宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

ガラスマントの宅急便-ヤシの謎-(試論)

賢治の童話『風野又三郎』(1924年2月12日以前の作)は,いきなり何の前触れもなく「九月一日 どっどどどどうど どどうど どどう」という風の音の擬音で始まる。この作品に登場する「又三郎」は,「ガラスのマント」と透きとおる「沓(くつ)」を履いて空を駆け巡る風を擬人化した「風の精」である。科学的な根拠に基づいて,風が我々人間や植物にどのような役割を果たしてきたか,あるいは気象現象である大気の「大循環」を使って旅したことついて,「風の精」の言葉を通して村の子どもたちに語る物語である。「大循環」とは,地球上では赤道付近と極地付近の気温差による大気の大循環をさす。植物は,ザクロ,マツ,イネ,ヤナギ,ガガイモ(草綿とも呼ぶ),リンゴ,ナシ,キュウリ,マルメロ,カラスウリ等たくさん登場し,風との関係が丁寧に説明される。

 

例えば,村の子どもの一人が「又三郎」に傘を壊されるなどの悪戯をされたことに腹を立て,「汝(うな)などぁ悪戯(いたづら)ばりさな。傘(かさ)ぶっ壊(か)したり」,「樹(き)折ったり」,「稲も倒さな」といって悪たれをつくと,風の精である「又三郎」は「いゝことはもっと沢山するんだよ」,「僕は松の花でも楊(やなぎ)の花でも草棉の毛でも運んで行くだらう。稲の花粉だってやっぱり僕らが運ぶんだよ。それから僕が通ると草木はみんな丈夫になるよ」と言って答えたりする。

 

さらに,海岸に吹く風にも言及していて,「海岸ではね,僕たちが波のしぶきを運んで行くとすぐ枯れるやつも枯れないやつもあるよ。苹果(りんご)や梨(なし)やまるめろや胡瓜(きうり)はだめだ,すぐ枯れる,稲や薄荷(はくか)やだいこんなどはなかなか強い,牧草なども強いねえ。」と,その博識ぶりを披露する。

 

確かに,多くの植物は海岸が苦手のようだ。真水が得られにくく,潮風や日差しが強いので乾燥しやすいからである。そこで海岸で生息することを選んだ植物は,葉を厚くし,風を避けるため茎を横に這わせるとか,果実や種子などの散布体では果皮や種皮が発達し海水に浮きしかも耐塩性を持たせるようにした。

 

しかし,この作品に登場してくる植物の中で,大気の「大循環」の説明に登場する「ヤシ」(ヤシ目ヤシ科に属する植物の総称)の木が不可解なのだ。これまでの賢治の作品には,マツ,クリ,ヤナギなど我々になじみのある木々が多数登場してくるので,「ヤシ」という見慣れない南国の木が突然出てくると違和感をもってしまう。赤道直下が重要なら「ヤシ」が生えていないところでも良いはずだ。なぜ,「ヤシ」の木を作品に組み込んだのだろうか。賢治のことだから,「ヤシ」が潮風に強いとか,熱帯地方の情景描写に相応しいという理由で取り上げたとは思えない。

 

「ヤシ」といえば,島崎藤村の有名な「椰子の実」という歌を思い出す。遠き島より椰子の実が流れ着いたという内容の歌である。島崎藤村は明治の詩人なので,「椰子の実」の歌は賢治も当然知っていたはずである。しかし,ここでは「ヤシ」の「木」は登場しても「ヤシ」の「実」は出てこない。大気の「大循環」と関係するかどうかは分からないが,黒潮に乗って南の島から「椰子の実」が日本に漂流してくるという話ではないのだ。

 

