宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

自分よりも他人の幸せを優先するカムパネルラ-性格形成に影響を与えた母の言葉- 

前ブログで,『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』に登場する鬼殺隊の煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)が自分を犠牲にしてまでも他者(弱き人)を優先する特異な性格を持っていること,およびその性格形成に導いた理由の1つに幼い頃に母から聞いた「弱き人を助ける」という言葉があったことを紹介した。

 

文学作品の中で,煉獄と同様の性格を持つ者を1人挙げよと言われれば,私なら童話『銀河鉄道の夜』に登場するカムパネルラという名の少年を挙げる。カムパネルラにとって,最も大切なものは「みんなの本当の幸せ」である。すなわち,カムパネルラにも自分よりも他人の幸せを第一にしてしまうという性格がある。本稿ではカムパネルラの行った「他者優先」の具体的な事例を紹介し,なぜカムパネルラが自分よりも他人の幸せを優先してしまうのかについて,煉獄の事例と比較しながら考察する。

 

1.童話『銀河鉄道の夜』においてカムパネルラが他者を優先する具体的な事例

カムパネルラは,宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』(大正から昭和にかけての作品)に登場する主人公ジョバンニの親友である。銀河の祭の日に,カムパネルラは,級友たちと一緒に「烏瓜の明かり」(流し燈籠のようなもの)を川に流しに行く。しかし,カムパネルラたちが乗った船が揺れて級友のザネリが川に落ちてしまう。誰も助けようとしないが,カムパネルラだけがすばやく川に飛び込む。その様子は以下のように詳細に記載されている。

 

引用文A

「ジョバンニ,カムパネルラが川へはひったよ。」

「どうして,いつ。」

「ザネリがね,舟の上から烏うりのあかりを水の流れる方へ押してやらうとしたんだ。そのとき舟がゆれたもんだから水へ落っこったらう。するとカムパネルラがすぐ飛びこんだんだ。そしてザネリを舟の方へ押してよこした。ザネリはカトウにつかまった。けれどもあとカムパネルラが見えないんだ。」

「みんな探してるんだろう。」

「あゝすぐみんな来た。カムパネルラのお父さんも来た。けれども見附からないんだ。ザネリはうちへ連れられてった。」

                     (『銀河鉄道の夜』四次稿)

 

多分,川に飛び込んだカムパネルラはザネリを助けているとき,自分が咄嗟に出せる力のほとんどを使い切ってしまったと思われる。それゆえ,船に戻るために必要な力もなく溺れてしまう。カムパネルラが実際に死んでしまったかどうかは記載されていない。しかし,カムパネルラは溺れてから45分たっても見つからないので死が暗示されている。

 

親が溺れた子供を捨て身で助けることはあり得る話と思っている。しかし,カムパネルラとザネリは同級生であるにすぎない。さらに,ザネリは親友のジョバンニを常日頃から「いじめ」の対象にしていた。カムパネルラは,ザネリに対して憎しみの感情を持っていてもおかしくない。しかし,カムパネルラは躊躇することなく,あるいは自分の命を犠牲にしてまでもザネリを助けようとした。

 

また,カムパネルラはジョバンニと一緒に「みんなの幸せ」を求めていくことを誓っていた。童話『銀河鉄道の夜』の最終章でカムパネルラはジョバンニと以下のような会話をする。

 

引用文B

ジョバンニはあゝと深く息しました。

「カムパネルラ,また僕たち二人きりになったねえ,どこまでもどこまでも一緒に行かう。僕はもうあのさそりのやうにほんたうにみんなの幸(さいはひ)のためならば僕のからだなんか百ぺん灼(や)いてもかまはない。

「うん。僕だってさうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。

           (『銀河鉄道の夜』第四次稿)下線は引用者 以下同様

 

このように,カムパネルラは煉獄杏寿郎と同様に自分の命あるいは自分の幸せよりも他人の幸せを優先している。

 

2.なぜカムパネルラは自分よりも他人の幸せを優先してしまうのか

その答えになるヒントは,カムパネルラが川で溺れて,瀕死の状態で見た夢に現れる母を回想するシーンの中に隠されている。人は死の間際に,特に溺死(できし)や自動車事故などの死の危機に瀕するときなどに,限られた人だけと思われるがこれまでの人生を一瞬で追体験する「走馬灯」がよぎるとされる。パノラマ体験とも呼ばれるものである。また,カムパネルラが見た夢は,同時刻にジョバンニが黒い丘で眠ってしまったときに見た夢と共有している。これは,「臨死共有体験;shared death experiences」と呼ばれている。

