宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

植物から宮沢賢治の『よく利く薬とえらい薬』の謎を読み解く(4)

 

前報では,〈大三〉が手に入れようとした「透き通ったばらの実」の正体が,「自分」を「さいはひ」にさせる手段としての「科学の力」であることを明らかにした。本編では,「葦」などの植物が物語に登場する意味を解明することによって,この童話に教師時代の賢治の恋物語が挿入されていることを明らかにする。

 

4.物語に挿入された教師時代の賢治の恋

1)授業や実習の様子

童話『よく利く薬とえらい薬』では,肥満の〈大三〉は鳥達から「人だらうか象だらうか」,「ふいごだらうか」,「大きな皮の袋だらうか」,「びくっくり,くりくり,」,挙げ句の果てには「何しに来た」とまで言われている。なぜ鳥達は〈大三〉を「ふいご」と呼ぶのであろうか。〈大三〉を農学校時代の賢治,鳥達を教え子の生徒とすると理解できるかもしれない。

 

賢治は1921年12月に稗貫農学校の教師となる。しかし,就職してしばらくの間は仕事に不安を持っていたようである。農学校時代の同僚は,「宮沢さんは,実地に百姓をやった経験はないし,生徒たちは純農家の出身が多かったものですから,実習には,はじめ気骨の折れたことだろうと思います。・・・なれないうちはみていると,気の毒なかせぎかたでした。」と述懐している(森,1990)。友人である保阪嘉内への手紙(1921年12月)にも「けむたがられています。笑はれて居りまする。授業がまづいので生徒にいやがられて居りまする。」と書いている。

 

「ふいご(鞴,吹子)」は中国や朝鮮半島から伝わったとされている。中国(漢時代)では「吹子」で「鉄」を得て農具を作ったとされる。我が国では『日本書紀』に「天羽鞴(あまのはぶき)」の名で最初に登場する(和鋼博物館,2015)。「鹿皮」で作られたものだという。賢治の農学校時代の写真の中に,坊主頭(くりくり坊主)で皮の上着を着て座っている写真(1924年)がある。この上着は,鹿皮の陣羽織を仕立て直したもので,授業以外で愛用していたという。着任時の賢治の体格は,身長が五尺四寸(約164㎝),胸囲三尺(約91cm),体重十六貫(約60㎏)で,当時としては大柄のほうで,ふっくらしていたという(堀尾,1991)。

 

また,目は象の目のごとく細く(堀尾,1991),前歯が出ていて考え込むと舌をその前歯に乗せる癖があり,アルパカとあだ名が付けられていたともいう(筒井,2018)。賢治は,純農家出身の生徒から同じ東北人(先住民)とは認識されていなかったようである。大柄で顔が平坦で目が細く上顎の切歯が前方に少し傾いている容貌は,どちらかと言えば「稲作」と「鉄器」を持ってきた渡来系弥生人(移住者)の特徴でもある(馬場,2017)。

 

多分,「鳥」(生徒)達は,「大三」(賢治)を「森」(東北)へ「侵入」(移住)してきた「侵入者」(大和民族側の人間)と見なしている。だから,鳥達に〈大三〉を「アルパカ」ではなく大陸から「稲作」と一緒に伝来され肥満もイメージできる「ふいご」と呼ばせたのであろう。

 

逆に,賢治は東北の農民の容貌をどう捉えていたのか。『春と修羅詩稿補遺』の「会見」に,教え子の父親と思われる農民が登場する。この父親を「この逞(たく)ましい頬骨は/やっぱり昔の野武士の子孫/大きな自作の百姓だ」(下線は引用者)と表現している。頬骨が横に張り出しているのは縄文人(先住民)の特徴の1つである。「野武士」とは「蝦夷(エミシ)」のことと思われる。賢治は教え子達を「東北」の「先住民」と考えている。

 

2)賢治の恋愛

また賢治は,前述したように農学校の生徒相手に悪戦苦闘していた頃に恋もしていた。かなり熱烈な恋であったという(佐藤,1984)。すなわち,〈清夫〉と〈大三〉にはそれぞれ宗教者として,あるいは「沢山の知識」(肥満?)で「慢心」となった科学者としての賢治が投影されている。また,「つぐみ」,「ふくろう」,「かけす」には「先住民」と思われる教え子の生徒達が,「よしきり」には主として恋人が投影されていると思われる。

 

