思われる。すなわち,賢治は「ヤシ」の実という言葉こそ使っていないが,「ヤシ」を大気いやもっと壮大な宇宙「大循環」の中心すなわち心臓と位置づけたのではないのだろうか。

 

また,「ザクロ」の赤い果実と多数の種子は豊穣(ほうじょう)な子宮を表すとされている。賢治は無意識に風と対峙したとき宇宙羊水に連絡できる子宮に戻りそこから〈母〉の心臓の鼓動を聞きながら宇宙リズムと交感するのだ。

 

賢治の「こころ」は,宇宙羊水から解き放たれ「ガラスのマント」となって「大循環」に乗って宇宙全体へと拡散する。

 

引用文献

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

※:ギルバート諸島は,太平洋中西部にあり,赤道をはさんで南北に分布する16の環礁からなる島群である。ココヤシの実から作るコプラの生産地でもある。

 

 

本稿は,『植物と宮沢賢治のこころ』(蒼天社 2005年)に収録されている報文「ガラスマントの宅急便-ヤシの謎-(試論)」を加筆・修正にしたものです。

 

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〔談話室〕

-遠い島からやってきたのは椰子の実だけではない

 

植物は遠くまで種子を運ぶ方法をいろいろと考えてきた。その一つに果実を海に落として,遠い地の浜辺まで運んでもらうというものがある。ハマユウ,グンバイヒルガオ,ハマナタマメ,ゴバンノアシが一般的には知られているが,有名なものとしては郷土の詩人である島崎藤村の「椰子の実」に出てくるヤシあるいはその仲間(ココヤシ,ニッパヤシ)である。黒潮が流れ込む相模湾に面した三浦半島にもそのいくつかの種が漂着し,ハマユウ,ハマナタマメなどは実際に定着しているという。大磯の海岸でもハマユウ(ヒガンバナ科;第1図)を見かけるが漂着した種子から生育したものかどうかの確証はない。島崎藤村が晩年に住んだ家の近くにある学校の正門にも何本かのヤシがあるが植栽であろう。

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第1図.ハマユウ.

 

ところで,遠い南の島からやってきたのはヤシなどの植物だけではない。日本人の祖先もまた南の島からやってきた。解剖学者の三木成夫が面白い体験談を残している。

 私は何かに操られるようにその椰子の実を一個買い求めました。

  (中略)

 翌朝,当然のように早く目が覚め,さっそく表面のシュロ状のものをむしり取ろうとしましたが,そう簡単に片づくしろものではない。とうとう鋸を持ち出し,あっちこっちをガリガリ傷つけながら,悪戦苦闘の末,やっとの思いで,中の黒檀のような殻のところにまで到達したのです。横にじっとしゃがみ込んで見ている小さなすがたには,ほとんど構うことなく,おそるおそる錐で二ヶ所を開け,台所へとんでいってストローをとってきて一方の穴に突っ込み,何か夢遊病者のように吸ってみたのです。その瞬間 ―――――これは他人の味ではない,いったいおれの祖先はポリネシアではないか!と。それはほとんど確信に近い生命的な叫びでした。

                 (『海・呼吸・古代形象』 三木,1992)

 

どんな味がしたのだろう。私も一度は味わってみたいものだ。

なぜ,三木は自分の祖先がポリネシアだと推測できたのであろうか。彼の直観かもしれないが,当時,人類学の分野でポリネシア人と日本列島の縄文人との類縁関係を示唆する研究(片山,1996)がなされていたことも影響したのかもしれない。なお,賢治の童話『風野又三郎』に出てくるギルバート群島(諸島)には,現在ミクロネシア系の人々が主に居住しているが,ポリネシア系住民も住んでいるとのことである。

 

参考・引用文献

片山一通.1996.海のモンゴロイドの起原:東シナ海周辺にさぐる.地学雑誌 105(3):384-397.

三木成夫.1992.海・呼吸・古代形象 生命記憶の回想.うぶすな書院.東京.

 

リンドウの花は「サァン,ツァン,サァン,ツァン」と踊りだす

賢治は,作品にたくさんの擬音(オノマトペの一種)を入れることで知られている。童話『十力の金剛石』でも,天然物,動物,植物とさまざまな物に擬音が使われている。普通,物が動くとき音を発する。時計が時を刻むとき,実際そのように聞こえるかどうかは別として,リズムカルな機械音として「チクタクチクタク」とか「カチカチ」といった風に表現する。

 

しかし,賢治が用いる擬音は必ずしも音として聞き取れるものだけではない。例えば霧の降る音というのがある。

 大臣の子もしきりにあたりを見ましたが,霧がそこら一杯に流れ,すぐ眼の前の木だけがぼんやりかすんで見える丈です。二人は困ってしまって腕を組んでたちました。

 すると小さな声で,誰か歌ひ出したものがあります。

 「ポッシャリ,ポッシャリ,ツイツイ,トン。

  はやしのなかにふる霧は,

  蟻(あり)のお手玉,三角帽子の,一寸法師の

               ちひさなけまり。」

 霧がトントンはね踊りました。

 「ポッシャリポッシャリ,ツイツイトン。

  はやしのなかにふる霧は,

  くぬぎのくろい実,柏(かしは)の,かたい実の

               つめたいおちゝ。」

 霧がポシャポシャ降って来ました。そしてしばらくしんとしました。

        (『十力の金剛石』宮沢,1986)

 

「ポッシャリ,ポッシャリ,ツイツイ,トン」とは,霧がふる音を表している。霧の小さな水粒が動く(ふる)とき,本当にそんな音がするのだろうかと考えてしまうが,違和感が生じないから不思議だ。むしろ物のイメージが強調されていて「ぴったりでうまい表現だ」と言いたいくらいだ。ひょっとしたら,超高感度マイクロフォンを用いて聞いたら,本当にそう聞こえるかもしれないという錯覚に陥ってしまうほどである。

 

しかし,これが植物の動きを表した擬音になると,そう簡単には納得できないものがある。同じく『十力の金剛石』の中に,「リンドウ」(第1図)の花が出てくる。作品では「リンドウ」は「りんだう」と表記されている。例えば,「りんだうの花はそれからギギンと鳴って起きあがり」とか,「りんだうの花はツァリンと体を曲げて」とか,「ひかりしづかな天河石(アマゾンストン)のりんだうも,もうとても踊り出さずに居られないといふやうにサァン,ツァン,サァン,ツァン,からだをうごかして調子をとりながら云ひました」とある。また,「ウメバチソウ」(第2図)の震えのさまは「ぷりりぷりり」,起きあがるさまは「ブリリン」である。植物の動く様子が「ギギン」,「ツァリン」,「サァン,ツァン,サァン,ツァン」,「ぷりりぷりり」,「ブリリン」と言われても,霧の擬音と同じように素直に「ぴったりでうまい表現」だとは言えないところがある。

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第1図.リンドウ.

 

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第2図.ウメバチソウ.

 

賢治は,なぜ植物の動きにまで,意味が理解しにくい擬音を使おうとするのだろうか。

特に,花が咲いている植物に顕著であるように思える。評論家で思想家の吉本隆明(1996)は,「擬音の世界は,分節化できて意味になった言葉を,まだ完全にはしゃべれない乳児期の世界になぞらえられる。・・・また幼い子どもの音声でつづられた世界に似ている」と述べている。また,「もしエロスの情感が性ときりはなされて普遍化でき,その普遍化が幼童化を意味するとすれば,まずいちばんに擬音の世界にあらわれるとはいえそうな気がする」とも言っている。さらに,幼い子が,「あわわ」言葉を発するとき,その意味を理解できるのは母と幼子だけであり,「未分節の音声を母とかわす体験をなまなましく記憶している幼童性は,エロスの原型をなしている。宮沢賢治の資質は擬音をつくりだすことで,そこにかぎりなくちかづこうとした」ともいう。

 

賢治は,相思相愛の恋をしたが破局したという苦い経験をもっている。そして,賢治の性の意識(エロスの情感)は法華経への帰依という宗教的な志に昇華していった。破局の原因についてはよく分かっていないが,私は賢治の母への強い執着,別の言葉で言い換えれば母との関係の希薄さが原因の一つと推測している(Shimafukurou,2021a,b)。この母との関係の希薄さは,賢治にとっては寂しさを生んだと思われる。そして,賢治のエロスの情感は幼童化とともに擬音を作り出したと思われる。

 

植物は,太陽の周期と歩調を合わせて「性の相」と「食の相」を「宇宙リズム」で交代させている。花が咲くとき,植物はちょうど「性の相」にあたる。賢治は,植物の花に擬音でもって自らの昇華した性の「こころ」を通わしていたのかもしれない。しかし,その内容は吉本が言うように,賢治と母イチにしかわからないように思える。

 

参考・引用文献

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

Shimafukurou.2021a.宮沢賢治と『銀河鉄道の夜』-「リンドウの花」と悲しい思い-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/07/03/184442

Shimafukurou.2021b.宮沢賢治と『銀河鉄道の夜』-リンドウの花と母への強い思い-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/13/085221

吉本隆明.1996.宮沢賢治(第Ⅵ章 擬音論・造語論).筑摩書房.東京.

 

本稿は,『植物と宮沢賢治のこころ』(蒼天社 2005年)に収録されている報文「リンドウの花は「サァン,ツァン,サァン,ツァン」と踊りだす」を加筆・修正にしたものです。

宮沢賢治の『やまなし』-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語(3)-

Keywords: アイヌ語,イサド,イワテヤマナシ,カスミザクラ,カリンパ,クラムボン,オオウラジロノキ

 

前稿(Shimafukurou,2021b)では『やまなし』発表前後の作品に登場する植物に着目する方法で新説を裏付けることができた。後編では『やまなし』に登場する植物を読み解くことによって新説がさらに裏付けられるかどうか検討する。

 

1.白い樺の花びら

「五月」の章の最後で〈魚〉が〈カワセミ〉に捕食された後に,「白い樺の花びらが天井をたくさんすべって来ました」とある。この「樺(かば)」とはどんな植物なのか。通常「樺」というと,シラカバなどのカバノキ科カバノキ属の植物あるいはバラ科サクラ属の植物を指す。しかし,この物語では「樺」の花には白い花びらがあるので後者のバラ科の植物が想定される。日本在来種で「樺」と呼ぶバラ科サクラ属の植物は,山の桜を総称する「山桜」である。

 

「東北」にとって「山桜」は観賞というよりは実用性あるいは商品価値の高いものとして重宝がられていた。「東北」の「先住民」は「山桜」の「樹皮」を「フジ(藤)」の蔓と同じように物を巻いて強くするために使用していたという。また,現在は赤みを帯びた美しい縞模様のある樹皮を使って茶筒などの工芸品(樺細工)が作られている。

 

「山桜」の「樹皮」はアイヌ語(あるいは「奥州エゾ語」)で「karimpa・カリンパ」と呼ぶ(金田一,2004)。江戸時代に「東北」の津軽藩と盛岡藩の境に「狩場沢」があったが,金田一はこの地名が古くは「karimpa nai」(naiは沢の意味)という名であったと推測している。なぜなら,北海道の胆振山越郡に「カリンパカルシ(karimpakar ushi)」(山桜の皮を採る場所),同千歳郡に「カリンパウシ(karimpa ushi)」(山桜のある場所)があるからだという。「カリンパ」はアイヌ語で「纒く(枕にする)」という意味がある。また,「カリンパ」が「樺(かば)」に転訛したという説もある。「カリンパ」→「かにわ(かには)」→「かば」と変化したという(嶋田,2018)。

 

「山桜」に含まれる種としては「ヤマザクラ」(Cerasus jamasakura (Siebold ex Koidz.) H.Ohba ;第1図),「オオヤマザクラ」(Cerasus sargentii (Rehder) H.Ohba)あるいは「カスミザクラ」(Cerasus leveilleana ( Koehne ) H.Ohba,2001)がある。物語の舞台が「東北」あるいは岩手県ということであれば後者の2つであろう。「樺」を「ヤマザクラ」とする研究者もいるが,「ヤマザクラ」は宮城が北限という。さらに,花の色が白ということであれば「カスミザクラ」が有力候補になる。「山桜」の花は淡紅色だが「カスミザクラ」は白に近い。

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第1図.ヤマザクラ.