 

二人が同時に見た天上世界すなわち夢の中で,カムパネルラは親孝行も満足に出来ずに母よりも先に死んでしまうことの自責の念ともとれる悲しい思いをジョバンニに表白している。

 

引用文C

「おっかさんは,ぼくをゆるして下さるだらうか。」

いきなり,カムパネルラが,思い切ったといふやうに,少しどもりながら,急(せ)きこんで云ひました。

ジョバンニは,(あゝ,さうだ,ぼくのおっかさんは,あの遠い一つのちりのやうに見える橙いろの三角標のあたりにいらっしゃって,いまぼくのことを考へてゐるんだった。)と思ひながら,ぼんやりしてだまってゐました。

ぼくはおっかさんが,ほんたうに幸(さいはひ)になるなら,どんなことでもする。けれども,いったいどんなことが,おっかさんのいちばんの幸なんだらう。」カムパネルラは,なんだか,泣きだしたいのを,一生けん命こらへてゐるやうでした。

「きみのおっかさんは,なんにもひどいことないじゃないの。」ジョバンニはびっくりして叫びました。

「ぼくわからない。けれども,誰だって,ほんたうにいいことをしたら,いちばん幸なんだねえ。だから,おっかさん,ぼくをゆるして下さると思ふ。」カムパネルラは,なにかほんたうに決心してゐるやうに見えました。

                     (『銀河鉄道の夜』第四次稿)

 

カムパネルラが他者を優先するのは母が自分に求めていることと関係する。物語のこの場面から読み取れる母の求めたものは,母が「ほんたうに幸(さいはひ)になる」ものであり,それは「ほんたうにいいことを」することである。カムパネルラにとって,そのためなら「どんなことでもする」という最上の「ほんたうにいいこと」とは何であろうか。多分,それは『鬼滅の刃』の煉獄杏寿郎が鬼である猗窩座(あかざ)との死闘で実践したように自分を犠牲にしてでも「他者を助ける」,あるいは「人の役に立つ」ということであろう。

 

カムパネルラは,級友のザネリが烏瓜の明かりを川に流そうとして川に落ちた時に,すばやく川に飛び込んで助けた。自分よりも「他者を優先」したことで自らは川の底に沈んだ。カムパネルラのとった自己犠牲の行動は,彼にとって「ほんたうにいいこと」なのだと信じられている。また,「カムパネルラ」は,自分が早く死んでしまって母を悲しませるようなことをしたが,「他人の幸せ」のためにやった行為ということで母から許されると信じた。

 

この信念は作者の宮沢賢治にもある。賢治もまた,カムパネルラが実行した行動を母・イチが自分に望んでいたものであると信じている。これまで,カムパネルラには賢治の親友であった保阪嘉内や妹・トシが投影されているとされていたが,私はカムパネルラには賢治自身が,またカムパネルラの母には賢治の母・イチが投影されていると思っている。

 

賢治の親友である森荘己池によれば,賢治の母・イチは,乳幼児だった賢治を寝かしつけながら「ひとというものは,ひとのために何かしてあげるために生まれてきたのス」と毎晩のように語り聞かせたという。この母・イチの言葉は,『鬼滅の刃』に登場する杏寿郎の母・瑠火(るか)が幼い息子に諭した「弱き人を助けよ」や「強く生まれた者はその力を世のため人のために使わねばなりません」という言葉と類似している。

 

ただ森の話には後日談がある。後年イチが,「どうして賢さんは,あんなに,ひとのことばかりして,自分のことはさっぱりしないひとになったベス」と深いなげきをこめて言ったときに,賢治の弟の清六が「なにして,そんなになったって言ったってお母さん,そう言って育てたのを忘れたのスか」と母の言葉に答え,二人で笑ってしまうのであった,というエピソードも残されている。

 

幼かった頃の賢治と母の関係を記載している資料はわずかしか残されていない。賢治研究家の堀尾青史の作成した年譜によれば,賢治の母・イチは「慈母」と伝えられていて,愛憐の情に充ち,自分の子だけでなく人々の幸せを祈り,変わらぬ明るさで人に接したという。しかし,病弱でもあり,次々に生まれる妹弟の世話,舅と姑の看病あるいは家業の手伝いに忙殺されていたともある。

 