この物語に登場する「よしきり」はヨシキリ科の「オオヨシキリ」(Acrocephalus orientalis (Temminck & Schlegel, 1847))とされている(赤田ら,1986)。葦原などに生息して,「ヨシ」などの茎や枯れ葉などを組み合わせたお椀状の巣を作る。この物語を丁寧に読んでいくと,賢治が「みんなのさいはひ」を重視したことによる恋の破局を描こうとしていたことが明らかになってくる。〈清夫〉と「よしきり」,と〈大三〉と「よしきり」の会話を物語から抜き出して羅列してみる。

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「よしきり」が〈清夫〉に「清夫さん清夫さん,ばらの実ばらの実,ばらの実はまだありますかい?」と挨拶をしているが,これは「聞きなし」のことである。「聞きなし」とは主に鳥の鳴き声を人間の言葉に当てはめて聞くことである。「オオヨシキリ」は赤い口の中を見せて「ギョギョシ,ギョギョシ,ケケシ,ケケシ,トカチカ」と大声でさえずる。これを〈清夫〉は「よしきり」が「清夫さん清夫さん,ばらの実ばらの実,ばらの実はまだありますかい?」と自分に話しかけていると感じている。「ばらの実」を「法華経」とすれば,恋人が投影されている「よしきり」は,賢治が投影されている〈清夫〉に「法華経,法華経,法華経,今日も読経ですか」と話しかけている。

 

「よしきり」が「水溜の葦の中」から林の向ふの「沼」に行かうとして,あるいは「沼」の方に「逃げ」ながら,「まだですか。まだですか。まだまだまだまだまぁだ。」と二人に話しかけているが,「沼」とは何を意味しているのか。多分,この「沼」は花巻に点在する「アイヌ塚」がイメージされていると思われる。「アイヌ」は,大自然や動物,植物を「神(カムイ)」と見なして生きてきた民俗である。

 

『春と修羅 第二集』の〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕(1924.5.18)という詩に「(おまへはなぜ立ってゐるか/立ってゐてはいけない/沼の面にはひとりのアイヌものぞいてゐる)/一本の緑天蚕絨の杉の古木が/南の風にこごった枝をゆすぶれば/ほのかに白い昼の蛾は/そのたよリない気岸の線を/さびしくぐらぐら漂流する/(中略)/アイヌはいつか向ふへうつり/蛾はいま岸の水ばせうの芽をわたってゐる」(下線部分は引用者)という詩句が記載されている。この作品の元原稿には「沼はむかしのアイヌのもので/岸では鏃も石斧もとれる」と記入跡もみられる。

 

この「沼」は,賢治研究家によれば花巻の西の豊沢川沿いの才ノ神・熊堂付近にある「アイヌ塚」(あるいは蝦夷塚)と呼ばれていたところとされる。詩〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕には,「わたしは花巻1方里のあひだにその七箇所を数え得る」(1方里は1里四方の意味)の記載もある。賢治が生きた時代には,豊沢川沿いには「アイヌ塚」と一緒に沢山の「沼」があったという(浜垣,2009)。すなわち,「沼」とは日本列島に先住していた人達の生活の場という意味が込められている。

 

「沼」が「先住民」の生活空間だとする筆者の説は,「水溜の蘆(あし)の中に居たよしきり」という表現からも裏付けられる。「葦(あし)」はイネ科ヨシ属の多年草で「ヨシ」(Phragmites australis (Cav.) Trin.ex Steud.)のことである。賢治作品には,同じ植物を「ヨシ」と表現する場合もある。しかし,賢治はこの童話では「ヨシキリ」が登場するのにわざわざ「葦」に「あし」とルビを振っている。

 

「葦(あし)」という呼び名は,古くは『古事記』や『日本書紀』などの記紀の「葦原中国(あしはらのなかつくに)」という言葉の中で使われていた。これは日本という国の古い呼称である。多分,童話の「葦」は記紀に登場する「葦」がイメージされている。朝廷によって作られた歴史書によれば,日本列島は天皇(あるいは大陸から「稲作」と「鉄器」の文化を持ってきたと渡来系弥生人)によって統治される前は「葦」の茂る未開な国であったということである。そして,日本列島の「沼」と「葦」が茂る土地にはすでに「先住民」が暮らしていた。縄文人の末裔とされるアイヌ民俗の住居(チセ)は,屋根も壁も「葦」や「茅」などの身近な「葦原」や「茅原」の植物が用いられていた。 

