宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-「にはとこのやぶ」と駄々っ子-

Key words文学と植物のかかわり,檜,ひば,ニワトコ.

 

前報で『銀河鉄道の夜』の主人公(ジョバンニとカムパネルラ)を紹介した(石井,2013)ので,本稿では脇役の子供たちを紹介する。一人は,氷山と衝突して沈没した船の乗客タダシで,もう一人はジョバンニと同級生のザネリである。

 

二人とも水難事故に遭遇するという共通点を持ち,特異なキャラクターが与えられている。タダシは,水難事故で死んでしまったのに現世の家へ帰りたいと駄々をこねる駄々っ子として,ザネリはいじめっ子として登場する。賢治は,タダシが登場する場面では「ニワトコ」を,そしてジョバンニをいじめるザネリが登場する場面では「ヒバ」を配置して,二人の人物と二つの植物が持つそれぞれの特異なキャラクターをうまくマッチングさせるのに成功している。

 

1.ニワトコの藪と駄々っ子

「ニワトコ」が登場する場面は以下の通りである。

 そしたら俄かにそこに,つやつやした黒い髪の六つばかりの男の子が赤いジャケツのぼたんもかけずひどくびっくりしたやうな顔をしてがたがたふるへてはだしで立ってゐました。

     (中略 )

「ぼくおほねえさんのところへ行くんだよう。」腰かけたばかりの男の子は顔を変にして燈台看守の向ふの席に座ったばかりの青年に云ひました。青年は何とも云へず悲しさうな顔をして,じっとその子の,ちぢれてむれた顔を見ました。女の子は,いきなり両手を顔にあててしくしく泣いてしまひました。

「お父さんやきくよねえさんはまだいろいろお仕事があるのです。けれどももうすぐあとからいらっしゃいます。それよりも,おっかさんはどんなに永く待っていらっしゃったでせう。わたしの大事なタダシはいまどんな歌をうたってゐるだらう,雪の降る朝にみんなと手をつないでぐるぐるにはとこのやぶをまはってあそんでゐるだらうかと考えたりほんたうに待って心配していらっしゃるんですから,早く行っておっかさんにお目にかゝりませうね。」   宮沢,1986 (下線は引用者) 

 

この引用文は,銀河鉄道の列車にキリスト教徒と思われる姉弟(タダシとかほる)が乗ってくる場面である。タダシの家族は,文章通りに記載すれば,お父さん,おっかさん,きくよねえさん(長女),かほる(=かほる子;次女)そして末っ子のタダシ(姉から「たあちゃん」と呼ばれている)の5人である。母はすでに亡くなっている。家へ帰りたいと駄々をこねるタダシに対して,キリスト教徒と思われる家庭教師の青年が「おっかさんがタダシがにはとこのやぶをまはってあそんでゐるだらうかと考えたりして心配している」と言ってなだめている。「ぐるぐるニワトコの藪を回る」という遊びが西洋にあるのかどうか分からないが,なぜ「ニワトコ」が登場してくるのか考察してみる。

 

「ニワトコ」(スイカズラ科ニワトコ属:Sambucus sieboldiana )は,山野に生える落葉低木で,よく枝分かれして高さ3~6mになる。葉は奇数羽状複葉で対生する(鈴木ら, 1995)。「ニワトコ」は,日本に現存する最古の和歌集『万葉集』や歴史書『古事記』では「山たづ」という名で出てくる(小島ら,1971)。『古事記』の「山たづといふは,今の造木(みやっこぎ)をいふ」の記述に由来し,「ミヤッコギ」が「ミヤッコ」→「ミヤトコ」→「ニヤトコ」→「ニワトコ」に転訛したものと推定されている。「山たづ」は,『万葉集』では2首掲載されていて,いずれも「迎える」の枕詞(山たづ→迎える)である。ニワトコの葉は対生して,鳥の羽根のように向かい合っているように見えるので(第1図),両腕を広げて人を「迎える」姿に似ている。

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第1図.ニワトコ

『万葉集』の2首の1つ(小島,1971)を以下に示す。 

 君が行(ゆ)き 日(け)長くなりぬ 山たづの

迎へを行(ゆ)かむ 待つには待たじ

    『万葉集』巻2-90 衣通王(そとおりのおおきみ)

