宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

植物から宮沢賢治の『よく利く薬とえらい薬』の謎を読み解く(3)

 

3.宗教と科学に対する賢治の思い

童話『よく利く薬とえらい薬』は「宗教と科学」について,賢治がどのように考えているのかが記載されているように思える。この物語を手短に要約すれば,『農民芸術概論綱要』(1926年頃)にある「宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷たく暗い・・・そして明日に関して何等の希望を与へぬ いま宗教は気休めと宣伝 地獄・・・いまやわれらは新に正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ」ということである。

 

この文章の「宗教は疲れて」とは当時の退廃堕落した宗教界のことを述べている。例えば,賢治は1920年に日蓮主義を唱える田中智学の「国柱会」に入会しているが,物語を執筆している頃にはこの組織とは一定の距離を置くようになる。また賢治は当時,浄土真宗本願寺派の宗主の大谷光瑞を痛烈に批判している。大谷光瑞は1902~1914年に大谷探検隊を組織して中央アジアで仏典原典(梵語)の収集などを試みたりしていたが,1908年に六甲山麓に贅を極めた二楽荘を建設したり,本願寺に関する疑獄事件(1914年)を突発させたりもした。『農民芸術の興隆』には「よくその人の声を聞け 偽の語をかぎつけよ 大谷光瑞云ふ 自ら称して思想家なりといふ 人たれか思想を有せざるものあらんや」とある。賢治は〈大三〉に田中智学や大谷光瑞を重ねていたのかもしれない。〈大三〉は100人で探しても「透き通ったばらの実」を見つけることはできなかった。〈大三〉に自分自身をも重ねていることについては後述する。

 

「明日に何等の希望を与へぬ」とは,物語の中の言葉で言えば「ばらの実」を「一生けん命にあつめましたが・・・いつまで経っても籠の底がかくれません」で表現されていると思われる。

 

また,高瀬露宛てに出した書簡[252c](1929)下書には,別の角度から本童話の内容に添う「信仰」と「科学」についての考え方が述べられている。

 

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「宇宙意志」とは,超越主義者エマソンの「大霊(Over-sole)」に似た概念で,既存宗教の「神」とか「仏」とかではなく,それらを超越した「ほんたうの神」あるいは「絶対的真理」のことを言っていると思われる。賢治には,この宇宙を統一している「宇宙意志」によってあらゆる生物は段階的にではあるが究極の幸福へ向かうと信じられている。しかし,人々は賢治の思いを嘲るように「宗教」から離れ「科学」を信仰するようになった。科学技術の恩恵を受けて人類は物質的な豊かさを獲得したが,この豊かさは「偶然」と「盲目(衝動)」によって築き上げられたもので,いずれ破綻するかもしれないという危険性を伴うものであった。

 

手紙の中で賢治は,「みんなをさいはひ」にするには「宗教」と「科学」の両方が必要だと考えているが,どちらを選ぶかと問われれば,「科学」に偶然盲目的なところがあることから「宗教」を選ぶと述べている。しかし,賢治は「科学」を軽視してはいない。農学校を退職した頃には科学の危険性を回避する方法も模索し始めていた。「生徒諸君に寄せる」(1927)という詩で「衝動のやうにさへ行はれる/すべての農業労働を冷く透明な解析によって/その藍いろの影といっしょに/舞踏の範囲にまで高めよ」,また「新たな時代のマルクスよ/これらの盲目な衝動から動く世界を/素晴らしく美しい構成に変へよ」(下線は引用者)と述べている。さらに,1924年から書き始めて未完に終わった童話『銀河鉄道の夜』では「宗教と科学の一致」を主要なテーマにしていた(石井,2020)。

 

「宗教と科学の一致」は賢治思想の到達点であり,本作品はそこに繋げていく重要な作品である。次編では,「葦」が物語に登場する意味を解明することによって,この童話に教師時代の賢治の恋物語が挿入されていることを明らかにする。

(続く)

 

引用文献

石井竹夫.2020.植物から『銀河鉄道の夜』の謎を読み解く(総集編Ⅰ)-宗教と科学の一致を目指す-.人植関係学誌.19(2):19-28.

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.