 

 「沼」に関して,もう1つ「アイヌ塚」と関係すると思われる詩がある。恋人が破局後渡米して1年後に書かれた詩集『春と修羅 第二集』の詩〔はつれて軋る手袋と〕(1925.4.2)には「何か玻璃器を軋(きし)らすやうに/鳥がたくさん啼いてゐる/・・・眼に象(かたど)って/泪(なみだ)をたゝえた眼に象って・・・/丘いちめんに風がごうごう吹いてゐる/ところがこゝは黄いろな芝がぼんやり敷いて/笹がすこうしさやぐきり/たとへばねむたい空気の沼だ/かういふひそかな空気の沼を/板やわづかの漆喰から/正方体にこしらえあげて/ふたりだまって座ったり/うすい緑茶をのんだりする/どうしてさういふやさしいことを/卑しむこともなかったのだ/・・・眼に象って/かなしいあの眼に象って・・・/あらゆる好意や戒(いまし)めを/それが安易であるばかりに/ことさら嘲(あざ)けり払ったあと/ここには乱れる憤(いきどお)りと/病ひに移化する困憊(こんぱい)ばかり」(宮沢,1985;下線は引用者)とある。この詩は岩根橋発電所詩群の1つである。岩根橋は猿ヵ石川沿いにあることは前述したが,「猿ヵ石」はアイヌ語で「sar・葦原,ka・上の,ushi・所」に分解でき「葦原の上の所」という意味であるという(金田一,2004)。

 

 詩〔はつれて軋る手袋と〕の「沼」も童話『よく利く薬とえらい薬』に登場する「沼」と同様に「先住民」が生活を営む空間がイメージされているように思える。

 

賢治がこれら作品の中で使う「沼」は,近代化という「風」が「ごうごう」と吹いて急速に発展していく猿ヵ石川沿いの工場群や街のある「丘」と違って,緩やかに時間が流れる空間である。恋人はここに「よしきり」が「葦」で巣を作るように所帯を構えて,賢治と「ふたりだまって座ったり」,「うすい緑茶をのんだり」する慎ましい生活を夢見ていたと思われる。そして,「ふいごさん,ふいごさん」と賢治に所帯を構えるのは「まだですか。まだですか。まだまだまだまだまぁだ。」と訴えていた。しかし,賢治は,近代化が進まない「先住民」の住む後進地域や恋人が望む生活を「卑しみ」,ことさら「嘲けって」しまったと思われる。そして恋人は賢治から「逃げる」ように離れていった。

 

昭和6(1931)年頃と思われる「雨ニモマケズ手帳」に記載された文語詩〔きみにならびて野に立てば〕の下書稿には,「きみにならびて野にたてば/風きらゝかに吹ききたり/柏ばやしをとゞろかし/枯葉を雪にまろばしぬ(中略)「さびしや風のさなかにも/鳥はその巣を繕(つぐ)はんに/ひとはつれなく瞳(まみ)澄みて山のみ見る」ときみは云ふ」」(宮沢,1985;下線は引用者)という語句が並ぶ。下線の部分は恋人の言葉であろう。この「風」は「近代化」という意味もあるが「近親者達が結婚に反対している様」も意味している。「山のみ見る」の「山」とは「みんなのさいはひ」のことを言っているのであろう。

 

すなわち,童話『よく利く薬とえらい薬』は「みんなのさいはひ」に導く「宗教と科学」がメインテーマとなっているが,「二人のさいはひ」よりも「みんなのさいはひ」(あるいはそれに導く宗教と科学)を重視したことが原因の1つとなって賢治の恋が破局したことも併せて描写されている。

 

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まとめ

(1)童話『よく利く薬とえらい薬』は,〈清夫〉と〈大三〉の二人が「森」の中で不思議な「透き通ったばらの実」を探す物語であるが,読み手にそれが何を意味しているのか読み解かせる物語でもある。主人公の〈清夫〉が「森」の中で見つけた「透き通ったばらの実」の正体は,「みんなのさいはひ」をもたらす手段としての「宗教」でありその「信仰」を手助けする「法華経」のことである。一方,〈大三〉が手に入れたかった「透き通ったばらの実」は「自分をさいはひ」にさせる手段としての「科学」のことである。この童話は,比喩の文学であり,「宗教」と「科学」に対する賢治の考え方が語られている。