現代語訳:あなたの旅は日が重なった。迎えに行こうかとても待ってはいられない

 

 この歌の題詞には,「古事記に軽太子(第十九代允恭天皇の第一皇太子;かるのひつぎのみこ)が同母妹とは知らずに軽太郎女(第二皇女;かるのおおいらつめ)と関係をもったので,伊予の湯(現在の松山市道後温泉)に流された。この時に衣通王(=軽太郎女)が恋しさに耐えかねてその後を追って歌を歌った」とある。衣通王は,その美しさが衣を通して透けて見えるほどの美人であったことから。この歌は,「逢いたい」,「逢って思いきり抱きしめたい」という「魂(たましい)」の強烈な叫びを,「ニワトコ」の葉の両腕を広げて「迎える」姿に重ねて表現している。

 

賢治は,盛岡高等農林学校時代(現岩手大学農学部:1915~1918)に親友の保阪嘉内らと同人誌『アザリア』を創刊し,短歌を発表していた。だから,物語創作時にはこの有名な万葉集の歌も知っていたはずだ。教え子である伊藤清一の岩手国民高等学校開設時(1926.1)の「講演筆記帳」によれば,賢治は「農民芸術」と題した講演の中で,「詩とは/われわれの魂の内奥から/ひとりで湧き出るところの/節奏することば,/斯くあり度い者(ママ)のである,/音響も節も調も語も独りでに来るのである,/万葉集は我吾国(ママ)の歌の先生である,/何時の世でも遂に万葉にかへるのである」と述べたという(下西,1998;原,1999)。

 

賢治は,『万葉集』から,詩を「魂」の「内奥の叫び」と捉えていたようだ。「魂」は,「心」,「命」でもある。また,『万葉集』を「歌の先生」と言うほど影響を受けている。

 

家庭教師の青年は,駄々をこねるタダシに対して「たあちゃんは死んでしまったのだから現世には戻れない。駄々をこねるのは止めなさい」と直接的に言わないで,「タダシのことを大事(心から愛している)に思っているおっかさんのところへ行こう」と寄り添うような形で間接的に言う。

 

タダシは,母を失って寂しい思いをしてきたわけだから,無意識の中では母への思いが強いはずだ。もしも,母のタダシに対する強烈に逢いたいという気持ちがメタファーとしての「ニワトコ」(葉の姿が両腕を広げて待っているように見える)と一緒にタダシに伝われば,タダシは駄々をこねるのを止めるのではないだろうか。すなわち,賢治は物語で,タダシの母の強烈に逢いたがっている気持ちを「ニワトコ」に重ねて表現しようとしている。

 

タダシという名は日本名である。ジョバンニやカムパネルラがイタリア名なのに,なぜ賢治はキリスト教徒の姉弟に日本名を付けたのだろうか。ニワトコが「ミヤッコギ(造木)」から「ニワトコ」に転訛したものを考えると,タダシも「駄々っ子」の「子」を「座敷童子(ざしきわらし)」の「し」と読むことで,「ダダッコ」→「ダッダシ」→「タダシ」と転訛したと考えると納得するものがある。すなわち,駄々っ子のタダシである。

 

「ニワトコ」の登場する場面は法華経思想とも関係している。この場面は,法華七喩(ほっけしちゆ)の1つである「三車家宅」(『法華経』第三章「譬喩品」)に対応している。ある時,長者の邸宅が火事になった。中にいた子供たちは遊びに夢中になっていて火事に気付かず,長者が説得しても外に出ようとしなかった。そこで長者は,子供たちが常日ごろから欲しがっていた玩具の「羊車,鹿車,牛車の三車が外にあるよ」といって子供たちを外へ導き出した(坂本・岩本 1976)。

 