実際に幼い頃の賢治は,忙しい農家の乳幼児のようにオシメの交換が少なくて済む「嬰児籠(えじこ)」の中で育てられている。また,この時期に忙しい母親に代わって子守したのは,事情があってか婚家先から帰り豊沢町の宮沢家に同居していた父の姉・ヤギであり,賢治をひどく可愛がった。

 

6歳の時,賢治は赤痢に罹り花巻の隔離病舎に2週間ほど入っている。このとき看病したのは父や祖母・キンの妹・ヤツであった。ヤツは話上手で賢治に昔話を聞かせたという。このように,少ない記録ながら,幼い頃の賢治は「慈母」とされる母に甘えられなかったようである。

 

賢治自身も,幼い頃の自分と母・イチとの関係は希薄であったと感じている。多分,賢治は,自分の見る夢を精神分析学の知識を基に解析してそのように感じたように思える。そして,母から十分愛されているという確信が得られなかったという寂しさを童話『銀河鉄道の夜』(第四次稿)に登場する少年のカムパネルラやキリスト教徒の姉弟の男の子(タダシ6歳)に投影させた。男の子がジョバンニとカムパネルラの夢の中を走る銀河鉄道の列車の中で母の夢を見るが,母に抱きしめられることなくリンゴの匂いで目が覚める。

 

引用文D

にはかに男の子がぱっちり眼をあいて云ひました。

「あゝぼくいまお母さんの夢をみてゐたよ。お母さんがね立派な戸棚(とだな)や本のあるとこに居てね,ぼくの方を見て手をだしてにこにこにこにこわらったよ。ぼくおっかさん。りんごをひろってきてあげませうか云ったら眼がさめちゃった。あゝここさっきの汽車のなかだねえ。」 

「その苹果がそこにあります。このおじさんにいただいたのですよ。」青年が云ひました。

「ありがとうおじさん。おや、かほるねえさんまだねてるねえ、ぼくおこしてやろう。ねえさん。ごらん,りんごをもらったよ。おきてごらん。」

姉はわらって眼をさましまぶしさうに両手を眼にあててそれから苹果を見ました。男の子はまるでパイを喰(た)べるやうにもうそれを喰べてゐました。

                                               (『銀河鉄道の夜』第四次稿)

 

男の子が夢の中で見た母は,「立派な戸棚や本」のある所にいる。「立派な戸棚や本」が父を象徴するなら,母はいつも父の傍にいることになる。男の子の見た夢は,アップルパイでも作ってもらいたいのか,庭に落ちている「りんごをひろってきてあげませうか」と言って母の関心を引こうとしているものである。このとき,母が「ぼくの方を見て手をだしてにこにこにこにこわらったよ」とある。この男の子の母は,『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』で煉獄杏寿郎が見た走馬灯のような回想シーンに現れた母のように,手を広げて胸に飛び込んでくるようにと誘っていたのかも知れない。煉獄は母に抱きしめられるが,男の子は抱きしめられる前に,あるいは求めに応えてくれる前に目が覚めてしまう。母と子の関係が希薄ということを象徴する夢のようである。多分,賢治も,これと類似した「求めるが応えてくれない」というパターンの夢(無意識の中に封じ込めた幼い頃のの記憶)を繰り返し見ていたと思える。

 

賢治が投影されているカムパネルラが自分よりも他人の幸せを優先してしまうのは,寂しく母の愛情を強く欲する賢治が幼少のころに母から子守歌として聞いた「ひとというものは,ひとのために何かしてあげるために生まれてきたのス」という言葉が関係しているのかもしれない。この言葉は,『銀河鉄道の夜』には記載されていないが,賢治は幼少期のカムパネルラにも母から聞いていたというふうに設定しておいたのかもしれない。そして,賢治も感じていたかも知れないが,カムパネルラは母の願いに応えなければ見捨てられてしまうのではないかと不安を掻き立てられていた。

 

そうならば,「ひとというものは,ひとのために何かしてあげる」という母の願いはカムパネルラの深層意の中にもすり込まれ,成長過程でカムパネルラの決して変わることのない「他者優先」という性格を形成したと考えてもよさそうだ。これが,カムパネルラが自分を犠牲にしてでも川に溺れたザネリを助けようとした主な理由と思える。賢治自身も病弱にもかかわらず,人(農民)のために無償で肥料設計の相談にのったり,東北砕石工場の嘱託技師になり東北の酸性土壌を改良するため炭酸石灰の普及に奔走したりした。体を酷使し続けた賢治は37歳の若さでこの世を去った。