 

しかし,『やまなし』に登場する「樺」を「カスミザクラ」と特定することに戸惑いも感じる。なぜ疑問に思うかというと,「五月」に白っぽい「カスミザクラ」の花が咲いて,「十二月」に別の木の「やまなし」の実が落ちてくるというのも不自然だからである。「カスミザクラ」も夏には8~10mm程の実がなる。なぜ「十二月」の章で「樺の実が落ちた」としないのか。研究者の多くは『やまなし』の「樺」を不問にしているが,岩手生まれの澤口(2018)は,この「白い樺の花」を同じバラ科サクラ亜科ナシ属の「やまなし」の花だと推定している。賢治と同じ風土で生まれ育った者の直感かもしれないが,検討してみる価値はある。

 

日置(2015)も「五月」の「樺」と「十二月」の「やまなし」を同一の植物と見なしているが,彼の言う「やまなし」は「ヤマナシ」とも呼ばれることがあるバラ科リンゴ属の「オオウラジロノキ」(Malus tschonoskii (Maxim.)C.K.Schneid.)のことである。

 

多分,「白い樺の花」の「花」を女性の喩えとすれば,「樺」は賢治の色白だった恋人のことをいっているのかもしれない。もしそうなら,植物名を特定することの意味は少ない。「やまなし」の花が「樺の花」であっても良いのかもしれない。だから,「白い樺の花びらが天井をたくさんすべって来ました」は,〈魚(賢治)が〈カワセミ(土着の神である鬼神)〉から手荒い仕打ちを受けたとき,〈白い樺の花(恋人)〉も打ちのめされて散ってしまった。ということを言いたかったのかもしれない。

 

2.「イサド」とは何か

「十二月」の章で〈蟹〉の父親が兄弟喧嘩を止める手段として「あしたイサドへ連れて行かんぞ」と威圧するが,この「イサド」とはどんな所であろうか。〈クラムボン〉が「先住民」の言語であるなら「イサド」も同じ可能性がある。前稿で述べたが,「イサド」もアイヌ語で「i・そこの,sat・乾いた,to・沼」に分解できる。

 

兄弟が喧嘩を止めてまで行きたい所は「母」のいる場所であろう。「サワガニ」は12月~翌年の3月に冬眠に入るという(荒木・松浦,1995)。賢治は,物語に登場する〈蟹〉の兄弟の「母」を「乾いた沼地」(陸地)で冬眠のための巣作りをしているかのように設定したのかもしれない。あるいはその巣で兄弟も生まれたのかもしれない。

 

〈蟹〉を「東北」の「先住民」の比喩と考えれば,「イサド」は「先住民」の母なる大地(故郷)である樺太や千島列島のある「北方」であるかもしれない。賢治も「北方」には関心が高く,『やまなし』を発表して4か月後に「樺太」(7月31日から8月12日まで)に旅立つ。8月3日の午前に教え子の就職依頼のため「大泊」(樺太南端の町で本土と行き来する交通の要所)から樺太鉄道で1時間ほど北に位置する豊原の王子製紙会社を訪れているが,それ以外の旅の詳細な行程は分かっていない。

 

当時「大泊」の東に後に大泊郡に組み込まれる知床村がある。この村出身の樺太アイヌ・山辺安之助(背は6尺:約180cm)は広瀬隊長率いる南極探検隊の犬ぞり担当を務めたことで有名である。この村に札塔(Satuto)という名の土地がある。アイヌ語で「乾いた沼」という意味である。

 

岩手県には「長内(おさない)」(雫石町など)という地名がたくさんある。この「長内」は,アイヌ語(奥州エゾ語)の「オ・o,サッ・sat,ナイ:nay」に由来していて,「オ・川尻」,「サッ・乾いた(水が砂に吸い込まれて川尻に水がない状態)」,「ナイ・沢」という意味を含むと言われる(工藤,2013)。

 

兄弟喧嘩は,泡の大きさを競ってのものだが,そもそも水中にいる〈蟹〉は泡をださない。生じるはずのないも泡の大きさを競うとはどういうことか。多分,この喧嘩は「コロボックル」の身長が低いかどうかを争った当時の学者間の論争を皮肉ったものかもしれない。

 

前稿で,賢治が生きていた頃は「蝦夷(エミシ)」=アイヌ説が優勢であったことを述べたが,「蝦夷(エミシ)」=非アイヌ説をとる学者もいた。金田一(2004)によれば,人類学者の松村瞭は,徴兵検査で測定された岩手県人の成人男性の身長が他県と比較して一番高いことに注目して,「岩手県はエミシの巣窟である。アイヌは日本人よりも背が低いはずだからエミシはアイヌではない」と主張していたという。金田一は,「アイヌ」の背が低いという明瞭な根拠はないとして,松村の主張を退けた。伝説の小人「コロボックル」の背が低いというのと同じで,実態の不明確なものに当時の学者達が大真面目で論争していたのである。

 

3.「やまなし」には恋人の名前が隠されている

「十二月」の章の最後のところで黄金(きん)のぶちが光って熟した「やまなし」の実が〈カワセミ〉のように「ドブン」と落ちてくる。この実を父蟹は「いゝ匂ひ」がすると言う。この「やまなし」とは何か。『新宮澤賢治語彙辞典』によれば日置と同じでバラ科リンゴ属の「オオウラジロノキ(オオズミ)」としている(原,1999)。「オオウラジロノキ」の熟した実(2~3cm)は褐色または紅色である。童話『山男と四月』(1922.4.7)でも「お日さまは赤と黄金でぶちぶちのやまなしのやう」,また童話『タネリはたしかにいちにち噛んでゐたようだった』(1924年春頃)には「山梨のやうな赤い眼」と記載されている。ただ,匂いについては分からない。爪で引っ掻くとリンゴのような匂いがするらしい。

 

一方,「やまなし」をバラ科(サクラ亜科)ナシ属の果実とする研究者もいる。「やまなし」は日本列島で自生する「イワテヤマナシ」,「アオナシ」,「マメナシ」,「ヤマナシ」という3種2変種の「ナシ」の1つであるとするものである。特に,物語に登場する「やまなし」は芳香を強く放っているので,片山(2019)は岩手県を中心に「東北」に自生する「イワテヤマナシ」(Pyrus ussuriensis Maxim.var.aromatica (Nakai et Kikuchi))Rehd.)を有力候補に挙げている。

 

ただ,果実の大きさは2~3.2cmほどだが赤くはない。「イワテヤマナシ」は樹高が10~12mくらいで春に白い花を咲かせる。岩手県を含む東北3県では1500個体以上の自生と思われるナシ属植物が発見されているが,その約8割が岩手県を南北に縦断する「北上山系」に集中して見つかるという。また,その多くは山間部の牧草地や童話『やまなし』の舞台でもある渓流沿いに分布しているという。ただ,かなりの数で雑種化が進んでいる(7割程度)。

 

「やまなし」は,実の色から推測すれば「オオウラジロノキ」と思われる。〈蟹〉の父親が言う「赤い眼」の〈カワセミ〉とイメージが重なる。しかし,匂いから推測すれば「イワテヤマナシ」あるいはその雑種の可能性もある。

 

「ナシ」は北海道には自生していないのでアイヌ語としての名は残されていない。「イワテヤマナシ」の果実を「東北」の「先住民」がどのように呼んでいたのであろうか。片山・植松(2004)の聞き取り調査では,「東北」のナシ属植物の地方名は「ジナシ」(花巻市),「ヤマナシ」(東和町など),「フクベナシ」(遠野町),「ケカズナシ」(沢内村)などとほとんどが「○○ナシ」であったという。片山らは,これらの「呼び名」と同一の名が,江戸時代以前からの文献や書物に記録されている「ナシ」の在来品種名の中にあることから,かつての在来系統の「ナシ」が同じ「呼び名」とともに現在まで維持されてきたと推測している。『南部領産物誌』(1735)には「山なし」の記載もある。すなわち,「イワテヤマナシ」あるいは「オオウラジロノキ」の果実は遠い昔(少なくとも江戸時代ごろ)から「東北」では「やまなし」と呼ばれていた可能性がある。

 

童話『やまなし』の題名には恋人の名前が隠されていると指摘する研究者がいる。「やまなし」は岩手では「やまなす」と発音する。岩手の方言では「し」と「す」の区別がないので「やまなし」は「やまなす」と聞こえる。そこで澤口(2018)は,題名の岩手方言である「やまなす」には恋人の名前(4文字の最初と最後の1字を合わせた2字)が隠されているとした。筆者はこれを支持したい。この童話には「二枚の幻燈」,「二疋の蟹」,「四本の脚の中の二本」,「二日ばかり待つ」など「二(2)」という数字が意味ありげに繰り返される。

 

詩集『春と修羅』の「第四梯形」(1923.9.30)という詩には「青い抱擁衝動や/明るい雨の中のみたされない唇が/きれいにそらに溶けてゆく/日本の九月の気圏です/・・・・/あやしいそらのバリカンは/白い雲からおりて来て/・・・/七つ森の第四伯林青(べるりんせい)スロープは/やまなしの匂の雲に起伏し/すこし日射しのくらむひまに/そらのバリカンがそれを刈る」(宮沢,1986;下線は引用者)という詩句がある。

 

下線部の「くらむ」は「目が眩む」と「暗む」の2つの意味がある。日置(2015)はこの詩に登場する「やまなし」と「くらむ」という語句をヒントに,〈クラムボン〉を雲の流れで光ったり暗くなったりする「太陽」としたが,筆者はこの詩の創作時期が賢治と恋人の恋の破局の時期と重なることから,「やまなし」を恋人,「くらむ」を「暗む」と解釈して,この詩句あるいは童話『やまなし』には失意の底にある恋人が表現されていると考える。なぜなら,この詩の冒頭にあるように,賢治は近親者たちの反対に遭ったとき,「個人」の幸せ(青い抱擁衝動)を「みんな」の幸せ(きれいなそら)の中に溶かし込んでしまったからである(性衝動の昇華)。あやしい空のバリカンは「やまなし」(恋人)までも刈ってしまったのである。

 

「カゲロウ」という昆虫の名は,飛ぶ様が「楊炎(かげろう)」のようにはかなく,ひらめくところから来ている。「かげろう」には,動詞「かげる」に由来して光が隠れて影になる,すなわち,「暗む(くらむ)」という意味もある。賢治は,失意の底にある恋人を「カゲロウ(クラムボン)」として谷川の岩の下に配置したのかもしれない。

 

詩「第四梯形」の2週間後にも「ナシ」が登場してくる詩を創作している。詩「過去情炎」(1923.10.15)には,「あたらしい腐植のにほひを嚊ぎながら/きらびやかな雨あがりの中にはたらけば/わたくしは移住の清教徒(ピユリタン)です/雲はぐらぐらゆれて馳けるし/梨の葉にはいちいち精巧な葉脈があつて/短果枝には雫がレンズになり/そらや木やすべての景象ををさめてゐる/わたくしがここを環に掘ってしまふあひだ/その雫が落ちないことをねがふ/なぜならいまこのちひさなアカシヤをとつたあとで/わたくしは鄭重(ていちよう)にかがんでそれに唇をあてる/・・・/わたくしは待つてゐたこひびとにあふやうに/応揚(おうやう)にわらつてその木のしたへゆくのだけれども/それはひとつの情炎(じやうえん)だ/もう水いろの過去になつてゐる」(宮沢,1986;下線は引用者)とある。