法華七喩とは,『法華経』に説かれている7つの「たとえ話」のことである。仏が「たとえ話」を用いて万人を教化する方法が説かれている。「家宅」は苦しみ多い三界,「子供たち」は三界にいる衆生(万人),そして「長者」は仏である。『銀河鉄道の夜』では,「現世の家」が「家宅」,「タダシ」が「子供たち」,そして「家庭教師の青年」が「長者」に対応する。賢治は,暗に煩悩具足の凡夫(駄々をこねるタダシ)を悟りに導くためにニワトコの藪を使って教化しようとしているように見える。「ぐるぐるニワトコの藪を回る」とは現世の衆生が悩み苦しんで藪の中をさ迷っている様子を現しているのであろう。

 

ここでも,賢治はキリスト教徒に法華経思想を語らせている。賢治の引用文での「ニワトコ」の採用は,物語を単なる童話集の1つではなく思想書レベルまで押し上げている。

 

2.ヒバといじめっ子

「ヒバ」は第四章の「ケンタウル祭の夜」に出てくる。

 ジョバンニは,口笛を吹いてゐるやうなさびしい口付きで,檜(ひのき)のまっ黒にならんだ町の坂を下りて来たのでした。

      (中略)

 いきなりひるまのザネリが,新しいえりの尖ったシャツを着て電燈の向ふ側の暗い小路(こうぢ)から出て来て,ひらっとジョバンニとすれちがひました。

 「ザネリ,烏瓜ながしに行くの。」ジョバンニがまださう云ってしまはないうちに,

 「ジョバンニ,お父さんから,らっこの上着が来るよ。」その子が投げつけるやうにうしろから叫びました。

 ジョバンニは,ぱっと胸がつめたくなり,そこら中きぃんと鳴るやうに思ひました。

 「何だい。ザネリ。」とジョバンニは高く叫び返しましたがもうザネリは向ふのひばの植わった家の中にはひってゐました。

 「ザネリはどうしてぼくがなんにもしないのにあんあことを云ふのだらう。走るときはまるで鼠(ねずみ)のやうなくせに。ぼくがなんにもしないのにあんなことを云ふのはザネリがばかなからだ。」      宮沢,1986(下線は引用者)

 

 ザネリは,ジョバンニに対して「お父さんから,らっこの上着が来るよ。」と言ってからかう。ジョバンニの父は,北方の海で海豹やらっこを密漁して投獄されているらしい。ジョバンニは,父不在と病気の母のため朝は新聞配達,放課後は活版所でアルバイトをして生計を助けている。疲れ果てていて授業も眠く満足に勉強もできていない。同級生がする遊びの輪にも入れず,いじめを受ける対象になっている。ザネリという名は,多分『銀河鉄道の夜』のお手本になったアミーチス作『クオレ』の登場人物である「ネッリ」に由来するかもしれない。「ネッリ」は,小さく病気で背が曲がっていることもあり,いじめを受けている(アミーチス 1992)。賢治がいじめられている「ネッリ」を,『銀河鉄道の夜』ではいじめる側の「ザネリ」として登場させているのは興味深い。ザネリは,ジョバンニをからかったあとに「ひばの植わった家の中に」入る。なぜ「ひば」なのだろうか。

   

「ヒバ」は,ヒノキ科の常緑高木で,ネズコ属,アスナロ属の全ての変種を含めた総称である(原 1999)。しかし,植物図鑑によっては,ヒノキ科アスナロ属の変種ヒノキアスナロ(Thujopsis dolabrata var.hondai)のみをヒバと呼んでいる場合もある(鈴木ら,1994)。ヒノキ(ヒノキ属;Chamaecyparis obtusa )の園芸種にチャボヒバやイトヒバと呼ばれるものがあったり,ヒノキ科クロベ属にニオイヒバ(Thuja occidentalis)があったりなど,ヒノキとヒバは混用されている。賢治の生きた時代にヒバが植物図鑑でどのように分類されていたか分からないが,賢治が物語でヒノキとヒバを区別しているので「ひば」を特定してみたい。

 

「ひば」を特定するには,「ひば」が出てくる文章のすぐあとの「走るときはまるで鼠(ねずみ)のやうなくせに」といっているのがヒントになると思う。材が鼠色に近いネズコ(別名はクロベあるいはゴロウヒバ,ネズコ属;Thuja standishii ),あるいは葉が尖っているので葉を鼠の通り道に置いて鼠を通れなくするのに使うネズ(別名はネズミサシ,ビャクシン属;Juniperus rigida)が候補に挙がる。