 

(2)物語には植物として「ばらの実」以外に「葦」,「かやの木」,「唐檜」,「青いどんぐり」,「栗の木の皮」が登場するが,これら植物の登場する意味を解析することによって「透き通ったばらの実」の正体が明らかになる(第1表,第2表)。

 

(3)カケスが〈清夫〉の足下に落とす「青いどんぐり」は信号機の青と同じで「進め」の意味である。この先に「緑(青)の草原」が待っている。

 

(4)〈清夫〉が「明地」で母のために採取していた「ばらの実」は「キイチゴの実」である。しかし,一生懸命に採取していると疲れてしまい幻影の中で「透き通るばらの実」に変貌する。この「透き通ったばらの実」が見つかる場所は「森」すなわち「まっ黒なかやの木や唐檜」に囲まれた「小さな円い緑の草原の縁」である。「まっ黒なかやの木」や「唐檜」は,神聖な樹木であり,解剖学的に言えば「睫毛」がイメージされている。これら神聖な「森(睫毛)」に囲まれた「小さな円い緑の草原の縁」は眼球の「茶色の虹彩」のことである。

 

(5)〈清夫〉が幻影の中で見た「透き通ったばらの実」は,賢治が中学時代に読んだエマソンの『自然(Nature)』という著書の中の「透明な眼球(transparent eye-ball)=神」をヒントにしている。すなわち,〈清夫〉が見た「茶色いキイチゴの実」は「茶色の虹彩を持つ眼球」→エマソンの「透明な眼球」→「神」→「如来」→「法華経」とイメージされていく。

 

(6)〈大三〉は100人で「透き通ったばらの実」を探すが,信仰心を失った者達には見つからない。

 

(7)カケスが〈大三〉の足下に落とす「栗の木の皮」は「クリの実」にある赤い「鬼皮」である。信号機の「赤」と同じで,この先に進むと危険ということを示している。

 

(8)〈大三〉は錬金術(化学)の知識を用い,「空地」で採取した「ノイバラの実」にガラスと水銀と塩酸を加えて透明にしようとする。しかし,加熱した「るつぼ」の中で「ノイバラの実」は消失し,添加物がお互いに反応して「酸化水銀(赤)」を経たのち「透明な昇汞(有毒)」を作ってしまう。「透明な昇汞」は「有害でもある科学」がイメージされている。

 

(9)物語を手短に要約すれば,「宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷たく暗い」ということである。また,「よく利く薬とえらい薬」という題名は,「みんなをさいはひ」を希求する「宗教」と慢心になり利用を間違えると危険なものになる「科学」という意味を含んでいる(「よく利く薬」は「宗教」で「えらい薬」は「科学」)。

 

(10)物語に登場する「葦」は『古事記』などの記紀にある「葦原中国」の「葦」がイメージされている。「よしきり」が行き来する「葦」の生えている「水溜まり」や「沼」は「先住民」の生活の場を現している。

 

(11)この物語には賢治の破局した恋愛体験が挿入されている。「透き通ったばらの実」は「先住民」と思われる恋人の茶色い「涙に濡れた眼球」(tearful eye)でもある。賢治は,「恋人のさいはひ」よりも「みんなのさいはひ」を重視しために大切な恋人を失った。

 

引用文献

 

赤田秀子・杉浦嘉雄・中谷俊雄.1998.賢治鳥類学.新曜社.

馬場悠男.2017.縄文人に学ぶ~顎の退縮による障害を防ぐには.日健医誌.26(2):55-58.

浜垣誠司.2009(更新年).宮沢賢治の詩の世界 花巻第五日.2021.1.15.(調べた日付).https://ihatov.cc/blog/archives/2009/09/post_654.htm

堀尾青史.1991.年譜宮澤賢治伝.中央公論社.

金田一京助.2004.古代蝦夷(えみし)とアイヌ.平凡社.

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

森荘已池.1990.野の教師 宮沢賢治.日本図書センター.

佐藤勝治.1984.宮沢賢治 青春の秘唱“冬のスケッチ”研究.十字屋書店.

筒井久美子.2018.宮沢賢治・しくじりの軌跡と構造-同行する媒介者をめぐる社会学的探求-.立教大学大学院博士論文.

和鋼博物館.2015(更新年).鞴(ふいご・吹子)2021.2.2.(調べた日付).http://www.wakou-museum.gr.jp/spot5/