 

この詩では,自分を「移住の清教徒」と呼び,開墾の妨げになるアカシヤ(ニセアカシヤのこと)を掘り起こした後に,恋人に会うように「ナシ」の木に口づけをすると歌っている。この「ナシ」も種は明らかではないが『やまなし』と同じで恋人の面影を重ねていると思われる。しかし,すでに過去の出来事だとしている。

 

さらに2年後の詩「岩手軽便鉄道七月(ジャズ)」(1925.7.15)の先駆形には,「梨をたべてもすこしもうまくない/何せ匂いがみんなうしろに残るのだ」の記載がある。賢治にとって過去の出来事であっても,恋人への思いは強く残っているようだ。童話『やまなし』の恋人を比喩する「樺」と「やまなし」については第1表にまとめた。

 

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童話『やまなし』の終末部で「やまなし」の果実は,「ドブン」と川に落ちて沈むが,「再び上がる」→「流れる」→「木の枝に止まる」→「再び沈む(と予言)」という動きを示す。

 

単なる推測にすぎないが,この「やまなし」の果実の複雑な動きは破局後の恋人の心の動きともとれる。「やまなし」は流された後に木の枝にしがみつく。しかし,木にしがみついた「やまなし」の果実は,〈蟹〉の父親からは「二日ばかり待つとね,こいつは下に沈んで来る」と予言されてしまう。この「木の枝」とは賢治自身であろうか。そして最後に「私の幻燈(恋物語)はこれでおしまひであります」(括弧内は筆者)と結ばれる。

 

以上のように,童話『やまなし』は賢治の実体験をもとに擬人化された〈魚〉と谷川の石の下に棲む妖精〈クラムボン=カゲロウ〉の悲恋物語であると考える。この『やまなし』に対する新しい解釈(説)は,この童話に登場する植物や『やまなし』発表前後の作品に登場する植物を丁寧に読み解くことによって裏付けられた。

 

まとめ

(1)童話『やまなし』は,谷川に棲む生き物(蟹,魚,クラムボン,カワセミ)の弱肉強食の生存競争や食物連鎖がメインテーマとして描かれているのではない。むしろ,よそ者と先住土着の民との争いが描かれているように思える。よそ者(移入種としてのヤマメ)が先住土着の家の娘(クランムボン)に恋をして求婚しようとするが土着の神(鬼神としてのカワセミ)から手荒い仕打ちを受けたという悲恋物語であろう。

(2)物語に登場する植物である「樺」と「やまなし」にも,〈クラムボン〉と同様に先住民の女性がイメージされているように思える。5月の章で「樺の花」が散り,12月の章で「やまなしの実」が谷川に落ちてくることが,これを裏付けているように思える。多分,童話『やまなし』は賢治が物語を執筆している直前に経験した恋とその破局を題材にしている。  

(3)「やまなしの実」は,「ドブン」と川に落ちて沈むが,「再び上がる」→「流れる」→「木の枝に止まる」→「再び沈む」という動きを示す。あたかも恋に破局した女性の心理描写ともとれる。また,『やまなし』の発表時期の別の作品に登場する植物(やまなし,樺,杉,アイリス)にも恋人をイメージできるものが多い。

(4)〈クラムボン〉は川底にある「石の下」にいる「ニンフ(妖精)」と呼ばれる「カゲロウ」の幼虫のことであろう。「カゲロウ」は谷川に遠い昔から棲んでいた。〈クラムボン〉と同じ先住土着の女性を比喩する「樺」は,アイヌ語の「カリンパ」に由来すると言われている。それゆえ,〈クラムボン〉という名称も,アイヌ語の可能性があり,「アイヌ」の伝説に登場する〈先住民〉の「コロボックル」と関係があると思われる。

(5)「コロボックル」は和人によって「フキの下の小人」と翻訳されたりもしているが,「アイヌ」の間では「kurupun unkur」(石の下の人)として伝承されている地域もある。〈クラムボン〉(発音はkut ran bon)は,賢治の造語と思われるが,アイヌ語で「kut・岩崖, ra・下方,un・にいる, bon・小さい」に分解できる。すなわち,〈クラムボン〉は「カゲロウ」の幼虫の姿をしているが,「岩崖の下」にいる「小人(妖精)」のことである。移入種の〈魚〉が岩の下に居る水の妖精に恋をした。 

(6)〈魚〉と〈クラムボン〉には賢治と恋人の「出自」(移住者と先住者)が,「白い樺の花」には肌が白い相思相愛だった恋人のことが,そして題名の「やまなし」には恋人の「名前」がそれぞれ隠されているように思える。〈蟹〉の親子の口から出る〈クラムボン〉,「樺(カリンパ)」,「イサド」そして「やまなし」は,よそ者の言葉(侵入者の言語)ではなく谷川(イーハトーブ)に住む「先住民」が遠い昔から使っていた言葉,あるいはそれと関係する言葉であろう。

 

参考・引用文献

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原 子郎.1999.新宮澤賢治語彙辞典.東京書籍.東京.

日置俊次.2015.宮澤賢治が求めた光-法華文学としての「やまなし」-.青山学院大学文学部紀要 57:53-75.

金田一京助.2004.古代蝦夷(えみし)とアイヌ.平凡社.東京.

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工藤雅樹.2013(更新日)公益財団法人 アイヌ民族文化財団普及啓発セミナー報告「エミシ,エゾ,アイヌ」.2018.11.28(調べた日付).https://www.frpac.or.jp/about/files/sem1212.pdf

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

澤口たまみ.2018.新版 宮澤賢治 愛のうた.夕書房.茨城.

嶋田英誠.2018(更新年).跡見群芳譜 かにわ(かには).2020.10.1.(調べた日付).http://www.atomigunpofu.jp/ch2-trees/kaniwa.htm

Shimafukurou.2021b.宮澤賢治の『やまなし』-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語(2)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/08/09/101746

 

本稿は,人間・植物関係学会雑誌20巻第2号75-78頁2021年(3月31日発行)に掲載された自著報文「宮沢賢治の『やまなし』の謎を植物から読み解く-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語 後編-」(種別は資料・報告)に加筆・修正したものである。題名が長いので,本ブログでは短くしている。原文あるいはその他の掲載された自著報文は,人間・植物関係学会(JSPPR)のHPにある学会誌アーカイブスからも見ることができる。ただし,学会誌アーカイブスでの報文公表は,雑誌発行日から1~2年後になる予定。http://www.jsppr.jp/academic_journal/archives.htm 

 

宮沢賢治の『やまなし』-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語(2)-

Keywords: アイヌ語,蝦夷,カゲロウの幼虫,カシワ,鬼神,コルボックル論争,クラムボン,涙ぐむ目,ニンフ(妖精),杉,スイレン属,手宮洞窟

 

前稿(Shimafukurou,2021a)では〈クラムボン〉の正体の解明を試みた結果,〈クラムボン〉には従来の解釈と異なり先住民の女性が投影されていて,賢治の悲恋物語が描かれているという新しい説を得ることができた。本稿の前半に相当する項目「1」の「1)物語の背景にあるコロボックル論争」から「3)〈クラムボン〉に対する古アイヌ語を基にした新しい解釈」までは植物を取り上げずに〈クラムボン〉の語源について検討し,後半の「4)〈クラムボン〉と恋人の関係」から「2.アイヌは東北の先住民か」までは悲恋物語であるという新説が童話『やまなし』発表前後の作品に登場する植物を読み説くことによって裏付けられるかどうか検討する。

 

1.なぜ川底の小生物を恋人の比喩である〈クラムボン〉と呼んだのか

それは〈クラムボン〉が遠い昔から谷川の川底に住んでいたことと関係がありそうである。北海道や「東北」の「アイヌ」あるいは「蝦夷(エミシ)」も遠い昔から同じ土地に住んでいた。賢治が生きていた時代には,さらに彼らよりも前に住んでいたとされている「先住民」が話題になっていた。すなわち,「アイヌ」の伝説にある北海道の「先住民」であるとされた「コルボックル」が「アイヌ」か「非アイヌ」かが盛んに議論されていた(瀬川,2012)。

 

「コロボックル」の名称は,天明5年(1785)から6年にかけて「蝦夷(エゾ)地」(今の北海道)を調査した探検家である最上徳内の著書『渡島筆記』(1808)に記載されている。

 

これによれば「コロボクングルといふものあり,是も古の人にして,時世いつなることを失ふ。コロボクングル仔細に唱ふれば,コロボツコルウンクルなり。又ボク実はボキなり,コロとはふきの葉なり。ボキ此にボツと略称す。ボキは下といふことなり。コルは持なり,ウンは居也,住也。グルは人といふ義なり。則ふきの葉の下にその茎を持て居る人といへることなり。」とある。すなわち,「コロボックル」は「フキの葉の下に住んでいる人」の意味であると推測されている。アイヌの伝説として伝えられている「小人種」のことである。ただ,北海道に自生するフキは「アキタブキ」(Petasites japonicus (Siebold et Zucc.) Maxim.Subsp. giganteus (G.Nicholson) Kitam.)の一種で「ラワンブキ」というのがあるがこのフキは高さが3mに及ぶものがある。

 

賢治も「コロボックル」という言葉を知っていた。賢治の詩集『春と修羅』の「樺太鉄道」(1923.8.4)には,「おお満艦飾のこのえぞにふの花/月光いろのかんざしは/すなほなコロボックルのです」とある。「えぞにふ」は,セリ科シシウド属の「エゾニュウ」(Angelica ursina (Rupr.)Maxim.)のことで,花は白で複散形花序である。1つの散形花序は賢治の詩にあるように「かんざし」のようでもある。

 

賢治は「コロボックル」以外にも伝説上の「小人」を作品の中に多数登場させている(佐藤,2008)。短編『うろこ雲』(1922)では「銀の小人」,詩「滝沢野」(1922)では「Green Drwarf(緑の小人)」,詩〔鉄道線路と国道が〕(1924.5.16)では「赭髪(あかがみ)の小さなgoblin」が登場する。「goblin(ゴブリン)」はケルト民俗由来の悪戯好きの妖精である。賢治は,「小人」に「妖精」のイメージを重ねているようにも思える。 

 

「コロボックル」と関係するものとして「手宮文字」がある。賢治の詩集『春と修羅』の詩「雲とはんのき」(1923.8.31)に出てくる。

 

「手宮文字」は,小樽市近郊の凝灰岩が露出している「崖の下」の「洞窟」の壁に刻まれた線刻画のことで,北海道の「先住民」が残したものとされている。この壁画のようなものは,沢山の「頭に角(つの)を持つ人物」あるいは秋田の男鹿半島の「なまはげ」のような「角のある面を付けた人物」に見える。1600年前頃の続縄文時代中頃から後半の時代のものと推定されている。「石斧」や「土器」も発掘されていて,1921年に国指定史跡になっている。渡瀬荘三郎(1886)は,この洞窟遺跡や近傍の竪穴住居跡が「コロボックル」のものであるとして人類学会で紹介した。ただし,この論文は「コロボックル」のものとしては確証に乏しく,人類学へのロマンをかき立てるようなものであった。

 