 

川に溺れ瀕死の状態になったカムパネルラが母を回想するシーン(「おっかさんは,ぼくをゆるして下さるだらうか。」で始まる引用文C)で,カムパネルラはザネリを助けたが自分は死んでしまうということに対して,「誰だって,ほんたうにいいことをしたら,いちばん幸なんだねえ。だから,おっかさん,ぼくをゆるして下さると思ふ。」と言っていた。果たして,この場面で実際に母が幻覚として現れたら,母は息子のカムパネルラにどのような言葉を投げかけたであろうか。

 

『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』で煉獄は猗窩座との死闘ののちに猗窩座に逃げられ,自らは猗窩座から受けた致命傷により瀕死の状態になる。このとき,母・瑠火(るか)が再度幻覚として現れる。煉獄が母に「俺はちゃんとやれただろうか やるべきこと 果たすべきことを全うできましたか」と問いかけると,母は「立派にできましたよ」と答えた。ならば,童話『銀河鉄道の夜』において,溺れて瀕死の状態になったカムパネルラが幻覚として現れた母に「おっかさん,ぼくはちゃんとやれただろうか やるべきこと 果たすべきことを全うできましたか おっかさんよりも長生きできませんでしたが,ぼくをゆるして下さいますか」と尋ねたとき,カムパネルラが推測していたように,母は本当に「許します。立派にできましたよ」と答えてくれたのだろうか。

 

これは,私の推測に過ぎないが,カムパネルラの母の望んだものが何をさておいても「ひとというものは,ひとのために何かしてあげる」すなわち「人に役に立つ」ことであったなら,涙を流しながらでも許してくれたかもしれない。しかし,母がカムパネルラに「人に役に立つ」ということを本当に強く望んでいたかについては疑問が残る。カムパネルラは,自分では「誰だって,ほんたうにいいことをしたら,いちばん幸なんだ」と思っているが,自分のこの思いが母の思いでもあると信じていたのなら,それはカムパネルラの単なる思い過ごしだったように思えてならない。それは,前述した森荘己池の話の後日談にある「どうして賢さんは,あんなに,ひとのことばかりして,自分のことはさっぱりしないひとになったベス」という母・イチの嘆きの言葉があるからである。

 

賢治は昭和元年に農学校を退職し,その後病床に臥せってしまう。その頃,賢治の父・政次郎は,賢治に「お前の生活はただ理想をいっているばかりのものだ。宙に浮かんで足が地についておらないではないか。ここは娑婆(しゃば)だから,お前のようなそんなきれい事ばかりで済むものではない。それ相応に汚い浮世と妥協して,足を地に着けてすすめなくてはならないのではないだろうか」「お前の病気は悪用不足から来ているということだぞ。つまりきれいなことばかりやろうとしたために起こった病気なんだ」と諭したという。父・政次郎は賢治の生き方に対して褒めたことがなかったとされている。しかし,昭和8年9月21日に,息子の臨終の際に枕元で初めて「おまえもなかなか偉い」と褒めたという。褒められたのは,父が残された原稿の使い道を賢治に尋ねたとき,賢治が「それらは,みんな私の迷いの跡だんすじゃ。どうなったって,かまわないんすじゃ」と答えたことによる。しかし,昭和6年に東北砕石工場の嘱託技師兼サラリーマンになり地に着いた仕事に従事したことも関係していたのかもしれない。賢治は弟・清六にも「清六。・・・おれもな,とうとうお父さんに賞(ほ)められたもんな」と静かに微笑みを浮かべたという。

 

参考資料と引用文献

植物から『銀河鉄道の夜』の謎を読み解く(総集編Ⅱ)-リンゴの中を走る汽車-https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/05/092120

植物から『銀河鉄道の夜』の謎を読み解く(総集編Ⅴ)-なぜカムパネルラは自分を犠牲にしてザネリを救ったのか-         https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/08/125658

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-列車の中のリンゴと乳幼児期の記億-     https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/18/090817

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-リンドウの花と母への強い思い-  https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/13/085221

自分よりも他者を優先する煉獄杏寿郎,母と父の言葉 https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/12/14/140122

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

森荘己池. 1974.宮沢賢治の肖像.津軽書房.

佐藤隆房.1994.宮沢賢治-素顔のわが友-.桜地人館.

佐藤竜一.2008.宮澤賢治 あるサラリーマンの生と死.集英社.