 

ネズコは,材が黒っぽくて美しく家具材,天井材,欄間などに用いられ,また神代杉の模擬材として,時に庭園樹として植えられる(北村・岡本 1959)。ネズも庭園樹に使うが,ビャクシン属である。しかし,引用文でザネリの着ているシャツの襟が「尖って」いると記載されているので,葉先が尖っているネズも捨てがたい。賢治は,物語でネズコ(あるいはネズ)をヒバと呼んだのであろう。ネズコは,陰樹で幼樹でも耐陰性が強く湿気の多い処でも育つ。イメージ的には陰樹で材が鼠色のネズコ→陰湿で鼠のようなザネリとなる。物語を地形図と照らし合わせて見ると,ヒノキが高い所に生えていて,坂を下ったじめじめしたような所にザネリの家とヒバが植えられていることがわかる。賢治は,ザネリの陰湿さを植物のネズコで表現したかったのかもしれない。

   

ザネリは,船の上から「烏瓜のあかり」を流そうとして水に落ちるが,カムパネルラに助けられる。しかし,カムパネルラは落ちて行方不明になってしまう。なぜ,物語ではジョバンニをいじめるザネリが助かり,ジョバンニの親友であるカムパネルラが死んでしまうのだろうか。とても理解しがたいものがある。仏教思想にある命あるものは平等という「慈悲」の考えに従えば理解できるのかもしれないが。

    

『銀河鉄道の夜』は,童話風にアレンジした賢治の現代訳『法華経』(あるいは法華経を普及させるための啓発書)であろう。しかし,賢治はそれを表に出そうとはしない。そればかりか,それを決して悟らせないようにしているとさえ思える。

 

引用文献

アミーチス, E.(矢崎源九朗訳).1992.クオレ-愛の学校(上).偕成社.東京.

原 子朗.1999.新宮沢賢治語彙辞典.東京書籍.東京.

石井竹夫.2013. 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場するイチョウと二人の男の子.人植関係学誌.12(2):29-32.Shimafukurou.2021.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-イチョウと二人の男の子.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/07/03/145440

小島憲之・木下正俊・佐竹昭広(校注・訳).1971. 萬葉集一.小学館.東京.

北村四朗・岡本省吾.1959. 原色日本樹目図鑑.保育社.東大阪.

下西善三郎.1998. 賢治と『万葉集』-宮沢賢治における万葉受容をめぐって-.金沢大学国語国文.23:220-228.

宮沢賢治.1986.文庫版宮沢賢治全集10巻.筑摩書房.東京.

坂本幸男・岩本 裕(訳).1976. 文庫版法華経(全3冊).岩波書店.東京.

鈴木庸夫(写真)・畔上能力・菱山中三郎・鳥居恒夫・西田尚道・新井二郎・石井英実(解説).1994.山渓ポケット図鑑 秋の花.山と渓谷社.東京.

鈴木庸夫(写真)・畔上能力・菱山中三郎・鳥居恒夫・西田尚道・新井二郎・石井英実(解説).1995.山渓ポケット図鑑 春の花.山と渓谷社.東京.

 

本稿は,人間・植物関係学会雑誌13巻第1号15-18頁2013年に掲載された自著報文(種別は資料・報告)を基にしたものである。原文あるいはその他の掲載された自著報文は,人間・植物関係学会(JSPPR)のHPにある学会誌アーカイブスからも見ることができる。http://www.jsppr.jp/academic_journal/archives.html

 

補足

最近,『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』を見る機会があった。このアニメ映画で,煉獄杏寿郎の母が息子・杏寿郎に「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です。責任を持って果たさなければならない使命なのです。決して忘れることなきように。」と語るシーンがあった。このあと,杏寿郎は,両手を「ニワトコ」のように大きく広げた母の胸に飛び込んで抱きしめられていた。『銀河鉄道の夜』に登場するタダシも家庭教師の言葉を聞き入れて,天上世界で母親に会い抱きしめられることを望んだと思われる。