1)物語の背景にあるコロボックル論争

コロボックル論争(1886~)は,渡瀬の人類学会での報告に白井光太郎が辛辣に批判したことがきっかけで,人類学者の坪井正五郎と解剖学者の小金井良精の間で起こった「日本人の起源」をめぐる論争である。坪井は「アイヌ」が石器や土器を使った記憶を残していないことと,「アイヌ」の小人伝説から「石器(縄文)人」=非アイヌ説をとる。彼は,「コロボックル」は背が小さいと言われているエスキモーやアメリカ大陸からベーリング海峡にかけて散在している島々に棲むアリュート人が潮流に乗って千島から日本列島へ来て日本の原住民になった人達という説を唱える。

 

一方,小金井は,「アイヌ」と狩猟採取の民である「石器(縄文)人」の骨格を比較し,「アイヌ」は石器(縄文)人の末裔であり,その後新しく渡来した人たちに追われ北上し,ついには北海道に閉じ込められた,いわゆる「石器(縄文)人」=アイヌ説を唱えた(梅原・埴原,1993;金田一,2004;阿部,2012)。その後,鳥居(1903)は千島アイヌが石器や土器を使っていたことを発見し,また千島アイヌ,蝦夷(エゾ)アイヌ,樺太アイヌの身長がほぼ同じであるという情報が得られたことなどから,「アイヌ」以外に背の小さい「先住民」がいたという坪井説は劣勢となっていった。ちなみに明治時代に石器や土器を使っていたという千島アイヌの身長(男子7名の平均158cm)は同時期の日本人の身長ともほぼ同じであったという。

 

2)〈クラムボン〉と「コロボックル」の関係

筆者は,童話『やまなし』に登場する「樺」の植物名が後述(次稿)するアイヌ語に由来すると思われることから,〈クラムボン〉もアイヌ語と関係すると考えている。〈クラムボン〉がアイヌの伝説の小人「コロボックル」と関係があると最初に示唆したのは山田貴生であろう。彼は高知大学宮沢賢治研究会の機関誌(注文の多い土佐料理店)に,「クラムボン」はアイヌ語で分解すると「kur・人,男,ram・低い,pon(bon)・子供)」になり,「アイヌ各地に分布する伝説の小人・コロボックルである」と報告している(山田,2006)。山田は「イサド」もアイヌ語で解釈できるとして,「i・そこの,sat・乾いた,to・沼」だとしている。

 

「コロボックル」は文字として残されたものではなく,「アイヌ」の口碑によって伝承されたものなので様々な呼び名の名称として残されている。例えば,アイヌ研究家のジョン・バチラーは,彼らは「koropok un guru(コロボク・ウン・グル)」と呼ばれていたと著書で記している(仁多見・飯田,1993)。バチラーは,「コロボックル」を「フキの葉の下の人」ではなく「下の方の住民たち」と解釈し,「corpok・下に」を「korkoni・フキ(蕗)」とするのは誤訳であると指摘している。バチラーは,当時北海道で発掘されていた竪穴住居の遺跡が「アイヌ」のものであると推測していた(阿部,2012)。竪穴住居とは深さ90cmくらいの穴を掘り窪めて複数の柱を立て「アシ(葦)」などの植物を使って屋根を葺いた家屋である。

 

北海道余市町にも,小樽市の「手宮洞窟」と同じ時代のものとされる「フゴッペ洞窟」が残されている。この洞窟にある陰刻画も「先住民」が描いたとされ,その陰刻画には「角を持つ人」以外に舟や魚などもあった。

 

アイヌ人の詩人で思想家の違星(1972)が余市町の古老に「アイヌ」の先住民族「コロボックル」について訪ねたとき,古老は「お前はコロボックルといふが,それはさうぢゃないkurupun unkurといふんだ,クルは岩だ,水かぶり岩だ,ナニ水の底にあるごろんだ(粒々の)石のことだ,ナンデモ石に親しんだもので恰(あたか)も石の下にでもゐるやうな人種だからアイヌはこれを形容してクルプンウンクルとよんだもんだ」(昭和2年7月3日)と答えたという。

 

さらに話は続き,「私は非常に面白いと思った。私の兄に話したら「馬鹿いへ,水かぶりの石の下・・・サル蟹ぢやあるまいし」と一笑に付されたのであるが,発音はkurupun unkurといふのが正しいと父もいってゐたのである。石に親しんだものだから石の下の人とよび,背が低かったから色々な説話もうまれたものであって,要するに実在の重要な反映を做(な)すものである」とある。引用文にあるサル蟹は「サワガニ」のことと思われる。

 

3)〈クラムボン〉に対する古アイヌ語を基にした新しい解釈

「kur・クル」はアイヌ語で「人」あるいは「影」だが,「kut・クッ」には古いアイヌ語で別の意味がある。言語学者で盛岡出身の金田一(2004)によれば,「kut・クッ」は「岩層・断崖」を意味するとある。陸奥二戸郡福岡付近に岩山があるが,古くは尻屈(シリクツ)山あるいは尻口(シリクチ)山と呼ばれていた。「シリ」は山のことで,「クツ」あるいは「クチ」は岩層のことであるという。北海道の旭川にも似た岩山(神居岩)があり,「kut ne sir・クッネシリ」という。アイヌ語で「岩崖になっている山」という意味だという。

 

ちなみに,アイヌ語で「ra・ラ」は「下方」あるいは「低い所」を示す名詞で,「un・ウン」は「~にいる」で,「pon(bon)・ポン(ボン)」は形容詞の「小さい」という意味である(田村,1982;知里,1992)。名詞の「小さい子」は「po・ポ」である。アイヌ語で「p」と「b」は同一の音素で区別しない。「u」は,音節のつながり方によって,省略される場合がある。例えば,鬼志別(onispet)は,「o ni us pet」(川口に・木が・たくさんある・川)の「u」が省略されたものである(佐藤,1977)。すなわち,〈クラムボン〉は,アイヌ語で「kut・岩崖, ra・低い所,un・にいる, bon・小さい」(kut ran bon)に分解できるかもしれない。

 

また,「コロボックル」が「コロボツクル・ウンクル」の略称であったように,〈クラムボン〉も略称である可能性があり,本当は「クラムボン・ウンクル」と呼んだ方が良いのかもしれない。「アイヌ」の古老が記憶していた「kurupun unkur・クルプンウンクル」(石の下の人)は,「kut・岩崖, ra・低い所,pon・小さい,unkur・人」の変化したものと思われる。

 

筆者は,〈クラムボン〉の名称が「アイヌ」の伝説に登場する「先住民」を指す言葉「コルボックル」に由来すると考えているが,今のところ,(1)山田説か,(2)「kut・岩層(岩崖)」と「ra・下方」と「un・にいる」と「bon・小さい」とした賢治の造語か,あるいは(3)「kurupun unkur」やそれに類似した別称の発音を真似たもののうちのどれかはわからない。しかし,筆者は(2)が最も可能性が高いと考えている。

 

4)〈クラムボン〉と恋人の関係

賢治は,前述したように小樽市近郊の「崖下」の「手宮洞窟」の壁に刻まれた陰刻画に強い関心を示している。詩集『春と修羅』(第二集)の詩「休息」でも積乱雲が様々に形に変えていく様を「手宮洞窟」のものと思われる線刻画と重ね「古い洞窟人類の/方向のないLibidoの像を/肖顔(にがほ)のやうにいくつか掲げ」(下線は引用者)と比喩したりしている。「角を持つ人物像」と「方向のないLibidoの像」の「肖顔」とはどのような関係があるのだろうか。

 

「リビドー」とは様々な欲求に変換可能な無意識を源泉とする性的エネルギーとされるものである。多分,その答えは詩「雲とはんのき」の中にある。詩には「(ひのきのひらめく六月に/おまへが刻んだその線は/やがてどんな重荷になって/おまへに男らしい償いを強ひるかわからない)/手宮文字です 手宮文字です」(宮沢,1986)と記載されていた。この詩にある「おまえ」を賢治とすれば,賢治は線を何に刻んだのか。別な言葉に置き換えれば,誰を傷つけたのだろうか。償いをしなければならないとあるので,恋の破局の相手であろう。

 

「ひのきのひらめく六月・・・」の詩句は,この詩を書いた3か月前の「風林」(1923.6.3)と「白い鳥」(1923.6.4)という2つの詩の中に記載されたものと関係があると思われる。

 

前者には「かしはのなかには鳥の巣がない/あんまりがさがさ鳴るためだ・・・・」(下線は引用者)とあり,後者には「ゆうべは柏ばやしの月あかりのなか/けさはすずらんの花のむらがりのなかで/なんべんわたくしはその名を呼び/またたれともわからない声が/人のない野原のはてからこたへてきて/わたくしを嘲笑したことか」と記載されている。「風林」の中の「かしはのなかには鳥の巣がない」の詩句は,昭和6(1931)年頃と思われる「雨ニモマケズ手帳」に記載された文語詩〔きみにならびて野に立てば〕の下書稿の詩句「きみにならびて野にたてば/風きらゝかに吹ききたり/柏ばやしをとゞろかし/枯葉を雪にまろばしぬ(中略)「さびしや風のさなかにも/鳥はその巣を繕はんに/ひとはつれなく瞳(まみ)澄みて山のみ見る」ときみは云ふ」(下線は引用者)に対応している。

 

「かしは」あるいは「柏」は,ブナ科の落葉樹の「カシワ」(Quercus dentata Thunb.)のことである。「カシワ」の葉は,落葉樹であるが,新芽を守るため葉が枯れても風が吹いても春が来るまでは落ちない。〔きみにならびて野に立てば〕の「きみ」は恋人のことで,恋人は賢治に「強風の中でもカシワの葉は落ちないし,鳥も巣を作っているのになぜあなたはそうしないの」と訴えていた。

 

恋人は,どんなに反対されても賢治と「家庭(巣)」を作って,自分の性的エネルギーの全てを「家庭」に投入するはずであった。しかし,その夢も近親者らの反対などで破れ,方向を失った恋人のLibidoは他へ向かわざるを得なかったと思える。そして,そのLibidoの向かった先の1つが,賢治によって刻まれた「怒り」を象徴する「顔」の「角(鬼)」だったのだろう。賢治は洞窟の壁に刻まれた「角を持った人物像」に恋人を重ねているように思える(石井,2018)。

 

賢治は,〈クラムボン〉に〈ウンクル〉を付けた〈クラムボン・ウンクル〉を,「フキの葉の下に住んでいる人」ではなく,余市の古老が話したように「石の下の人」あるいは「岩崖の下方の小さい人」(さらに深読みすれば岩崖の下の洞窟に住んでいる小人〈妖精〉)という意味で使ったのかもしれない。すなわち,推測ではあるが「先住民」の末裔である恋人とイメージが重なる遠い昔の洞窟に住んでいた人という意味である。

 

5)〈クラムボン〉はカゲロウの幼虫のことかもしれない

筆者は,「コロボックル」が「石の下の人」であるとする余市アイヌによる解釈や,「下の方の住民たち」というバチラーの解釈には興味を持っている。「サワガニ」だけでなく「カゲロウ」などの水生昆虫(幼虫)も石の下に生息しているからである。「ヒメフタオカゲロウ」の幼虫は石の下だけでなく巨石の下流側の淀みにも生息している。賢治もバチラーの解釈は知っていたかもしれない。また,「カゲロウ」の幼虫は,水中あるいは水面で脱皮するときに羽が立ち上がる。釣り人はこれを「カゲロウ」が「立ち上がる」と言うらしい(刈田,2000)。一方,「カワシンジュガイ」は石の下にというよりは砂礫(されき)や石礫(せきれき)質の河床に殻を半分ほど埋めて「立ち上がる」ような状態で生息している。

 