まず「大循環」の旅を作品にそって説明すると,始まりは赤道直下の中部太平洋に散在する「ギルバート群島」※辺りにあり,そこには「大循環志願出発線」という標識があって,上昇気流に乗って空高く上る。天空に上がった後,北極経路と南極経路の2つのコースに分かれるが,作品では北極経路のみが紹介されている。すなわち,赤道上空から,ハワイ,グリーンランドを通過して北極に至る。帰路は一端下降して海の上を通って,ベーリング海峡,太平洋を渡って北海道へ向かうというものだ。北極から1ヶ月で津軽海峡へ到達できると言っている。

 

「ヤシ」の木が登場する「大循環」の説明では,次のように記載されている。

 赤道には僕たちが見るとちゃんと白い指導標が立ってゐるよ。お前たちが見たんぢゃわかりゃしない。大循環志願者出発線,これより北極に至る八千九百ベヱスター南極に至る八千七百ベヱスターと書いてあるんだ。そのスタートに立って僕は待ってゐたねえ,向ふの島の椰子(やし)の木は黒いくらゐ青く,教会の白壁は眼へしみる位白く光ってゐるだらう。だんだんひるになって暑くなる,海は油のやうにとろっとなってそれでもほんの申しわけに白い波がしらを振ってゐる。

 ひるすぎの二時頃になったらう。島で銅鑼(どら)がだるさうにぼんぼんと鳴り椰子の木もパンの木も一ぱいにからだをひろげてだらしなくねむってゐるやう,赤い魚も水の中でもうふらふら泳いだりじっととまったりして夢を見てゐるんだ。その夢の中で魚どもはみんな青ぞらを泳いでゐるんだ。青ぞらをぷかぷか泳いでゐると思ってゐるんだ。魚といふものは生意気なもんだねえ,ところがほんたうは,その時,空を騰(のぼ)って行くのは僕たちなんだ,魚ぢゃないんだ。もうきっとその辺にさへ居れや,空へ騰って行かなくちゃいけないやうな気がするんだ。けれどものぼって行くたってそれはそれはそおっとのぼって行くんだよ。椰子の樹(き)の葉にもさはらず魚の夢もさまさないやうにまるでまるでそおっとのぼって行くんだ。・・・・僕たちはもう上の方のずうっと冷たい所に居てふうと大きく息をつく,ガラスのマントがぱっと曇ったり又さっと消えたり何べんも何べんもするんだよ。                       

                     (『風野又三郎』宮沢,1986)                 注:ベヱスターとは長さの単位で1.067 km

 

ここで,「ヤシ」の木を取り巻く環境は,「だんだんひるになって暑くなる,海は油のやうにとろっとなってそれでもほんの申しわけに白い波がしらを振って」とか,「銅鑼(どら)がだるさうにぼんぼんと鳴り」とか,「椰子の木もパンの木も一ぱいにからだをひろげてだらしなくねむってゐるやう」とか,「夢の中で魚どもはみんな青ぞらを泳いでゐるんだ」というように,波の音を聞きながら,いまにも眠ってしまいそうなけだるいものがある。まるで,母親の子宮にある羊水の中でまどろんでいる胎児をイメージさせる。

 

個人的な話だが,動悸と息切れがひどくなり入院したことがある。心室性頻拍と胸水貯留を伴った原因不明の胸膜炎という診断をうけ安静を命じられた。胸に心電図を測定するための電極と看護ステーションのモニターに電波を飛ばす発信装置を持たされ,四六時中監視を受けることになった。普通,心臓は1分間に60~80回くらい拍動し,その拍動毎に心電図上にそれぞれ3つの高さの異なるピークをもつ波形を刻むのだが,心室性頻拍が発生すると通常の2倍以上の拍動となり,心電図上にはこれらピークが失われた異常波が出現する。

 

拍動が早くなれば血液の循環が良くなると思われがちだが,2倍以上にもなると逆に危険なのだ。心臓がただ振るえているだけで血液を送り出さなくなる。意識を失ってしまう。さらに長時間持続すれば命も落としてしまう。だから,この異常波がある一定時間以上持続すると看護ステーションに待機している看護師が様子を伺いに病室に駆けつけてきた。

 