「カゲロウ」は,水生の幼虫のあと,有翅(ゆうし)の亜成虫期を経て成虫になる。これを不完全変態と呼ぶ。「カゲロウ」の幼虫は,完全変態する「トビケラ」の幼虫「ラーバ(larva)」と区別するために「ニンフ(nymph)」と呼ぶ。また,「カゲロウ」の仲間は5月(May)頃に羽化するので「メイフライ」ともいう。「ニンフ」はギリシャ神話の「ニュンペー」の英語読みで,若い女性の姿をしている妖精(女神)という意味である。山や川,森や谷に宿り,これらを守っているのだという。ギリシャ語では「花嫁」や「新婦」の意味である。

 

「カゲロウ」や「カワゲラ」の幼虫に対するアイヌ語名はわからなかったが,トビケラ類の幼虫は「worun kamuy・ウオルンカムイ」(wor・水,un・にいる,kamuy・神)と呼ぶ(アイヌ民俗博物館,2020)。多分,トビケラ類は、水生昆虫の総称を指しているのであろう。石の下の意味はないが,「アイヌ」は水生昆虫の幼虫を水の神(精)と見なしている。水の神は,アイヌ語で別に「wakka us kamuy・ワッカウシカムイ」という名が付けられている。「水場の女」を意味する女神である。西洋で「カゲロウ」の幼虫を「ニンフ」と呼ぶのと似ている。ちなみに,渓流の「ヤマメ」はアイヌ語で「icankaot・イチャンカオッ」(ican・ホリ,ka・の上,ot・にたかっている)あるいは「kitra・キッラ」である。神の名ではない。

 

賢治が,「杉」(在来種)の近くで,恋人の名前を呟く詩がある。詩集『春と修羅』(第三集)の〔エレキや鳥がばしゃばしゃ翔べば〕(1927.5.14)には,「枯れた巨きな一本杉が /もう専門の避雷針とも見られるかたち/・・・けふもまだ熱はさがらず/Nymph,Nymbus,,Nymphaea ・・・ 」(宮沢,1986)(NymbusはNimbusの誤記?)とある。この詩を書いたのは,恋人がシカゴで亡くなってから1か月後である。「枯れた杉」は,亡くなった背の高い恋人のことを言っていると思われる。賢治は,また恋人をNymph,Nimbus,Nymphaeaと形容している。Nymphは「カゲロウ」の幼虫(ニンフ)と同じ英語名で,Nimbus(ニムバス)は雨雲(乱層雲)で,Nymphaea(ニンフェア)はスイレン属の植物のことである。

 

雨雲は,『新宮沢賢治語彙辞典』によれば,前述した積乱雲のLipido像のように「官能的なイメージを惹起させるもので,性欲を否定したがる賢治にとって,誘惑者であり邪気を含んだもの」であるとしている(原,1999)。また,乱層雲の膨れた形状から妊婦(ニンプ)という言葉も想起させる。

 

「スイレン属」の植物は,「Tearful eye(涙ぐむ目);第1図」という目(眼)を象った花壇設計のスケッチ図に記載されている(文字は英語)。このスケッチ図は,賢治が羅須地人協会時代(1926年8月に設立)に使用した「MEMO FLORA」ノートの32頁にある(宮沢,1986)。スケッチ図では眼の「瞳(瞳孔)」に相当するところは暗色系のパンジー(Pansy Dark),眼の「虹彩(Iris)」の部分は青花のブラキコメ(Brachycome Indigo),強膜(いわゆる白目)の部分は白花のブラキコメ(Brachycome White)を植えるとしていて,眼の両側にある涙を作って貯める涙腺と涙嚢に相当するところにはスイレン属(Nymphaea)らしい植物を浮かせた水瓶(Water Vase)を置くとしている(宮沢,1986)。

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第1図.「MEMO FLORA」ノートにスケッチされたTearful eye(涙ぐむ目)の模写図.

 

水瓶の植物は,英語で「Water vase with nymph・・・」と記載されていて,「Nymph・・・」の単語の末字が判読しづらいが,賢治研究家の伊藤(2001)は,これを「Nymphaea」と解釈した。日本には,スイレン属の植物として「ヒツジグサ」(Nymphaea tetragona Georgi)がある。スイレン属の学名Nymphaeaはギリシャ神話の水の妖精(ラテン名Nympha)に由来するという。すなわち,賢治の詩に登場する「Nymphaea」は,失恋した恋人の涙を意味しているかもしれない。

 

多分,賢治は,「コルボックル」を北海道の岩崖の下にある「手宮洞窟」の「先住民」(石器(縄文)人)と考えていて,童話に「先住民」の末裔である恋人を谷川の川底(石の下)に住む妖精(ニンフ)として登場させたものと思われる。そして,「ニンフ」と呼ばれる「カゲロウ」の幼虫に恋人を投影させて,〈クラムボン〉と名付けたのであろう。

 

最近,澤口(2021)は『やまなし』のサブタイトルが「五月」なので,著者と同様に〈クラムボン〉は「メイフライ」と呼ばれる「カゲロウ」であると推測している。しかし,澤口にとって〈クラムボン〉は,恋人ではなく「韻を踏む言葉を探す者」という意味で賢治自身を表すとしている。

 

2.アイヌは東北の先住民か

東北の「先住民」である「蝦夷(エミシ)」が「アイヌ」か「非アイヌ」かの論争も行われていた。賢治が生きた時代は,言語学者の金田一京助や歴史学者の喜田貞吉が主張する「蝦夷」=「アイヌ」説が優勢であった(秋枝,1996;金田一,2004)。賢治は東北に先住していた「石器(縄文)人」も「蝦夷」や「アイヌ」の祖先と信じていたように思える。

 

詩集『春と修羅 第二集』の詩〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕(1924.5.18)は「東北」の「先住民」である「蝦夷(エミシ)」=「アイヌ」説の影響を受けている。この心象スケッチの場所は花巻近郊のエミシ塚あるいはアイヌ塚と呼ばれていた場所である。また,詩に登場する〈杉の古木〉は賢治と相思相愛であったが破局し失意の底にある恋人が投影されていると思われる(石井,2018)。〈蛾〉は賢治であろう。

日はトパーズのかけらをそゝぎ

雲は酸敗してつめたくこごえ

ひばりの群はそらいちめんに浮沈する

  (おまへはなぜ立ってゐるか

  立ってゐてはいけない

  沼の面にはひとりのアイヌものぞいてゐる)

一本の緑天蚕絨の杉の古木

南の風にこごった枝をゆすぶれば

ほのかに白い昼の蛾は

そのたよりない気岸の線を

さびしくぐらぐら漂流する

  (水は水銀で

  風はかんばしいかほりを持ってくると

  さういふ型の考へ方も

  やっぱり鬼神の範疇である)

  アイヌはいつか向ふへうつり

  蛾はいま岸の水ばせうの芽をわたってゐる

              (宮沢,1986)下線は引用者による

 

この詩では「緑天蚕絨(みどりびらうど)の杉の古木」が近くの鏡の面を持つ沼に現れる先住民「アイヌ」の幻影(鬼神)と一緒に登場してくる。ここで賢治は,沼面から覗く「アイヌ」の「鬼神」が語る「おまへはなぜ立ってゐるか 立ってゐてはいけない」という言葉を「幻聴」として聞いている。また,この下書稿では,「そこに住む古い鬼神」あるいは「樹神」という言葉もあり,また一旦書かれて削除された詩句には「たたりをもったアイヌの沼は/・・・沼はむかしのアイヌのもので/岸では鍬(やじり)や石斧もとれる」(下線は引用者)とある。削除された詩句の「鏃」や「石斧」は石器(縄文)時代の遺物である。

 

すなわち,石器時代の昔から「東北」の地に先住していた民族(アイヌ)の「祟り」を持った「鬼神」に「お前は恋人と並んで立ってはいけない」と威嚇されているのである。この「鬼神」は「東北」の「先住民」に対して繰り返された大和朝廷の侵略の歴史に対する「先住民」の怒りが「鬼」となったものであろう。

 

賢治の恋を読んだ詩「マサニエロ」(1922.10.10)では,「古木」ではなく恋人が務めていた小学校にある「橄欖天蚕絨(かんらんびろうど)」という美しいルビの形容の付く〈杉〉と一緒に「ひとの名前をなんべんも/風のなかで繰り返してさしつかえないか」といった切ない詩情が語られていた。しかし,2年以上経過して詠んだ詩〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕には,〈杉の古木〉と一緒にアイヌ塚の沼面から覗く「祟り神」の「鬼神」が登場している。2つの詩の〈杉〉が共通の女性を比喩しているのなら,多分,この間に賢治と恋人の恋の破局が訪れたのであろう。

 

詩の引用箇所の最後の「水ばせう」は,植物の「ミズバショウ」(サトイモ科;Lysichiton camtschatcense S.)のことで葉が変形して花のように見える「仏炎苞」と呼ばれる苞が特徴である。「仏炎苞」という名は,苞が仏像の背後にある炎をかたどる飾り(後背)に似ていることによる。それゆえ,詩の最後の2行は,相思相愛の恋人が「怒り」とともに米国に去ったのち,火に集まる習性のある〈蛾〉に化身した賢治が仏教の暗喩ともとれる仏炎苞を持つまだ芽でしかない「水ばせう」の上を「たよりなく,さびしくぐらぐらと」漂流しているとも読める。ここでは「祟り神」である「鬼神」を恐れている「移住者」の末裔としての賢治が,「先住民」の恋人と並んで「東北」の大地に立つことが許されない苦悩が語られているのかもしれない。

 

童話『やまなし』では,この「アイヌ」の「鬼神」は川面の上方から何の前触れもなく怒りを示す「赤い目」の〈カワセミ〉となって現れる。父親の〈蟹〉が子供達に〈カワセミ〉に対して「おれたちはかまはないんだから」と言ったのは同じ先住民同士だからである。〈蟹〉の兄弟が川底から見た〈カワセミ〉の嘴(くちばし)は「鬼」の「角」のように「黒く尖って」いた。

 

詩集『春と修羅』の「晴天恣意(水沢臨時緯度観測所にて)」(1924.3.25)に「鬼神」が怒るとどうなるかが記載されている。

古生山地の峯や尾根

盆地やすべての谷々には

おのおのにみな由緒ある樹や石塚があり

めいめい何か鬼神が棲むと伝へられ

もしもみだりにその樹を伐り

あるひは塚を畑にひらき

乃至はそこらであんまりひどくイリスの花をとりますと

さてもかういふ無風の日中

見掛けはしづかに盛りあげられた

あの玉髄の八雲のなかに

夢幻に人はつれ行かれ

かゞやくそらにまっさかさまにつるされて

見えない数個の手によって

槍でづぶづぶ刺されたり

おしひしがれたりするのだと

さうあすこでは云ふのです。

         (宮沢,1986)下線は引用者による

 

下線部の「イリス」は,植物の「アイリス」のことでアヤメ科アヤメ属の学名である。賢治の詩に登場する「カキツバタ」(Iris laevigata Fisch)や「シャガ」(I japonica Thunb.;第2図)を指す。いずれも「在来種」である。「カキツバタ」は茎先に青紫色の花をつける。「イリス」は「先住民」の女性の比喩として使われているように思える。この詩の「あんまりひどくイリスの花をとりますと・・・/かゞやくそらにまっさかさまにつるされて・・・/槍でづぶづぶ刺されたり・・・」という詩句は,童話『やまなし』の〈蟹〉の兄弟の「魚が何か悪いことしてるんだよとつてるんだよ」という会話を彷彿させる。『やまなし』ではこの後に〈魚〉が〈カワセミ〉の槍のような嘴で挟まれて天空に連れ去られる。

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第2図.シャガ.

 

すなわち,賢治は「アイヌ」は「蝦夷」であり,「東北」の石器時代まで遡ることのできる「先住民」(コルボックル)と信じている。別の言葉でいえば,賢治は恋人が遠い昔から「東北」に先住していた家系の女性であると強く信じている。賢治は,詩〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕を心象スケッチしたその日の午後に修学旅行の引率のため北海道へ旅立っているが,2日後に「アイヌ」に関する標本が陳列されている博物館を,そして4日後に白老(しらおい)のアイヌ集落を訪問している。並々ならぬ「アイヌ」への関心の高さである。

 

このように,当時学者たちの間では「蝦夷」=アイヌ説が優勢だったが,東北人はどのように受け止めていたのであろうか。賢治研究家の秋枝(1996)によれば,東北人の中にはこの説を受け入れることができなかった者が多かったようで,その一例として,次のエピソードが記載されている。喜田貞吉が昭和5年頃に東北の村役場で「日本民族上に於けるアイヌの地位」と題して講演したところ,途中入場した一酔漢が「蝦夷だアイヌだと,アイヌが何だ」と,演壇下まで迫ってきてなぐられそうになったという。

 

土地の有力者によれば,東北人が「アイヌ」の末裔であるとする考えは,「教育上の一大問題」であり,「立派な日本民族である誇り」をもつ東北人を自暴自棄に陥らせるのだという。多分,賢治もこのことは承知していて作品に「蝦夷」の名を登場させることはしなかったし,「アイヌ」の表記も極力避けたように思える。それゆえ,賢治は「先住民」の「鬼神」となった「コロボックル」を作品に登場させるとき,特に新聞などで公表する場合には,特定の人物との関係が知られることを恐れて正体不明の〈クラムボン〉と表記したのだと思われる。

 

「カワシンジュガイ」と書いても容易に「アイヌ」が連想される。「カゲロウ」の幼虫としても「ニンフ」,すなわち若い「女性」が連想されてしまう。童話『やまなし』は,大正12年4月8日に岩手毎日新聞に発表されている。

 

本稿では従来試みられなかった(植物に着目する)方法で新説を確かなものにすることができた。次稿では『やまなし』に登場する植物を読み解くことによってさらに裏付けが可能かどうか検討する。

 

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本稿は,人間・植物関係学会雑誌20巻第2号67-74頁2021年(3月31日発行)に掲載された自著報文「宮沢賢治の『やまなし』の謎を植物から読み解く-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語 中編-」(種別は資料・報告)に加筆・修正したものである。題名が長いので,本ブログでは短くしている。また,自著報文では「童話『やまなし』発表前後の作品に登場する植物と物語の展開との関係」というA41枚程度の表が挿入されていたが,表が大きすぎるので本ブログでは載せていない。原文あるいはその他の掲載された自著報文は,人間・植物関係学会(JSPPR)のHPにある学会誌アーカイブスからも見ることができる。ただし,学会誌アーカイブスでの報文公表は,雑誌発行日から1~2年後になる予定。

http://www.jsppr.jp/academic_journal/archives.htm

宮沢賢治の『やまなし』-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語(1)-

Keywords: 文学と植物との関わり,クラムボン,魚口星雲,二枚貝,精神分析,食物連鎖,水生昆虫,前額法

 

宮沢賢治の童話『やまなし』(1923.4.8)には,〈蟹〉,〈魚〉,〈鳥〉などの動物や「樺の木」や「やまなし」(第1図)などの植物が登場し,〈蟹〉の親子(父親と二人の男の子)がこれら動植物を谷川の川底から眺めている世界が描かれている。小学校高学年の教科書にも採用されている。しかし,〈クラムボン〉,「イサド」あるいは「樺の木」など意味が取りにくい用語もたくさん出てきて難解である。

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 第1図.ヤマナシの実(神奈川県平塚市総合公園で撮影)

 

この物語(特に前半部)には,鳥である〈かはせみ(カワセミ)〉が鉄砲玉のように飛び込んできて魚を捕食するシーンが描かれている。そこで,多くの研究者たちは,〈クラムボン〉を正体不明としたり,あるいはアメンボ,プランクトン,言葉変化遊び(crambo),水の泡,光線による水面の変化などと様々な推測を試みたりしながらも,この物語が谷川での生物の生と死,別の言葉で言い変えれば弱肉強食の生存競争あるいは食物連鎖をイメージして創作されたものと考えている(中野,1991;松田・笹川,1991;畑山,1996;九頭見,1996;石井,2014)。すなわち,〈クラムボン〉が〈魚〉に捕食され,〈魚〉は〈カワセミ〉に捕食される。後半部ではナシの実が〈蟹〉に捕食されることが予想されている。いわゆる〈クラムボン〉→〈魚〉→〈カワセミ〉あるいは「ナシの実」→〈蟹〉という食物連鎖が想定されている。

 

しかし,この物語が生物の生と死あるいは食物連鎖をメインテーマにしているなら,なぜ題名が植物名の「やまなし」なのかが理解できない。別の解釈もある。エッセイストの澤口(2018)は,この題名には賢治の相思相愛の恋人の名が隠されていて,物語には恋の終わりが記録されているとした。ただ,どのような恋が描かれているかについての詳細な説明はない。

 

筆者は,難解な童話『銀河鉄道の夜』を解釈するに当たって,そこに登場する30種ほどの植物から,沢山のヒントをもらった(石井,2020)。賢治作品に登場する植物は,単に風景描写として配置されているのではない。意味が取りにくい文章に遭遇したとき,その近くに配置されている植物を調べることによって解決したこともある。作品中の植物には,登場する意味が付与されている。

 

本稿(1),次稿(2),次次稿(3)では,登場する植物を念入りに調べることによって,童話『やまなし』が自然界の生存競争を扱った物語なのか,あるいは恋物語なのかを明らかにする。『やまなし』は短編童話で登場する植物も多くはない。そこで,同時期に創作された他の童話や詩に登場する植物も検討する。

 

1.この童話は自然界の弱肉強食や食物連鎖をメインテーマにはしていない

この童話は,「五月」と「十二月」(初期形では十一月)というサブタイトルが付く2部構成となっている。「五月」の章は「アイヌ」の叙事詩ユーカラのような「韻」を踏んだ繰り返し(リフレイン)の多い文章で始まる。それゆえ,〈クラムボン〉を英語のcrambo(言葉変化遊び)と関連付けて解釈する研究者もいる(畑山,1996;原,1999;澤口,2021)。

 二疋(ひき)の蟹(かに)の子供らが青じろい水の底で話てゐました。

『クラムボンはわらつたよ。』

『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』

『クラムボンは跳てわらつたよ。』

『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』

   (中略)

『それならなぜクラムボンはわらつたの。』

知らない。』 

   (中略)

 つうと銀のいろの腹をひるがへして,一疋(ぴき)の魚が頭の上を過ぎて行きました。

『クラムボンは死んだよ。』

『クラムボンは殺されたよ。』

『クラムボンは死んでしまつたよ………。』

『殺されたよ。』

『それならなぜ殺された。』兄さんの蟹は,その右側の四本の脚の中の二本を,弟の平べつたい頭にのせながら云(い)ひました。

わからない。

                   (宮沢,1986)下線は引用者による

 

この引用文では〈魚〉と〈クラムボン〉の関係が記載されている。「サワガニ」(十脚目サワガニ科;Geothelphusa dehaani  (White,1847);第2図)と思われる兄弟の〈蟹〉が「クラムボンが死んだよ」と話をしている。また,弟には〈クラムボン〉が〈魚〉に殺されたと信じられている。鳥である〈カワセミ〉が〈魚〉を水中から食料として連れ去ったのは谷川で起こった事実と思われるが,〈クラムボン〉は本当に〈魚〉によって殺されたのであろうか。事実関係を文章の記述から検証してみたい。

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第2図.サワガニ.

1)跳ねることができる川底の小生物

最初に,〈クラムボン〉がどんなものか推測してみる。〈クラムボン〉は,〈蟹〉の兄弟には「笑う」あるいは「跳ねる」(初期形では「立ち上がる」)生き物のように見えている。物語には「小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈です」とあるので,〈クラムボン〉も川底にいる可能性が高い。「跳ねる」とあるので,川底では「川底から弾みがついて水中に上がる」という意味であろう。渓流に住む生物で川底にいるのは,カワゲラ,トビケラ,カゲロウなどの水生昆虫の幼虫,ヌカエビなどのエビ類,サワガニあるいはカワシンジュガイなどの二枚貝である。このうち,「跳ねる」(あるいは立ち上がる)ことができる生物は何であろうか。

 

水生昆虫は,泳ぎながら移動する遊泳型,急流中の石面に生息する固着型,河床を脚で匍匐(ほふく)して移動する匍匐型,土中で生活している掘潜型に分類される。固着型や匍匐型の水生昆虫は「爪」,「吸盤」,「粘液」などを使って石面などに固着して普段あまり移動しないか,移動しても近傍の範囲に限られるという(竹門,2005)。多分,動きの鈍い固着型や匍匐型の水生昆虫は跳ねれば早い水流で流されて〈魚〉の標的にされてしまう。身の危険に晒されることはしないだろう。「跳ねる」ことが想定されるのは動きが素早い遊泳型である。「カゲロウ」の仲間で「フタオカゲロウ科」あるいは「ヒメフタオカゲロウ科」の幼虫は体が流線形(紡錘形)で泳ぐのに適している。具体的には「ナミフタオカゲロウ」(並双尾蜉蝣:Siphlonurus sanukensis Takahashi,1929)や「ヒメフタオカゲロウ」(姫双尾蜉蝣;Ameletus montanus Imanishi,1930)などである。

 

「ヒメフタオカゲロウ」の「ヒメ(姫)」は小さい,「フタオ(双尾)」は成虫に尾が2本あるから。「ヒメフタオカゲロウ」の幼虫は,河川蛇行部の内側あるいは巨岩の下流の淀みあるいは石の下に潜んでいる。「ナミフタオカゲロウ」の幼虫は,体長16mm内外,山地渓流に生息し,羽化が近づくと浅瀬に集まり,人が近づくと飛び跳ねるという(丸山・花田,2016)。釣り人はこれら「カゲロウ」の幼虫を,ピンピン「跳ねる」ように泳ぐことから「ピンチョロ」と呼ぶ。

 

「カゲロウ」は昆虫なので,幼虫にも哺乳類と同様に口部には上唇と下唇がある。口唇は母乳で育つ哺乳類の特徴であるが,なぜか昆虫にもある。人間は「笑う」と上唇と下唇の接合部である「口角」が上がる。だから,「ヒメフタオカゲロウ科」などの幼虫は,「口角」を上下に動かせるとすれば,それを上げて笑ったように見せることは可能かもしれない。

 

「サワガニ」やエビ類はどうであろうか。ネットでヤマトヌマエビが水槽内で「跳ねる」という記載を見つけた。渓流に生息する小さなエビ類も「跳ねる」可能性はある。

 

渓流の二枚貝も「跳ねる」可能性がある。海に棲む二枚貝ではあるが,イタヤガイ科の「ホタテガイ」の成貝は「跳ね」たり泳いだりすることが知られている。大正11年の矢倉(1922)の『介類叢話・趣味研究』にも「ホタテガイ」が「飛躍し,殻を互いに烈しく開閉して前進する」と記載してある。また,渓流に棲む「カワシンジュガイ」と同じイシガイ科の「イケチョウガイ」や「ドブガイ」の稚貝(殻高0.3mm程)が殻を開閉しながら移動する姿が報告されている(伊藤ら,2015)。すなわち,二枚貝の中には「跳ねる」だけでなく「かぷかぷ」と笑ったように殻を互いに開閉して移動するものがいる。

 