最初は,この異常波が出現しても持続時間が短かったせいかほとんど気がつかなかった。だから,看護師が駆けつけてきても,何の用事できたのか分からないことが多かった。ときたま,頻拍が少しばかり続くと,意識がぼおっとなって初めて頻拍が出ていたのかなという感じであった。しかし,これが繰り返され,さらに持続時間が長くなり始めると不安になった。退院しても,初期段階でこの異常波を自分でキャッチできなければ通勤中,あるいは仕事中突然倒れてしまうかもしれないと思ったからである。そこで,医師にこの心電図上の異常波が発生しているとき,自分の身体ではどのように感じるのか知りたいから心電計を貸してくれるようにお願いした。しかし,この願いは受け入れてもらえなかった。

 

そこで,それから毎日毎日,腕の脈を取ったり,枕に耳をあてたりして心臓から伝わってくる鼓動の響きを聞き入った。1週間くらいして,通常は「どっどっどっどっど」であるが,たまに脈が飛んで「どっどっどっ どど」といった響きを感じるとることが出来るまでになった。しかし,まだ,響きをまったく感じない時間帯の方が多かった。ある晩,病院内が静まり返っているとき,とても小さな響きだったが「どどどどどどどどど」と数えるのが困難なほどの早いテンポの音を聞いた。なにか,地響きが体の中に伝わってくるような感触だった。その後しばらくして,頭が熱っぽくぼおっとなった。これが,心室性頻拍の発生だったことはすぐに理解できた。夜中にも係わらず,看護師が病室に駆けつけてきたからだ。看護ステーションのモニター上に異常波が出現した時間と私が異常感覚を認めた時間が一致した。

 

我々は,これまで心臓の鼓動は「ドキドキ」とか「ドキンドキン」というふうに何気なく学んできたような気がする。しかし,私の場合は,心臓の鼓動を胸腔に貯まった水を介して聞いていたのであろうか「どっどっどっどっ」や「どどどどどどどどど」といった柔らかな響きであった。小さな弱々しい音ではあったが「どどどどどどどどど」という音を聞くと,脳に血液へ行かなくなり命までもが吹っ飛んでしまいそうで恐ろしかった。

 

このとき,この心臓の音あるいは響きが,どこかで聞き覚えのある音であることに気がついた。賢治の童話『風野又三郎』に出てくる風の音である。一郎という少年が夢の中で以下のような風の歌をきく。

九月十日

「ドッドドドドウド,ドドウド,ドドウ,

ああまいざくろも吹きとばせ,

すっぱいざくろもふきとばせ,

ドッドドドドウド,ドドウド,ドドウ

ドッドドドドウド,ドドウド,ドドウ。」

             (『風野又三郎』宮沢,1986)

 

風の音は普通「ひゅうひゅう」と表現する。風の名作『水仙月(すゐせんづき)の四日』でも,賢治は風の音を「ひゆう,ひゆう,ひゆう,ひゆうひゆう」と表現している。なぜ『風野又三郎』では風の音が「ドッドドドドウド,ドドウド,ドドウ」なのだろうか。また,一郎が夢の中で聞いた歌に,なぜ「ザクロ」(Punica granatum L.)が登場するのだろうか。

 

ダイバーたちが海に潜って波の打つ音を聞くと心臓の鼓動のように聞こえるという。解剖学者の三木成夫は,胎児が母親の子宮内で聞く血流音もこの音だと推測している。心臓の拍動と呼吸の周期は密接な関係がある。心臓が鼓動を4つ打つ間に1つ呼吸する。また,呼吸のリズムは大海原の波打ちのリズムすなわち宇宙リズムと関係がある。無論,波は風によって引き起こされる。

 

「ヤシ」の実は見ようによっては心臓の形に似ている。また,果実の大きさは植物の中では最大級のものであり,心臓の形をしている「ヤシ」は「大循環」を回すポンプのシンボルとしてはうってつけの植物であったと思われる。すなわち,賢治は「ヤシ」の実という言葉こそ使っていないが,「ヤシ」を大気いやもっと壮大な宇宙「大循環」の中心すなわち心臓と位置づけたのではないのだろうか。