〈カワセミ〉は全長17cm位なので,この鳥が捕食する〈魚〉もこの長さを超えることはないと思われる。さらにこの〈魚〉が捕食できる二枚貝の大きさも,〈魚〉の口の大きさからすれば1cmを超えないと思われる。多分,〈魚〉に捕食される〈クラムボン〉を二枚貝とすれば,イシガイ科の「カワシンジュガイ」(Margaritifera laevis (Haas,1910))の稚貝あるいは若い成貝が候補に挙がる。〈クラムボン〉を二枚貝とする説は,すでに報告されている(小野・小野,2016)。「クラム(clam)」は英語で二枚貝のことで,「ボン」(坊)は子供ということらしい。

 

ただし,この「クラム(clam)」には疑問もある。「クラムボン」の「ム」と「ボ」は両方とも発声時に両唇を閉じる動作があり,「ム」の母音である「ウ(u)」の動作から「ボ」の破裂音の発声は難しい。賢治は明治生まれ(戦前)の人なので,歴史的仮名遣いで作品を書いている。歴史的仮名遣いで「ム(mu)」は「ン(n)」と発音することがあるので,〈クラムボン〉は現代表記では〈クランボン〉である可能性もある。また,〈クランボン〉としたときの「クラン(clan)」は英語で「一族」の意味であり二枚貝ではない。

 

以上のように,「跳ねる」を基に〈魚〉に捕食される〈クラムボン〉を推測すると「カゲロウ」などの水性昆虫の幼虫,二枚貝の稚貝,小エビなどが候補に挙がる。後述(次稿)するが「カゲロウ」は水中の石の上あるいは水面で脱皮するときに,「カワシンジュガイ」は川底にいるときに「立ち上がる」こともできる。

 

2)食物連鎖との関係

〈クラムボン〉を「カワシンジュガイ」の稚貝や小エビとすれば,これを捕食する〈魚〉は何であろうか。特に堅い殻を持つ二枚貝を捕食できる〈魚〉は,この殻も砕くことができる「咽頭歯(いんとうし)」を持つコイ科の〈魚〉であろう。

 

雑食性のコイ科の「フナ」が「ドブガイ」を捕食している可能性のあることも報告されている(東垣ら,2018)。童話『やまなし』に登場する〈魚〉の特徴(体色)は,「銀色の腹」を持つことと,「鉄いろに変に底びかり」することである。「鉄いろ」とは,青みが暗くにぶい青緑色あるいは「くろがね」と呼ばれるような黒っぽい鉄の色である。

 

すなわち,〈魚〉の腹は銀色で側面は青緑色あるいは黒色である。ならば,この体色の特徴を持つ渓流に棲むコイ科の〈魚〉は何であろうか。ウグイ,エゾウグイ,アブラハヤが候補に挙がる。しかし,「ウグイ」の体色は焦げ茶色を帯びた銀色である。物語の季節が5月で「ウグイ」の繁殖期(3~5月)の体色(婚姻色)を考慮しなければならないが,このときの体色も3本の朱色の条線を持つことを特徴とする。黒ではない。「アブラハヤ」も黒い小斑が散在するが体色は黄褐色である(婚姻色は現れない)。すなわち,〈クラムボン〉を二枚貝(稚貝,若い成貝)とすると,〈クラムボン〉→〈魚〉→〈カワセミ〉という食物連鎖は物語の中では成立しそうにない。

 

一方,〈クラムボン〉をカゲロウとすれば,〈クラムボンと呼ばれる水生昆虫の幼虫〉→〈魚〉→〈カワセミ〉という食物連鎖は成立するように思われる。

 

体色が青緑色あるいは黒をイメージできる〈魚〉として,サケ科の「ヤマメ」あるいは「イワナ」がいる。「ヤマメ」の体型はやや側偏し,背側はわずかに緑色をおびた黄褐色で,腹部は白い。体側には幼魚期の特徴である,7~10個の暗青色の幼魚紋(パーマーク)が並列し,背側から側線にかけて小点が散在し,側線に沿って淡い赤色帯が通っているものも見られる。下北半島の「ヤマメ」は濃い青緑色でもある。また,雄は繁殖期(10~11月)になると黒色になる(婚姻色)。「イワナ」の体色は緑褐色か灰色で厳冬期は黒(サビ)くなる。

 

しかしながら,谷川の食物連鎖は〈クラムボン(水生昆虫の幼虫)〉→〈魚〉→〈カワセミ〉以外に,「藻」→〈クラムボン〉→〈カワセミ〉あるいは〈魚の死体〉→〈蟹〉→〈カワセミ〉もあり得る。ネット上で〈カワセミ〉が〈蟹〉を捕食した写真を見ることもできる。すなわち,〈クラムボン〉や〈蟹〉も〈カワセミ〉の捕食の対象になるはずである。鋭い観察力のある賢治がこれを知らないはずはない。しかし,〈蟹〉の父親は子供達に「おれたちはかまはないんだから」と言っている。この父親の言動は自然界の食物連鎖の厳しい掟からすれば矛盾している。

 

さらに,注目すべきは,物語で〈蟹〉が水中で泡を出していることである。「カニ」は陸上では泡を出すが水中では泡をださないと思われる。これも賢治は知っていたかもしれない。〈蟹〉は水中ではエラ呼吸だが,陸に上がると体にため込んだ水を使って呼吸する。少量の水を循環させて使うので泡が立つのだという(九頭見,1996)。すなわち,童話は自然界における食物連鎖のほんの一部を語っているにすぎない。また自然を忠実に描写してはいないので,自然界の食物連鎖がこの童話のメインテーマとは思われない。

 

2.クラムボンは本当に魚に殺されたのか

〈蟹〉の兄弟,特に弟の見間違いだったのかもしれない。なぜなら,兄弟が会話しているときは谷川の川底は,まだ日が射していない,薄暗い状態であった。父親も〈カワセミ〉の目は「黒い」(水中では瞬膜で覆われるので灰色?)のに「赤い」と言ってみたり,〈蟹〉は夜行性なのに月夜の晩に子供たちに早く寝ろと指図していたりしている。〈蟹〉の父親と弟の発する言葉は曖昧な点が多い。

 

さらに,兄が「その右側の四本の脚の中の2本を,弟の平べったい頭にのせながら」,「それならなぜ殺された」と尋ねたとき,弟は「わからない」と答えている。人間社会では,大人が子供の頭に手を乗せるときは,愛情表現の「しかる」,「ほめる」,「なだめる」という気持ちを示しているという。しかし,兄弟でそのようなことをするであろうか。もしかしたら,兄が弟の話したことの真意を確かめようとしたのかもしれない。

 

賢治はジークムント・フロイト(1856~1939)の「精神分析」を学んでいた。フロイトの精神分析法の中に「前額法(ぜんがくほう)」というのがある。例えば,ヒステリーの症状のある患者(ドイツ語でKuranke)に,「いつからこの症状が現れましたか」,「原因は何ですか」と質問して,「私にはわかりません」と答える患者がいた場合,片手を患者の額に置き,「こうして私が手で押さえていると,今に思い浮かびますよ。私が押さえるのを止めた瞬間にあなたには何かが見えるでしょう。さもなければ何かが思い浮かぶでしょうから,それを教えてください」と言う。この方法でフロイトは患者のヒステリーの原因を突き止めた(中野,2011)。

 

多分,兄は弟の言葉を疑っていて,精神分析医になったつもりで手の代わりに脚を弟の頭に乗せたのだと思われる(蟹は十脚目に分類されるので手はない)。しかし,弟は発言を裏付けるものが思い浮かばないので,兄の質問に対して「わからない」としか答えられなかった。

 

すなわち,兄は薄暗い状態の中での弟の言葉を信じていない。弟は「うそ」をついているか,噂を鵜呑みにしているのだと思われる。賢治は,〈クラムボン〉と〈魚〉の関係に関して,〈クラムボン〉の本当の名を隠して何か言いたいことがあるようである。

 

3.谷川の二枚貝と魚は遠い昔からここに棲んでいたのか

ここで谷川に棲む〈クラムボン〉と〈魚〉の出自について考察しておく。〈クラムボン〉の候補に挙がっている二枚貝の「カワシンジュガイ」は,氷河時代にロシアのサハリン州(樺太)やシベリア方面から日本列島に分布を広げ,その後氷河時代の終わりごろ(1万年前)に取り残された北方系の「遺存種」と考えられている。賢治が童話の中で想定している〈クラムボン〉が,二枚貝とすれば,多分在来種として石器(縄文)時代の昔から命を繋ぎながら棲んでいたと思われる。

 

「カワシンジュガイ」(アイヌ語でpipa・ピパ)の殻は,「アイヌ」が昭和初期まで「アワ(粟)」(Setaria italica(L.)P.Beauvois)などのイネ科植物の穂を摘み取るときに使う道具の材料に使っていた(石井,2019)。ちなみに,数万年生命を繋いできた「カワシンジュガイ」は大規模な河川改修工事などで数を減らし現在は絶滅危惧種となった(岩手県ではⅡ類Bランク)。明治時代に「アイヌ」が「滅び行く民」と言われていたことを考えると,明治維新後における日本の急速な近代化は必ずしも成功したとは言い切れないところがある。  

 

日本の「カゲロウ」は,これまで13科39属142種が確認されている(石綿・竹門,2005)。前述した「跳ねる」ことが可能な遊泳型の「ナミフタオカゲロウ」と「ヒメフタオカゲロウ」もこの中に含まれる。この2種の「カゲロウ」は「在来種」である可能性が高い。「サワガニ」(日本固有種)や「カワセミ」(Alcedo atthis bengalensis (Gmelin,1788):留鳥)も在来種であろう。

 

一方,「イワナ」,「ヤマメ」などの渓流魚はどうであろうか。これら〈魚〉は日本固有種であるが「在来種」であるかどうかは疑わしい。国立環境研究所(2017)の侵入生物データベースによれば,「イワナ」は在来種だけでなく,国内外来種(移入種)も混入しているとなっている。また「ヤマメ」も移入種が入っているが詳細は不明とある。

 

移入種とは日本固有種であるが,本来の生息域ではない場所に人為的に持ち込まれたものである(移植放流など)。例えば,数十メートルもあるような滝上で「イワナ」や「ヤマメ」を見かけることも珍しいことではない。また,大地震などの災害があればその地域の河川の魚類は絶滅することもあるという。鈴野(1993)は,「今日の渓流魚の分布域の過半は,山中の自然採取・加工に従事したマタギ,木地屋(きじや),木樵(きこり),炭焼き,山菜採り,職漁(しょくりょう)などの山村住民の幾重なる移植や放流-漁場の深耕により形成されたもの」としている。特に,「マタギ」はこの移植や放流に積極的であったという。

 

秋田マタギの故郷である阿仁町には「小沢を持っている」という言葉がある。これは魚止の滝上に人知れず「イワナ」を放流し,隠し沢とも言うべき自前の漁場を持つことを称したものであるという。すなわち,渓流魚の「イワナ」や「ヤマメ」には,「カワシンジュガイ」,「カゲロウ」,「サワガニ」に対しては「よそ者」として存在しているものもいる。

 

4.物語はけっして名前を明かすことのできない女性との恋物語か

1)〈魚〉と〈クラムボン〉の関係

〈魚〉は〈クラムボン〉の周りを行ったり来たりしている。しかし,〈クラムボン〉が〈魚〉を恐れているとは記載されていない。〈蟹〉の兄には「何か悪いことをしてるんだよとつてるんだよ」というように見えている。

 魚がまたツウと戻つて下流の方へ行きました。

『クラムボンはわらつたよ。』

『わらつた。』

 にはかにパツと明るくなり,日光の黄金(きん)は夢のやうに水の中に降つて来ました。

   (中略)

 魚がこんどはそこら中の黄金の光をまるつきりくちやくちやにしておまけに自分は鉄いろに変に底びかりして,又上流(かみ)の方へのぼりました。

『お魚はなぜあゝ行つたり来たりするの。』

弟の蟹がまぶしさうに眼を動かしながらたづねました。

何か悪いことをしてるんだよとつてるんだよ。

とつてるの。

『うん。』

 そのお魚がまた上流から戻つて来ました。今度はゆつくり落ちついて,ひれも 尾も動かさずたゞ水にだけ流されながらお口を環(わ)のやうに円くしてやつて来ました。その影は黒くしづかに底の光の網の上をすべりました。

『お魚は……。』

 その時です。俄(にはか)に天井に白い泡がたつて,青びかりのまるでぎらぎらする鉄砲弾(だま)のやうなものが,いきなり飛込んで来ました。 

                  (宮沢,1986)下線は引用者による

 

谷川の川底に日の光が届くようになると,川底に集光模様と思われる「光の網」が現れ,〈魚〉の体色まではっきり識別できるようになる。このとき〈魚〉が何をしているのかも明らかになってくる。多分,〈魚〉は〈クラムボン〉に求愛していたのであろう。〈魚〉は「ツウ」として〈クラムボン〉の周りを行ったり来たりしている。研究者によっては,「ツウ」は擬態語で〈魚〉が音もなく「すうっ」と通過している様とみなしている。しかし,筆者には,この「ツウ」は「ツ」と「チ」を区別しない東北弁の「チウ」(「口づけ」の擬音?)ではないかと思っている。多分,〈魚〉は口をとがらせて,あるいは鼻の下を伸ばして〈クラムボン〉に迫っているのだと思う。

 

「ヤマメ」の雄は繁殖期に鼻先が伸びて曲がる(鼻曲がり)。〈蟹〉の兄弟には笑ったり死んだり見えるのは,〈クラムボン〉を二枚貝と仮定すれば,二枚貝が2枚の殻を「かぷかぷ」と開閉させて「会話」したり,殻をずっと閉じて「沈黙」していたからと思われる。「カゲロウ」なら口角を上げたり下げたりしていたのかもしれない。〈魚〉と〈クラムボン〉は周囲には恋愛と知られないように慎重に行動しているように思われる。

 

2)寓話『シグナルとシグナレス』や『土神ときつね』との類似性

この求愛の様子を『やまなし』と同じ年に創作された寓話『シグナルとシグナレス』の擬人化された〈本線の信号機シグナル〉と〈軽便鉄道の小さな腕木式信号機シグナレス〉の会話で再現してみる。ちなみに,〈シグナレス〉はシグナル(signal)に[-ess]を付けて女性名詞化した造語である。〈シグナル〉は新式で夜に電燈が点くが,〈シグナレス〉は木製で夜もランプである。この寓話と後述する『土神ときつね』は,賢治の異性との恋愛体験を基に書いたとされている(堀尾,1984;澤口,2018)。

 

〈魚〉と〈シグナル〉には賢治が,〈クラムボン〉と〈シグナレス〉には恋人がそれぞれ投影されているとすれば,〈魚〉と〈クラムボン〉あるいは〈シグナル〉と〈シグナレス〉は相思相愛の仲である。〈シグナル〉は一生懸命努力して〈シグナレス〉から結婚の約束を取り付けようとするが,〈シグナレス〉が躊躇していて色よい返事がもらえない。そんなとき〈シグナル〉の後見人とされる〈本線シグナル付きの電信柱〉が二人の会話に割り込んで「若さま,いけません。これからはあんなものに矢鱈(やたら)に声をおかけなさらないやうにねがひます」と言ってしまう。〈シグナル〉は決まり悪そうにするが,気の弱い〈シグナレス〉は「まるでもう消えてしまふか飛んでしまふかしたい」気持ちになってしまう。この後しばらくして二人の会話が以下のように続く。 

『又あなたはだまつてしまつたんですね。やつぱり僕がきらひなんでせう。もういゝや,どうせ僕なんか噴火か洪水か風かにやられるにきまつてるんだ。』

『あら,ちがひますわ。』

『そんならどうですどうです,どうです。』

『あたし,もう大昔からあなたのことばかり考へてゐましたわ。』

本当ですか,本当ですか,本当ですか。

『えゝ。』

『そんならいゝでせう。結婚の約束をしてください。』 

   (中略)

『約婚指輪(エンゲーヂリング)をあげますよ,そらねあすこの四つならんだ青い星ね』

『えゝ』

『あの一番下の脚もとに小さな環が見えるでせう,環状星雲(フイツシユマウスネビユラ)ですよ。あの光の環ね,あれを受け取つて下さい,僕のまごころです』

『えゝ。ありがとう,いただきますわ』

『ワツハツハ。大笑ひだ。うまくやつてやがるぜ』

 突然向ふのまっ黒な倉庫が,そらにもはばかるやうな声でどなりました。二人はまるでしんとなつてしまひました。

                    (宮沢,1986)下線は引用者による

 

2つの物語で〈シグナル〉と〈シグナレス〉あるいは〈魚〉と〈クラムボン〉は「沈黙」(殺された?)の後に「会話」(あるいは笑い)を始めるが,お互いに「思い」が通じ合ったと了解したとき〈シグナル〉は「本当ですか,本当ですか,本当ですか」と喚起の雄叫びをあげ,〈魚〉は「夢のやうに水の中」で自らを「まるつきりくちやくちや」にして喜ぶ仕草をする。『シグナルとシグナレス』では,この後〈シグナル〉が琴座の環状星雲を「約婚指輪(エンゲーヂリング)」(婚約指輪のこと)に見立てて相手に差し出している。

 

〈シグナル〉が〈シグナレス〉に渡す婚約指輪は,『新宮澤賢治語彙辞典』によれば琴座のα,β,γ,δ四星の作る菱形をプラチナリングに,環状星雲M(メシエ)57を宝石に見立てたものであるという(原,1999)。『やまなし』では婚約指輪と記載されていないので分かりにくいが,〈魚〉は〈クラムボン〉に婚約指輪を渡そうとしている。

 

〈魚〉が「ひれ」も尾も動かさずに「お口を環のやうに円くして」やってくるときの「魚の口」が「婚約指輪」に相当する。『シグナルとシグナレス』にでてくる宝石に相当する環状星雲には「フイツシユマウスネビユラ」のルビが振ってある。〈魚〉は自らの口を「環のやうに円く」して婚約指輪であることを示して〈クラムボン〉に求愛している。このとき〈魚〉の体が「鉄いろに変に底びかり」する。これは「婚姻色」のことである。〈魚〉を「ヤマメ」とすると「婚姻色」は黒である(特に頭部が黒くなる)。「ヤマメ」の繁殖期は秋であるが,この「ヤマメ」は春に発情して黒くなり鼻先も伸びている。「変に底びかり」の「変」はそのことを言っていると思われる。すなわち,季節を考慮すれば通常あり得ない「変な現象」なのである。

 

「フイツシユマウスネビユラ」の婚約指輪は,この2つの物語以外では寓話『土神ときつね』(1923年頃)でも登場する。この寓話は,南から来たハイネの詩を読みドイツ製ツァイスの望遠鏡を自慢するよそ者の〈きつね〉が北のはずれにいる土着の〈樺の木〉に恋をするが,東北からやって来る土着の神である〈土神〉がこれに嫉妬して〈きつね〉を殺してしまう物語である。この寓話で〈きつね〉は〈樺の木〉に「環状星雲」を望遠鏡で見せる約束をする。そして,〈樺の木〉は「まあ,あたしいつか見たいわ」と答える。この環状星雲を〈きつね〉は「魚の口の形ですから魚口星雲(フイツシユマウスネビユラ)とも云ひます」と説明する。〈きつね〉が「環状星雲」を見せると約束し,〈樺の木〉が見たいと答えたことで婚約が成立しそうになっている。この〈樺の木〉は,童話『やまなし』にも登場する。 

 

しかし,〈魚〉と〈クラムボン〉の結婚は,『シグナルとシグナレス』,『土神ときつね』と同様に,周囲の者たちからは歓迎されていない。兄の〈蟹〉が「何か悪いことをしてるんだよとつてるんだよ。」と言っている。〈魚〉が〈クラムボン〉に婚約指輪を渡そうとしたとき,〈魚〉は鉄砲玉のように飛び込んでくる〈カワセミ〉に捕食されてしまう。多分,〈カワセミ〉は谷川に鎮座する先住土着の「山の神」(鬼神)の化身であろう。

 

すなわち,童話『やまなし』は,よそ者(移入魚としてのヤマメ)が先住土着の家にいる娘(クラムボン)に恋をして求婚しようとするが,土着の神(「山の神」としてのカワセミ)から手荒い仕打ちを受けたという物語であると思われる。

 

5.賢治の恋愛体験

賢治は,『やまなし』,『土神ときつね』,『シグナルとシグナレス』を書いたとされる年(1923年)の直前(賢治は農学校の教員で26歳ごろ)に,短期間(1年間ほど)だが相思相愛の恋をしていたとされている(佐藤,1984;堀尾,1984;澤口,2018)。

 

破局後に相手の女性は,渡米(シカゴ)していて3年後に異国の地で亡くなった。花巻の賢治研究家である佐藤(1984)によれば,この女性は,賢治と同じ花巻出身(賢治の家の近く)で,小学校の代用教員をしていた。賢治より4歳年下の背が高く頬が薄赤い色白の美人であったという。かなり熱烈な恋愛であったらしい。その後,宮沢家から相手側に結婚の打診がなされ,近親者の中には,二人の結婚を予想しているものも多かったという。しかし,両家の近親者たちの反対もあり破局した。破局の理由はよくわかっていないが,筆者は両者の出自の違いや,それにともなう両家あるいは近親者たちの歴史的対立が背景にあると推測している。

 

賢治の家(あるいは一族)は京都出身であることは堀尾青史の作成した年譜などでよく知られている。また,花巻では「宮沢まき」と呼ばれる地方財閥の一員でもある。一方,恋人の家(あるいは近親者)は少なくとも宮沢一族が花巻に移住する前から住んでいたと思われる。天皇を中心とした中央政権と東北の「先住民」との対立は,朝廷側からすれば蝦夷征討とも呼ばれ,京都に都を置いた平安時代まで続く。さらに,その対立の影響は鎌倉,江戸時代の武家中心の時代および明治維新後の賢治の生きた時代にまで及んだ。だから賢治は恋の破局の一因になったと思われる両家の歴史的ルーツの違いには並々ならぬ関心を寄せたと思われる。

 

本稿では植物についての検討はしなかったが,この童話が従来の生存競争についてではなく悲恋物語について書かれてあるという新たな説を得ることができた。これは,澤口(2018)の説を支持するものでもある。次稿では賢治の他の作品に登場する植物に着目することでこの説が裏付けられるかどうか検討する。

 

参考・引用文献

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畑山 博.1996.『宮沢賢治〈宇宙羊水〉への旅』.日本放送出版協会.東京.

東垣大裕・學田青空・相馬理央.2018.兵庫県東橎磨地域のドブガイの分布と局所絶滅を引き起こす要因.日本陸水学会近畿支部会第29回研究会発表会 203-205.

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本稿は,人間・植物関係学会雑誌20巻第2号59-65頁2021年(3月31日発行)に掲載された自著報文「宮沢賢治の『やまなし』の謎を植物から読み解く-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語 前編-」(種別は資料・報告)に加筆・修正したものである。題名が長いので,本ブログでは短くしている。原文あるいはその他の掲載された自著報文は,人間・植物関係学会(JSPPR)のHPにある学会誌アーカイブスからも見ることができる。http://www.jsppr.jp/academic_journal/archives.htm    ただし,学会誌アーカイブスでの報文公表は、雑誌発行から1~2年後になる予定。