 

また,「ザクロ」の赤い果実と多数の種子は豊穣(ほうじょう)な子宮を表すとされている。賢治は無意識に風と対峙したとき宇宙羊水に連絡できる子宮に戻りそこから〈母〉の心臓の鼓動を聞きながら宇宙リズムと交感するのだ。

 

賢治の「こころ」は,宇宙羊水から解き放たれ「ガラスのマント」となって「大循環」に乗って宇宙全体へと拡散する。

 

引用文献

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

※:ギルバート諸島は,太平洋中西部にあり,赤道をはさんで南北に分布する16の環礁からなる島群である。ココヤシの実から作るコプラの生産地でもある。

 

 

本稿は,『植物と宮沢賢治のこころ』(蒼天社 2005年)に収録されている報文「ガラスマントの宅急便-ヤシの謎-(試論)」を加筆・修正にしたものです。

 

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〔談話室〕

-遠い島からやってきたのは椰子の実だけではない

 

植物は遠くまで種子を運ぶ方法をいろいろと考えてきた。その一つに果実を海に落として,遠い地の浜辺まで運んでもらうというものがある。ハマユウ,グンバイヒルガオ,ハマナタマメ,ゴバンノアシが一般的には知られているが,有名なものとしては郷土の詩人である島崎藤村の「椰子の実」に出てくるヤシあるいはその仲間(ココヤシ,ニッパヤシ)である。黒潮が流れ込む相模湾に面した三浦半島にもそのいくつかの種が漂着し,ハマユウ,ハマナタマメなどは実際に定着しているという。大磯の海岸でもハマユウ(ヒガンバナ科;第1図)を見かけるが漂着した種子から生育したものかどうかの確証はない。島崎藤村が晩年に住んだ家の近くにある学校の正門にも何本かのヤシがあるが植栽であろう。

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第1図.ハマユウ.

 

ところで,遠い南の島からやってきたのはヤシなどの植物だけではない。日本人の祖先もまた南の島からやってきた。解剖学者の三木成夫が面白い体験談を残している。

 私は何かに操られるようにその椰子の実を一個買い求めました。

  (中略)

 翌朝,当然のように早く目が覚め,さっそく表面のシュロ状のものをむしり取ろうとしましたが,そう簡単に片づくしろものではない。とうとう鋸を持ち出し,あっちこっちをガリガリ傷つけながら,悪戦苦闘の末,やっとの思いで,中の黒檀のような殻のところにまで到達したのです。横にじっとしゃがみ込んで見ている小さなすがたには,ほとんど構うことなく,おそるおそる錐で二ヶ所を開け,台所へとんでいってストローをとってきて一方の穴に突っ込み,何か夢遊病者のように吸ってみたのです。その瞬間 ―――――これは他人の味ではない,いったいおれの祖先はポリネシアではないか!と。それはほとんど確信に近い生命的な叫びでした。

                 (『海・呼吸・古代形象』 三木,1992)

 

どんな味がしたのだろう。私も一度は味わってみたいものだ。

なぜ,三木は自分の祖先がポリネシアだと推測できたのであろうか。彼の直観かもしれないが,当時,人類学の分野でポリネシア人と日本列島の縄文人との類縁関係を示唆する研究(片山,1996)がなされていたことも影響したのかもしれない。なお,賢治の童話『風野又三郎』に出てくるギルバート群島(諸島)には,現在ミクロネシア系の人々が主に居住しているが,ポリネシア系住民も住んでいるとのことである。

 

参考・引用文献

片山一通.1996.海のモンゴロイドの起原:東シナ海周辺にさぐる.地学雑誌 105(3):384-397.

三木成夫.1992.海・呼吸・古代形象 生命記憶の回想.うぶすな書院.東京.